住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

七日参り

2006年09月21日 18時36分16秒 | 様々な出来事について
今晩も、七日参りにまいります。七日参りとは何か、知らない人もいるかもしれない。私もこちらに来るまでは、つまり7年前までは自分で実際に参加したこともなかった。七日参りとは、人が亡くなって、七日目が初七日、そして二七日、三七日という具合に、七七、四十九日の法要までの6回簡略化した法要を営むことを言う。

私がこの地に来て、ひと月くらいした頃、晩に檀家さんが亡くなって、枕経に伺い、そして、通夜葬儀を勤め、初めてその方の二七日に七日参りにいったとき、晩の7時というのに当家精霊の祭壇が祀られた部屋にはいると20人を越す人がお参りになっていた。ご家族程度の人が集まっているばかりであろうと簡単に考えていた私は、部屋に入りきれないほどの人に面食らったのを今もはっきりと憶えている。

そして、常用経典である理趣経を唱え、在家勤行次第を参会者みなさんと唱えてから礼拝し振り向くと、一斉にこらちを見つめる視線に、それでは少しお話でもいたしましょうか、ということになって、結局その家での七日参りにはお経の後、必ず法話をするということになってしまった。

何をお話ししたのであったか。仏教についての初歩的なことを話したように記憶している。おそらく、礼拝について、十三仏について、お経の唱え方、十善戒、戒定慧の話、それから四国遍路の話もしたであろう。とにかくこの地に来たばかりで一生懸命に話したことを憶えている。最近では余りこうした型どおりの話はしなくなっている。それは既に月一回のお話会などで話を済ましているからであり、何度か話しているうちに、他の家の七日参りの際に聞いているであろうと考えられるからだ。

ところで、こうした七日参りの風習は、徐々にこの地でも無くなりつつあるようである。他のお寺では申し出のあった場合のみお参りするというところもあるし、福山市の街中では既にまったく七日参りをしないというお寺もあると聞いている。東京などでは、そのようなお参りの言葉さえ出てこないのではないか。初七日の法要を葬儀当日火葬場から戻って勤めた後は四十九日の法要があるのみであろう。

先に、都会では病院からそのまま火葬場に直行して、そのまま納骨してしまうケースが目に余る現象となっていると書いた。稀なケースではないということであって、そのことが人の死をあまりにもおろそかにする、軽々しく扱うことになり、それは命ということを軽視することになりはしないかと書いた。いのちを大切に、尊い命、命の教育などと叫ばれて躍起になっている割には、実際には命のこときれたことを何とも思わないという現代人の心情をストレートに表す現象が現れているとも言えよう。

七日七日にお参りし、そうして四十九日の法要を迎えることによって、来世に旅立つ故人に最後の功徳を手向け、そしてどうぞより良い世界に生まれ変わり下さいと回向する意味が身を以て実感されるであろう。

知人の家に遊びに行って、帰りに送られるとき、玄関先で、「それでは」と言ってすぐに家に入られるのと、何時までも小さくなってまで通りを歩くあなたを見送ってくれていたのを曲がり角へ来て振り返り知るのとでは、やはり受ける気持ちが違うのではないか。それが一生に一度の別れであればなおのこと、今生から来世に旅立つ最後のお別れをするのが四十九日の法要であるのだから、それまでしっかり見守ってあげて欲しいと思うのである。

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コメント
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