住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

なぜ坊さんになったのか 私的因縁物語2

2006年09月30日 16時43分50秒 | 様々な出来事について
前回は、全雄という僧名がこの地に私を引き寄せたのではないかと思われると書いた。名前というのは、それほどまでにその人の人生に無視するに余りある影響力があるのではないか。

実は高校時代にすでに、そんなことをうすうす考えていたことを思い出す。その名前の漢字や音から連想される内容に誰もが知らず知らずのうちに影響されているのではないかと。

字画などというものではなくて、その名前から連想する印象や意味にその人が良いにつけ悪しきにつけ左右されるのではないか。勿論名前以上に、その人の生まれた環境や社会の方が大きくその人の人生に影響をもたらすのは言うまでもないことではあるが。

それぞれの置かれた立場において、その自分の名前から感化されていくこともあるだろうということである。余談にはなるが、そう考えてみると昨今誠に奇妙な名を子に付ける風習があることはいかがなものか。

将来の私たちの社会にとって余りよろしくないのではないかと、密かに思っている。洋風の名前に無理に漢字を当てはめたり、まったく意味不明の奇をてらった名前も多い様に感じられる。名前は、その人となりを表す、ないし、その人をつくる、とは言えまいか。

この話はそれくらいにして、私的因縁物語に戻ろう。今回は、そもそもなぜ私のような、まったく仏教に縁の無かったものが突如として坊さんになったのか。その辺りの因縁を辿ってみようと思う。

子供の頃の思い出から語り始めよう。物心つく頃には父が浅草に会社をしていた関係で、浅草の観音様として親しまれている浅草寺(せんそうじ)でよく遊んでいた。連れられて本堂にお参りすると、線香の香りを、「健康でありますように」と身体に何度もかけられたことを憶えている。

そして母親は私が子供の頃から、今思うと仏教の根幹たることを小言のように話をしてくれた。「人には良くしてあげなさい、そうすればその人から返ってこなくても、きっとお前が誰かから良くしてもらえるようなるから」とか。

「人の悪口は言ってはいけません」「汚い言葉を言いなさんな」「努力すればきっと何か結果が出るものだ」などと。そんな言葉が今になって心に響いてくる。勿論どこの家庭でも、どの親でもこの程度のことは言うであろう。

しかし、私には、後に仏教を学ぶようになってから、その言葉の意味を仏教の教えの中に見出し、それによって仏教をより身近なものとして受け取ることが出来たのではないかと思っている。

そして、子供の頃の大きな出来事として、中学1年の時に祖母が、翌年には叔父が亡くなった。そして中学3年では、後藤君という友人が夏の暑い最中にガンで亡くなった。後藤君とは共に同じ部活動をしていた仲良しであった。

亡くなった日の朝まだ薄暗い頃、強い雨の音で目を覚まし起き上がると、風でカーテンが舞ったのを見た。それから、また寝込んでしまったのであったが、そんな雨は実際降ってはいなかったことを朝起きてから知った。そして、何か不審に思って、その日学校に行ってみると、未明に彼が亡くなっていたと知った。

そのことが後々まで私の心に残った。死に際に会いに来てくれたのだろうか、何か言いたいことでもあったのだろうかと。通夜、葬式、納骨と立ち会った。そして、それから月命日には毎月線香を上げに通った。

また、一年後からは何年か祥月命日に仏壇に参った。一年後には、生まれ変わりとも言えるような元気な赤ちゃんが生まれていた。後に坊さんになってからも何度か花を持って命日に参ったのを記憶している。そうして参ることが、私の坊さんとしての原点になっていたのかもしれない。今年はその彼の33回忌に当たる。

にほんブログ村 哲学ブログへ

日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする