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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

正見ということ

2025年02月21日 16時42分24秒 | 仏教に関する様々なお話
正見ということ


二月二十一日、寒い中早朝よりご参詣ありがとうございます。沢山の添え護摩を書いて下さり、今月も大きな護摩を焚かせていただきました。月一回、お薬師様にご供養の護摩の火で、ひと月の間に心にわだかったものをみんな焼き払ってもらって、きれいさっぱりさわやかな気分になっていただけたことと存じます。

今日は、正見ということについて少しお話申します。お釈迦様の教えに、八正道という、八つの聖なる中道の道という教えがあり、その第一番目に正見という教えがあります。正しい見解、見方ということですが、これは、物事をありのままに見るということで、何か見るとき、聞くとき、先入観なく、固定観念を持たずに、そのものをあるままに見る、事実のみ観察すると言うことです。

昔毎日新聞の佐藤健さんという有名な記者さんがおられまして、その方が臨済宗のお寺に入門する、掛塔という作法についてルポルタージュを書くために、自分が実際にそれを体験されたことがあります。玄関で数日、また部屋に入り数日、本当に入門の意志があるのか確かめられる期間が続きます。その間に様々な思い、怒り、後悔、葛藤が交錯するわけですが、部屋に通され数日して出されたお茶を飲み、小窓から庭を見た時、それまでの思いがすべてなくなり、ただただその庭の美しさに感動したと書いていました。何の思いもなく、ただありのままに庭を観れたということでしょう。

ですが、私たちがしがちなのは、何かものを見るときでも、何か話を聞いても、こういうものという先入観をもって見たり聞いたりしています。出来事や国やその指導者などにも、こういうこと、こういう国というような固定観念、印象を持って見たり聞いたりしているのではないでしょうか。頭に入っている情報の違いにより、皆一人一人同じものを見ても聞いても、みんな自分色に脚色して見ているということです。ありのままに真実を見るということからは、ほど遠い見方を、普段私たちはしているということです。

また、森章司さんという先生がある本に書いていたことですが、戦後間もなくのことで、みんな貧しく南京虫に悩まされていた時代の話ですが、ある人たちが、芦屋のお屋敷町に南京虫の駆除剤を売り歩いたことがあったのだそうです。新聞にも載っていたと思いますが、この度ハーバード大学と東大の共同研究で作られたものでと、亀の甲羅のような化学式を書いて説明すると飛ぶように売れたそうです。

ですが、大阪の長屋に行って同じように説明すると、ハーバードってなんや、東大がどうしたと言われ、南京虫を捕まえてきて試してくれと言われて、まったく売れずに逃げ帰ったのだという、そんな話があったとか。これなどは、正に芦屋の奥様たちの知識、先入観が禍して、そんな大学の研究によるものなら効果があるはずとだまされてしまった訳ですが、大阪の長屋の女将さんは、余計な知識、先入観もなく、その事実だけを見て見分けようとされたという一例です。

ところで、一月には、今年は巳の年で、蛇のように新たな飛躍の年にして欲しい、アメリカの大統領も代わって、世界も平和になり、豊かになっていくと申しました。そうしましたら、後から、何人かの方に、アメリカの新しい大統領はあまり良い人と思えないし、どうなってしまうか不安だと話されました。私の話に違和感があり、不審に思われたようです。

新しいアメリカの大統領に対する、先入観は成り上がりの不慣れな政治家、奇抜なことをする何をするか解らないというような、日本の新聞テレビからの偏った固定観念からそのような反応になったのではないかと思います。余計なことですが、彼はキリスト教保守派の福音派の熱狂的支持を集めるとても深い信仰心の持ち主と聞いています。

もちろん、私も事実だけを見なければならないわけですが。日本の首相も代わって三ヶ月四ヶ月経ちますが、アメリカの方では既にひと月の間に、比較にならないほどの変革を成し遂げられています。国民のためにならない財政の無駄を省き、戦争ばかりだった世界を平和に導こうとしています。

このように、何か人から言われたとき、何をこの人は言っているのかというような捉え方をされたなら、そこに、自分の思い込み、自分の認識こそ正しいという自我にとらわれていることを表してもいます。ああ、そうなんですかね、と言うような身軽な発想にしていくことで強固な自我からの解放が期待できるのではないかと思います。

そして、真実そのもののありようをありのままに見るということが、仏教者として私たちには必要なのですが、なかなか難しいことではあります。ですが、何事も因と縁、原因と条件によって、いま仮に成立している、存在している、と仏教では考えます。ですから常に変化している訳です。

なので、もとから、固定観念、先入観というものは成り立たないものなのだと理解して、何事もニュートラルに見ていく習慣を身につけることで正見としての見方を養っていく必要があるのかと思います。そうすることで、これからの世界の劇的な変化に対してもストレスなく受け入れることができていくのではないかと思います。

来月もお誘い合わせの上、沢山の皆様のご参詣をお待ちしています。ありがとうございました。


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いまに生きるー医王如来について

2025年02月17日 08時01分36秒 | 仏教に関する様々なお話
昨日の法事後の法話の主旨をわかりやすく説く
いまに生きるー医王如来について




こちらの本堂の正面に大きな扁額が掛けられていて、そこには醫王閣とあります。本尊が薬師如来ですから、お医者様の王様で藥師如来なのだから醫王とある訳ですが、もともと、と言ってもお釈迦様の時代までさかのぼれば、醫王とはお釈迦様ご本人を指していたとも言われています。

誰が行っても、右回りに三回回って正面に座り三礼して一言二言御挨拶されるだけで、どんなにつらい悩み苦しみを抱えていった人でも気持ちが和らぎ別に深刻な話をするまでもなく癒やされて満足して帰るのだとか。そんなお釈迦てすから、医王と言われたとも言えるわけですが、お釈迦様の説かれる教え、そのものが当時のお医者様の診断処方に則っていたからとも言われています。

お医者様は、まず患者の症状を診て、その原因を探り、処置したあとの状態を想像し、そのために処方処置されます。この四段階に則り、お釈迦様の説法も四段階を踏んでいたといいます。悟られてから最初に法輪を転ぜられたとき、そのことを初転法輪というのですが、そのとき、五人の修行者に向けてなされた説法を四聖諦といいます。

四聖諦とは、四つの聖なる真理と言う意味です。その内容は、心経にも、苦・集・滅・道と訳されていますが、解りやすく言えば、現実の真理、原因の真理、理想の真理、方法の真理となります。

現実の真理とは、この世の中の現実をよく見て下さいということ。みんな思い通りにならないことばかりでしょう。周りの人は思うように動いてはくれないし、自分の身体もしんどかったり痛いところがあったりと思うようにはならない、世の中も嫌なことばかり起こる、それを苦と言ったわけです。

原因の真理とは、その原因は何かと言うことで、自分がよくありたい、自分は正しい、思い通りであって欲しいという思いがあるからです。

理想の真理とは、何があっても、何がなくても何とも思わない、動じない、考え込まない、必要なことはさっとわかり対処できる。悩むことなく、困ることなく、苦しむことがないことです。

方法の真理とは、悪いことをせず、周りのためになることをして、今に生きる。今という瞬間の、していること、すべきことに気をつけて、そのことだけに生きることです。

私たちはあれこれ悩み苦しむのは過去にあったことを思い、人のしたこと、しなかったことを憤り、怒ったり、文句を言ったり、自分の過去の行いや言ったことに後悔したり、落ち込んだり、周りの評価や風評を心配したり、また未来にやってくることに心躍らせたり、逆に不安になったり。

これらはすべて過去や未来のことに過ぎず、その思いのようになるものではありません。それなのにあれこれ思い、考えてくたびれてしまって、現実のことが疎かになってはいないでしょうか。

みんな幸せでありますようにと祈り、夢いっぱいの希望通りになるように願うわけですが、現実は願い通りになることはなく、たとえかなったとしてもその現実はさらに厳しい過酷なものであったりします。何か挫折があればこんなはずではなかったと後悔してみたり。

ですが、もとから人生とは苦しみ多いものだと、娑婆という言葉の意味が忍土、耐え忍ぶべき場所という意味から考えれば、人生とは思い通りにならない、いつも大変な厳しい中で忍耐をしいられるものなのだとの前提で生きていたら、逆にになにかよいことがあったときにそんなこともあるのだと心から喜べたりということもあるでしょう。

悟られた方は考えないのだと聞いたことがあります。必要なことは瞬時に答えが分かるので只今に生きられるのだそうです。私たちも人生とは思い通りにならないものと心得て、今の瞬間に生きることで思い悩まない人生を送りたいものです。



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