住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

後生がいい生き方・Kさんの思い出

2021年02月22日 09時08分42秒 | 様々な出来事について
後生がいい生き方・Kさんの思い出
(昨日の護摩の後話した内容に加筆しました)



Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。

今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわした。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなかったのであろう、昨年の十月ころから一度病院で検査後、かたくなに入院を拒否して自宅で療養を続けられていたという。強い抗がん剤も高齢ということもあり、ほかの治療も放棄されて、ただ痛み止めだけを飲んで、家にいたいとのご本人の意思をご家族も尊重されての自宅療養だったようだ。

昨年の11月に実はお寺の日帰り研修旅行を予定しており、お盆にお会いした際にも元気そのものだったので、十年前にも同様の研修に参加されていたのでご案内したところ行きますとのことだった。近くに住む娘様の車に乗って外出するのが楽しみで、元気にお過ごしのこととばかり思っていたが、いつまでたっても申し込みにやってこられないので、電話したところ入院してたんです、とのことですぐに回復するものとばかり思っていたが、結局その時の会話が最後になってしまった。その後、自宅におられ時折近くの町医者で検診を受けるだけで、本当に苦しまれたのは一晩だったとのことで、ご家族がその晩も病院に行こうかと言っても、うんと言わず本人の願い通りに翌日家でお亡くなりになった。

平成十三年から毎月仏教懇話会と称して一時間話をする会を開いているが、開設当初から欠かさずに毎月近隣の懇意な人たちを誘い合わせてお越しになってくれていた。面白くもない話を十年ばかり毎月一時間我慢して聞き続けてくださった。会館の二階で始めた懇話会も、その後客殿に場所を変えて行っていたが、その時々の話題について私が話をし、皆さんに疑問やら感想をお尋ねするのだが、決まってみんなを笑わせるようなことをぼそっと言われて場を和ませてくださった。

歴史小説が好きでよく読まれていたということも枕経の時に初めて聞いたのだが、福山城博物館主催の歴史講座にも定期的に通われて、そちらのほうは先生が面白く楽しい話を聞かせてくれたようで、福山まで通うのを楽しみにされていたようだった。平成十八年の秋頃から「日本の古寺めぐりシリーズ」というバスツアーが組まれ、私が講師としてバスの中でお話をする旅行にも何度も参加くださったが、たまたまその歴史講座に参加されている顔見知りも同乗されたことがあり、親しく楽しそうに話されていたことを思い出す。

また、年末や法会前には檀家の皆様に呼び掛けて大掃除をしているが、そんなときには必ずどこかで黙々と草を抜いてくださっていた。みんなと楽しそうに話をしながらということもあったが、しゃがんで隠れるようにされていることも多く、そんなときにはお茶の時間に仲良しの中でにこやかに話をされていたように記憶している。

飾ったところがなく、本当に自分の気持ちをそのまま表現される方だった。嘘偽りなく、素直に自分を生きられた方だった。何の濁りもない心で周りの人たちと接し、周りの人たちを思いやり和ませ笑わせ寛がせる才能というか、技をお持ちだった。みんなから愛されてきたことと思う。いま思えば本当に後生のいい生き方をされてきたのではないかと思う。もちろん私などはKさんのごく一部のことしか知らない人間に過ぎないのかもしれないが、知っていることだけでもまさにそう思え、見倣いたいものだと思う。思い出を感謝とともにここに書き残しておきます。お世話になりました、ありがとうございました。

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世の中と仏教

2021年02月03日 19時42分45秒 | 仏教に関する様々なお話
世の中と仏教
2008年01月13日 投稿分を再掲します



(ある方からのご質問に対する返事として書いた文章です。この世の中の様々な問題と仏法とはどのように関係し、どのような恩恵があるのかとのご質問でした。多少の改訂をしてあります)

○○様 私も実は、この世の中の成り立ちと仏教がどのように関係し、どのように説明されるものなのかにとても興味があります。現実の私たちの生活の様々な悩みの中に立ち向かい、それらをこともなく救い出す力が仏教にはあるはずです。

大きな歴史の流れの中で今の現実はとても複雑な要素を併せ持ち、それぞれの人がそれぞれの立場と環境の中で歴史と対峙している。歴史などという大それたものを出してこなくとも、誰もが日々の生活に仏教が生かされなくてはいけないと思っています。まさに○○様が抱かれている様々な問題点についても同様かと思います。

そこで、やはり私はお釈迦様が何故に縁起を説かれたかということに立ち返ってみたいと思うのです。何事も因縁によって結果したものであるという、すべてのものに原因ありとする立場です。何事もあるべくしてある。今の心を抱くのにも原因がある。すべてのことは原因があって結果しているということです。

今の日本が不況と言いながら、おおかたの人たちが厳しい生活を強いられながらも他の国々のように飢えずに生活していけているのも先人の努力のお陰でしょう。自殺が多いのは人々が物に振り回され周りの人の心を軽視してきた結果でしょう。役所の官僚たちの横暴で税金を無駄づかい、ないし搾取されるのも経済発展ばかりを尊重し、政治や特に選挙を甘く見てきた国民の不甲斐なさの結果でしょう。

ただ、地球環境の問題や様々な感染症の問題は世情言われている情報が故意に全く別の目的からなされ、そのことをマスコミを通じて世論を作るためになされている啓蒙活動ではないかと思っています。

世の中は誠実で真面目な大多数の人たちとそれを操作し扇動して大衆をある方向に向けさせ管理していこうとする立場のごくわずかの人間がいるようです。ですがそのごくわずかの人間たちの力は計り知れなく大きく私たちは大きくはその流れの中に置かれている。

だからこそガソリンがこんなにも高騰しているとも言えるでしょう。介護の問題も大きな社会問題です。上部の者とのコネによって簡単に有利な介護認定を得る人もあるようです。そういう嫌らしい社会を作ってきた原因がこれまでの社会の歴史に刻まれていることでしょうし、私たち自身の心の中にもそうした心が隠れ潜んでいるのかもしれません。

介護にせよ、結局はそれぞれの人間対人間の接点から起こる問題だと思います。子供たちに目の輝きがないのも自由が失われ、何事も管理する姿勢が優先され、親たちも余裕なく家庭教育を疎かにしてきたからではないでしょうか。

ゲームに携帯、パソコン、便利な道具はそれら機械に人間が使われるようになり人々の生きている実感を大人からも子供からも失わせてしまいました。しかしこの流れはそう簡単には修正が効かないような気がします。私たち自身がこうして通信し合っている現実もありますし。

大きくはすべてをこの縁起の教えという枠の中で真摯にその成り立ちを静かに受け入れるしかないのではないでしょうか。今の時代に生まれあわしたのを嘆いても仕方ありません。今の時代に生まれ出てきたのも私たち自身の業だとも言えます。

ですが、もちろんだからといって現状をあるべき姿だと思っているわけではありません。今の世の中に蔓延する拝金主義、雇用制度のあこぎなまでの労働者搾取、政府の国民生活をないがしろにしてまでも国民の財産をみな他へ横流しするような政策、たとえ目的を限定したとしても軍隊を海外に派遣するなどに賛成するものではありません。そのことをすべてしっかりと克明に知悉しながらなお、そのことを大きく捉え、その成り立ちを冷静に見つめなければならないと思うのです。

人生とは苦しみであると言われたのもお釈迦様です。苦しい、イヤな世の中だ、不安だと思いを重ねていくのにも原因が必ずあるはずです、根本的には欲や執着が誰にでもあります。そのことにまずはきちんと気づく必要があるようです。そして、これが今の現実であると、きちんと受け入れて、執着を生み欲を作り出す思考を遮断していくことが大切なのではないでしょうか。

なおかつ、自らは慈悲の心に住して、すべての生きとし生けるものたちに幸せを願いつつ、人々と接し、機会を見つけてはその人たちにそれぞれに応じて教え導くという姿勢を持つことしか残る道はないように思えます。

そうして心安らかに死を迎える、死ぬ瞬間には世の中がどうのと言っても仕方ないわけですし、ただ静かに心穏やかに死を迎える。そうして沢山の功徳、よい体験を得られたことなどを思い出されながらそのときを迎える。

そうすれば、必ず来世はよいところに転生するはずです。何も心配することはないのではないでしょうか、感謝と慈悲の心で死を迎えるということこそが私たちに安らぎをもたらし間違いのない死後を用意してくださるはずだと思います。

○○様の思っていたお答えとは似て非なるものかもしれませんが、今の私にはこの程度のことしか申し上げることが出来ません。どうか、インドでの体験によってすばらしい知識や知恵をお持ちであることを大切になさり、多くの周りの人たちをお導き下さいますことを念願いたします。

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