住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

わかりやすい仏教史④ー密教とインド仏教の終焉1

2007年05月29日 18時32分34秒 | 日本仏教史、インド中国仏教史、真言宗の歴史など
(大法輪誌平成十三年十月号掲載)

前回は、西北インドから異民族が相次いで侵入する混乱した時代の要請から、新しい仏教が萌芽し、その後大乗仏教として今日に至る思想上の発展がなされていったことを述べました。

今回は、その後の仏教を取り巻くさらなる環境の変化から、仏教が密教化し、その終焉を迎えるところまでを述べてみようと思います。

大乗仏教から密教へ

大乗仏教は中央アジアの遊牧民クシャーン族が北インドを制覇している時期(一世紀中ー三世紀中頃)に、その勢力を伸ばしました。大乗仏教としてのはじめての経典である般若経には、多くの陀羅尼(呪文)や真言が説かれ、呪術的な要素が見られました。

またクシャーン王朝のとき、仏像が現れて、その手の印相に様々な意味が込められ、その後密教的作法に発展していきました。さらにこの時代には、国王の即位式に用いられていた灌頂の作法が仏教の入門儀礼として採り入れられていたと言われています。

クシャーン王朝の勢力が衰えだしたとき、中インドに「インドはインド人のインドに帰ろう」と唱えたグプタ王朝(三二〇ー五二〇頃)が興り、インドの中部、西部、東部を統一し、アショーカ王に次ぐインド統一を成し遂げました。

先住民の土着信仰と習合したヒンドゥー教は、バラモンの哲学や神話、また習俗を採り入れて社会の上層に支持され、その後主流となっていきました。そして、公用語とされたサンスクリット語による文学芸術が発達し、戯曲「シャクンタラー」で有名な詩聖カーリダーサーなどが活躍したのもこの時代でした。

また、建築、彫刻、絵画などの分野でも完成度の高い作品が数多く残されています。数千のお坊さんたちが学ぶ仏教大学として有名なナーランダー寺は、この王朝の王たちによって創建され、大伽藍が築かれました。

世紀前後から開鑿された南インドのアジャンター、エローラなどの石窟寺院でも、グプタ期のものとして優美な壁画や見事な建築技法による遺構が残されています。

さらに病理学、薬物学、数学、天文学など自然科学が飛躍的に発展し、そのことと呼応するようにヒンドゥー教では密教化が進行したと言われています。

その影響により、仏教においても呪術や儀礼が採り入れられていきました。土壇を築いて炉を作り火を燃やして祈祷する護摩の作法や請雨法、止雨法などが早くもこの時代に行われていたと見られています。

また、大乗仏教で説かれた諸仏を四方に配した四方四仏の思想が、金光明経などに説かれ、四世紀終わりには成立し、後に密教の曼荼羅に発展していくことになりました。

このように仏教を民衆のものとした大乗仏教の中には、はじめから密教的な要素が含まれていました。グプタ期には前回述べたように、如来蔵思想、唯識説などの学問的な研究が進む一方で、民衆の生活と一体化したヒンドゥー教に影響され、密教化の傾向が顕著に現れるようになっていきました。

密教とは何か

お釈迦様の時代の仏教においても、護身のために呪文を唱えることは認められていました。病いに臥す弟子にお釈迦様が自ら、「七覚支」という実践法について唱えると病いが癒されたとあり、今日でも南方の仏教国では、病の苦痛が激しいときなどにこのお経が唱えられています。こうしたパリッタ(護経)と呼ばれるパーリ語のお経を読んで除災や招福を祈る簡単な儀礼は古くから行われてきていました。

ですが本来的には、お釈迦様のさとりは瞑想時の智慧によってさとられるものであり、呪術とは関係ありませんでした。手相や夢占いなどの占相や火の護摩、防箭呪などの護呪、予言などといった当時のバラモンが民衆に対して行っていた行為を、お釈迦様は邪な行いであるとして無益なものとされました。

しかし、仏教が民衆のものとして広まる過程においては、このような古くからインドの民衆の間で根強く信仰されてきた様々な呪法や儀礼、日常生活の習慣や作法が組み入れられることは必然の結果でありました。そして、それらに仏教的思想背景を与え、より高次のものとして編集し直され、密教(秘密仏教)に発展していきました。

仏教の密教化

グプタ王朝が衰えると、五世紀中頃には蒙古トルコ系の騎馬遊牧民・フン族が西北インドから侵入し、インドの民衆を残忍な恐怖に陥れたと言われています。カシュミールやガンダーラなどの仏教寺院が多く破壊され、北インドの仏教は壊滅的な打撃を受けたと言われています。

そして、この五、六世紀の混迷した社会情勢の中で、土地を浄め土壇を築いて曼荼羅を描き、その神聖な場で香華、飲食を供養して祈祷をなすといった儀礼が仏教に広く採り入れられ、諸尊の造像、供養、呪文の規定を記した様々な儀軌が作られていきました。

七世紀には中インドに、ヴァルダナ朝のハルシャ王(在位六〇六ー六四六)が出て、最後の古代専制国家を再現しました。このハルシャ王の時代は王一代でグプタ期に匹敵する学術文化の復興を実現したと言われています。

この時代、中国から留学していた玄奘三蔵は、ナーランダーの仏教大学に学び、当時そこは大乗仏教教学の中心であったと述べています。そして、この玄奘の四〇年ほど後、中国から留学した義浄三蔵(インド在六七三ー六八五)が訪れたときには、既にナーランダー寺は密教の根本道場になっていたと報告しています。

つまり、この玄奘と義浄が相次いでインドを訪れたこの間に、インド仏教の大勢は密教に移行していたと言うことが出来るようです。

その頃には、まだ部派仏教は存続していたものの、次第に部派や大乗の区別も曖昧となり、ともに融合し密教化していったと考えられています。

密教経典の成立

密教経典としては、既に四世紀頃「孔雀明王経」など現世利益を目的とする諸経典は成立していました。しかし、密教的儀礼そのものが成仏のための修法として説かれる「大日経」、「金剛頂経」といった純粋な密教経典が現れるのは、ナーランダー寺が密教化する七世紀中葉以降のことでありました。それらは、それまでの経典がすべてお釈迦様による説法であったのに対し、大毘盧遮那世尊つまり大日如来(宇宙の永遠性普遍性を仏としたもの)が説法する形式となっています。

「大日経」では、ありのままの自らの心の観察が必要であるとし、現実の私たちの心の様々な状態が分析され、凡夫から次第に向上する心の段階が説かれます。そして現実を重視し、大悲によって衆生を救済して止まない方便に最高の価値をおくところに特徴があります。母親が胎児を慈しみ育てるように、仏が大悲によって衆生の苦しみを救う精神が、蓮華に諸尊を配した曼荼羅として示されています。

「金剛頂経」は七世紀末頃成立、金剛とは帝釈天のもつ金剛杵のことで、煩悩を破折する鋭い般若の智慧を譬えたものです。自らの心を観察し三昧に入り、胸の前に月輪を観じて、その中に金剛杵を観想する。そして、自身の心が金剛のような堅固な智慧にほかならないことを知り、自分が如来そのものであることを実感する観想法が説かれます。そして、それによって得た境地が、月輪の中に配された諸尊によって構成される曼荼羅として示されています。

また金剛頂経系の「般若理趣経」では、貪欲も、愛欲も、怒りの心もみな清浄であると表現され、欲望のエネルギーをも自他の区別を離れた他者救済のための欲へと転換させていくべきことが説かれています。つづく

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「千の風になって」の誤解

2007年05月16日 10時38分10秒 | 様々な出来事について
『千の風になって』
   
 私のお墓の前で 
 泣かないでください
 そこに私はいません 
 眠ってなんかいません

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹き渡っています
 秋には光になって 
 畑にふりそそぐ
 冬にはダイヤのように 
 きらめく雪になる
 朝は鳥になって 
 あなたを目覚めさせる
 夜は星になって 
 あなたを見守る

 私のお墓の前で 
 泣かないで下さい
 そこに私はいません 
 死んでなんかいません

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹き渡っています

 千の風に
 千の風になって
 あの大きな空を
 吹き渡っています

 あの大きな空を
 吹き渡っています

アメリカで話題となった『Do not stand at my grave and weep』に、小説家の新井満氏が訳詩を手がけ、自ら作曲して話題となった。原詩の作者は不明だそうで、アメリカ女性Mary Fryeが友人のMargaret Schwarzkopfのために書いた詩がもとになっているともいわれている。

また、この歌はナチスドイツから逃げてきた亡命者がナチスドイツに残してきた母の訃報を知り悲しむ親友のために慰める為に作ったという説もあるようだ。9.11同時多発テロの犠牲者追悼式でも唱えられ、またJR福知山線事故など様々な犠牲者の遺族を慰める曲として社会現象にもなった。

そして、今、この曲が一人歩きして宗教界、特に仏教界に一つの波紋を投げかけている。実は、私のところにも、年初からこの曲の歌詞には亡くなった人が「私はお墓にいません」とありますが、と問われる人があった。

中外日報5月8日付社説「千の風の曲が宗教界に響く時」には、「死者は墓にいないで風になっているというのだから、葬儀の脱宗教化と、どう結びつくであろうか」とある。

また、ある宗派の研究機関の問題提起として「仏教が弘まっているはずの日本で『千の風になって』が注目されているのは仏教の教えが理解されていない、支持されていないということでしょうか」とも記されている。

短いコメントなので、その真意が計りかねるのだが、日本仏教として、お墓と亡くなった人とがどうあると考えるのかがはっきり示されていないように感じる。もしくは、はっきりと言えないのだろうか、または理論と認識が相違しているのであろうかとも思える。

それぞれに宗派によっても考え方が違い、それぞれ僧侶も考え、思いが違うのではないか。そこには、宗派の教えばかりを重んじ、本来しっかり学ぶべき仏教教理の根本が理解されていない今の日本仏教の現状を露呈しているようにも感じる。

丁度、先週開かれた國分寺仏教懇話会でこの話題が話し合われた。石仏の取り扱いに触れたときに、この「『千の風になって』の歌詞にあるように、亡くなった人はお墓にはいないのですから」と言うと、一人の方から「お墓に亡くなった人は居ないんですか」と問われた。

これまでにも懇話会では、お墓の話をしてきているので、皆さん理解されているだろうと思っていたが、ことはそう簡単ではないとこの時了解した。小さいときから、亡くなった人に会いに行こうとか、お墓に参って静かにお眠り下さいと思ってきた思いはそう簡単には払拭されないということだろう。

また昨日、近くの知人が来てこんなことを言われた。「これまでお墓参りして馬鹿を見たわ、『千の風になって』で、お墓に私はいませんって歌っているのに」と。川柳でもこの手の笑い話があるそうだ。お墓に亡くなった人がいないのだから、墓参りをしないいい口実ができたというものらしい。

はたして、このような理解でよいのであろうか。千の風に歌われているから、お墓に亡くなった人がいないのだから、お墓にも参る必要もない。実に現代的な割り切り方とも言えようか。まず、歌にうたわれているから、何事も正しいと思ってしまうことは、余りにも短絡的過ぎよう。

また、お墓に亡くなった人がいないとして、だから墓参りは必要ないというのも、いかがなものか。それでは、ここで、はっきりと仏教的にどのように解釈すべきかを述べてみよう。まず、亡くなった人はお墓にいるとはどのようなことか。

お墓に亡くなった人の心がおられるということは、仏教では生きとし生けるものは死後六道に輪廻転生するとしているのに、転生できずにこの世に未練を残したままとどまっていることだと言えよう。亡くなった人は、49日後に来世に行かれているのだから、お墓にはいない。

私たちは、この身体が自分だと思いこんでいる。だから、亡くなった人もその遺骨がその人だと思ってしまう。私たちはこの身体をもらって、生きているだけで、身体は寿命を終えたら、脱ぎ捨てて、来世に行かねばならない。

どこへ行くかはその人の一生の行いによってもたらされる亡くなった瞬間の心に応じたところと言われている。だからこそ、私たちは仏教の教えを学び間違いのない生き方をしなくてはいけない。

では、お墓にいるからお参りが必要で、いないなら墓参りは必要ないのであろうか。お墓とは、亡くなった人に仏塔建立の功徳をささげ、その功徳を回向するために建立するのである。

だから、亡くなった人がいなくても、足繁く墓に参り灯明線香花を供えて荘厳し、その功徳を来世に赴いた故人に、前世の家族として回向してあげることは大事なことであろう。

また、亡くなった人が、風になったり、雪になったりする歌詞に反響があったことで、あたかもアミニズム(自然精霊崇拝)が支持されたごとくに解する人もあるようだ。

しかし、あくまでその部分は、突然家族を亡くし心傷ついた人が、亡くなった家族は身近にいてくれるのだと思うことで、心を癒すための設定程度に理解したらよろしいのではないか。

この曲に心癒され、身近な人の死から、人が生きるということ、死ぬということをしっかりと捉え、豊かに生きていくための一つのステップだととらえればよいのではないか。

歌詞の一つ一つにこだわり、そこから現代に生きる私たちの宗教観を問うこともなかろう。それよりも、この話題から、きちんと人の生き死にについて、それがどのようなことか、ではいかに生きるべきかと語ることが先決なのではないか。

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林住期ということ <法句経を読む>

2007年05月15日 18時01分42秒 | 仏教に関する様々なお話

『森は楽し。
世人の楽しまざる所において
愛著なき者は楽しまん。
これ、快楽を求めざればなり。』
(法句経九九)

五木寛之氏の『林住期』(幻冬舎刊)という本が売れているという。だが、この林住期とは、五木氏の新しい発想ではない。インド古来の生き方に現代的な光を当て、私たちの人生を完結させるためのヒントを綴ったものだ。

インドの人々は、昔から四住期に則って人生を捉えてきた。人生の生きる糧を学ぶ学生期、家庭を持ち養う家住期、そして、家を出て森に住み教えを学ぶ林住期、さらに聖地を巡礼して歩く遊行期の四つである。

定年して仕事から解放されたから林住期なのではない。この偈文にあるように、森は街のように人々を魅了する遊興娯楽の場ではない。街の喧噪を離れ、ひと時静寂を楽しむというのとも違う。何もない森で、一人坐り思索し無想となることに楽しみを見いだせねばならないのであろう。しかし、それはそう簡単なことではないであろう。

ところで、これまでに、どんなことでも結構だが、もうこれでよい、これについてはすべて完璧になし終えた、何も付け足すことはないと思えたことがあっただろうか。

実際には、逆に何事も不十分、不完全、心残りの連続ではなかったか。しかし、それこそが無常。世の中とはそのようなもの。すべて移ろいゆくが故なのだと、もし達観するなら、その人は既に愛著を離れた林住期の住人と言えるのではなかろうか。

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寺院とはテーマパークか?

2007年05月10日 19時31分07秒 | 様々な出来事について
お寺とは何だろう。何度となく、ここでも書いてきたように思う。先だって京都の三千院に参詣し、往生極楽院にお参りした。そのときおられた天台宗のお坊さんが一席の法話の中で、誠に軽妙に面白可笑しくお話しされた。

「このお堂は、平安時代に造られたテーマパークで、阿弥陀浄土を体験していただく、つまり、いま流行のバーチャル・リアリティを実感してもらうための空間なんです」と。

なるほど、おもしろいことを言うと感心した。確かに、日本の仏教は、と言うか、大乗仏教においては、寺院とは、仏菩薩の近くにはべり、その境地の法悦を味わう場であったであろう。だからこそ、沢山の仏たち、如来や菩薩、明王という尊格がおびただしく創られていった。

沢山の仏塔が建立され、そこに正にお釈迦様がおられるかのように思ってお参りした。そして、沢山の仏像が造られ、さらに曼荼羅という仏の世界を表現したビジュアルによって瞑想を強化する装置も発展していった。さらに声明などの音楽によって、仏の世界の音も体験できるようになる。寺院はそれらがすべて揃った空間の中で、仏と対面し、仏の世界に誘い、仏の世界を体験させる場であったのであろう。

また、街の喧噪からひとたびお寺に入ると、外の音は聞こえてきても、心安らぐ癒しを与えてくれるところがお寺、ないし教会とは言えまいか。昔、インドにはじめて行ったとき、カルカッタの喧噪の中で、ひと人ひと、車やリキシャの群れ、汚れた空気と騒音に疲れたとき飛び込んだキリスト教の教会の静寂のありがたさを思い出す。重い荷物を置いて、手を合わせるわけでもなかったが、静かに椅子に腰掛けるだけで、心安らいだものだった。

ところで、昔友人に、音楽で飯を食っていこうと志した人がいた。ある先生に弟子入りしたところ、素人で歌を習っているときにはとても親切で優しい先生だったのに、本格的にプロになるためにひとたび弟子入りしたら、途端に態度から教え方まで豹変して、まったく人が変わったようにスパルタで厳しくなってしまったという。それでとうとう音を上げて止めてしまったという話を聞いたことがある。

素人の世界とプロの世界とは、そうしたものだろう。どんな業種でも同じことが言えるのではないか。それはお寺であっても同じことではないだろうか。だから、冒頭に述べたように「お寺とはテーマパークで、バーチャルリアリティを体験する場」というのも結構だが、それはあくまでも、素人の世界の話であろう。

プロの世界ではどうかといえば、やはり、昔平安時代にそのお堂を造り修行された真如房尼の、50日間もひたむきに念仏を唱え横にならず歩き通し念仏する常行三昧行を修した姿勢こそが本当のものだろう。若くして亡くなった主人の菩提を願って、ひたすら念仏を行じた厳しさこそ、プロの世界ではないか。

お寺とは、一時の安穏、静寂、癒しの場であると同時に、やはり、一人一人のさとりを求めた修行の場としての厳しさが求められているのではないかと思う。以前チベットのあるリンポチェが高野山に参詣され、山内で二カ所だけ神聖な場があると言われたという。その二カ所とは、弘法大師の御廟前と専修学院という僧侶養成所である。

奥の院と言われる大師の御廟は、ひたすらに何事かを願い参詣する人が後を絶たない場である。また専修学院は、新しく僧侶になる人たちが真剣に修行を重ねる場である。だからこそ神聖なのではあるまいか。

お寺に参詣する人は、仏に帰依してひとときの安らぎを感じて帰るときもあれば、ときに、厳しく己を振り返り、これでよいのかという懺悔の心を、そして、これからどうあるべきかという葛藤の末に、こうあるべきとの誓願を起こし、仏教を実践する場として寺院を捉えて欲しいと思う。

加えて、僧侶は、一分一秒に抱く心の持ちようも業になり、輪廻の業因となることを考えれば、寸時を惜しんで自らの心に気づいていることが求められているのであろう。修行は本堂の本尊様がされていますでは話にならない。

余計なことに心遊ばせ、悪業を重ねることなく、それこそプロとしての姿勢を常に保つことが、誠に難しいことではあるが、それが寺に住まう者としての本来のマナーなのかも知れない。

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お墓という難問

2007年05月06日 09時08分37秒 | 様々な出来事について
人は人に言われたことで、心乱し思い悩み、右往左往してしまう。言われた内容によっては安心し自分の思い違いに気づき、行いを正してもいける。しかし人は思いの外、評判や周りの人の口車に乗りやすく、一度思いこむとなかなか素直に忠告を受け入れることは出来ないものである。

昨日ある方が見えて、二つある墓を一つにしたいと言ってこられた。事情を伺うと、お墓とは何かも、そのお墓のこともよくご存知でないと思われたのでお話した。

伺っていると、どうやらある人から亡くなった人が寂しがっていると言われたという。まるで50年も前に亡くなった人が二つに分かれて、墓所にない方の戒名を刻んだだけの分骨もしていない石が意思を持っているように思われているようだった。

言った人は無責任なもので、言われた人がどれほど思い悩み苦しんでいるかも分からずに勝手なことを言う。それでお金まで取っている人もあるなら、それは生活のために人を不安がらせ不幸にして、自分の生活の資にしているのであるから、大変な悪業を重ねていることになろう。

ともかく、お墓に亡くなった人がいるのであろうか。「千の風になって」ではないが、お墓に私は居ませんという歌詞は正しいのではないか。もしもお墓にその亡くなった人の心が残っているなら、それは地縛霊とでも言うのであろうか、来世にも行けず今生に執着し不成仏霊となっていることを意味していよう。

もちろんこの場合の成仏とは、お釈迦様のような悟り、阿羅漢果を成就したという意味ではなく、来世に行ったという意味であることにご注意いただきたい。日本で人が亡くなって成仏されましたという場合の成仏は、仏教要語としての成仏ではないことを私たちははっきりと区別すべきであろう。

話を戻すと、つまり亡くなった人が普通に亡くなり、きちんと葬送の儀礼をなして、亡くなった人の心が身体の束縛を離れてもなおその場に留まっているとは考えにくい。もしもそうならばもっとはっきりした形で、まだ居ることの意思表示をして来るであろう。

昔、高野山にいたとき、多くの修行僧の中には、霊がみえる人が何人かいた。それらの霊は修行中に亡くなってその場にとどまり、来世に行けずにいる霊たちだったようだ。時折、晩に寝ている私たちを見に来ていたとのことで、そういう晩には、夜中寝苦しく、その部屋で寝ていた者全員が起きてしまったりしたものであった。

ではお墓とは何かと言えば、それは、仏塔という仏教のシンボルを建立して、その功徳を亡くなった人に手向けるためにある。そこに日本では戒名を刻み、下に遺骨を埋葬する。戒名を刻むから、またそこに何かあるようにも思えてしまう。

遺骨が埋葬されていないなら、なおのこと、何も刻まずに、五輪であるとか、地蔵尊を刻んでいたら、そう亡くなった人の思いを残すこともないのかもしれない。今回の場合、戒名だけが真ん中に刻まれていたがために余計にそう思えたのであろう。

昔は地方によって違いはあろうが、埋葬墓と供養墓が別々の場所にあった。土葬でもあったためか、なるべく埋葬墓は遠くに造り、供養墓はよく参れるように近くに造られた。

その当時はお墓が二つあるのは当たり前のことで、今でも、何カ所にもお墓がある人もあり、また各宗派の本山に分骨する人も多い。だが、そうした人たちも、亡くなった人が別の所で寂しがっているとは思っていないであろう。

仏塔であるお墓は、きちんと仏教のシンボルとしてそこに存在していることが功徳になるのであるから、清掃し荘厳されているのが良いことで、仏塔に線香灯明を供え手を合わせるのは供養としてなされる。善行であることに間違いはない。

だからお墓に参るのであって、そこに亡くなった人がいるから参るのではない。だからといって、勿論、私は千の風になっていると思っているわけではない。その仏塔の功徳を再確認して回向し、来世での安穏を祈るために参るのである。

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大法輪6月号掲載 『死を見つめる修行』

2007年05月04日 20時31分12秒 | 仏教に関する様々なお話
(この原稿は、大法輪誌6月号特集「死についての教え」掲載文です。仏教の生死観、いま死から学ぶことの二部構成、素晴らしい内容の特集記事満載です。是非お買い求め下さい)

『死を見つめる修行』

人は身近な人の死に遭遇することで、命のはかなさを思い、死とは何か、生きるとは何かと問いはじめます。

中学生の時友人をガンで亡くした私も、その思いをひきづりつつ成人し、仏教に関心を深めていきました。そして死して人は来世に生まれ変わる輪廻の教えを知りました。それによれば死とは、来世への新たな誕生と言い換えることができます。

ですが、来世には六道という地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六つの世界があり、生きとし生けるものは生前になした行いに応じた世界に赴くのです。

どの世界に再生するかもわからず、何度も生き死にを繰り返し、そのいずれに転生しても苦しみがついてまわります。この苦しみ多い生死輪廻の世界から抜け出す、つまり解脱しない限り、何のわずらいもない束縛のない真実の幸せにいたることはありません。

だからこそお釈迦様は出家し、過酷な苦行を何年も重ねたすえに、静かに坐り瞑想されたのでした。そして自身の過去世を如実に見られ、生きとし生けるものが業によって輪廻する様子をご覧になり、そしてすべての煩悩を断じ悟られました。

私たち凡夫には、解脱に一歩でも近づくために、悪をなさず功徳を積み心を清める生き方が求められています。つまり生きるとは、功徳を積むためにあると言うことができます。

お釈迦様がお説きになった様々な修行法は、まさにそのために用意された、功徳多い行いであると言えましょう。

不浄観について

ところで、お釈迦様は、出家の弟子たちには修行の場として静寂な森林や山、洞窟や樹下に加え、墓地で瞑想することを勧められました。

当時の長老方の詩を収録した『長老偈(テーラガーター)』には、死体置き場で女性の死体が投げ捨てられ放棄されて、ウジ虫がみちみちて喰われている様子を観察し、世をいとい、解脱にいたった長老の話が登場します。

そして、タイなどの上座仏教国では、今日でもこの死体を観察する不浄観がきわめて意義ある修行と位置づけられています。タイ比丘落合隆師は『タイ・テーラワーダ仏教の不浄観(「大法輪」平成十三年三月号)』と題する小論にて、不浄観は、「自他の身体への執着から離れることによる深い禅定をめざし、さらにゆるぎない覚醒へ導こうとするもの」であると述べられています。

そしてタイでは、警察病院などの遺体解剖室には比丘はフリーパスで入室が許され、不浄観の修習がなされているということです。

慈雲尊者が説く不浄観

今日わが国では、どの宗派においてもこの不浄観が特別に修行されていると聞くことはありません。

江戸後期の学徳高き清僧・慈雲尊者の『慈雲尊者法語集(三密堂刊)』の中に「不淨觀」と題する法語があります。それによれば、当時既に不浄観を説く者も伝うる者もなく修する者も少なくなり、実に悲しむべき事だと尊者は述べられています。

尊者はここで不浄観の初門を説くとされて、
 (一)自身の姿形をよく見て身体の垢を見よ、垢を見て総身ことごとく不浄なることを知れ。

(二)身体の臭気を見よ、つまり、大小便、つば、痰、涙、肉、血、髄、膿など三十六の不浄物が臭く穢いものであることを知り、自分の身体に対する愛著を離れよ。

 (三)他者に対するときはただ肉血に対するがごとく、容姿端麗なる人に対しても藁人形のごとく、みな単なる糞嚢のごとくと見て愛著を離れ、自分の身体も他者の身体もともにただの土塊に異ならないと知れ。

 (四)この初心の境界を徹見すると、愛著を離れ、瞋恚を離れ、驕慢を離れ、この時三宝に対して浄信が生ずる。最初から古人のごとくいかずとも、しだいに煩悩微薄となり、怒りの心もなくなり、怒りを顔に出すことも口にすることもなくなる。名利に走ることなく、名誉栄冠に心奪われることもない。このように尊者は不浄観を教えられています。

慈雲尊者は、この法語の冒頭で、お釈迦様在世の折、不浄観を修した比丘が、死臭ただよう身を厭い、早く死にたくなり、他者に殺させたという事例をあげており、そうした悪弊をおそれてか、ここでは死体を観想するといった不浄観には言及していません。

因みに、日本では『大智度論』『倶舎論』などを典拠に、不浄観は九想(相)観として修されてきたようです。がここでは、南方上座仏教に伝わる不浄観を見てみましょう。

十不浄

五世紀中頃セイロンでブッダゴーサによって著された『清浄道論』(南伝大蔵経第六二巻)によれば、不浄観は「十不浄業處(十種類の不浄なる瞑想の対象)」として説かれています。

「十不浄」とは、死体が次第に変化していく様子を左記のような段階に応じて観察し、人間の肉体は不浄なものであると観て愛欲を遠離するための瞑想法です。

 (一)膨脹相・寿命が尽きて数日経ち、しだいに皮膚が膨張した死体を観想する。

 (二)青お相・皮膚が青くなり膿んで白くなった死体を観想する。

 (三)膿爛相・皮膚やぶれ膿が流れ出ている様子などを観想する。

 (四)断壊相・戦場などで切られたり、獅子や虎によって喰い裂かれた死体の切断された様子を観想する。

 (五)食残相・犬や禿鷹などにつつき喰い散らかされた死体を観想する。

 (六)散乱相・手足頭が別々に散乱した死体を観想する。

 (七)斬斫散乱相・四肢五体を斬り刻まれ散乱した状態を観想する。

 (八)血塗相・血が流れ飛び散った状態を観想する。

 (九)蟲衆相・ウジ虫が充満し這い回る様子を観想する。

 (十)骸骨相・骸骨となりはてた死体を観想する。

『清浄道論』には、この不浄観を修する場合の注意事項として、
①その場所に至りては、目にする周囲の様子を細かく観察しつつ死体を眺める。

②そのうえで、その対象である死体の十種の相に応じて色、特徴、形、身体の向き、手足頭、関節、身体の凹凸などと細かく観察し、目を閉じてもその相が違わずに現れるまで瞑想する。

③もしも、その場で禅定に入らざれば、瞑想しつつ歩き、適当な場所にて、その不浄相に心身をかたむけて座すべしと述べられています。

そして、その功徳として生死の苦界から脱しようという心が起こり、愛欲が断ぜられ瞋恚も断じ、五蓋(世俗の貪欲、悪意と怒り、沈鬱と眠り、うわつきと後悔、疑い)が捨断されて初禅に至るとあります。

一般にこの不浄観は、性欲の横溢な人に適した修行とされているようです。ですが、誰もが肉体の欲求に振り回され生きていることを考えれば、不浄観は万人にとって必修すべき修行と言えるでしょう。

こうしてお釈迦さまの時代には、多くの比丘が墓場で瞑想修行に励み、諸欲を断じ禅定を深めていきました。

死随念について

そして、仏教では他者の死を修行の対象とするばかりか、自らの死をも瞑想修行の対象としました。『清浄道論』(同第六三巻)には、十随念(十の対象を心に念じる瞑想)の一つとして「死随念」が説かれています。

死随念とは、「死、死、死だけがある」と観念する瞑想のことで、具体的には次のような八種の修習法が解説されています。

 (一)生まれた者には必ず死が訪れる、生まれた瞬間から老死がともない、生きることは瞬間瞬間に老い死に向かいつつある現実により自分の死を観想する。

 (二)権勢を誇る人も、健康な人も、病気になり老衰し死にいたる。どんなに盛んなるものもいずれ死の凋落にいたることから自分の死を観想する。

 (三)富める人も、名声ある人も、たとえ智慧あり悟った人であったとしてもついには病気になり死ぬように自分にも死が訪れると自分の死を観想する。

 (四)多くの病気を起こしたり、外部からの危害を受けて、死にいたる身体は、多くの人と共通することから自分の死を観想する。

 (五)命あるものは、呼吸、睡眠、気温、環境、食事などが適度になされなければ忽ち死にいたる。このように命とはもろいものであると知ることから自分の死を観想する。

 (六)いつまで生きられるか、どんな病気になるか、どこで死ぬか、死して六道のどこへ転生するかもわからない不確定なることから自分の死を観想する。

 (七)長命であったとしても百歳内外にすぎない、寿命は誠に短いものであり、人の命に限りあることから自分の死を観想する。

 (八)一切の生けるものの命は、心が刹那刹那に変化するがごとく、連続して無数の生死を繰り返している、その刹那の短いことから自分の死を観想する。

このように死随念を修すると、無常・苦・無我を理解し、生きることに対する執着が無くなり、悪事をせず欲に溺れることもない。いつ死が訪れても戦慄せず怖れもなく、不益なことに心が向かうこともなくなると教えられています。解脱に至らない場合には、来世で天界(道)に生まれるともあります。
 
このように他者の死、自分の死を瞑想することによって、なにごとも移ろい変化し滅していく理を、つまりは無常という真理を身を以て知り、輪廻の因となる生きたいという執着を滅し尽くすことに専念できるようになるのです。

私も、解脱に一歩でも近づけるように、この功徳多い不浄観、死随念を心して修したいと思います。

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