婦好墓の入口です。地下鉄の入口のようにここから階段で下りると墓の内部に入れます。婦好墓は、殷墟宮殿区の西はずれにあります。王陵(王の墓)は、「えん水」の北岸の王陵区にありますが、婦好墓だけは宮殿区にある唯一の例外の墓です。
婦好墓は、1976年に発見されました。当時はその辺は岡地だったようで、まだ終わっていなかった文化大革命の中で起きた「農業は大寨(だいさい da zhai)に学べ」運動に触発されて、未耕地を開発しようとして整地を始め、1975年秋に遺跡らしきものに遭遇し、1976年に本格的に発掘されたということのようです。
婦好は、商朝23代王武丁の王妃で、女性でありながら、生前は将軍として戦争を行い、国家大事に参与し、祭礼を主催する等商王朝に貢献したようで、王武丁から愛され、それで宮殿区に埋葬されたようです。但し皇后でなく何番目かの妃だったようです。現代中国語では俗な言い方で奥さんを「老婆」と呼びます。例のきれいなガイドさんは、婦好のことを「小老婆」と言っていました。
この婦好墓は、宮殿区にあった為か、唯一の未盗掘の墓でした。墓は1976年に発掘され、現在は地上の入口から階段で下りて見ることができます。墓は数層に分かれており、銅器、玉石器、象牙器等2000近くの副葬品が出土しました。
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婦好墓は、1976年に発見されました。当時はその辺は岡地だったようで、まだ終わっていなかった文化大革命の中で起きた「農業は大寨(だいさい da zhai)に学べ」運動に触発されて、未耕地を開発しようとして整地を始め、1975年秋に遺跡らしきものに遭遇し、1976年に本格的に発掘されたということのようです。
婦好は、商朝23代王武丁の王妃で、女性でありながら、生前は将軍として戦争を行い、国家大事に参与し、祭礼を主催する等商王朝に貢献したようで、王武丁から愛され、それで宮殿区に埋葬されたようです。但し皇后でなく何番目かの妃だったようです。現代中国語では俗な言い方で奥さんを「老婆」と呼びます。例のきれいなガイドさんは、婦好のことを「小老婆」と言っていました。
この婦好墓は、宮殿区にあった為か、唯一の未盗掘の墓でした。墓は1976年に発掘され、現在は地上の入口から階段で下りて見ることができます。墓は数層に分かれており、銅器、玉石器、象牙器等2000近くの副葬品が出土しました。
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