住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

備後國分寺だより 第62号(令和4年8月1日発行)

2022年08月13日 18時43分05秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第62号



世界の平和を願うなら
             

今年三月末、敬愛する先生から小冊子が送られてきました。表紙には、『鎌倉大仏殿高徳院「ジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑」に託された平和への願い 日本を救ったブッダの言葉』とあります。二〇二〇年九月一日初版の第二刷で、発行者は東方学院研究会員後藤一敏氏です。

令和元年の東方学院会報「東方だより」に、前理事長・前田專學先生が『中村元(はじめ)先生の世界平和の願い』と題して一文認められているのですが、後藤氏は、そこに紹介されていたJ・R・ジャヤワルダナ元スリランカ大統領顕彰碑について強い関心をもたれて、早速現地高徳院を訪ねられたのでした。しかし、そこに碑がひっそりと立っているだけで、参拝者の多くがその存在にすら気づきもしなかったのだといいます。

そこで、当時の世界が自国中心主義を前面に出して覇権争いの様相になり、弱者や他国移民には厳しい社会になっている状況なればこそ、温かな心、慈しみの心が、人々の幸せになる道であることを知って欲しいとの思いから、この冊子を発行されたと、「編集の経過」として巻末に述べておられます。

第二刷は今年の二月のことではありますが、二年前に発行された時には想像だにもしなかった現在の国際社会の様相に、改めてこの顕彰碑の意義を広く知らしめようとお考えになられて、こちらにもご送付くださったのであろうと思われました。そこで、冊子を送ってくださった先生に葉書で御礼申し上げた際に書き添えたように、今年の土砂加持法会に参加された檀信徒の皆様にはこの冊子と内容について触れ、現在の世界情勢についての私見を述べさせていただきました。

はたして、いま世界中から敵視され戦争犯罪者とまで言われているロシアではありますが、この冊子にも記されているように、八〇年前には私たち日本がまさに同じように世界中から非難されていたことを忘れてはならないのではないかと思います。

敗戦後も軍国主義、無法なる侵略者と罵(ののし)られ、GHQによる占領後も軍国日本の台頭を恐れ、日本軍の侵略による被害と恐怖が忘れられない人々が少なからず世界には存在していました。四か国による分割統治案が提示されるなど、日本の自由な独立に異を唱える国々もありました。

戦後五年ほどが経過し、日本の独立を認める講和条約案がまとめられつつありましたが、一部の国の反対がある状況の中で、一九五一年九月六日、サンフランシスコにおいて平和条約締結調印会議が開かれました。そのとき、セイロン政府を代表して演台に上られたのが大蔵大臣ジャヤワルダナ(J.R.Jayewardene)氏であり、氏が述べられた演説によって日本は救われたのでした。

J・R・ジャヤワルダナ氏の演説は、平和条約草案の承認のために参集した五十一か国の代表を前に、セイロン政府を代表するばかりかアジアの人たちの日本の将来についての一般的な感じ方を声を大にして述べ得るものであると前置きして、領土の制限、賠償のこと、その後の日本の防衛についてまで配慮されたうえで、すべてが合意されたものではないが、日本が自由な独立した国家であらねば、南アジアや東南アジアの人々の経済や社会的な立場の向上はなされず、他国との友好条約も結ぶことができないと主張されました。

そして「…なぜアジアの人々は、日本が自由であるのを熱望するのか? それは我々が日本と長い年月に亘る関係があるためであり、それは、被支配諸国であったアジア諸国の中で日本が唯一強く自由であった時、そのアジア諸国民が、日本を保護者として、また友人として仰いでいた時に抱いた日本への尊敬の念からです。

思い起こせば、さる大戦中に、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンが人々の共感を得、自国が解放されるとの望みでビルマ、インド及びインドネシアの指導者の中には日本に呼応した人たちもいたのです。」

「…我が国の重要産業品である生ゴムの大量採取による損害に対して我国は、当然賠償を求める権利を有するのです。しかし、我々はその権利を行使するつもりはありません。なぜならアジアで何百万人もの人達の命を価値あるものにさせた大教導師の『憎(にく)しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む』との言葉を信じるからです。

この言葉はブッダ大教導師ー仏教創設者ーの言葉で、人道主義の波を北アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、泰国、インドネシア、及びセイロンに拡げ、また同時に北方へ、ヒマラヤを越えてチベットから支那を経て最後に日本に及んだものです。

その波は我々を何百年もの間にわたって共通の教養と伝統とでもって結び合わせているのです。この共通の教養は、現在も脈々と存在していることを私は先週この会議に出席する途中、日本に立ち寄った時に見出したのです。

日本の指導者、国務大臣、一般の人達、そして寺院の僧侶など、日本の庶民は現在も大教導師の平和の教えに影響されており、その教えに従いたいという希望に満ちている印象を感じたのです。我々はその機会を日本人に与えなければならない。…」

そして最後に「この条約は敗北したものに対するものとしては寛容な内容でありますが、日本に対して友情の手を差し伸べましょう。…日本人と我々が共に手を携えて人類の生命の威厳を存分に満たし、平和と繁栄のうちに前進することを祈念する次第であります。」と述べられ演説を終えると、賞賛の拍手が鳴りやまなかったのだということです。そして、議場は一転、講和条約締結へと動き出し、ソ連・ポーランド・チェコスロバキアを除く連合国四十八か国と日本とにより調印がなされたのでした。

「当時、日本国民はこの演説に大いに励まされ、勇気づけられ、今日の平和と繁栄に連なる戦後復興の第一歩を踏み出したのです。」と、このジャヤワルダナ前スリランカ大統領顕彰碑を一九九一年四月に建立した顕彰碑建立委員会を代表して中村元東方学院長が碑背面の顕彰碑誌に記しておられます。

ところで、現在、「世界が自国中心主義を前面に出して、覇権争いの様相になり、弱者や他国移民には厳しい社会になってい」ると、この冊子のあとがきに記された状況を加速するかのように見える世界情勢にあって、私たちは今どのような観点からこの世界を見たらよいのでしょうか。

四月三日、『東洋経済オンライン』のネット記事に配信された国際ジャーナリスト高橋浩祐氏による「ウクライナ戦争アメリカが原因をつくった説の真相」と題する投稿を紹介したいと思います。

そこで高橋氏は、シカゴ大学の国際政治学者ジョン・ミアシャイマー教授による、今回のウクライナ戦争の原因をつくったのは西側諸国とくにアメリカであると主張する説を解説しています。

それによれば、今回のアメリカ、イギリスなど西側諸国で、日本も同様ですが、広く受け入れられている通念は、この危機で責任があるのはプーチン氏であり、ロシアだと断定しています。そして、例えば悪い輩と良い輩がいて、私たち西側は良い輩、ロシア人が悪い輩ときめてかかる見方はまったく間違っているといわれています。

なぜならば、そもそも片方が一方的に悪いなどということはあるはずもなく、良い輩と思われている西側諸国は三つの柱からなる戦略でロシアをウクライナ軍事侵攻にまで追い込んだとミアシャイマー教授は強く非難しているのです。

一つは、NATOの東方拡大です。もともと東側の軍事同盟のメンバーだったポーランド、チェコ、ハンガリー、さらにはバルト三国、ルーマニアなどが一九九一年のソ連崩壊後、一九九九年、二〇〇四年と二度にわたり、クリントン政権時代にNATOに加盟しています。が、これはドイツ統一後に両陣営が交わした同盟不拡大の東西合意を一方的に反故(ほご)にしたものだということです。

さらに、二〇〇八年のNATO首脳会談にてウクライナとジョージアまで将来的なNATO加盟に合意しています。そうしたNATOの拡大に警鐘を鳴らし続けていたロシアは、その後その年にジョージアに軍事侵攻し、二〇一四年にクリミア半島に侵攻、併合して現在に至っているのです。

二つ目は、EUの拡大です。EUは経済的政治的連合体ではありますが、西欧型のリベラル民主主義の基盤となるものであり、そこへかつてのロシアの友邦国が統合されるかのように加盟し、ウクライナは今年の二月二八日、ジョージア、モルドバが三月三日に加盟申請をしています。結果としてロシアを刺激したことは想像に難くないとしています。

そして三つ目は、カラー革命だそうですが、これは二〇〇〇年以降ユーゴスラビア、セルビア、グルジア、キルギスなど旧ソ連下の共産主義国家で、独裁体制の打倒を目指して起きた民主化運動のことだということです。

特にウクライナでは、二〇一四年アメリカの支援を受けたクーデターによって、親ロシア派のヤヌコビッチ大統領が騒乱の中解任され、親米派のリーダーが後釜に据えられました。しかしロシアはこれを容認せず、違法な政権転覆と非難し、これがクリミア侵攻につながったとみられています。

これら三つの点からアメリカ側が実に三十年にもわたって徐々にロシアを追い詰め戦争に導いたのであると結論しています。

最後に、この度の戦争の背景には、民主主義対独裁体制、ないし西欧リベラル民主主義と強権的な権威主義の対立があるとも指摘されています。

世界には、このような見方もあるということを知っておかねばなりません。自らの領域を超えて影響を及ぼし他国を恣に操作し勢力を拡大せんとする覇権意識は、残念ながら八十年前と同様に東西ともに存在するということでしょう。

そして、こうした構造によって利益を得る人々が存在しています。新聞テレビの報道だけを見ていては知りえない背景、忘れられた歴史、報道されない真実があるということもわきまえておく必要があります。

特に、私たちが新聞テレビによって目にする報道は西側の主張したいことを見せられていると思わなければならないのでしょう。それが本当に真実であると確かめることはできません。その報道によって私たちに何を信じ込ませたいのか、どういう印象を残したいのかと見ることが必要であろうと思います。

私たち自身がそうした報道広報によって敵視され印象づけられた時代がかつてあったことを忘れてはなりません。ブッダの言葉に救われた私たち日本人は、あくまでも中立の立場で見ることが求められているのではないでしょうか。世界の平和を願うなら、先入観にとらわれ、敵・味方と偏見をもって見ることなく、人々の平安を願い、ただその因果関係を見て、冷静に現実を把握している必要があるのだと思います。

ジャヤワルダナ氏が引用されたお釈迦様の言葉は、『法句経』第五偈であります。正確には、「実にこの世においては、怨(うら)みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みを捨ててこそ息む。これは永遠の真理である。」(岩波文庫・ブッダの真理の言葉・中村元訳)でありますが、では、どうしたら怨みは息むのか。

そのひとつ前の第四偈には、「かれは、われを罵(ののし)った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。」とあります。

誰もが、かれもわれもない、ともにこの小さな地球の住人として共存し、相互に依存した関係であることを知らねばならないということでしょう。



【六大新報・令和四年七月五日号掲載】
松長有慶先生著『空海』を読んで

 

松長有慶先生の最新刊・岩波新書『空海』を拝読させていただいた。岩波新書として、三十一年前に発刊された『密教』、八年前の『高野山』に続く三部作の三作目である。

読み始めてしばらくすると、さてこの本は何の本を読んでいるのかと不思議な感覚をおぼえた。それは、「あとがき」にもあるように、本書は弘法大師空海の生涯について歴史的に叙述されたものではなく、その生涯にわたる特徴的な思想を十の主題に分け、大師の全体像を著書、詩文、書簡類も合わせて総合的に把握せんと試みられた著作だからであろうか。

あるいは一般読者にも理解できるように、それぞれのテーマの説き始めが古代インド、ないしインド文化についてであったり、サンスクリット語の語彙や釈尊からはじまるからであろうか。それぞれに先生の幅広い見識が示され、仏教や密教の基本的な考え方から、大師の著作の本質的な意味に至るまで多岐にわたりわかりやすく解説しつつ論を展開されている。

十章に及ぶ主題は、まさに十方から大師に光を当て新たなる大師像を多面的に現代に浮き上がらせているようだ。そしてそれは、「あとがき」に記されるように、間違いなく近代科学文明の危機を突破する糸口としての思想的役割があるはずであると思われた。

第一章は「果てしない宇宙と有限世界」と題して、大師の思想と生涯の活動の基底に瑜伽(ゆが)(=禅定・瞑想)が存在すると説かれる。若き日の大師が室戸の崎で真言を念誦して瞑想に励んでいたとき、明けの明星の鋭い光を全身に浴びた異次元体験から説き始められ、日常の現実世界から宇宙的規模で広がる無限の世界に入る唯一の手段は瞑想を措いてないとされる。私たちの人生にもその根底に瑜伽が必要だということであろうか。

第二章は「自然観」と題して、大師が自然をどのように受け取られていたかを説かれる。インド密教の伝統である瑜伽を山林において実践せんとする大師は、平安初期の律令体制下に新来の密教を定着させるため都において活動される一方、山林に入り瑜伽観法に耽ることを常に模索されていた。『性霊集(しようりようしゆう)』の詩文や『声字義(しようじぎ)』の偈頌(げじゆ)を丹念に読み解かれ、大師は大自然の中に仏の教えが潜んでおり、私たちの気づきを待っていると考えておられたという。

第三章は「対立と融合」と題して、その自然と人間、カオスとコスモス、聖と俗というような対立する概念も、本来融合し一体であるとする大師の思想について説かれる。『即身義(そくしんぎ)』に掲げる二頌八句により、大師は、仏の世界も人間の世界も互いに融け合って一つであり、物と心も本来大宇宙の一つの真理の両面に過ぎないと主張しているという。そして、現代の環境問題について考えるとき、一切のものは仏の三摩耶身(さんまやしん)と捉え、一切衆生の成仏を願われる大師に学び、植物や小動物、山や土の苦痛を感じとれる感性をもてと諭されている。

第四章は「自と他」と題して、自と他の密教的関係性について説かれる。日常生活を成立させるために欠かせない自他の関係について、同化や排除ではなく、他者の個性を保持しつつ自己が他者を包摂して一体化する密教的なあり方について説かれている。相手の宗教的信条、価値観、社会観が異なっていても、異質な面を見て排除するのではなく、こちらからは欠点と見えるものの中に逆にかけがえのない長所を見つける目を育てることが大切であると教えられている。

第五章は「読み替え」と題して、大師の著作について、いたるところに施された文字と文章と思想の読み替えについて述べられる。それらについて古くから、文書の写し間違え、語学能力への疑念などがあったというが、一見不合理な記述の中に、独特の見解や密教眼からなされた真実の読み取り、解釈が含まれているという。筆者には、これも瑜伽観法の体験から来る自らの見解への確信によるものであろうかと思えた。

第六章は「仏陀の説法」と題して、釈尊による初転法輪から説きはじめられ、大師の仏身論について説かれる。顕教の三身説から、その中の法身を四種に開いた密教の四身説などについて丁寧に解説される。大師は、法身のうち自性身と自受用身は時空を超えて説法し続けているとされ、私たちはいつでもどこでもそれを受け取ることができると主張されたという。こうした無限の宇宙からの声なき声を受け取る装置を全身に備えていたと想像される大師は、隠されている永遠の真実なるものを日本に移植し定着させようとしたのだと説かれている。

第七章は「教育理念」と題して、綜芸種智院(しゆげいしゆちいん)の開創から筆を起こされ、大師の思想の核心ついて述べられる。二〇一〇年、先生が全日仏会長時代に「世界経済フォーラム」年次総会に招請され、その時に準備された講演要旨の大部分が大師の教育論になっているとして、日本語版が全文掲載されている。是非、世界の識者に向け書かれた格調高い内容を御一読願いたいが、筆者には、グローバル化によって価値観が単一化されつつある今の世界にあって、誠に時宜に適った不可欠な提言(注)であると思われた。

第八章は「国家と民衆」と題して、身に受けたる恩恵についての大師のお考えを説かれる。ともすると大師は歴代天皇に親近し国家に奉仕した封建的な人であったと評価されるが、『性霊集』の上表文などを引用され、あくまで天皇とは私的文化交流に過ぎず政治関係の話はなかったと推定される。また四恩説についても解説されるが、大師は、父母・国王・衆生・三宝にとどまらない、より大きな宇宙的な規模での目に見えぬ恩恵を享受して生かされていると考えられていたであろうとされ、それに対する密教的恩返しは無限に継続する利他行によってつぐなうことではないかと説かれている。

第九章は「生死観(しようじかん)」と題して、人の生死について、また弟子や自身の死について大師の受けとめ方を説かれる。病や死をもたらすのは、その人の過去の業によって引き起こす鬼神の仕業とされながらも、それを排除するのではなく、古来仏教の説く無常を覚ることによって死を越えることを求めたとされる。弟子の死に対しては真言密教の教義を深く説いて成仏を祈られ、また、一般大衆には経典書写や僧による講讃、法要の執行などの功徳を積むことにより得脱することを勧められたという。なお、怨霊や鳥獣魚虫けらも含め生類一切に仏性ありとして精霊ことごとくを成仏させることを大師は願われたというが、それはインド密教にも日本仏教にもそれまでに例を見ないものであったと指摘されている。

第十章は「入定信仰(にゆうじようしんこう)」と題して、入定とは何かその意味について、それから入定留身(にゆうじようるしん)説の宗教的伝承の意味について説かれる。そして、今なお高野山の奥の院に生きて御身を留め人々の救済に尽力されているとされるのはなぜか。それは、その根底にある非合理な表現によってしか真実の意味を伝えることの出来ない宗教的表現なのだと論じ、その主な理由に二つあるとされる。その内容に、これこそ大師の大師たる所以と筆者は納得した次第であるが、それは実際に読んでお確かめ願いたい。

以上、一章一章、まことに濃く深い内容が凝縮している。正に六十数年に亘る先生の丹精を込めた研究の結晶とも言えようか。来年には、弘法大師御生誕千二百五十年の記念すべき年を迎える。この機にあたり、改めて大師の思想と足跡について現代的な意義を学び直す格好のテキストとなるに違いない。是非手にとってじっくりと味わいつつお読み下さることをお勧めしたい。 (全)

(注)・「混迷の時代の日本仏教の役割」と題する提言は以下の通り。①生きとし生けるものの相互の命のつながりを自覚する。②あらゆる存在の中にかけがえのない価値を認める多元的な価値観を共有する。③生かさせていただいているとの意識をもって他者への奉仕活動を行う。


 
四苦八苦をやわらげるために①


四苦八苦の人生

私たちは意識するしないにかかわらず四苦八苦の人生を生きています。仏教では、煩悩のままに生きていること自体が苦であるとするのですが、それは四苦の中に生も老も含まれていることからも知ることができます。

生苦は生れる苦しみ、老苦はそれからの一生についてまわる老いる苦しみです。私たちは泣いて生まれても、笑って生きていたいものではありますが、その間に病いになることもあり、いずれは死を迎えることになります。さらに、この生老病死の四つの苦しみのほかに、この後述べる八苦に悩まされ続けていることも経験上思い当たるのです。

八苦とは、この四苦のほかに別に四つの苦しみ(求不得苦(ぐふとつく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・愛(あい)別離苦(べつりく)・五取蘊苦(ごしゆうんく))をあわせて八苦というわけですが、これも定めのように私たちについてまわるものです。

普段私たちは考えもしないのですが常に老死が隣り合わせにあります。深刻な病気が発覚するかもしれないし、事故に遭うかもしれません。生まれてきた以上、いずれは死がやってきてしまいます。どんなに科学が進歩しても不老長寿などあり得ないのですから、この求めても得られない苦しみ・求不得苦は一生の間私たちの喉元に突き付けられた苦しみとしてあります。

そんな人生なら、仲の良い人、心楽しい人たちと生きていたいと思っても、必ずそりの合わない人、考えの対立する人、心を逆(さか)なでするような人と出会います。それは私たち人間社会の常であり、できれば避けたい人、嫌いな人、怨み憎しみあう人と出会わねばならない苦しみ・怨憎会苦も誰もがものごころついた頃から老いる迄ついてくる苦しみとしてあります。

その逆に、肉親や兄弟姉妹も含め、大切な人、この人とはいつまでも仲良く一緒に交際していたいと思った人でも、時間の経過とともに距離が離れてしまったり、疎遠になったり、もしくは死に別れたりということがあります。愛すべき人と別れ離れざるを得ない苦しみ・愛別離苦も誰もが何度も経験しなければならないことです。

さらに、こうして心と身体を持つ身であるが故に様々な欲求欲望が自ずから湧いて自ら苦しみを作り出しています。五蘊(ごうん)といわれる、自らの身体も含めて物質的なものや精神的なものに対する自分勝手な思いにより執着をつのらせて苦しむ・五取蘊苦が、前の七つの苦を総括するものとして八つ目の苦にあげられています。

四苦八苦はただ受け入れるしかないのか

これら四苦八苦は、迷いの世界に生きる私たちには必ずおとずれる苦しみであるとされるわけですが、それを定めと考え、何かあれば四苦八苦の人生なのだからとあきらめ我慢することも必要なのかもしれません。ですが、いずれにせよ受け入れねばならない四苦八苦であったとしても、すこしでもその苦しみを軽いものにするにはどう生きたらよいのかを考えてみたいと思います。

生老病死は、この世は無常だからと、ただあきらめねばならないのでしょうか。はじめの生苦は、実は母胎から出産することではなく、輪廻する衆生として生を受けることを言うので、こうして既に人間として生を受けている限りいかんともしがたいものです。が、残りの老病死はいかがでしょうか。特に、老と病については、何とかその苦しみを軽いものにできないものか。それにはどうしたらよいか。かつてこの寺報にも掲載した文章を抄録し参考にしてみたいと思います。

老苦を生きるには

平成二十四年四月発行の『備後國分寺だより第三十一号』に、「若々しくあるために」と題して掲載したものです。年々身体の衰えを感じつつも、心は若々しくいられたら、すこしは老苦を和らげることにはならないかと思うのですがいかがでしょうか。

「まず第一に、今に生きることです。私たちはどうしても過去にこだわり未来に希望や望みを託します。そして今がおろそかになります。『一夜賢者経』という経典に、お釈迦様が教えられているように、「過去は既に過ぎ去り、未来は未だ来たらず。ただいまなすべきことを正になせ。」これです。

あれこれ過去のことを後悔したり、また、先のことを心配するということもあるかもしれませんが、それも今の私ではないのですから。

今の私が充実して楽しく明るい心であったなら、日々若々しい心でいるということになるのではないでしょうか。

第二に、自分のこと、周りのこと、とにかく好奇心をもって様々な出来事や世の中の変化に気づくことです。漫然と時を過ごしていては、楽しいことはありません。人の言うこと、周りの情勢に流されず鵜呑みにせず、自分で考えてみることが大切でしょう。

日々、何事かに気づき、疑問に感じ、自ら考える。気づくということ。好奇心旺盛であれば、常に心若々しく過ごせるでしょう。

第三に、歳を忘れることです。歳を意識することで閉鎖的な発想に陥るのではないでしょうか。もう歳だから、というのが口癖になったりします。身体とは相談しなくてはいけないかも知れませんが、身体に無理ないことなら、歳を意識せず、何にでもチャレンジする元気が必要でしょう。

また、歳を忘れるというのは、誰をも平等な目で見ることでもあります。歳による上下もなく、みんなを分け隔てなく見ることが必要です。

まずは目の前の現実を見つつ、様々なことに気づき、今に生きるということに尽きるのかもしれません。それはまさに仏教の実践そのものでもあります。今ここにある瞬間瞬間の自分を体験する仏教の瞑想をそのまま日常にいかすことが、もっとも、若々しい心で生きることができるようです。」

いかがでしょうか。今という瞬間に専念して生きる。好奇心を持って生き、歳のこと自分のことなど忘れて他のために一生懸命に生きる、そうすればたとえ身体は老いていっても、おのずと心は老いずに生きられないかと思うのです。

病苦をさける生き方

次に、病苦について、平成十八年八月発行の『備後國分寺だより第十四号』に、「天寿を全うするために『病気にならない生き方』を読んで」と題して、新谷弘実先生(胃腸内視鏡外科医・アルバート・アインシュタイン医科大学外科教授)の著作から学ばせていただいたことを掲載しています。できるだけ病気にならないで過ごすにはどういう生き方をしたらよいのでしょうか。…次号に続く                                   


信仰によって救われるとは

   
お釈迦様は、縁あった多くの人たちに自らと同じ悟り、解脱(げだつ)を成し遂げることを願われて教えを説かれました。

しかし、仏滅後、百年、二百年と年月が経つに従い、お釈迦様と同じ悟りを成し遂げるという大目標に対して、今日の私たちのように、とてもそれは叶い得るものではないととらえ、お釈迦様に対する信仰、それも単に何事かを願い加護をうるものととらえるようになっていったようです。

そのような時期に、西域から沢山の異民族がインド世界に流入するにしたがい、彼らはインド土着のバラモン教によってカースト外の扱いにされるのをきらい、異民族をも平等に受け入れる仏教に帰依し、なおかつ地域を統治する教えとして信奉したのでした。

丁度その頃興った、自らを大きな乗り物と称した大乗の教えは、すべての人々を対象として、その救済を願い、空という言葉を標榜して、善も悪も、自己も仏も、迷いもさとりも、空であるが故に実体がなく不二(ふに)であると主張しました。つまり、私たち自身と仏とを隔絶したものとしてではなく、不二としてとらえて誰もが仏に成り得るものとしたのでした。そして、インドの神々に匹敵するほどの多くの仏菩薩を誕生させ、それらへの信仰を推奨しました。

ですが彼らの説いた信仰は、ただ手を合わせ名を唱えることではありませんでした。その仏菩薩のすぐれた徳や善根に随喜(ずいき)すること、その仏がどういう仏で、どのような徳を積まれ、どのような悟りを得られたのかを正しく知り、それをまるで自分のことのように喜び賞賛して、その功徳を自分のものとすることを意味していました。

そして、その受け取った優れた功徳を自らの悟り、菩提のために廻向する、振り向けることによって、自分の行いによって積み重ねた業(ごう)によって生まれ変わるとする業報輪廻(ごつぽうりんね)からさえも解放されると教えられたのでした。

ですが、それを可能とするためには、心を般若波羅蜜(はんにやはらみつ)にとどめる、すべてのものを空と見て、不二ととらえられねばならないとされていました。般若波羅蜜とは、この後に述べる六波羅蜜の一つでもあり、智慧の完成と訳されるものです。

それは、なにものにもとらわれず、心にとどめないことと表現されるのですが、そのような境地を得るために、少し後の時代には、さかんに空性(くうしよう)の瞑想が実習されたということです。それは、自分の体、心を分解し、自分と言えるものがあるのかと瞑想し探求するものです。これが自分と言えるような不変の実体ある自分などどこにも無いと悟ることを目的としていたわけですが、そこまでの境地を得るのはそう簡単なことではありませんでした。

そこで、こうした専門的な修行に対し、一般の在家の修行者にも行える実践として六波羅蜜が説かれました。六波羅蜜とは、布施、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進、禅定、智慧の六つの行で、これらの完成と名付けられています。

それらのうち、般若(智慧)波羅蜜を除く、世間における五つの俗行は、他者に施しをしたり、在家の戒である五戒を守り、思い通りにならないことを耐え忍び、善行に励む、さらに坐禅瞑想にいそしむことです。そして、それらの行いを完成の域にまで高めるためには、その功徳を他に振り向ける廻向が必要であるとしました。

五つの行いを為したなら、それらの功徳を生きとし生けるものの菩提(さとり)のため、無上菩提(むじようぼだい)のために廻向すれば、崇高なる出世間(しゆつせけん)の無上菩提の完成となり、六行が六波羅蜜に転換されると教えられたのです。

ですから、漢訳の大乗仏教圏にある私たちも、お勤めの最後に、必ず「この功徳を以て普く一切に及ぼし我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」と『法華経化城喩品(けじようゆほん)』にある廻向文を唱えています。廻向文を唱えるとは日頃の六波羅蜜の行を完成させるために、無上菩提を念じる大切な内容なのだと意識してお唱えするとよいでしょう。

さらには、空の世界に入るためには、言葉の概念世界からの解放が必要であるとされるのですが、そのために私たちは日頃『般若心経』をお唱えしていると考えることもできます。

『般若心経』では、最後の一行にあたる真言が重要視されるわけですが、心経をお唱えするとき、この真言を唱えることによって言葉の世界を超えていくのだと、何も考えない時間をつくるのだと意識してお唱えするとよいでしょう。

そして心経はその前段階で五蘊をはじめとするお釈迦様の教説をことごとく否定するわけですが、それも、とらわれない心にとどまり、あらゆるものに心とどめないこと、ものを認識して執着しないこと、般若波羅蜜に徹底するために説かれたものでした。

こうして、お釈迦様を崇拝し何事かを願うしかなかった人々に向けて、信仰すれば救われますよ、もっと仏陀のことを知りましょう、たくさんの仏菩薩に随喜して、それら仏のような心もちになり働いてください、さらに瞑想してみましょう、衆生の悟りのために廻向してください、そうすれば輪廻も超えられますよと、と巧みに説きながら、先導し、信仰からより本格的な修行へと段階を踏んで私たちを導く教えとして大乗仏教があったと考えられるのです。

今日、大乗仏教の説き方は、特に我が国においては、その本来の意味内容を忘れたかのように簡易なものとなり、容易な単一的な修行により目的が達成されるとする教えが説かれます。ですが、この様相は、大乗仏教運動を創始し展開した当時の仏教者たちにはまるで不本意なものと映っているのではないかと思えます。

大乗仏教は、これだけすればよいというような教えではありません。総合的重層的なその構造があってこそ、一切衆生も仏になりうると主張できたのです。仏教は学ぶべき教えであることがわかります。 参考文献・梶山雄一著『般若経』(中公新書)      


六種の供養と六波羅蜜

 
寺院の本堂にも、各家の仏壇にもふつう六種の御供えがなされます。まず花があり灯明、線香(焼香)があり、そのほかに、仏飯(飯食(おんじき))と水、水はお茶湯の場合もありますが、それに塗るお香である塗香をいれて六種となります。これらを六種の供養というのですが、これらは仏様に単なる習慣としてなされる御供というわけではありません。それぞれ六波羅蜜といわれる仏教の実践につながるものであるから尊い供養になると考えられているのです。

水は布施波羅蜜(ふせはらみつ)、塗香は持戒波羅蜜(じかいはらみつ)、花は忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)、線香は精進波羅蜜(しようじんはらみつ)、飯食は禅定波羅蜜(ぜんじようはらみつ)、燈明は般若波羅蜜(はんにやはらみつ)に相当します。因みに波羅蜜とは、インドの言葉ではパーラミターで到彼岸(とうひがん)と訳し、迷いの此岸(しがん)から悟りの彼岸に至る意味で、そのために菩薩が修する行のことをいいます。ですが、大乗仏教では誰もが菩薩ですから私たちが行うべきものと考えたらよいのです。

 布施波羅蜜
一つ一つその意味するところを見ていきますと。水を供えることは布施波羅蜜を行じることであるとされます。砂漠に何日もさまよい食べ物も飲み水もなくなったりしたら、その時に飲む一口の水は命を長らえるよすがとなります。生命にとり水は不可欠のものであって、死に水をとるという表現にもあるように、亡くなってご遺体に差し上げる水は何よりの、最高の布施行為に当たるのです。その人にとって最も必要なものを施す、純真な心で行う施しを布施波羅蜜といいます。それは水が地球を循環して回り巡って返ってくるように、なされた布施行為は不思議なことに回りまわって他から返ってくるものでもあり、自他を、世の中を豊かなものにする功徳ある行為であると言えます。

 持戒波羅蜜
塗香を供えることは持戒波羅蜜を行じることであるとされます。良い香りの塗香を手に取り掌にも甲にも塗る行為は身と心を清める行いであり、仏教徒にとっての戒、五戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不飲酒)や十善戒(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見)を守る、つまり身と口と心の行為において悪業をさけて生きることは身と心を清める行為であり、それが持戒波羅蜜となります。それは、自他ともに社会全体を健全なものにする功徳ある行為であります。

 忍辱波羅蜜
花を供えることは忍辱波羅蜜を行じることであるとされます。野に咲く花、道端に咲く花は、どんな場所でも何度踏まれようともじっとその時を待ち条件が整えば花開きます。そうした名も知られぬ花のように、何があっても、いじめや差別があっても敵と味方とを区別せず、どんな環境でも耐え忍び、投げ出さず、毎日が同じことの繰り返しでも倦むことなく、真摯に生きることが忍辱波羅蜜です。それは花が周囲に彩りと良い香りを放つように、世の中に憩いと平和をもたらす功徳ある行為であると言えます。

 精進波羅蜜
線香を供えることは精進波羅蜜を行じることであるとされます。線香は時間をかけてじわじわと燃え香りを放ち続けます。そのように、周囲の人々や社会のためになる善行為に励むことが精進波羅蜜です。それは周りに、社会全体に、線香の良い香りのように、よい影響を与え続ける功徳のある行為であると言えます。そして線香が長く香を放つように善行為も継続して行じ続けなければならないということでしょう。

 禅定波羅蜜
飯食を供えることは禅定波羅蜜を行じることであるとされます。飯食は普段飽食している私たちには感じにくいですが、何日も食べられない飢餓状態にあったりしたら、一口のおかゆでも身も心も落ちつかせ、それがいかに身体を整え心を安定させるものであるかがわかるものです。その飯食のように、禅定は身を調え呼吸を静かに長く心落ちついて坐る時に得られる深い安らぎのことです。それこそが禅定波羅蜜です。それは一人行じていても、周囲に世の中に落ち着いたよい影響をもたらす功徳ある行為であります。

 般若(智慧)波羅蜜
燈明を供えることは般若波羅蜜を行じることであるとされます。明かりがあるからものが見えるのです。暗闇の中では足元を照らす灯火によって先に歩むことができます。お釈迦様の法は、まさに灯火で足元を照らすがごとくと言われるのですが、燈明が私たちの進むべき方向を照らすが如くに、一切の真実のあり方を明らかに如実に了解し至福をもたらす心の働きを般若波羅蜜といいます。お釈迦様の法のごとく、智慧は私たちを心晴れやかに幸せに導くものであります。それは、おのずと周囲に世の中に安心と幸福をもたらす徳そのものであると言えましょう。

これら六波羅蜜の実践として意味あるお供えをしているのだと思って、日々仏壇を荘厳し、過去精霊、先祖代々、そして回向文にあるように一切の衆生が仏道を成じるようにと供養をささげてくださることをお勧めしたいと思います。毎日仏飯と水やお茶湯を供え、ロウソクに火を入れ、線香を付けて供え手を合わせる行為が、それだけでとても大事な仏行をしているのだと理解してなされることで、それが励みとなり、大きな功徳となり、周りにもよい影響を与えることでしょう。

そして仏壇の前で、唱えるお経は禅定波羅蜜にあたるものと考えられますので、読経後はしばらくそのまま心静かに余韻に浸り、仏様のような心持で目を閉じ坐られることをお勧めします。継続していくことで、いずれ智慧がひらめくこともあるでしょう。楽しみにお続けください。     



【國分寺通信】 暑中お見舞い申し上げます。

○大本山大覚寺から、疫病退散世界平和祈願のために写経用紙が送られてきています。新型コロナウイルス感染症がいまだ終息せず、くわえて世界情勢の不穏な様相から、何とか早く平安な世になることを願い写経奉納をお願いしたいと思います。盆参りの際に用紙を持参しますので、どうぞよろしくお願いいたします。

○来年令和五年は弘法大師御生誕千二百五十年にあたり、大覚寺では、六月十五日に記念奉祝法会が厳修され、六月十一日から十七日の七日間を奉祝期間として末寺団参を受け入れられるとのことです。この機会に当山も団体参拝を企画したいと思います。是非ご参加下さい。

○月例行事「仏教懇話会」では、前号にて予告したように、今年六月より、高等学校「倫理」の教科書と「倫理資料集」をテキストにインドの思想や仏教、日本仏教について基礎から学び始めました。この機会に是非ご一緒に教科書を読み、楽しく仏教を学習してみませんか。ご興味のある方は毎月第二金曜日午後三時に國分寺会館一階にご参集ください。(会費は無料、賽銭のみ)

○令和六年度御涅槃事業として予定しております大師堂休み堂の建て替え工事は諸般の事情から遅延しております。準備整い次第工事にかかる予定ですが、どうぞご了承ください。なお、工事中の月例薬師護摩供は本堂内にて執行いたします。

月例行事 どなたさまもどうぞお気軽にご参加ください。

◎ 薬師護摩供   毎月二十一日午前八時~九時
◎ 坐禅会    毎月第一土曜日午後三時~五時
◎ 理趣経読誦会 毎月第二金曜日午後二時~三時
◎ 仏教懇話会  毎月第二金曜日午後三時~四時
◎ 御詠歌講習会 毎月第四土曜日午後三時~四時

●毎月二十一日は作務の日です。(午前中のお越しになれる時間自主的に境内などの清掃作業をしています。)

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