住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

備後國分寺だより 第59号

2021年09月18日 14時20分00秒 | 備後國分寺だより
備後國分寺だより 第59号


護摩供後の法話より
いのりについて


私たちは、だれもが自然に幸せを願い、不安や恐れから逃れたいと思い祈ります。

ですが、仏教はいつのころからか、学問仏教としては特に、祈り、つまりご祈祷や祭祀儀礼は仏教にあらずというような観念が浸透しています。現世利益を求めるなどというのは仏教ではないというのです。確かに初期経典の中にもそのようなくだりはあるのですが、はたしてそうなのでしょうか。

古い経典の中には、「信者から施された食べ物で生活しながら、・・・火の献供、墓地の呪術、鬼霊の呪術・・・願掛け儀礼、供犠、そのような無益な呪術による邪な暮らしから離れている。これもまた、比丘(びく)の戒です。」(『ソーナダンダ経』他)というくだりがあります。ですが、これは悟り一筋に日々精進する比丘(僧侶)の戒律としての記述であり、そのような人々にとっては無益であると言われたに過ぎません。

今日、お釈迦様の時代の仏教を色濃く残しているとされる、スリランカやタイなどの南方の仏教では、『パリッタ』(護呪経(ごしゆきよう))といわれるいくつかの経典を、毎朝比丘は唱えています。

これらの中には、蛇の害から逃れたり、病気が癒やされたり、信者たちの幸福を願って唱えられた伝統によって、今日まで大事にされてきた経典であるということです。

つまり、悟りへの本分に差し支えのないように、唱え、祈ることは当然のこととして許されていたと考えられるのです。ですからおそらくお釈迦様の時代にあっても、一般の信者たちにまで、こうした人間の自然な感情から発する祈りということを否定したわけではなかったといえます。

『アングリマーラ経』(パーリ中部経典)という経典があります。

もともとバラモン教の修行者であったアングリマーラという一人の青年の話なのですが、ある時師の心無い言葉によって、突然人や動物を殺すような凶悪な行為を繰り返すようになり、大人数で武器を手にして取り巻いても退治できないほどに凶暴な殺戮者となっていました。

お釈迦様は、彼が潜む所へ一人静かに近づき、教誨(きようかい)の奇跡ともいえるような説教により、一瞬にして改心させ僧院に連れて帰り、出家させ比丘として生活させていました。

ある時アングリマーラが托鉢していると、一人の婦人が難産で苦しんでいました。どうしたらよいかをお釈迦様に問うと、「私は生まれてより故意に生き物の命を奪ったことはない。この真実においてあなたと胎児は安らかになりますように」と言いなさいと教えられます。しかしそれでは偽りを言うことになると、アングリマーラがいうと、それでは「聖なる生まれによって生まれてより・・・」と言い換えていうように教えられたのです。そして、その通りその婦人の所に行き言うと、その婦人も胎児も安楽になったということです。

その人にとって最も守りがたい厳しい戒を保っているというその真実、その徳によって願いが叶いますようにと祈る祈り方を教えて下さったものと解釈できます。

さらに、これも初期経典の一つ『法句経』の第一六六偈の因縁物語に、「自己の利益」を意味するアッタダッタという名前の比丘の話があります。お釈迦様がふと、「あと四ヶ月後に入滅するであろう」といわれた、その一言に多くの比丘方が慌てふためき、何をしていいか分からず、香や花を供えて供養してお釈迦様の延命を願う中で、ひとりアッタダッタは瞑想修行に専念していました。

周りの比丘たちが単独行動するアッタダッタのことを告げ口すると、お釈迦様は呼びに行かせ理由を聞かれます。すると、アッタダッタは「お釈迦様が生きておいでになる間になんとか最高の悟りを得られるように瞑想に励んでおります」と答えました。お釈迦様は、「アッタダッタは正しい、自分に恩愛あるものは、香を供えて供養するよりも、如法に実践修養することが何より大事であり、そのことは私への無上の供養である」と言われたということです。

供養とは、インドの言葉では、プージャーpūjāといいます。プージャーは尊敬、供養、礼拝を意味し、今日でも、インドでは盛んに神様に沢山の香や御供えをし読経がなされています。

仏教でも、ブッダ像に香灯明供物がお供えされて読経がなされますが、それもプージャーに外なりません。

ですが、仏教での供養による祈りは、その上に自分のための修行が何よりの供養であるとお釈迦様が言われるように、自らの心を浄める、心を無にしてきれいにするという要素が欠かせないということになります。

ですから、護摩のご供養でも、お参りの皆さんは、火が上がっている間ずっと一心に心経を唱え、すべての思い計らい願いのすべてを仏様に放下(ほうげ)して、おまかせして、心を清浄にされるわけです。そして、そのことは法事などの供養にあっても同様のことが求められているということでしょう。

日頃持戒しつつその真実によって、さらにひたすら心清らかにあるよう励み、自分という思いを空(くう)じていくことによって、私たちの祈りが通じるということであろうかと思います。(全)


花山信勝著
『巣鴨の生と死ーある教誨師の記録』を読んで


『巣鴨の生と死』を再読する

一九九五年七月発行の中公文庫・花山信勝著『巣鴨の生と死ーある教誨師の記録』を再読しました。阪神淡路大震災の年に発行されていますので、おそらくボランティアで、何度も神戸と東京を往復し、その後インド・コルカタの僧院で雨安居を過ごしてから帰国した頃購入した本であったろうと思われます。

どういう思いでそのころ読んだのかは思い出せないのですが、この度再読したのは、昨年夏頃から毎週楽しみに視聴しているユーチューブの音楽報道番組『HEAVENESE STYLEヘブニーズスタイル2021.2.21号』にて、東條由布子さんを紹介されていたことにあります。

その番組を拝聴しながら、先の戦争開戦時の東條英機首相が、戦後戦争犯罪人という汚名を一身に背負わされ糾弾されたのは、報道機関並びに日本人一人一人の責任転嫁に外ならないのではないかと思えました。

翼賛体制に置かれたとはいえ報道機関も戦争に加担し、国民を扇動した責任を、あたかもすべて一人の軍人総理の責任にしてしまいたかったのではないか。当然そこには当時の宗教者仏教者も含まれるわけですが、昨日まで軍国主義一色だった国民誰もが手のひらを返したように一人の人に責任を押しつけて平和を叫び、おのれの不明を無きものにしたかった。そのように思え、当時のことをもう少し知らねばならないと思えたのです。

日本を勝ち目のない戦争に陥(おとしい)れ、アジアの国々を侵略した極悪非道の張本人に戦後仕立て上げられ、その汚名に一切の弁解もすることなく、すべての思いを胸に秘め亡くなった祖父を思い、東條由布子さんは昭和から平成の時代になって、それまで祖父の遺言により閉ざしてきた口を開き、勇気をもって祖父の実像と真実の歴史を語りだされたのだといいます。

その後、文春文庫・東條由布子著『祖父東條英機「一切語るなかれ」』を読んでみました。小さなころに触れた真面目で律儀で家族思いの祖父の面影、そして戦後東條の名を伏せて近隣に知られぬように何度も世間から逃げるように住まいを換えたこと、兄姉は小学校に編入しても「東條憎し」ですべての先生が担任を拒否して入るクラスがなかったという悲惨な話など、今ではあり得ないような非情な時代のことごとが綴られていました。

そして、その本を読み終えようとしたころ、本棚のどこかにあった本書『巣鴨の生と死ーある教誨師の記録』のことを思い出し、改めて読んでみたのでした。

著者の花山信勝師(一八九八ー一九九五)は、浄土真宗の学僧で、昭和二一年から三四年まで東大教授、日本仏教史を専攻し聖徳太子の著作研究が専門。昭和二一年二月から二四年四月まで巣鴨拘置所の教誨師を勤めました。

巣鴨拘置所での仕事

話は、昭和二一年二月二八日、戦時中の犯罪行為について訴追された被告たちを収容する巣鴨拘置所で、初めて法話した日の出来事から始まっています。二階のチャプレンスオフィス隣の広間に特設の仏壇を置き、六十名ほどの独房に収容された人たち、それから別に雑居房に入っている人たちに向け、それぞれ一時間ほど読経と法話をされました。

それから週に二日、四回の法話と週に四人から十数人の絞首刑者や精神異常者の個人面談をしたということです。が、聞く方からすれば月一回の法話と面談は三、四か月に一回しか日が回ってこない勘定になります。そこで、その間は浄土教関係が多いのですが仏教書を差し入れて読んでもらっていたのだといいます。それらの書籍を列記すると、仏教要典、正信偈講讃、観音経講義、白道に生きて、仏教の精髄、歎異鈔講話、真実の救い、信仰について、生活基調の宗教、霊魂不滅論、他力真宗、苦悩を超えて、など。

そうして、A級戦犯の刑が確定し執行されるまでの三年間に亘り、師の教誡は続けられました。回数を重ねる毎に、しだいに緊張し真剣に法話を聞こうという気持ちに進む人が多く、ともに念仏を唱えたり、深々と頭を下げて合掌して退室する人が多数現れたということです。師が見送った人たちは、戦争犯罪などの死刑囚としてランクされたBC級二六人が絞首刑、一人が銃殺刑。平和に対する罪としてのA級絞首刑が七名です。

BC級戦犯の絞首刑に当たっては、刑執行の前日に本人の独房に入り一時間程度の面談をし、家族への伝言や爪や髪、お守りなどを預かります。その後教誡事務所で過ごしたあと、執行時間前にもう一度独房に入り、紙と鉛筆をわたし書きたいことを書かせ、それから一階に下りて三、四分歩いて刑場に入ります。執行にあたり、刑場の仏間で線香ロウソクをつけ、父母と自分の分として三本の線香を供えさせ、読経し、君が代などをともに歌い、仏前に供えたコップの水を飲ませ、アメリカ製のビスケットを食べさせました。

刑場に見送ると、しばらくしてガタンという音がして、それから半時間ほど後には、霊柩室に一尺五寸ほどの棺が運ばれてきます。蓋をとると、頭から足先まで丁寧に真っ白な木綿で包まれており、その前で師は阿弥陀経を唱え葬式に換えることを常とされました。しかしその後遺骨がどのように処理されたのか、どこに埋葬したのかは米国軍規で知らされることはなかったといいます。師は各々の受刑者に「光寿無量院釈◯◯」という戒名を授け、遺族に送ったということです。

信仰に目覚める戦犯たち

BC級被告の中には、『往生要集(おうじようようしゆう)』の和訳を三回読みかえす信仰家もありました。この人は父親に向けた手紙の中に、「ずいぶん迷いました。苦しみました。が、自分というものをいっさい仏におまかせしたときからなにか気が楽になり、こうしてはおられぬという気がおこり、心の勉強にはげみました。・・・この死刑ということが自分の人格をさらに一段と向上させてくれたと思っています。億劫にも得がたい如来の御縁をうけることができたのはまったくこの不運がきずなとなったわけです。人間は身は亡びても魂は残ります。如来のお力を恵まれて自分は一だんと、心が豊かに進歩させてもらい、とても喜んでおります。・・・人間は死を前にひかえるときに何の不平がありましょう。何の悲しんでおられましょうか。お蔭で生かされる喜びに御恩報謝の道を気強くほがらかにお念仏をとなえ立ち上がるべきであります。仏の本願はおのれの本願となって下されて御恩返しの道が踏まれます。人を助けたい心も起こります。この道こそはわが家をさらに円満に栄さす道であります。不運を転じてわが家の仕合わせに向かう縁になったことを喜びこの力こそ恵まるるお慈悲の力です。(本書一〇五~一〇七頁)・・・」と書いて、自らの宗教的目覚めを説き、残していく遺族には悲しみを信仰にふり向けて生きよと励ましました。

また別の人は日記の中に、「・・・もし今度の事件に遭遇しなければ、自己を知り、人間性に目覚めることは出きなかったと思う。人間としての理性と自覚に目覚めることの出来たことは生涯における一大収穫であったと思っている(同一五八頁)」と書いて、かえって死刑宣告により深刻なる人生に対する気づきを得られたという感謝の気持ちを綴りました。

ただ一人銃殺刑を受けた元大佐は刑が執行される麻布射撃場に連行される車の中で高いびきを搔き、直立不動の姿で平然と銃弾を受けたとのことですが、その剛毅な元大佐の死を多くの米軍将校もたたえたと記しています。

この元大佐の遺書は、この後A級被告各氏に師が読んで聞かせるほどの名文でありました。「謹んで書す。昭和二三年十月二二日夜一時、余は銃殺刑という罪名の許にこの人生を終わるのである。余のためには誠に意義深き日である。思い返せば五十五年の人生、お世話ばかりになり通して、何の感謝の意を表することもできなかった。この度の弥陀の浄土への芽出度い往生、これまた仏恩に感謝せねばならない。仏恩に感謝これのみぞ、余の最後まで務めねばならないところである。父母妻子兄弟姉妹には、格別になげかれることと存ずる。然し決してかなしまないでもらいたい。余の今日あるは宿業の致すところである。人生の因縁事と思う。浄土に参りし後は、必ず還相(かんそう)の廻向(えこう)により、再びこの世に出で来たり、衆生済度(さいど)の大業にたずさわるであろう。(同一七三頁)・・・多くの部下は新しい日本建設の礎石として死んだのだ。余もその仲間入りをするのだ。(同一七八頁)・・・何事も忍べよ。仏さまはこの忍ぶということを経にもよく云ってある。忍ぶというのは徳の第一だといってある。人生は忍ぶということだとも云える。…上に立てば立つほど忍ばねばならない。(同一八〇頁)」と書き、辞世の一節には、「心は常に天外に遊ぶ 無限の栄光眼前にそばたつ 一心正念して唯これのみを信ず 天上天下我を害するものなし 我は歌わん真理の曲我はすすまん真理の道(同一八三頁)」とあり、まこと気高き最期であったことをものがたっています。

A級戦犯にむけて

この銃殺刑が執行された日、花山師は戦争指導者A級二五名の被告たちへ、これが最後と思い法話をしています。要約しますと、

「人間必ず一度は死なねばならない。毎日刻々生死を繰り返している。これまでに絞首刑台に上った四十代、五十代の人たちはいずれも固い信仰によって死をおそれるよりもむしろこれをよろこび、立派な大往生であった。戦争により領土は半減、百数十万の生命を失い、全国の都市は爆撃を受け想像をこえる災禍をこうむったが、それによってえたものは、死刑囚たちが信仰を深め、尊い遺書を残してくれたことこそ大きな収穫であった。明治以来八十年間の歴史の失敗は、今日これらの人たちの精神力によって未来数千年への人類の希望への基盤をつくってくれた。そこに人間の限りある一生を容易にすてて永遠の人生に生きる道がある。…(同二一二~二一四頁)」と説いたということです。

そして、ついに十一月四日から二五名の戦争指導者に向けて判決の朗読が始まり、十二日七名の絞首刑、その他終身刑有期刑が確定しました。

その日から絞首刑となった七名と十二月二三日に執行されるまでのひと月余り、師は各氏と面談を繰り返しています。その面談記録は、七人の経歴を記し、その人物像にも触れながら、克明に何を語り合ったかを記しています。

若い頃から坐禅に勤しんできたが自分のようなものには念仏にしか救われる道がないと改心された人、家族がキリスト教の信仰があり拘置所にドイツ人の牧師を差し向けて洗礼をさせようとしたが断って仏教で最期を迎えた人、伊豆山に南京上海で亡くなった日中両国戦死者の遺骨を祀り観音像を建立し供養を続ける人、親鸞聖人が語られたとする『歎異鈔(たんにしよう)』の第九章を毎日味わい信仰を深められた人など、みなそれぞれに宗教心に目覚め安心(あんじん)を得られたことを記しています。

東條英機元首相についてのみ本人の言葉として記されているものを抄録してみますと。

「…第二次世界大戦が終わってわずか三年であるが、依然として全世界は波瀾に包まれておる。ことに極東の波瀾を思い、わが日本の将来について懸念なきを得ず。しかし三千年来培われた日本精神は一朝には失われないことを信ずる。窮極的には、日本国民の努力と国際的同情によって立派に立ち直って行くものと固く信じて逝きたい。(同三〇四頁)・・・(自決後すぐに手当てされて生き長らえたことについて、それによって)一つには宗教に入り得たということ、二つには人生を深く味わったということ、三つには裁判においてある点を言いえたということは感謝しています。(同三一五頁)・・・(大無量寿経の)四十八願を読むと一々誠に有難い。今の政治家の如きはこれを読んで政治の更生を計らねばならぬ。人生の根本問題が説いてあるのですからね。国連とか、その他世界平和とかは人間の欲望をなくした時に初めて達成できることで、そこに社会の平和が成るのだ。(同三二二頁)…」などと話され、花山師との面談を何よりも楽しみとしていた様子が綴られています。

そしてこれはいささか今の時代となっては違和感すら覚えるのですが、当時の多くの人たちが教養として身につけられた時代なのでしょう、いずれの人も和歌を詠まれており、荒木貞夫元陸軍大将などは、この間に七百首も詠まれたといわれています。

東條元首相は処刑前日にも花山師に「散る花も落つる木の実も心なきさそふはただに嵐のみかは 今ははや心にかかる雲もなし心豊かに西へぞと急ぐ 日も月も蛍の光さながらに行く手に弥陀の光かがやく」(同三八〇頁)と三句の歌を残されたのでした。

かくして七名の絞首刑は、前日それぞれ二度の面談の後、十二月二三日午前零時前に、二組に分かれ、仏間でのお勤めの前に奉書に署名をし、コップ一杯のブドー酒を飲まれ、水を飲みかわしたとされています。それから三誓偈を読んでお勤めとし、「天皇陛下万歳」と三唱されて、刑場に向かわれました。七つの棺の前では、正信偈と念仏廻向を唱えたと記録されています。

歴史を振り返って

こうして、花山師の導きもあって、当時軍国主義の悪のシンボルのように云われた極刑に処された人たち誰もが、動揺もなく平常心のままに身まかられたのでした。懺悔(さんげ)するなどという心を遙かに超えて、巣鴨拘置所に収容されていたこの間に、深く人の世、人生の真実、いのちのありように立ち向かわれて、深く悟ることあり、そして人の世の穏やかなることを願い、信仰、宗教に生きることを人のあるべき姿と確信して、立派に死んで逝かれたことは誠に感銘深いことに思われます。戦犯と云われた方々がこうした最期を遂げたことを知る貴重な機会を改めてもてたことは誠に得難いことであり、今を生きる私たちにも当然生きる力となり、価値ある生き方を求められている思いがして、時を無駄にしないよう督励されているようにも思えました。

さらにこの後、私は講談社によって一九八三年に製作された実写版DVD『東京裁判』を手に入れて視聴しました。当時の映像をもとに時代背景にも触れ理解しやすいように編集されており、裁判冒頭からこの軍事裁判自体が当時の国際法上罪を問えるものかとの疑義が提起されたことや残虐行為を犯罪とするなら米国による原爆投下についても同罪とすべきであると米国人弁護士が指摘していた事実を知りえたことなど誠に参考になりました。

また本書に登場する戦犯の方々の実際の姿も拝見し、その姿の美しさ、当時の日本軍人、文官の凛とした威厳にわが身を正される思いが致しました。自ら弁明する機会であった個人反証の答弁においても、東條被告は「自存自衛の戦いであり植民地の解放と独立のためになされた戦争であった」と堂々と主張され、「されど敗戦の責任は自分にあり責任を受け入れる」と供述されていました。

戦後私たちは、大東亜戦争という名称が否定され太平洋戦争といわされたわけですが、先の戦争は軍国主義国家日本による侵略戦争というレッテルを貼ることによって、戦争の実像が隠されてきたのではないかと思います。

第二次大戦は、軍国主義やファシズムとデモクラシーとの戦いであったとする東京裁判などで印象付けられた歴史観は、今日誤りであったのかもしれないとする歴史の修正がなされつつあります。経済制裁は当時の国際法上からも戦争の始まりであると認められており、一九五一年五月の米上院軍事外交合同委員会でマッカーサー元帥自ら「日本の戦争は自衛戦争であった」と証言していたとのことです。(『太平洋戦争の大嘘』藤井厳喜著)

一つのユーチューブの番組を視聴し、尽きぬ好奇心から触手を伸ばすうちに様々なことを学ぶ機会を得ました。当時を振り返り、真実の歴史、戦犯とされ死刑となった人たちの生きざま、その心境を知ることは、それにより戦後の繁栄をえて今を生きる私たちにとって実に肝要、不可欠なことに思われました。

最後に、誠に唐突ですが、昨年四月、当時の安倍首相が、「この感染拡大は第三次世界大戦と認識している」と述べた言葉は何を意味していたのでしょうか。その後の一年、報道のありさまを見るにつけ、かつての統制された様相に似ていることに気づかされます。人々が無知のままに扇動されることだけはあってはなりません。異常な報道管制の中にあることを認識し、同じ轍を踏まぬよう、気を付けて今の時代を生きてまいりたいと思います。

  (巣鴨拘置所内の写真は中央公論社刊   『あるBC級戦犯の手記』より)

〈追記〉後日、中公新書・小林弘忠著『巣鴨プリズン 教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』を読みました。花山師本人の筆記に比べ、かなり時代背景や心中深く想像しての論説に当時の教誨師の置かれた状況が厳しいものであったことをうかがい知ることができました。花山師の後二代目の教誨師になる田嶋隆純師(大正大学教授)との比較も記され、収容者たちとの向き合い方、学者として、また宗旨の教義への証明としても説き方や対応が異なっていたため、花山師に対し冷ややかな見方がされていた事実も知ることになりました。しかし戦後間もなくの難しい時代であったこと、見習うべきものもない状態でおのれの信ずる教誨を一人続けられた業績に変わりはありません。その間収容者家族が上京した際に自宅を宿泊所に提供したり、教誨をやめてからも講演して歩き巣鴨の実態を世間に知らせ、本書の印税を遺族に人知れず送金されたりと、生涯にわたりかかわり続けられたのでした。師本人が死の間際に、「巣鴨プリズンは、人の真の生き方を学ぶことができた。私の人生は幸せだった」と述懐されたとあり、それは世間の様々な見方や自らの孤独感さえ乗り越えたうえでの納得ではなかったかと思います。合掌   (全)


あるべきようは② 
お釈迦様が教える本当の幸せとは


そして最後に、遊行期(ゆぎようき)、社会生活を離れ安らかな心の幸せを求める時期です。

⑨心の鍛錬(たんれん)、自分の心を知るという実践、神聖なる真理を見ること。覚りの世界を明らかにすること。これは最上の吉祥である。
⑩俗世間のことに触れても心が動揺せず、憂い無く、汚れなく、安らかである。これは最上の吉祥である。

定年をして、なおかつ仕事を持つ人も多いとは思いますが、出来れば仕事を離れ、残りの人生を心静かに安らかに過ごすことも大切なことではないかと思います。

定年後は一人四国遍路を歩くという人も多くなっているとのことですが、そうして、社会生活を離れ、自らの心を知るように励むことが何ものにも依存しない最高の幸せを求めていくことにつながります。人として人生の意味を知り、永遠の幸せである覚りをも求めることに繋がります。

利益や不利益、苦や楽、賞賛や非難、名誉や不名誉などといった俗世間の損得にも心動かされることなく、憂い、貪り、怒り、妬み、おごり、偽善といった心の汚れが現れなくなり、安らかな幸せが得られるのです。

ここまでの内容を四住期(しじゆうき)ごとにひとまとめにしますと、

[1]人として知識や技能を身につけ生きる力を蓄えることによる幸せ。 
[2]正しい仕事によって財を得て家族や社会を養い、善行を習慣とすることによる幸せ。
[3]生きとし生けるもののために善い行いをして、なおかつこれまでと違う次元のことに関心を向ける幸せ。
[4]なにものにもとらわれない清らかな心の幸せ。


というそれぞれの段階に応じた幸せがあることが分かります。

最終的には、結局覚りということが人生の目標です、ということになるのかもしれません。幸せを求めるならそこまで行って下さい。中途半端なところで満足しないで下さい。それがお釈迦様の言いたいことのようです。

それがために、日本では、人が亡くなるとお葬式で戒名をお授けして引導を渡すのではないかと思います。お葬式での引導作法は略式の出家得度式をしているのです。

それは、仏教に縁あった人には、最期、死に際にはなってしまったけれども、戒名を差し上げて出家してもらい、覚りという最高の幸せを求めて来世に旅立っていってもらいたい。そういう願いが込められているのではないかと思います。それが最高の死者に対する遇し方だとされて、はじめは天皇などの高貴な方々に行われていた作法が、時代とともに一般の人々にも行われるようになり今日に至っているのだと思います。

幸せとは何だろうと思って気楽に読んできて、最後まで来たら、何とも厳しい内容となってしまいました。ですが、皆さん、普通幸せというと、健康で、いい学校に入り、いい会社に入って、やりがいのある仕事をして、裕福に暮らしてと、つまり何かを達成したり、何かになること、欲しい物が手に入ったり、行きたいところに行き、したいことをする、そんなことが幸せと思ってはいないでしょうか。

つまるところ、何かある程度の贅沢が出来て、何でも思い通りになることが幸せだと思いがちではないでしょうか。ですが、地位があったり、お金持ちといわれる人が必ずしも幸せとも限らないものです。人生ずっと思い通りになるなどということは絶対にありません。

ですから、私たちが漠然と思っている幸せとは、本当はあり得ないことなのであり、私たちはどういう事が幸せかということを本当はよく分かっていないのかもしれません。

そこで、お釈迦様は、この『吉祥経』で、幸せとは、人としてなすべきことを人生の段階に応じてきちんとなし終えていくことですと、その上に自ずとおとずれる何も憂えることのない安らかな心、功徳ある行いをなした充足感であり、その上に求められる悟りとも言うべき至福感といったものであると定義なさっているのです。

大切なのは、このごく当たり前のこと、なすべきことを粛々とこなしていくこと。それで何の後悔も憂いもない、善いことをした満足感がある、これまでの歩みに納得している、その上に少し心のことを考えるゆとり、安らぎがある、そんなことが本当の幸せなんだとお釈迦様は教えられているのです。

タイトルの「あるべきようは」とは、室町時代の高僧明恵上人(みようえしようにん)の言葉です。『栂尾(とがのお)明恵上人遺訓』の中に、

「人はあるべきやうわの七文字を持(たも)つべきなり。僧は僧のあるべきやう。俗は俗のあるべきやう。乃至(ないし)帝王は帝王のあるべきやう。臣下は臣下のあるべきやう。此のあるべきやうを背(そむ)く故に一切悪しきなり」とあります。「あるべきようは」と題したのは、この『吉祥経』は、まさにあるべきようにあることが幸せであるということを説くものであるからです。

仏教は過去や未来ではなく、今が大切と教えられています。「過去を追いゆくことなかれ、未来を願いゆくことなかれ、過去はすでに過ぎ去りしもの、未来はいまだ来たらぬものゆえに。現に存在している法を、その場その場で観察し揺らぐことなく動じることなく、智者はそれを修するがよい(善賢一喜経)」と教えられています。

いま私たちは、この『吉祥経』のいう四段階の幸せのどの地点にあるでしょうか。

たとえば、四つの幸せの中の[1][2][3]とそれぞれの段階をクリアしてきて、今[4]番目の段階におられるのなら、善い歳の取り方をしてこられたはずですから、それだけで幸せを実感していただけていることと存じます。

私たちは、何かあると、たとえば、自分や家族が重い病気になってしまったり、大きな事故にあったりすると、それまでの何もない平凡な日常がいかに幸せなことであったかということに気づくものです。

ですから、今私たちにとって、あるべきようはとは、今こうしてあることに、何もない、この平凡な日々に幸せを実感する、その恵みに気づくということが大切なことなのだと思うのです。何もない平穏な日々かもしれませんが、その一日一日が幸せなのだと、その恵みに思いいたるよう教えてくれています。

それから、ここまで読んでくださった方はすでにそのお気持ちがあるのだとは思うのですが、少しでも心の教え、仏の教えについて学んでみるということをお勧めしたいのです。

お釈迦様は、晩年一人の長老に話しかけて、

「そなたは、もういくつになったであろうか」と問われます。
 その長老は、すでに七十を過ぎているというのに、
「私はやっと四歳になりました」
と答えたと言います。

「それはいかなることであろうか」とお釈迦様が問うと、長老は、

「私は歳を取ってやっとお釈迦様の教えに出会い、何とか精進して悟りを開くことができ、目覚めることが出来ました。そうして、やっと目を開き世の中を見ることが出来ました」と言われたということです。

仏教を学ぶのに遅いということはありません。毎朝仏壇に手を合わせるだけでなく、是非この機会に始めていただけますようお勧めいたします。                               


当山中興快範上人書       
『國分寺中興基録』 を読む⑨ 
 

『本尊并諸尊造立仕様好(影向(ようごう)・神仏の仮の御姿)目録』
        快範書(五百籏頭(いおきべ)孝行氏解読)

 一、御光は(光背)輪光上はく
  こんしゃうを入て雲をあひしらい鎌なしにしてよし
 一、台座上々はく
   唐屋(や)ふ座蓮花(蓮華座)青色糸はく(箔)にしてしほりを付 外え巻花にして上段は折入ひし
  三方(菱三方)共 中段はふち角の内表は木花両脇は何にても見合の草花置ものにして下段は
  石目にしてうづまき三方共同断下段柱口獅子のしかみ(獅噛(しかみ))阿吽(あうん)上段の柱の
  上に蓮台に付獅子をすへ銘々宝珠をにきらしていきおいよく造り付て何(いづれ)も台わには
  花むし(花筵(はなむし)・花蓆(はなむしろ))にこんしゃう赤漆(うるし)そこそこ合めの金具念
  入あつみを付

 一、十二神将
  同作やう御長壱尺七寸冠金具あつみ切ぬきしえ(紫衣緇衣)打かけくぎなし御持物何もかね
  にしていきおいつよく木眼にしてあざやかに御長に相応にして中にも申(干支のさる)の神
  御眼少小(ちいさ)くにして箭(や)ためといふしるし斗にして地眼の様に造りて
 一、御光(ごこう)は八福輪にしてかねあつく雲をあいしらひて二重かふぶつにして表に
  りんほう(輪宝)両脇に草花何もれんじ(連子(れんじ))すかし(透かし)八所かなぐあつみ付
  にして石(せき)座けいよくにして
 一、台座でいはく(泥箔(どろはく)) 
  右何も尊躰の内何も古佛造り少も木の枵(きよう)無之を造り膠遣不申うるし付けにての
  諸尊の内何(いづれ)にても一所二所宛取はなし見らるうるし御用意かど御下り可有之
  台座には膠(にかわ) 免(ゆる)し申す可く候
 一、弘法御影(みえ)御長壱尺五寸
  御法衣はもくらん□□□いきは赤色御手大事之御躰相応にわり合て五帖(?五条袈裟)は成程
  小く御眼は佛眼御面相成程(できるだけ)美敷(うつくし)本如来面にて
  〆
 一、礼槃(礼盤(らいはん))斗にして いすなし
  畳へりは赤地のきんらん(金襴(きんらん))地紋はほたん(牡丹)からくさにして敷地青色台
  から足畳下見付けはほたん(葉牡丹(はぼたん))金はくにして台わくろうるし
 一、水へう(水瓶(すいびよう)・比丘十八物の一)は金はく
 一、草鞋(わらじ)は黒色ぬり内は白〆(しめ)
  右の通膠なしうるしつめ是台座の外はにかわゆるし申し候
 一、本尊厨子は檜木ふしなし五歩板宝形
  但四枚戸蝶かなぐあつみ付にしておけ(桶(おけ))同えひじゃう(海老錠(えびじよう))をかけて
  三遍ぬぐいくりいろにして高サ五寸に床をはり見付けこみの板(蹴込板(けこみいた))に獅子
  にぼたんのほり物惣はくにして獅いかりよくにして
 一、十二燈台 此指図通にして七とう宛わけて両方に用ル右何も両方共にうるしにてぬり申さ
  るべく候
                  図あり
 一、大師の厨子 本尊同前其の内にけこみとこ(蹴込床)なし
 一、廿五の菩薩 御長八寸内中御高は九寸何もはく佛
     但し御面相は上ふんまき 上けにして 随分念入 雲座にして雲は羽を入て
 一、正観音   御長壱尺八寸
     たんけい(湛慶(たんけい)・運慶の子)やう(様)に
   御仕次き之ある可く 御くしたんけいの正作になし
 一、御光はざつとして輪光(光背・御光・円光・輪光・仏身から発する光明、
              光の筋を象徴化したもの)
 一、台座 大佛座
 〆
元禄五年申二月日  国分寺住侶
              快範 花押
京都柳の馬場松原下ル町
  林右近殿 
 終


【國分寺通信】暑中お見舞い申し上げます
◯今年春の土砂加持法会前の総会にてご参加の皆さんにすでに広報しておりますが、次回令和六年度の涅槃会事業として、境内にある大師堂並びに休み堂を併せて再建することになりましたことをお知らせ申し上げます。以前より休み堂の建て替えについては総代会での議題に上がっており、大師堂は毎月二十一日の護摩供で使用いたしますが、参詣者が堂内に入りきれず、外のベンチに腰掛けて参拝する状態が続いております。そのため、大師堂と休み堂を接続し、堂内から護摩供をお参りできる設計として再建を発願いたしました。

◯時宜にかない、中国新聞六月七日朝刊一面に「A級戦犯太平洋に散骨 公文書発見東條元首相ら七人 米軍将校私がまいた」との記事が掲載されました。本文中にも述べたとおり、戦犯の遺骨処理については米国軍規にて秘匿されてきたのですが、占領期に横浜に司令部を置いた米第八軍が作成した文書を日本大学の高澤弘明専任講師が米国立公文書館で入手。それによれば、七人の遺骨は横浜の東四十八キロ地点の太平洋に広範囲にまいたとのことです。

〇現在新型コロナワクチン接種が全国的に進められていますが、県の担当者に問い合わせたところ、強制ではなく、あくまで個人の判断で行ってほしいとのことです。これは、非常時に特例承認された未だ治験中のワクチンであること、これまでのワクチンと違いmRNAという遺伝子組み換え注射であることなど、よくお調べの上、ご自身の健康を第一に接種するかしないかをご判断されることをつよくお勧めします。厚労省ホームページによれは、6/23現在356名が接種後死亡しており、人口の99・37%の日本人は新型コロナに感染していない現状を考慮ください。


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煩悩について 3 

2021年09月12日 19時44分50秒 | 仏教に関する様々なお話
煩悩について 3


一昨日の懇話会にて、煩悩についてお話しました。煩悩とはそもそもどのようなもので、どんな心が該当するのか。そしてそれを取り除くためにどのようにしたらよいのかということについても初期経典の内容に沿ってお話しました。しかし、大まかな流れにとどまり消化不良甚だしいものだったようで、あとから、難解なお話でしたが、最後の四行に救われました、と言いに来られた方があり、もう一度わかりやすく解説することが必要のようです。そこで、前回「煩悩について 2」で述べた、煩悩を防止するための法門①から⑦までについて、あらためて順に考えてみたいと思います。

①これは、見ることとありますが、これは智慧の眼のみで見ることとテキストにもあり、煩悩が生じない思惟すべき法を見る、という意味となります。そして、欲の煩悩、生存の煩悩、無明の煩悩と三種の煩悩について生じないよう増大させないように思惟すべきであるとあります。

欲の煩悩とは、②にも該当しますが六根に入る刺激に反応して好ましいものに対して起こす欲のことで、生存の煩悩とは、来世の生存では善きところ(善趣、色界・無色界)において快適な環境に生まれ変わりたいという欲を起こす煩悩であり、無明の煩悩とは全ての煩悩のもとになるものではありますが、とくに四顛倒(常・楽・我・浄)を足場に思惟するものに生じる煩悩であるとあります。

欲の煩悩については②に述べるとして、生存の煩悩については、色界無色界に転生するほどの瞑想修行に該当する人の煩悩ですから、私たちには縁遠いものとして、ここでは、無明の煩悩について立ち入ってみてみましょう。四顛倒とありますように、無常の命であるのにそれを常と見たり、苦しみの世の中であるのに楽と見、無我なるものを我・実体あるものと見、不浄なる身体を浄と見ることをいうわけです。それによって煩悩を掻き立てているのだということなのです。

無常ということを考えるならば、私たちは生れ出てより、一瞬一瞬心がコロコロと移り変わり、そして老いて、病となり、いつの間にか死が訪れることは必定のことです。一瞬たりともその営みはとどまることがないのに、いつまでも私たちは、老いずに、このままに生き続けられることを前提に生きています。病気にならないようにサプリメントを飲み、運動して健康を気づかい、長生きが人生の目的のごとくになってしまっているとしたら問題かもしれません。勿論それが悪いというわけではありませんが、例えば身近な人が亡くなり泣き叫ぶのは、まさに自分の命を度外視して亡くなった人の命はかなきことのみを嘆いていることになると、あるスリランカの高僧に教えられたことがあります。一日一日私たちの命も亡くなりつつあることを思えば、亡き人を前に慄然とわが身の終焉を思い、残された時間に生きるとは何か、何をすべきかと奮い立つ心境にもならねばならないことなのかもしれません。

ということを考えるならば、この世は娑婆と言ったりいたしますが、娑婆とはインドの言葉でサハーといい、これは忍耐を強いられるところという意味であることを知らねばなりません。そして、私たち衆生はサッタといい、これは執着せる者という意味となります。もともと生きることそのものが苦であり、忍耐を強いられている。それに耐えることを放棄して楽を渇望して生きているのが私たち人間だということになります。楽を求めるが故にどれだけの忍耐、つまり苦を強いられているかということに思いいたらねばなりません。ですが、そのおかげか、今ではたくさんの家電製品が製造改良され快適な生活を享受しているわけではありますが、ですが、この先にあるのはそうしてさらに進歩するとそれらに監視され管理される世の中が到来することが予測されています。それでもいまも楽を求めてさまよい、例えばスマホも含めて様々なメディアから快適に豊富で必要な情報を手に入れていたと思っていたら、すべてそのやり取りが筒抜けであったり、嗜好行動を先回りされていたり、情報により思考行動を誘導操作されていたり、見知らぬ相手につながり身の危険さえあるのに、それに気づくことなくさらに欲をつのらせ使用し続けています。楽を求めているつもりなのに苦を作り出しているといえるのかもしれません。

無我ということを考えるならば、すべてのものが無我であって、実体無きものなのに、わが身や物に執着して、悩み苦しんでいます。人と比較して、自分や自分のものをより優れたもの永遠なるもののごとくに思い驕ってみたり、逆に劣って見えると嫉妬や羨望の目を向けたり。思い悩むというのは自分あっての苦しみです。自分という思いがなくなれば、一瞬のうちにそれまでの悩み苦しみは雲散霧消してしまいます。うじうじと自分のこと相手のことをあげつらい考えている状態は、まさに自分を中心にものを考えているのです。いくら悩んでも苦しんでも自分という我を捨てきれずに振り回されている我が身を振り返り、そのことを自覚することでまずは考えている習慣、心の癖を止める必要があるでしょう。

不浄ということを考えるならば、まずはこの自分をこの身の私と見ていることをやめることが必要でしょう。私とは心のことです。心の清らかさが必要なのであって、どうかすると身の清らかさではなく美しさ、たくましさばかりに気をとられ、きれいさ、清潔さを探し求めているのではないでしょうか。今ではどこの入り口にも手指の消毒剤が置かれていますが、かえって薬剤が体内に入り健康被害が起きていることも考えられます。ところで、心の清らかさとは、自分という思いのない心のことです。難しいことではありますが、自分のない、他と一体となったところの心こそが清らかな心であり、それをこそ浄とするなら、私たちの考えるこの身の自分は、汗をかき、臭いがして、鼻や唾など汚物糞尿を垂れ流す五尺のくそ袋に外なりません。それがゆえに毎日体を洗い、着替えが必要になるわけですが、わが身は不浄そのものといわざるを得ないのです。それに引き換え、仏様の世界を浄土といったりいたしますが、だからこそ私たちはそこに至ることを求めているのです。

これら四顛倒を顛倒せずによく理解し、四法印・諸行無常・諸法無我・涅槃寂静・一切皆苦をさとるために、四念処など瞑想修行がすすむと、四聖諦を正しく思惟して、いくつかの煩悩を断つことができるということになります。

つぎに、②防護というのは、私という存在の成り立ちを説明する教説である五蘊のプロセスを理解し、その過程の中に起こる煩悩について防護するという内容になります。五蘊とは、色・受・想・行・識の五つの集まりという意味で、このプロセスによって私たちは生きている存在だということです。とは、この体の、六つの感覚器官、眼耳鼻舌身意。舌とは味覚を感じる舌、身とは触覚を感じる皮膚のことで、意とは思いめぐらす心の認識機能のことです。そこにそれぞれ形あるものが眼に入り、音が耳に入り、匂いが鼻に入ると、それぞれ眼、耳、鼻が作用して、として感覚的に受容し、としてそれらが何かと概念として捉え、として何かしたいと意思が働くことになるのですが、その過程で、それらが好ましいものなら欲の心、貪りの心が生じ、好ましからざるものなら、嫌悪や怒りの心が生じます。そうして煩悩が生まれていきます。

想から行にいたる段階で、煩悩が起こらないように、防護するということが必要だということになるのです。物を見たり、聞いたりの一瞬のうちにこれらの過程は進みます。なんの余計な心を入れることなく、ただ物体を見たり、音声を聞く、・・・心に思い考えが起こった瞬間に断ち切るということが必要となります。そのように、その過程を細かく観察できるように心を鋭く余計なことにかかわることなく観察する訓練が必要となります。

受用忍耐回避除去については、すでに見てきたとおりですが、衣食住薬という生活必需品を求める際の心構え、生活環境に対する忍耐が必要不可欠なこと、心身が煩悩を起こしやすい状況をつくる危険をきたすような場所を避ける姿勢、差別や分断を生むような物の考え方を除去することによって、様々な場面において少しでも煩悩が起こらないように心がけるべきであるということです。

修習については、ここでは七覚支について述べられているわけですが、段階を踏んで、初歩から瞑想修行を重ねていくことによって、煩悩が起こりやすい心が薄れていくように励むことが必要であるということです。

以上、前回の補足として述べてみましたが、わかりにくいところがありましたら、またご質問いただきながら解説度を高めていきたいと思います。

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松長有慶先生著 『訳注 吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

2021年09月11日 08時10分38秒 | 仏教書探訪
(六大新報令和3年7月15日号掲載)
松長有慶先生著 『訳注 吽字義釈』(春秋社刊)を読んで

松長有慶先生の新刊、訳注シリーズ第五巻『訳注 吽字義釈(以下『吽字義』と略す)』(春秋社刊)を拝読させていただいた。

実は昨年からこの時期に本書が発刊されることを承っていたので予習にといくつかの解説書を手にしたのではあったが、どれも難解で理解するに至らなかったのである。しかし本書を拝受し、その概説に続き本論特に【現代表現】を中心に読み進めてみると、私のような初学者にもとても分かりやすく、一日で最後まで読み通すことができた。

表紙の帯には、「文字と真理の密接な関係性を解き明かす、空海思想の代表作!」とある。早速頁をめくると、まず「『吽字義』の全体像」が説かれ、『吽字義』とは何かを簡潔明瞭に知ることが出来る。

『吽字義』は、言うまでもなく『即身成仏義』(以下『即身義』)『声字実相義』(以下『声字義』)とともに三部書の一つとされてはいるけれども、大師の多くの著作の中で、題名の最後に「論」ではなく「義」とするのは三部書に限られ、そこには何らかの意図があるはずであるという。

ところが近年の解説書には、『吽字義』に序文がないなどの理由から、『声字義』を補足するものであるとか、また三部書全体を即身成仏の書ととらえ、五大と識大の六大について述べる『即身義』のうちの、五大については『声字義』において、識大については『吽字義』において、それぞれの意義を明らかにしているとする説もあるという。

しかし先生は、三部書はそれぞれが別個の著作目的があるとされ、日常の言葉や文字がそのまま真実なる実在、宇宙の根源的な存在と直接的に繋がっているとする密教独自の言語観について論じるにあたり、特に「声」の問題について取り上げたのが『声字義』であり、視覚的な特色を持つ「文字」を主題に撰述されたのが『吽字義』なのであると解説される。

その文字とはなにか。そもそも大師は密教経典に綴られた文字や言葉では了解し得ぬものを感じ、唐に渡られ恵果阿闍梨に出遭い灌頂壇に上られて両部曼荼羅を拝した。そして、密藏の要点は曼荼羅の中に象徴的に表現されると考えられた。しかしその後、密教の核心を身体的に会得した結果、文字や言葉の中に込められた真実に気づかれ、文字それも悉曇文字の中に大自然の道理が凝縮されて存在していることに目覚められたのであると推察されている。

では、なぜ多くの悉曇文字の中から吽字が取り上げられたのか。サンスクリット文字は阿字に始まり吽字に終わる、その最後の文字だからではあるが、常用経典である『般若理趣経』の総主である金剛薩埵の種子が吽字だからであるとされる。人間の欲望の積極的展開と利他行を主題に金剛薩埵の瑜伽の境地を説く『般若理趣経』の、その利他行と瑜伽を一体化して説く独自の考えを説くものとして、この『吽字義』は大師の著作の中でも特別の意味あるものであるという。

そのことは、本論の最後に、金胎両部の大経は三句の法門に集約されるとしてその一体化を説き、大小乗それに顕密の一切の教説も三句を超えることはないと説くことで、それらが最終的に利他行に帰すことを解き明かしていることからも、『吽字義』の実践的主体性を問題とする姿勢を読み取ることができるとするのである。

撰述の年代については、これまで確定的な見解がないとのことではあるが、『吽字義』本文中に十住心に関連する箇所があり、その内容から未だ十住心思想の形成段階にあり、また本文の最終箇所において金胎両部不二の立場を明確にされた記述のあることから、弘仁末頃の撰述と推定されている。

そして本編に入ると、現代語訳にあたる【現代表現】は現代人の私たちが容易に理解できるよう簡潔な解説を補足した文章となっている。所々【読み下し文】や【原漢文】、【用語釈】などを参照しながら読み進めていける。【用語釈】においては参考文献の略記号に該当する頁数が記され、解釈の異なる重要箇所では多いところで十三もの文献を比較検討されているところもある。

『吽字義』は序文がなく、本文が「一つの吽字を相義二つに分かつ。」という一文から始まる。表面的な意味である字相と文字が含み持つ本来の意味である字義に分け、吽(hūṃ)字は賀(訶ha)字、阿(a)字、汙(ū)字、麽(ma)字の四字の意味を含め持っているとして、字相としてこれら四字のそれぞれの表面的な意味を説き、それから『大日経』『大日経疏』等を典拠に、字義として四字の本来の意味が説かれていく。

次に、それら四字一体の字相字義など吽字の総合釈が説かれる。

吽字を四種の仏身(阿字は法身・訶字は報身・汙字は応身・麽字は化身)にあてはめると現実存在のあらゆるものが含まれ、そればかりか吽字を四字に分けると各々の字が、それぞれすべての、真如、教え、行、その成果を包摂しており、吽字には理・教・行・果が悉く含まれると説く。

そして、両部の大経である『大日経』『金剛頂経』の教えは、ともに「菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟とする」という三句に集約されると説かれるが、これは金胎両部の一体化を意図するものであるという。さらに諸経論に説かれる真理のすべてもこの三句の法門に収まるとされ、この三句をまとめると吽字一字になり、さらに、その他すべての悉曇文字に含まれた教えも同様であると結論している。最後に吽字解釈の総括として六種の利他行について述べられる。

先に記したように、先生は『吽字義』を利他行と瑜伽を一体化して説くものであるとされるが、私どもにとっての瑜伽とは日々の修法に他ならない。修法において特に該当するのは道場観、字輪観であろうか。 

先生は、ご著書『祈りかたちとこころ』(平成26年春秋社刊)の「付録・阿字観の基礎知識7文字に含まれるそれぞれの深い意味」の中で、「インド人は仮名や漢字やアルファベットを使う人々とは違って、文字を見ただけで、その文字に含まれている深い意味を直感的に把握することができます。言語に対する感性の違いといっていいでしょう。このような言語に対する特別な感性を持ち合わせない、サンスクリット語圏外の人は、字輪観の中で、一々の文字に言葉による説明を付け加えながら観想する必要が生まれます。」(一六八頁)と記しておられる。

インド人のような文字に対する特別の感性を持ち合わせていない私どもに対し、大師は懇切にその深秘を『吽字義』において教示して下さったということであろう。そして、宇宙の根源的な真理と直接的に繋がるものとして言葉や文字をとらえ、感応道交するために、いかに工夫を凝らし観想していくかということが問われているように思われる。

『吽字義』は、悉曇文字が私たちの想像を遙かに超える奥深い意味あるものであることを教えつつ、それを心中に観ずるとき、そこにはすでに真実実相の世界が開けてあることを直感せよと迫っているようにも思えた。

大師の深淵なる思想を、現代に生きる私たちにもわかるように学ぶ機会を与えて下さいましたことに感謝申し上げます。皆様には御一読下さることをお勧めいたします。

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煩悩について 2

2021年09月04日 10時14分41秒 | 仏教に関する様々なお話
煩悩について 2


前回煩悩について、お釈迦様の時代から部派仏教、そして大乗仏教にいたり、次第に増えるたくさんの煩悩を数え上げてその内容にも触れ見てきました。今回は、懇話会でのご質問「煩悩を取り去るにはどうしたらよいのか」ということについて、順に考えてまいりましょう。

まずお釈迦様の説かれる煩悩の断ち切り方について見てまいります。パーリ中部経典の第二・『一切煩悩経』に、あらゆる煩悩を防止する法門について説かれています。邪な思惟をする者には、煩悩が生じ増大するけれども、正しく思惟する者には煩悩は新たに生じず生じている煩悩は断たれるとあります。そして煩悩を防止する方法として、見ること、防護、受用、忍耐、回避、除去、修習の七種あるとしています。

では、まず①見ることによってどのように煩悩を断つのか。思惟すべきもの思惟すべきでないものをわきまえる聖者、賢者をこそ見て、その法を熟知すべきであると教えています。そうしなければ、例えば、過去の自分にとらわれ何になりどうなったか、未来の自分にとらわれ何になりどうなるか、現在の自分は何になりどうなるかと、このような思惟をなすことになり、私に我があるとかないとか、この我は常住で堅固で不変であるとの邪見が生じ、憂い悩み苦しみから解放されることはないと説かれます。

そして、外から五官に入る形あるもの、音、香り、味、皮膚の感触などによる刺激に欲を増大させる思惟をせず、来世での善趣への欲求を増大させる思惟をせず、無常なものを常とし、苦なるものを楽と見、無我なるものを我と捉え、不浄なるものを浄と思うことによって生じる無智なる思惟をしないことによって、煩悩が新たに生じないように、すでに生じている諸々の煩悩は断つべきであるとあります。そして、これは苦である、これは苦の生起である、これは苦の滅尽である、これは苦に至る行道であると、四聖諦を正しく思惟する者には身見、疑、戒禁取が断たれると説かれています。

次に、②防護によってどのように煩悩を断つのか。眼耳鼻舌身意の六根に対する外界からの刺激に煩悩や破壊、苦悩が生じないように防護することです。好ましいものを見たり聞いたり味わうことで欲しい、もっと沢山という思い、煩悩を生じさせ、逆に好ましくないものなら怒りや嫌悪の心が生じ、過剰となればそれがもとで心身に影響したり、社会生活に支障をもたらす原因ともなるものです。

例えば対象が目(色)に入り認識(識)し、それを感じ取り(受)、それが何かととらえ(想)、それをどうかしたいと意欲(行)をもつ、これらの過程(五蘊)で欲や怒りなど様々な煩悩を生じさせていくわけですが、ただ見る聞く嗅ぐ味わう触れるにとどめ、そこに何の煩悩も起こさないように心を観察し防護するということです。そのためには対象となりがちなものをどう捉えるべきかをわきまえておくことも大切となるわけですが、それは次の受用にヒントがあります。

受用とは何か。煩悩を起こすもととなりがちな、着るもの、食べるもの、住まい、薬について、それらをどのように捉え受け取るのかということです。衣は、寒さを防ぎ、虻や蚊、風邪や熱、蛇類に触れることを防ぐため、陰部を覆うためでしかないとあります。これは出家比丘のための説明ではありますが、本来着るものとはそうあるべきと考え、形や豪華さ色などにとらわれることで煩悩や破壊苦悩をもたらすと考えられています。

食は、戯れ、心酔、魅力、美容のためでなく、身体の存続、維持のためであり、空腹を克服し、食べ過ぎの苦痛を起こさず、仏行を支えるために食を受用する。住まいは、寒さ暑さを防ぎ、虻や蚊、風や熱、蛇類に触れることを防ぐためであり、薬は、病気の苦痛を防ぎ、苦痛がなくなるためであるとしています。

忍耐によって断たれる煩悩とは何か。寒さ、暑さ、飢え、渇きに耐えること、虻や蚊、風邪や熱、蛇類に触れることに耐えること。罵倒、誹謗の言葉に、また苦しい、激しい、粗悪な、味気ない、不快な、身体の感受に耐え忍ぶこと。こうしたことに少しでも不平不満を持つならば諸々の煩悩が生じ破壊と苦悩をもたらすとあります。

回避によって断たれるべき煩悩とは何か。狂暴な馬、牛、犬、蛇を避け、切り株、棘の地、穴、断崖、沼、溝など危険な場所を避ける。座るべきでないところに座ったり、行くべきでない悪しきところに行ったり、悪友に親しんだり、そのような煩悩や危険をもたらす場に至ることを回避することで煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることはないと説いています。

除去によって断たれるべき煩悩とは。欲の考え、怒りの考え、害意の考え、不軽蔑に関わる考え、利得尊敬名声に関わる考え、同情に関わる考え、不死の考え、地方の考え、親族の考えなど不善の考えを認めず、断ち除き、終わりにし、除去することで煩悩や破壊をもたらす苦悩が生じることはないとあります。

修習によって断たれるべき煩悩とは。ここでは七覚支という最も高いレベルの修行法が記されており、それは、念・択法・精進・喜・軽安・定・捨の七つの悟りを得るための条件とも言われるものです。

念覚支とは、四念処(いまある身・感覚・心・真理)について細かく観察すること。
択法覚支とは、その観察について真実なるものを選び、他を捨てること。
精進覚支とは、前の二つの修行に集中努力すること。
喜覚支とは、実践することで精神的喜びが生じること。
軽安覚支とは、心身を軽やかに安らかにすること。
定覚支とは、一つの対象に心を集中させること。
捨覚支とは、対象へのとらわれを捨て、苦楽を離れて中道を歩むこと。

これらは正しく観察し、世間を離れ、貪りを離れ、悟りに基づき、煩悩が遮断されつつ修習されるものであるとあります。

これら七種の煩悩を防止する法門によって諸々の煩悩が断たれるならば、その人は渇愛を断ち、束縛を取り除き、正しく慢心を見て、苦の終わりを作った者であると、この経を締めくくっています。

このように、仏行に生きる者が日常に出くわす様々なケースを検討し、それによって煩悩が生じ、苦悩にいたることがないように、どのような手立てによって気をつけるべきであるかという観点から説かれていることがわかります。

それでは、次に、五世紀中頃に世親によって著された教理綱要書『倶舎論』に説く煩悩の対治法について見ていきます。分別随眠品第五に「煩悩の断滅」と題する章があり、そこには、対治に四種ありとして、断、持、遠、厭とあります。

とは、六根に入る六境を好ましいものと捉えることにより渇愛が生じ苦しむ過程を遍知して煩悩を断じます。
は、その断じている状態を持続すること。
とは、煩悩を生ぜしめる対象を遠ざけること。
とは、迷い煩悩に取り巻かれ禍を生じることを予見して厭い離れること。

断は、パーリ中部経典『一切煩悩経』に説く①見ること②防護に該当し、持は、③受用④忍耐、遠は、⑤回避⑥除去、厭は、⑦修習となるのでしょうか。

前回述べたとおり、戒を持して修行を重ね、四双八輩というような聖者の階梯を進むことで段階的に煩悩は消えていくと教えられており、阿羅漢果に至ればすべての煩悩は消滅していることになります。専門的な修行をする環境にない私たちにおいても、これらを参考に、ことあるごとに七つの煩悩防止の教えを思い出し、煩悩を避ける生活を心掛けてまいりたいと思います。

そのためには、煩悩に限らず、仏教の教え全般について学び、善友と親しみ、心の修行を実践することを生活の基本に置き、心を防護して余計なことを思惟せず、慈悲の瞑想を心掛け、坐禅瞑想して世間を離れた心の静寂を知り、善行功徳を積みつつ精進することが肝要であろうと思います。ともに励んでまいりましょう。
 

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