住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記-23

2010年09月22日 12時58分49秒 | 四国歩き遍路行記

一回目の遍路の時は、ゆっくりと大寶寺での読経を済ませ、昼過ぎに次の岩屋寺へ向けて歩く。距離は8キロとある。夕方までには十分な時間があると思って、のんきに歩き出した。門前の来た道に出ると、その前からすぐに遍路道は山道に入るように矢印がある。迷わず獣道のような細い道を上がる。アスファルトの道よりも足には心地良い。車も横を通らないので気ままに歩けるのもありがたい。

「まむしに注意」という看板があった。山と言うよりも、長く続く丘の中腹を通る道が続く。ハイキングコースのような快適な道だ。右側には何か福祉施設のような大きな建物が見える。ずっとその道を進んでいくと、車道に出た。住吉神社や久万高原ふるさと旅行村という施設の看板が目にはいる。それからまた山道にはいる。

今度は鬱蒼とした木々の間に大きな岩が散在する道が続いていた。登ったり降りたりを繰り返していたら、岩の裂け目の上に鉄の鎖で上に登れるような行場があった。これは弘法大師の行場として知られる「逼割禅定」と言い、岩の頂には白山権現が祀られている。

そこからさらに300メートルほど下ると、岩屋寺の門があり、大師堂が100メートルはあろうかという大岩壁の下に建っているのが見えてくる。その前を通り、隣に建つ本堂へ。岩屋寺のあるこの山中には、昔法華仙人と言われる神通力を持つ女人が住んでいたそうだ。弘仁六年(815)に弘法大師が訪れると、仙人は大師に帰依し、この地を献じて大往生を遂げたという。大師は不動明王像を木と石で刻み、木像を本堂の本尊にして、石像は山の岩石に封じ山全体を本尊にしたと伝承される。

この岩山にかかる雲を海に見立てて海岸山岩屋寺と名付けられた。岩壁にくくりつけられたような本堂前で理趣経を唱え、大師堂に参る。よく見ると大師堂はどことなく変わっている。向拝の柱が二本一組でその上部にはバラの花から綱が下がっているし、手すりの柱には優勝カップのような飾りがあり、四隅の柱には波形の装飾がある。後から調べたら、焼失後大正九年に再建する際に、地元出身で国会議事堂建築の際の技師を務めた河口庄一氏が手がけたものと分かった。和風の骨格の中に西洋のモチーフがちりばめられた、他に例を見ない稀有な文化財と言えるようだ。国の重文に最近指定されている。

本堂の下から弘法大師が彫った霊水が沸いており、その水をすすっていると事務所から声を掛けられた。「歩いてお越しなさったのでしょう。通夜堂がありますよ」こんなことは初めてだった。札所の方からこんなお声を掛けて下さるとは。本堂の下の段に古ぼけたモルタルの通夜堂があった。中は六畳ほどの部屋が廊下づたいに並ぶ二階建ての建物だった。ありがたいことではあるが、ただ泊まるだけのお接待なので食べるものに困った。聞くと参道下の店がまだ開いているでしょうとのことだった。

早速、バスで巡る遍路さんにとって八十八カ所のうちで最も難所と言われる所以の岩屋寺の石段の参道を往復することになった。だんだんと夕刻に近づき、暗くなりかかっていた。下に降りていくと、土産物屋があり、直瀬川に架かる橋を渡る。小椋屋さんというよろず屋に入る。何かご飯ものをと探していると、店の奥さんが出てこられて、「岩屋寺にお泊まりになるのかいな、じゃ何か用意してあげようね」そんなことを言われたかと思うと奥に入り、しばらくすると大きなパックに沢山のご飯を詰めておかずまで沢山のせて、「お接待よ」と下さった。ありがたく頂戴する。

石段を登り、通夜堂に向かう。小さなガスストーブを付けて温まりながらご飯を食べる。混ぜご飯にタケノコ、里芋、厚揚げ。おいしい。ご飯を食べながら、しみじみご恩を頂いていることを思う。食べていたら、お寺の奥さんが、饅頭とリンゴと夏みかんを持ってきて下さった。ありがたい奥さんだと思った。

この日は山越えの道が続いたせいか、膝がガクガクする。二三日前から右の膝の外側を押すと痛みが走る。左の草鞋の後ろ側が切れたので履き替えることにした。気になりつつ歩いていたのでマメが出来るかと思われたが大丈夫だったようだ。大きな通夜堂にその日はたった一人、風呂もないトイレだけの宿で横になった。

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無常を認めない心

2010年09月21日 19時15分37秒 | 仏教に関する様々なお話
暑い暑いと言っているうちにもう9月もお彼岸となった。昼間はまだ夏の陽気だが、朝晩はかなり気温が下がってきた。いつまでも今年の夏のような気候が続くような気にもなっていたが、やはり季節の移り変わりは自然の摂理が働いているようだ。仏教の言葉で言えば無常ということであろうか。

無常とは、すべての物が移り変わりつつあるこの世の真理を表現したものではあるが、頭では分かっていても、お釈迦様の言われるこの無常の真理を本当に理解するというのは、実はとても難しいことなのではないか。それを心で認める、分かるというのはきちんと瞑想をしてその真理を体得しなくては叶わないことなのだともいわれる。

誰もが、身近な人が亡くなったときには悲嘆に暮れる。長く患いもう亡くなるのだと分かっていても、その時が来ればそれまでとは全然違うつらさが現れるものであろう。頭では分かっていても、やはりこの無常の真理を本当の意味で理解していない、分かっていないということなのである。

例えば、少し前の話にはなるが、日本の土地は値下がりしないと言われていた。不動産神話があり、絶対に安くなるはずがないと。しかしバブルがはじけてしまえば、あっけなく全国どこの土地であろうと値下がりした。元々ずっと値上がりしていくと思いこんでいたのがおかしかったということになる。しかしその神話を信じてしまったばかりに、全国にかなり多くの人たちがローンの返済や転売に困り、大損を重ねているのが現実なのである。

また、日本は世界一治安のいい国として誇らしく思っていたのはいつ頃までの話であろうか。もちろん諸外国の紛争地域や繁華街など危険な場所は日本の比ではないだろう。しかし、今の日本は以前言われていたような雰囲気ではなくなってしまった。家庭内暴力、無差別殺人。突然行方不明になって、そのまま行方知れずというケースも多い。これもずっとそのままの状態で推移すると思うことが誤りだったという例であろう。何事も無常だと。

また終身雇用も随分昔のことになってしまった。古きよき日本の会社制度は今思えばとても優れていた。それを競争、競争、年俸制だのと言って、外国仕様にしてしまったおかげで、今の会社の従業員には愛社心もない、忠誠心のかけらもないバラバラな、能力だけを切り売りするような風土となり、ストレスに晒され、心を病む人ばかりの会社社会となった。これも無常と言えばそれだけのことであるが、無常はこれからのことにも言える。このままずっと今のままということもない。おかしければ変えていく度量も当然必要だろう。

「近頃の若い者は・・・」とよくお年寄りが言う台詞は、実はいつの時代にも言われていたことらしい。みんな無常、移り変わっていくことが真理なのだとすれば、若い者が違うのは当たり前のことなのに、つい、こうした言葉が出てしまうというのは、この無常ということを認めていない、認めたくないという私たちの素顔を晒す言葉なのだとも言えよう。

では、なぜ私たちは無常を認めたくないのであろうか。結婚したり、子供が出来たりすれば、奥さんであり、お母さんであるのに、いつまでもまだ娘のような自分を追い求める。いつも若々しく、さらには健康であるように様々な健康グッズや薬を常用する。健康でいたいというのは当然のことではあるが、ちょっと度を超した健康至上主義が蔓延しているとは言えまいか。

つまり自分の歳や容姿が変化していくことに抗っているということだ。達観するという言葉があるけれども、いつまでも達観できないで、そのまま年を重ねて、気がついたときにはもう死が目の前に来ていることに狼狽えるということにならないようにしたいものである。

達観するなどということはそう簡単なことではないのだろうが、以前東京の深川の小さなお堂にいた頃。そのお堂の講の講元が、90過ぎの方ではあったが、ある会合で、こんな言葉をポロッとはいたのを憶えている。「近頃の連中は、いい歳して息子に身代を譲っても、まだ金、金、金だ。なんて世の中なんだろう。全く困ったもんだ」と。

この講には沢山の材木問屋の旦那衆が名前を連ねていた。そんな旦那衆を前にそう言いはなったのであった。人生、それなりに年取ったら、少しは考えを改めたらどうなんだい、というところを旦那衆に突きつけた言葉であった。

考えを改める、それなりの歳、みんなそれぞれの歳なりに思うところが変わってもいいはずなのに、立場が変わっても、なかなかいつまでも現役のまま心改まることを拒否しがちな時代と言えるのではないか。なぜなのだろうか。いつまでも、変わることを拒否する、あきらめる、観念することのない私たちの心。

そこにはいつまでも、そのままの欲、快楽、心地よさを追いかけていたいという思いが残っているからなのであろう。煩悩のままに、いつまでも楽しんでいたい。そんな心をいつまでも引きずっていられる今の世の中なのだと言えよう。言葉を換えたら、欲ボケ、平和ボケなのだと言えよう。

いつまでもこのまま平和な世の中が続く、というのも無常を知らない人の言うことなのかも知れない。大ヤケドをする前に世界はこの平和ボケの人々を、いつまでも大目に見てはくれないことに早く気づくべきなのではないか。誰もが、この欲を追いかけていたい、我が儘なままでいたい、そんな心のせいで、気がつけば、日本の国が国の体をなしていないなどということのないようにしたいものである。

私たち一人一人も、いつまでも、変わらない自分などという寝ぼけたことを言っていないで、変化しつつある自分をきちんと見つめつつ、無常を理解するように心がけるべきなのであろう。そうしてこそ死をも自然に受け入れられる、安らかな最期を迎えられることにもなるのだから。

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暑い夏、雑感

2010年09月05日 13時02分59秒 | 様々な出来事について
9月に入ったというのに、相変わらずの暑い日が続く。異常気象、地球温暖化だからと簡単に片付けていいものだろうか。巷間伝わっているところでは、この異常な暑さの原因は、今年春に起こった英石油大手BPによる米メキシコ湾原油流出事故の影響とも、地球を取り巻く熱圏の崩壊とも言われている。

熱圏とは電離層とも言われ、地上から80kmから1000km付近にある大気層で、地球の大気と宇宙空間が最初に出会うところでもある。太陽や宇宙から降り注ぐ人体に有害な電磁波や放射線をここで吸収している。地球の温度調整もここでしている。熱圏は太陽活動のサイクルにより、薄くなったり厚くなったりしているが、米航空宇宙局(NASA)が7月15日に地球大気の熱圏崩壊を発表しており、今回観測された収縮の規模は科学的に説明がつかないほど大規模なものだという。

この熱圏崩壊の原因には二つの説があり、一つは太陽に何か大きな異変が起きているのではないかということ。昨年は太陽の活動の活発さをあらわす黒点が観測されなかったのに、今年になって急に沢山の黒点が観測されるようになったという。そしてもう一つの原因が、米軍がアラスカで展開している軍事プログラム『高周波活性オーロラ調査プログラム』(HAARP)による影響とも言われている。

HAARPとは電離層の研究を目的とする軍事プロジェクトで、「民生および軍用の通信システムと監視システムを強化するために使用する」とされているが、実際にこれが使用されただけで大規模な地震や地球規模で気候異変が起きるのではないかとも言われている。

ところで、この暑さ36度から38度の日が連日続いているが、かつてインドのサールナートというお釈迦様が最初に説法された聖地で一年間過ごしたときには、連日40度を超える夏を経験したことがある。夏と言ってもインドの場合は、乾季と雨季に別れており、そのあたりでは3月の半ばから6月の半ばに雨が降り出すまでが乾季でとてつもなく暑い。一番暑い日には54度という日があった。

建物もコンクリートなので、昼間の熱気で壁は熱を持ったまま、部屋の中は熱気で夜も寝られたものではない。そこで、チューブベッドを外に持ち出して四隅に棒を立て蚊帳を吊り、その中に入って寝るのだが、蚊が侵入してきたり、暑くて寝られない日も多かった。そういうときには気休めにもベッドの周りにじょうろで水を撒いて寝たものだ。昼間は誰も外に出ない。木陰で静かにしているほか仕方がない。仕事は朝夕の涼しいうちにすべてを済ませてしまう。

そんな感じで耐えて6月に入り、今か今かと待ちかねて雨雲が現れだして、わっーといわゆるスコールのような雨が降ったときには、みんなで外に出て両手を広げて雨を受け空を仰いだものだ。その時ほど雨がありがたいと思ったことはないし、そのまま地面に上を向いて寝ころんだものだ。しかしそういう雨期にはいると、そのサールナートあたりではそんなに毎日雨が降るわけでもないのに、ジトジトしだして、逆に体調を壊し、病気になる人も現れる。相変わらず外に寝ていて、急に雨が降り出して大急ぎでみんなで手伝いながらベッドをひさしの中に入れることもあった。いずれにせよ、今思えば楽しい貴重な体験だった。

しかしあれだけ暑い夏を経験していても、やはり、今年のこの日本の異常な暑さは身体に応える。あれから気がつけば20年近い年月が経過している。月日の経つは早いもので、次の世代に何もかも任せなければいけない日もすぐにやってくる。そんなことを考えさせられる記事が今年8月8日に朝日新聞に掲載された。「墓守いない散骨、子に迷惑、けじめ」と一面トップに書かれていた。読むと、瀬戸内の呉市の男性が都会に出た子供に先祖の墓守を委ねられないからとすべて掘り起こし海に散骨したという内容であった。

タイトルにあるように子に迷惑を掛けられないからとある。それがけじめだとも書かれているが、けじめとは何だろうか。何もかも後腐れ無く処分することがけじめなのだろうか。逆にきちんと自らのルーツを確認する場だと言って、住まいは離れていても通ってくるか、逆に墓を移転することも選択肢にあっても良かったのではないかと思う。なにもかにも合理的な判断と思ってしたことが、実はとてつもなく大切なものを失うことになったと気づいても遅いということにならないか。

他国に比べ家族を大切にし、親族、地元、故郷、お国を大切にしてきた日本人の美徳がこうして失われていく。核家族化して、さらに家族関係も崩壊しようとしている今の日本人を象徴しているかの記事だと思うのは私だけであろうか。根無し草になって、みんなバラバラ、隣にいる人が何していようがおかまいなし、何かしたら親兄弟、先祖に顔向けも出来ないという感覚も失われて殺伐とした社会になっていきはしまいか。そんなところからも、精神的に病んでいく人々が後を絶たず、自殺も減らないのだとは言えまいか。さらには社会との帰属意識、ひいては日本人としての帰属意識も希薄となっていくのではないか。

8月6日、米国大使ルース氏の出席を巡って話題となった今年の広島原爆の日ではあるが、何故原爆の日の行事は毎年行われるのか。やはり次の世代にきちんと受け継いでいくことが大切だということであろう。やはりとても暑い夏に終戦を迎えたあの戦争とは、どれだけ悲惨なもので、何の決定権もない庶民が犠牲となるだけで、結局はごく一部の者たちの単なる経済活動に過ぎないものだったということも知らねばならないであろう。

そういう庶民の感覚を、真相を次世代にきちんと伝えていく必要がある。そういう過去を蘇らせ、普段なかなか出来ない話しが自然に出来る場としても、お墓や仏壇というのは意味ある物なのではないか。とにかくいろいろなことを次の世代にきちんと伝えていかねばいけない。こんなことをこの記事を読んで考えさせられたのであった。・・・・。


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