住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

やさしい理趣経の話-8 常用経典の仏教私釈

2011年10月24日 19時10分05秒 | やさしい理趣経の話
第六段の概説

「ふぁあきぁあふぁんとくいっせいじょらいちいんじょらい・・・」と第六段が始まる。ここに「一切如来の智印を得たまえる如来」とあるが、教主大日如来が、そのはからいによる慈悲と智慧による実践教化の部分を象徴する如来・不空成就如来として登場する。

第二段にて、完全な覚りを展開して四つの平等の智慧に分けたが、第六段では、その中の④衆生を救う仕事を円満に成就させる智慧とはいかなるものかを開示している。

第五段では、どんなものにも価値を見出し、適材適所に活用されればすべてのものがかけがえのない宝となる智慧(平等性智)を明らかにした。それは等しくすべての生き物たちを養い培うものとして無限の価値となって輝きだす。

そこでこの第六段では、それらがどのような活動を為すべきかを説くのである。「一切如来の智印加持の般若理趣」とあり、智印とは如来の心から湧き出る様々な身口意の働きを意味する。加持とは仏の大悲心と衆生の信心の寄り添うことによって仏の不可思議な力が発現されることをいう。

仏教で行いと言うとき、それは身体による行いと口でなす言葉によってなされる行い、そして心の中でいろいろと考え思うことも行いとされる。これら凡夫の行いを三業というのに対して、仏の身口意の行いを三密という。

凡夫が仏にならい善い行いを心がけつつ、仏の側も慈悲を垂れて衆生を救う働きかけがあるならばそこに三密相応の不可思議な加持感応が起こり、衆生全体が共に働き努力して自他ともに悟りの世界に向かって精進していくことが出来る。第六段は、このようにすべてのものたちの心を成長させ育むための実際の活動に関する智慧(成所作智)を説くのである。

お釈迦様のお悟りになった境地のことを阿羅漢果という。阿羅漢という最高の悟りを獲得した人は、自分のためには為すべき事は何もないのだという。そこで無為とも無学とも言われ、もはや悟りのために学ぶべき事はないという。当然ながら悪事をなすことはなく、たとえ善い行為を行っても来世に繋がる業にはならないと言われる。しかし、唯一、世の中の人々を教え導く仕事のみ残されているのである。

お釈迦様は縁ある衆生すべてに対して分け隔てなく教えを垂れた。外道と言われる異教徒たちに対しても、どんなに攻撃的な問答に対しても、落ち着いた心のまま、その人が良くあるように教え諭された。その人が一歩でも悟りに近づくことを願って、教え導かれたのである。

四種の印

そうした仏の他に教え教化して共に悟りの世界に導く慈悲の心に応えるべく、凡夫である私たちはどうあればよいのであろうか。お釈迦様の私たちへ向けられた心にふさわしい働きとは何か、それを説くのが、次なる四種の印の教えである。

まず、「一切如来の身印を持すれば一切如来の身を為す」とある。身印を持するとは、自らのためにではなく、仏のように他を悟らしめ、他を救わんがために奉仕して働くということ。そうすれば自ずと一切如来の身を得ているのと同じ事なのだというのである。

次に、「一切如来の語印を持すれば一切如来の法を得る」とあるが、これは、今日のように様々な情報が乱れ飛び、流言飛語、異端邪説が横行する世の中にあっても、縁ある人々を正しい教えに導き、仏のように他の者のためのみに真摯に教えを説くことで、一切如来の正法を体得することが出来るというのである。

そして、「一切如来の心印を持すれば一切如来の三摩地を證す」とあるが、これは、人々を仏の教えに導くためには様々な障害、困難が待ち構えているけれども、堅忍不抜の心でそれらを克服して人々を正法に導くことで、自らも三摩地つまり悟りを證することができるというのである。

さらに、「一切如来の金剛印を持すれば一切如来の身口意業の最勝の悉地を成就す」とある。金剛の印とは身口意の仏の働きが一体となって自在の活動を為すことで人々を救うこと。それがダイヤモンド(金剛)のような堅固な智慧の働きとなることで、最も勝れた悟りを成し遂げることができるというのである。

仏のように働く、仏のように法を説く、人々を救うと言っても、それはそう簡単なことではないだろう。しかし、何事もそれを理想として少しでも真似て馴染み、なりきることによって本物に近づいていくものなのではないか。

私なども、法事の後の法話など、はじめは自ら何を言わんとしていたのかさえも分からなくなることを繰り返しつつも、こらえて学び思惟しつつ何度も説き続けることで、徐々にその真意が伝わるようにもなるであろう。何事もひるんだり、飽きたり、へこたれることなく、お釈迦様の衆生に対する眼差しに応えて、自らを奮励督励し続けることが必要なのであろう。

第六段の功徳

この段も、教えを聞く菩薩衆の代表である金剛手菩薩に呼びかけ功徳が説かれる。この教えを聞き受け取り、思索するならば、すべてに自在となり智慧とその働きと果徳を得ることができる。さらには、仏の身口意とそれらを一体とした妙果を得ることで無上なる正しき悟りをすみやかに証得するという。

「即身成仏」とも言われるが、それは、この身このまますぐに成仏するというような簡単なことではないであろう。大切なことは、この身において、将来ではなく来世でなく今を大切に、すべてのものたちの最高の幸せのために努力することがそのまま悟りに繋がっているのだと受け取ってはいかがかと思う。

金剛拳菩薩の心真言

そして最後に改めて、世尊大日如来が不空成就如来から娑婆世界での姿として金剛拳菩薩に変化されて、仏と衆生の心と行いが一つになる瞑想に入られた。

そしてその教えを自らの姿に現そうとされて、法悦の微笑をたたえ、左右の手に金剛拳をつくり左は仰げて腹の前に置き右はその上に覆いしかも着けずに重ねる三摩耶の印を結んで、真実なる心真言「アーハ」を唱えた。


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四国遍路行記-26

2011年10月19日 18時59分59秒 | 四国歩き遍路行記
石手寺に到着したのは10時過ぎ頃だったろうか。駐車場そして仲見世入口あたりから大勢の人で賑わっている。その流れに入り51番石手寺に参拝する。もとは聖武天皇勅願寺で安養寺と言った。後に行基菩薩が薬師如来を彫刻して本尊としたというが、その後弘法大師が巡錫。そして、現寺号の由来はよく知られるように、寛平四年(892)に道後湯築城主河野息利(こうのやすとし)の子息の開かぬ左手を安養寺住持が加持して開かせたところ「衛門三郎再来」と書いた石を握っていたことから改号された。

土産物や昔懐かしい玩具類を置いた店など楽しい仲見世を通り過ぎると、大きな仁王さんの立つ国宝の門が姿を現す。お遍路さんや観光で参る人も多く、また地元信者さんも混じって人が行き交う中、正面の本堂に到達する。鰐口を勢いよく叩く参詣者の横で理趣経を唱える。落ち着かない気持ちを抑えつけるように先を急ぐ。そんな姿を見ている人もあるのか、袖の中に手が入りお接待を何人かから頂戴する。お礼も言えず、ただ会釈する。

そこから右手奥に進み、大師堂を参ってから、ビルマの仏像を祀ったパゴダへ。その途中坂道を降りるところに「雲照律師供養塔」と陰刻された大きな石碑があった。明治の傑僧・釈雲照律師(1827-1909)はここ石手寺において松山十善支会を催されていた。十善会とは、江戸時代の高僧慈雲尊者(1718-1804)が十善の教えは「人となる道」であると説かれ、その教えを継承する雲照律師が近代の世で十善を広めんがために、当初久邇宮殿下を上首と仰ぎ、通仏教で国民道徳の復興を目的に設立された一つの道徳的教会組織である。この碑は賑々しく沢山の稚児行列をもって催行された雲照律師三回忌法要の折に建立されたものであった。

それからその日特別に、庫裏の前に陳列されていたので、衛門三郎の名の入った石も拝見した。後から知ったのだが、その日は旧の4月8日で、茶堂前で甘茶の接待を受けた。どうりで参詣者が多いはずだった。そのあと二時間ほど参道の入り口付近で托鉢をさせていただいた。持参していた鉄鉢ならぬ木製の小さな鉢に入りきれないくらいの賽銭を頂戴した。

そして、石手寺を後にして温泉街に入り、道後温泉本館の神の湯に入る。着替えをしているとあちこちからねぎらいの声を掛けられる。石の湯槽につかる。しみじみ道後の湯は肌にいいと感じた。お湯からあがり衣を着ていると、またお接待を頂戴する。草鞋を履いて歩き出すと心持ち身体も軽くなったように思えた。心も軽やかに温泉街を歩いていくと、通りの右側に山頭火が晩年を過ごした一草庵があった。ぐるりと庵の周りを回ってみる。小さな家だが、管理が行き届いていて、窓から位牌や使われていた笠、鉄鉢などが見えるように並べられていた。

一草庵を出て、すぐに歩き出す。国道へ出て、また左に続く遍路道を入る。次の札所52番は太山寺だが、道の途中先に53番円明寺に札を打つ。もとは和気西山の海岸に位置し、七堂伽藍を備えた大伽藍だったという。戦国時代兵火に焼かれ江戸初期に須賀重久によって現在地に再建を果たした。本堂の厨子に貼られた銅板の収め札が有名である。慶安3年(1650)江戸で材木商として巨万の富を築いた樋口平太夫家次翁が奉納したもので、家次翁は京都の五智山蓮華寺を再興したことでも知られている。

余談ではあるが、この蓮華寺とは、江戸時代の学僧・曇寂(1674-1742)が住持した寺であり、曇寂は備後出身。草戸明王院で出家し、京都五智山に宗学を学び住持となり、明王院をも兼務した。弟子に備中寶島寺に晋住する梵学の大家で寛政の三書僧と言われる寂厳がある。なお、曇寂は経疏・事相に亘る沢山の著作を残しているが、備後國分寺には明王院現住曇寂書の「備後國々分寺鐘銘併序」が伝えられている。

夕刻を迎えていたので本尊阿弥陀如来を拝して、急ぎ太山寺に歩く。山門をくぐったのに、延々と参道が続く。坂道にさしかかり、民家も軒を連ねる道を進むとやっと右手に寺務所が見えた。お参り前なのに恐縮するが暗くなりかかっていたので、この日は寺務所手前の通夜堂にお世話になることにした。

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『般若心経』は何を私たちに訴えかけているのか

2011年10月13日 18時49分59秒 | 仏教に関する様々なお話
今回、大法輪の特集記事執筆の依頼を受けて、『般若心経』について改めて深く勉強する機会を得た。そして、夜寝静まってから、突然心経の深秘かと思われるような内容が頭にひらめき、夜中に起きだして書き取ったこともあった。

心経全体が、お釈迦様の瞑想中の一瞬のひらめきを書き取った陀羅尼(真言)だと解釈すると、一字一句解説するよりもその大まかな展開を捉えるべきなのではないか。悟りの究極において、それまで行じてきた教説をたよりに悟りの階梯を進み、完全に清らかな状態に至るために、つまり最終的な悟りに至るために、完璧に自己を捨てる、私がいるということを諦める、ということを観自在菩薩と舎利弗尊者二人の対話として表現したものではないか、などということが頭に浮かんできたりもした。

今心経を受持し、読誦し、また写経する私たちにとって大切なことは、この心経の呪術的とも言える功徳とは何かと考えるべきでなのではないかと思う。読誦し書写する私たち自身がその心経が教えられている意味内容から救われ、また多くの人たちが救われて、はじめてその功徳、力があると言えるのではないか。

心経が、私たちが今を生きる大切なことを教えてくれていてこそ大きな力になる。だからこそ今誰もが求めている、今をいかに受け入れ生きるべきか、それをこそ心経は説いていると解釈してはいかがかと思うのである。
 
「毎日マントラ(真言)を唱えたり、諸尊を観想したりしても、それだけで根本的な無知に対処することは出来ない」(『ダライラマ般若心経入門』春秋社刊より)このように、チベット仏教の最高指導者であるダライラマ法王もアメリカ各地での講演で述べておられる。

周りのものを眺めるとき、それらを実在するもの、実際の出来事としてではなく空という物事の真のありようで、空というものの存在の仕方で見ていく。その、ものの見方を身につけていくことが大切なのだと言われる。

庭先の雑草も、何年前の種か分からずとも、種がそこに風で飛ばされ存在する原因があり、土壌と気温と湿度の条件が調えば発芽し、私たちを悩ませる。そして、その場所が庭先ではなく、家の裏なら何とも思わないのかもしれない。

そのような他のものによる原因と条件によって存在する。そのものだけで生まれ存在しているのでなく、すべて他に依存しあっている。そのようなあり方を空という。

そんなことはあたりまえのことだと思われるかもしれない。しかし、自分も空なのだと言われて、それがどんなことか頭で分かっても、なかなか本当に、そう思いきれるものではない。たとえば、自分や家族が大病と診断されたとき、自分の家や財産が津波に流されたとき、なんの動揺もせずに他人事で居られるだろうか。

すべてのものを空として見切る。深い瞑想状態の中で本当に空としてみられるようになると、すべてのものに対する価値、こだわり、レッテル、好悪など見えてこないのだという。
  
こうした空なるものの見方を理解するためにはその基礎となるお釈迦様の教説も必要であろう。心経に網羅された段階を踏まえて進まねばならない。戒を守り正しい生活によって健康となり心清まりその法を聞き、仏教の物の見方、自分とは何で、この世とはいかなるものか。そして禅を修して思索し、さらにそれを繰り返し行じることで般若の智慧はその人格となるという。

お釈迦様の根本教説について少し見てみよう。五蘊は、私とは何であるか、それは心と体という形あるものとがあわさったものだということだろう。

十二処十八界は、神のような普遍的な存在、絶対者を立てることなく、身近な周りの分析から、仏教徒の世界観を把握する手立てとして説かれたものだ。

十二因縁は、六道の中に輪廻を繰り返し苦しみに至る私たちの心のその原因と結果を解明し、悟りに至る逆のプロセスによって悟りに至る仏教徒の歩み方を明らかにする。

四聖諦は、現実を直視してその因果を見きわめ、私たちの生きる目標とは何か、どう生きればよいかを明らかにした教えである。

そして心経では、観自在菩薩のように、すべてのものが空であると、究極のもののあり方を既に直接的に体験している心には、それらのことはあてはまらないと述べるに過ぎない。

それなのに、般若心経に関する通俗的な解説には必ずといって、このお釈迦様の教説を小乗仏教と貶め大乗仏教を金科玉条の如くに推奨し、単に真言を唱えるだけでよいとする説き方が横行した。そして、あたかも何か唱えることが仏教の実践であるかのような錯覚を与えてしまった。それは余りにも乱暴な説き方であったと言えよう。

こうして心経はお釈迦様の教説を否定し、大乗の教えが勝れていると、我が国において長い間、それを是認称賛したかのように受け取られ、それが為に日本仏教として、仏教の基本的な教えが説けなくなってしまったのではないか。日本仏教に禍根を残したとも言えよう。

何度も繰り返すようではあるが、心経は観自在菩薩の境地を開陳したものであり、凡夫である我々は、まずは、本来のお釈迦様の教説一つ一つをおろそかにすることなく、それらによって仏教の物の見方、歩み方を学び瞑想して、そうして空を体得しつつ、悟りを人生の最終目標として、一歩一歩着実にしっかりと努力する必要がある。

そして、心経はそこに向かって前進せよ、疾くつとめよと、仏教徒のあるべき生き方を指し示し、督励した教えなのであろう。

私たちを取り巻く環境は、過酷である。沢山の苦しみ、困難、災難、災害多い人生ではあるけれども、何かあったとき、いやすべては空なのだ、こうあるべくしてあったのだ、家族、家、財産は死ぬるときもってはいけない。悟りへの前進こそ来世への土産なのである。つまり本当に求めるべきものは悟りなのだと言い切り、それをこそ求めて生きよ、と強く私たちを押し出してくれるのが、この心経なのではないかと思うのである。


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