布施とは、施与を意味するインドの言葉「ダーナー」を中国で訳した仏教用語だ。布の施しと書く。そこにはやはり深い意味があるのであろう。布とは袈裟を意味する。袈裟の施しこそが僧侶への施しの象徴であり、最も功徳ある施しの代表すべきものであったということではないか。
昔インド僧の一人としてカルカッタの僧院にあったとき、安居開けの僧侶に袈裟を施す「カティナ・チーバラ・ダーン」という行事に何度も参加させていただいたことがある。カティナは功徳、チーバラは法衣・袈裟を意味する。功徳ある袈裟を施す儀式ということなのだが、村中の仏教徒がお寺に集まり、儀式後には盛大な歌舞音曲が催される大イベントである。
招待された僧侶たちは、お昼近くに村に到着すると、まず昼食の接待を受け、ゆっくりと午睡をとる。起きると境内には広い壇が設えられており、そこには沢山の果物や日用品が所狭しと備えられている。ぞろぞろと仏教徒たちが集まり出すと、僧侶は全員その壇の上に腰掛ける。長老や在家信者の代表が長々と法話や挨拶を終えると、大きな皿に備えられた沢山の袈裟が信者たちの間を経巡り、皿の上には賽銭が置かれていく。一巡するとまた壇の上に供えられ、読経が始まる。
その沢山お供えされたものの功徳が随喜されて、儀式は最高の盛り上がりを見せ閉幕する。僧侶たちは壇を降り、僧院の中に入ると、その僧院で安居した僧侶たちに供えられていた袈裟を均等に分与する儀式に参列する。その日供えられた袈裟を施した信者たちには、身の危険がなく、健康と財と尊敬が与えられ、幸福になって、死後も来世でよい世界に生まれ変われるとされている。
だからこそその功徳を信じ、南方上座仏教徒たちは、今日でも、この「カティナダーナー」を盛大に行うのであり、そうしてこの袈裟衣の施与が最も功徳あるものであることを伝えてくれている。初期仏教では、在家にあったときに身につけていたもの、手にしていたものをすべて捨てて出家するのだから、彼らの持ち物と言えばこの袈裟、腰衣一枚と上に纏う袈裟が一枚、それからその上に防寒用などのために一枚、つごう三枚の袈裟、それに托鉢用の鉢と座具、水濾しだけであった。
だからこそ、袈裟は仏教僧のシンボルとして、唯一身を守るものとして大切だったのである。だからそれを施すこと、ないし、そのもとである布を施すことが、僧侶への施しの象徴としての意味あるものだから、ダーナーという言葉を中国で布施と訳したのであると思う。
ところで、仏教の実践の仕方には【布施・戒・定・慧】という段階があり、その始めには布施の実践が大切であると教えられている。布施とは、小学館の『大辞泉』によれば、「梵語ダーナの訳。①六波羅密の一つ、施しをすること。金品を施す財施、仏法を説く法施、恐怖を取り除く無畏施の三施がある。②僧に読経などの謝礼として渡す、金銭や品物。」とある。
しかし今日私たちが普通に布施というと、②の僧侶に渡す謝礼としての布施のことしか思い及ばないであろう。僧侶の側から法を説く法施、または、恐れの気持ちを取り除いてあげる無畏施などという布施もあり、広く他のために施すことを布施と言うことを知ることも大切であろうし、また六波羅密の一つとあるように、自らの心の完成のための実践と捉えることが大切なのであろう。
布施をする人の心には、僧侶に施すのであれば、その僧が学び行じていることに対するその価値を理解し賛同することが前提としてある。つまり、それは自分の人生にとっても意味あることである、良くしてあげたことが自分にも還ってくるだろうという気持ちがあってはじめてなされる行為であろう。
しかしもちろん今日お寺に差し出されるお布施ということになれば、それは、個人に対してと言うよりは、やはりそのお寺が地域社会にとってもまた檀徒にとっても意味のある存在であって、護持することが大切なことであるという認識を共有することでなされることは言うまでもないが。
また四国の遍路を歩いていると、若い人も含め地元の人がすっと寄ってきて、お接待をして下さる場合がある。それも、同じように、それは尊い行為であると分かっていて、自分が出来ない歩き遍路をしてくれている、自分の代わりにしてくれている、だから助けてあげよう、それは自分のためでもあるという気持ちがあってなされるであろう。
またたとえば、貧しく、困っている人たちに施しをすることを考えてみても、そこには、その人たちと自分の生活が決して別のものではない。無関係と言えるものではない。自分たちだけ良くあることはあり得ない。みんな繋がっている。だから、みんなが良くあって欲しいという気持ちがあるからこそ出来る行為なのだと思う。
インドの人たちは、給料の一部は、必ず、福祉団体や貧困者、寺院などに寄付するものだと考えられていると聞いたことがある。何億という沢山の人たちの過酷な階級社会で、とても厳しい気候の中で生きている。人生とは苦しみなのだと考えている。今生で沢山の徳を積んで、来世では出来ればもう少し楽な世界に生まれ変わりたい、だからこそ出来るだけ施しをして功徳を積みたいと考えている。
そこには、自分が手にした給料は、自分が稼いだものではあるけれども、それは決して一人で得られたものではない、沢山の周りの人たちのお陰で手にしたものでもあるとの思いがある。さらには、自分が今あるためには、沢山の生きものたち、この大地や自然、たくさんの人たちの言い伝え、慣習、文化といった様々な物事に支えられてはじめて存在しうる。目に見えないそうした大きな自分を支えてくれているものに気づく、だからこそ、自分が今あることの借りを返すためにも施しをするのだとも言われる。他との繋がりを感じ取り、良いことをして共に良くありたいとの思いの発露が布施ということになろうか。
ところで、布施というのは、金銭や品物を施すことと思いがちではあるけれども、冒頭に述べたように、施す物がなくても布施は出来る。そのあたりのことを、高野山の北米開教師であった故磯田宥海師が『きっと、仏さまはここにいる』(祥伝社NONBOOK)の中に、「無財の七施」として分かりやすく説いてくれている。
「無財の七施」とは、眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床坐施、房舎施の七つ。人にやわらかい気持ちを与える眼差しを施すのを眼施といい、時と場合にふさわしい顔を施すのを和顔施といい、相手が幸せな気持ちになるような言葉を施すのを言辞施、身体で手助けをしてあげる施しを身施、善くあって欲しいという気持ちを施すのを心施、席を譲る施しを床坐施、自分の家や場所を提供してあげる施しを房舎施というとある。
自分に出来ることを無理のない程度に素直な気持ちで自然にしてあげられるようにありたいものではあるが、それらの施しの原点には、喜捨という心があるのだと言われる。喜んで自分の手からそれらを手放すという気持ちのことだ。何でも普通は自分の物にしたい、好ましい物好きな物は手に入れたいと思う。
しかし、それらを手放す、捨てることによる幸せというものがある。昔、高野山の道場に上がるとき、奉職していた会社を辞し、かなりの家財道具を処分して、とても身軽になって登山したときの誠に清々しい気持ち。またインド僧になる際には、東京に抱えていた殆どすべての衣類から書物に至るまで処分したときの開放感。捨てることによって得られる幸福感というものがあるということだ。
沢山のしがらみ、複雑な人間関係、しきたりの中で生きていたら、がんじがらめで身動き出来なく感じるであろう。そうしたものから開放されたときには、それだけで、誠に自由な心が獲得されたと思うであろう。それが喜捨であり、また布施なのであろう。布施という行為は、それを受け取った相手のためになることで功徳となり、また、自分自身にとっても、喜捨して手放すことによる幸福感、清らかな心を味わえる功徳甚大なるものなのだと言えよう。
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昔インド僧の一人としてカルカッタの僧院にあったとき、安居開けの僧侶に袈裟を施す「カティナ・チーバラ・ダーン」という行事に何度も参加させていただいたことがある。カティナは功徳、チーバラは法衣・袈裟を意味する。功徳ある袈裟を施す儀式ということなのだが、村中の仏教徒がお寺に集まり、儀式後には盛大な歌舞音曲が催される大イベントである。
招待された僧侶たちは、お昼近くに村に到着すると、まず昼食の接待を受け、ゆっくりと午睡をとる。起きると境内には広い壇が設えられており、そこには沢山の果物や日用品が所狭しと備えられている。ぞろぞろと仏教徒たちが集まり出すと、僧侶は全員その壇の上に腰掛ける。長老や在家信者の代表が長々と法話や挨拶を終えると、大きな皿に備えられた沢山の袈裟が信者たちの間を経巡り、皿の上には賽銭が置かれていく。一巡するとまた壇の上に供えられ、読経が始まる。
その沢山お供えされたものの功徳が随喜されて、儀式は最高の盛り上がりを見せ閉幕する。僧侶たちは壇を降り、僧院の中に入ると、その僧院で安居した僧侶たちに供えられていた袈裟を均等に分与する儀式に参列する。その日供えられた袈裟を施した信者たちには、身の危険がなく、健康と財と尊敬が与えられ、幸福になって、死後も来世でよい世界に生まれ変われるとされている。
だからこそその功徳を信じ、南方上座仏教徒たちは、今日でも、この「カティナダーナー」を盛大に行うのであり、そうしてこの袈裟衣の施与が最も功徳あるものであることを伝えてくれている。初期仏教では、在家にあったときに身につけていたもの、手にしていたものをすべて捨てて出家するのだから、彼らの持ち物と言えばこの袈裟、腰衣一枚と上に纏う袈裟が一枚、それからその上に防寒用などのために一枚、つごう三枚の袈裟、それに托鉢用の鉢と座具、水濾しだけであった。
だからこそ、袈裟は仏教僧のシンボルとして、唯一身を守るものとして大切だったのである。だからそれを施すこと、ないし、そのもとである布を施すことが、僧侶への施しの象徴としての意味あるものだから、ダーナーという言葉を中国で布施と訳したのであると思う。
ところで、仏教の実践の仕方には【布施・戒・定・慧】という段階があり、その始めには布施の実践が大切であると教えられている。布施とは、小学館の『大辞泉』によれば、「梵語ダーナの訳。①六波羅密の一つ、施しをすること。金品を施す財施、仏法を説く法施、恐怖を取り除く無畏施の三施がある。②僧に読経などの謝礼として渡す、金銭や品物。」とある。
しかし今日私たちが普通に布施というと、②の僧侶に渡す謝礼としての布施のことしか思い及ばないであろう。僧侶の側から法を説く法施、または、恐れの気持ちを取り除いてあげる無畏施などという布施もあり、広く他のために施すことを布施と言うことを知ることも大切であろうし、また六波羅密の一つとあるように、自らの心の完成のための実践と捉えることが大切なのであろう。
布施をする人の心には、僧侶に施すのであれば、その僧が学び行じていることに対するその価値を理解し賛同することが前提としてある。つまり、それは自分の人生にとっても意味あることである、良くしてあげたことが自分にも還ってくるだろうという気持ちがあってはじめてなされる行為であろう。
しかしもちろん今日お寺に差し出されるお布施ということになれば、それは、個人に対してと言うよりは、やはりそのお寺が地域社会にとってもまた檀徒にとっても意味のある存在であって、護持することが大切なことであるという認識を共有することでなされることは言うまでもないが。
また四国の遍路を歩いていると、若い人も含め地元の人がすっと寄ってきて、お接待をして下さる場合がある。それも、同じように、それは尊い行為であると分かっていて、自分が出来ない歩き遍路をしてくれている、自分の代わりにしてくれている、だから助けてあげよう、それは自分のためでもあるという気持ちがあってなされるであろう。
またたとえば、貧しく、困っている人たちに施しをすることを考えてみても、そこには、その人たちと自分の生活が決して別のものではない。無関係と言えるものではない。自分たちだけ良くあることはあり得ない。みんな繋がっている。だから、みんなが良くあって欲しいという気持ちがあるからこそ出来る行為なのだと思う。
インドの人たちは、給料の一部は、必ず、福祉団体や貧困者、寺院などに寄付するものだと考えられていると聞いたことがある。何億という沢山の人たちの過酷な階級社会で、とても厳しい気候の中で生きている。人生とは苦しみなのだと考えている。今生で沢山の徳を積んで、来世では出来ればもう少し楽な世界に生まれ変わりたい、だからこそ出来るだけ施しをして功徳を積みたいと考えている。
そこには、自分が手にした給料は、自分が稼いだものではあるけれども、それは決して一人で得られたものではない、沢山の周りの人たちのお陰で手にしたものでもあるとの思いがある。さらには、自分が今あるためには、沢山の生きものたち、この大地や自然、たくさんの人たちの言い伝え、慣習、文化といった様々な物事に支えられてはじめて存在しうる。目に見えないそうした大きな自分を支えてくれているものに気づく、だからこそ、自分が今あることの借りを返すためにも施しをするのだとも言われる。他との繋がりを感じ取り、良いことをして共に良くありたいとの思いの発露が布施ということになろうか。
ところで、布施というのは、金銭や品物を施すことと思いがちではあるけれども、冒頭に述べたように、施す物がなくても布施は出来る。そのあたりのことを、高野山の北米開教師であった故磯田宥海師が『きっと、仏さまはここにいる』(祥伝社NONBOOK)の中に、「無財の七施」として分かりやすく説いてくれている。
「無財の七施」とは、眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床坐施、房舎施の七つ。人にやわらかい気持ちを与える眼差しを施すのを眼施といい、時と場合にふさわしい顔を施すのを和顔施といい、相手が幸せな気持ちになるような言葉を施すのを言辞施、身体で手助けをしてあげる施しを身施、善くあって欲しいという気持ちを施すのを心施、席を譲る施しを床坐施、自分の家や場所を提供してあげる施しを房舎施というとある。
自分に出来ることを無理のない程度に素直な気持ちで自然にしてあげられるようにありたいものではあるが、それらの施しの原点には、喜捨という心があるのだと言われる。喜んで自分の手からそれらを手放すという気持ちのことだ。何でも普通は自分の物にしたい、好ましい物好きな物は手に入れたいと思う。
しかし、それらを手放す、捨てることによる幸せというものがある。昔、高野山の道場に上がるとき、奉職していた会社を辞し、かなりの家財道具を処分して、とても身軽になって登山したときの誠に清々しい気持ち。またインド僧になる際には、東京に抱えていた殆どすべての衣類から書物に至るまで処分したときの開放感。捨てることによって得られる幸福感というものがあるということだ。
沢山のしがらみ、複雑な人間関係、しきたりの中で生きていたら、がんじがらめで身動き出来なく感じるであろう。そうしたものから開放されたときには、それだけで、誠に自由な心が獲得されたと思うであろう。それが喜捨であり、また布施なのであろう。布施という行為は、それを受け取った相手のためになることで功徳となり、また、自分自身にとっても、喜捨して手放すことによる幸福感、清らかな心を味わえる功徳甚大なるものなのだと言えよう。
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