住職のひとりごと

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あらためてお寺とは何か

2022年03月14日 07時44分23秒 | 仏教に関する様々なお話
あらためてお寺とは何か




お寺は、檀那寺とも菩提寺ともいわれます。檀那とは、インドの施与を意味する言葉ダーナを音写した言葉で、檀那寺とは施主が供物をささげる寺院という意味となります。そうした供養による功徳をご先祖の菩提のためにご回向する寺院との意から菩提寺ともいわれるようになったのでしょう。

そうしたことからも、皆さん、お寺は、家族親族が亡くなった時に葬式をしたり法事のため、仏事を行うためにお寺があると思われているかもしれません。ですが、本当は、お寺を支えてくださっている檀信徒の皆様にとって、またご参詣になる人たちにとっても菩提(心の安穏)を得るべき所であって欲しいと思っております。

その昔、主にお寺は官寺として国家により造営され、鎮護国家五穀豊穣をはじめとする諸祈願のために仏事にはかかわらず、厳重に不浄なることを忌避していました。ですから、今でも奈良の諸大寺は葬式をせず、寺内で不幸があった際には別の宗派の僧侶に依頼して葬式をしてもらうのだそうです。

そうした古い大寺の宗派である法相宗、華厳宗、律宗などは、中国から日本に入ってきた奈良時代には、仏教を学問的に学ぶ学派のような集団でした。そのため経典読誦や講読、写経、造寺造仏により祈りが捧げられました。それが平安時代となり、真言宗など密教が伝わることにより、諸仏諸菩薩との三密瑜伽の修法、観法を重んじて、それにより感応同交して護摩を焚くなど様々なご祈願がなされるようになります。

そして平安中期頃から末法の世に入ると信ぜられたことで、社会不安から浄土教が流行し庶民も聞法と念仏に専心する人々が多くあらわれ、鎌倉時代になると多くの人たちが仏式で葬儀をするようになります。そして、江戸時代には寺壇制度が制定され、すべての家が仏教徒とみなされ檀那寺を定めることになり、今日の檀家制度に至っています。

それでは仏教の発祥であるインドではどのようなものだったのでしょうか。インドで最初にできたお寺は、小屋程度の雨露をしのぐだけのものだったようです。しかし、しだいに多人数が共住できるヴィハーラ・精舎といわれる宿舎ができたとされ、必要に応じ一時的に住まい、普段は遊行して瞑想修行に励んだとされています。初めは簡素な建物だったものが、一人一人別々に独坐できる僧房が造られ、沐浴と洗濯のための井戸や、経行(歩く瞑想)のための空間が設けられていきました。

各地を遍歴して修行に精励する遊行僧たちはそこで、有徳の長老僧から教えを聞き、坐禅瞑想の指導を受け、布薩といわれる、満月新月の日に毎月二回、戒本の読誦を聞き、生活姿勢を反省し精進を誓ったのでした。それがサンガーラーマ・伽藍といわれるように規模を拡張すると、仏塔や仏像を安置する本堂があり、説法を聞く法堂、布薩堂、経蔵の庫、僧房、坐禅堂、経行処、食堂、厠坊などが整えられることになります。

こうした施設そのものは在家信者により寄進されたといわれ、初期のころは国王や裕福な商人らが土地も建物もまとめて教団に寄贈されたのでした。しかし、後にはそれぞれの施設や設備ごとに寄進されるようになります。そうした仏教教団は四衆ともいわれる四つの構成員で存立していました。四衆とは、比丘(男性僧侶)、比丘尼(女性僧侶)、優婆塞(男性信者)、優婆夷(女性信者)のことで、精舎から伽藍へと施設が大きくなるにつれ、在家信者による様々な支援が不可欠となります。

こうした在家信者の支援のおおもとには、お釈迦様や教えへの信仰があり、僧団への支援や施設の寄進、その管理に対する様々な援助そのものが大きな福徳になると信じられていました。瞑想修行に励む僧たちから教えを学び、自らも瞑想に励み、食事や生活面でのサポートをし、また比丘らが滞在宿泊する施設に対する支援を行う事が、将来の福を生ずる善行為になると考えられたのでした。

お釈迦様ないし勝れた瞑想修行を達せられた聖者、そしてそのために励む僧団は、世間の諸々の利益や安楽を生ぜしめ、福が増す所という意味から、プンニャケッタン・福田であると言われました。こうした考えは日本においても同様であり、古くは檀越といわれ、仏教を信奉し、僧侶や寺院を支持し、助力する支援者の存在は不可欠でした。ですから現代でも、寺院には必ず檀信徒が存在し、各寺院を支えています。

ですが今日、特に日本の仏教にそうして携わる人たちの中には、寺院が自らの信仰に基づく仏道精進のために存在しているという認識をもたない人が増えているのではないかと思えます。寺院は風光明媚な散策の場でもあり、静かに心癒す場など、いろいろな役割があるとは思われますが、僧俗ともに最も大切な自らの仏道を実現するための道場という認識が希薄になりつつあるのではないかと思えます。

住まう僧侶も自ら学びつつ修行を日々行じ、仏の存在を自らの理想として生きる人々の、その理想に近づくための歩みを実現する場としての寺院を、檀信徒とともに維持管理し、様々な諸行事を含め円滑に運営することがなすべき大事な役割であります。また集う人々の信仰の場である寺院を支える檀信徒は、そうした人々の幸福を増すための寺院を支えることにより大きな功徳を積むことになり、それは自らの信仰のためでもあり、先祖代々各霊の供養のためでもあると考えられます。

檀信徒は、その寺院に関係する多くの人々の信仰と修行のために奉仕し支援する誠に甚大な功徳主であり、それを先祖代々継承してこられています。寺院にとって、そして仏教にとって、とても大切な御恩ある方々です。その大切な檀信徒の中で、もしも万が一ご不幸あったときには、何を差し置いても駆けつけて経を上げさせていただき、有り難い戒名を授けさせてもらう。長年お寺のために尽くして下さったことに感謝を述べて、懇ろに葬儀を執り行ない、年忌法要にも出向くというのが本来あるべき仏事であろうと思います。

寺院は本来、仏を理想として生きる、つまり自らも仏に近づいていくことを目的として生きる人々にとっての心の修行の場であるからこそ、亡き故人にも菩提を願いその功徳を廻向することが可能となるのではないかと思います。こうして生きているときにも私たちは、命を生きる最終ゴールは仏のところにあると知ることで、そのためにこそ寺院があり、集う人々とともに教えを学び精進する場があることの大切さが理解されるのではないかと思います。

檀信徒であるとは、仏教徒であることです。だからこそ皆さん法事をなされるのです。法事は、参会者はともに三帰依十善戒を唱え、お経を聞き、教えを受け入れ、心安らかに精霊の菩提、つまり一生でも早くさとりを得られるようにと願い祈ることですが、それはそのまま仏道に精進することと言えます。意識するしないにかかわらず、仏道を行じておられるということになります。

ところで、もうかれこれ十年も前のことになりますが、ミャンマーから仏教徒が来訪され、國分寺の仏教懇話会で話をしてもらったことがあります。何の打ち合わせもしていなかったのですが、「私たちは死んで終わりではない、行かなくてはいけない来世がある。行いによっては地獄・餓鬼・畜生・修羅の世界に行く。人間に生まれてもいろいろなところがある。だから沢山功徳を積んで、瞑想などをして心を清らかにすることが私たち仏教徒の務めです」と話されました。

いま、手元にミャンマー連邦共和国宗教省が著した『ブッダの教え・基礎レベル』という本があります。そこには「仏教徒の日常の勤め」として、「仏教徒は毎日の宗教的な勤めを必須の責務として勤勉にこなす必要があります。ブッダの教えを実践し生活しなければなりません。人間として生まれるのは実に大変なことです。布施、持戒、瞑想などの功徳行を実践できるのは人間だけです。私たちは人間として生まれ、ブッダの教えを学び、実践し、悟る、またとない機会に恵まれています。ですから本当の仏教徒になれるように真摯に努力を重ねるべきです(抄録)」とあります。少々厳しい内容になっていますが、まさにこの通りであろうかと思います。

お寺とは、仏教を学び、心を安らかにするために坐禅し、祈りをささげ、徳を積む場であると思います。そう考えてしてきたわけでもないのですが、長いこと國分寺では、仏教懇話会を開いて教えを学び、坐禅会を開き、薬師護摩供を修して祈り、作務の日を定めて寺内清掃に励んでおります。そうして積む功徳が、亡き人の供養にと回り廻らされるものとなります。

とはいえ、気持ちはあってもなかなかそんなことはできませんという方もおられることでしょう。四国の人は、八十八箇所の遍路道を歩く人を見ると、尊い行を自分の代わりにしてくれていると感じ、何か接待してあげようという気持ちになると聞いたことがあります。それと同様に、なかなか日頃忙しくされて、お寺にお詣りできない、お経を唱える暇もない、坐禅するなんて考えたこともないという人も、お寺の活動にご理解をいただき、心を寄せていただければありがたいと思います。    


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