住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

布施ということ

2010年01月29日 09時39分48秒 | 仏教に関する様々なお話
布施とは、施与を意味するインドの言葉「ダーナー」を中国で訳した仏教用語だ。布の施しと書く。そこにはやはり深い意味があるのであろう。布とは袈裟を意味する。袈裟の施しこそが僧侶への施しの象徴であり、最も功徳ある施しの代表すべきものであったということではないか。

昔インド僧の一人としてカルカッタの僧院にあったとき、安居開けの僧侶に袈裟を施す「カティナ・チーバラ・ダーン」という行事に何度も参加させていただいたことがある。カティナは功徳、チーバラは法衣・袈裟を意味する。功徳ある袈裟を施す儀式ということなのだが、村中の仏教徒がお寺に集まり、儀式後には盛大な歌舞音曲が催される大イベントである。

招待された僧侶たちは、お昼近くに村に到着すると、まず昼食の接待を受け、ゆっくりと午睡をとる。起きると境内には広い壇が設えられており、そこには沢山の果物や日用品が所狭しと備えられている。ぞろぞろと仏教徒たちが集まり出すと、僧侶は全員その壇の上に腰掛ける。長老や在家信者の代表が長々と法話や挨拶を終えると、大きな皿に備えられた沢山の袈裟が信者たちの間を経巡り、皿の上には賽銭が置かれていく。一巡するとまた壇の上に供えられ、読経が始まる。

その沢山お供えされたものの功徳が随喜されて、儀式は最高の盛り上がりを見せ閉幕する。僧侶たちは壇を降り、僧院の中に入ると、その僧院で安居した僧侶たちに供えられていた袈裟を均等に分与する儀式に参列する。その日供えられた袈裟を施した信者たちには、身の危険がなく、健康と財と尊敬が与えられ、幸福になって、死後も来世でよい世界に生まれ変われるとされている。

だからこそその功徳を信じ、南方上座仏教徒たちは、今日でも、この「カティナダーナー」を盛大に行うのであり、そうしてこの袈裟衣の施与が最も功徳あるものであることを伝えてくれている。初期仏教では、在家にあったときに身につけていたもの、手にしていたものをすべて捨てて出家するのだから、彼らの持ち物と言えばこの袈裟、腰衣一枚と上に纏う袈裟が一枚、それからその上に防寒用などのために一枚、つごう三枚の袈裟、それに托鉢用の鉢と座具、水濾しだけであった。

だからこそ、袈裟は仏教僧のシンボルとして、唯一身を守るものとして大切だったのである。だからそれを施すこと、ないし、そのもとである布を施すことが、僧侶への施しの象徴としての意味あるものだから、ダーナーという言葉を中国で布施と訳したのであると思う。

ところで、仏教の実践の仕方には【布施・戒・定・慧】という段階があり、その始めには布施の実践が大切であると教えられている。布施とは、小学館の『大辞泉』によれば、「梵語ダーナの訳。①六波羅密の一つ、施しをすること。金品を施す財施、仏法を説く法施、恐怖を取り除く無畏施の三施がある。②僧に読経などの謝礼として渡す、金銭や品物。」とある。

しかし今日私たちが普通に布施というと、②の僧侶に渡す謝礼としての布施のことしか思い及ばないであろう。僧侶の側から法を説く法施、または、恐れの気持ちを取り除いてあげる無畏施などという布施もあり、広く他のために施すことを布施と言うことを知ることも大切であろうし、また六波羅密の一つとあるように、自らの心の完成のための実践と捉えることが大切なのであろう。

布施をする人の心には、僧侶に施すのであれば、その僧が学び行じていることに対するその価値を理解し賛同することが前提としてある。つまり、それは自分の人生にとっても意味あることである、良くしてあげたことが自分にも還ってくるだろうという気持ちがあってはじめてなされる行為であろう。

しかしもちろん今日お寺に差し出されるお布施ということになれば、それは、個人に対してと言うよりは、やはりそのお寺が地域社会にとってもまた檀徒にとっても意味のある存在であって、護持することが大切なことであるという認識を共有することでなされることは言うまでもないが。

また四国の遍路を歩いていると、若い人も含め地元の人がすっと寄ってきて、お接待をして下さる場合がある。それも、同じように、それは尊い行為であると分かっていて、自分が出来ない歩き遍路をしてくれている、自分の代わりにしてくれている、だから助けてあげよう、それは自分のためでもあるという気持ちがあってなされるであろう。

またたとえば、貧しく、困っている人たちに施しをすることを考えてみても、そこには、その人たちと自分の生活が決して別のものではない。無関係と言えるものではない。自分たちだけ良くあることはあり得ない。みんな繋がっている。だから、みんなが良くあって欲しいという気持ちがあるからこそ出来る行為なのだと思う。

インドの人たちは、給料の一部は、必ず、福祉団体や貧困者、寺院などに寄付するものだと考えられていると聞いたことがある。何億という沢山の人たちの過酷な階級社会で、とても厳しい気候の中で生きている。人生とは苦しみなのだと考えている。今生で沢山の徳を積んで、来世では出来ればもう少し楽な世界に生まれ変わりたい、だからこそ出来るだけ施しをして功徳を積みたいと考えている。

そこには、自分が手にした給料は、自分が稼いだものではあるけれども、それは決して一人で得られたものではない、沢山の周りの人たちのお陰で手にしたものでもあるとの思いがある。さらには、自分が今あるためには、沢山の生きものたち、この大地や自然、たくさんの人たちの言い伝え、慣習、文化といった様々な物事に支えられてはじめて存在しうる。目に見えないそうした大きな自分を支えてくれているものに気づく、だからこそ、自分が今あることの借りを返すためにも施しをするのだとも言われる。他との繋がりを感じ取り、良いことをして共に良くありたいとの思いの発露が布施ということになろうか。

ところで、布施というのは、金銭や品物を施すことと思いがちではあるけれども、冒頭に述べたように、施す物がなくても布施は出来る。そのあたりのことを、高野山の北米開教師であった故磯田宥海師が『きっと、仏さまはここにいる』(祥伝社NONBOOK)の中に、「無財の七施」として分かりやすく説いてくれている。

「無財の七施」とは、眼施、和顔施、言辞施、身施、心施、床坐施、房舎施の七つ。人にやわらかい気持ちを与える眼差しを施すのを眼施といい、時と場合にふさわしい顔を施すのを和顔施といい、相手が幸せな気持ちになるような言葉を施すのを言辞施、身体で手助けをしてあげる施しを身施、善くあって欲しいという気持ちを施すのを心施、席を譲る施しを床坐施、自分の家や場所を提供してあげる施しを房舎施というとある。

自分に出来ることを無理のない程度に素直な気持ちで自然にしてあげられるようにありたいものではあるが、それらの施しの原点には、喜捨という心があるのだと言われる。喜んで自分の手からそれらを手放すという気持ちのことだ。何でも普通は自分の物にしたい、好ましい物好きな物は手に入れたいと思う。

しかし、それらを手放す、捨てることによる幸せというものがある。昔、高野山の道場に上がるとき、奉職していた会社を辞し、かなりの家財道具を処分して、とても身軽になって登山したときの誠に清々しい気持ち。またインド僧になる際には、東京に抱えていた殆どすべての衣類から書物に至るまで処分したときの開放感。捨てることによって得られる幸福感というものがあるということだ。

沢山のしがらみ、複雑な人間関係、しきたりの中で生きていたら、がんじがらめで身動き出来なく感じるであろう。そうしたものから開放されたときには、それだけで、誠に自由な心が獲得されたと思うであろう。それが喜捨であり、また布施なのであろう。布施という行為は、それを受け取った相手のためになることで功徳となり、また、自分自身にとっても、喜捨して手放すことによる幸福感、清らかな心を味わえる功徳甚大なるものなのだと言えよう。

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供養の先のこと

2010年01月24日 18時42分05秒 | 仏教に関する様々なお話
供養という言葉、よく使われるだけに何となくみんな分かっていると思っている。しかし供養とは何ですか、などと言われるとちょっと困る。はたして供養とは何なのか、何をしたら供養と言えるのであろうか。

先祖の供養、亡き精霊の供養。お寺などで、よく供養してあげてください、などと言われ、その気になって返事はするものの何となく落ち着きの悪い思いをしたことはないだろうか。供養とは、インドの言葉プージャーを、中国で翻訳した言葉だ。プージャーとは、インドではよく聞く言葉で、神様の御像を前に御供えをして香を焚きお経を唱えることを言う。仏教寺院でも、朝のお勤めのことをプージャーという。

カルカッタの僧院にいた頃、いつまでも起きてこない若い坊さんがいて、起きてきて顔を洗ったかと思うと食堂に行こうとするので、「プージャーに行け」と叱られていた声を思い出す。そしてこのプージャーには、この御供え、礼拝の他に、尊敬する尊崇するという意味もある。尊敬する気持ちがあるからこそ、礼拝するのだし、沢山の御供えをしようという気持ちにもなる。

普通、六種の供養などと言われ、仏前には、花、灯明、線香、仏飯、茶湯を供え、自身には塗香を手に擦り込み、手を合わせ礼拝する。お寺の本堂に参ったり、仏壇で拝むときも、また、墓などで石塔を拝するときも同様であろう。そして、これら物質による供養の他に、真言宗で読誦される般若理趣経では、仏を供養するとは、①菩提心を起こし、②一切の衆生を救済する願いをもち、③般若の教えを受持し、また④他に教えることを言うとある。

菩提心とは、菩提・悟りを求める心のことである。悟りなどと言うと縁遠いように思われようが、悟りとは最高の幸せのことなのだから、幸せを求めない人はいないことを考えれば、誰しもが本当は悟りを求めているのだとも言えよう。どうせ求めるならば最終的には最高の幸せ・悟りを意識して少しでも近づけるように生きるということだ。

一切衆生を救済するとは、とてつもなく遠大なテーマだとも言えようが、誰でもが一人で生きているのではない、みんな他のものたちと関わり、相助け助けられ生きていることを考えれば、みんなすべてのものと縁続きだとも言える。すべてのものがつながっている。そう考えると、すべてのものを救済するというのもそんなに当て外れのことではない。自分のできることを周りのみんなのためにすることがそのまますべてのものたちにつながって良い影響を与え、助け合い救い合うことになる。

般若の教えを受持するとは、この経典の教えを常に心にとどめて生きることではあるが、それはそう簡単なことではないように思われよう。しかし、自と他の一体平等を説く般若の教えは、先に述べた自分は一人では生きられない、完全に独立した個など存在し得ない、一人では存在しえない、つまりは自分などと言える存在などないのだという認識に立つことである。

それをまた他にも教えるというのも、そんなに難しく考えるまでもない、一人ではない、他とのつながりの中で生きている私たちは、意識するしないにかかわらず、他に影響され、他に依存しつつ生きている。一人の優れたものの考え方は他に、周りによい波動として伝わることであろう。では、なぜこうした悟りを求め、他を救い、教えを受持し、他に教えることが、仏を供養することになるのであろうか。

簡単に言えば、それを仏が喜んでくださるからということになろうか。法句経166偈の因縁物語に、お釈迦様が四ヶ月後に自ら涅槃に入るであろうと宣言されたとき、周りにいた弟子たちが香を炊いて祈ったりしたが、アッタダッタという弟子だけは一人山に入り一生懸命、お釈迦様が亡くなる前に最高の悟りを得ようと励んだ。お釈迦様は、他の弟子たちに香を焚いて延命を祈っても、それは自分を祈ったことにはならない、アッタダッタのように精進努力することがこそが自分を祈ったことになるのだと言われた。

お釈迦様に手を合わせ、礼拝することよりも、そのお釈迦様の教えを忖度し、その教えに則って生きる、そしてその教えを実現する、またその教えの正しさを示し、良きことを他にも教えていくことが、お釈迦様を尊崇し供養することになるということなのである。お釈迦様の生き様、何を大切にし、どんな生き方をなされたのか、もちろん凡夫である私たちが簡単にまねのできることではない。しかし、その生き方そのものが最高の供養とも言えるのではないか。

だから、たとえばお寺であれば、線香ろうそくをあげて先師尊霊の墓所にお参りをすることも大切だが、同時に、それよりも大切なこととして、やはり仏教をより深く解明し、それを行じ体得していく、その得たものを他にも教え広める、境内を清めお参りの人たちに少しでも気持ちよく何事かを感じていただくなどということがあり、それこそが先師の供養ではないかなどと私は思っている。

供養とは私たちが普通に思っている線香ろうそくの御供えの先のことがあるのだということなのである。数年前のことにはなるが、隣の岡山県のお寺の盆参りのお手伝いをしたとき、ある家で、七十くらいの男性が一人お相手をしてくれた。お経が終わると、小さなお盆にお茶とお菓子を乗せてやってきて、奥さんが交通事故で亡くなったのだと語り始めた。

横断歩道でないところを渡っていたとき、制限時速を遙かにオーバーしたオートバイが撥ねたと。そのオートバイは、二十歳の医学生が運転しており、その学生は大学をやめて勤めて金を稼ぎ、慰謝料を払うと言い出した。しかし、それでは奥さんが浮かばれない。お金をもらうよりも、大学を続けて立派な医者になって、奥さんの命を無駄にしないで、沢山の患者の命を救う医者になってほしい、そうしてもらうことが本当の供養になると一人残された旦那さんは話したという。

しばらく考えていたというその学生は、考えを改め、その後まじめに大学で学びながら、奥さんの命日や盆暮れには必ず仏壇に参ってくれるのだと言われた。確かに、慰謝料をもらっても、亡くなった人のためにはならないだろう。それよりもその死を無駄にせず、だからこそ人の命を救える医者になってもらう、そのことの方がどれほど亡くなった人が浮かばれようか。

亡くなられた人が何をしてほしいのか、残していく家族、親族にどうあってほしいと思われているか。そんなことをその気持ちを忖度して、してあげる。そういう供養こそが本当の供養と言えそうだ。理趣経でいう供養も、結局は、仏さんがしてほしい、後の弟子や信者らにして欲しいという内容なのであろう。ものを御供えする供養の先に私たちのしなくてはいけない供養はいくらでもあるのだと思う。

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正月から善業功徳を積む-冬木弁天堂の思い出

2010年01月14日 17時15分19秒 | インド思い出ばなし、ネパール巡礼、恩師追悼文他
正月、皆様はどこぞやに初詣に出られたであろうか。この辺りだと、広島県福山市・草戸稲荷、岡山の最上稲荷に出かけた人が多いという。草戸稲荷の隣には明王院という国宝の金堂に五重塔のある福山きっての名刹があるのに、こちらに参る人はごく一部の篤信家に限られているらしい。なぜか福山の人たちはお寺があまり好きではないようだ。

ところで、私はこの地に来る前には、東京の下町、深川七福神の一つ、冬木弁天堂にいた。正月ともなれば、大勢の人たちが「深川七福神」と隷書で書かれた色紙を持って、それぞれのお姿の朱印をもらいにお参りに来られた。冬木弁天堂は当時は、正月ともなると地元の富岡八幡の神輿総代会の方々や下部組織で睦み会の人たちが大勢お手伝いに来られていた。年末には大掃除をして正月の飾り付けをして、大晦日の晩から泊まり込みで皆さんお堂の番をする。

晩の11時頃になるとそろそろと初詣のお参りの方たちが来出す。弁天様なのに、一つ前に富岡八幡の福禄寿を拝んでくる人が多いので、つい拍掌して手を合わす。そうすると必ず、「ここはお寺だから手を叩かなくていいの」と言って教えるおじいさんもいた。色紙に朱印をもらうと百円。その上に納経帳に書き込みを頼まれる方もあり、そのときには他で用事をしていても、私が呼ばれて書いてあげていた。

昼間お参りの人で狭い境内が一杯となり、お堂の中にも人で一杯にるようなときには、納経帳が、十数冊も積まれてしまうこともあった。色紙の他には焼き物の七福神の顔を七つ集めて笹に取り付けていく縁起物や弁天様の巳年ごとにお衣替えをするその衣入りの肌守りも人気があった。弁天堂のお堂の中には、現在の新しいお堂を再建したときの寄付額が掲示されている。ここ弁天堂の信者団体「開運講」の講員の芳名録だ。その名前を見ていると町の名士から始まり、門前仲町の御茶屋さんの女将さん、芸者さん、富岡八幡の神輿総代、木場の旦那衆の名前がずらりと江戸文字で刻まれていた。

今では数えるほどしか門仲には芸者さんもいないが、一昔前には結構たくさんの方たちがおり、またその頃でも浜町やらからお参りになる芸者さんがあったので、少し前にはかなり方々から芸の神様ということで沢山の芸者さんや幇間(男芸者)さんがお参りにこられていたようだ。

弁天様は、もとはインドの神サラスワティといい、河の神であり、河のせせらぎが音として美しいので音楽の神ともなり、また作物を実らせることから五穀豊穣の神、そこから財宝の神ともなった。だから弁財天。だが元は辯才天と書いたもののようだ。インドの神で仏教とともに日本に入ったものなのに、なぜか明治の廃仏毀釈の折には日本の神のように扱われ神社となっているところもある。

日本三弁天の筆頭・厳島神社もその一つで、そもそもの本尊様は大願寺に今では祀られている。琵琶湖に浮かぶ竹生島弁天も宝厳寺に祀られている。この後に書く江ノ島弁天は神社に祀られ、お寺は廃寺になっている。

冬木弁天堂はもともと江戸時代の材木商冬木屋の邸内にあったお堂で、冬木屋は紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門と並び称される大商人だった。ただ彼らが派手に大尽遊びにうつつを抜かしているとき、冬木家では茶の湯を嗜み、尾形光琳のパトロンとして、また後には乾山をも支援した。光琳が筆をとった国宝の冬木小袖は冬木家の奥方のために描かれたもので現在国立博物館に収蔵されている。

この冬木屋の弁天様は、裸弁天で、もともとは江ノ島の弁財天の座像を模刻したものだったと言われる。いまも裸の上に白衣着物をお召しになっているが、残念ながら現在の御像は琵琶を持つ立像である。この正月の七日間と正五九、つまり一月五月九月の縁日・巳の日に行われる大祭の時だけご開帳されていた。

大祭と言えば、前日には主だった信者さんの家にパック詰めの赤飯が配られ、いやが上にも皆さん御供えを持ってこられていた。当日は、沢山の近隣や長年の信者さんたちがお堂一杯に詰めかけて、沢山の御神酒が上がる中、萬徳院御住職がお越しになり息災護摩が焚かれ、読経。講元の、当時は渡辺さんという元建具師の方が講元をされていて、老齢をおしてお申し込みの家内安全祈願などの護摩札を火にあぶっていた。

終わると、賑やかに会食が始まる。下町の歯切れのよい江戸言葉が飛び交う中、暗くなるまで宴会は続いた。弁天様はお使いが蛇ということもあって、必ず卵の御供えが上がる。大祭にも沢山のゆで卵を用意して、お供物としてお持ち帰りいただいていた。

もちろん何もない時期にも毎朝お参りにられる人もあるし、お昼には狭い境内に置かれた長椅子に、迎えにあるビルからOLたちがお弁当を持ってきて食べていた。毎日お参りに来られるおばあさんがあり、あるとき、毎日何を拝んでいるのと尋ねたことがあった。すると、「毎日?そうね、お嫁さんと今日も一日平穏無事でありますようにって拝むのよ」と教えてくれた。

で、御利益はどうですかと聞くと、「まあ、ぼちぼちね」と。東京の下町で狭い中に二世帯が暮らすのだから、それはいろいろあるだろう。それからしばらくして、巳の日があり、午後護摩を焚いた後、ちょうどお参りになったそのおばあさんに、「最近はどうですか」と水を向けると。

「それがね、この間の突然の大雨の時、あちらの出ていた洗濯物を片付けてあげたのよ、そしたら、随分丁寧にお礼を言われてね、その後、私も気をよくして、買い物に出たとき、ちょっとした甘いものを上げたりしてたら、今までと違う雰囲気になってさ。ついこの間お二人も一緒にどうですかって、外に食べに行くから来いっていうのよ。どういう風の吹き回しかと思ったわよ。でも、そこはおじいさんと、ハイハイとついて行って、・・・でも、結局お金払わされて帰ってきたわ。」(笑)

「それでもいいじゃないですか、ご飯一緒に食べるのが家族と言いますから、若い人から認められるというのもおかしな話ですけど、近くに感じられるようになっただけでも」そんな話を今でも記憶している。お釈迦様は、在家者への説法の時には施論戒論生天論を語られたという。施論は施し、戒論は戒律を守る規則正しい生活、生天論は、そうすれば死後天界に生まれるということだが、ここでの施論は、施しをするというよりも、拝んだり、お祭りをすることよりも実務的実用的な良いことをしなさいということだろう。そうすればよいことがあると。良いことをしたら必ず結果が返ってくる。善業には善果がともなうということだ。

お参りに来られる人の中には、沢山の卵やミネラルウォーターを御供えして行かれる人たちもあった。もちろん悪くなる前におろしてセッセと頂戴したが、少ない手当の身にはことのほかありがたく思われた。おそらくその後御供えした方にはよいことがあったであろう。

冬木家も自分のためだけでなく将来のある光琳などを支援したからこそ、一代で終わった大店が多かったのに何代にもわたって身代を相続して江戸末期まで存続できた。善因には善果。功徳を積めば必ず良い結果が現れる。因果応報、何事も自業自得の世の中。今年も正月から良いことをするとしよう。

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施論戒論生天論ということ

2010年01月05日 13時46分09秒 | 仏教に関する様々なお話
お釈迦様は生涯に様々な説法をなさり、沢山の人々を導かれた。出家の修行者にはもちろんのこと、一般の在家者にも問われるごとに様々な法をお説きになられた。在家者への説法の入口の話としてよく言われる説法に施論戒論生天論という基本的な仏教の特徴を表す骨格がある。

施論とは、布施をしなさい。戒論は戒律、在家であれば五戒を守りなさい。そうすれば死後天界に生まれるよということだと言われる。まあ、これだけのことかと言われると何だと、こんな程度のことを言われているのかとつまらなく思う人もあるかもしれない。

まずは、布施をしろと、つまりは自分たち托鉢で生活する者たちの生活の糧のために言ったものかとも思われるかもしれないし、戒律も当たり前のこと、殺すな、盗むな、邪なことをするな、嘘を言うな、酒を飲むなと簡単なことを言っているに過ぎないし、天界に生まれるなどと言って、単に死後どうなるかとも知れない非科学的な話を語っているに過ぎないと思われるかもしれない。

しかしそこはお釈迦様の法であることを私たちは心してその内容を深く味わう必要が本当はあるのではないかと考えなくてはならない、と私は思うのである。

まず、施論とは、何か良いことをすれば良い結果があるということだ。つまりは因果論であって、ごく当たり前のことを言っているとも思われるかも知れないが、その昔インドでは神に盛大な捧げものをして供養することが幸せのためには最も必要なことだと考えられていた。

しかしお釈迦様は功徳とは拝むことではなく実用性のある他者にとってまた自分にとって良きことをすることであると考えられた。だからこその因果論であって、自分自身にとっても周りの者たちにも良いことをすれば自分に良いことが結果すると。ただそれがどのくらい時間を要するものかは分からない。すぐ結果が現れることもあろうし、ずっと後になることもある。

逆に、悪いことをしていれば必ず報いが来る。それは今の時代でも同じこと。悪いことをしても法律に触れなければいい、世間に知られなければ何をしてもいいと考えて他の人の感情を踏みにじったり、多くの人々の利益を顧みることもなく、地位や権利を利用して一部の人々の利益のために思い通りにするということはちまたに溢れている。

それでいて、正月だけ神社仏閣に出かけて手を合わせ、困ったときの神頼みではダメだということであろう。善い行いは善業が、悪い行いには悪業がついて回り結果していく。何事も因果応報、自業自得。自分の為したことの結果は自分が受けなくてはいけないということを教えて下さっている。

そして、戒論。なぜ戒律が必要なのか。それは私たちは一人ではないということであろう。伴侶、家族、地域の人たちと生きていく、共同して暮らすためには、みんなが上手くあるようにしなくては気持ちよくいられないということであろう。

一人自分の生活を考えても、規則正しく規律ある生活をしなくてはその人の人生がよくあることはない。朝はきちんと起き、きちんと食事をして洗濯した物を着て、掃除の行き届いたところで生活する。それだけで健全な幸福感が得られるはずである。

しかし人はまた、一人では生きられない。一人で生きていると思っていても、食べ物も着るものも住まう家もみんな他の人たちが作り手にしたものに過ぎない。畑があったとしてもその水や種や肥料ということになると全部他の人の手によらねばならない。土を作ろうとしたら小さな昆虫や微生物のお陰で様々な養分を含む作物を生長させる土壌ができている。

すべての生き物たちとの共生の元に私たちの生があると考えれば、なにがしかの誓約が必ず私たちの生活に課せられて当然だということになる。社会生活にも当然なにがしかのルールが必要であろう。その根底には私たちはみんな一人ではない、みんな一つの関係性のもとに繋がっているのだという意識であり、そこから慈悲という思いが当然のこととして導かれる。

みんながよくあらねば自分も良くないという気持ちであり、そこから周りの人がよくあって欲しい、そのためにはみんながよくあらねば、そうあって欲しいという気持ちが芽生えてくる。つまり戒論は、私とはいかに生きているものなのかということを考える視点からの発想であり、そこから慈悲という、私たちが生きる上で必要な他との関係性のもとでの尊い思いを教えてくれている。

三つ目の生天論はいかがであろう。良いことを沢山して品行方正な生活をしていれば、つまり沢山の善業を持って死後天界に生まれ変われるということではあるが、つまりは輪廻転生するということである。悪いことを重ねていれば、地獄・餓鬼・畜生・修羅の世界に生まれるよということでもある。たとえ人間界に生まれたとしても様々な世界がある。

私たちは何も分からずにこの世に生を受け、このような輪廻などということも意識せずに生きている。しかし、なぜこの家に、なぜこの父母の元に生を受けたのか、なぜ自分はこのような能力才能、物の好き嫌いを持って生まれてきたのかと考えてみると、やはりそこには原因があったのだと考えざるを得ない。他の人となぜ違うのか、同じ日に同じ時間に生まれたとしても全く違う人生を歩む。同じ名前だとしても違う人生。たとえ同じ家に生まれたとしても、一卵性双生児であっても違う好み、違う人生を歩む。

池川明さんという産婦人科医が前世の記憶のある子供たちを研究して『子供は親を選んで生まれてくる』という本をお書きになっている。生まれてきた原因、その家に生まれた原因。時間的にそれ以前にあるべき原因は当然生まれる前に生じていたと考えられるので、前世があったのだと考えざるを得ない。その原因を持った心がお母さんのお腹に宿ったいのちに入り、心と体が一つとなって生命が誕生する。

前世があって、今こうしてある。あるべくしてあったと。そこには何事かのこの人生での課題、学ぶべきこと、自分にとってのテーマがあったであろうと。この先生は魂の研磨のために私たちの人生はあるのだと結論するが、いずれにせよ、自分に相応しい家族、境遇、環境の中でそれをクリアすべく私たちの人生はスタートし、そして何十年かの善悪の業を重ねて私たちの身体は寿命を迎える。

死とは身体と心が分離することである。身近な人の死にあたり私たちは成仏してくださいと念じるが、死ねば誰でも仏だと、それはそう簡単に考えていいものではない。お釈迦様や日本の祖師方がどれだけ死をも覚悟して何年も修行されて末の成道であったかを考えれば分かることであろう。即身成仏とは、死ねば誰でも仏になれるなどという陳腐な教えではない。みんな六道の衆生は輪廻する。悟れぬ限り。

死ぬときの心のエネルギーによって来世が導かれる。だから、死とは新たな誕生であるとも言いうる。その先で、また出来れば仏教にまみえ修行を重ねてほしい。そうして心を清らかにするために何度も生を重ねていく。だからこそ早く成仏して下さいと、何回生まれ変わろうとも、何とか早く安らぎの心にいたって下さいと、私たちは手を合わせ願うのであろう。つまり生天論とは、死んで終わりではないよということだ。その先のことを考えて生きよということであろう。

施論戒論生天論。考えてみるとこれは仏教の根幹。因果、業、慈悲、輪廻、そこから導かれる生命観、人生論。だからこそ、いかに生きるべきかと教える根本だと言えよう。お釈迦様はその壮大なる教えをごくごく簡単に、施しの心が大切ですよ、基本的な戒律を意識して生きなさいよ、そうすれば来世で天界に逝けるよ、何も死後のことを心配しないで済みますよと教えてくれていたのであった。お釈迦様の教えには、どんな教えであっても、そこには何もかも私たちの計り知れない智慧が隠されていると知るべきなのであろうと改めて思う次第である。

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