住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

断捨離ということ

2020年09月06日 15時13分21秒 | 仏教に関する様々なお話
断捨離ということ



今台風10号が奄美地方に迫っている。これまでにないほどの大規模な暴風大雨による被害が予想されている。友人家族は大丈夫だろうか。何とか無事にやり過ごしてくれることを願うのみである。

ところで、この夏はまさに記録破りの猛暑。観測史上最高に暑い8月だったとか。お盆を過ぎても、つい先日まで最高気温が35度36度という日が連日続いた。その暑さに毎日何も出来ない無為な日が続いたある日、何年も片付けられずたまりに貯まった空き箱やら書類の入った段ボールの積み重なった事務所隣のタンス部屋の片付けを思い立った。空き箱を外に出し、捨てられるものは仕訳して袋に入れ、焼けるものは外で焼却し、他に移動できるものは運び出した。掃除機を掛け、畳を拭いて、丸一日かかって念願の大掃除が出来た。

その余勢を駆って、事務所の書類や本類、封筒の類いも雑然と入れてあったものを整理し不要なものを廃棄した。まだすべき所もあるが、身の回りのがきれいに整理整頓されているということはこれほどまでに清々しく軽快に感じるものかと思える。よく断捨離というが、まさにその恩恵にあずかったように思えた。

そこで断捨離という言葉について調べをしてみると、近年山下さんという主婦が提唱して話題になったものではあるけれども、この言葉自体は戦後ヨガの大家として名高い、沖正弘先生がヨガの行の一つとして教えられたものだという。断行、捨行、離行といい、断行とは入ってくるものを断つこと、捨行はすでにあるものを捨てること、離行とは執着から離れることだという。

入るものを断つとはどんなことだろう。例えば買ってきた物、そのすべてに包装なり、紙袋なり、レジ袋ももれなく付いてくる。宅配物には当然梱包材が含まれ、ついついそれらも使うこともあるかと捨てられずに貯まっていく。レジ袋が有料になり、みんなエコバッグなりマイバッグをもって買い物に出る習慣が出来たことは良いことだろう。

しかし入るものは物ばかりではなく、目や耳にするもの、それこそ何気なく付けているテレビやラジオから入る音による情報や目から入る情報もすべてみんな無遠慮に私たちの中に入りこむ。本来はそれらこそ不要なものは断ち切って頭の片隅にでも入らないようにすることが必要なのかも知れない。それらが特別役に立つ場合もあるかも知れないが、ほとんどが不必要に欲をかき立てたり、不安を助長することも多いのではないか。

たとえそれらを目や耳で感覚として受け取ったとしても、それらが、記憶にとどまり、欲や怒り、不安や恐怖に結びつかないように、心とらわれないように気をつける必要がある。今年になって蔓延しているとされる感染症に関する報道もそうだろう。毎日毎日感染者数が上積みされていく報道に恐れを抱き、外出も控え、どこに行くにもマスクが離せなくなってはいまいか。平常な日常を取り戻すためには、まずはやはり入るものを断つことが必要だろう。

では、すでにあるものを捨てるとはどんなことだろう。物を捨てることは見やすい。不要な物を廃棄して、必要な物、思い出のこる品は整理してこぎれいに配置したら良い。しかし頭の中にすでにあるものを捨てるのは容易なことではない。それこそなかったことにしたくてもなくなることはなく、忘れたいのに忘れるというのも、そう簡単なものではない。いつまでも思い出されて不安な気持ちになったり、怖れを抱いたり、なぜあのときそうなってしまったのかと後悔をしてみたり、怒りが湧いてきたりというようなことは誰にでもあるだろう。

そうした記憶とどうつきあえばよいのか。そのつど例えば慈悲の瞑想※によって心を入れ替えることも出来ようし、余りにも度々思い出されるようなことであれば再度心静かに当時を振り返り、それが決して怖れるようなことではなかった、後悔するようなことではなく、また怒りを伴うことではなかった、返ってそのことがあったから今がある、それでよかったのだと冷静にその因果関係を見つめ、受け入れる機会を持つことも必要かも知れない。新型感染症に関して言うならば、怖いという思いの根源を捨てるためには、その本当の真実の実態を知ることが必要なのではないか。

最後は、執着から離れるとはどんなことだろう。物に対する執着はその人の経済状況にもより変化するであろうし、姿形に対する執着は年齢の経過と共に変わらざるを得ない。しかし、変化したとしてもその執着の根はそう簡単には無くならない。また自分の考え、習慣、嗜好に対する執着もより一層強固なものだろう。

執着していた思い出の品を捨てるようなことはたやすいが、その思い出を捨てることはそう簡単なことではない。しかし物を捨てることによって、目にする機会が薄れたことで執着が止むこともある。物が整理され生活がシンプルなものになることで好みや生き方が変わることもある。執着していることをわずらわしく思ったり、厭う心が生じるならばことは簡単だろうが、まずは執着していることに気づき、そのことによる不利益やとらわれた心による不快感や煩悶する自分に気づくことが必要だろう。そして、感染症が怖い怖いと思う自分の生きることに対する執着そのものを知ることもその思いを開放するためには必要だろう。

いずれにせよ、自分を変えるために断捨離はとても効果がある教えではないか。まずはもてる物の整理から始めてみてはいかがであろうか。


 ※慈悲の瞑想とは、7月2日投稿「いまをいかに生きるか」参照。
  「私は幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように 
   私の願い事がかなえられますように 私に悟りの光が現れますように」
   上記の言葉を各々3度ほど静かに念じます。
   そのあと、「私」のところに「身近な人々は」「生きとし生けるものは」、
   と入れ換えて、やはり3度ほど念じ、やさしい慈悲の心を全ての生き物たちにひろげていく。
   さらに、「自分を嫌いな人」も「自分が嫌いな人たち」も幸せでありますようにと念じていく。

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松長有慶先生著 『訳注 声字実相義』(春秋社刊)を読んで

2020年08月23日 18時34分04秒 | 仏教書探訪
【六大新報七月二十五日号掲載】

松長有慶先生著 『訳注 声字実相義』(春秋社刊)を読んで



松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第4巻『訳注 声字実相義』(春秋社刊)を拝読させていただいた。

『声字実相義』(以下『声字義』と略す)は、『密教辞典』(法蔵館刊佐和隆研編)に、真言教学の重要聖典、即身義、吽字義とともに三部書の一つとある。従って、専修学院時代に多少の知識は得ているはずなのだが、はたしてどのような内容であったか記憶に乏しい。もとより一から学ばせていただく気持ちで本書を開いた。

そこには、凡例に続いて参考文献として、真言宗全書、智山全書、豊山全書などより、鎌倉時代から江戸時代までの学僧による十四の注釈書が掲げられ、さらには英語ドイツ語の文献を含む、近代の三十二の解説書、研究書まで一覧にある。それらは本文に【略記号】で文献を表示し該当する頁数まで記して、原漢文の読みから用語の解釈まで比較検討されており、現時点における『声字義』に関する最高レベルの研究成果をすべて注ぎ込まんとされる先生のこだわりや気迫が感じられる。

まず本編はじめに「『声字義』の全体像」が説かれる。古来インドや中国、また日本において、声や言葉がいかなる意味あるものとして受け取られてきたかを説いていかれる。そして20世紀前半にヨーロッパに起こった構造主義の哲学の根幹である言語論において、この『声字義』も実は20世紀後半には多くの研究者たちの研究対象であったことが紹介されている。

また中国思想における言語論争で注目される「名」は、『声字義』にも用いられるが、伝統的注釈者の多くが「すぐれた」という意味に受け取ってきたという。しかし、正しくは「名」とは、名づけるということ。ものを分けて明らかにしていく、ものの違いによってそれぞれを特定する、そのためにさまざまな名前や言葉が発生していくわけだが、そうして原初の世界において真実の根源から発せられるものを、私たちの現実世界において表現するために用いられた言葉を「名」というのであるという。そうした根源的な存在とかかわる言葉を、本書においては「コトバ」とカタカナ書きにして区別して先生は使われている。

そして、『声字義』の主題について触れられ、それは、私たちの眼耳鼻舌身意の感覚器官・六根に入る六境・色声香味触法、すなわち普段の生活の中で目にする物、耳にする声や音、香りや匂い、口に感じる味、身体に触れる感触、考えたり思うあらゆるもの、それは本来覚りの障害になり六塵ともいわれるものだが、その中にこそ如来が説法される声や言葉が潜んでおり、それは世俗の存在のままに絶対の真実(実相)なのだと説かれる。つまりそれこそ法身大日如来の説法なのであり、心して聞くべきものであるということであろう。

著作年代については、『声字義』中に「『即身義』の中に釈するが如し」という語が二度記述されていることから『声字義』は『即身義』以後の作品とされてきたが、先生はこれを後世の挿入とせられる。そして、『声字義』後半部分に法相や華厳教学への配慮からか自説の主張が抑えられており、また『金剛頂経』からの引用が少なく、両部経典を自在に駆使して自らの主張を巧みに説く準備が熟していなかった時代、つまり真言教学がまだ十分に社会に認知されていなかった弘仁の一桁代後半の作であろうと推定されている。

そして、本編に入るのだが、各段ごとに、はじめに【要旨】が説かれ、次に【現代表現】としてやさしい言葉で現代語訳が示される。【読み下し文】と【原漢文】が続き、難解な用語は【用語釈】として、注釈書に斟酌した丁寧な解説が附されている。【要旨】と【現代表現】をまずは読んで、【読み下し文】や【用語釈】、【補注】を参照すれば、難解な大師の著作をいとも容易に読むことができる。

『声字義』前半では、声字実相という新しい思想を立ち上げる論拠として大日経の偈頌を説き、また内容を説くに当たり四句一頌を自作して自ら解釈して、その中の声・文字などの言葉が実相に他ならないことを述べる。後半ではやはり四句一頌を自作し、六境の代表として色・物質について生物も非生物も、いろ・かたち・うごきの三種の性質を具えていて、いのちを持ち、かつ文字として、そこにこそ諸仏が存在していることをあきらかにしていく。

ところで、中国天台智顗の著作『摩訶止観』に関する注釈書が出典とされる言葉に「草木国土悉皆成仏」がある。以前この言葉について法話するに当たり、筆者は仏とは法を説く者であり、それをたよりに人は試行錯誤しながら何ごとかを覚っていく。しかし、自然が発する音も姿も、時にこの世の法則、真理を垣間見させてくれる。そうして人に示唆し、教え、励ましを与えることがある。されば、それは仏の説法にあたるのであろう、自然そのものも法を説くものとして仏と言い得るのではないかと考え、そのように話してきた。が、これはまさに『声字義』の説く、すべての存在は声字なり、実相なりという教えそのものであったとも言えようか。かつて学んだ教えが朧気ながら筆者の頭に残っていて、意識もせずに紡ぎ出した解釈だったのかもしれない。

毎朝本堂に向かうとき、中の間に掛かる書軸を拝む。そこには「閑林に独座す草堂の暁 三宝の声を一鳥に聞く 一鳥声有り 人 心有り 声心雲水俱に了了たり」(性霊集補欠抄巻十)とある。先生は、本書巻頭「『声字義』の全体像」において、この詩を紹介し八行の現代詩に訳されて、『声字義』に込められた真言密教独自の哲学思想を凝縮するものとして示されている。これまで、十分にその深遠なる意味を知らずに拝してきたが、本書に学んでからは、池に落ちる水の音、鳥のさえずり、風に吹かれて起こる木々のざわめき、それらが一つに融け合う永遠なる瞬間にあることを心に留めつつ入堂している。そして、唱える読経も実相を具えた声字に他ならないと、心新たに日々勤めたいと思う。三部書の一つをここに学ぶ貴重な機会をいただきましたことに感謝申し上げます。

奥深い真言の教えの真髄を祖典に学ぶため、また日々の勤行の質を高める心構えを学ぶ一冊としても、是非、御一読をお勧めしたい。


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備後國分寺だより 第56号(令和2年8月1日発行)

2020年08月23日 11時47分08秒 | 備後國分寺だより
令和2年盆月号(B5・16ページ・年三回発行)


◯ラタナ・スッタを唱えて 
 新型コロナウイルス感染終息のために


四月五日、國分寺の恒例行事、土砂加持法会が執り行われました。世界が震撼する新型コロナウイルス感染拡大に伴い、受付時間を遅らせ、飲食を控えるなどの対策のもとで執行いたしました。土砂加持法会は、檀信徒各家先祖各霊の得脱のために修される法会ではありますが、この度は新型感冒感染症終息平癒祈願を併せ行いました。

お釈迦様在世時のことですが、ヴァッジー国の首都ヴェーサーリーで、飢饉から疫病が蔓延し人々が苦しむさまを見て、阿難尊者とともにラタナ・スッタ(宝経)を七日間唱え続けて平癒せしめたとの故事があります。そこで、職衆(しきしゆう)が土砂加持法則(ほつそく)により法要が進む中、導師は光明真言法を修法し、前供養終わって、観法(かんぽう)の間にパーリ・ラタナ・スッタを読誦し、祈念を凝らしました。

この故事にまつわる話が、法句経(ダンマパダ)二九〇偈の因縁物語に、次のように残されています。

かつて、ヴァラナシの書店で手に入れたヒンディー語訳『ダンマパダ』(『Dhammapada』Bhikshu Dharmarakshit訳注・sanskrit pustakalay刊)より翻訳してみますと、

「あるとき、ヴェーサーリーに飢餓が起こり、疫病が蔓延し、鬼神が災厄をもたらしていた。そのとき、リッチャヴィ王はラージャグリハに行き、お釈迦様をヴェーサーリーにお連れした。お釈迦様がヴェーサーリーに来られ、ラタナ・スッタを読誦させるとすべての病が沈静し、水が降り注ぎ、鬼神たちの恐怖も去っていった。お釈迦様がラージャグリハからヴェーサーリーに行かれたとき、様々なやり方で道が飾り付けられ、沢山の供養の品々とともに旅をなされていた。ビンビサーラ王とリチャッヴィ王はガンジス河の両岸で各々の国で前代未聞の盛大な祭りを催したのであった。

お釈迦様は、比丘たちから、この祭りの因縁を聞かれると、『比丘たちよ、私は過去世でシャンカという名のバラモンであったときスシーマという名の独覚(どつかく)の霊廟で供養を捧げていた。これらのお祭りや歓待尊敬は、その時の業果によるものである。過去世にはわずかな施ししかしていないが、このように大きな果報があったのである。』と言われて説法をなされ、この偈文をお唱えになられた。『もし微少の安楽を捨てて広大な安楽を得べしとおもわば、賢者は広大な安楽をのぞみて、微少の安楽を捨つべし』」とあります。

実は、このヒンディー語本の解説は、元の因縁話からかなり話を要約しているようです。『パーリ語仏典ダンマパダ』(北島泰観訳注・中山書房仏書林刊)には、「ヴェーサーリーに到着したお釈迦様は、阿難尊者に命じてリッチャヴィの王子と共に三つの城門でラタナ・スッタを一晩中唱えさせると、病人が癒えはじめ、その後お釈迦様自ら七日間に亘ってラタナ・スッタを唱えられ、ヴェーサーリーの町は再び平和を取り戻した」とあります。

また、敬愛する薬師寺の院家(いんげ)様からは、ダンマパダ・アッタカターという注釈書の邦訳『仏の真理のことば(三)』(及川真介訳・春秋社刊)に、「阿難尊者は、お釈迦様の水晶の鉢に水を入れて城門にいたり、宝経(ラタナ・スッタ)を唱えつつ投げ上げると、鬼神や病人に銀の耳飾りのような水滴が落ち、するとただちに病気が鎮まった」という記述があることを教えていただきました。

ヒンディ語文には、阿難尊者が投げ上げたという水については、「水(pani水または雨)が降り注いだ」という簡略された表現になってしまっているようです。

いずれにせよ、このラタナ・スッタは、bhutaブータという、生類、鬼神、鬼類、または神とも訳される霊的なものに対して、信仰ある人々に、疫病をまき散らすことなく、汝らに御供えしてくれる人間たちを慈しみ、守り給え、悪さをするな、仏法僧の勝れたものたちを敬い礼拝せよ、精進せよ、幸せであれと諭していく経典となります。

お釈迦様自ら、七日間にわたり唱えられたとされる、このラタナ・スッタを、私も新型コロナウイルス感染が終息するまで、毎朝毎晩お唱えしたいと思います。世界の仏教徒たち、特に南方のパーリ経典を読誦する人たちとともに、このラタナ・スッタを唱え、世界の新型コロナウイルス感染にまつわる騒動が一日でも早く終息するよう祈念したいと思います。(全)


◯月例薬師護摩供後の法話から 
 なぜ葬儀は必要か


最近葬儀社の方とお会いしましたら、この神辺でも、数年前から葬儀もせず、会館で一晩寝かせて火葬するという家が出始め、昨年は特に多くなったと言われていました。

都会では、かなりそうした直葬が増えているとは聞いていましたが、古い家が多く、近所との関係が濃い土地柄と思っていましたので、この神辺で直葬があるとは驚くばかりです。が、知り合いの近県のお寺さんでは、盆参りに行ったら、いつもすぐに出てくるお婆さんが居ないから尋ねると、実は亡くなったのですが、…とのことで、急遽仏間で略式の葬儀をして戒名を付けてあげたという話を聞いたことがあります。

ではどうしてお葬式をしなくてはいけないのでしょうか。私が思うには、人はどのように一生を過ごしてきたのだろうかと考えなくてはいけないと思うのです。人は一人では生きられません。一人が生きるには、家族だけでも、親族だけでもなく、沢山の周りの人たち、衣食住に関わるすべての人たちのお蔭で長い人生を生きてきた訳です。

それを死にましたらからと、もう居ませんから関わりが無くなりました。という訳にはいかないのが人間ではないでしょうか。長年皆様のおかげで生きてまいりました、故人に代わり御礼申し上げ、故人亡き後もご交誼を願うのが本来ではないかと思うのです。

今頃はペットとして可愛がられた動物でも葬儀をして火葬にし、さらには供養までする時代です。それを何十年も生きてきた人が亡くなって、何も周りに言わずに、直葬で済ませましたというのでは、その方のお陰でこの世に生を受け育てられた子孫として、なすべき勤めをなさず、余りにも故人に気の毒であり、近隣の人たちに対しては誠に礼儀を欠く行為ではないでしょうか。

そもそも亡くなったご本人は何を頼りにみまかるのでしょうか。残された遺族や親しかった人は、どのように心の悲しみや心の空白を癒やすのでしょうか。

葬儀は告別式ではありません。葬儀において、導師は改めて三帰五戒を授け、戒名を授与します。これは出家得度式であり、徳の高い行為であるとされるからです。日本では古来高貴な人々が、このように出家をして亡くなることが最も尊い功徳あることとされ、なされたきた伝統が一般の人々に広まり、戒名を授けて引導を渡す葬儀が連綿と執り行われてまいりました。

インドでは、今でも、仏教徒が亡くなると、子や孫が一時出家し白い衣姿で、僧院内でしばらくの間生活して功徳を積むという習慣があります。また、平安中期の公卿藤原道長公は亡くなる数年前に出家をし、九体の阿弥陀仏の手に結んだ五色の糸を握って、西向きに横になり、多くの僧と共に念仏を唱えながら亡くなりました。

私たち日本人は、後生がいい、悪いという言葉があるように、自分の死後のことを気にかけて生きてきました。ですが、現代人は今のこの刹那のことにばかりに気を取られ、まったく余裕がなくゆとりのない生き方をしているが故に、自分の後生はもとより、身近な人の死後のことも気にかけてあげられないというのが実際ではないでしょうか。

後生がいいか悪いか。死後の行き先がよいかわるいか、それは生前の行いにもよりましょうが、ともに生きてきた家族親族の方々にとっては、故人が死後もよりよくあって欲しい、よいところに逝って欲しいという思いを託す場として葬儀がありました。祈り手である導師にその思いを託し、死後の安楽を願う場です。

直葬で、という方には勿論のこと、深刻な事情があることでしょう。ですが、何かできることがあるはずです。今風に立派な会館でしなくても、小さな会場でも、家ででも、近い人たちだけの心のこもったお葬式はできるはずです。

是非、身近な方で葬儀のことでいろいろと悩んでいる方があったら、こんな話をしてあげて欲しいと思います。私たちも、自分の後のことを考え、家族の後のことを思いやれる、ゆとりを持った生き方をしたいと思います。

今月もご参詣ありがとう御座いました。来月もまた皆さん二十一日、朝八時と早くからで大変とは思いますが、お誘い合わせの上お参り下さいますことをお待ち申しております。(全)


◯昨年十月二八日福山市長尾寺様の御縁日法会後の法話より
法話 般若心経にお釈迦様の教えを学ぶ・前編


ご紹介いただきました國分寺の横山で御座います。五年前にもこちらでお話しさせていただいております。その時には「しあわせに日々生きるために」というテーマで、海外で注目されている仏教の瞑想についてご紹介をし、仏事についてお話しました。そして、皆さんも仏壇の前で少し座って下さいというお願いをして終わったように思います。

今日は、皆さんが仏壇の前でお唱えされている般若心経に関するお話をしたいと思っています。

心経への新しいアプローチ

早速ですが、私たちの仏教は真言宗の教えです。真言宗の教えは、インドの仏教の中で最も新しい教えです。そもそも、仏教には二千五百年もの歴史があり、インドでお釈迦様が亡くなられるのが西暦で紀元前五世紀半ばのことです。一方、真言宗の教えが現れるのが七、八世紀ですから、お釈迦様の時代からゆうに一千二百年も経ってからの教えということになります。

ところで、医療現場では、少し前から統合医療という様な言い方がなされるようになりました。これは細分化した専門部署が統合して一人の患者さんを診ていくという試みです。そこで、仏教も単に真言宗の教えだけを言うのでなしに、仏教全体の理解から発想していくことも必要なのではないかと考えております。

実は、そう考えて見回してみますと、私たちにとって一番親しみのある般若心経が、そもそもの古い仏教と私たちの真言宗を結び付けてくれる格好の経典であると気がつきました。般若心経は五世紀頃に成立したとされていますが、心経にはお釈迦様の教えもきちん
と説かれているからです。

心経は皆さんよくご存知のように、観自在菩薩が、舎利子というお釈迦様の弟子に説く教えです。観音様という悟れるのに悟らずに、衆生を救うとされる菩薩が、阿羅漢というお釈迦様と同じ悟りを得られた、智慧第一のシャーリプッタ・舎利弗尊者に教えを垂れるという内容です。つまりすでに真理を悟った人に向かって説かれた教えであり、私たちのような凡夫に対して説かれた教えではないということです。

ですから、その中に説かれるお釈迦様の教え、この後解説していきますが、五蘊、十二処、十八界、十二因縁、四聖諦は、無と頭に付けられて、あたかも不要なものというように思われていますが、空ということを本当に解り切れていない私たちには、実は、これらの教えこそ、たよりに学び、歩んでいく必要があるのです。

心経は、最後の真言、羯諦羯諦の真言が大事だと、唱えればご利益がある、有り難い、と思われています。また色即是空空即是色こそ心経の中心であると説く方もあります。それは間違いではないのですが、今日は、普段説かれることなく見過ごされている部分、プリントに一部分取り出してある無無無と否定されたような表現になっているところの話をいたしたいと思います。

今日は、このお釈迦様の教えに学んで、私たちはいかに生きたらいいのか、また悟りとはどのようなものなのかということを見て参りたいと思います。

それでは、お手元のプリント(10頁)をご覧になられてお聞き下さい。順を追って話しますから、頑張って最後までお付き合いをお願いします。

五蘊とは何か

まずは五蘊とは何かということを話します。プリントの上部に四角く囲ってある心経の抄録があります。一行目には、「照見五蘊皆空度一切苦厄」とあり、二行目には、「是故空中無色無受想行識」とあります。心経は冒頭からこの五蘊が皆空と解れば、すべての苦しみがなくなるとあるように、五蘊は心経にとっての大切なキーワードであることが解ります。

それで、その下に①と書いてある四角をご覧下さい。下に向けて色受想行識と展開してあるものですが、五蘊とは、五つの集まりという意味です。これはもともと、仏教において、私という存在はいかなるものかと規程するものです。私とは尊い、常住不変の永遠なるもの、我(が)などではなく、うつろいゆく五つの集まりに過ぎないのだという意味なのです。

いろと書く色(しき)は、私にとっての物質のことですから、身体ということです。正しくは身体の物質的なエネルギーのことです。心臓が動き、血液が身体を流れています。呼吸をして酸素を体中に巡らしてもいます。ですからジッとしていても常に動き流れ変化しています。長い目で見たら、皆さんもかなり変化していますね。五年前、十年前とは別人のように。そこまで変わっていないかも知れませんが、瞬間瞬間変わりつつあります。

それが色です。この色つまり身体に、これからお話しする受想行識という四つの心の働き、これらをまとめて名(みよう)と言い、身体に心がはいり、心と体が一つとなって私たちは生きています。因みに、死は心と体の分離と定義します。

心のはじめに受(じゆ)があります。これは感受するといいますが、感じることです。見たり聞いたり、嗅いだり、また痛いとか、暑いとか。身体の感覚の変化をずっと感じつつあるということです。

ここに関係してくるのが、十二処(じゆうにしよ)、十八界(じゆうはつかい)です。②の四角ですが、十二処は身体に感じられる情報の取り入れ方を説明するものです。「無眼耳鼻舌身意無色声香味觸法」と心経にあるところですね。眼耳鼻舌身意が六根(ろつこん)と言って、外からの情報が入ってくる場所で。そのあとの色声香味觸法が六境(ろつきよう)と言って、外から入ってくる対象・情報のことです。この六根と六境を併せて十二処となります。

六境の色(しき)、形あるものが眼に入ります。声(しよう)というのは音ですね、音が耳に入る。香(こう)は香りが鼻に入る。味(み)あじのするものが舌に入る。触れるものの情報が身・皮膚に入る。法(ほう)とは、頭に浮かんだもの、記憶とか感情とか思い、それを受け取るのが意(い)という場所ですね。眼に入るものも次々に変わっていき、その間に香りや音がしたり、何かを口に入れて味わったり、体に何か触れたりと刻々と感じつづけます。それが受ですね。

次は、想(そう)です。受によってとらえられたものがどんなものかと瞬時に捉え、イメージすることです。頭の中にどんなものかと概念を作り出すことです。

たとえば目に入ってきた物が茶色く丸い物で、甘い匂いがして、手に触れると柔らかいとイメージした物が、饅頭という概念にあてはめていくというような過程になるわけです。感覚として入ってきたものを次々に瞬時にそれは何かととらえていくことです。これが想という心の働きです。

そして行(ぎよう)がきます。行は想によって概念化したものについて、何かしたいと行為を誘発していきます。想によって饅頭ととらえたものに対して、食べたいという気持ちを起こすことになります。この何かしたいという意欲が行という心の働きです。饅頭を口に入れたら、もっと食べたい、隣のものも食べたい、今度はお茶を飲みたいというように次から次にと意欲が消えずに流れていきます。

最後に識(しき)がありますが、これは知るという働きで、図の六識とあるものですが、目でものをとらえる際に知るという心の働きがあって、はじめて感覚として捉えることになります。耳も鼻、舌、皮膚、意にそれらの対象が入る際にこの識という心の働きによって知ることになります。

識という、この知るという働きですが、これは心のことで、この機能があることが生きているということ、生命であると仏教では考えます。

そして、眼耳鼻舌身意と色声香味触法、それに眼識 耳識 鼻識 舌識 身識 意識を併せて十八界と言い、心経には、「無眼界乃至無意識界」とあります。これは、外界を私たちがどのように認識しているか、その仕組みをお釈迦様が解明したものです。

いかがでしょうか、ここまでで、五蘊、それを展開するところの十二処十八界も含めて、どんなものかおわかりいただけたことと思いますが、大事なことは、五蘊はみな変化しつつある、と見ていくことです。

私は、毎朝五時に鐘をついているのですが、ゴーンと鐘を突くと、中秋の名月のころですと、西の空に輝く満月が目に入ります。そして、鐘の音が少しずつ小さくなると、遠くの草むらでカサカサと音が耳に入り、何だろうと、目を向けます。すると、大きな黒いものが動くのが目に入ると、それが猪であるとわかり、さらによく見ようとすると、猛烈な勢いで山の方に走って消えていきました。その間にも鼻には前日掃除して火を付けていた草焼きの匂いが入っており、また耳にずっと虫の鳴く声が入っていることに気づきます。そうしていましたら、鐘の余韻がなくなるのに気づき、また鐘を撞くという具合に、この短い時間にさえ五蘊の働きは、次々に移り変わり流れていっていることが解ります。

五蘊は、色受想行識が、このように常に変化し移り変わっていく、無常なものであり、すべて私たちの前に現れる、見えるもの、聞こえるもの、匂いも、味も、みんな変わっていってしまうものなので、そのつど受と想と行の心の働きも刻々と移り変わっていきます。

好みの服もバッグも、流行り廃りがあり、手に入れても直にまた別のものに目移りします。好きな音楽も何度も聞いていたら耳障りになり、ほかの曲が聞きたくなります。大好物の饅頭も三つも四つも食べたらあいでしまいますが、何日かするとまた食べたくなります。

五蘊のそれぞれがみなそうして、六根に飛び込んできた六境に作用して移り変わっていく無常なもので、もうこれで十分、満足しましたと、もう何も要りません、とはならないのです。ですから、どんなものでも執着するに値するものではない、そこで、すべてのものは空であるという見方をしていきます。

つまり五蘊十二処十八界は、お釈迦様が、私とは常住不変の我(が)などではなく、無我(むが)であり、空(くう)であるということを証明するために説かれたものであり、だからこそ、空を解ってしまえば、無と言い得たわけです。

自我も空なり

さらに、この五蘊の過程の中の受ですね、感覚として受け入れていく際に、自分が見た、聞いたと、自分が入り込んで、自分という思いが生まれ、さらに、想のところで、いろいろな思い巡らせることで自分がいるという思いを強くしていくことになります。自分がいる、と自我が形成され、私たちは、みんな自分がいると確信しています。自分という思いにこだわり、他の人と比較して、羨望や嫉妬などの心を生み、大変に生きることを複雑なものにして、苦しみの元になっています。

ですが、仏教では、それは単なる幻想に過ぎないと考えるのです。この自分という思いも空なんだということです。自我は、この五蘊の中の受や想という作用により作られたものにすぎず、妄想なのだと捉えるのです。

うつろいゆく五蘊にすぎない自分も空であり、無我なのだと理解するのです。何か悩み事があったようなときに、一度冷静になって、そのように自分を捉え直してみますと、楽になることがあります。

あるとき境内の草取りをしていたときのことですが、ひどく疲れを感じることがありました。そのとき、仕事の途中に、ある郵便物が配達され、開いてその中身を見て、また仕事にかかりました。ですが普段感じないような異常な疲れを感じて仕事を終いにして、事務所に戻りました。そして、机に置いてあったその郵便物を見て、ああなんだ疲れの原因はこれだと、その郵便物に記された人たちについて、色々と頭の中で思いが巡っていたのでしょう。それで身体がグッタリしているのが解り、自我が、そうさせたのだと解った瞬間に、さっと疲れがとれました。

皆さんも落ち込んだり悩んだりしたとき、普段意識もしていない自我が悪さをしているのかもしれない、と見てみると不思議と楽になると思います。是非、試してみて下さい。・・つづく。

般若心経に、お釈迦様の教えを学ぶ



◯月刊「佼成」令和元年九~十二月号
「つれづれ仏教歳時記」 掲載

 
九月
曼珠沙華の咲く頃
秋の彼岸頃になると、いつの間に茎を伸ばしていたのか、赤い曼珠沙華(まんじゆしやげ)が仁王門前の側道に咲き出します。そうして毎年、彼岸入りが間もなくであることを知らせてくれるのです。

彼岸は、インドの言葉ではパーラミター。到彼(とうひ)岸(がん)と訳され、この世の迷いの世界である此岸(しがん)から悟りの世界・彼岸に到ることです。そこで、パーラミターは、彼岸にいたる修行をも意味するようになりました。

大乗の教えに生きる私たちにとっては、六波羅(ろくはら)蜜(みつ)という、なすべき六つの実践修行であります。それは、持てるものを他者に施し、みんなが良くあるように五戒(①生き物を殺すことなく②与えられていないものを盗らず③邪な行為をせず④うそを言わず⑤飲酒せず)をまもり、どんなことがあっても心をおさめ、善きことに励み、心のおちつきを得て、何事にも分け隔てなく、とらわれなく明るく生きることです。

お彼岸の中日には真東から日が上り真西に日が沈みます。日の沈み行く西の空に向かって、弥陀の浄土を敬慕し礼拝する好機であるとして、いつのころからか、この時期に仏道に精進するようになったのでしょう。お墓にお参りして彼岸が済んだと思うことなく、できればこの六波羅蜜を心がけて生活したいものです。

ところで、曼殊沙華は、天上に咲く花とも言われ、奇瑞が現れるときに天から降るとされています。いつの日か、私たちの六波羅蜜が完成するときにも、天上から花が降ってくれることでしょう。

十月
カティナ・ダーナ
スリランカ、タイ、ミャンマーなど南方の仏教寺院では、雨期の三ヶ月間、比丘(びく)(正式な戒を受けた僧侶)たちは外出せず僧院内で勉学修養して過ごす決まりがあります。それを安居(あんご)といいます。

二十五年ほど前のことになりますが、私もインド・コルカタの僧院で安居いたしました。そして、安居が開ける、太陽暦では十月の満月の日の翌日から、各地の寺院でカティナ・ダーナという行事が各地の寺院で催されました。

カティナは功徳衣、ダーナは施しとの意味で、安居開けの比丘にその先一年間纏(まと)う袈裟を施すことによって、命や財産の安全、健康や地位を得て幸せな生活が送れ、死後もよいところに生まれ変わる功徳が得られるとされるのです。

コルカタ郊外のある寺院に招かれたときには、昼前にご馳走が接待され、三時頃から野外の特設ステージに他の十数人の比丘たちとともに座り、その前には米、果物、皿、歯ブラシ、タオル、線香、蝋燭などたくさんのお供え物が並んでいました。ステージ下のゴザの上には溢れんばかりの大勢の仏教徒が座り、長老比丘方から延々と説法が続きました。そして比丘全員による読経の間に、たくさんの袈裟が盆に乗せられてステージ上に運ばれます。それから功徳を随喜する偈文が唱えられ、最後に全員で「サードゥ(善いかな)・サードゥ・サードゥ」と唱和し閉幕しました。

今年も十月後半からひと月間、私たちの知らないところで、南方仏教徒の一大イベントが盛大に行われることでしょう。

十一月
護摩を焚く
毎月二十一日、午前八時から境内の大師堂で薬師護摩供を修法しています。護摩の火の温もりがありがたく感じるようになる今月あたりから、遠方からも多くの方々が参詣されます。

護摩とは、そもそも火の中に注ぐことを意味する、インドの言葉ホーマの音写語です。供物を火の中にくべることによって煙や匂いとして天の神々に供養して利益を願う供儀のことです。

かつてインドを巡礼した折に、ベナレスのガート(沐浴場)で、一人のヒンドゥー教の修行者が小枝を井形に組んで小さな護摩を焚いていました。火を付け、マントラ(真言)を唱えながら供物を投げ入れると、白い煙がゆらゆらとまっすぐ上にのぼっていきました。

護摩は、このようにヒンドゥー教でも行われ、もともと古代インドのバラモン教の儀礼の一つだったものです。それを五世紀頃に仏教も取り入れ、密教の儀礼としたのでした。

真言宗寺院でなされる護摩供では、単に火に供物をくべるのではなく、行者は護摩供の本尊と一体となる瞑想を修し、心を寂静にとどめて護摩の火に供物を投じ、一切衆生の利益を願うのです。

護摩供に参詣された方々は、燃えさかる火を前に般若心経やご真言を何遍となく唱え続けます。一心に唱えつつ、心の中の様々な思い、計らい、願いのすべてを仏様にお任せし手放すのです。

そうして心の重荷を降ろし、軽やかな気持ちでお帰りいただけたら、ありがたい護摩のご利益と言えましょうか。   

十二月
一陽来福
お寺の生まれでもなかった私が、初めてお寺の生活を経験させていただいた東京早稲田の放生寺(ほうしようじ)は、冬至に授与するお札で有名なお寺です。

毎年冬至には何万人という人々が詰めかけ、交通規制が引かれるほどです。もっとも、その多くの人たちはその由来を知らず、似た名前の御札を頒布する神社に並んでしまうのではありますが。

放生寺は、江戸寛永年間に良昌上人によって造営された高田八幡宮(現穴八幡宮)の別当寺(べつとうじ)として開創され、三代将軍家光公の来駕(らいが)を仰ぎ、徳川宗家(そうけ)の祈願寺でもありました。

江戸時代中期には、冬至に授与する金銀融通の御札を創始。易(えき)の言葉「一陽来復(いちようらいふく)」に因み、冬至に陰極まって一陽が生じるように、海の如く無量なる福が一陽一陽授かるよう、本尊正観音菩薩(しようかんのんぼさつ)に祈念して「一陽来福」と命名したのでした。

この御札は、冬至の晩の十二時、居間の鴨居などに明くる年の恵(え)方(ほう)に向けて貼る決まりがあります。が、今日では大晦日の晩、または節分の晩に貼ってもよいとされています。

ひと昔前には、鹿児島から冬至の前日に飛行機でやって来て、お堂の前で寝袋で休み、授与される朝五時に買い求めてすぐに飛行機で帰り、冬至の晩には家に御札を貼るというような熱烈な信者も多かったようです。

冬至には、一日五座、本堂で観音護摩供が修法されます。今年もご参詣の善男善女の除災招福(じよさいしようふく)を祈願して、私も護摩を焚かせていただきます。

皆様の一陽来福を祈念いたします。合掌(全)


◯当山中興快範上人書       
『國分寺中興基録』 を読む⑥ 


『國分寺中興基録』快範書(五百籏頭(いおきべ)孝行氏解読)

「一、百拾三匁 てうの初(手斧初(ちようなはじ)め、おのはじめ)入用
           餅米 酒 祝銀 万事
 一、四拾七匁弐分  本堂荒壁日用
 一、百参拾弐匁五分 棟上げ入用大工祝銀共に
 一、百四拾八匁   門 大工ふち方
             同作領 くぎ板代 万事
 一、四拾九匁四分  本堂中ぬり 芝居安左右衞門ぬり
           ふち方 共
           作領共に
 一、弐拾弐匁六分  同土仕手伝人  半兵衛に渡す
           ふち方作領共に
 一、拾七匁四分五り 白壁 合物 酒 油 
                 ふのり かみすさ 
 一、四拾六匁    上ぬり ふち方 
           作領 同土仕半兵衛共に
 一、拾九匁七分   本堂軒裏ぬり たん にかわ 
                さけ代共に
 一、弐拾三匁弐分  本堂地祭諸事入用
 一、百参匁八分五り 御入仏入用 ふち方 万事
 一、拾八匁九分   同時餅米三十
               石六拾三匁かへ
 一、四拾八匁八分八り 本堂 地形メ 木やり弐人
               同はばらつき
               本石突き共に日用礼銀
               ふち方 万事
 一、壱貫四百目   大工請取前本堂敷板迠
 一、三拾目壱分五り 本堂造作大工やといの分
           ふち方万事
 惣合七貫九百五拾九匁八り  本堂入用諸事

外に
 一、壱貫六百八拾九匁弐分
      内 壱貫五百六拾四匁五分 諸尊造立代
        百弐拾四匁七分 堂佛前の寄進物代
 二口合 九貫六百四拾八匁弐分八り
右は本堂作事同諸尊建立入用書付件(くだん)の如し
  元禄七年戌十二月八日迠
 一、本堂建立相究材木願の時節書付の通無残御立山にて
   御下し下され其の外山出の人夫の書付
 一、山野山串かはな山材木は山野村より八句ぞうと言
   たわ(撓・峠?)まで一同村人夫にて山出し
 一、八句ぞうより当村は  三谷村 東中条村 西中条村
           湯野村 徳田村 霜田村(箱田村?)
              上御領村 八尋村 上竹田村
              下竹田村
 右十ヶ村の人夫にて御取り越し下され候
 一、中条村の材木は 東中(条)村より国分寺迄出る人夫
東中条村・西中条村・道の上村
           十九間や村・徳田村
 右五ヶ村より御取り越し下され候
 一、地形の地も御作事やより五拾人引きのとうづきやぐら
                  (胴突櫓)
   参候は川南川北両村の人夫福山より取り越し下され候
 一、同地も毎日四拾八人宛日数十六日穴(はばら)つき本石突共に
   同上二人の木やり二人御作事屋より仰せ付けられ下され候
                   長右衛門
                   忠右衞門  
   人夫の数七百六拾八人内肝煎弐人与頭釣頭くみ合
 一、三百四拾人は方々材木取
 一、九拾五人は本堂立前人夫
 一、参百拾九人は屋敷引人夫
 都合千五百弐拾弐人
 右は御公儀より下され候人夫
 一、本堂引物尾引(おびき)の大木望(のぞみ)に付(つき)山奉行丹治弥市郎に仰せ付けられ方々御立山(おんたてやま)見分仕り候へ共之れ有るは難所人夫叶わず候故代弐百三拾目遣わされ川南村の材木買い此の材木は川北平野より寄進に当月十二日に当所両村より取り越し給わり候
 一、諸事の御礼に御屋敷御老中御本〆(元締め)
   中村治左衞門殿御作事屋御奉行郡方御奉行相勤められ申し候明る戌の春御勘定の節(せつ)也
戌の春
 一、十六石御蔵前にて拝領定て本堂造営の扶持方大分入可申と仰せ上げられ候段御蔵入り米の内にて下され候
右本堂始終書付件の如し                    つづく


【國分寺通信】 
新型コロナウイルス感染終息祈願のための朝晩のラタナ・スッタ読誦は五月二十五日で終えました。緊急事態宣言が解除され一段落を終えたのと、事の真相について考えるところがあり、祈願して済むものではないと理解したからです。

日本では今季三千人がインフルエンザで亡くなり、感染者は一千万人をはるかに超過しています。新型ウイルス感染症自体が重篤化し亡くなられた人は、はたして何人おられるでしょうか。人との接触を八割削減してまで感染予防をするほどのことだったのか冷静に考える必要があります。

九年前の震災の折に、私たちは特に原発事故の公の報道に対して、それは明らかに不誠実なものであったことを知りました。住民自らが本当の情報を得る難しさを知り、マスコミ報道をどのように聞き、判断すべきか。それは生死をもわける重要事項であったことを学びました。

今はたして本当の情報を私たちは手にしていると言えるでしょうか。マスコミに登場することのない立場にあっても、現状を憂え、真摯に本当のことを訴えている学者や医師の方々が世界中にいます。そうした免疫学病理学を専門とする先生方の声こそ、私たちは頭を白紙にして聞いてみる必要があると考えます。

ネットで「学びラウンジ」と検索してみてください。感染とは何か、PCR検査は本来いかなるものか、新型コロナウイルスは患者から分離されているのか、感染実験はなされたか、無症状者からの飛沫感染が本当にありえるのか、マスクや行動の自粛は必要なのか、ワクチンとは、こうした疑問に科学的にどう考えるべきかを優しく教えてくれています。

九年前をもう一度私たちは思い出す必要があります。ただ一つ違うことは、これは世界的な動きであることです。より深く考察しなければいけないことなのでしょう。

仏教は、自ら観察し理解を深め真実を知ることを教えています。何が真実か、これからの世界を生きるために私たち一人一人が取り組むべき課題だと思います。


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追悼 ボーディパーラ比丘 Bhikkhu Bodhipala

2020年07月28日 20時47分57秒 | インド思い出ばなし、ネパール巡礼、恩師追悼文他
追悼 ボーディパーラ比丘 Bhikkhu Bodhipala

インド・ベンガル人比丘ボーディパーラ師が、昨日27日午前8時20分コルカタの病院で亡くなられたという。まだ52、3なのに、なぜ死んでしまったのか。一昨日入院して、新型コロナ検査陽性だったとしか解っていない。はたして死因は何だったのか。遠く離れていて聞くこともかなわない。ベンガル仏教会(The Bengal Buddhist Association)の事務総長(General Secretary)として、連日パワフルな身体を揺らしながら、コロナの為に困窮している家族や施設、また水害に遭った地域に慰問に出かけ、食料や水を施している様子がフェイスブックでいくつもアップされていた。かなり疲労がたまっていたのかもしれない。最後に見た彼の動画は黒い肌が白く見えるほど生気がなかった。

いつもフェイスブックでやりとりをしていた。彼は英語が堪能で、彼の英語のメッセージを読み、私はヒンディー語をアルファベットで表記して送信していた。この5月には、新型コロナウイルスに関するアメリカ人医師の動画を参考に見てみたらとメッセージしたところだった。忙しいのかその時には、sureとしか返事がなかった。その前4月には、この新型コロナ騒動を終息させるべく、お釈迦様の時代の故事にある、ヴェーサーリーでの疫病退散のために読誦したとされるパーリ・ラタナスッタを一緒に唱えよう、二人の師であるダルマパル師のCDに録音したものを聞き、その独特な節を付けて唱えようと呼びかけ、「久しぶり、元気そうでよかった、わかった了解」と返事が来たのだった。誕生日には毎年律儀にメッセージを送ってくれていた。

彼ボーディパーラ比丘は、実は私の恩人とも言える人である。27年前、私が上座仏教の正式な比丘になれたのは、彼がいたからなのだ。その年、具足戒式(ウパサンパダーUpasampada)を受けるバルワ仏教徒がいるから、その4月にサールナートで沙弥となったばかりの私にも一緒にしてはどうかと取り計らってくださったのである。本来ならそう簡単にはウパサンパダーはできないと言われていた。なぜなら正式な儀式を挙げるには最低10人の比丘が参加しなくてはいけないから。直接のご指導を仰ぐ和尚、受具足戒式を仕切る羯磨師、年齢や借金がないか、両親の許しはあるかと設問する尋問師、そして証人となる比丘が7人以上必要となる。そして実際には、1993年6月22日、コルカタのフーグリー河船上で行われた具足戒式には14人もの長老比丘方が参加され、中にはムンバイからはるばる駆けつけた長老やチャクマ仏教徒のラージグルも御越し下さっていた。

このように各地に分散している比丘方を召集し、その交通費から滞在費食費まで負担しなくてはいけない。さらには儀式に参加いただく布施やその日には豪華な施食をしなくてはならず大変な出費となる。彼ボーディパーラは、1892年10月5日に創立された、このベンガル仏教会の創設者クリパシャラン大長老の親族の家柄で、資産家でもあり、そのためおそらくその経費のほとんどを彼の家が負担してくれたのだと思う。つまり、もとより私のためになされた儀式でもなく、彼のために、彼の親族ないし全バルワ仏教徒の将来を託すべき人物の盛大なる記念すべき儀式に、まるでつけたしのように私はその儀式に入れていただけたのであった。

その前年、私が何の計画もなく訪れたインドで、たまたまコルカタで立ち寄ったベンガル仏教会本部で、時の事務総長ダルマパル・バンテーからサールナートの後藤師に遭いなさいといわれ、コルカタから夜行の急行列車でバラナシに行き、初転法輪の聖地サールナートを訪ねた。チベタンインスティチュートの隣に位置するベンガル仏教会サールナート支部にしばらく滞在し、日本人住職後藤恵照(プラッギャラシュミ)比丘からインド仏教の近代史をうかがった。それまで現代インドに由緒正しき仏教はすでにないと思っていた私だったが、彼らバルワ仏教徒は、マガダ国の王家の末裔であり、イスラム勢力がインドに侵入する前にインド東部、今のバングラディシュチッタゴン丘陵地に避難した伝統ある仏教徒であることを知った。彼らをベンガル仏教徒もしくは彼らの姓からバルワ仏教徒という。そして、自分もインドで再出家しようと即断し、すぐに帰国してヒンディー語やパーリ語を習い、その翌年留学ビザを取得して再度インドに入ったのであった。

そして、具足戒を受けた後私はサールナート支部法輪精舎に帰り、サンスクリット大学のパーリ語科に自転車で通っていたが、彼ボーディパーラ比丘はナーランダー大寺(Nava Nalanda Mahavihara)で、将来のベンガル仏教会事務総長になるべく英才教育を受けていた。たまにコルカタの本部で顔をあわせることもあった。私の方が10近くも歳は上ではあったが、比丘は先に出家した方が上、ウパサンパダーでは私より先に彼が教誡を受けている。対等以上に上から物を言う彼ではあったが、何かいつも兄弟のような感覚が私には芽生えていた。

その後私は日本に一時帰国したり、留学条件の変更などで帰国を余儀なくされたりで、三年半ほどで比丘を諦め日本の僧侶に復帰した。二人の師であったダルマパル大長老も亡くなり、縁遠くなった頃、フェイスブックによって交流が細々と繋がった。彼はいつの間にか事務総長になり、インドの教団を代表して世界仏教徒会議にも参加し、代表して壇上に立ち演説するようになっていた。日本にも何度か招かれてきていて、一昨年も11月に開催された日本仏教会主催の世界仏教徒会議日本大会に参加していた。この時には連絡は無かったものの、その前たしか平成28年4月に来日した際には電話が入り滞在先の東京に私も出向く予定にしていたところ、結衆寺院住職が遷化されて、残念ながら再会をはたせなかった。いつでもまた会える、そんな気持ちでいたが、今思えば誠に残念なことであった。

師のダルマパル大長老同様に四十代で事務総長になり、これからのインド仏教界、ないし、世界の仏教徒を代表して世界に向けて仏教の平和共存を旨とする精神性を説くべき人がこんなに早く亡くなってしまうとは。人間世界にとっての大きな損失であると言っても過言ではないだろう。インドで彼が奮闘している、私も頑張ろうと思ってきた。誠に残念でならない。一生忘れることの出来ない、兄弟にも思えるボーディパーラ比丘。来世で、是非また仏教徒として世界の人々を導いて欲しい。あらためてあの日を思い彼の分も精進を重ねて参りたいと思う。ありがとう、ボーディパーラ比丘。本当にご苦労様でした。お疲れさまでした。sadhu sadhu sadhu


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いまをいかに生きるか

2020年07月27日 09時42分29秒 | 仏教に関する様々なお話
いまをいかに生きるか

今年も半年が過ぎた。年初の話題は年末に起きたゴーン被告の国外逃亡事件に始まり、イランの民兵組織の司令官をアメリカがドローンで殺害し、それに対しイランがイラクの米軍駐屯地を攻撃して、あわや第三次世界大戦かとのニュースが世界中を駆け巡った。その頃は、今年は何が起こるかわからないなどと思っていたが、その後二月頃から毎日毎日コロナコロナで、世界中が奇妙な世界に取り込まれたようになっている。

この不安定なというか不安な時代を私たちはどう生きたらよいのか。同じ列車事故に遭っても、怪我をする人もいれば、まったくかすり傷一つ無い人もある。大きな地震に見舞われて、家の下敷きになって亡くなられてしまう人もあれば、家は全壊したにの、不思議なことに家具と家具が交差したお蔭でその空間に入りこみ助かる人もある。インフルエンザが蔓延し、事務所の中でインフルに感染した人が出ても、隣に居てもうつらない人もあれば離れている席なのにうつってしまう人もある。

助かる人と助からない人、騒動に巻き込まれる人と巻き込まれずに済む人、感染して大変な目に遭う人と感染しても発症もせずに済んでしまう人。これはどう考えたらよいのか。仏教はすべてのことに因縁在りという。人に業ありともいう。業ありと言うよりも、業を相続せる者と言った方が良いのかも知れない。沢山の過去世で、数え切れないほどの善いことをしてきた善業、数え切れないほど悪いことをしてきた悪業を私たちは相続しているのだと仏教では考えている。

たまたま前世が良くあり、善業によってこうして自分の意志によって何でも行える人間界に生まれることが出来たのだと考える。そうした沢山の過去に行った行為の報いがたまたま今生で事故に遭ったり、何か起きたときにその人に良い方に向くか悪い方に向くのかを左右する。しかし、その時にその人が過去世のどのような因縁によって助かったとか、悪い事態になったとかということは、お釈迦様にしか解らないことだとされている。お釈迦様の生きておられるときにも亡き後にもお釈迦様と同様の覚り・阿羅漢果を得られた勝れた聖者が沢山居られても、そのことは誰も言われなかったという。

パーリ中部経典『第135小業分別経』には、人の優劣を分けるものとは何かと問われ、お釈迦様は、生けるものたちは、業を自己とし、業を相続者とし、業を胎とし、業を拠り所としている。この業こそが生けるものたちの劣性と優性を区別すると説かれている。では、優性に導く業とはいかなることをいうのであろうか。

それは、すなわち、他の生き物たちを思いやり、慈愛あり、他の者を害することなく、恥じらいや同情がある、そうあれば、死後天界に生まれ、たとえ人間界に生まれたとしても、無病で長命となる。何か言われても不機嫌にならず、怒らず、憤らず、敵対せず、嫌悪をあらわにせず、他者の成功に嫉妬せず、他者の利得、尊敬、敬意に嫉妬しない、そうあれば、死後天界に生まれ、たとえ人間界に生まれたとしても、端正で権勢あるものとなる。困っている人に食べ物や飲み物、衣服、乗り物などを施す、傲慢になることなく、慢心なく、敬礼すべき人を敬礼し、座に相応しい人に座を譲る、供養すべき者を供養する、そうあれば、死後天界に生まれ、たとえ人間界に生まれたとしても、富裕で高位の者になると説かれている。

さらに、修行者聖職者に親しく質問し、善とは何か、不善とは何か、有罪とは何か、無罪とは何か、何に従うべきか、何に従うべきでないか、何を行えば長く不利益となり苦となるか、何を行えば長く利益となり楽となるか、ということを問い知ることによって、そうあれば死後天界に生まれ、たとえ人間界に生まれたとしても、大智慧あるものとなるという。

このように、心を清らかにし善きことを進んでしているならば、来世には善処に生まれるとあるわけだが、それにてらして今の自分を思うとき、前世ではいかがであったろうか、過去世ではいかがであったのであろうかと思いやられる。しかし今の生まれは過去のどのような業によってもたらされたものかを知ることはできない。出来ることは過去の業によってこうあるということよりも、これからをどのように生きるかだけである。

よき生まれで生まれ裕福な家庭で育てられたとしても、それにおぼれ努力せず、放蕩に暮らしていればその人は心貧しく愚かな人生を歩むことになり来世ではよくはならないであろうといわれる。逆に、生まれよろしくなく貧しい家庭に生まれたとしても努力して学び周りの人たちによきことをする人は必ずよき人生を歩み来世もよくあるであろうと言われている。

さらに、お釈迦様は人が清らかな心でいると悪い業が結果を出すことはないと教えられている。過去のあまたの業の善きものも悪しきものも知ることはできないのだから、今をどう生きるかこれからをどのような心で過ごすかによって、過去の悪しき業が結果することなきように善き業の結果が現れるようにすべきであると言われている。さすればいかなる心で日日を過ごすべきか。お釈迦様の時代には四梵住といい、少し後の仏教では四無量心という心に住すべしと教えられている。慈悲喜捨という四つの無量なる心のことである。

慈とは、慈しみの心、親友に対するような親愛なる心をもってすべての生きとし生けるものを見てやさしい心で幸せでいて欲しい、よくあって欲しいという思いを広げていくこと。

悲とは、抜苦の心、親愛なる思いを寄せる生きとし生けるものたちが悩み苦しんでいたらそれをなんとか助け癒やされて救われて欲しいと願い、その思いを広げていくこと。

喜とは、共感する心、親愛なる思いを寄せる生きとし生けるものたちが良くあったならば、成功したならば、嫉妬の心ではなく、ともに喜び幸せになる心を広げていくこと。

捨とは、平静な心、誰に対してもどのようなものにも分け隔てなく、どのような感情にもながされず、平等に静かな心を広げていくこと。

これら四つの清浄なる心を毎日ないし毎晩静かに唱え、心に念じることで、禍から逃れ、どのような時代になっても、平然と普通に生活するように心掛けて参りたいと思う。寺内月例行事はお陰様で特別な予防対策など取らずにすべて通常通り執行している。


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自ら確かめよ

2020年06月22日 13時11分11秒 | 仏教に関する様々なお話
自ら確かめよ



増支部経典(三の部65)にあるお経から、自ら確かめることの大切さについて学んでみたい。お釈迦様がコーサラ国のケーサプッタという町に来たときのこと、この町のカーラーマ族の人々が、沙門バラモンなど修行者たちがやってきては、彼らは自分の説だけを明らかにして、他の説をののしり、そしり、無能呼ばわりするけれども、それら尊者沙門たちの中で、一体誰が誠に語り、誰が偽っているのかという疑いと惑いがあるのですと語った。

するとお釈迦様は、それは疑い惑うのは当然のことであるとされて、ある説かれたことを受け取るときには、①聞き知ったことにたよってはいけない、②伝え承けたことにたよってはいけない、③言い伝えにたよってはいけない、④自分たちの聖典集成の中に承認されているということにたよってはいけない、⑤思弁にたよってはいけない、⑥理屈にたよってはいけない、⑦根拠の考察にたよってはいけない、⑧ものの見方として理解し容認するということにたよってはいけない、⑨説く者が有能な姿かたちをしているということにたよってはいけない、⑩説いた沙門が自分たちの師であるということにたよってはいけない、このように説かれた。

当時バラモン教では、牛や羊、山羊などの動物を殺して神々に御供えとして捧げることがあったわけだが、例えば一般信者にも同様に行うことが功徳ある行為である、神の祝福を得られる道であるなどと説いていたなら、いかがであろうか。古く言い伝えられ、聖典にもあり、そうして多くの人たちが幸せになり、神々の喜ばれることだなどと説かれたならば、無垢の小動物たちが無残にも殺されていくことになるであろう。

またある沙門たちは、行為に善悪などないのであり、何をしても死んだらそれで終わりで何も残らないなどと説く者もあった。こうしたものの見方、教えをそのまま受け入れたとしたら、不道徳な行為が蔓延してその集落、地域は殺伐とした地となり、安心して生活することも叶わないことになるであろう。

そこで、お釈迦様は、自分たちが、これらのことがらは不善である、これらのことがらは咎をもっている、これらのことがらは知者によって非難されている、これらのことがらは、成し遂げられ受け取られるとき不利益を招くと、自分自身で知るならば、それらのことがらを捨て去るべきであると教えておられる。

そのことが自分も周りの人々もまたそれを支える多くの生き物たちすべてが善くなることであろうか、古くからの様々なことに精通した知識ある人々から非難されることではないか、人々や生き物たちに不利益にならないか、自分で、自ら確かめることが大切であると教えられている。

いま、新型コロナウイルス感染症に関する情報について、多くの人たちが、新聞テレビの報道をそのまま受け入れているであろう。が、はたしてそれでよいとお釈迦様はおっしゃられるであろうか。自ら確かめよと、そう学んだ私たちは、新聞テレビのいうことをそのまま受け入れるのでなしに、たとえば、感染とはそもそもどういうことなのか、聞き慣れないPCR検査とはどんなものか、無症状者から感染するのは本当か、マスク、ソーシャルディスタンス、自粛はそもそも必要なのか、なぜオンラインで何もかも済ませようとする計画に進むのか、今準備されようとしているワクチンはどのようなものか、自ら確かめることが必要なのではないか。

医学、感染学、免疫学などというものに全くの無防備である私たちは、不可解に思いながら周りに流されがちであろう。が、科学的にものを考えていくために、より真実に近いところに至るために、少し努力してみようとされるならば、学びラウンジをご覧になられ、自ら確かめ、自分の頭で考えることをお勧めします。

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史跡・備後國分寺について

2020年06月06日 09時12分15秒 | 備後國分寺の風景
國分寺は、今からおよそ1280年前、天平13年、西暦では741年に聖武天皇が、「國分僧寺尼寺建立の詔」という詔勅を発せられまして創られたお寺です。全国66州、それに島に二つ、都合68の國分寺が出来て参ります。

なぜ聖武天皇は國分寺を造ろうとされたのか。その詔の100年くらい前に乙巳の変と言われるクーデターがありましたが、当時都の政治は度重なる不穏な事件が立て続けて起こり、また饑饉や災害疫病が蔓延する混迷を深めた時代でした。そこで、聖武天皇には仏教という進んだ精神文化の中心となる施設を諸国に造ることで日本国を刷新し、つくり換えたいという志があったと考えられます。当時仏教は先進国で導入する最先端の建築技術、木工、金属工芸、芸術、文化、思想を象徴するものでした。

天武天皇の時代にすすめられた、中国に倣った律令制度によって政治経済が調えられつつあり、そして聖武天皇の時代に、中央には東大寺を造り、政治経済の中心である都への中継拠点として各国の国府に隣接する國分寺國分尼寺を創建したのです。鎮護国家、それに五穀豊穣、万民豊楽を祈願するという信仰の場であるとともに、それは当時の最高の文化、技術、芸術であり、国の権威を人々に示すものでした。

そのように当時の粋を凝らし作られた備後國分寺は、古代の山陽道に面して南大門があり、少し参りますと、右側に七重塔、左に金堂があり、その少し奥中央に講堂がありました。金堂は、東西30メートル、南北20メートル、七重塔は、基壇が18メートル四方あり高さは50メートル。講堂は東西30メートルあったと、昭和47年の発掘調査で確認されております。大きな建物が参道中程に林立していたわけです。

これは、奈良の法起寺式の伽藍といわれます。また、寺域は600尺四方、およそ180メートル四方が築地塀で囲まれた境内だったと言われております。この他に僧坊、食堂、鐘楼堂、経蔵などがある七堂伽藍が立ち並び、最盛期には12の子院があったと言われています。その発掘では、たくさんの創建時の瓦が発見されており、重圏文、蓮華文、巴文の瓦などが確認されております。

当時の金堂には、丈六の釈迦如来像が安置されていました。これは、立ち上がると約5メートルの大きなお釈迦様の座ったお姿、おそらく座像であったであろうと思われます。七重塔には、國分寺の詔において聖武天皇が発願された金光明最勝王経10巻が安置されておりました。正式な國分寺の名称は『金光明四天王護国之寺』ということもあり、その経巻こそが國分寺の中心であったであろうと思われます。

それは、護国経典として、とても当時重要視されたもので、その「紫紙金字金光明最勝王経10巻」、この備後の國分寺にあったとされるその経巻は、衰退した時代に沼隈の長者が手に入れ、その後、尾道の西国寺に寄進されて、今では、奈良の国立博物館に収蔵されて国宝に指定されています。奈良国立博物館のホームページ名品紹介をご覧ください。

その後、平安時代になりますと、律令体制が崩れ、徐々に國分寺も衰退して参りますが、鎌倉時代中期になりますと、中国で元が勢いを増し、元寇として海を渡って攻めてくる。そうなりますと、もう一度、國分寺を鎮護国家の寺として見直す動きがありまして、その時には東大寺ではなくて、奈良の西大寺の律僧たちが盛んに西国の國分寺の再建に乗り出して参ります。

おそらく、その時代にはここ備後にも来られていたと考えられます。14年前に仁王門前の発掘調査がありまして、その時には、鎌倉室町時代の地層から、たくさんの遺物が出て参りました。当時の再建事業の後に廃棄されたものではないかと言われておりまして、創建時から今日に至る國分寺の盛衰を裏付ける資料となったのであります。

そして、時代が室町戦国時代になりますと、戦さに向かう軍勢の陣屋として國分寺の広大な境内が使用され、戦乱に巻き込まれ、焼失し、また再建を繰り返す、江戸時代には、延宝元年、1673年という年にこの上に大原池という大きな池がありますが、大雨でその池が決壊して、土石流となり、國分寺を流してしまう、たくさんの人が亡くなり、その後、この川を堂々川と言いますが、その川に、砂留めが造られて、文化財となっております。

そして、その水害によって失われた國分寺は、その後、福山城主水野勝種侯の発願によりまして、全村から寄付を集め、城主自らが大檀那となりまして、用材、金穀、役夫の手配を受けて、この現在の地に移動して再建されたのが今日の伽藍です。元禄7年にこの本堂が出来ました、今から320年前のことです。

それから、徐々に伽藍が整備されていきますが、伽藍が今日のように整った頃、神辺に登場して参ります、儒学者菅茶山先生は、何度も國分寺に足を運ばれまして、当時の住職、高野山出身の如実上人と昵懇の仲になられ、鴨方の西山拙斎氏と共に来られ聯句を詠んだりしています。

それが仁王門前の詩碑に刻まれております。茶山先生も交えてここ國分寺で歌会も何度か開かれ、当時の文人墨客の集う文化人のサロンとして國分寺が機能していたようです。今日では、真言宗の寺院として、江戸時代から続く信心深い檀家の皆様の支えによって護持いただいております。

創建当時の様子などを想像しながら、是非、ご参詣ください。

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『大法輪』休刊に寄せて

2020年05月24日 20時09分36秒 | 様々な出来事について
大法輪休刊に寄せて




いま私の手に、昭和九年十月一日発行の大法輪創刊号がある。これはここ國分寺の先々代猪原泰雄院家が購入し書庫に大切に保管してきたものである。赤字で大法輪、その下に黒字で創刊號とあり、信貴山縁起の剣の護法飛行の図が描かれている。目次は大きな法輪を左右に開くと開陳され、上部四分の一のスペースに地獄極楽図が描かれ、髙楠順次郎博士や加藤咄堂、高島米峰など仏教学者に加え、政界官界からの激励や「現代病根」と題して四十人もの著名人から、当時の焦燥感とその解消策についての短文が寄せられている。また創作小説が八本も掲載されており、仏教にまつわる題材を絡めた、いずれも興味深い内容である。

創刊の辞には、「時は正に非常時、國運進展せんとして、東亜の新黎明に、警鐘が鳴る。思想問題に、國防問題に、農村問題に、生活問題に、その徹底せる解決を求めんとするの声は、喧々囂々として耳を聾するばかりである。而も国民は、今尚統一ある帰趨を見出し得ない。そは何故か、真の信念なき為である。此の時にあたりて、佛降誕二千五百年を迎ふ。大聖釈尊の教法、そはこの無明の長夜を彷徨する大衆に、与えられたる唯一の大燈炬ではないか。茲に於いて、『大法輪』は正法を大衆に傳ふべき使命を以て、創刊せられたのである。」とある。

時代は、大正十二年の関東大震災からの復興途上にあり、その後恐慌となり、経済は低迷。大陸に活路を見出さんと満州へ進出し、満州事変が起こり、満州国の建國。そして国際連盟の脱退にいたる。軍部によるクーデターも勃発、軍事色が日増しに濃くなりつつあった。そういう軍靴高らかなる世情にあって、この創刊の辞を読むに、いまこそ大衆の心を癒やし、かつ穏やかならざる時代に一つの指針を与えんがために何としても創刊しなければならぬという決意がひしひしと伝わってくる。

更に巻頭の「不滅の法輪」と題する編集者の文には、新日本の建設と宗教という小見出しに続き、「今日の政治界、実業界、教育界が腐敗堕落せるは、実にその中の人々に宗教心なきが為である。今日の大政治家、大実業家、大教育家にどれだけの宗教心ありや。彼らは人生の根本問題に対して、真摯に思いをひそめしことありや。もし真に日本を思ひ、天下を憂えんとならば、まづ自分自身人生観を確立し、人間最後の安住地を見出すことが先決問題なのである。吾人は昭和の維新といい、新日本の建設というもその根底には宗教殊に仏教の信仰なからべからざることを高調せずにはいられぬ。」ともある。その時代にすでにそう叫ばれていたのなら、現代にあってはその欠片も残ってはいないと考えた方がよいであろう。

その後大法輪は戦時中は合併号を出すなど戦時版の時代を経て、戦後の経済復興高度成長期を経験し、昭和平成令和の今日迄リニューアルを重ね、趣向を凝らした特集記事を見出しにしつつ、毎月発行し続けられ、日本における仏教雑誌の草分けとして、超宗派の総合仏教月刊誌として盤石の地位を築いてきた。創刊六十周年にあたる平成六年には、『大法輪まんだら』と題して創刊六十年秀作選が刊行されている。その執筆陣の名を見るだけで、大法輪の日本の出版界、仏教界における高い地位が解る。髙楠順次郎博士を初め、高山峻、鈴木大拙、金田一京助、岸本英夫、柴山全慶、金子大榮、暁烏敏、澤木興道、岡本かな子、内田百閒、武者小路実篤、牧野富太郎、平櫛田中、山本玄峰、河口慧海、などなど39人の各界を代表する錚々たる大先生ばかりがずらりと名を連ねている。

それらの大先生方が執筆されてきた歴史ある、権威ある大法輪に、誠に僭越ながら、筆者は、平成八年に「聖地サールナートに無料中学を設立した日本人僧」というインドサールナート法輪精舎住職後藤恵照師を紹介する記事を書かせていただいたのを皮切りに、昨年六月号の特集「仏教の聖なる言葉」において、「諸仏の名号」、「上座仏教の三宝帰依と如来の十号」を執筆するまで、24年もの間、特集記事の原稿を依頼されたり、またこちらで書いた原稿を掲載いただいたり、実に、七十を超える記事を書かせていただいてきた。この中には「わかりやすい仏教史(全13回)」、「阿含経典を読む(全10回)」など連載させていただいたものもある。全く畑違いの、それまで学んだこともない内容の依頼も度々あったように記憶するが、その都度一から勉強し直し、さらには先生方の本を書庫に漁りつつ確認し認めたものも多い。

何れも専門的な用語が含まれ、解釈の難解な内容も多くあったが、自分が理解し解りやすい文章を心掛け、自らの経験を書くことでご理解を願うようなものも多かったように思える。依頼された内容に叶う貴重な内容の本を、不思議にもその少し前に手に入れ書棚に置いてあったものが丁度役に立ったということも何度もあった。平成24年、前編集長の勧めから、そうした原稿などをまとめて大法輪閣から、『ブッディストという生き方-仏教力に学ぶ』という単行本も上梓させていただいたのは望外の幸せであった。私の今に至るこの25年ほどは、正に大法輪の原稿を書かせていただくことで幅広く仏教を学ぶ機会を与えられ、乏しい知識の扉を開かせていただいてきた年月であったと言える。

この、今日迄87年にも亘って日本仏教に貢献し、関連する様々なテーマで特集を組み、多くの読者仏教者の教化につとめ、日本人に精神的潤いを与え続けてきた、大法輪がこの七月に休刊する運びとなってしまったという。誠に残念に思われるが、この根底には、活字離れ、紙文化からネットによる情報収集への移行があり、時代の流れとして仏教関係者たちの無関心不勉強があり、また仏教の国際化から、とくにテーラワーダ仏教の流入による日本伝統仏教への関心が薄れ、より実践的な仏教を求める人々が増えていったことにあるといえよう。

年々実売部数が減る中で今日迄持ちこたえてこられた経営努力を賞賛するとともに、誠に豊富な内容について長年編集を続けてこられた編集者の皆様の研究心を高く評価し讃えたいと思う。がしかし、とはいえ今まさに世界を席巻する新型ウイルス感染の脅威に震撼する人々が心の安穏を必要とするとき、大衆に心の癒やしと指針を与えんとして創刊された大法輪が書店の棚から姿を消してしまうのは誠に惜しく、残念に思える。是非とも近々に再刊される気運が志有る仏教者諸氏より起こることを陰ながら祈念したい。

平成七、八年頃、インドから一時的に帰り、東京西早稲田の放生寺に居候していたとき、その後厳しい出版業界にあって長く編集長として辣腕を振るう黒神直也氏が親しくお訪ね下さり、本堂の下陣に座り、しばし時間を忘れ語り合ったことが懐かしく思い出される。それが大法輪と私の、すべての始まりでした。今日迄浅学非才のこの凡僧をお育て下さいましたことに、深く感謝し篤く御礼申し上げます。

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ラタナ・スッタについて考える-新型コロナウイルス感染終息のために

2020年05月05日 10時06分48秒 | 仏教に関する様々なお話
ラタナ・スッタについて考える-新型コロナウイルス感染終息の為に




新型コロナウイルス感染症の終息平癒を願って世界中で毎日唱えられているラタナ・スッタについて、それはいかなる経典なのか考えてみたいと思う。既に前回述べているとおり、これは、ブーターという、日本で言えば霊たち、沢山の目に見えない生存を取らざるを得なかったものたちに向けて、この世の宝とは何か、大切にすべきものは何か、と教え諭していき、人々に悪さをせずに、ともに幸せであれと祝福するお経である。つまり、本当に目指すべきは何か、どうあるのが幸せというのかと教える内容となる。

ラタナ・スッタは17の美しい偈文によって構成されている。初めの2偈は、これから説く内容についてよく聞きなさい、霊たちよと呼びかけ、この経典の総論である、人々を慈しみ守りなさい、ともに幸せでありなさいと説いている。そして、最後の3偈は、説いてきたこの世の最上の宝である三宝を礼拝し幸せであれと集まれし霊たちを祝福し経典を閉じている。

ではこの世の宝である三宝・仏法僧について、残りの12偈は、どのような構成になっているのかというと、仏宝については3偈、法宝については2偈、僧宝については7偈となっている。この構成から何を読み解くことができようか。三宝の徳というとき、私たちはどうしても仏様の偉大さ、その法のありがたさについて思い巡らすであろう。お釈迦様の生涯の尊さについて説き、法の確かな真理を敬う。しかし、ここでは、半分以上の項目にわたって、僧についてその何がありがたきことかと説いていかれる。仏の説いた教えを実践し法を継承していくことの尊さを説く。僧という、その存在がいかに大事なものか、そのあり方が大切なものか、いかにあるべきかを教えてくれている。

まず、仏宝についての3偈から見ていこう。ここでは、この世に如来に等しき宝はないと説き、夏に密林で花が一気に満開になるように最高の悟りを得られ、そこに至る道を知り、与え、取り出すことのできる勝れた法を示したとある。つまり、自らの試行錯誤の末に、誰に教えられることなく自らその道を進まれお悟りになり、多くの仏弟子たちに教えを垂れ、それぞれの人に相応しく教え諭し、自らと同じ最高の悟りを得させることに成功された偉大なる仏陀であるからこそ尊い宝なのであると説いている。

つぎに、法宝については、煩悩が滅尽し、貪りを離れ、涅槃に至る法であり、それは三昧によって、つまり瞑想によって、完全なる智に至るものであると説く。仏の教え・法とは、仏になるための教えであるのだから当然ではあるが、ここには私たちの想定しがちな、智慧と慈悲、真理と慈しみ、この世の成り立ちとありがたいお慈悲・お蔭、とでもいうような内容はない。いたってシンプルに悟りうる教えであるからこそ尊い宝なのであると説いている。

ではなぜ悟りとは尊いのか。私たち、生きとし生けるもの・衆生は、何度も生まれ変わり、死に変わる輪廻の中に生きているからであるという前提がある。どんなところに生まれ変わるともしれない苦しみの連鎖である輪廻を終わらせることができるのは悟りしかない。だからこそ悟りに至る教えを説いた仏は尊く、その教えはありがたいのである。だからこそ、すべての生存にとって、人間にもブーターたちにも、仏の法は最上の宝ものなのだということになる。(輪廻など仏教では説かないと考える方は、森 章司「死後・輪廻はあるか---「無記」「十二縁起」「無我」の再考---」(『東洋学論叢』第30号 東洋大学文学部 2005年3月)を参照ください)

では、僧宝について見ていこう。ここでは僧とは凡夫僧ではなく、四双八輩の聖者を対象としている。根本的な無智を破る無常の真理を体験して預流果(よるか)に悟り、更に修行を重ねて貪瞋癡の煩悩が薄くなると一来果(いちらいか)に悟り、欲界の煩悩がすべて断たれると不還果(ふげんか)に悟り、すべての無明が断たれると阿羅漢果(あらかんか)に悟るとされる。これらに向かい修行する段階にある聖者を、◯◯向(こう)といい、それらを併せて、預流向・預流果、一来向・一来果、不還向・不還果、阿羅漢向・阿羅漢果という順番に進む四つの対になった八衆の聖者を四双八輩という。彼らに供養すると大きな功徳があるとし、彼らは、日々堅固に努力して、最高の悟りを得て、その喜びを得た人たちであるとする。

四方からの風にも動揺しない柱のように、確かな真理・四聖諦(苦・集・滅・道の真理)を見て、それを理解した預流果の聖者たちは、どんなに怠惰な生活をしたとしても七回の生存のうちに最高の悟りを得るので8回目の生まれ変わりはない。預流果の聖者は、有身見(うしんけん・私がいるという邪見)、疑(ぎ・教えに対する疑念)、戒禁取(かいごんしゅ・苦行やしきたりなどへのこだわり)を捨て、四悪趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に堕すことなく、六重罪(母を殺す・父を殺す・阿羅漢を殺す・仏陀の身体から血を流す・僧団の和合を破る・外教の師に従う)を犯すこともない。そして、たとえ身口意に悪いことをしても隠すことができず、古い業は尽き、新しい業は生起せず、未来世に生きたいという種は尽き、欲も生まれず、灯りが消えゆくように死後再生することがないと説く。僧とは、かくあれということでもあり、こうあってこそ命ある者たちの先を行く、先導するものとして殊勝の宝と言いうるということであろう。

誠に厳しき内容ではあるが、世界的にこの段階にある僧宝はどれほどあるであろう。しかし、世界中で、多くの僧たちがこうあるべく努力しているからこそ、僧宝とならんがために努力しているからこそ、教えが残り、実践が残り、その尊さが維持されているとも言えようか。大切なことではないかと思う。私たちは、ともすると仏や、祖師の偉大さばかりを説く。しかし、そもそもそれを伝えんとする人々のあり方、実践について触れることは少ない。ラタナ・スッタは、私たちに僧の大切さ、仏教を未来に存続させていく意味においても、僧、あるいは仏教徒たちがいかにあるべきか、何を大切にすべきかを教えてくれている。

最後に、ラトナ・スッタは、ブーターという霊たちにむけて、仏教のありがたさに目を向けさせて、その生き方そのものを転換せよと説いている。あなたたちに大事なものは何か。いまのその生存のままでいいのですか、つまらないことにうつつを抜かし、くだらない楽しみのために周りの人々を傷つけて喜んでいる、そんなことでいい訳がないでしょう、少し目の向け方を変えたらどうですか、どうしたらもう少しよいものになれるのか、よりよく生き換えるにはどうすればいいのか、それには何が大切で、いかに生きるべきかと説く。生きるものの最上の手本である僧たちのように生きよ、幸せであれと教え諭している。

つまり宝である僧たちが歩む先に、命あるものにとっての本当の幸せがあるということであろう。その至福の喜びに向かって生きるものたちを尊敬し礼拝して、そなたたちもその道をこそ理想として歩むべきだとするのである。今の私たちにも参考となる内容であろう。不平不満ばかりの私たちとブーターたちと何が違うのか。その意味を考え、生き方を私たちも変えていく必要があるのかもしれない。仏教とは、日々研鑽を重ね、少しずつでも向上していくことを勧める教えであり、お釈迦様は私たちにそれをこそ願っておられるのだといえよう。

この世の中の混乱が終息し、一日も早くもとの平穏が戻ることを願います。


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ラタナ・スッタを紐解く-新型コロナウイルス感染終息のために

2020年04月17日 17時47分31秒 | 仏教に関する様々なお話
ラタナ・スッタを紐解く-新型コロナウイルス感染終息のために



世界中で今ラタナ・スッタが読誦されています。YouTubeで、RATANA SUTTAもしくは、Rathana Suthrayaと検索しますと、スリランカなどの僧侶による、いくつもの読誦を聞くことができます。それを聞きながら、世界の多くの仏教徒たちが手を合わせ、まさにお釈迦様方の声を聞く如くに、そのお経の声に感染終息を願っています。私も、久しぶりに、かつてインド僧として過ごさせてもらった、コルカタのベンガル仏教会に連絡した所、やはり比丘方で毎日ラタナスッタを唱えているようで、私も毎日唱えていることを伝えました。

ところで、かつての私の師、故ダルマパル大長老(Dharmapal mahathera)は特に経典読誦に関する古い唱え方を伝承されている方でした。そのいくつかを私も習う幸運に巡り合うことができたのですが、それはパリッタと呼ばれる日常読誦経典の、各経典毎に独特の節回しでお唱えになられるものでした。実は、そのお唱えになる声を、まだインド僧になる前のことですが、まだ暗い朝方に窓辺に聞き、何度も酔いしれたものでした。私が滞在していた頃、それらすべてとはいきませんが、テープに記録するように言われ、粗末なカセットレコーダーで録音しました。たしか、1995年1996年頃のことでしたが、すべてで4時間ほどになります。

この度、その懐かしいテープのことを思い出し、ラタナ・スッタの読誦の部分を何度も聞き、同じように唱えられるよう練習しました。そのラタナスッタを4月5日の土砂加持法会でも唱え、また、現在も日に二度朝晩唱えています。そして、毎日唱えておりましたら、その意味するところをより深く知りたくなり、20年ぶりに、パーリ語辞典と文法書をたよりにラタナ・スッタをデーヴァナーガリー文字でノートに書き出し、一語一語辞書を引き、文法書を片手に訳してみました。誠に拙いものではありますが、以下に試訳を掲載してみます。ご笑覧下さい。より深く意味するところを理解し唱え、そして、聞いてもらうことで、より強く新型コロナウイルス感染終息に繋がりますことを念じたいと思います。

宝経

ここに集まりきたる霊たちよ、地のものも、空のものも、すべてのものたちに、幸いあれ。ときに、語ることを恭しく聞きたまえ。

故に、実に、霊たちよ、すべてに注意深くあれ、人々に慈しみを生ぜよ、日中にも、夜にも、供物を運ぶ人々を、それ故に、実に、彼ら人間を怠りなく守れ。

この世の、あの世の、天界の勝れた宝でも、如来に等しき確かな財産はない、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

入定せる釈迦牟尼は、煩悩を滅尽し、貪りを離れ、勝れた不死・涅槃に到達した、それ故に、何ものか、法に等しきものはない、これも法における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

殊勝の仏陀は、浄く、賞賛される三昧について、すぐに完全智に至るという、それ故に、この定に等しきものは知られない、これも法における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

この四つの対の、八人の賞賛されるべき人々(四双八輩の聖者)は、供養されるべき善逝の仏弟子たちであり、この供養により大きな果を与えられる、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

彼らは欲なきゴータマの教えを実に堅固な心をもって、努力し、不死の境地に入り、その利得を得て寂滅せる喜びを得た、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

地にとどまってある柱のように、四方からの風にも動揺しない、その如くに聖なる真理を確かに見たと善人が言う、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

仏陀によって、甚深なる智慧により説かれた聖なる真理を明らかに理解する(預流果に悟る)なら、たとえひどく放逸になったとしても八回目の生存はない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

共に住して、目覚め(預流果)を成し遂げた人は、実に、有身見、疑、戒禁取の三つを捨て、また、他の煩悩も捨てて、四つの悪趣から自由となり、六重罪をなそうとしてもできない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

たとえ、彼が、身口意の行為に悪をなしても、それを隠しておくことはできない、真理を見たる人は悪事を隠しておくことはできないと説かれた、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

夏の最初の月に、森の茂みで花が咲く頂点となる如くに、最上の有益な涅槃に逝く勝れた法を示した、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

勝れた人は、最上なるものを知り、与え、取り出す、その最上の勝れた法を示された、これも仏陀における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

古き業は尽き、新しい業は生起しない、未来に生存したいという心から離れた彼は、種は尽き、欲は成長しない、灯火が消える如くに賢者は消えゆき再生しない、これも僧における勝れた宝である、この真実によって幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来、仏陀を礼拝するのです、幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来による、法を礼拝するのです、幸せであれ。

集まり来たれる、地にあるも、空にあるも、霊たちは、神々や人々に尊敬される如来の弟子たち、僧を礼拝するのです、幸せであれ。


参考文献 パーリ語辞典・水野弘元著 パーリ語文法・水野弘元著 
     南方仏教基本聖典・ウ・ウェープラ著 
     宝経法話・アルボムッレ・スマナサーラ著 
     ブッダのことば・中村元著 スッタニパータ現代語訳・荒牧典敏他  

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