住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

阿修羅展と時代の波

2009年12月06日 11時29分12秒 | 様々な出来事について
今年も終わろうとしている。あと何日寝たらお正月なのかもわからないが、月日の経つのだけは早く感じる歳になってしまった。一年があっという間だった気がする、特に今年は様々なことで、選挙の年でもあり、世界経済の動揺した年でもあった。誠に目まぐるしい一年間ではなかったか。そして、仏教界では、阿修羅に始まり阿修羅に終わった一年ではなかったか。

東京国立博物館での入場者新記録を打ち立て、80万人もの拝観者があった。九州国立博物館でも同様の人気。さらにお堂で見る阿修羅像展でも、特設の仮金堂で多くの仏たちの中心に置かれてお祀りされた。そもそも、お堂の端に傍らに置かれて、そう特別に関心を持つ人もなかったと聞く。

それなのになぜ今年ここまでの人気を博したのであろうか。ずっと疑問に感じていた。入場するだけでも2時間待ち、さらに数珠繋ぎに牛歩の歩みで、前の人とぶつかりながら窮屈な思いをして、博物館職員の誘導で順次移動させられながらの拝観だったと聞く。なぜそこまでして阿修羅だったのか、何が人々の心をそこまで引きつけたのかが疑問だった。

そもそもこの阿修羅とは何か。様々な資料を拝見しても、それぞれでこれといった見方が分かれる存在でもある。時代によっても、引いてくる文献によっても変わってくるようである。修羅場、阿修羅の如く、などと言われるように、争い、怒り、戦いの象徴としての阿修羅という印象がある。六道に輪廻する中で、人界の下に置かれてもいる。

ここで、興福寺のホームページでの説明を見てみよう。

<転載>
阿修羅像(あしゅらぞう)【制作時代】 奈良時代 【安置場所】 国宝館
【文化財】 国宝 乾漆造 彩色 奈良時代 像高 153.4cm

 『梵語(ぼんご)(古代インド語)のアスラ(Asura)の音写で「生命(asu)を与える(ra)者」とされ、また「非(a)天(sura)」にも解釈され、まったく性格の異なる神になります。ペルシャなどでは大地にめぐみを与える太陽神として信仰されてきましたが、インドでは熱さを招き大地を干上がらせる太陽神として、常にインドラ(帝釈天)と戦う悪の戦闘神になります。仏教に取り入れられてからは、釈迦を守護する神と説かれるようになります。
 像は三面六臂(さんめんろっぴ)、上半身裸で条帛(じょうはく)と天衣(てんね)をかけ、胸飾りと臂釧(ひせん)や腕釧(わんせん)をつけ、裳(も)をまとい、板金剛(いたこんごう)をはいています。』

つまりインド世界では、西域から来たペルシャの太陽神・阿修羅はインドの神々に対抗する勢力であり、それらと対峙する者であった。だから悪の戦闘神だった。特に帝釈天と何度も戦い、帝釈天に負けても負けてもよみがえって戦闘を繰り返したところからも、戦さの神、争いを好む者という位置づけがなされたのであろう。

A・スマナサーラ長老の御著作『死後はどうなるの?』(国書刊行会)では、阿修羅は、神々の一種ではあるけれども、亜流、与党に対する野党のような存在だと記されている。

人間界の存在のように物質としての身体を持つことなく、霊的な存在ではあり、それは神と同等ではあるのだけれども、インドの主流をなす神々とは一線を画す存在。政界の中で同じ国会議員ではあるけれども、与党と野党が常に相争い抗争するのと同じような図式にあるという。

そう読み返してみたら、あることに気がついた。今年は、将来何十年か先には歴史に残る年として記憶されるべき年であったと。8月末の衆議院選挙において、正に、国民一人一人の一票によって、はじめて政権交代がなった。万年野党と言われていた戦後50年以上も野党であった人たちが選挙という民主主義の根本によって政権選択を果たした。与党と野党の戦いの中で今までの野党が世間の明るみに登場した。

正にその年に、春先から阿修羅が人々の関心を集め博物館に足を運ばせた。阿修羅は万年野党であった。お堂の隅でずっとこのときを待っていたのかもしれない。そして、仮金堂では中心に据えられた。同じように万年野党であった人たちが政界の中心に躍り出て、いま日本の国の改革を実行せんとしている。全く違う分野のことではあるけれども、そこにおもしろい符合があったのではないかとも思える。

官僚任せの政治を改め、予算も積み上げ方式を見直す。事業仕分けによって予算の無駄を排除する。もちろんいいことばかりではないだろう。様々な問題点がこれからも浮上するだろう。そして、多くの抵抗勢力からの邪魔もあるだろう。しかし、国民の選択によってなった政権としての重みを私たちはもっと認識しなければいけないのではないか。マスコミも司法検察もそのことを改めて考える必要もあるだろう。

人々の世の中を見る目が、物事を選択する尺度が少しずつ変わってきたのではないか。単なる個性化とも言えない、独自に考える、同じものを見ても自分はこう思う、引かれた路線上には乗らない、様々な情報が何を言わんとしているのか、どこへ誘導しようとしているのかというところまで考える人々が増えてきた証であろう。だから仏や菩薩ではない阿修羅だったのではないか。

仏教に対しても、厳しい見方をする人々が増えてきている。本来どのようなものか、自分たちには何が必要か、何をしてくれるのか、こうした観点からの淘汰がこれから行われていくだろう。仕分けされる時代が来るだろう。私たちにとっては、本来のもの、根本のもの、世界の人々との共感、これらの充電こそが問われる時代が到来するであろう。外国人の住職が現れだしたと言われる。時代はすぐそこまで迫っているのかもしれない。

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コメント (6)
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