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『人生のポイントカードをいかす』法話草稿

『人生のポイントカードをいかす』

本日は、○○会の皆様には、早朝より誠にご苦労様です。皆様、各業界ともにグローバル化であるとか、技術革新の波にさらされ色々とご苦労されている中にあって、まったくと言っていいほどに旧態依然とした日本仏教界の一末寺からやって参りました。そんなことで皆様にとり面白い話になりますかどうか不安な所ですが、私なりに頑張ってお話し申しあげます。

まず、事務局の方からプロフィールとテーマを送って下さいとのことでしたので、新年早々に思いついたことを書いてあります。プロフィールは大体そんなことで良いことしか書いてありません。テーマは、「人生のポイントカードをいかす」とあります。いかにも奇をてらったテーマの付け方ですが、実はある月刊誌に依頼された原稿の一頁として構想した原稿のタイトルを拝借しました。この話の前提には、インドの仏教の発想である、業による輪廻、私たちは何回も何回も生まれ変わってきているということがあります。

今私たちが人間としてあるのは、前世で沢山の善業があったお蔭であると考えます。その何回もの過去生で私たちの沢山の様々な経験、頑張ったことや苦しんだこと、乗り越えてきたことなどの様々な行い、いわゆる業を積み重ねてきている、それを最近はやりのポイントカードと言っているようなことなのです。みんなその見えないポイントカードを胸にぶら下げて生まれてくるんだと思います。ですから、生まれる環境も違い、顔も身体も、才能も、好き嫌いも、みんな違います。その両親の元に生まれてくるのも、業、そのポイントの内容によるのだと考えます。一卵性双生児のように身体や顔はうり二つというケースもありますが、長い人生やはり生き方は違うということです。

で、その見えないポイントカードに貯まっていたポイントによって、私自身の人生は、紆余曲折を経ながらも、今日に至っていると考えています。そこで、まず、まったく仏教やお寺に縁の無かった私が仏教と出会い、どのように國分寺に至ったかを手短にお話し申します。

実は中学のときには祖母、伯父、同級生、恩師と毎年のように身近な人が亡くなりました。同級生が亡くなったときには、葬儀で弔辞を読み納骨の法事にも参加し、葬式の後なぜか後ろ髪引かれ一人で毎月月命日には仏壇に線香をあげにいっておりました。そして丁度一年経った頃、一人息子を亡くして悲しむばかりだった夫婦に突然男の子が生まれて、その子が亡くなった同級生の生まれ変わりだと言って、そのご夫婦は急に元気になりました。

そして、私も高校大学と進み、忘れかけていた頃、当時二足のわらじで、昼間は日本橋の会社に勤め、五時になると帰らされ大学に通っていました。大学二年の秋のことですが、早稲田大学の文学部の門前で、高校時代の同級生二人と待ち合わせ、その晩いろいろと難しい哲学や倫理の話をした記憶があります。それがきっかけとなり、その数日後、渋谷の大盛堂書店に立ち寄り、この一冊の仏教書に出会うことになりました。それ以来仏教にはまり込んでしまい、経済学部仏教学科を卒業したと言わねばならないほど仏教書ばかり読む日が続きました。

その大学時代には既に坊さんになりたいと思い、母親にも相談したところ、大変に落胆し、世をはかなんで自殺でもするように思ったのか、一晩中泣かれました。そしてしばらくサラリーマンを続け、ですが、その後も仏教書を読み続け、年末年始の休みには一人高野山に参詣に出かけておりました。そんなことを二年三年続けていましたら、母親も慣れてきて、まあ、自分の納得のいくようにしたら、ということになりました。

そして、二十六才の時に高野山大学の集団得度式を受けて、全雄という僧名をいただき、翌年専修学院という真言宗の僧侶養成所に入りました。そこは全国から七十名ほどの僧侶が集まる全寮制で、一学期にはお経声明を習い、二学期は四度加行という一日三座百日の修行をし、三学期は伝授があり卒業となります。卒業後は、高野山の師匠を紹介してくれた東京のお寺に住み込み、役僧として勤めました。三ヶ月した頃、夕方本堂の床の雑巾がけをしていた時、ハタと、そのお寺が、大学二年の時に仏教と出会うきっかけとなった、同級生と待ち合わせた場所の真ん前にあるお寺だったとその時初めて気づきました。その瞬間に、走馬燈のように過去のいろいろな場面場面が目の前を通り過ぎていきました。

すべてのことの、いろいろな人生の岐路に立って、また様々なことを間違いなく選択してきて今がある、瞬間瞬間の原因結果の積み重ねのすべてが今に結実している、すべてのことはあるべくしてある、未来は今のこの瞬間に何を考え何をするかにかかっている。今の瞬間こそ最も大切なものであると。仏教で言う、縁起、因縁、空というような教えの真理の一端を垣間見る体験をしたと考えております。その時には何を見ても聞いてもありがたく、みんな私と出会うためにそこに存在してくれているというような気持ちになり誠にありがたく、かけがいのないものに思えました。そんな状態が二週間くらい続きました。

それから、お寺の仕事のあいた時期にインドに行ったり、四国遍路を二度歩いたり、禅寺に一週間の座禅会に行ったり、お寺を出て東京で数寄屋橋や浅草寺などで托鉢をして二年くらい生活したり。またインドで再出家をしてインド僧として三年程過ごし、その間日本に帰ってきていた時に神戸の震災がありボランティアをするなど。そうしたいろいろな経験の末に、そのお蔭でといいますか、今生でも沢山のポイントを積み増すことができ、やっとのこと四十才で國分寺にたどり着くわけです。まったく神辺とも縁もゆかりもなかったのですが、倉敷のお寺に東京のお寺の兄弟子がおられ、相談に行きましたところ、ひと月もしないうちに國分寺で後住を探しているから来いということになり、参りましたその日に先代と総代が即決され入寺が決まりました。

そこにナポレオンヒルとバットマンと書いてありますが、ナポレオンヒルという方を皆さんご存知ですね。思考は現実化するという成功哲学の大家として有名ですが、私はずっと、いつ頃からか自分が入るべきお寺が私を待っていると信じておりました。コウモリの姿をしたヒーロー、バットマンがマントを翻して車に乗り事件現場に出て行くシーンがありますが、正にそんなイメージをも頭に思い描いておりました。國分寺の参道のように真っ直ぐのトンネルのような中をバットマンは車に乗り出かけていきます。まるで予知していたかのようにも思えるのですが、正にそれが現実となりました。

関連して他の方の事例を少しお話し申し上げると、例えば、みなさんよくご存知だと思いますが、辻井伸行さんという全盲のピアニストがいます。三歳の時お母さんの歌に習ってもいないおもちゃのピアノで伴奏されています。今では世界的なピアニストとなられまして、世界的に有名なオーケストラとも共演されています。譜面を見ないであれだけ複雑な曲を全部音として暗記して、誠に見事に弾かれるわけです。わからないところでどれだけ努力をされていることかとは思いますが、それだけではなくて、あの方は大変なピアノに特化したポイントをお持ちになり生まれてきた。つまり前世過去世で相当にピアノを練習し、もしかしたら世界的なピアニストの生まれ変わりなのではと私はひそかに思っています。

また女性の書家に、金澤翔子さんという方があります。ご存知だと思いますが、ダウン症で生まれて、お母さんも書家で、書に親しみ育てられ、本人の努力もありましたでしょうが、やはり前世での才能を引き継がれてのことと思えます。太く力強い立派な字をお書きになられます。

また、日本の伝統技術を継承してきた職人さんの人材不足が叫ばれて久しいわけですが、例えば大変根気の要る作業を伴う、絞り染めの職人さんなどに発達障害の方がその仕事に出会い、ものすごい集中力で仕事をこなしていかれているということをテレビで紹介されていました。また、レストランやコンビニなどの大きなガラスの掃除を正に職人技で一点の曇りなく掃除できる、やはり発達障害で人とのコミュニケーションは苦手だけど、そういう仕事は完ぺきにできる人などもおられ、喜ばれているとのことでした。自分の適性の仕事に出会い、神業のような仕事をしていかれているなどというのも、持って生まれたポイントのおかげなのかと思います。

障害のある方ばかり見てみましたが、健常者で前世の才能を引き継ぐ方も沢山あると思いますし、皆様にもあるはずですが、見えにくいので、見えやすい方のみ紹介しました。

最近小学校の先生から聞いた話なのですが、進路指導などをしていて、何になりたいかと問うと、別にサラリーマンと、行きたいところはと聞くと、福山というようなことで、今の子供たちは、幸せが何かわからない、夢、何かなというような、はりあいのない子供が多いということなのです。恵まれた環境に育ち、みんなゲームばかりして、大きくなればスマホをつついてます。みんなと同じことばかりするのではなく、是非本当に自分が好きなこと、楽しく思えること、時間も忘れ没頭出来ることに出会い、自分のポイントをいかせる、今生での役割を見つけ出して欲しいと思います。

では次に、以上のようなことを踏まえ、人生のポイントカードを持っている私たちは、いかに生きるべきか、これからを生きる上で大事だと思われる六つのことについてお話し申したいと思います。

①は、前世過去世を含めた果てしない過去があって今があるということです。ですから、たとえば、仕事の上でもプライベートでも、いろいろなことで成功したり、よいことがあったり、逆に失敗するようなことがあっても、それは今の自分だけではなく、過去世での経験の蓄積も影響してのことなのだと思って、舞い上がることなく、また落ち込むこともないということです。特に失敗したりするととても落ち込む人がありますが、今の自分だけが悪かったわけではない、まわりの人たちや、それに過去のいろいろな経験の影響もあってのことなんだと捉えるということが大切です。謙虚に冷静に平常心を保つことに繋がると思います。

②は、来世があるものと信じられたら救われるということです。人は夢と現実の狭間で悩むことはよくあることです。皆さんには該当しないかも知れませんが、お金にならないことで夢を追いかける、絵描きとか音楽家とか、デザイナーとか。誰もがこの世で才能を認めてもらえるわけではありません。来世があると思えれば現実に生きながらも、夢を諦めないで生きることができます。また、東日本大震災のように多くの人が津波で亡くなったり、また事故で突然亡くなる方があります。そのことを、ただ無残な死を遂げた、すべてが無駄になったと捉えるのではなく、来世があると思えれば、亡くなられた方がこの度のことで災難に遭うような悪い業が消えて、来世には今生での努力も役に立ち、幸せに長生きして人生を全うしてくれるはずだと信じることができ、遺族も救われると思います。人生をしっかり絶望せずに生きていくことに繋がると思います。

③は、人と比較しない、自分の世界、俺の世界を持つことが大切です。信念を持ってやっていても、つい他と比較し悩んだり不安になったりしがちですが、人と比較しない自分の世界を持ち、そしてそれを発信する、アウトプットすることが大切だと思います。私は文章を書くことが好きなのですが、同時に、仏教とは何だろうという思いを大切にしています。今も仏教書は読み続けていて、自分はこのことについてこう考えるということを文章にすることが自分の仕事と思って頑張っています。私はブログを十三年やっていますが、お蔭で本も出すことが出来ました。未だに歴史ある仏教雑誌に原稿を依頼してもらえる。有難いことです。皆さんにも、自分の世界があると思います。是非大切にして欲しいと思います。これは自分自身の本当の自信に繋がると思います。

④は、人生に無駄はないということです。私は、高卒で会社に入り、先ず経理をさせられましたが、今お寺の会計をすべて一人でしています。またそこでは事務局のような仕事もしましたし、二つ目の会社では企画や営業の仕事もしました。そうした経験のすべてが今に生きています。先に行って、いつ何が役に立つかわからないということです。どんなことも、特にいやだなと思う仕事こそ一生懸命にすることが大切だと思います。自分の意に沿わないことをすることは、先々、将来の自分のためになるということです。是非若い社員さんたちにお話ししてあげて欲しい。

⑤は、人生の目的とは、簡単に言うと心がきれいになることだと思います。皆さんの心が汚いと申すわけではなくて、仏教ではみんな煩悩があるから生まれてくると考えるのです。正月に東京ミラクルという番組を見ていたら、築地に出入りする寿司職人のコメントを紹介していました。なぜそこまでこだわって寿司を握るのかとの質問に、この一貫の寿司によって、お客様に心から幸せになってもらいたい、幸せな気持ちでお帰り頂けたら私も幸せだからと云われていました。日本の物作りの原点とも云える話ですが、・・・。仏教でも自分さえ良ければいい、自分だけの楽しみというような、自分に執着することは善くないことであり、周りの人の幸せとか、みんながよくあるように、全体の利益を考えることが善いことなのです。ですから皆さんも、社員みんながよくあるようにとか、顧客の幸せのためにとお考えになると思います。また地域とか、仲間のためにこうした会も開かれているわけですね。そうした心で仕事をすることで、心が軽くなっていく、しがみつくものがなくなる、きれいになっていくのだと思います。それは、つまり、ポイントカードを、生まれたときに引き継いだものより、より善いものにするということを意味するのだと思います。ですから、よりよいポイントカードを来世の自分に受け渡すということ、それこそが、私たちの人生の目的なんだと思います。深いところの人生の納得、安心に繋がると思います。

最後に、⑥は、過去ではなく今からが大切ということです。なぜかというと、このポイントカードには、善いことだけでなく、悪いこともすべてが書き込まれています。ですが、善いことをしていたら、真面目に生きていたら、善いポイントだけが反応する、よい道が開かれるということです。長い人生の中で後悔するようなこともあると思いますが、過去で為した悪いポイントは沈殿させて、塩漬けに出来るということです。未来は今の思い行い次第でいかようにもなります。今こうして朝からこの坊さんのわからない話を聞いてあげようかという誠に慈悲深い皆様には、善きことがこれからも沢山起こると思います。是非、その善いポイントをいかして会社経営もさらに上向いていきますことを願っております。

ご静聴ありがとうございました。



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朝日新聞(平成30年11月25日)の記事から

仏教そのもの

昨年11月25日日曜日の朝日新聞「視界良考」欄に左のページのような記事が掲載されました。

下に「仏教由来の欧米技法 逆輸入」とありますように、これまでにも何度か紹介してきた、アメリカのジョン・カバット・ジン博士が考案した、マインドフルネスという瞑想法が、ついに日本企業の研修に用いられ出したという内容です。

名越康文さんという精神科医が記者と同行して、NTT東日本の企業研修に参加し解説しています。

11月13日に、東京都府中市の研修施設で50代の主査67人を対象に行われた研修です。写真にあるように椅子に座り、講師からの研修内容の説明もそこそこに瞑想に入ったとあります。

はじめに、「吸う息と吐く息。自然な呼吸を見守っておきましょう」と語られ、鐘を鳴らし、瞑想。「長く感じたがわずか一分半」

「たいがいの人は、いつも頭はこんなにせわしなく働いているのかと、びっくりするんじゃないでしょうか。それに気づくだけで収穫です」と。

さらに、「瞑想は自律神経を整え、循環器系や免疫系などに良い影響があることがだんだん分かってきている」と解説されています。

次に、「立って、左足を横に開いて浮かせ、その足をゆっくり着地させる。その時の心の変化をよく見て下さい」というボディワークなども行われ、最後に「この瞬間、瞬間に意識を向けましょう」と指導され、十分間の瞑想が行われました。

終了後、参加者はペアを組んで、二時間近い研修の感想を語り合ったということです。

「日本の企業は米国より十年遅れています。ようやくここまで来ましたね」と名越氏は感想を述べています。私の実感としては、二、三十年は遅れていると感じますが、はたして定着するかどうか。

「加齢に伴う自律神経の乱れ、重い責任、上司や部下との人間関係・・・。会社員の精神疾患は大きな社会問題だ。名越さんは、不眠症になる中間管理職は多い。そうなる前に、瞑想でうつ病の予防が期待出来ると思います、と言う」

「宗教が受け入れられにくい日本。信仰の要素を抜いた瞑想法は新しい企業文化として、まずは受け入れやすい土俵」とあります。が、そもそもの仏教は、私たちの考えるような信仰の要素がない純粋な瞑想による精神的解放を教えるものでした。

企業研修でも、その講師が間違いなく教えてくれることを信じて参加するのと同様に、お釈迦様に対して、正しく導いてくれるお方であるとの信のみが必要なことだったのです。

インドでも、昨今アメリカ経由のヨーガがブームになっています。この記事にあるような展開は、日本の仏教にもよい影響がもたらされるものと歓迎したいと思います。     

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なぜ秘仏なのか

お正月には、何組かのご家族が玄関から客殿に上がり、新年の挨拶をしてお茶を飲み歓談されます。そして、本堂にお詣りして御先祖のお位牌を御本尊前に出して心経をお唱えになります。そのあるご家族の方から、「御本尊様はこの次はいつ御開帳ですか」と問われました。國分寺の御本尊藥師如来は、等身大の御像ですが、普段厨子の中に安置されておりそのお姿を拝することは出来ないからです。

御本尊の厨子の前には三百年祭の時に撮した御本尊様の写真が掲示されているので、「この写真を撮った三百年祭で御開帳しましたから、この次は六百年祭でしょうか」と冗談交じりに申したのでしたが、そんな先にならないうちに一度御開帳の時期を考えねばならないかとは思っておるところであります。

さて、ではなぜ秘仏なのでしょうか。多くのお寺でわざわざ御本尊を厨子の中に安置して扉を閉めたままにしています。知り合いの東京のお寺では年二回御開帳の日を決めて、その日に盛大に法要を勤められている所もあります。国宝や重要文化財の指定を受けたが為に、定期的に御開帳をしなくてはならなくなったというお寺もあります。それがために、御開帳していないときには金箔などまばゆいばかりであったのに、毎年御開帳をしているお蔭で輝きが薄れてきたと心配されるケースもあるようです。また長野の善光寺の御本尊である三国伝来の善光寺如来のように絶対秘仏として御開帳すら認めない仏様もあります。

なぜ秘仏なのか。調べてみますといろいろな理由が考えられるようです。まさに保存や安全のためであるとか。その霊験、御利益のためであるとか。御開帳したときのありがたさのためであるとか様々です。ですが、私は、これはもともと仏様とは姿形ではないからであると考えています。姿形からその仏さまの教えなり、御利益やメッセージなどを受け取るという大事な意味もあることはありますが、やはり仏様とは、特に本尊様となるような仏には、姿や形ではそれを受け取って欲しくない、教え、真理、智慧というものを感じ取って欲しいということではないかと思います。

そもそも仏とは、教えを説く人のことです。お釈迦様は自ら「如来は法を説く者なり」と仰られているように、まさに法を説かれる存在こそが仏なのだといえます。だからこそありがたい教えが今日まで残り伝えられてきて、私たちはその教えにより、苦しみを除き心癒やすことができています。

あたりまえのことですが、賽銭を投げて手を合わせ御利益を戴くための存在が仏ではありません。貴重な金銭を投じて欲心を祓い、一時だけでも合掌して仏を拝し、心あらためた功徳により何事かが得られるかもしれないということに過ぎません。本来であれば、仏様の前でお経を唱えたり、念仏をしたり、真言を唱えて、心静かに念じて心浄める、そうしてこその功徳、それを御利益と言い換えているのすぎないでしょう。

ですから、仏とは、教えであり、真理であると考えるからこそ、たとえば、五輪塔、そこから派生して仏塔、仏塔の一つとしてお墓の石も拝む手を合わせる対象になるのです。五輪塔は、地水火風空の五大を表し、それがこの宇宙の成り立ちであり、そのものであるから、宇宙の真理そのものを体とする大日如来そのものであるということから五輪塔は仏そのものであると考えられるのです。そして、その五輪塔の一番下の方形だけを長くしたものとして縦長のお墓があり、仏塔として拝するということになります。

ですが、もちろん、美しい仏像を前にして、信心心を起こすということもありましょう。ですから、古の仏師が心を込めて彫刻した素晴らしい美しい仏像を意味の無いものだとか、本来のものではないなどといいたいわけではありません。思わず見とれてしまうような仏そのものを感じ取れる見事に制作された仏像が実際に存在することも確かなことでしょう。

それはそれとして、秘仏をどう考えるべきかということについて思考するならば、本尊を秘仏としているお寺の御本尊は、それを姿形として捉えずに、その教えを説き伝える存在としてあると考え、教えを弘め精進修行に努めるべしというメッセージを秘めた存在として受け取る必要があるのではないかと思えるのです。つまり、より積極的に仏教を、仏の教えを実践として受け取るべし、いかすべし、伝えるべし、との仏の意志を感じ取るために秘仏があるのではないかと思うのです。


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一本の電話から

昨日三日昼前に一本の電話があった。かつて日本の古寺巡りというバスツアーで案内をしていた頃に、よくご参加下さったご主人からだった。電話の要件は、身寄りの無い知り合いが亡くなったのだが、長く施設にいたこともあり、葬儀に立ち会う人もないのだが、今はやりの直葬ではかわいそうだから、通夜代わりに今日晩にお経を上げてもらえないかとのご依頼でした。檀那寺も宗旨もわからず、心許ないことではありましたが、お困りのご様子なので通夜に読経だけで良いのですねと確認した上でお引き受け致しました。

亡くなられたご婦人は九十七歳。二度結婚したものの夫に早く死なれて子もなく、ずっと一人で商売をして暮らし、老後は施設暮らしで亡くなられた、薄幸の一生であったとのことでした。読経の前に、棺の窓から御挨拶しご縁あってお経を唱えますことをお断りしました。礼拝焼香の後、懺悔文、三帰三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、開経偈、理趣経一巻、無量寿如来大呪、光明真言、御宝号、回向文。

読経終わり、少しだけお話し申しあげました。「この度は、ご縁あってお招きいただきお経を唱えさせていただきました。故人様とは生前お会いしたこともなく、お話ししたこともないのですが、先ほどうかがいましたら、ご家庭に恵まれない人生であったと、気の毒な幸せの薄い一生であったとうかがいました。

私たちは、生まれてくるとき、赤ちゃんとして、純粋無垢に見えるわけですが、みんな業をもって、善い業も悪い業も沢山抱えて生まれてきます。何回も生まれ変わりしてくる中で抱え込んだ業にしたがって生まれ、その後様々な出会い行いを繰り返して新たな業を作り重ねて、長い人生を過ごして参ります。それが外見上ではどのように見えましても、大事なことは、ご本人の持って生まれてきた業をよりよいものにし、心をより清らかなものにするべく、学び多い人生であったかどうかということです。

厳しい苛酷な人生であればあるほどそこから学び糧とするものは大きいのではないでしょうか。故人様は、そういう意味において、ご本人にとりましては、おそらくとても意味のある、価値のある大事な九十七年間をお過ごしいただいものと思います。そう思いつつ、お経を唱えさせていただきました。ご苦労様でございます。明日はご縁有る皆様で懇ろに葬送下さいますようにお願い申しあげます。」このようなお話しをさせていただき退席いたしました。

直葬とまではいかずとも、数年前から、親族葬、家族葬が増えてまいりました。以前のように会葬者が百人を超える普通葬は少なくなり寂しいかぎりであります。盛大にしたら良いというのではなく、人一人が長い人生を生きてくるには周りの沢山の方々のお蔭であるということを考えれば、亡くなればその故人に代わり、喪主や家族、親族がそのことを近隣の方々に御礼申しあげて、故人同様に今後も交誼をお願いする機会として葬儀があり、それがこれまでの本来のあり方でした。

命を大切に、命の尊さと言葉ではいいながら、今私たちのしていることは正にそれに逆行することであると言わざるを得ません。しかしそれだけ近隣とのつきあいの濃さも以前に比べ薄くなり、携帯、パソコン、スマホでいくらでも離れた人とのつきあいが出来ますし、物もネットで注文したら翌日には配達されるようになり、物理的な近隣との深いつきあいが必要ない時代になってしまったということなのでしょう。そうした心の変化が、人が亡くなっても、身内だけで済ましてもよいだろうと思えるほどに近くの人との交流が浅くなっているということなのかもしれません。しかし、以前のように何度も近隣の葬儀に出席して人の死をみとることのなくなった現代人は自らの人生の行く末を考える機会を失っていることも忘れてはならないでしょう。


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平成31年元旦護摩祈祷

元旦護摩祈祷後の法話

あけましておめでとうございます。ご苦労様です。今年もこうして皆様の読経の中元旦のお護摩を焚いて年越しすることができ誠にありがたく、感謝申しあげます。護摩札をお加持していて気がつかれたかもしれませんが、今年は特に除災招福、無病息災を祈願される方が多く、昨年立て続けに豪雨や地震、台風に見舞われた影響かと思われます。お陰様でこの福山特に神辺では余り被害が大きくなかったわけですが、私たちの所も例外ではあり得ないというひしひしとした危機感が感じられました。

今年は何とか災害のない年であって欲しいと願う所ですが、そのことを誰よりも願われているのが今上陛下ではないかと思います。平成最後の年になるわけですが、平成の時代は戦争がなくその点ではよかったのですが、阪神大震災から以降毎年のように地震や台風などの被害にあい続けました。何とか今年退位して新しい天皇に譲位する年、何事もなく穏やかな年であって欲しいものです。

いろいろと心配の種は尽きず、天災ばかりでなく、皆様の身の回りには常にいろいろな問題が降りかかることと思われますが、護摩のご祈祷は、いつも申しているとおり、私たちの心にある様々な思い、願い、悩み、計らい、憂い、わずらい、そうした心を護摩の火にくべて、仏様にお預けする、放下と申しますが、仏様にお任せする、ゆだねてしまい、心をきれいに、さっぱりと、願いが叶うとか、かなわないとかは二の次であって、すべてのことは仏様の思し召し次第として受け入れる、そういう心がととのって、心しずまる、おだやかになる、それこそが眼目であります。

仏教の学問的にも心の清らかさとは、心を憂鬱にするもの、わずらうものがない、まったく自由な心のことを言います。私たちは何を見ても聞いても、好き嫌い、良し悪し、役に立つ立たない、損か得か、そう一瞬にして判断して、好きなものよいものには欲が、嫌いなもの悪いものには嫌悪感が生じます。そうして、あれこれと考え、わくわくしたりクヨクヨしたり、浮かれたり落ち込んだりと心弾ませることになります。

それは自分にとってどうか、自分中心に自分の尺度でものを考える習慣が、自分という思いがある限り、どうしても抜けることがありません。江戸時代の小釈迦と言われた慈雲尊者という偉いお坊様が、「身を思う心こそ先ずこの世より身を苦しむる心なりけれ」と詠んでおられますが、身とは、身どもとも申しますが、自分のことですから、自分を思うその心がいまこの世で自分を苦しめているのだぞということです。

私たちは人のためと思いながら、よくよく考えてみれば、みんな自分の損得と感情で物事を考えているものです。人のことを心配しながら、自分にとって困るとか、悲しいとか、厄介だからという思いが裏側に隠れていたりするものです。思い悩み、思いわずらい気が重い、くたびれるというようなとき、自分に執着はないか、結局は自分のことばかり心配しているのではないかと考えてみると、案外にすぐに気持ちが楽になったりいたします。

あれこれと考えても考えなくても、結局は結果は同じ事で、何にもならないことは多いものです。それよりも心配ごとは仏様にお預けして、今執るべきこと、先に必要なことは何かと適切に判断し行動するだけでよいのではないかと思います。思い計らいは仏様にお預けして、余り考えすぎないで、この一年をゆったりと過ごしたいものだと思います。本年もどうぞ宜しくお願い致します。


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昨日の薬師護摩供後の法話より

最近あったことからお話し申し上げる。先月ある高僧と話をしていましたら、真言宗は本覚思想であるから、みんな仏の命をいただき生まれてきて、死ぬるときには仏の命に還っていくのだ、自分が仏と思えないのは心がいろいろな煩悩で曇っているからであり、自分が本来仏であると気がつくことが大事なんであるといわれた。みんな死んだら仏になるんだということにもなるが、はたして弘法大師の著作の中にどのように書かれているのか、性霊集などでの大師の文章には、「輪廻に沈淪する衆生」という表現が多く、みんな死んだら仏などと受け取れる箇所はないと認識しているが、いかがなものであろかというのが率直な感想のまま帰ってきた。

大正5年に発行された『真言宗義章』という当時の真言宗の高僧方が共同で書かれた書物に、即身成仏には機根による別があり、上根上智の人は今生にて三密修行によって即身に成仏することは可能であるが、下根劣慧の人は今生では真言宗の教えに出会えれば地獄餓鬼など悪趣に堕ちることなく、一密行にて来世は浄土に往生して、二生三生のちに三密相応して成仏も適うかもしれないという書き方になっている。この場合の上根上智とは、弘法大師ほどのお方のことであるという。その他大勢の僧俗はみな下根劣慧に列するということであろう。であるが、その弘法大師にしても、自ら兜率天に転生すると言われて定に入られたのであるから、末世の私たちが簡単に成仏するなどと言えないのではないか。

お釈迦様にしても、六年もの苦行のすえ、瞑想し悟りを得られたのであり、各宗派のお祖師方にしてもみんな命をかけて修行をして、なにがしかの結果を得て自信を持って教えを説かれたものと考えられる。普通に生活していて、もちろん人生の荒波を越えてきたとは思われるが、それでもみんな死んだら仏になれると言ってしまうのは、どんなものであろうか。みんな業を相続し、今生での行いも性格も違い、それなのにみんな行き先が同じというのもむしがよ過ぎる考えではないかと思える。

なぜそのようなことになってしまったのか。人が死ぬとその遺体を仏様と言ってしまう日本人的表現をすることがあり、また死ぬことを成仏されましたと言ったりすることがあるが、そうした文化的なオブラートに包んだような表現と、本当にお釈迦様のような何回も生まれ変わり功徳を積んできて、さらに長年の修行のすえに得られた悟り、成道、解脱とを同じものと考えてしまう錯誤ということがある。

さらには、平安中期以降に末法の世が当来するという不安から、浄土信仰が全国に流行し、信仰しさえすればみんな浄土に逝けるという安易な受け取り方が蔓延した。そして、そのように言ってくれる教えがありがたい、上等な教えであるという錯覚を与え、他宗の仏教者たちもそれにならい、いつの間にか、唱えるだけでよい、信仰しさえすれば良い、みんな救われるというような安易な表現を用いて教線拡大、ないし防戦することになり、冒頭申し上げた本覚思想などというものも流行したと考えられる。そうして、益々本来の教えとはいかなるものかと解らなくなってしまったのではないかと思える。

さらに、一切衆生悉有仏性、山川草木悉皆成仏、などという言葉があるように、仏性、ないし如来蔵ともいい、みんな仏になる可能性がもともと備わっているとする思想があるが、それは単に可能性であり、だからといって、死んだらみんな仏という意味にはならない。煩悩に覆われていたら仏にはならないことは当たり前のことであろう。お釈迦様でさえ、他者を悟らせるために教えを説き、その後の本人の修行努力によってそれは実現していかれた。如来は法を説く者であるといわれる。お釈迦様でも、仏弟子たちも、拝んでその人の業を生滅させて悟らせたなどということはなされていない。

今日こうして、護摩のお参りに来られ、何遍となく心経を読誦し、本尊藥師如来の真言はじめ諸真言をお唱えになられた功徳、護摩の火に日頃の様々な思い、はからい、心配ごと、悩み、わだかまり、苦しみのすべての思いを、護摩の火を一心に見て唱えることで、放下し尽くしてしまうこと、仏様に何もかもお預けしてしまう功徳は何から得られるかと言えば、それらはみんな仏教の最高価値である悟りに向かう行いだからこそであろう。そうした心浄める行が、たとえ一歩でも半歩でも、悟りに向かう善行となり、善業を積む行為であるからこそ功徳がある、だからこそその功徳によって添え護摩の木に書かれた様々な願いもかなえることもできると考えるのではないか。

みんな仏様ですよ、死ねばみんな仏ですよと、そんなことを他国の仏教徒が聞いたら、笑ってしまうか、crazy だと思われるであろう。それこそ修行も、教えも、戒も、不要。無価値であり、何をしても無駄なことになる。このあたりのことが、実は世界の仏教徒との一番の齟齬をきたす問題点であろう。著しく仏教の価値を貶めていることに気がつかないでいる。これでは、みんなただ楽しく一生過ごせたらもうそれで充分という人生観になってしまうが、だがはたしてそんなに人生は簡単なものであろうか。

何が本当のことか、何のために生きるのか解らない世の中ではないかと思う。人生とはなにか、何のためにあるのか、生きるとはなにか。自らの生きる目標、目的をかなえる、自己実現のためにあると考える人もあるかもしれない。しかしその目標が本当に自分の求めるものなのか、本当にかなえたいこととは何かと考えたとき、その先にある最高に価値あるものを目指すべきではないかと考えねばならないのではないか。

人生は一人一人みな日々向上するためにある。何に向かって向上するのか、私たちが理想とするもの、思わず礼拝してしまうような存在、本当に間違いの無い存在とは、やはりそれはお釈迦様、仏様のほかにはないのではないか。であるならば、仏教徒にとっての最高価値とは、仏様が実現された悟りということになる。毎日嫌なことが続いても、大変でも、つらいことがあっても、同じ事の繰り返しでも、私たちの行いのひとつ一つはみんなその悟りにつながるものである、そのための学びであり功徳であると思って精進せねばならない。

大乗仏教では、悟りに向かい修行する人を菩薩といい、菩薩はすべてのものを悟らせてから成仏するという誓いを立てる。大乗仏教を信奉する人はみな菩薩であるといわれる。その菩薩が死んですぐ成仏してしまってはやはりいけないのであって、何度も生まれ変わり、そのつど仏教徒となり菩薩として他者のために菩薩行を行って、世の中のために尽くす、それが本来のあり方ではないか。上求菩提・下化衆生とは菩薩の生き方であり、何度生まれ変わっても、自ら悟りを得るために精進しつつ、他者の喜びを我が喜びとする、他者が困っていたら救うために努力する、そうして功徳を積む、それがやはり私たちの理想的な生き方であろう。(本年11月4日「木村泰賢博士著『大乗仏教思想論』に現実的輪廻論を学ぶ」参照)


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R.ゴンブリッチ博士著「ブッダが考えたこと」を読んで

リチャード・ゴンブリッチ博士著 浅野孝雄訳『ブッダが考えたこと プロセスとしての自己と世界』(サンガ刊)2018年5月1日発行

ゴンブリッチ博士は、英国オックスフォード大学仏教学センターの創始者であり会長、英国仏教学協会会長、2004年に引退するまで28年間にわたりオックスフォード大学サンスクリット講座の主任教授。
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かなり昔のこと、20年も前のことにはなるが、某T大の会議室に呼ばれて、インド人仏教学者の話を聞いたことがある。この人はヒンドゥ教徒で、アメリカにまで行き講演されて日本経由で帰る途中だとのことだったが。お話を聞いていて、大変失礼ながら、はたしてこの方はなぜ仏教を研究しているのだろうか、ブッダにも仏教にもまったくリスペクトなく、ご自身の研究がつまらないことをしていると思われないのだろうかと気の毒にも思われたことを思い出す。インドには未だに仏教はヒンドゥー教の分派であり、ブッダは9番目の神として祀られていることもあるのであるから、そのことを裏付けるためにバラモン教とは異なる教えであるとか、神聖なる教えであるというような認識を改めさせるために必死になって研究をしているのだろうかとも思われたからである。

じつは、序言において仏教徒ではないと宣言するゴンブリッチ博士の、この500頁もの大著を読み始めて、最初にこの昔のことが思い出されたのである。しかし途中で投げ出す気にはならず、より引き込まれて最後まで三日ほどで読み込んでしまったのには、この先生の並々ならぬ仏教に対する、ないし仏教文献、まさに厳密に探索していく言語学者としての、ひた向きな思い入れがひしひしを感じられたからであろうか。

しかし、先生自らこの本を読んで仏教徒は驚愕するだろうとあるように、112頁には、「カルマの理論を初めて倫理化した事への称賛は、仏教ではなくジャイナ教に与えられるべきとも言えよう」とあり、ジャイナ教と仏教とは同時代に発生した教えであると言いながら、カルマについての理論などブッダはジャイナ教からその理論を拝借したとでもいうようなニュアンスで書かれている。勿論その理論をより精密にカルマは善悪ともに来世に影響するものとして体系化したのはブッダではあるがと書かれてはいるのではあるが。

ブッダが悟られる前に苦行をされたことも、ジャイナ教の行法を試みたというな書き方になっており、当時苦行はジャイナ教徒だけがしていた行ではないことは、勿論先生はご存知のはずであるのに、このような表現をされているのは、余りに仏教びいきと取られないが為の予防線なのかもしれないが。

また、126頁には、ブッダはバラモン教に対してと同様にジャイナ教についても多くの反対を唱えたが、ブッダが「ジャイナ教の教義を大いに変革し、発展させてはいるが、再生のサイクル、カルマ、および非暴力についての彼の考えは、きわめて多くをジャイナ教に負っているのである」とあるのは、ジャイナ教の文献まで確かめられないが、重複する内容はすべてジャイナ教から学んだとするのもいかがなものかと思える。

265頁には、『大縁経』中に、アーナンダに対してブッダが十二縁起は理解するのが極端に難しいと語る部分について、ブッダの教えが深遠で理解するのが難しいと言い放つ例が他にないからと、これは経典編纂者が自らの理解に確信がなかったからであると書かれているが、これもいかがなものか。また、270頁には、十二縁起についての解説で、この場合の「名色」の「名」は、既に十二縁起の別項目として「識」は登場しているからと「受・想・行」のみを意味するとあるが、これもいかがなものか。さらに、296頁には、パパンチャという言葉について、概念化したときの不正確さを免れないので問題であるというような解釈となっているが、心の習性として何でも見たもの聞いたものを概念として捉え執着の対象としていくことが問題なのではないか。

322頁には、『三明ヴァッチャ経』には、ブッダは眠っているときも目覚めているときもいかなる時も完全なる知と洞察を得ているのかとの質問に、ブッダは、私が有するのは三明(宿命通・天眼通・漏尽通)であると答えられているという。この応答はブッダが全知者でなかったと自ら告白したようなものであると捉えられていて、それは伝統的な仏教徒の一般認識からは受け入れられないことであろうとあるが、私はそれでよいのではないかと思える。ブッダは誠に謙虚なお方であり、この世の真実のありよう生き方を探求されたのであるから、三明に通じておられたらすべてを知ると言えるのであり、そのように厳密に自らの評価をされたに過ぎないのであろう。

また、338頁には、「ブッダが精神修養として処方したものは、当初の段階では、今日の教育ある人なら当然持ち合わせているような、道徳的・知的理解の基礎的訓練であったのに違いない。」とあるが、その前ページにはブッダの教えられた瞑想・止観についての解説もあるのに、この記述、表現はいただけない。

このように何箇所も疑問に感ずる部分があるのだが、376頁にはアメリカの仏教学者のコメントが引用されているが、それによれば厳密な文献主義に徹する立場からは、ブッダが紀元前五世紀の人でその説法の記録は口授伝承にてのちに書き記されたなどということはまったく信ずることもできない、せいぜい紀元後四世紀以降に誰かがブッダという偉人をつくりあげた、その書き物に過ぎないということになっているようだ。インドの宗教の伝統文化の特異性などは一瞥すらもしないという姿勢のようであるが、それにたいして、ゴンブリッチ博士は、207頁に「ひと纏まりの言葉がテクストの地位を担うには、誰かがそうした確固たる実体を作り上げようと決め、暗記したうえで今度は他の者たちが暗記できるように伝えるという形を取るしかなかったであろうと」述べている。

そして、377頁に、仏教は、「人類思想史の全体を通じて少なくとも存続期間においては、最大の運動であるに違いない」と仏教の教えとしての広がりを正当に評価している。また、378頁には、ブッダの「カルマ理論とは祭祀の代わりに倫理を置くものであり、ここでブッダはバラモンに対して、いわば敢然と立ち向かっている。」と書いて、某国の仏教学者がこぞって右に倣えとなった、輪廻やカルマなどはみなバラモン教からの借り物でブッダは輪廻を否定したのだとする近代以降の認識とは、まったく異にする見識、つまりそれが世界の仏教徒のまっとうな認識なのではあるが、ごく当たり前の認識を文献学を厳格に研究された上でお持ちであるということなのである。

201頁には、パーリ聖典が最古の資料でありその経と律に比肩するものはないとして、「我々が、仏教がいかに始まり、いかに発展してきたのかということに、真剣な関心を抱いているにもかかわらず、それらに最大の注意を振り向けないとしたら、まったく愚かしいことだ」と書かれている。我が国においても、明治時代に欧州に留学してまで近代仏教学を学び原始仏教という名でブッダの教えを真摯に学んだ時期があった。にもかかわらず、戦前戦中の動乱の末、戦後は小さく伝統仏教宗派内の教学に埋没し、大乗経典のそれも各宗派関係の経典研究のみに没頭し、宗門大学さえもまったくブッダの正論、つまり仏教とは本来いかなる教えであるかといったことに関心がなくなったわが国の現状を嘆いているかのようである。

また379頁に、「ブッダのカルマ理論は祭祀を倫理に置き換えたばかりでなく、意思を倫理的な価値判断の究極の基準とした。これは文明史における偉大な一歩であった。なぜならこのことは、あらゆる人間が倫理的水準において、普遍的に平等であることを意味したからである」「さらにブッダは、我々は自らの運命の支配者であり、各々が結果に責任を負うことを主張するという、きわめて大胆な一歩を踏み出した」と書かれており、神の意志でも、支配者の指図でもなく、宇宙の摂理でもなく、仏のはからいでさえもない、個々人の存立の基盤、基本的な人権なるものに気づかせるものであり、すべては因果応報、自業自得であることによって自らの教えを体系化したということが、その時代にそれをなし得たことが、人類の文明史上においてさえ、いかに革新的なものであったかということを文献学の上から証明しようとされている。

また博士の大乗仏教に対する認識は、この大事なところ、つまりカルマ(博士によれば、それは道徳にまつわる意欲であり、生を経めぐらせる原動力、生を貫く持続性と一貫性の原理をもたらすと説明される)は各々個人において異なるのであって、自らのカルマを引き継ぐべき本人が涅槃に達していなければ再生を続けるはずであるのに、それを曖昧にした。ブッダを極端に賛美し、ブッダと将来のブッダたる菩薩を多様化することで、一群の神格化された人物を創り出し、本来実践すべき教えを垂れる存在であったブッダを単に祈りと崇拝の対象にしてしまったと考えられ、最初期の仏教と著しく異なるものとなったと結論している。

いずれにせよ、ゴンブリッチ博士は、文献学の見地からパーリ聖典を渉猟されて、その精緻な読み解き、一部紹介したような欧米の仏教学者たちからの厳しい批判的な眼差しにさらされ、自らの認識、感触ををそのまま思うように書けない中で、このような文章になっていることを加味して改めて読み直してみると、序言の冒頭に、「本書は、ブッダがあらゆる時代を通じて最も輝かしく、かつ独創的な思想家の一人であることを論証するものである」とあるその言葉どおり、溢れんばかりのブッダへの熱い思い、礼讃を感じ取ることができるのである。

それは、はじめに述べた、インド人仏教学者とは大違いであったことに安堵するが、最終章の最後に、「西洋世界でのパーリ語研究はほぼ死に絶えてしまった」と述懐している博士の立場を考えるとき、学問の世界も功利主義の潮流に圧倒され、お金にならない研究をする人のなくなる時代に長年情熱を傾けてこられた博士に感謝の念すら憶え、今後日本にも博士のような勇気ある研究者が一人でも多く現れることを期待したい。豊富な内容をもつ本書の一端をとらえ気が付いたことのみを書いてみたが、本書を書評するというほどの内容ではないと考えている。さらにこれから何度も本書を読み返しつつまた時折気づいたことを書いてみたいと思う。それだけ魅力あふれる本書に出会えたことに感謝したい。


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木村泰賢博士著『大乗仏教思想論』に現実的輪廻論を学ぶ

先ず『Wikipedia』より、博士の略歴をご覧下さい。
「1881年に岩手県に生まれる。幼名二蔵。酒屋で小僧修業の後、東慈寺に貰われて出家。1903年に曹洞宗大学林(現・駒澤大学)を卒業し、東京帝国大学に進学し、高楠順次郎に学ぶ。1909年に首席で卒業し[2]、日露戦争に従軍。曹洞宗大学講師、日本女子大学講師、東京帝国大学講師、同助教授を歴任、1920年頃にイギリスに国費留学した後、1923年に教授に昇任。『阿毘達磨論の研究』で東京帝国大学より文学博士。東京帝国大学印度哲学講座の初代教授。1930年、在職のまま心臓病のため死去。」

手元の『木村泰賢全集第六巻・大乗仏教思想論』は、昭和42年に大法輪閣にて再版されたものである。昭和11年5月、49才で亡くなられて、7回忌の折に博士の諸論文を全集として刊行することが決まり、その際に、『解脱への道』、『真空より妙有へ』など大乗仏教関係の諸論文を収録したという。再読し傍線をいれた、生死輪廻に関する箇所を中心に抜き書きし、私なりに学び取ったことを補足してみたい。

「止みなき苦悩を繰り返すと考えられた輪廻に対しても大乗と小乗と趣きを異にする。小乗にては、輪廻を止息することを思想としたのに対して、大乗は輪廻によるが故に吾らは無限の向上を期して永遠に渉って修行することができるのであるから、修行の立場からするかぎり輪廻は菩薩の本願実現の必須条件であると見るに至ったのである。」193頁

輪廻というのはお釈迦様によれば苦の連鎖であり、はやく抜け出すべきところである。その苦しみの連続である輪廻から解脱するために教えがあり、修行があるとされたきた。しかし、大乗仏教では、無限の向上を目的として修行を続けるために、つまり利他行を修するためには、輪廻は必要なものなのだというのである。死んで訳の分からないあの世に逝くとか、年忌法要を経て仏になるなどということは決してあってはならないということなのであろう。なぜなら大乗菩薩の誓願は自ら涅槃に趣く前に一切衆生を救済することなのであるから。

「菩薩道の主な特質は、
一在家道と出家道とを止揚した立場に立ち、いやしくも大菩薩心を起こし無我心と愛他心とをもってするかぎり、あらゆる行願が悉く衆生の救済と自己の完成とに回向されるという思想の上に立つこと。
二、限りない輪廻も畢竟するに菩薩の行願を修すべき経過で、一歩一歩、仏陀たるべき功徳を積む階段と見る思想の上に立つこと。
三、一切衆生は悉く菩薩として将来に成仏する可能性あり、したがって何人も菩薩の誓願を起こすべきことを最後の理想とすること。
四、衆生無辺誓願度の約束のいたすところ、衆生と共に浄土を建設するのを理想とすること。」302頁

大乗仏教徒とは、自らを在家も出家も超越した菩薩としてとらえ、他の者とともに成仏すること、つまり悟りを得ることを人生の理想とし、その理想を実現するために、何度も何度も輪廻し、生まれ代わりながら菩薩として功徳を積むために尊い命を生きていると捉えるべきなのであろう。

「この(不住)涅槃は輪廻と解脱とを止揚した思想で、輪廻の世界にありながら、それは他力的に運命のために束縛された結果ではなく、むしろ輪廻すなわち現実界のままながら衆生救済の自由活動であり、解脱を理想としながらも無余涅槃のごとく休止した状態ではなく、いい得るならば、永遠に輪廻しながら永遠に解脱しつつある当体である。すなわち仏陀が菩薩として活動されたその活動を永遠化した考察と解すべきである。・・・大乗仏教で生死即涅槃とか治生産業皆是仏法などというのは正しくはこの不住涅槃の消息を明らかにしたものに外ならぬ。」350頁

不住涅槃という言葉があるという。解深密経、入楞伽経などから用いられようになった熟語だという。悟ったまま輪廻してくいということなのだが、涅槃とは解脱であるから、輪廻から抜けて生まれ代わらないことを言うので、不住涅槃とは菩薩として悟ることはできる機根がありながらも、一歩手前で悟らずに輪廻を続けていくことであると解釈すべきであろう。

「仏陀に従えば、吾らは生まれながらにして、前世の業によって、すでに一定の性格を帯び来たれるものである」365頁
「智慧の修練によって宿業による性癖または気質の制せられることは、あくまで仏陀の認められたところで、かの教誡の原則もこれを除いては他に求めることができないのである。仏陀が始終情執を離れて物を如実に認識せよと教えたのも所詮吾らをして必然より自由に解放する道は、いわゆる如実智見によって、その先天的性格を改造する外になしと信じたからであった。」362頁

私たちはみんな前世の業によって、それぞれに性格、性癖、気質を持って生まれてきている。そのとらわれた状態のままに生きていたら、自らにも社会的にもよろしくないのであって、身勝手に、自分の欲望のままに、都合の良いようにものごとを見ることなく、ありのままに見て、自らの心をも観察していかねばならないと言うことであろう。

「菩薩の一員として私たちの建設すべき浄土は将来にありとすれば、その具体的完成もまた遼遠のかなたにあるべきや勿論である。・・・具体的浄土は決して一日に完成するものではない。私たちは生を代え身を代えて、いわゆる無窮の輪廻に渉り、ただ偏えにこの目的のために努力する覚悟がなくてはならぬ。・・・菩薩道の精神からすれば、涅槃に入ることはあとのあと廻しとして、むしろ自ら志願して常に生死に輪廻して生々世々に渉って一歩ずつたりとも最高理想の実現に何物かを寄与し得る機会を得た方が却って涅槃に入るよりも生活上意義あることと考えられているのである。」415頁

大乗仏教、特に戦後日本仏教は、輪廻などない、死んだらみんな仏である、浄土に往生する、曼荼羅の世界に入る、などと耳障りのいい言葉を重ねてきたのではないだろうか。先にも申したとおり、大乗菩薩の使命は一切衆生の救済にあったのではないか。なれば、死んで仏や浄土に身罷るのではなく、やはり輪廻してまた人間界に還ってきて、ともにこの世に浄土建設のため功徳を積み、多くの人々を導くべく、仏教徒として再生してもらうべきなのではないかということである。

「かく浄土より再び戻って、下化衆生に従事するのを本願思想の進歩であるとすれば、浄土も畢竟するに一種の輪廻界ではないかという問題が起ころう。何となれば、往生して再び戻るには、生死の道を経る外に道がないからである。・・・浄土往生の思想は生天思想と密接な関係のあることは争われぬ事実である。」470頁

往生とは往きて生きることだという。浄土思想は生天思想と密接な関係があるとあり、往く先の浄土とは、天界のどこかということなのであろうか。天界なのだから余程寿命は永いとは思われるが、いずれは下界に堕ちるときがくる。浄土から人間界に還ってくる際には輪廻により死後生まれ代わってくるということなのである。

「浄土なる境界を小乗教理に対比すれば、その四果中、第三の不還果に相当するもので、ある意味からすれば、第三不還果の聖者が上天して、そこで入涅槃するという思想を通俗化し積極化したものということもできよう。したがって涅槃と輪廻とを判然と対立せしめるかぎり、未だ真の涅槃に至らない浄土の身分は輪廻界に属するものといわねばなせぬ。」471頁

四向四果という悟りの階梯がある。その中の不還果の聖者とは、天界に生まれ代わり人間界に転生することなくそのまま涅槃に入るとされる、かなり勝れた瞑想の境地を得た人たちのことである。この考え方を発展されたものが浄土思想であるということなのだが、つまり浄土とは未だ六道輪廻の中ということなのであろうか。

「我々は七度八度ではなく、限りなしに死に代わり生まれ代わって弥勒の世界を造る必要がある。・・・無窮の輪廻をたどって、弥勒の浄土の出現を促すのだ、弥勒浄土に何物かを寄与するのだとしたならば、生死すること自身は既に菩薩道の活用でありまして、これを願生輪廻ともいい、または不住涅槃と名づけるのであります。」499頁

56億7千万年後に出現するとされる弥勒浄土のために、その時のためにこの現世に浄土建設のために寄与すべく何度も輪廻することが菩薩としての役目だという。

「序文 著者の人生観は言い得るならば永遠を理想としての解脱主義である。一切は永遠に解脱し行く過程で、而も一切を永遠の解脱に向ける所に人生の価値が存する、というのは著者の主張である。」

最後に、同博士著『解脱への道』(昭和10年甲子社書房刊)の序文の冒頭である。著者の人生観として書かれているが、まさに仏教徒とはこのように生きる人たちのことなのではないかと思う。すべてのものは解脱する過程にある。一切の生きとし生けるものたちを解脱させんがために自分の人生がある。ということであるが、この世は解脱のためにある。つまりは悟るために人生あり、いのちありということであろう。

お釈迦様を人生の理想、目標として生きるとはそういうことであろう。悟るためにこそ人生があるとするのである。だから、人身受け難し、仏法遭い難しという。人間に生まれたからにはせっかくの機会を不意にしてはならないと考えるのである。解脱とか、悟りとか、難しい言葉を使うのでいけないが、悟りとは最高の幸せであり、究極の喜び、なにものにも代えがたい人間としての頂点、完璧な完成した人格、最高の財産。

それらを私たちの身近な目標なり、人生の理想像の先の先にあるものとして生きる。人生の様々なことは皆そのためにこそある、いろいろな経験を通して人として成長し、徳を積み、学び、心を養う。その先にお釈迦様の悟りがあり、そこに近づいていくべく生きる。間違いを犯したとしても、それも一つの人生の経験として何かしら先々の糧となるものと受け取る。何度生まれ代わっても、悟るために頑張るというのが仏教徒の生き方ではないかと思う。そのことを正に博士が亡くなる前年に出された著書の序文にお書きになっているのである。


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雲照大和上遺墨展によせて

雲照大和上を学ぶ会の松本宣秀師が23日来訪された。来月14日から18日まで倉敷市立美術館にて、倉敷仏教会主催「雲照大和上遺墨展と講演・明治150年を雲照大和上に問う」が開かれるにあたり、國分寺所蔵の雲照和上直筆の書額などをご覧になるためである。因みに、当寺からは、「戒為清涼池」「観蓮知自浄見菓覚心德」「如寶」の三額、「了・・時無可了」の一軸を出品させていただくことになった。

なお、倉敷美術館での講演は、11月17日(土)午後1時半から智山講伝所田中悠文師による「雲照大和上と日本の教学」、東洋大学名誉教授伊藤宏見師による「雲照大和上の信仰と事蹟」が1時間半ずつ予定されている。是非御参集下さい。なお、問い合わせは、雲照大和上を学ぶ会/岡山市北区大内田581千手寺内☎086-293-0713まで。






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雲照律師についてご存知ない方のために、かつてこちらに掲載した、中外日報の記事を再掲します。

中外日報2月22日付『近代の肖像』危機を拓く第103回

釋雲照① 略伝

釋雲照律師(一八二七ー一九〇九)は、その学徳と僧侶としての戒律を厳格に守る生活姿勢、そしてその崇高なる人格に山県有朋、伊藤博文、大隈重信、沢柳政太郎など、明治の元勲や学者、財界人が帰依し教えを請うた明治の傑僧であった。

雲照は、文政十年、現在の島根県出雲市東園町に農家の五男として生まれ、十歳で得度。十八歳で高野山に登り伝法灌頂を受け、地方一寺院の住職となる。

しかし、二十二歳のとき高野山に登り金剛峯寺衆徒となり真言宗学を悉く学ぶと共に、全国の名山大寺に高僧を訪ね天台十不二門、唯識論述記、止観、梵網経など宗派を超えた修学受法に努めている。この間幾度となく虚空藏求聞持法、八千枚護摩供を修した。

明治維新を四十二歳で迎えると、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れる中、一沙門として、「三道一致国体建白」「廃仏毀釈に対する建白」など建白書を携えて京都、東京の政府当局に出頭して「仏法は歴代天子の崇信するところにして、皇国の神道及び儒教の忠孝と相助け国家を擁護せるものなれば、一旦にしてこれを排棄すること甚だ非なり」などと剛毅不屈の気迫をもって建白を重ねた。翌年には諸宗同徳会盟に参加。

また四十八歳の時京都勧修寺門跡。五十三歳で大学林学頭になり、真言宗各本山が独立の機運ありと知ると、大崎行智らと湯島霊雲寺に各派代表九十五名を集め真言宗大成会議を開催。委員長となり、真言宗新古統一の宗制を定め、戒律中心主義に基づき厳格なる宗規を定めた。そして、真言宗僧侶養成の機関として東寺内に総黌(今の種智院大学の前身)を設立。

明治四年の諸山勅会廃止により中絶していた宮中後七日御修法の再興を東寺長者三條西乗禅、土宜法龍らとともに関係諸氏に懇願。玉体加持に代わり御衣を下附され、東寺灌頂院にて明治十六年より再興するに至る。

同年久邇宮殿下の外護を得て「十善会」発足。しかし翌十七年に真言宗宗制会議が開かれると、戒律中心主義は根底から覆され教学中心主義の宗制が制定されるにいたり、宗団の改革見込みなきことをさとった。

明治十八年、雲照の護法に掛ける情熱に敬服していた政府大書記青木貞三氏は、首都東京での護法民衆教化にあたることを進言。五十九歳で雲照は東京に出て、明治十九年現在の文京区関口二新長谷寺(後の目白僧園)住職。

そこで、戒律学校を開き、常時四十名程の僧侶が薫陶を受けた。また、通仏教を標榜し国民道徳の復興を目的に社会の一道徳的教会として「十善会」を再興し、「夫人正法会」を発足。会報として『十善法窟』『法の母』を発刊。後に共に天覧に供された。

那須野に雲照寺開創、備中宝島寺に連島僧園を開設し、目白僧園と併せ三僧園とし、持戒堅固な清僧の養育にあたった。 六十二歳の時わが国で初めて大蔵経の和訳事業を開始し、六十八歳頃からは、早稲田大学で「金剛経」をまた哲学館(後の東洋大学)では「仏教大意」を講義。

七十歳からは、説法教化のために全国各地を巡り、七十三歳の時仁和寺門跡となる。日露戦争戦歿者慰霊のために光明真言百万遍講を組織して霊を弔い、八十歳にして、満韓戦場戦死者回向のため満州朝鮮に渡り、各地で追悼法会を営んだ。

さらに、八十二歳で、東北、北海道、樺太巡教。西洋化する社会を憂えて神儒仏三道一貫の精神をもって本義とする国民教育を施す場として徳教学校設立運動を開始する。

しかし、志半ばにして明治四十二年四月十三日遷化。不惜身命の精神で、仏教護法にささげた八十三年の生涯であった。


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本堂の両部曼荼羅について

この度、写真にあるように、大覚寺所蔵の両部曼荼羅(複製)を國分寺本堂にお祀りしました。今年七月六日に搬入され、八月十三日に本堂正面左右奥の壁上部に取り付けられました。約百六十㎝四方の額装仕立で、壁の上から下まで覆っています。

この両部曼荼羅は、この十月に京都大覚寺で嵯峨天皇御宸筆の勅封般若心経写経が御開封され法会が行われますのを記念して、特別限定にて複製されたものです。大覚寺で伝法灌頂など大切な儀式に際して荘厳として設えられる曼荼羅であり、仏様の衣などの特徴から江戸時代の製作ではないかと推定されています。明るい色使いで、一尊一尊の仏様も大きく、名前がすべてに標示されています。

そもそも、曼荼羅・マンダラとは、インドの言葉で、円、球形、輪、軌道、壇、集団、本質などを意味します。神さまをモチーフに円や線を用いて描いた幾何学的な図像をインドではマンダラと称してヒンドゥー教などで広く用いられてきました。

仏教徒にとっての究極の目的は悟りですが、悟り、ないし悟った人を言葉や図像で表現することは出来ないとされてきました。しかし時代を経て、仏像が現れ、お釈迦様以外にたくさんの仏様を発生させる教えが生まれていきます。その仏様方を教えに基づき規則的に配置することにより集合的な仏様の世界観ができていき、さらに仏様の悟りの世界を具象化して表わす曼荼羅が誕生しました。それは実際に修行者が前に置いて観想し瞑想修行する対象としても用いられるものでした。

弘法大師が唐から持ち帰られた曼荼羅に、胎蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅があります。これを両部曼荼羅といって、真言宗寺院では一対として御堂に祀ることになっています。この度本堂に祀られた曼荼羅も大覚寺所蔵の金胎一対の両部曼荼羅であります。

胎蔵曼荼羅は、その名の如く母胎が胎児を守り育み、月満ちて元気な子を生み出すように、如来が大慈悲により生きとし生けるものを産み育て、さらに仏心をその子の心に育成していく如来の大慈悲の本質を表しています。 

そこで曼荼羅の中央に、大慈悲を表す蓮を描き、その中心に大日如来、八葉の蓮華の上に四仏(宝幢仏・開敷花王仏・無量寿仏・天鼓雷音仏)と四菩薩(普賢菩薩・文殊菩薩・観音菩薩・弥勒菩薩)を配しています。これを中台八葉院と言い、その周りを持明院、遍知院、釈迦院などと名付けられたグループ分けされた二百尊を超える仏様方が縦横に四重に取り囲む構造になっています。

大慈悲を智慧と慈悲に分けて展開し、教えをこの世に実証されたお釈迦様とその弟子たちの集まりや、その智慧の目を開くための仏様方、自我の執着を取り除く仏様方、またいかなる苦難をも耐える仏様方、宇宙大の福智を身につけた仏様方など内から外へと大慈悲の仏心が展開されていく様子が描かれています。

次に、金剛界曼荼羅は、金剛石の如くに堅く、何ものにも砕かれることのない、大日如来の永恒に不滅の宇宙大生命そのものを表しています。そのいのちは白色の円、白浄の満月輪によって表現されており、そこにはすべてを包み込む永遠なる命と、生きとし生けるものに平等に価値あるものを与え、それぞれに適切な慈愛を以て育み、それぞれに応じた働き行動を起こす四つの智慧がそなわるとされます。

金剛界曼荼羅は、普通縦横三つずつに分け全体で九つの区画に分けられた九会になっていますが、この度の大覚寺所蔵の金剛界曼荼羅は、九会の中心をなす成身会という区画のみを大きく拡大させた一会の金剛界曼荼羅です。大きな白い円・月輪の中に、中心と上下左右に五つの月輪があり、それぞれの中にさらに五つの月輪が描かれています。

中心には、四人の波羅蜜菩薩に取り囲まれた大日如来が位置し、この曼荼羅では東にあたる下部には阿閦如来、南にあたる左側には宝生如来、西にあたる上部には無量寿如来、北にあたる右側には不空成就如来が位置しており、これら四仏の上下左右にそれぞれ四菩薩が配され、つごう十六の菩薩たちが取り囲み、それぞれの如来の徳を成就する役割を与えられています。

中心の大日如来の悟りの智慧が四仏に展開し、その四仏がそれぞれ四菩薩を生み、さらに大日如来と四仏とが供養し合い、大日如来の大生命が限りなく開き広がっていく様子を七十尊余りの仏様方によって表しています。そして、それはすなわち万物が相助け合い尊重し合い繁栄するという宇宙全体の理想的な姿を示すものでもあります。

曼荼羅の中に描かれた仏様は様々で、よく存じ上げている仏様もありますが、聞いたこともない難しい名前を持つ方も大勢おられます。

國分寺のご本尊お薬師様は、釈迦如来と同体とのことで、残念ながらこの両部曼荼羅の中にはおられません。釈迦如来は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院の上二段目に釈迦院があり、その中央に四尊の侍者に囲まれ、説法の印を結び蓮華にお座りになっています。

お薬師様の脇侍の日光菩薩は、胎蔵曼荼羅地蔵院の一番下、月光菩薩は、胎蔵曼荼羅文殊院の左中央に描かれています。

各家の仏壇の本尊様である大日如来は、胎蔵曼荼羅では、中台八葉院の中心に位置して五仏の冠を戴き髪を垂れ、条帛という布をまとう菩薩形で、臍の前に右の掌を左の掌の上に置き両親指を軽く着ける法界定印に住しています。

金剛界曼荼羅では、中央の月輪の中心に位置し、五仏の冠を戴き結髪を肩に垂れ天衣を肩から腰にめぐらし、胸の前で上に伸ばした左手の人差し指を右手の五指でまとう智拳印を結んでいます。

また、阿弥陀如来は、無量寿如来との名で、胎蔵曼荼羅では中台八葉院の西にあたる下の八葉に描かれ、金剛界曼荼羅では中央大日如来の月輪の西にあたる上の月輪の中心に描かれています。両手の親指人差し指を着けて臍の前で左右を合わせる弥陀の定印を結んでいます。

不動明王は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院のすぐ下の持明院の一番右に大きな火焰に取り巻かれたお姿で描かれ、観音菩薩は、胎蔵曼荼羅中台八葉院の八葉の中の北西にあたる左斜め下に描かれています。

観音菩薩はこの他、釈迦院、文殊院にもそれぞれ主尊の脇侍として描かれている他、中台八葉院のすぐ北にあたる左の蓮華部院には、聖観音、如意輪観音、不空羂索観音、馬頭観音、白身観音など変化観音二十一尊が描かれています。

個々に見ていっても誠に興味深い曼荼羅ではありますが、それぞれ迫力ある曼荼羅全体から発せられるメッセージ、あるいは力を受け取っていただくことも一つの鑑賞の仕方ではないかと思います。美術作品ではありませんが、どちらが好ましく思われるか、でもよいかと思います。

胎蔵曼荼羅は仏様の慈悲の温もりを表現しています。大きな曼荼羅の前に立ち、あたたかい母胎から生まれ出るようなやさしい慈悲の息吹を感じてみてください。悩み事があったり、心ふさがれ落ち込んでいるようなとき、この曼荼羅を眺めているだけで、ふと心晴れやかに穏やかになっていることに気づかれることでしょう。

金剛界曼荼羅は仏様の智慧の輝きを表現しています。大きな月輪の仏様方を前にすると、自然とそれらが立体的に躍動する様子が立ち現れてまいります。日々の生活に疲れ、力失っているようなとき、またこれからどうしたらよいか展望を見失っているようなとき、この曼荼羅を心に思い描くだけで、心の中に確たる力がみなぎってくることを実感されることでしょう。

私たちはみんな、ひとり一人いずれは仏になるために尊いいのちを授かっています。未来の自分がそこにあると思い、しばし目を閉じ、曼荼羅の中にいる自分を思い巡らしてみるのも面白いと思います。是非お参り下さい。
 

追記 十三仏の曼陀羅上の位置について

 初七日忌の本尊・不動明王は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院のすぐ下の持明院の一番右に大きな火焰に取り巻かれたお姿で描かれています。
 二七日忌の本尊・釈迦如来は、やはり胎蔵曼荼羅の中台八葉院の上二段目に釈迦院があり、その中央に四尊の侍者に囲まれ、説法の印をした釈迦如来が蓮華にお座りになっています。
 三七日忌の本尊・文殊菩薩は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院の八葉の西南にあたる右斜め下と釈迦院の上にある文殊院の中央二ヶ所に大きく描かれています。金剛杵を乗せた蓮を左手に持ち右手に経巻を持つ姿で、大きな蓮花の上に座られています。
 四七日忌の本尊・普賢菩薩は、文殊菩薩同様に、中台八葉院の八葉の中の南東にあたる右斜め上と文殊院の文殊菩薩の右上の二ヶ所に描かれています。左手には剣を乗せた蓮を持っています。
 五七日忌の本尊・地蔵菩薩は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院の左二段目の縦長の地蔵院の中央に描かれています。右手に宝珠を持ち、左手には宝珠のついた憧旛を立てた蓮華を持っています。
 六七日忌の本尊・弥勒菩薩は、胎蔵曼荼羅中台八葉院の八葉の中の北東にあたる左斜め上に描かれ、右手に瓶をのせた蓮華を持ち左手は施無畏の印、宝冠に宝塔を戴いています。
 七七日忌の本尊・薬師如来は、釈迦如来と同体とのことで、残念ながら両部曼荼羅上にはお姿を見ることは出来ません。
 百か日忌の本尊・観音菩薩は、胎蔵曼荼羅中台八葉院の八葉の中の北西にあたる左斜め下に描かれています。右手に蓮華を持ち左手は施無畏の印、宝冠には無量寿如来が戴いています。観音菩薩はこの他、釈迦院、文殊院にもそれぞれ主尊の脇侍として描かれている他、中台八葉院のすぐ北にあたる左の蓮華部院には、聖観音、如意輪観音、不空羂索観音、馬頭観音、白身観音など変化観音二十一尊が描かれています。
 一周忌の本尊・勢至菩薩は、胎蔵曼荼羅の蓮華部院の右上から二つ目に描かれています。右手は親指以外の指を屈して胸に当て、左手は半開の蓮華を持っています。
 三回忌の本尊・阿弥陀如来は、無量寿如来との名で、胎蔵曼荼羅では中台八葉院の西にあたる下の八葉に描かれ、金剛界曼荼羅では中央大日如来の月輪の西にあたる上の月輪の中心に描かれています。袈裟を身につけ、両手の親指人差し指を着けて臍の前で左右を合わせる弥陀の定印に住しています。
 七回忌の本尊・阿閦如来は、金剛界曼荼羅の中央大日如来の月輪の東にあたる下の月輪の中心に描かれています。袈裟をまとう如来形で、肌は青色、右手は膝にかぶせ地に着け、左手は拳にして臍の前に置いています。
 十三回忌の本尊・大日如来は、胎蔵曼荼羅では、中台八葉院の中心に位置して五仏の冠を戴き髪を垂れ、条帛という布をまとう菩薩形で、臍の前に右の掌を左の掌の上に置き両親指を軽く着ける法界定印に住しています。金剛界曼荼羅では、中央の月輪の中心に位置し、五仏の冠を戴き結髪を肩に垂れ天衣を肩から腰にめぐらし、胸の前で上に伸ばした左手の人差し指を右手の五指でまとう智拳印を結んでいます。
 最期に三十三回忌の本尊・虚空蔵菩薩は、胎蔵曼荼羅の中台八葉院の西にあたる下二段目の虚空蔵院の主尊として、頭には五仏の冠を戴き、右手は剣を持ち左手は上に宝珠を置く蓮華を持ち、また釈迦院の主尊釈迦如来の脇侍として描かれています。以上


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