住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

2/26越智淳仁先生・教学研修会講義に学ぶ

2015年02月27日 16時02分29秒 | 仏教に関する様々なお話
昨日大覚寺派中国教区の教学研修会が催され、高野山大学名誉教授越智淳仁先生による密教の視点から般若心経の核心に迫る講義を受けた。平成16年に大法輪閣から出版された「密教瞑想から読む般若心経」に基づいた話ではあったが、その話の端々にはほぼ半世紀にわたり研究研鑽なされなければ得られない奥深い話がちりばめられ、誠に有意義な時間であった。お釈迦様から密教に至る教えの中から現代にも通じる教えの要点を二時間半に凝縮してわかりやすく解説して下さり、書物を渉猟してもたどり得ない得難い話の数々であった。

はじめに、日本での般若心経の功徳について話があった。心経にはいくつもの訳があり、玄奘訳の前に支謙、鳩摩羅什の訳があるが、それらは般若波羅蜜呪経、般若波羅蜜多大明呪経といった。心を入れた般若心経を翻訳したのが玄奘三蔵であるが、彼が聖典を求めて西域を通ってインドへ歩を進めるときに、魑魅魍魎に出くわして唱えたのは観音経であった。しかし、観音経は効き目なく、そこで般若心経をサンスクリットで唱えると、たちまちにそれらは退散したという。つまり心経には、怨霊を封じる功徳がある。

耳無し芳一の話の中で、平家の怨霊の前で夜ごと琵琶を弾く芳一の身を案じ書かれたという経文は何かと言われるが、今日では心経であったと分かってきた。怨霊から身を守る効能がある。また死者の枕経の際に、東北地方では千巻心経を唱える風習があり、死者の罪障がすべて消えてなくなると信じられている。村中の人が集まり一晩中心経を唱えるという。

ところで、信には二つあり、純粋に神仏がありがたいという信仰としての信があり、知識に裏付けされた信仰としての信がある。後者は僧侶にとって不可欠であるけれども、一般の人々による純粋な信仰心は大切にする必要がある。大日経の中にも、一般の人々の信の中に仏はあり、最高のものであって、それをこそ礼拝すべしとある。

紀元前後に八千頌般若経ができ、心経は四世記頃に出来たと言われている。

次に心経の経題についての話があり、心経の経題の仏説とはどうしてつけられたか。心経には小本と大本があり、大本にあるように、お釈迦様の瞑想中の加持力によって、それが頭頂に入った舎利弗と口に入った観音菩薩とが問答する形式になっている。つまり心経はすべてお釈迦様のムネにある悟りの境地を舎利弗に質問させ観音菩薩に説明させたのが心経であるので、仏説とされた。

摩訶は、大・多・勝の意で、勝れたもの。般若は智慧、波羅蜜多はパーラミタ彼岸に渡ることとされるが、密教としては、叡智の完成を成し遂げた女神、偉大なる般若仏母を指す。

心経の心は、胸、体の中心、心臓のことである。法身大日如来というが、法身とは、法は教え、説法、身はかたまり、本体のこと。初期仏教では、お釈迦様の悟りの集合体のことであった。心経の心は、フリーダヤというサンスクリットを訳した言葉で、中心という意味ではあるが、お釈迦様の教えの中心、それは心(ムネ)にあるものである。そこから口に出るものが説法であり、法身説法はお釈迦様の時代からあった言葉である。

釈迦滅後、お釈迦様の身体は荼毘に付されたけれども、法身は三劫に法界に遍満していると考えられ、一つのかたまりとなって、それは身口意の教えとなり、三種の曼荼羅として象徴される。お釈迦様の滅後、大智度論中の仏伝によれば、ムネにあった法身は、法界に遍満して、それはシッダルタ義成就菩薩とサルヴァルタシッディ一切義成就菩薩が生み出される。シッダールタは、お釈迦様の出家前のお名前で、父王がこれで願いが叶ったと慶び名付けた名前である。サルヴァルタシッディは、すべての国民の願いが叶ったという意味で、金剛頂経に説かれる五相成身観では、この一切義成就菩薩が悟り大日如来になる。釈迦と大日は同じか別かとの議論があるが、お釈迦様と大日如来は一緒のものと見て間違いない。

仏教では心に二つあり、チッタとフリーダヤであり、頭でものを考えるチッタに対し、フリーダヤはムネに感じるもののことである。心経中にある、心呪とは、真言のことだが、般若心経の種子チクマンのあるところがフリーダヤ・ムネであり、それが心真言であり、その心真言について説くお経が般若心経であるとするのが弘法大師の心経解釈である。通常はこの経題にある心とは真髄や中心との意味から、心経は般若経六百巻のエッセンスを説くものだとするが、密教ではそのようには解さない。

経、スートラは、貝葉による最初期の経典は長い貝葉(棕櫚に似たターラの葉に鉄筆で文字を彫った、幅7~8センチ、長さ60センチ)の左右の中央に穴を開け糸を通して閉じたものである。そこで中国ではスートラを経、つまり縦糸と呼んだのである。しかし、世界で最古の貝葉と言われる法隆寺に残る貝葉の中の心経にはスートラの文字がない。それは心経とは経ではなく一つの陀羅尼、瞑想法としてあったからである。ところで、弘法大師の『般若心経秘鍵』には、心経は14行とある。近年西安の青龍寺から出土した石仏の裏に心経が書かれてあり、それは19文字14行となっている。

また、心経の解釈には、空とは何か、色即是空とは何かということがつきものではあるが、空をいくら探し回っても分からないものであり、悟りとは何かと探し回り探し回るとき、とらえられずに、一歩後退したらそこにあったという話もある。「おさなごの しだいしだいに 智慧つきて 仏に遠くなるぞ 悲しき」という古歌にあるように頭の中で考えて到達できるものではなく、それは自ら静かに修する瞑想の中に見いだされるものであるという。

かつて吉野に旅した一休禅師が、山伏から短刀を突きつけられ、空とはいずこにありやと問われたとき、この胸にありと答えたところ、刀を振りかざされ、「春ごとに さくや吉野の 山桜 木を割りて見よ 花のありかを」と古歌を口ずさんだという。空とは探し求めるものにあらずということであろう。

そして、弘法大師の『般若心経秘鍵』に関する解説がなされた。

「チクマンの真言を種子とす」後に述べるように、心経は密教の瞑想法として大師は解釈を進めるにあたって、初めからその主尊である文殊菩薩と般若菩薩の種子について述べられている。文殊菩薩と般若菩薩は共に共通の種子として、チクとマンをインドの般若心経系の瞑想法に用いていたという。弘法大師が唐に留学した際には漢訳されたもので心経の瞑想法にはマンを種子とするものはなかったという。しかし、恵果和尚に入門する前に、インドの学僧・般若三蔵についてサンスクリットを学ばれたときにおそらく耳学問として、マンを種子とするインドの般若経系の瞑想法について学ばれていたであろうとのことであった。

「それ仏法遙かにあらず心中にして即ち近し」悟りとは心の外、遙か彼方にあるとされてきた。しかし、お釈迦様は成道前に四魔を降伏する。その四魔とは、心悩ます煩悩魔、身心を苦しめる陰魔、死の恐怖をもたらす死魔、善行を妨げる天子魔のことであり、それは本来の清らかな心を覆っている魔であるのだから、それは心中で四魔を降伏して悟りを得たことに他ならない。

心経の大意として、「大般若波羅蜜多心経といっぱ即ちこれ大般若菩薩の大心真言三魔地法門なり」とあり、心経とは般若菩薩の偉大なムネにある真言の瞑想の教えであるという。行者のムネにある般若仏母の心真言を説き、般若仏母の曼荼羅を観想し瞑想し悟りを得る教えこそが心経であるとする。

秘鍵は心経を五つに分けて、弘法大師による独特の解釈を加えていく。

「観自在菩薩から度一切苦厄まで」が①人法総通分であり、行者観音菩薩とその般若波羅蜜多の真理の教えについてまとめて示した部分のことである。

「色不異空から無所得故まで」が②分別諸乗分であり、この中に五つの内容がある。「色不異空から亦復如是まで」が華厳、「是諸法空相から不増不減まで」が三論、「是故空中無色から無意識界まで」が法相、「無無明から無老死尽まで」が二乗(声聞縁覚)のうち縁覚、「無苦集滅道」が声聞、「無智から無所得故まで」が天台の各々の教えにより導く悟りの境地が示されているとする。それらは、二乗を除いてそれぞれ、普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、観自在菩薩という金剛界曼荼羅中台八葉院の四菩薩に該当し、それら悟りの境地を表したものであるとする。

「菩提薩埵から得阿耨多羅三藐三菩提まで」が③行人得益分であり、この心経から得られる利益について、先に述べた華厳、三論、法相、縁覚、声聞、天台の六つに、真言の行者を併せ修行者に七つの別があり、教えの違いによってそれらは四つに分けられるが、そうして悟りの因をもともと持っている菩薩が般若波羅蜜多の瞑想法によって、悟りを得て、煩悩の火が消え悟りの涅槃に入る利益が示される。

「故知般若波羅蜜多から真実不虚まで」が④総帰持明分であり、心経の悟りの境地を説く。大神呪は声聞の真言、大明呪は縁覚の真言、無上呪は大乗菩薩の真言、無等等呪は密教の菩薩の真言の名前を指しており、それらはその本質として真実にして虚しからず、作用として唱えればすべての苦しみが除かれるので、自ずから悟りの境地はそれぞれの真言に含まれているとする。

「故説般若波羅蜜多呪から菩提薩婆訶まで」が⑤秘蔵真言分であり、最後の真言の部分を指す。最初のギャーテイは声聞が修行して得た悟りの果を賞賛するもので、第二のギャーテイは縁覚、ハーラーギャーテイは大乗の、ハラソウギャーテイは、密教の瞑想で得たマンダラの悟りの世界を賞賛し顕現させる真言であるという。そして最後のボージソワカは、声聞から密教の行者に至るすべての者達が究極の悟りに入った悟りを表すとされる。そしてこの真言の部分こそが最も心経中で大切な中心であり、この真言だけ唱えても功徳あり何度も唱え祈念すべきものであるという。出来れば下にあるように日本なまりではなくインドのサンスクリットの発音で唱えることがのぞましい。

なお、般若菩薩とは、般若経の本尊であり、智慧を本誓とし諸仏が悟りを得る際に必要とする般若の力そのもののこと。諸仏を生み出すとして仏母という。最後に般若心経は瞑想であると述べてきたが、参考までに、先生の著作の中にある「般若心経瞑想法在家用次第」の中から、要点を抜き書くと、まず般若仏母のマンダラの諸尊へ帰依し、般若仏母を観想し供養して、懺悔し、五大願を唱え、四無量心観、そして空性を学ぶとして、「オーン・ガテー・ガテー・パーラガテー・パーラサンガテー・ボーディ・スヴァーハー」と二十一遍唱えて、「すべての存在は、肉体・感覚・心に浮かぶ像・意志・認識の五つ五蘊が合わさって仮の姿をとる存在であり、実体はない」と想う。それから般若仏母を中尊に東に釈迦牟尼、南に舎利弗、西に観音、北に阿難陀を配したマンダラを観想し、月輪観、本尊般若仏母の加持、それから種子を、「オーン・マン・スヴァーハー」と百八遍唱え、最後に心経一巻を唱え、マンダラ諸尊にもとの住所にお帰りいただき終了するというもの。在家用といえどもかなり煩瑣な内容に思える。

以上、昨日の講義の際に筆記したメモと先生の著作「密教瞑想から読む般若心経」を参考に昨日の講義の感激をここに記してみた。間違いもあるかもしれないがその責は浅学非才の筆者にあることを記しておきたい。




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通夜法話

2015年02月14日 14時06分04秒 | 仏教に関する様々なお話
お疲れ様でございます。○○○○様の通夜式にあたり、たくさんの皆様にお参りいただき、またご一緒に読経いただきましてありがとうございました。心中察しますに、誠につらいものがあるものと存じます。三人のお子さんたち、ご主人様、そして、お父様、お母様、ご姉妹に取り、本当に大変なこの三年間であったと。何も御力添えも出来ず、誠に申し訳なく思っております。ですが、誰よりも、つらく、悲しく、心残りなのは、亡くなられたご本人であると思います。

よく若い方を亡くしたご家族に何と声を掛けてあげたら良いのかと問われることがあります。そのようなときには、ひとたび失った命を取り戻すことは出来ません、出来ることは、その方の人生を、一生をどのように考えてあげるか、捉えてあげられるかということ。それが大切なことではないかと思います。

たとえ短い一生であっても、かわいそう、気の毒なと思うだけでなく、その方にとっては、精一杯の人生、楽しいことも、つらいことも、いろいろなことを経験されてたくさんのことを学ばれ、たくさんの人たちと出会い心を養った一生だった。私たち普通の人が七十年、八十年かかる人生を二十年、三十年で、それだけ濃く生きて、完結された。よく頑張ったね、立派だったねと、そして、来世ではもう少しゆっくり過ごして下さいと、明るい心で送りだしてあげて欲しいと思います。そんな話を致します。

人は死ぬ寸前に、三つのことが心に浮かぶものだと言われています。一つは、許しということで、だれにも後悔すること、あんなことしなければよかった、言わなければよかったと思うことがあるものです。それらを許して欲しいという心が生じるというのです。

二つ目には、記憶、自分のことを憶えていて欲しいという気持ちです。親しかった人たち、愛する人にはいつまでも自分を忘れないで欲しい。その人たちの心の中でずっと生きていたいという気持ちです。三つ目には、人生の意味ということで、自分の人生は無意味なものではなかった、価値のあるものだったと知りたいという気持ちです。

○○さんの場合も、これだけたくさんの皆さんにお見送りを受け満足されているかもしれませんが、三人のお子さん、ご主人様には、おそらくこんなに早く分かればなれにならなくなって、もっとずっと一緒に居てあげられなくてごめんなさいという気持ちがあるのではないでしょうか。どうかそのことを許してあげて欲しいと思います。

そして、いつまでも、みんなの心の中に生きているよ、忘れないでいますと語りかけてあげて欲しい。三十八年という人生は決して十分なものではなかったかもしれませんが、たくさんの人に、また、たくさんの子供たちに優しい心を施してあげた立派な人生だったよと、そういう思いで手を合わせてあげて欲しいと思います。

明日は、既にここに戒名が書いてありますように、戒律を授かっていただき、様々な作法の伝授をして、仏教徒としてお見送りを致します。明日はあと二人のお寺さんが来て読経して下さいます。どうか明日も宜しくお願い致します。

それから、私たちもいずれ、何十年か先には同じように、皆さんから手を合わされる立場になります。今日明日のこの機会に人間が生きる死ぬということ、先ほど申し上げた人生の意味というようなことを少し考えていただくことで、○○さんの三十八年を皆さんの人生に生かしてあげて欲しいと思います。以上でございます。お疲れ様でした。


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四国遍路行記36

2015年02月11日 14時43分22秒 | 四国歩き遍路行記
道照寺を後にして、車に乗り込み、第七十八番郷照寺へ。県道二十一号線を北に進む。歩けば二時間もかかるところを二十分ほどで送り届けて下さった。尼僧さんはそのまま善通寺にお帰りになり、一人参道から山門をくぐった。

郷照寺は神亀二年、この地を訪れた行基が55センチほどの阿弥陀如来像を彫造して本尊として道場寺と称した。その後、大同二年(807)に弘法大師が訪れ、仏法有縁の地であると感得し、自らの像を彫造して厄除けの誓願をされた。この木造の大師像は「厄除うたづ大師」と呼ばれ地元の人々から崇敬されているという。

京都・醍醐寺の開山として知られる理源大師(聖宝・832〜909)がこの寺に籠山し仁寿年間(851〜54)修行した。また、浄土教の理論的基礎を築いた恵心僧都(源信・942〜1017)が霊告を受けて釈迦如来の絵を奉納し、釈迦堂を建立したとされている。

さらに、仁治四年(1243)には『南海流浪記』の著者である高野山の道範阿闇梨が流罪となったとき、この寺を寓居とした。道範阿闍梨は、堺の船尾で生まれ、17歳で出家。高野山正智院に住み、金剛峯寺の執行として高野山の中心人物となった。新義派の祖である覚鑁上人が根来へ高野山から下りて百年あまり後、根来寺と再度不和になり根来伝法院を高野山僧徒が焼いたことの沙汰として讃岐へ流され、六年間滞在した。

また、時宗の開祖となる一遍上人(1239〜89)が正応元年(1288)に3ヵ月ほど逗留して踊り念仏の道場を開き、以来この寺には真言・念仏二つの法門が伝わることになる。後に郷照寺と改めたのは寛文四年(1664)高松初代藩主・松平頼重公のときのことで、寺名とともに時宗に改めている。重層の本堂に詣り、大正時代に再建さけたという大師堂で心経を唱えた。

山門を出てもお迎えはない。とぼとぼ車で来た道を東に歩く。大束川を渡り、JR予讃線の踏切を越えて、国道三十三号線をさらに東に進む。今では瀬戸中央自動車道の高架になっているあたりはその頃工事中で、そこからさらに一時間ほど歩くと、道沿い左に、第七十九番天皇寺の赤い鳥居が見えてきた。

天皇寺は高照院として銘記されてきた。この地は元々日本武尊が悪魚退治にやってきて、その悪魚の毒で八十八の兵士とともに倒れてしまったとき、横潮明神が泉の水を持ってきて飲ませたところみな回復したと言われ、以来その水は八十場の泉と呼ばれてきた。弘法大師が巡錫の折にも、その泉のあたりで霊感を感じ、近くの霊木で十一面観音を刻んで、堂宇を建立して安置、摩尼珠院と号した。脇侍として阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を彫造。この本尊の霊験著しく、境内は僧坊を二十余宇も構えるほどであったという。

保元元年(1156)7月、皇位継承に不満を持つ崇徳上皇が摂関家を巻き込み、源氏平氏ともに敵味方となって戦った保元の乱に敗れた上皇が流された先がこの地であった。上皇は阿弥陀如来への尊崇が深く守護仏とされていたが、長寛2年(1164)御寿46年で崩御。二条天皇は、上皇の霊を鎮めるため崇徳天皇社を造営し、また、後嵯峨天皇の宣旨により永世別当職に任じられ、現在の地に移転した。明治新政府の神仏分離令により摩尼珠院は廃寺となったが、天皇社は白峰宮となって摩尼珠院主が落飾して初代神官となった。明治20年、筆頭末寺の高照院が当地に移り、金華山高照院天皇寺として今日にいたっているというまことに複雑な縁起をもつお寺である。

鳥居をくぐり、正面に白峰社があり、その左手に江戸時代再建という本堂と大師堂がある。ゆっくりと理趣経、心経をそれぞれにお唱えして、ベンチでお弁当を開いた。善通寺の宿坊のおばちゃんが作って下さったお弁当。釈迦堂の尼僧さんが一声添えて下ったものだろう。ありがたくいただく。

そして、重たいお腹を抱えるように歩き出す。次なる第八十番國分寺も、六キロほどの距離である。予讃線が見えたり隠れたりしながら、予讃線国分駅からすぐ先に國分寺が見えてきた。山門には見事な松が垂れている。境内全域が讃岐國分寺跡として特別史跡に指定されているという。奈良時代の建物の礎石が並ぶ中、正面の本堂へ進む。本尊千手観音様のお姿を偲び経を唱え、納経所の横から多宝塔形式の珍しい大師堂を拝んだ。


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『神さまがくれたひとすじの道』をいただいて

2015年02月11日 12時26分37秒 | 仏教書探訪


一冊の本が送られてきた。いんやくりお君のつぶやいた詩をお母さんが綴って解説した本である。りお君の本は二冊目。三年ほど前に、『自分をえらんで生まれてきたよ』が出版され、生まれる前のこと、なんで生まれてきたのか、どのように生まれてきたのかを紡ぎ出した本として、好評を博した。この度の新刊は、四歳から十三歳までに語った言葉の収録である。


いんやく・りお 2001年8月18日、東京生まれ。不整脈のため、34週で緊急帝王切開により誕生。3歳でペースメーカー埋めこみ、10歳でカテーテルアブレーション術をおこなう。慢性肺疾患、喘息により、9歳まで在宅酸素療法。歌、犬、だじゃれが大好き。2011年3月、沖縄に移住。
内容紹介 震災のこと、沖縄への移住、三線との出合い、そしてつながりゆく人生の「すじみち」……。
あのベストセラー『自分をえらんで生まれてきたよ』から2年、りおくんがふたたびつむぎだす〝いのちのメッセージ〟を、前著同様、高橋和枝さんの美しいイラストともに編み上げました。より深く、より濃密に、言葉の一つひとつから生きることのすばらしさが、あざやかに浮かび上がります。
内容 震災のこと、沖縄への移住、そしてつながる人生の「すじみち」。“りおくん”がふたたびつむぎだす“いのちのメッセージ”!『自分をえらんで生まれてきたよ』シリーズ第2弾!


http://blog.goo.ne.jp/zen9you/e/76c0885bd1ad5d3b927b79ed62a460e3

東日本大震災後、お母さんと沖縄に移住して、震災のこと、原発事故のこと、そして、沖縄でのこと、沖縄の弦楽器・三線との出会いなどについてやさしく思いが語られている。りお君の見聞し経験したことごとを、しっかり憶えていてくれていて、こうして詩の形で私たちに伝えてくれていることがとても貴重なことに思えます。そこから私たちが学び、考えさせられることも多いでしょう。私の特に気に入った詩を紹介し、余計なことかもしれませんが、それぞれについて私なりの思いを書かせてもらいます。

P73より
人生に、ほんとうは、暗いことは、ない。
暗いものも、ほんとうは、光からできている。
「暗い」と思えるのは、そこに、光があるということ。
人間に見えるものは、すべて、光でできている。
光でないものは、人間には、見ることができない。


○本当にその通りですね。暗くなっても、それは光を分からせてくれるためにあるんですね。光とは何かを知らせてくれるために暗闇がある。すべての存在には意味があり、価値がある。たとえ暗く感じるものであっても、すべてのことを大切にしよう、そこから何かが見えてくるからという積極的な心にさせてくれます。

P76より
人間の宝は、言葉、いのち、心、動き。
人生は、そのすじみちで、決まっている。
だから、後悔しないでいい。
失敗したと思っても、そこから学ぶなら、
それは、ほんとうの失敗ではない。


○ちょっと考えさせられる詩ではありますが、人間は言葉があり、細やかな心があり、それによって行動することそのものとも言えます。もちろんいのちがなければそれらも働くことはありません。それらの宝を大切にするなら、たとえ筋道が決まっていて、失敗することがあったとしても、後悔なんてしないで、そこからたくさんのことを学んだらいいというとても温かい気持ちにさせてくれる詩だと思えました。

P104より
人は死ぬと、天国に行く。
でも、そのまま天国に行くわけじゃない。
天国に行く前に、しばらくいるところがある。
地上で暮らした疲れを、いったんとって、
休む場所が、どこかの空にあるはずだ。
それは、入道雲の上にあることが多い。
ふっくらした、ふかふかの、毛布みたいな雲の上にある。
飛行機で上を飛んでも、見えないけれどね。
地上で思い切り悪いことをした人と、
いいことをして幸せを感じていた人は、
それぞれ、ちがうところに行く。
悪いことをした人が行くところは、
地獄と呼ばれることもある。
ほんのちょっと悪いことをした人は、
「まあ、いいか。天国に行け」って、
星の大王にいわれる。


○この世の生命観をとてもわかりやすく見たままを語ってくれています。お母さんのお腹に入る前に見てきたことをそのままに、天国と地獄というわかりやすい表現になっていますが、みんな違うところにその行いによって行くんだよということなのだと思います。

P110より
人間は、脱皮する。
死ぬときに、脱皮する。
脱皮したたましいは、
生きていた家庭に帰ってきたり、
ほかの人として、生まれ変わったりする。
記憶がある人も、記憶がない人もいるけど、
ここに戻ってきているのは、同じこと。


○脱皮という言葉が使われているのが面白いですね。ですが、正にそのように見えたのだと思います。みんな抜け殻としての体を置いて、生きていた家に帰ってきたりして、生まれ変わる。今生きてこうしてあるということはそういうことなんだということを語っています。過去世、死んでから生まれるまでのこと、見てきたそのままのことをそのままに表現してくれているようです。

P133より
心は、体ぜんたいにある。
皮膚の細胞より細かいところにも、心はある。
心臓、脳、骨の細胞にも、心はある。
脳が自分の気持ちを考えるときは、
脳が心といえるし、
心臓で気持ちを考えるときは、
心臓が心といえる。
足にも考える心はあるけど、
足で考えるのは特殊な技で、
ぼくには、よくわからない。


○心はどこにあるのかと、専門に学問的に研究している人もあるでしょう。仏教的には、実は、ここに綴られているように、体全体にあると考えているのです。すごいなと感心させられる詩の一つです。心とは認識することですから、体全体にそれはあると考えるのです。

わずかしかここでは紹介いたしませんが、是非、一冊手にとって一つ一つの詩をりお君の言葉を味わっていただきたい。暖かい叡智に満ちた言葉に癒やされていくことに気づくはずです。

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結衆布教師法話・みんなつながってる

2015年02月02日 12時25分53秒 | 仏教に関する様々なお話
今年の布教師法話を担当させて頂きます。宜しくお願いします。ところで、今年は、皆さんご存知の通り高野山開創1200年という記念すべき年に当たっています。お詣りに行こうという方もあるかと思いますが、皆さんにとって高野山の魅力と言えばなんでしょうか。沢山の大きな伽藍も言うに及ばずではありますが、お大師様の御廟・奥の院に続く戦国大名から庶民に至る多くの五輪塔群ではないかと私は思っています。

高野山は今でこそ立派な建物が林立していますが、開創当時はたいそう寒いところなので今のように暖をとれず、冬には下山したり、一山の僧がみんないない時期もありましたし、雷で建物が焼けて復興できず、荒廃したままの時期もありました。そうしたときに、もちろん貴族や有力豪族からの寄進もありましたが、高野聖と言われる半僧半俗の行者たちが全国を回り高野山、高野浄土、密厳浄土に納骨することを勧め資金を募っていきました。

平安末期から鎌倉室町には高野山でも称名念仏が行われ、念仏聖たちの別所と言われる集団が大きな勢力を持っていました。不断念仏と言って、一日中、毎日念仏を唱える別所もありました。それが江戸時代になると各国の大名が先代当主の供養のために大きな五輪塔を建てる風習となり今日に見るような沢山の五輪塔群となって、世界遺産にも登録されたわけです。

先日も神辺霊場会の納骨塔を掃除にまいりましたが、灯籠堂の脇にはお堂を作るときに下から出てきたおびただしい数の小さな一尺ほどの塔を山積みにしています。なぜそのように沢山の人たち、名も無き庶民たちまでもが高野山に納骨したのかと考えると、やはり昔の人たちは私たちよりも死が身近にあった。生と死がつながったものとしてあったのだと思うのです。

どう死ぬか、死に場所を考えることは日常のことであったと思えます。今のように長寿でもない、医療も今日のようではない、だから若いうちから死はいつも近くにあったのです。信仰に対する思いも真剣なものがあったでしょうし、いかに死ぬかそれはいかに生きるかと直結するとして捉えていたと考えられます。だからとても真剣に一日一日も生きていたでしょう。無為に一日を過ごしたらいけない、光陰矢のごとし、働かざる者食らうべからずということになります。

ですが、いまの日本人は死はずっと先のこと、豊かになって何もしなくても生きていけるから、真剣さがありません。いつまでも親の所に居てごろごろしている。結婚もしないで子供も作らないということになります。インターネットの発展に、今では携帯がパソコンになってみんな近くに居ても話もしないでスマホをつついている。人と人とのつながりも分断されています。子供たちも集まって何してるかと思えば、みんな別々にゲームをしてる時代です。

生と死は分断されて、周りの地域の人たちとのつながりもなくなり、死んでも無かったことにするかのような直葬であるとか、お墓まで捨ててしまうような乱暴なことが行われる時代になっています。高野山にまで納骨したいと思った昔の人たちとは大違いです。もちろんこの神辺の人たちは違います。いざとなれば隣保や周りの人たちの世話になるということがわかっているから、地域とのつながりを大切にしています。それに周りの人たちにお世話になって今があることがわかっているから、そんなに無茶なことはありません。

ところで、仏教の教えとは何かと申せば、実は今申し上げた、「みんなつながってる」という教えです。縁起や空などという言葉を出すまでもなく、こうして話を聞いて頂いてるのも縁ですし、他生の縁によって私たちはいろいろと便宜を図られつつ生きてますね。縁なき衆生は度しがたしとも言いますが。本当はみんなつながっている、だから、みんな影響し合い、助け合い、関係しているから私たちは生きています。

一人では生きられないし、生きてはいない、だから、みんなに優しく他を思い、生きとし生けるものたちがみんなよくあるようにと生きていかねばならないという、そういう教えですね。自分だけよければいい、俺たちはいいけど、あんたたちはどうなっても知らないという教えではありません。そこが他の宗教との違いですね。根本に縁起という考えがあるから、みんな、生きとし生けるものという発想になる。

真言宗のお経、理趣経にも清浄という言葉がたくさん使われてますが、清浄とは、自と他の垣根をなくすことだそうです。仏様の智慧によって生きるなら清浄でなくてはいけない。だから自分たちだけよければよいと他を攻撃するという発想は成り立たないし、それでは世の中うまくいかないということです。今の世界情勢もそこを考えないと大変なことになってくると言えます。

今年正月の新聞に、川田順造さんという人類学者が、このつながっているんだという発想は、人類がこの地上で生き長らえ進歩し発展する上で欠かせないものだったと書かれていました。どう猛な大きな動物たちの中にあって、ひ弱な人類が生きるためには共につながりを大切にし、他と共に危険をおかし、食を獲得し、分け合い、生き延びてきたから今の人類の発展がある。人類は、過酷な自然環境の中で、他との共存、共同の中で他との折り合いをつけ、自己を抑制して精神的な成長を経て、他と助け合いしながら、今日の繁栄を見たというのです。

ですから、このつながっているという感覚、発想をもっと大切に私たちはこれからも生きていかねばならないのだと言えます。ところで、私たちは四苦八苦の人生を生きています。私も日々四苦八苦の歩みですが、四苦ですね、生老病死もつながったものとして捉えて、いつも生きることだけでなく、老病死のことを考えて生きることが大切なのだと思っています。

アメリカには救命士という制度があって、事故や災害などによって余命幾ばくかもない人の所に駆けつけていろいろと処置する人たちだそうです。ニューヨーク州の救急救命士マシュー・オライリーさんは、死の直前、人が最後に思うことには三つあると言っています。

一つは、許しを請うことです。人にはみんな後悔することや心にやましいことの一つ二つはあるものです。それらについて謝り許しを請う気持ちが沸いてくるというのです。

二つ目には、憶えていて欲しいという気持ちです。誰にも忘れ去られていく寂しさ、悲しみがあるものですが、死に及んで死後も出来れば親しかった人、愛する人たち、誰かの心の中で生き続けていたいという思いです。

三つ目は、人生に意味があったと知りたいということ。自分の人生、一生が無意味なものではなかった、しっかり生きてきた、みんなのために役に立つ、立派な、よい人生だったと知りたいのです。

いかがでしょうか。誰しもがやはり、人とのつながりを大切に思い、また自分の歩んできたことと死の瞬間までがつながって生きているとも言えます。自分だけよければいい、今だけよければいいということではいけないということですね。自と他、生と死はだからつながっている。

皆さんの周りで身近な人が亡くなろうとしていたら、是非、この三つのこと、許し、記憶、人生の意味、と憶えておいて、後悔することはないと、しっかり憶えているよと、そして、いい立派な人生だったねと話しかけてあげて欲しいと思います。そして、生と死はつながってますから、皆さんも是非このことを自分のこととして少し考えていただけたらありがたいと思います。

つながりということをテーマに今日はお話をしてみました。長くなりましたが、ご静聴ありがとうございました。




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コメント (2)
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