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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

雑草に学ぶ生き残り戦術

2025年05月21日 12時27分29秒 | 様々な出来事について
雑草に学ぶ生き残り戦術 今日の藥師護摩供後の法話




今年も境内に生き生きと雑草が生えそろってくれた。なかなかまとまって草取りをする時間もなく先月はかなり草が目立っていたと思う。ここ数年ゴールデンウイークに草取りをするのが習慣となっていたのでその時にと思っていたが、今年は予期せぬ仕事が舞い込み予定通りとはいかなかった。そこで、先々週後半辺りから毎日草取りに励んだ。

既に夏の草と言ってもいいような、小さな稲のように沢山の穂のような種を付けている草がはびこり始めた。白い沢山の種を付けしっかりと根を張る草、四つ葉のような小さな赤い葉がスギゴケの中などに土の下に横に四方八方に根を張り広がっていく草、葉はそれほど大きくないのに太い根をしっかりと深く張るもの、逆に根を細く細かい根を張り上だけ抜きやすくしてかつ上の種も目立たない土色のもの、またコケのように土に張り付いて細い根を張っているもの。竜の髭のような葉から沢山の胞子が伸びるものなど、とにかく様々な雑草が境内を埋め尽くさんばかりだ。

今年草取りをしていて思ったのだが、雑草にも生き残り戦術があって、徐々にその生態を繁殖の仕方を変えてきたのではないかと思った。青々と葉や種をつけていたものが徐々に色を目立たないように色を変えたり、摘ままれても根が残るように直ぐ切れるようになったり、根が横に生えているので摘ままれても横に残ったり、胞子のように遠くの子孫を残してみたり、とにかく長い年月を掛けて草は草で生き残りをかけて必死に生きてきたのではないかと思うのだ。

インドに居る頃よく小さな子供を抱いて道行く人に物乞いしている少女に出会った。この少女の子ではないのは明白で、物知りな人に聞くと乞食組合があって、そこであてがわれた乳飲み子を抱いて道に送り出されるとか。暑いインドの街でそれも生き延びるスベというわけだが、その時、人間も勿論だが、アリでさえも必死にならないと生きていけない国なんだと聞いた。ましてや草の方が遙かにアリよりも人間よりも長くこの地球上で生きてきたはずだから進化に進化を遂げてきたはずだ。

ところで、先日、中国新聞の一面下の広告に『あの人を脳から消す技術』(脳神経外科医菅原道仁著・サンマーク出版)という本が紹介されていた。失礼、無礼、生意気で、こちらを見下してくるとか、馬鹿にされたと思ったり、陰口を言われているように思ってしまう、そういう嫌な相手のことばかりが頭に浮かび、こびりついて離れないのをどうにかして欲しいという人のために書かれた本らしい。怨憎会苦の世の中なのだから、誰かそういう人が現れるのが人生なのかもしれないが。

勿論読んだわけではない。が、こうした思いに駆られる人は多いのだろう。特に会社勤めや、親戚づきあい、学校での付き合いでも、人と人が何人が集う世界ではそんな関係が大いにありがちだ。また最近おかしな事件事故が立て続けに起こっているが、それも理性を失うくらい自分や誰かに異常な執着を持ち正常な判断ができなくなっての犯行ではないか。

関連して、昨年もお話したように忘れたいのに忘れられずに嫌なことをいつも考えてしまったり、後悔ばかりしてみたり、それが私たちの心の習慣であろう。または、あの人はいつも気楽な感じなのにどうして私はとか、他人を羨んだり妬んだり。そんな自分はどうかしている、なんか自分だけおかしいのかもしれないと思う人もあるかもしれない。

だが、そうして私たち人類は雑草が様々な手段で生態を換えてまで生き残ってきたように、自分を攻撃してくるものや不安なものに、いつも気を抜くことなく、いつも気にして、配慮するようにして、そうして気づかう人々の子孫が進化の過程で生き残ってきたのだと、あるアメリカの神経心理学の先生の本にあった。そうやって、いつも気を張って、危険なものから家族や親しいものたちを守ってきたがために生き残ってきた人々が私たちの先祖だったのではないか。

そう考えてみると、別に自分一人がおかしいわけでもなく、いつもいつも心配になり、ふさぎ込んでしまう自分はそういう進化の過程の名残があるせいなのだと、それが少し習慣になってしまっているだけと解れば、それまで何で何でと思って、いつも自分を責めてきた心が少し楽になる。

深く深く根を張るかわりに横に横に細い根を伸ばして生き延びる草のように、そういう方法もあるとわかれば、少し離れてしまっていた友人たちとの交流を復活させるなど、違う人たちとの繋がりを作ることで救われることもある。はじめは薄い繋がりでもそれが沢山の人を呼び、より楽になり仕合わせに生きていくこともできるだろう。遠くまで胞子を飛ばす雑草に学んで、まったくそれまでと違う場所で生きるなんていうのも一つの方法かもしれない。地理的なことばかりでなく、心の置き場所をまったく知らなかった分野の世界に思い切って身を委ねてみたり。

摘ままれても根はしっかり残してしまう草のように、何を言われても自分の心はそのままで静かに何も動じることなくいるよう心掛けてみたり。本当はこれが本来の取り組み方だろう。頭に浮かぶこと言われたことなどに反応せず、音、音と、考えてる考えてると確認して今に生きる。が、なかなかこれが難しい。

また、しっかり根を張って動けないと思っても、沢山の小さな種を付ける草のように、パターン化した行動ルートに変化、バリエーションを持たせてみたり。それまで寄ったこともなかったお店で買い物を楽しんでみたり。これまでと違ったことに関心を向け没頭することで、一つのことに拘わらず心配ばかりしないでいる自分に出会えたりすることもある。そうして考えていない自分でよいのだと確認する。

もういつもいつも自分に拘らなくていいと、今の自分だけに責任を取らせるような生き方でなく、進化の過程に責任を押しつけてしまって楽になる方法を学んでみてはいかがかであろうかと思うのだ。雑草とひたすら向き合い、それらの草の進化してきた生き残り戦術はと考えてみるだけで、学びがある。私たちも雑草のように巧みな戦術で楽な生き方をしてみようではないかと思うのである。



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簡略化の弊害

2024年12月22日 08時50分00秒 | 様々な出来事について
簡略化の弊害




御歳暮の季節である。お中元御歳暮というのは、もともと室町時代に始まった習慣で、親元にその季節に家の神様をお迎えするための御供えを実家に持ち寄ることがもとだという。そうした習慣が他家にもお裾分けしてお世話になった感謝の気持ちから物を送る仕来りに発展したものらしい。

毎年、こちらに来て25年、盆と暮れに車で1時間かけて御中元御歳暮をお届けしているお寺様がある。初めは敷居が高いというのか、いつも怒られるのではないかというような気持ちもあり、玄関先で置いて帰ろうというなどと思いつつ車を走らせたものだが、先様も忙しい時期でもあり、お会いできないこともあり、それでも毎年二回欠かすことなく通ってきた。

いつの頃からか、連絡をしてから来なさいと言われ、そうした頃からだろうか、好きなお寺の話、仏教の話、本山の話、昔話に花が咲くようになった。行くことがとても楽しみになり、コロナの時期にも迷惑がられながらもお伺いした。先週も遅くなったことを詫びつつ奥の間に通され話し始めた。

今年の行事の話、美術館での特別展の話、他のお寺の御開帳に関してなど話し始めたらあれもこれも、気がつくと2時間が経過していた。慌てて失礼したようなことではあるが、お話のすべてが勉強になる、誠に貴重な時間を過ごさせてもらった。

ところで、コロナ騒動の頃、何でも簡略化、休止、キャンセル、廃止の波が襲ったことがある。未だにその波の影響か、お祭りなどは徐々に元に戻ってきているようには感じるが、旧に復さないものも多くあると感じる。お中元御歳暮の類いもそうかもしれないし、仏事もその一つで、葬儀法事がコロナ前からではあるが、小さく小さくという風習が当たり前になってしまっている。

田舎は隣保と言って、集落の組内で、葬儀やお祭りなど互助する取り組みがなされてきた。しかし、そんな当たり前のことも、今では何の通知もなく、お隣のことであっても、「家族葬で行いました」と回覧板を見て知るような時代となってしまった。良い、悪いの話ではなく、そうして人と人の関係が薄れていくことの意味を考えなくてはいけないのではないかと思う。

日本人が現代にあってもなお、先祖を大切にする数少ない文明社会の一つであると聞いたことがある。今日迄、一つの共同体として、世界で唯一古代から一つの国として存続してこられた礎にそれがあったのではないか。人と人との関係、繋がりの大切さを思う、その大本に親があり先祖があり、皇室があった。それが戦後教育の改変によって、家や親、家族の育みが遠ざけられてしまった。

そうした延長線の上に、様々なキャンセルの大波の余波から、人と人の関係の大本が、いまだに疎かにされている。コロナの時期、それまでしてきた葬儀をせずに火葬だけして済ませてしまった家々がある。それらの家の未だそんなにお歳でもない当主や若い奥様が突然に身罷ることがあると聞く。突然の訃報に多くの近しい人が戸惑い、近親者は自らなしてきたことに思い至る。偶々、偶然のことかもしれない。しかし、先祖がずっと伝えてきた習慣や教えを蔑ろにすることの怖さを感じざるを得ない。

私たちは一人では生きられない。つねに、すべての生きとし生けるものの恩恵を受けつつ生かされている。家族でも、親族でも、師弟でも、地域の方々とも、人と人の関係は何があっても、忘れてはいけない、疎かにしてはいけないことなのだと思う。命の大切さなどと唱えていたのはいつのことであったか。舌も乾かぬ間に、何でも簡単に、簡略にしたらいい、しないで済ました家もあるなどという理屈でなされることの意味を知らねばいけないのではないかと思う。


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小中学生不登校34万人という話

2024年12月04日 16時30分17秒 | 様々な出来事について
小中学生不登校34万人という話



ニュースを見ていたら、不登校が最高の数字になっているという。子どもの頃は友達に会いに学校に行くのだから楽しくて仕方ない年ごろではないか。それなのに学校に行けないというのは、何か社会全体が持つ不条理、歪な社会構造が原因しているのかもしれない。親の心はそのまま子供に影響しますから、親の複雑な心境が子供の心に微妙な影をもたらし、なかなか周りと打ち解けられない壁を作ってしまうということはあるのではないか。

実は私が中学三年の時、幼稚園から一緒で、小学生のときにも仲良く、その後少し距離ができていた子が、中学三年の時同じクラスになり、余り教室で顔を合わさないなと思っていたら、担任の教師から、下校前の挨拶の時に、彼が学校に来れないと聞いた。

行ってきますと家を出るのだがおなかが痛いとか気分が悪いと帰ってきてしまって、ほとんど新学年が始まってから学校に来れていないという。どうしたのかなという軽い気持ちから、その翌日よく知っていた彼の家に迎えに行くと、ごく自然に一緒に学校に来て、教室に座っているから、先生が驚いて今日は来れたのかと聞くと迎えに来てくれたからと言ったのでしょう。担任が来ていいことをしてくれたと。

それから毎日迎えに行き一緒に学校に行っていた。別にそんなに偉いことをしているとも考えずに、ごく自然に迎えに行き一緒に学校に行くという感じだった。学年始まって私より小柄だったはずなのに、なぜか一年終わる頃には彼の身長はずんと高くなって、はるかに私より背が高くなっていた。

三年の終わるころ三月になって、君日曜日に区役所に来てくれという。行くと、何やら区長さんから表彰状をもらい、新聞にも載ってしまって、えらいことになって、学校中が知ることになった。教育委員会の教育功労者としての表彰であった。

専門のことは分からないが、難しくしすぎな面もあるのではないか。当たり障りなくそっと見守るとか。そのせいで解決できるものも長期化してこじらせる。もっと簡単にというわけにはいかないかもしれないが、もっと軽く考えて対処したら改善される面もあるのではないか。

鬱とか、引き籠りとか、ニートとかいろいろと名称を付けて、それぞれに当てはめてひとまとめにして対策を考えるのもいかがなものか。簡単に薬を求めてしまうというのもどうなのかと思える。みんなそれぞれ事情が違うので、その当事者にしかわからないことが沢山ある。私がかかわったのはとても軽いものだったからかもしれないけれども、もっとオープンに個々のケースごとに係われる人が気楽に助けていくことを考えるのが良いのではないか。

この話には実は、後日談があり、中学卒業後はまったく疎遠になっていたのに、私が高野山の専修学院で一学期を終えて、夏の休暇を東京で過ごし、明日から高野山に登りいよいよ百日の修行に入るという時、大阪で用事があり難波の南海ホテルに泊まった。そのホテルのエレベーターで、ばったりその彼に10年ぶりで再会しお互いの無事を確認した。私は作務衣だったが、彼はスーツ姿で企業に勤め、同僚と一緒だった。短い会話でお互いの近況を伝え合うだけだったけれども、私にとってはとても意味のある、不思議な再会だった。




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お茶会に思う

2023年09月22日 08時57分22秒 | 様々な出来事について
お茶会に思う



九月十七日、ここ國分寺を会場にお茶会が開かれました。尾道のNPO法人・茶の湯歳時記同好会主催の百人を超える参加者が来訪される盛大な茶会でした。同会は、これまでにも尾道の浄土寺や海龍寺、光明寺、三原の極楽寺などで茶会を開催してこられました。この度は、『茶の湯~西国街道をゆく~』と題された連続茶会の今年五月に開催された第四回尾道海龍寺文楽茶会に続く、第五回神辺備後國分寺茶会として行われたものです。

ことの始まりは、今年二月に神辺在住の表千家教授である理事さんが訪ねてこられ、是非客殿で茶会を開かせて欲しいと申し入れがありました。これまで茶会などとは縁のなかったこともあり、総代さん方にも相談の上快諾を得て、その後理事さんとのやり取りの中で日程も決まりました。

今年五月ころだったでしょうか、副理事長さんと実際に茶会で作法される先生方が会場の視察に来られ、部屋割りや出入り口の確認をしていかれました。そして八月末にもう一度理事さんが会場の確認に来られ、茶会前日には茶道具や花、掛け軸を持参され、会場の設えがなされて当日を迎えました。

当日は先生方は午前八時前にはお越しになり、九時から本堂で本尊様へお茶をお供えする供茶式法要がありました。同会理事長の壇上博厚氏より挨拶と来賓の紹介があり、そのあと供茶式が行われ、梵語の心経を独唱の後、理事さん方や茶会に参加される皆様方と心経を読誦しました。

遠くは京都や広島からお見えの方もあり、午前A九時半、午前B十一時十分、午後C十三時十分の、それぞれ定刻には定員を超える三十五名の予約されたお客様方が集い、客殿奥の間の濃茶席・中の間の薄茶席・客間の点心席と移動しながらゆっくりとお茶を飲み、國分寺での茶会を堪能されお帰りになられたことと存じます。濃茶席は表千家流十友会、薄茶席は表千家流雛の会が担当されました。先生方にはこれまでなされた大寺とは違い手狭に感じられたかもしれません。

皆さまが片付けを終えてお帰りになったのは夕方四時半ころだったでしょうか。九月半ばとはいえ夏の暑さの残る中丸一日着物でご奮闘なされ誠にご苦労様でした。後日早速に理事長様から丁寧な毛筆の礼状が届きました。「吹く風の 色こそみえね 唐尾山の 古代の松に 秋は来にけり」と歌を添えてくださいました。ありがとうございました。

國分寺では、夏の行事万灯会が八月二十一日に終わって、次の日から庭屋さんが入り庭園から境内の樹木の剪定が行われ、今年は殊の外丁寧な作業が二週間続きました。その間庭園や境内の草取り、中門外や参道の草刈り、本堂の縁や茶室の濡れ縁の掃除、そして茶会の前日まで本堂客殿の室内ももちろんのこと清掃に勤めました。普段しないところまで掃除ができ、あらためて掃除の大切さが知られるということもありました。

お寺は専門的な言葉では現前僧伽(げんぜんさんが)の役割として檀信徒に維持していただき様々な行事法務に勤しむ活動をしているわけですが、一方で世界のすべての仏教施設は四方僧伽(しほうさんが)として、すべての仏教徒に門戸を開き適切な対応がなされなければならないものです。勿論ここにある僧伽とは僧の集団をさすわけですが、僧園や精舎などの施設は四方僧伽に属するともあります。今日の寺院も僧伽と考えれば、一般的にも寺院は公共の施設として捉えられもしますが、本来お寺は四方僧伽としてより広く人々に開かれてあることが本来のあり方と言えます。

そう考えますと、この度の茶会も、伝統文化の普及発揚のためになされた、人々の心を豊かに育むための活動に対する四方僧伽としての役割を果たしたものといえましょう。私どもも茶会が行われたことで多くのことを経験し学ばせていただきました。お茶会のため、残暑厳しい中参道の草刈り、草取り、外トイレの清掃にご精進くださった檀信徒の皆様に改めて感謝し御礼申し上げたいと思います。


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後生がいい生き方・Kさんの思い出

2021年02月22日 09時08分42秒 | 様々な出来事について
後生がいい生き方・Kさんの思い出
(昨日の護摩の後話した内容に加筆しました)



Kさんが亡くなった。この方は、私たちがこの地にきてからずっと気遣って下さる方の一人だった。こちらに来た年の三月に行われた涅槃会の稚児行列の際に仁王門前で子供を抱いてくれて、その様子をたまたま撮った写真があり、古いアルバムから見つけて通夜の晩に棺の前に添えさせていただいた。みんなの前でニコニコ笑われているが、ご本人にとってもその時のことがいつまでも心に刻まれていたようで、事あるごとに家族にも話されていたと通夜の晩に伺った。

今年に入って、遠方に住むご子息様が下を向いて道を歩いてくるところに車で出くわした。たいそう気持ちが沈んでいる様子にどうしたことかと思ったことを後から思い出したのだが、その頃にはお母さんの様子がよくなかったのであろう、昨年の十月ころから一度病院で検査後、かたくなに入院を拒否して自宅で療養を続けられていたという。強い抗がん剤も高齢ということもあり、ほかの治療も放棄されて、ただ痛み止めだけを飲んで、家にいたいとのご本人の意思をご家族も尊重されての自宅療養だったようだ。

昨年の11月に実はお寺の日帰り研修旅行を予定しており、お盆にお会いした際にも元気そのものだったので、十年前にも同様の研修に参加されていたのでご案内したところ行きますとのことだった。近くに住む娘様の車に乗って外出するのが楽しみで、元気にお過ごしのこととばかり思っていたが、いつまでたっても申し込みにやってこられないので、電話したところ入院してたんです、とのことですぐに回復するものとばかり思っていたが、結局その時の会話が最後になってしまった。その後、自宅におられ時折近くの町医者で検診を受けるだけで、本当に苦しまれたのは一晩だったとのことで、ご家族がその晩も病院に行こうかと言っても、うんと言わず本人の願い通りに翌日家でお亡くなりになった。

平成十三年から毎月仏教懇話会と称して一時間話をする会を開いているが、開設当初から欠かさずに毎月近隣の懇意な人たちを誘い合わせてお越しになってくれていた。面白くもない話を十年ばかり毎月一時間我慢して聞き続けてくださった。会館の二階で始めた懇話会も、その後客殿に場所を変えて行っていたが、その時々の話題について私が話をし、皆さんに疑問やら感想をお尋ねするのだが、決まってみんなを笑わせるようなことをぼそっと言われて場を和ませてくださった。

歴史小説が好きでよく読まれていたということも枕経の時に初めて聞いたのだが、福山城博物館主催の歴史講座にも定期的に通われて、そちらのほうは先生が面白く楽しい話を聞かせてくれたようで、福山まで通うのを楽しみにされていたようだった。平成十八年の秋頃から「日本の古寺めぐりシリーズ」というバスツアーが組まれ、私が講師としてバスの中でお話をする旅行にも何度も参加くださったが、たまたまその歴史講座に参加されている顔見知りも同乗されたことがあり、親しく楽しそうに話されていたことを思い出す。

また、年末や法会前には檀家の皆様に呼び掛けて大掃除をしているが、そんなときには必ずどこかで黙々と草を抜いてくださっていた。みんなと楽しそうに話をしながらということもあったが、しゃがんで隠れるようにされていることも多く、そんなときにはお茶の時間に仲良しの中でにこやかに話をされていたように記憶している。

飾ったところがなく、本当に自分の気持ちをそのまま表現される方だった。嘘偽りなく、素直に自分を生きられた方だった。何の濁りもない心で周りの人たちと接し、周りの人たちを思いやり和ませ笑わせ寛がせる才能というか、技をお持ちだった。みんなから愛されてきたことと思う。いま思えば本当に後生のいい生き方をされてきたのではないかと思う。もちろん私などはKさんのごく一部のことしか知らない人間に過ぎないのかもしれないが、知っていることだけでもまさにそう思え、見倣いたいものだと思う。思い出を感謝とともにここに書き残しておきます。お世話になりました、ありがとうございました。

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うれしい友からの電話

2021年01月10日 11時33分40秒 | 様々な出来事について
うれしい友からの電話



一昨日からひどい冷え込みで、本堂の花瓶や供えた閼伽水も凍り、日中にも溶けないほど温度が上がらない中、昨日の坐禅会には9人もの篤信の方々が集い、10分の歩行禅、30分の坐禅を2度坐られた。ストーブを2つ置いての坐禅ではあったが、寒いせいかお寺の周辺に人の気配もなく、静まり返った中でよい坐禅が正月からできたと思う。坐禅後の茶話会では皆さん現在の世の中の状況にやや沈鬱な雰囲気にはなったのだが、それでも私たちは生きていかなくてはならず、すべてのことの真実を見つめながら日々の営みに集中しましょうということで散会した。

そのあと、夕勤して寺務所に戻ると、遠路はるばる、ある高校の教頭先生をされている高校時代の友人から珍しく電話が入った。この人は私の人生の大事なところで精神的インパクトを与えてくれる貴重な存在で、昨日の会話もおそらく何事か意味のあるものとなってくるのではないかと思っている。坐禅会での話の延長から、挨拶の後すかさず、今の時代をどう思うかと尋ねた。

突然のことではあったが、彼なりの返答があり、私も思うところを述べたのではあったが、やや丁寧さに欠ける話だったのか、内容的にらしくないと思われたのか、世の中のお坊さんのようではないねという言葉をいただいたのではあったが、大事なことは私たちの仕事は常に周囲の人々に幸せと安心を与えるものでなくてはならないということを教えられたように思う。彼はキリスト教の牧師でもあるので、常に生徒も含めていろいろな人たちに教えを施す立場にもありそう感じられたのであろうかと思う。

その後いろいろとそれぞれの近況を話し、最後に彼からこれからの時代どういうことが大事と思うかと尋ねられたので、知識があるものが賢いとされるような世の中になりつつあるけれども、いくら人の知らないことを知っていたとしても、それが単なる記憶であっては何の意味もない、それらを用いて自ら考える、人の言うことを鵜呑みにすることなく、自分の頭で思考し今置かれた現状を正しく認識し、どうあるべきかと判断できることが大切なのではないかと話した。

すると、彼は、いま特にコロナコロナとストレス過多の世の中にあって、精神を病んだ状態になると何物にも感動したり美しいと思える感覚が失われていく、また何でもスマホやパソコンで事足れりとする時代となっているが、花であっても、自然であっても、音楽であっても、本物、実物と生で対面し、見たり聞いたりして、美しい、素晴らしいと感動できること、そうした感性を大切にすべきだと思うと話してくれた。ますます仮想空間の中で人と人が出会わずとも、また現地に行かなくてもバーチャルで事を済まそうとする世の中になっていくであろう。しかし、そんなことではなく、その人そのものと直に出会うことの大切さ、実物と対面した時の感動する感性そのものを失ってはいけないということであろう。

私も、彼の話に賛同し、まさに今私たちは生きることにもその美しさ周りを感動させられるような生き方、身の処し方、潔さが求められているのではないかと思うと話した。自らの地位や利得、上辺だけの称賛、そんなものだけを大事にするような世の中に成り果てている。私たち日本人にはもっと気高いものを大切にする心があったのに、いつの間にか失われ、寄らば大樹という処世感覚ばかりが跋扈して、言いたいことも言わない、見て見ぬふりをして済ませる、みんなしているから同じようにしてればいい、そんな世の中になってしまっているのではないか。たとえ鶏口となるとも牛後となるなかれ、という高貴な言葉もあるが、自分の生き方に自ら感動できるような生き方をしていきたいものである。そのためにはまずは実物の美しさに感動できる感性を失わない、精神の落ち着いた状態にあることが必要だということであろう。

久しぶりにうれしい友と話ができた感激をここにとどめておきます。彼から言われたことを心に大切にして日々を過ごそうと思う。ありがとう。



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『大法輪』休刊に寄せて

2020年05月24日 20時09分36秒 | 様々な出来事について
大法輪休刊に寄せて




いま私の手に、昭和九年十月一日発行の大法輪創刊号がある。これはここ國分寺の先々代猪原泰雄院家が購入し書庫に大切に保管してきたものである。赤字で大法輪、その下に黒字で創刊號とあり、信貴山縁起の剣の護法飛行の図が描かれている。目次は大きな法輪を左右に開くと開陳され、上部四分の一のスペースに地獄極楽図が描かれ、髙楠順次郎博士や加藤咄堂、高島米峰など仏教学者に加え、政界官界からの激励や「現代病根」と題して四十人もの著名人から、当時の焦燥感とその解消策についての短文が寄せられている。また創作小説が八本も掲載されており、仏教にまつわる題材を絡めた、いずれも興味深い内容である。

創刊の辞には、「時は正に非常時、國運進展せんとして、東亜の新黎明に、警鐘が鳴る。思想問題に、國防問題に、農村問題に、生活問題に、その徹底せる解決を求めんとするの声は、喧々囂々として耳を聾するばかりである。而も国民は、今尚統一ある帰趨を見出し得ない。そは何故か、真の信念なき為である。此の時にあたりて、佛降誕二千五百年を迎ふ。大聖釈尊の教法、そはこの無明の長夜を彷徨する大衆に、与えられたる唯一の大燈炬ではないか。茲に於いて、『大法輪』は正法を大衆に傳ふべき使命を以て、創刊せられたのである。」とある。

時代は、大正十二年の関東大震災からの復興途上にあり、その後恐慌となり、経済は低迷。大陸に活路を見出さんと満州へ進出し、満州事変が起こり、満州国の建國。そして国際連盟の脱退にいたる。軍部によるクーデターも勃発、軍事色が日増しに濃くなりつつあった。そういう軍靴高らかなる世情にあって、この創刊の辞を読むに、いまこそ大衆の心を癒やし、かつ穏やかならざる時代に一つの指針を与えんがために何としても創刊しなければならぬという決意がひしひしと伝わってくる。

更に巻頭の「不滅の法輪」と題する編集者の文には、新日本の建設と宗教という小見出しに続き、「今日の政治界、実業界、教育界が腐敗堕落せるは、実にその中の人々に宗教心なきが為である。今日の大政治家、大実業家、大教育家にどれだけの宗教心ありや。彼らは人生の根本問題に対して、真摯に思いをひそめしことありや。もし真に日本を思ひ、天下を憂えんとならば、まづ自分自身人生観を確立し、人間最後の安住地を見出すことが先決問題なのである。吾人は昭和の維新といい、新日本の建設というもその根底には宗教殊に仏教の信仰なからべからざることを高調せずにはいられぬ。」ともある。その時代にすでにそう叫ばれていたのなら、現代にあってはその欠片も残ってはいないと考えた方がよいであろう。

その後大法輪は戦時中は合併号を出すなど戦時版の時代を経て、戦後の経済復興高度成長期を経験し、昭和平成令和の今日迄リニューアルを重ね、趣向を凝らした特集記事を見出しにしつつ、毎月発行し続けられ、日本における仏教雑誌の草分けとして、超宗派の総合仏教月刊誌として盤石の地位を築いてきた。創刊六十周年にあたる平成六年には、『大法輪まんだら』と題して創刊六十年秀作選が刊行されている。その執筆陣の名を見るだけで、大法輪の日本の出版界、仏教界における高い地位が解る。髙楠順次郎博士を初め、高山峻、鈴木大拙、金田一京助、岸本英夫、柴山全慶、金子大榮、暁烏敏、澤木興道、岡本かな子、内田百閒、武者小路実篤、牧野富太郎、平櫛田中、山本玄峰、河口慧海、などなど39人の各界を代表する錚々たる大先生ばかりがずらりと名を連ねている。

それらの大先生方が執筆されてきた歴史ある、権威ある大法輪に、誠に僭越ながら、筆者は、平成八年に「聖地サールナートに無料中学を設立した日本人僧」というインドサールナート法輪精舎住職後藤恵照師を紹介する記事を書かせていただいたのを皮切りに、昨年六月号の特集「仏教の聖なる言葉」において、「諸仏の名号」、「上座仏教の三宝帰依と如来の十号」を執筆するまで、24年もの間、特集記事の原稿を依頼されたり、またこちらで書いた原稿を掲載いただいたり、実に、七十を超える記事を書かせていただいてきた。この中には「わかりやすい仏教史(全13回)」、「阿含経典を読む(全10回)」など連載させていただいたものもある。全く畑違いの、それまで学んだこともない内容の依頼も度々あったように記憶するが、その都度一から勉強し直し、さらには先生方の本を書庫に漁りつつ確認し認めたものも多い。

何れも専門的な用語が含まれ、解釈の難解な内容も多くあったが、自分が理解し解りやすい文章を心掛け、自らの経験を書くことでご理解を願うようなものも多かったように思える。依頼された内容に叶う貴重な内容の本を、不思議にもその少し前に手に入れ書棚に置いてあったものが丁度役に立ったということも何度もあった。平成24年、前編集長の勧めから、そうした原稿などをまとめて大法輪閣から、『ブッディストという生き方-仏教力に学ぶ』という単行本も上梓させていただいたのは望外の幸せであった。私の今に至るこの25年ほどは、正に大法輪の原稿を書かせていただくことで幅広く仏教を学ぶ機会を与えられ、乏しい知識の扉を開かせていただいてきた年月であったと言える。

この、今日迄87年にも亘って日本仏教に貢献し、関連する様々なテーマで特集を組み、多くの読者仏教者の教化につとめ、日本人に精神的潤いを与え続けてきた、大法輪がこの七月に休刊する運びとなってしまったという。誠に残念に思われるが、この根底には、活字離れ、紙文化からネットによる情報収集への移行があり、時代の流れとして仏教関係者たちの無関心不勉強があり、また仏教の国際化から、とくにテーラワーダ仏教の流入による日本伝統仏教への関心が薄れ、より実践的な仏教を求める人々が増えていったことにあるといえよう。

年々実売部数が減る中で今日迄持ちこたえてこられた経営努力を賞賛するとともに、誠に豊富な内容について長年編集を続けてこられた編集者の皆様の研究心を高く評価し讃えたいと思う。がしかし、とはいえ今まさに世界を席巻する新型ウイルス感染の脅威に震撼する人々が心の安穏を必要とするとき、大衆に心の癒やしと指針を与えんとして創刊された大法輪が書店の棚から姿を消してしまうのは誠に惜しく、残念に思える。是非とも近々に再刊される気運が志有る仏教者諸氏より起こることを陰ながら祈念したい。

平成七、八年頃、インドから一時的に帰り、東京西早稲田の放生寺に居候していたとき、その後厳しい出版業界にあって長く編集長として辣腕を振るう黒神直也氏が親しくお訪ね下さり、本堂の下陣に座り、しばし時間を忘れ語り合ったことが懐かしく思い出される。それが大法輪と私の、すべての始まりでした。今日迄浅学非才のこの凡僧をお育て下さいましたことに、深く感謝し篤く御礼申し上げます。

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RKK福山教会発足60周年記念式典に参加して

2019年06月24日 07時59分16秒 | 様々な出来事について
本会の機関誌に原稿を書かせていただいているご縁で式典に参加させていただいた。大きな会場に会員の皆様が集結し、厳かにも熱気溢れる式典であった。小中高生の男女により御本尊に供物を供える奉献の儀、福山教会会長導師による読経、功労者表彰、体験法話、本部からお越しの会長ご名代による説教、式典後の青年部による和太鼓や合唱など。そのすべてが誠にありがたく、三世代四世代に亘る本会会員の皆様の世代を超えた総力を結集したものであり、ご参加の会員の皆さんの心に残るであろう素晴らしい式典であった。

式典後場所を移しての祝賀会では一言御祝いを述べさせていただいたが、十分に意を尽くせなかったこともあり、ここに補足し記録として残しておきたいと思う。冒頭に述べたとおり、機関誌の一ページの原稿を書かせてもらっているご縁で参加させていただいたが、実は私自身はこの60周年の式典に参加し、話までさせてもらう不思議な因縁、縁を感じている。

幼少の頃東京中野区南台に住まいしており、父方の祖母は熱心な本会の信者で、友人宅に遊びに行けば、大聖堂を目にし、沢山の信者さんがバスで参拝に来ている光景を見て宗教の力の偉大さを肌に感じつつ成長した。夜間大学時代には昼間勤めをした会社の社長ご夫妻は本会の信者であったし、その後高野山で出家して、後にインドに行くことになるが、縁のあったコルカタの仏教教団は、本会のご寄付でゲストハウスと病院を建設し、私が初めてお訪ねし宿泊した建物が正にそれであった。

一階の踊り場には本会の寄附により建立されたことがプレートに刻まれていた。その後インドの師について再出家するが、その師は本会大聖堂に来訪し親しく開祖様と会見している。コルカタのお寺にあるときには夏休みで来られた本会の青年部の方々がインドの仏教徒と交流する場面も拝見している。インドの僧として東京にあるときには、黄衣のまま本会の図書館に出向き貴重な書籍を借りて勉強させていただいた。また伝統ある仏教雑誌に原稿を長く書かせていただいているが、大層お世話になった編集長は二年前に本会出版社に転職されている。そうした機縁もあり機関誌に原稿を書かせていただいているのであるが、これまでの人生の節目節目に本会との御縁をいただきお世話になり、今日があるように感じる。

式典で拝聴した説教の中に、御先祖から続く縦の縁、今生かさせていただいている横の縁を大切に思うべきであると話を伺ったが、今年数えで六十歳となる。正に縦と横の私と本会との縁がこの日60周年に合致した用に思えて誠に不思議な感覚を覚えたのである。今日本もそうだが世界的に宗教が衰退する時代を迎えている。そんな中、盛大な式典が挙行できたことは暗闇に一筋の光明を見る思いがする。

拙寺では座禅会をしているが、座禅の前後には、この一座が自分の行いではあるがそれは、周りの人たちのため、生きとし生けるものたちのために行うと心の中で念じる。本会の会員の皆さんも、縁ある多くの人たちを導こうとすれば、おそらく身近な家族に負担を掛けることもある。しかしそれは家族のためでもあり、広くみんなのためなのだとの信念をもって励んで欲しい。私が度あるごとに本会のおかげで今あるように、たとえ会員にあらずとも多くの人たちが皆さんの行い導きにより救われてあるのだから。本会の益々の発展と多くの人たちを皆さんがお導きされることを念願します。合掌

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一本の電話から

2019年01月04日 11時27分23秒 | 様々な出来事について
昨日三日昼前に一本の電話があった。かつて日本の古寺巡りというバスツアーで案内をしていた頃に、よくご参加下さったご主人からだった。電話の要件は、身寄りの無い知り合いが亡くなったのだが、長く施設にいたこともあり、葬儀に立ち会う人もないのだが、今はやりの直葬ではかわいそうだから、通夜代わりに今日晩にお経を上げてもらえないかとのご依頼でした。檀那寺も宗旨もわからず、心許ないことではありましたが、お困りのご様子なので通夜に読経だけで良いのですねと確認した上でお引き受け致しました。

亡くなられたご婦人は九十七歳。二度結婚したものの夫に早く死なれて子もなく、ずっと一人で商売をして暮らし、老後は施設暮らしで亡くなられた、薄幸の一生であったとのことでした。読経の前に、棺の窓から御挨拶しご縁あってお経を唱えますことをお断りしました。礼拝焼香の後、懺悔文、三帰三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、開経偈、理趣経一巻、無量寿如来大呪、光明真言、御宝号、回向文。

読経終わり、少しだけお話し申しあげました。「この度は、ご縁あってお招きいただきお経を唱えさせていただきました。故人様とは生前お会いしたこともなく、お話ししたこともないのですが、先ほどうかがいましたら、ご家庭に恵まれない人生であったと、気の毒な幸せの薄い一生であったとうかがいました。

私たちは、生まれてくるとき、赤ちゃんとして、純粋無垢に見えるわけですが、みんな業をもって、善い業も悪い業も沢山抱えて生まれてきます。何回も生まれ変わりしてくる中で抱え込んだ業にしたがって生まれ、その後様々な出会い行いを繰り返して新たな業を作り重ねて、長い人生を過ごして参ります。それが外見上ではどのように見えましても、大事なことは、ご本人の持って生まれてきた業をよりよいものにし、心をより清らかなものにするべく、学び多い人生であったかどうかということです。

厳しい苛酷な人生であればあるほどそこから学び糧とするものは大きいのではないでしょうか。故人様は、そういう意味において、ご本人にとりましては、おそらくとても意味のある、価値のある大事な九十七年間をお過ごしいただいものと思います。そう思いつつ、お経を唱えさせていただきました。ご苦労様でございます。明日はご縁有る皆様で懇ろに葬送下さいますようにお願い申しあげます。」このようなお話しをさせていただき退席いたしました。

直葬とまではいかずとも、数年前から、親族葬、家族葬が増えてまいりました。以前のように会葬者が百人を超える普通葬は少なくなり寂しいかぎりであります。盛大にしたら良いというのではなく、人一人が長い人生を生きてくるには周りの沢山の方々のお蔭であるということを考えれば、亡くなればその故人に代わり、喪主や家族、親族がそのことを近隣の方々に御礼申しあげて、故人同様に今後も交誼をお願いする機会として葬儀があり、それがこれまでの本来のあり方でした。

命を大切に、命の尊さと言葉ではいいながら、今私たちのしていることは正にそれに逆行することであると言わざるを得ません。しかしそれだけ近隣とのつきあいの濃さも以前に比べ薄くなり、携帯、パソコン、スマホでいくらでも離れた人とのつきあいが出来ますし、物もネットで注文したら翌日には配達されるようになり、物理的な近隣との深いつきあいが必要ない時代になってしまったということなのでしょう。そうした心の変化が、人が亡くなっても、身内だけで済ましてもよいだろうと思えるほどに近くの人との交流が浅くなっているということなのかもしれません。しかし、以前のように何度も近隣の葬儀に出席して人の死をみとることのなくなった現代人は自らの人生の行く末を考える機会を失っていることも忘れてはならないでしょう。


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仁王像並びに仁王門修復のための写経勧進のご案内

2016年12月20日 20時37分40秒 | 様々な出来事について
仁王像並びに仁王門修復のための写経勧進のご案内

 備後國分寺仁王門に安置されてきた金剛力士像二躯・仁王像は、時の福山城主水野勝種公が大檀那となり現在の伽藍が再建されてまもなくの、元文年間当山中興三世道海上人の時これを造像し、元文五年仁王門を建立。以来二百七十余年に亘り仁王像は國分寺の玄関に安置され伽藍を守護、数多の参詣者を迎え入れて参りました。

 この國分寺の仁王像は、阿形吽形二体の配置が通常と異なり、東大寺南大門仁王像に倣い向かって右に吽形左に阿形が配置されています。また、その姿態バランスや像容全体など東大寺南大門像を強く意識していると考えられ、その文化財的な価値が高く評価されているところであります。

 ところで、造像から今日まで四度に亘り仁王門の修理が為されてきたことが、この度仁王像搬出後台座から墨書が発見され明らかになっています。しかし、仁王像の本格的な修理は為されず、表面の彩色のみ施され幾星霜が経ち、いつの間にか寄木の矧ぎ目が緩み、鉄釘や鎹は腐食し、脛下部の虫食いや手足の指も欠け、造立当時持っていた金剛杵は欠損、天衣は剥落して残骸のように置かれたままで、今後の保存継承に支障を来すことが懸念されておりました。

 そこで、昨年より仁王像の本格的な修理を施さんと準備を調え、福山市文化課の御指導を仰ぎ、徳島文理大学文学部文化財学科濱田宣教授御監修のもと、有形文化財選定保存技術者・上田墨縄堂代表上田修三先生に仁王像の保存修理を依頼。仁王像は昨年十月に修理工房へ搬出して、現在解体修理に当たり詳細な調査並びに表面の所々剥離した彩色、下地などの除去をほぼ済ませ、いよいよ解体される段階にあり、平成三十年一月には完了する予定となっております。さらに、仁王像安置室並びに仁王門屋根瓦などの損傷も見受けられるため、仁王門も同時に修繕いたしたいと考えております。

 この勝縁にあたり、多くの皆様に國分寺のお仁王様との御縁を結んでいただきたく、広く檀信徒並びに有縁の善男善女の皆様に、般若心経を浄書して仁王像台座に奉納供養なされますことをお勧めいたすものであります。

 なお、本御写経には浄書されました方の髪の毛を三本ほど小袋に入れ写経に織り込み奉納していただきます。火葬骨では不可能な、皆様のDNAをお仁王様のお膝元で保存することになり、永代に國分寺お仁王様と結縁いただけるものであります。

 写経用紙は國分寺寺務所にて頒布いたします。どうぞ宜しくお願い致します。

     平成二十八年六月吉日
備後國分寺住持全雄

○般若心経 写経奉納料 一巻 二千円

(同封の手本の上に写経用紙を置き浄書下さい。まず、「奉為國分寺仁王像修復成就」と書き、その後に続けて写経し、願旨は随意に家内安全などとお書き下さい。その後お名前と浄書された日付をお書きの上、添付の小袋に名前を書き入れて髪の毛を三本ほど入れ、写経に織り込み、封筒に入れ、奉納料を添えて國分寺へご奉納下さい。)


〇遠方の方には写経用紙を郵送いたします。どうぞお電話またはメールしてくださいますようお願いいたします。

國分寺 電話 0849662384 MAIL zen9you〇outlook.jp (〇は@)




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