住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

昨日の薬師護摩供後の法話より

2018年11月22日 11時43分02秒 | 仏教に関する様々なお話
最近あったことからお話し申し上げる。先月ある高僧と話をしていましたら、真言宗は本覚思想であるから、みんな仏の命をいただき生まれてきて、死ぬるときには仏の命に還っていくのだ、自分が仏と思えないのは心がいろいろな煩悩で曇っているからであり、自分が本来仏であると気がつくことが大事なんであるといわれた。みんな死んだら仏になるんだということにもなるが、はたして弘法大師の著作の中にどのように書かれているのか、性霊集などでの大師の文章には、「輪廻に沈淪する衆生」という表現が多く、みんな死んだら仏などと受け取れる箇所はないと認識しているが、いかがなものであろかというのが率直な感想のまま帰ってきた。

大正5年に発行された『真言宗義章』という当時の真言宗の高僧方が共同で書かれた書物に、即身成仏には機根による別があり、上根上智の人は今生にて三密修行によって即身に成仏することは可能であるが、下根劣慧の人は今生では真言宗の教えに出会えれば地獄餓鬼など悪趣に堕ちることなく、一密行にて来世は浄土に往生して、二生三生のちに三密相応して成仏も適うかもしれないという書き方になっている。この場合の上根上智とは、弘法大師ほどのお方のことであるという。その他大勢の僧俗はみな下根劣慧に列するということであろう。であるが、その弘法大師にしても、自ら兜率天に転生すると言われて定に入られたのであるから、末世の私たちが簡単に成仏するなどと言えないのではないか。

お釈迦様にしても、六年もの苦行のすえ、瞑想し悟りを得られたのであり、各宗派のお祖師方にしてもみんな命をかけて修行をして、なにがしかの結果を得て自信を持って教えを説かれたものと考えられる。普通に生活していて、もちろん人生の荒波を越えてきたとは思われるが、それでもみんな死んだら仏になれると言ってしまうのは、どんなものであろうか。みんな業を相続し、今生での行いも性格も違い、それなのにみんな行き先が同じというのもむしがよ過ぎる考えではないかと思える。

なぜそのようなことになってしまったのか。人が死ぬとその遺体を仏様と言ってしまう日本人的表現をすることがあり、また死ぬことを成仏されましたと言ったりすることがあるが、そうした文化的なオブラートに包んだような表現と、本当にお釈迦様のような何回も生まれ変わり功徳を積んできて、さらに長年の修行のすえに得られた悟り、成道、解脱とを同じものと考えてしまう錯誤ということがある。

さらには、平安中期以降に末法の世が当来するという不安から、浄土信仰が全国に流行し、信仰しさえすればみんな浄土に逝けるという安易な受け取り方が蔓延した。そして、そのように言ってくれる教えがありがたい、上等な教えであるという錯覚を与え、他宗の仏教者たちもそれにならい、いつの間にか、唱えるだけでよい、信仰しさえすれば良い、みんな救われるというような安易な表現を用いて教線拡大、ないし防戦することになり、冒頭申し上げた本覚思想などというものも流行したと考えられる。そうして、益々本来の教えとはいかなるものかと解らなくなってしまったのではないかと思える。

さらに、一切衆生悉有仏性、山川草木悉皆成仏、などという言葉があるように、仏性、ないし如来蔵ともいい、みんな仏になる可能性がもともと備わっているとする思想があるが、それは単に可能性であり、だからといって、死んだらみんな仏という意味にはならない。煩悩に覆われていたら仏にはならないことは当たり前のことであろう。お釈迦様でさえ、他者を悟らせるために教えを説き、その後の本人の修行努力によってそれは実現していかれた。如来は法を説く者であるといわれる。お釈迦様でも、仏弟子たちも、拝んでその人の業を生滅させて悟らせたなどということはなされていない。

今日こうして、護摩のお参りに来られ、何遍となく心経を読誦し、本尊藥師如来の真言はじめ諸真言をお唱えになられた功徳、護摩の火に日頃の様々な思い、はからい、心配ごと、悩み、わだかまり、苦しみのすべての思いを、護摩の火を一心に見て唱えることで、放下し尽くしてしまうこと、仏様に何もかもお預けしてしまう功徳は何から得られるかと言えば、それらはみんな仏教の最高価値である悟りに向かう行いだからこそであろう。そうした心浄める行が、たとえ一歩でも半歩でも、悟りに向かう善行となり、善業を積む行為であるからこそ功徳がある、だからこそその功徳によって添え護摩の木に書かれた様々な願いもかなえることもできると考えるのではないか。

みんな仏様ですよ、死ねばみんな仏ですよと、そんなことを他国の仏教徒が聞いたら、笑ってしまうか、crazy だと思われるであろう。それこそ修行も、教えも、戒も、不要。無価値であり、何をしても無駄なことになる。このあたりのことが、実は世界の仏教徒との一番の齟齬をきたす問題点であろう。著しく仏教の価値を貶めていることに気がつかないでいる。これでは、みんなただ楽しく一生過ごせたらもうそれで充分という人生観になってしまうが、だがはたしてそんなに人生は簡単なものであろうか。

何が本当のことか、何のために生きるのか解らない世の中ではないかと思う。人生とはなにか、何のためにあるのか、生きるとはなにか。自らの生きる目標、目的をかなえる、自己実現のためにあると考える人もあるかもしれない。しかしその目標が本当に自分の求めるものなのか、本当にかなえたいこととは何かと考えたとき、その先にある最高に価値あるものを目指すべきではないかと考えねばならないのではないか。

人生は一人一人みな日々向上するためにある。何に向かって向上するのか、私たちが理想とするもの、思わず礼拝してしまうような存在、本当に間違いの無い存在とは、やはりそれはお釈迦様、仏様のほかにはないのではないか。であるならば、仏教徒にとっての最高価値とは、仏様が実現された悟りということになる。毎日嫌なことが続いても、大変でも、つらいことがあっても、同じ事の繰り返しでも、私たちの行いのひとつ一つはみんなその悟りにつながるものである、そのための学びであり功徳であると思って精進せねばならない。

大乗仏教では、悟りに向かい修行する人を菩薩といい、菩薩はすべてのものを悟らせてから成仏するという誓いを立てる。大乗仏教を信奉する人はみな菩薩であるといわれる。その菩薩が死んですぐ成仏してしまってはやはりいけないのであって、何度も生まれ変わり、そのつど仏教徒となり菩薩として他者のために菩薩行を行って、世の中のために尽くす、それが本来のあり方ではないか。上求菩提・下化衆生とは菩薩の生き方であり、何度生まれ変わっても、自ら悟りを得るために精進しつつ、他者の喜びを我が喜びとする、他者が困っていたら救うために努力する、そうして功徳を積む、それがやはり私たちの理想的な生き方であろう。(本年11月4日「木村泰賢博士著『大乗仏教思想論』に現実的輪廻論を学ぶ」参照)


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R.ゴンブリッチ博士著「ブッダが考えたこと」を読んで

2018年11月11日 21時20分54秒 | 仏教書探訪
リチャード・ゴンブリッチ博士著 浅野孝雄訳『ブッダが考えたこと プロセスとしての自己と世界』(サンガ刊)2018年5月1日発行

ゴンブリッチ博士は、英国オックスフォード大学仏教学センターの創始者であり会長、英国仏教学協会会長、2004年に引退するまで28年間にわたりオックスフォード大学サンスクリット講座の主任教授。
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かなり昔のこと、20年も前のことにはなるが、某T大の会議室に呼ばれて、インド人仏教学者の話を聞いたことがある。この人はヒンドゥ教徒で、アメリカにまで行き講演されて日本経由で帰る途中だとのことだったが。お話を聞いていて、大変失礼ながら、はたしてこの方はなぜ仏教を研究しているのだろうか、ブッダにも仏教にもまったくリスペクトなく、ご自身の研究がつまらないことをしていると思われないのだろうかと気の毒にも思われたことを思い出す。インドには未だに仏教はヒンドゥー教の分派であり、ブッダは9番目の神として祀られていることもあるのであるから、そのことを裏付けるためにバラモン教とは異なる教えであるとか、神聖なる教えであるというような認識を改めさせるために必死になって研究をしているのだろうかとも思われたからである。

じつは、序言において仏教徒ではないと宣言するゴンブリッチ博士の、この500頁もの大著を読み始めて、最初にこの昔のことが思い出されたのである。しかし途中で投げ出す気にはならず、より引き込まれて最後まで三日ほどで読み込んでしまったのには、この先生の並々ならぬ仏教に対する、ないし仏教文献、まさに厳密に探索していく言語学者としての、ひた向きな思い入れがひしひしを感じられたからであろうか。

しかし、先生自らこの本を読んで仏教徒は驚愕するだろうとあるように、112頁には、「カルマの理論を初めて倫理化した事への称賛は、仏教ではなくジャイナ教に与えられるべきとも言えよう」とあり、ジャイナ教と仏教とは同時代に発生した教えであると言いながら、カルマについての理論などブッダはジャイナ教からその理論を拝借したとでもいうようなニュアンスで書かれている。勿論その理論をより精密にカルマは善悪ともに来世に影響するものとして体系化したのはブッダではあるがと書かれてはいるのではあるが。

ブッダが悟られる前に苦行をされたことも、ジャイナ教の行法を試みたというな書き方になっており、当時苦行はジャイナ教徒だけがしていた行ではないことは、勿論先生はご存知のはずであるのに、このような表現をされているのは、余りに仏教びいきと取られないが為の予防線なのかもしれないが。

また、126頁には、ブッダはバラモン教に対してと同様にジャイナ教についても多くの反対を唱えたが、ブッダが「ジャイナ教の教義を大いに変革し、発展させてはいるが、再生のサイクル、カルマ、および非暴力についての彼の考えは、きわめて多くをジャイナ教に負っているのである」とあるのは、ジャイナ教の文献まで確かめられないが、重複する内容はすべてジャイナ教から学んだとするのもいかがなものかと思える。

265頁には、『大縁経』中に、アーナンダに対してブッダが十二縁起は理解するのが極端に難しいと語る部分について、ブッダの教えが深遠で理解するのが難しいと言い放つ例が他にないからと、これは経典編纂者が自らの理解に確信がなかったからであると書かれているが、これもいかがなものか。また、270頁には、十二縁起についての解説で、この場合の「名色」の「名」は、既に十二縁起の別項目として「識」は登場しているからと「受・想・行」のみを意味するとあるが、これもいかがなものか。さらに、296頁には、パパンチャという言葉について、概念化したときの不正確さを免れないので問題であるというような解釈となっているが、心の習性として何でも見たもの聞いたものを概念として捉え執着の対象としていくことが問題なのではないか。

322頁には、『三明ヴァッチャ経』には、ブッダは眠っているときも目覚めているときもいかなる時も完全なる知と洞察を得ているのかとの質問に、ブッダは、私が有するのは三明(宿命通・天眼通・漏尽通)であると答えられているという。この応答はブッダが全知者でなかったと自ら告白したようなものであると捉えられていて、それは伝統的な仏教徒の一般認識からは受け入れられないことであろうとあるが、私はそれでよいのではないかと思える。ブッダは誠に謙虚なお方であり、この世の真実のありよう生き方を探求されたのであるから、三明に通じておられたらすべてを知ると言えるのであり、そのように厳密に自らの評価をされたに過ぎないのであろう。

また、338頁には、「ブッダが精神修養として処方したものは、当初の段階では、今日の教育ある人なら当然持ち合わせているような、道徳的・知的理解の基礎的訓練であったのに違いない。」とあるが、その前ページにはブッダの教えられた瞑想・止観についての解説もあるのに、この記述、表現はいただけない。

このように何箇所も疑問に感ずる部分があるのだが、376頁にはアメリカの仏教学者のコメントが引用されているが、それによれば厳密な文献主義に徹する立場からは、ブッダが紀元前五世紀の人でその説法の記録は口授伝承にてのちに書き記されたなどということはまったく信ずることもできない、せいぜい紀元後四世紀以降に誰かがブッダという偉人をつくりあげた、その書き物に過ぎないということになっているようだ。インドの宗教の伝統文化の特異性などは一瞥すらもしないという姿勢のようであるが、それにたいして、ゴンブリッチ博士は、207頁に「ひと纏まりの言葉がテクストの地位を担うには、誰かがそうした確固たる実体を作り上げようと決め、暗記したうえで今度は他の者たちが暗記できるように伝えるという形を取るしかなかったであろうと」述べている。

そして、377頁に、仏教は、「人類思想史の全体を通じて少なくとも存続期間においては、最大の運動であるに違いない」と仏教の教えとしての広がりを正当に評価している。また、378頁には、ブッダの「カルマ理論とは祭祀の代わりに倫理を置くものであり、ここでブッダはバラモンに対して、いわば敢然と立ち向かっている。」と書いて、某国の仏教学者がこぞって右に倣えとなった、輪廻やカルマなどはみなバラモン教からの借り物でブッダは輪廻を否定したのだとする近代以降の認識とは、まったく異にする見識、つまりそれが世界の仏教徒のまっとうな認識なのではあるが、ごく当たり前の認識を文献学を厳格に研究された上でお持ちであるということなのである。

201頁には、パーリ聖典が最古の資料でありその経と律に比肩するものはないとして、「我々が、仏教がいかに始まり、いかに発展してきたのかということに、真剣な関心を抱いているにもかかわらず、それらに最大の注意を振り向けないとしたら、まったく愚かしいことだ」と書かれている。我が国においても、明治時代に欧州に留学してまで近代仏教学を学び原始仏教という名でブッダの教えを真摯に学んだ時期があった。にもかかわらず、戦前戦中の動乱の末、戦後は小さく伝統仏教宗派内の教学に埋没し、大乗経典のそれも各宗派関係の経典研究のみに没頭し、宗門大学さえもまったくブッダの正論、つまり仏教とは本来いかなる教えであるかといったことに関心がなくなったわが国の現状を嘆いているかのようである。

また379頁に、「ブッダのカルマ理論は祭祀を倫理に置き換えたばかりでなく、意思を倫理的な価値判断の究極の基準とした。これは文明史における偉大な一歩であった。なぜならこのことは、あらゆる人間が倫理的水準において、普遍的に平等であることを意味したからである」「さらにブッダは、我々は自らの運命の支配者であり、各々が結果に責任を負うことを主張するという、きわめて大胆な一歩を踏み出した」と書かれており、神の意志でも、支配者の指図でもなく、宇宙の摂理でもなく、仏のはからいでさえもない、個々人の存立の基盤、基本的な人権なるものに気づかせるものであり、すべては因果応報、自業自得であることによって自らの教えを体系化したということが、その時代にそれをなし得たことが、人類の文明史上においてさえ、いかに革新的なものであったかということを文献学の上から証明しようとされている。

また博士の大乗仏教に対する認識は、この大事なところ、つまりカルマ(博士によれば、それは道徳にまつわる意欲であり、生を経めぐらせる原動力、生を貫く持続性と一貫性の原理をもたらすと説明される)は各々個人において異なるのであって、自らのカルマを引き継ぐべき本人が涅槃に達していなければ再生を続けるはずであるのに、それを曖昧にした。ブッダを極端に賛美し、ブッダと将来のブッダたる菩薩を多様化することで、一群の神格化された人物を創り出し、本来実践すべき教えを垂れる存在であったブッダを単に祈りと崇拝の対象にしてしまったと考えられ、最初期の仏教と著しく異なるものとなったと結論している。

いずれにせよ、ゴンブリッチ博士は、文献学の見地からパーリ聖典を渉猟されて、その精緻な読み解き、一部紹介したような欧米の仏教学者たちからの厳しい批判的な眼差しにさらされ、自らの認識、感触ををそのまま思うように書けない中で、このような文章になっていることを加味して改めて読み直してみると、序言の冒頭に、「本書は、ブッダがあらゆる時代を通じて最も輝かしく、かつ独創的な思想家の一人であることを論証するものである」とあるその言葉どおり、溢れんばかりのブッダへの熱い思い、礼讃を感じ取ることができるのである。

それは、はじめに述べた、インド人仏教学者とは大違いであったことに安堵するが、最終章の最後に、「西洋世界でのパーリ語研究はほぼ死に絶えてしまった」と述懐している博士の立場を考えるとき、学問の世界も功利主義の潮流に圧倒され、お金にならない研究をする人のなくなる時代に長年情熱を傾けてこられた博士に感謝の念すら憶え、今後日本にも博士のような勇気ある研究者が一人でも多く現れることを期待したい。豊富な内容をもつ本書の一端をとらえ気が付いたことのみを書いてみたが、本書を書評するというほどの内容ではないと考えている。さらにこれから何度も本書を読み返しつつまた時折気づいたことを書いてみたいと思う。それだけ魅力あふれる本書に出会えたことに感謝したい。


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木村泰賢博士著『大乗仏教思想論』に現実的輪廻論を学ぶ

2018年11月04日 16時54分15秒 | 仏教書探訪
先ず『Wikipedia』より、博士の略歴をご覧下さい。
「1881年に岩手県に生まれる。幼名二蔵。酒屋で小僧修業の後、東慈寺に貰われて出家。1903年に曹洞宗大学林(現・駒澤大学)を卒業し、東京帝国大学に進学し、高楠順次郎に学ぶ。1909年に首席で卒業し[2]、日露戦争に従軍。曹洞宗大学講師、日本女子大学講師、東京帝国大学講師、同助教授を歴任、1920年頃にイギリスに国費留学した後、1923年に教授に昇任。『阿毘達磨論の研究』で東京帝国大学より文学博士。東京帝国大学印度哲学講座の初代教授。1930年、在職のまま心臓病のため死去。」

手元の『木村泰賢全集第六巻・大乗仏教思想論』は、昭和42年に大法輪閣にて再版されたものである。昭和11年5月、49才で亡くなられて、7回忌の折に博士の諸論文を全集として刊行することが決まり、その際に、『解脱への道』、『真空より妙有へ』など大乗仏教関係の諸論文を収録したという。再読し傍線をいれた、生死輪廻に関する箇所を中心に抜き書きし、私なりに学び取ったことを補足してみたい。

「止みなき苦悩を繰り返すと考えられた輪廻に対しても大乗と小乗と趣きを異にする。小乗にては、輪廻を止息することを思想としたのに対して、大乗は輪廻によるが故に吾らは無限の向上を期して永遠に渉って修行することができるのであるから、修行の立場からするかぎり輪廻は菩薩の本願実現の必須条件であると見るに至ったのである。」193頁

輪廻というのはお釈迦様によれば苦の連鎖であり、はやく抜け出すべきところである。その苦しみの連続である輪廻から解脱するために教えがあり、修行があるとされたきた。しかし、大乗仏教では、無限の向上を目的として修行を続けるために、つまり利他行を修するためには、輪廻は必要なものなのだというのである。死んで訳の分からないあの世に逝くとか、年忌法要を経て仏になるなどということは決してあってはならないということなのであろう。なぜなら大乗菩薩の誓願は自ら涅槃に趣く前に一切衆生を救済することなのであるから。

「菩薩道の主な特質は、
一在家道と出家道とを止揚した立場に立ち、いやしくも大菩薩心を起こし無我心と愛他心とをもってするかぎり、あらゆる行願が悉く衆生の救済と自己の完成とに回向されるという思想の上に立つこと。
二、限りない輪廻も畢竟するに菩薩の行願を修すべき経過で、一歩一歩、仏陀たるべき功徳を積む階段と見る思想の上に立つこと。
三、一切衆生は悉く菩薩として将来に成仏する可能性あり、したがって何人も菩薩の誓願を起こすべきことを最後の理想とすること。
四、衆生無辺誓願度の約束のいたすところ、衆生と共に浄土を建設するのを理想とすること。」302頁

大乗仏教徒とは、自らを在家も出家も超越した菩薩としてとらえ、他の者とともに成仏すること、つまり悟りを得ることを人生の理想とし、その理想を実現するために、何度も何度も輪廻し、生まれ代わりながら菩薩として功徳を積むために尊い命を生きていると捉えるべきなのであろう。

「この(不住)涅槃は輪廻と解脱とを止揚した思想で、輪廻の世界にありながら、それは他力的に運命のために束縛された結果ではなく、むしろ輪廻すなわち現実界のままながら衆生救済の自由活動であり、解脱を理想としながらも無余涅槃のごとく休止した状態ではなく、いい得るならば、永遠に輪廻しながら永遠に解脱しつつある当体である。すなわち仏陀が菩薩として活動されたその活動を永遠化した考察と解すべきである。・・・大乗仏教で生死即涅槃とか治生産業皆是仏法などというのは正しくはこの不住涅槃の消息を明らかにしたものに外ならぬ。」350頁

不住涅槃という言葉があるという。解深密経、入楞伽経などから用いられようになった熟語だという。悟ったまま輪廻してくいということなのだが、涅槃とは解脱であるから、輪廻から抜けて生まれ代わらないことを言うので、不住涅槃とは菩薩として悟ることはできる機根がありながらも、一歩手前で悟らずに輪廻を続けていくことであると解釈すべきであろう。

「仏陀に従えば、吾らは生まれながらにして、前世の業によって、すでに一定の性格を帯び来たれるものである」365頁
「智慧の修練によって宿業による性癖または気質の制せられることは、あくまで仏陀の認められたところで、かの教誡の原則もこれを除いては他に求めることができないのである。仏陀が始終情執を離れて物を如実に認識せよと教えたのも所詮吾らをして必然より自由に解放する道は、いわゆる如実智見によって、その先天的性格を改造する外になしと信じたからであった。」362頁

私たちはみんな前世の業によって、それぞれに性格、性癖、気質を持って生まれてきている。そのとらわれた状態のままに生きていたら、自らにも社会的にもよろしくないのであって、身勝手に、自分の欲望のままに、都合の良いようにものごとを見ることなく、ありのままに見て、自らの心をも観察していかねばならないと言うことであろう。

「菩薩の一員として私たちの建設すべき浄土は将来にありとすれば、その具体的完成もまた遼遠のかなたにあるべきや勿論である。・・・具体的浄土は決して一日に完成するものではない。私たちは生を代え身を代えて、いわゆる無窮の輪廻に渉り、ただ偏えにこの目的のために努力する覚悟がなくてはならぬ。・・・菩薩道の精神からすれば、涅槃に入ることはあとのあと廻しとして、むしろ自ら志願して常に生死に輪廻して生々世々に渉って一歩ずつたりとも最高理想の実現に何物かを寄与し得る機会を得た方が却って涅槃に入るよりも生活上意義あることと考えられているのである。」415頁

大乗仏教、特に戦後日本仏教は、輪廻などない、死んだらみんな仏である、浄土に往生する、曼荼羅の世界に入る、などと耳障りのいい言葉を重ねてきたのではないだろうか。先にも申したとおり、大乗菩薩の使命は一切衆生の救済にあったのではないか。なれば、死んで仏や浄土に身罷るのではなく、やはり輪廻してまた人間界に還ってきて、ともにこの世に浄土建設のため功徳を積み、多くの人々を導くべく、仏教徒として再生してもらうべきなのではないかということである。

「かく浄土より再び戻って、下化衆生に従事するのを本願思想の進歩であるとすれば、浄土も畢竟するに一種の輪廻界ではないかという問題が起ころう。何となれば、往生して再び戻るには、生死の道を経る外に道がないからである。・・・浄土往生の思想は生天思想と密接な関係のあることは争われぬ事実である。」470頁

往生とは往きて生きることだという。浄土思想は生天思想と密接な関係があるとあり、往く先の浄土とは、天界のどこかということなのであろうか。天界なのだから余程寿命は永いとは思われるが、いずれは下界に堕ちるときがくる。浄土から人間界に還ってくる際には輪廻により死後生まれ代わってくるということなのである。

「浄土なる境界を小乗教理に対比すれば、その四果中、第三の不還果に相当するもので、ある意味からすれば、第三不還果の聖者が上天して、そこで入涅槃するという思想を通俗化し積極化したものということもできよう。したがって涅槃と輪廻とを判然と対立せしめるかぎり、未だ真の涅槃に至らない浄土の身分は輪廻界に属するものといわねばなせぬ。」471頁

四向四果という悟りの階梯がある。その中の不還果の聖者とは、天界に生まれ代わり人間界に転生することなくそのまま涅槃に入るとされる、かなり勝れた瞑想の境地を得た人たちのことである。この考え方を発展されたものが浄土思想であるということなのだが、つまり浄土とは未だ六道輪廻の中ということなのであろうか。

「我々は七度八度ではなく、限りなしに死に代わり生まれ代わって弥勒の世界を造る必要がある。・・・無窮の輪廻をたどって、弥勒の浄土の出現を促すのだ、弥勒浄土に何物かを寄与するのだとしたならば、生死すること自身は既に菩薩道の活用でありまして、これを願生輪廻ともいい、または不住涅槃と名づけるのであります。」499頁

56億7千万年後に出現するとされる弥勒浄土のために、その時のためにこの現世に浄土建設のために寄与すべく何度も輪廻することが菩薩としての役目だという。

「序文 著者の人生観は言い得るならば永遠を理想としての解脱主義である。一切は永遠に解脱し行く過程で、而も一切を永遠の解脱に向ける所に人生の価値が存する、というのは著者の主張である。」

最後に、同博士著『解脱への道』(昭和10年甲子社書房刊)の序文の冒頭である。著者の人生観として書かれているが、まさに仏教徒とはこのように生きる人たちのことなのではないかと思う。すべてのものは解脱する過程にある。一切の生きとし生けるものたちを解脱させんがために自分の人生がある。ということであるが、この世は解脱のためにある。つまりは悟るために人生あり、いのちありということであろう。

お釈迦様を人生の理想、目標として生きるとはそういうことであろう。悟るためにこそ人生があるとするのである。だから、人身受け難し、仏法遭い難しという。人間に生まれたからにはせっかくの機会を不意にしてはならないと考えるのである。解脱とか、悟りとか、難しい言葉を使うのでいけないが、悟りとは最高の幸せであり、究極の喜び、なにものにも代えがたい人間としての頂点、完璧な完成した人格、最高の財産。

それらを私たちの身近な目標なり、人生の理想像の先の先にあるものとして生きる。人生の様々なことは皆そのためにこそある、いろいろな経験を通して人として成長し、徳を積み、学び、心を養う。その先にお釈迦様の悟りがあり、そこに近づいていくべく生きる。間違いを犯したとしても、それも一つの人生の経験として何かしら先々の糧となるものと受け取る。何度生まれ代わっても、悟るために頑張るというのが仏教徒の生き方ではないかと思う。そのことを正に博士が亡くなる前年に出された著書の序文にお書きになっているのである。


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