住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

法話「仏さまとの出会い方」

2024年10月13日 19時37分32秒 | 仏教に関する様々なお話
令和6年10月13日 ふくやま美術館 法話「仏さまとの出会い方」




國分寺の横山でございます。さて、今日は三十三年ぶりの明王院様の本尊御開帳にあわせて開催されました特別展「ふくやまの仏さま」に際しましての記念法話ということです。この特別展のために長期に亘り準備を重ねてこられた関係各位に敬意を表し御慰労申し上げたいと思います。

ところで、この三月に、私ども國分寺でも三十年ぶりに本尊様のご開帳をいたしております。福山コンベンションセンターの皆様のおかげで、新聞ラジオなど多くのメディアにて告知いただき、遠方からも沢山の皆様がお参りにお越し下さいました。遠くは名古屋、大阪、呉、広島などからもお越し下さり、改めて仏さまの人を引きつける力を再認識させられました。

そして、今日は、「仏さまとの出会い方」というお題を頂いております。結論を先に申し上げますと、特別な出会い方があるわけでもなく、皆様がそれぞれの思いで出会っていただければよいのではないかと思っております。ですが、今申したように、仏さまという存在には人々の心を引きつける力があります。それはどういうものなのかとたずねてまいりますと、出会い方ということも見えてくるのではないかと思います。

そこで、お尋ねいたしたいと思うのですが、皆様は、これまで、仏さまとどのような出会いをされてこられたでしょうか。子供の頃、お祖母さんのあとをついて仏壇の前に座り、何かよくわからなかったけれども仏さまと出会っていたという方もあるかもしれません。

実は、私の生まれた家には仏壇もなく、仏教などとは縁もゆかりもなく、勿論親戚にお寺さんがあるということもありませんでした。ですが、まったく仏教と縁の無かった私が、僧侶となり、その後沢山の仏さまと出会うことで、今こうして國分寺に住まわせていただいております。

そこで、まずは、私にとりましての仏さまとの出会いについて語らせていただき、それから仏さまについて、なぜ人々の心を引きつけるのかと考察を進めて参りたいと思います。

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私は東京の生まれでして、小さな家でしたので仏壇もなかったのです。ですが、小さな頃、浅草の浅草寺の境内を通って、父親の会社に連れられ行くときに、十八間四面の本堂前の大きな香炉の煙を身体に、行くたびに掛けられていたことを思い出します。

それから、やはり子供の頃、父方の祖母が、私の顔を見ると、おまえはお祖父さんの生まれ変わりだね、といつも言っておりました。何度も何度も言われたせいで、自然と人は生まれ変わるのだと頭に刷り込まれていたようです。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六つの世界をグルグル生まれ変わるという輪廻転生という生命観を前提とする、仏教の第一関門がこのお祖母さんのお蔭ですんなりとクリアされていました。

また母親からは、小学生の頃ですが、周りの子たちに良くしてあげなさい、そうすれば回りまわって他の子からよくしてもらえるとか、汚い言葉を使ってはいけない、人を悪く言ってはいけないなどとよく言われました。それは、今思えば、仏教の縁起、因果応報という教えに繋がるものだったのかもしれません。

そして、中学の三年間、毎年のように、お祖母さん伯父さん同級生が亡くなるということがあり、それぞれお葬式に参加し、正確には高校一年の時にも中学の先生が亡くなり、やはり葬式に参列しております。

皆様も、大体10代20代で祖父母との別れを経験しているのではないかと思います。亡き人の菩提を願うとき、故人のことではなく、仏さまとの出会いもあるわけですが、その仏さまがその後の人生に、どのように関わってくるかということが大事なことではないかと思います。

私には、その後大学に入ってから、一冊の仏教書との出会いがありました。お釈迦様の仏教を専門とする増谷文雄先生と哲学者の梅原猛さんとの共著ですが、①『仏教の思想1-知恵と慈悲・ブッダ』角川書店という本です。

この本との出会いが運命的に私の人生を変えていくことになります。この本で学んだことは、お釈迦様は神でもスーパーマンでもなく、人としての最高の人格を得られた方であり、私たちの理想であり、目標であるということでした。そして、その内容は、明治時代にヨーロッパ経由の近代仏教学が伝来し、お釈迦様の実像を、漢訳ではないインドの原典から研究することによって明らかにしたものでした。このお釈迦様の原典による教えを初めから学ぶことが出来たことは私の仏教観に大きく影響を与えるものであったと思っています。

それ以来、毎日仏教書を読む日が続き、それから今日に至るまで、仏さまの教えを学ぶということが私の人生の中心を占めることになります。それは、教えの上から仏さまと出会うということだったのだと思います。

大学を卒業する頃には出家をしたかったのです。ですが、やっと二十六歳になり縁あって高野山で出家得度を受け、翌年高野山専修学院に入りました。一年間七十人程の得度したばかりの修行僧たちと寮生活をし、お経を習い百日間の修行をして、寺院に住職する資格の得られる学校でした。

宝寿院というお寺の中の学校でしたが、その本堂の②本尊様大日如来には、毎朝のお勤めでお経を唱えていました。が特に、二学期に百日の修行の最後七日間断食することにしたとき、七十人のうち三四名ですが、加行監督に何があっても自己責任とするという誓約書を書き、その後、私は一人本堂に入り、この本尊様に修行の無事成満を一心に祈願しました。

高野山の学院を卒業後、東京のお寺に役僧として勤め、その間に資金を作り、仏教はインドに行かねば解らないというような切迫した気持ちから、初めてインドに行きました。それが二十九歳の時です。この時は、コルカタ、ブッダガヤ、リシケシ、ダラムサーラ、デリーと旅をしました。

インドでは沢山の神様の御像を見て参りました。これは③ネパールのルンビニの摩耶夫人堂というお寺に祀られているご像ですが、ルンビニは誕生所ですから、お母さんと生まれたばかりのお釈迦様です。みんなこのような雑な作りの物が多いのですが、現地インドの人たちはそんな御像にも敬虔に手を合わせ御供えをしていきます。それはお姿がどうこうではなく、まずは来世のために徳を積むために神仏に対する思いや行為こそ尊いものなのだと信じているからだと思います。

それから、最初にインドに行った次の年から二年続けて四国の歩き遍路を三十日四十日を掛けて二度1400キロを歩きました。この間沢山の仏さまに出会いましたが、それらの中で一番印象が残るのは、④十二番焼山寺に向かう山道の中で出会った弘法大師の修行行脚姿の大師像です。もやのかかった山道を登り、急な石段を上がっていくと前に大きなお大師様が居られ、思わず手を合わせていました。

その後、またインドに行くチャンスがあり、二度目にインドに参りましたとき、インドのベンガル仏教会というコルカタに本部のある仏教教団に御縁が出来まして、そこで再出家してインド僧になりました。これは⑤ウパサンパダーという南方仏教の得度式の後の記念写真です。コルカタの街中を流れるフーグリー河上の船の中に結界を作り、十五六人のインド僧が参加する受具足戒式でした。(着ている袈裟はタイ製、横275㎝縦190㎝)

ベンガル仏教会について少し解説しますと、インドの仏教は十三世紀初頭に衰滅したとされています。その遙か前に八世紀頃からイスラム勢力がインドに侵入を繰り返すようになり、それを嫌った中インドのマガダ国の末裔とする仏教徒たちが東に避難を始めたとされ、たどり着いた先が今のバングラデシュのチッタゴンでした。隣国との様々な抗争に巻き込まれながら仏教徒として生きて、ムガール帝国の時代にはインド東部にまでその勢力が迫り、お寺はモスクにされお経も唱えられない時代が続き、仏教の伝統が失われた時期もありました。

その後十八世紀にベンガル地方は英国植民地となり、その軍隊に志願することで仏教徒は地位を回復し、十九世紀半ばビルマのサーラメーダ長老により受具足戒式が行われ仏教の伝統を復興しチッタゴンやダッカに仏教会を造り、カルカッタに移住していた仏教徒のためにクリパシャラン長老によりベンガル仏教会が創立されました。丁度その時代に、セイロン仏教徒であるダルマパーラがインドの仏跡地の復興に活躍するのもこの時代のことでした。

それから、インド僧として、バラナシの北10キロほどのサールナートという、お釈迦様が最初に説法を成功された、初転法輪の聖地の近郊にあるお寺、法輪精舎に一年あまり滞在しました。そこには⑥ダメークストゥーパという大きな仏塔や僧院跡のある遺跡公園があり、塔は高さ43メートル周囲は百メートルほどはあるでしょうか。

その法輪精舎から遺跡公園までの三キロほどの道は、⑦田園風景の中に道の両脇に大きな街路樹が植えられ、牛が行き交い横になり、そこに人々が生活していて、まさにお釈迦様が歩かれているお姿を彷彿とするような道でした。お釈迦様がその先を歩いていると、その姿を思い描きながらいつも歩いていました。

サールナートの考古学博物館には⑧サールナートブッダと言われる説法の印を結ぶお釈迦様の御像が安置されていて、とても有名なものです。五世紀頃の作品で、高さが155㎝巾が87㎝です。インドのものとしては珍しくすばらしい造形の仏様です。レプリカが、明治時代にダルマパーラにより造られる新しいお寺に祀られ、その堂内の壁画は野生司香雪画伯が釈迦の一生を描いたものとして知られています。

そして、これは⑨釈迦四相図です。誕生と成道と初転法輪と涅槃の姿を表しています。これは正にお釈迦様の一生を塔に見立てたものです。

それから、インドの師匠が居られ、私も併せて一年程度暮らしていたベンガル仏教会のコルカタ本部の仏様についてご覧頂きますと、この⑩大きな真鍮のお釈迦様は一階の礼拝所の仏様です。これはミャンマーの仏像で、教団の歴史を感じさせる仏像です。毎朝のお勤めのときに拝んでいました。こちらは⑪二階の本堂の本尊様です。どちらの仏像も、右手が膝を覆い指先が地に触れ、修行の真実なることを大地に証明してもらったことを示した触地印のお釈迦様・成道仏です。そしてこちらは⑫創立者クリパシャラン大長老の石像です。

インドではこのような仏様方を礼拝し暮らしていました。この間、日本に帰りますと、スリランカの長老に御縁があり、親しく仏教の基本や今ではマインドフルネスと言われる瞑想について、トータルにしますとかなりの時間になりますが、学ばせていただきました。そうしてこの袈裟をまとって、インド僧として都合三年半ほど、インドと日本を往来していたのですが、コルカタでマラリアに二年続けて感染してしまい、健康の不安もあり、日本の僧に復帰することにして帰国しました。

それから、東京深川の七福神の札所でもあった冬木弁天堂の堂守を三年ほどしています。出世弁天とでもいうのでしょうか、戦前は日本三弁天の一つ江ノ島の弁天様と同体の弁天像が祀られていたという御堂で拝んでおりましたら、こちらの國分寺に御縁をいただき、福山に参りました。國分寺では⑬御本尊・藥師如来に毎朝仏飯御茶湯お経を御供えしています。

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ご覧頂いた仏さまについて、少し整理してみますと、まず、形のある仏さまと教えなど形のない仏さまがあり、形のある仏さまでも、ご像としてあるものと心の中でイメージする仏さまもあるということです。

ご像としてご覧いただいたのは、大日如来様、弘法大師像、インドの様々なお釈迦様のご像、藥師如来様と見ていただきましたが、他にも、たとえば観音様、お地蔵様、阿弥陀様と、沢山の仏さまがおられるわけですが、そのすべての始まりはと考えますと、お釈迦様ということになります。お釈迦様の悟りがなければ仏教もなかったわけです。そこで、なぜ仏さまは人の心を引きつけるのかと考察するにあたり、まず、すべての仏さまの大本であるお釈迦様とは、そもそもどのようなお方であったのかと、歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。

主に、ご誕生とお悟りになる晩の思索、それに説法されるいきさつの三つについて見てまいります。

お釈迦様は、二千六百年ほど前の人です。日本の歴史では縄文時代の最晩期となります。西暦では紀元前六世紀半ばに、現在のネパール領ルンビニで釈迦族の王子として、お釈迦様はご誕生になります。過去世で何回も生まれ変わる中で徳を積み、前世で十波羅蜜(布施持戒出離智慧精進忍辱真諦決意慈心捨)という修行を完璧に成し遂げられ、その功徳により、悟りを開くためにインドの地にお生まれになられたと考えられています。

生まれたとき、すぐに立ち上がり七歩歩いて天上天下唯我独尊、我は世界の最年長者であり、これは最後の生まれである、と言われたとされています。七歩というのは六道の輪廻の世界から一歩踏み出すと言うことです。生まれたばかりなのに最年長者であるというのは、未だ悟った人のいない時代に、最初に輪廻からの解脱を果たすので自分は生まれ変わることがないけれども、他の人は皆生まれ変わるのであるから、誰よりも年長なのであるという意味の言葉として伝えられています。

お釈迦様は、王子として跡取りが生まれるのを確認して、二十九歳でお城を出て出家しています。ルンビニ近くのカピラ城からガンジス河中流域のマガダ国の都ラージャガハへ出て、二人の仙人について瞑想を習い、その後、呼吸を止めたり断食したりと六年間の苦行の後、尼連禅河で沐浴し、スジャータ村の娘から乳粥を供養され体力を回復されます。そして、現在のビハール州ブッダガヤで禅定に入り、お釈迦様は最高の悟りを得られ、成道を成し遂げられたとされています。三十五歳でした。

この、お悟りになる晩どういう思索をなされたのか、これはとても大事なことであると思えますが、なぜか日本ではあまり取り上げられることがありません。まず深い禅定に入り、最初に思念されたのは、自らの過去世でした。何万回ともいわれる過去世での名前家族食べ物善かったこと苦しかったことを回想していかれたのだそうです。つぎに、他の人々がどのように死に代わり生まれ代わるのかとその様子を見て、それは業によって、つまりその人の行いによって、しかるべき生まれとなることを見ていかれました。そして最後に、苦について煩悩について思索し、煩悩がどのように生まれ、どうしたら消えていくのか、その全容を解明されると、智慧を生じ、煩悩がなくなり、解脱を果たされたということです。

この誕生と悟りに至る伝承は、私たちに何を教えてくれているのかというと、誰もが過去の行いにより、今ある自分に生まれるべくして生まれ、あるべくして今があり、未来を導くものとして今をいかに生きるべきかということが大切であるということだと思います。そして、この三世にわたる善悪の因果応報なる理を知り、善い行いを重ねて生きよと教えられていると受け取ることが出来るのではないかと思います。

ここまで、輪廻とか過去世という言葉を用いてまいりましたが、違和感をお持ちの方もおられたかもしれません。今日日本仏教ではこのことに触れないという申し合わせがあるようです。ですが、ここに持ってまいりましたオックスフォード大学出版の『Buddhism a very short introduction』第3章Karma and Rebirthの冒頭には、今申し上げた、お悟りの晩にお釈迦様が何回もの過去世を回想されて悟られた事蹟を紹介されています。また、ブライアン・H・ワイスさんというアメリカの医師は、退行催眠によって患者の過去世を回想させることで様々なストレス障害を治癒させている事例を『前世療法』という本で紹介されていますし、日本でも産婦人科医の池川明さんは、『前世を記憶する日本の子供たち』という本を出されています。是非参考にしていただければと思います。

そして、お釈迦様は悟られた後、この深遠な真理は普通の生活を送る人々には悟ることが難しいと考えられ、説法することを躊躇されています。ですが、そこに、インドの最高神梵天が現れて、法を説かなければ、この世は闇に覆われてしまいます、貴方の教えを聞けば教えを理解し悟れる人も居りますからと説法を乞われます。三度逡巡された後、天眼通で世の中を見回すと、欲深い人ばかりではなく、皆様のように仏さまの話を聞いてみようという人が沢山居られることを知り、世の中の人々の幸せのために法を説くことを決意されるわけです。

ここでは、他者の申し出を受け入れ共存するという平和な関係を保ちつつ、その法は、この世界の人々に光をもたらし、誰もが明るく幸せになれる方法を教えて下さっているものだということが解ります。そしてこのことに表れているように、仏教の教えは寛容で、差別なく、誰をも受け入れ、包容力ある教えであり、すべての生命の幸せを願う教えとなるわけです。

その後、先ほど申し上げたサールナートで、最初の説法をなされて仏教の教えが始まります。そして、四十五年間お釈迦様は弟子や出家者、一般の在家信者にも法を説かれたと言われます。そして、沙羅双樹に囲まれたクシナガラの森の中で八十年の生涯を閉じられています。最後の言葉は「すべてのことは過ぎ去っていく、疾くつとめよ」と、この世の無常なるがゆえに修行にしっかり励みなさいと言い残されています。

ところで、お釈迦様の生きている時代は勿論ですが、歿後三百年ほどは仏像はありませんでした。釈迦の一生を仏塔の欄干などに掘る様なときには、菩提樹や法輪を描き、お釈迦様を表現していました。有り難すぎてお姿はとても作ることが出来なかったのです。

その後、西暦紀元前二世紀頃より、西域からペルシャ人、ギリシャ人、クシャーン族、フン族など異民族がインド北西部に侵入し、ガンダーラ地方などに新しい国を作ります。その影響で、多民族を統治するイデオロギーとして、「空」というスローガンのもと、自らを絶対視せず、互いに他者を尊重する、差別のない普遍的な思想として大乗仏教が展開し、大量の経典を作り、沢山の仏さまを誕生させていきます。

実際に実在する仏さまはお釈迦様だけですから、お釈迦様の悟りの智慧を分け与えられて、様々な物語が創作され、沢山の仏さまが作られていきます。そして、西域の文化の影響により仏像も制作されるということになります。

その膨大なお経と仏像が、中央アジアを経由してシルクロードを通って中国、朝鮮、そして日本にやってきます。西暦538年、欽明天皇の時代に、百済の聖明王が仏教を伝えたとされ、仏教公伝と言われます。初めは朝鮮、中国の仏師の指導により造られた仏像も、次第に日本独自の技が究められて、今日に至っています。

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では、その形ある仏さま、つまり仏像とは何かということについて考えてみたいと思います。

実はインド僧の時に、私のインドの師で、教団の総長をされていたダルマパル大長老に、どうして仏像があるのかと尋ねたことがあります。一言、仏像があったからこそ仏教が世界に広まったのだよと言われました。仏像のお蔭で信仰の対象があるという事は多くの人が信仰に入りやすいということだと思います。

ですが、仏像は、単なる信仰の対象ではないと私は思っています。たとえば、多くの人々の信仰をあつめる観音様は、衆生の悩み苦しみの心の声を聞き、その人の居る場所に現れてお救い下さるという慈悲の仏さまですから、そのご像は、とてもやさしげで清らかな存在として多くの人があこがれを持つわけです。

ですが、正式なお名前を観世音菩薩というように、大乗の菩薩として、自ら悟りに至る前に、人々に慈悲をもって仏の道に導き、彼岸に渡ってもらうという役割があります。これを「自れ未だ度ることを得ざるに先づ他を度す」と言います。

彼岸とは悟りの世界の比喩的な表現であり、私たちの居る此岸から彼岸にある悟りの世界に誘い、最終的にはお釈迦様同様のお悟りを開いてもらいたいというのが、菩薩の願いです。ですが、それは、菩薩だけの話ではなく、如来も同様で、そのために法を説かれています。

このように、大乗仏教の教えにより、沢山おられる仏菩薩明王などの仏さま方は、それぞれに役割や持ち味に違いはありますが、根本の部分では、お釈迦様がお悟りになられた事蹟を踏襲され、信仰する人々に、どんなに時間がかかったとしても、お釈迦様のように最高に安らいだ心、悟りの心にいたってもらうのだという願いをもって派遣されている存在であると言えます。

そのため、仏教は信仰だけでは亡く実践を大切にするわけです。ですから、皆様の中には、仏さまを信仰されて、誰に言われるまでもなく、お寺などに行かれて、礼拝し、お経を習い、唱え、意味まで知ろうとする方が居られます。写経や坐禅といったものを熱心にされている方もあります。

が、それはどういうことかと言えば、ただ手を合わせ懺悔し願うというのではなく、実践ということを誰に言われずともなされているということです。それは、少しでも功徳を積み、自らもよくありますように、願いが叶いますようにというお気持ちもあるかもしれませんが、それは確実に仏さまの所に近づいていく功徳ある実践であり、仏さま方の願いに叶うものであると言えます。そうあってこそ、また、願いもお聞き届け下さるのではないかと思います。そして、その時、仏さまは、皆様にとっての導き手としてあり、生きる手本として存在しているのではないかと思うのです。

ですから、仏さまの座り方や身体の安定、表情や安らいだ顔を見たとき、心が改まり、手を合わせると同事に、ご自分もそのようにありたい、そういう心境になりたいという思いも生じているのではないでしょうか。そしてさらには、そのお姿や表情のように、自分も身を整えてみる、心静かに何も考えない時間を楽しんでみる、そうした修養のために手本となるのが形ある仏さま、仏像ではないかと思います。

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それでは、最後に、もう少し本質的な話になりますが、そもそも仏さまとは本来何かということについて考えてみたいと思います。

皆さん、「山川草木悉皆成仏」、または「草木国土悉皆成仏」とも言うようですが、このような言葉を聞いたことがありますか。山も川も草木も、つまり森羅万象みな悉く成仏している、みんな仏なんだという意味の言葉です。これは中国の仏教で言われるようになり、日本でもこの言葉を受け入れるようになったとされ、環境問題の会議で突然登場することもあるのだとか。

どうしてこんな事が言えるのか、私には長いこと理解できなかったのですが、あるとき閃きまして、仏とは法を説く者だとしたらどうかと思ったのです。自然界のものたち、たとえば、川のせせらぎや風の音、木の葉が落ちたり、海の波も、それらはすべて自然の摂理のそのままにあり、そうありながら、何事かを私たちに語りかけてくれています。自然界の法則、真理というものを見せてくれています。

それを見たり聞いたりした人はそこに自然の摂理や真理を見て何事かを悟ることができるのではないか。それは無常であったり、無我など、そのものの移り変わっていく姿を悟らせてくれるものだと言えます。そう考えますと、自然界のすべてのもの、森羅万象は真理を見せ語りかけ悟らしめてくれる存在であり、つまり仏であると言いうるのではないかと思ったのでした。

そして、真理のままにある自然が仏なのですから、本来、仏さまとは、真理である法を説くと同事に真理そのものを顕しているということになろうかと思います。

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以上、ここまで、なぜ仏さまは人々の心を引きつけるのかと考察を進めてまいりました。

すべての仏さまの大本であるお釈迦様の足跡をたどり、仏像とは何か、また仏さまとは本来何かとたずねてまいりました。仏さまとは、私たちがいかに生きるべきかを示して下さり、他者と共存する平和な教えを説く者であり、信仰し実践する人の手本でもあり、真理を顕していると見てまいりました。ですが、本当は、そういう有り難い存在であると、漠然とかもしれませんが、皆様、わかっているからこそ、そのお姿、表情に強く引きつけられるのではないでしょうか。

冒頭に申し上げたとおり、仏さまとこう出会わなければいけないなどということはありません。皆様がそれぞれに望まれるように出会われたらよいのだと思います。ですが、その出会い方によって、仏さまに何を求めておられるのか、皆様にとってどんな意味があるのか、価値があるのか、皆様の人生にとって仏さまはどういう意味あるものなのか、がわかるのだと思います。

繰り返しになりますが、仏さまは、この世の真理とともにあり、私たちを幸せな、平和な、安らかな世界に導いて下さる有り難い存在であるからこそ、そのお姿に底知れぬ魅力を感じさせてくれるのではないでしょうか。

仏さまを見上げるとき、またその横顔に、心安らぎ、幸せな気持ちになれる。その安らぎをどんなときにも感じていられるようにするにはどうしたらよいのか。いつも仏さまのような安らいだ顔で、落ち着いた心でいられたらどんなに良いことかと。

もしもそんな風に思い感じられるなら、既にすばらしい仏さまとの出会いを果たされているのではないかと思います。

仏さまはとても楽なお姿で安らいだお顔をされています。怖い顔をされている仏さまも居られますが心の中は慈しみに満ちておいでです。私たちもそうなれますように皆様を導いて下さる有り難い仏さまと、是非出会っていただきますことをお願い申し上げまして、本日の記念法話とさせていただきます。

ご静聴、誠にありがとう御座いました。


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今年の暑さとの付き合い方

2024年08月13日 14時27分58秒 | 仏教に関する様々なお話
今年の暑さとの付き合い方




話題に事欠かないオリンピックも終わり、国民的大行事お盆の時期を迎えているわけですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。今年も、記録的な猛暑の夏となりました。

加えて地震や台風が列島を襲い、お盆休みも気楽に旅をするという気分から身を引き締めて外に出ねばならなくなりました。国外では、未だに戦禍にある国々があり、さらに大きな戦争に発展するかの危険もはらんで落ちつかない日々を過ごしていることと思います。

あるサイトを見ていたら今年は太陽の黒点の活動がかなり活発で、こうした時期には大きな戦争や内乱、暴動や革命が起こっているのだとか。すでにイギリスで暴動が起きバングラディシュでは民衆の蜂起から政変がありました。今年から来年にかけてさらに不安な時代を生きねばならないのかもしれません。

ところで、こうした毎日の暑さの中、体に感じる感覚についてどのような見方をしたらよいのか、お釈迦様が教えられていることについて少しお話ししてみたいと思います。

私たちはこのからだが自分と思っていますが、仏教では、心と身体は別のもので、身体はこの世に生まれた時に借り受けた衣であって、心は何度も生まれ変わり、前世から来て来世に受け継いでいくべきものと考えています。

身体に感じる感覚は体に起こる変化であって、その感覚と一つになることなく、客観的に他人の身体に起こっていることのように、冷静に、例えば、そこに暑さがあるというような捉え方をします。暑い暑いとつい言ってしまったり思ってしまいますが、それでは感覚が自分そのものとなり暑さは増すばかりです。暑さ暑さがそこにあると観ていくことでその暑さの様子が変化していくことを観察するのです。

今年は三十五度を超えるような日が多いため、蚊も少なくて済んではいますが、蚊に刺されたようなときには、かゆいかゆいではなく、かゆみがそこにあると思って、かゆみかゆみと心の中で言いながらそのかゆみを観察しているとかゆみも薄らいでいくのがわかります。

昔小さな子供にそんなことを話していたら、その子が蚊に刺され、その時かゆみかゆみと言ってみたら、私が言ったので、その子はかゆみがなくならないと言っていました。が、自分で言葉で心の中ででも言ってみると実際にかゆみが変化していくことがわかります。

身体の痛みなども同様で、坐禅などを長くしていると足が痛くなるわけですが、そうした時にも痛み痛みと心の中で言いつつ観察していると痛みが変化していくことがわかります。是非試してみて欲しいと思います。

まだまだ暑い落ち着かない日が続くことと思いますが、どうかそんな仏教の感覚との付き合い方を参考にやり過ごしていただけたらと思います。いろいろなことがありすぎて不安な毎日とは思いますが、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。



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菩薩の十善について

2024年07月14日 20時00分27秒 | 仏教に関する様々なお話
菩薩の十善について  昨日の法話に加筆して


今日は、〇年前にお亡くなりになられたお母さんのために、こうして遠方からもお集まりになられご苦労様です。〇年の間にご家族も増えそれぞれに年齢を重ねました。故人もそうした年数を経てなお思い出して法要を営んでくれたことに感謝されていることと思います。

今長い長いお経を聞いて下さり、また一緒に勤行次第をお唱えしました。はじめに礼拝があり三宝に帰依されたわけですが、礼拝する仏さまは最高の悟りを得られて、人として最高の人格を得られた方であり、その方を礼拝する帰依するというのは、あまり意識されていないとは思いますが、仏さまを自分の理想として人生の目標として生きるということです。そういう意味において法事を営むというのは皆様一人一人にとり誠に意味深いものだということをまずは申し上げておきたいと思います。

ところで、今年六月天皇皇后両陛下はイギリス皇室の招待でイギリスを訪問され、歓迎祝賀、晩餐会など大歓迎を受けられました。特に、共に留学されたオックスフォード大学時代を懐かしがられたとか。そんなこともあってか、留学時代の映像が何度も報道されていました。陛下にとってのイギリス留学の二年間はご自身の宝物とさえ言われて著作も残されています。

陛下は昭和三十五年二月二十三日のお生まれです。実は私も同年の三月初めに生まれており、十日ほどの違いに過ぎません。私にとっても、高野山での一年、インドでの三年ほどの期間は宝物に思えますが、陛下は留学時代は何でも自分の考えですることが出来たのがとてもうれしく思えたと心情を吐露されています。つまりはそれ以外の時間はすべて思い通りにならないことばかりとも言えるわけで、皇室の生活とはさぞ窮屈なことなのであろうと想像されるのです。

それでも私は毎日五時に鐘を撞き御供えをしてお勤めして、境内の草を取ってと毎日同じ事の繰り返しの生活をしていて、やはり陛下のお姿をテレビなどで拝見するとこの違いは何なのだろうなどと馬鹿なことを考える訳です。

明治の傑僧と言われ、伊藤博文、大隈重信、山県有朋など明治の元勲の師とも称され、東京目白に僧園を造り、そこに皇室や政界官界軍人など名士が大勢足を運ばれ、教えを乞われた釋雲照律師という、まさに生き仏のようだったと言われるほどの名僧がおられました。この方の著作の中に、天子となられるお方は、前世で菩薩の十善を完璧に行じられて、一切の悪をなさず、一切の善行を行い、慈悲に基づく一切の利他を行じ、すべての衆生をわが子のようにご覧になり、慈悲をもって憐れんだ功徳により、この世にお生まれになるときにそれに相応しきお方のお腹に入られるのだとあります。だからこそ陛下に相応しきお方となられるのであり、だからこそ天皇という位のお勤めをなされることが出来るのだというわけです。

アショーカ王という、二千三百年ほど前のインドで初めて統一するマウリア王朝の大王ですが、この方は前世で貧しかったのですが、道ばたのゴミのような物でもきれいに洗いそれを神様に御供えをした、その功徳によって大王になられたとインドでは言われています。

話変わりますが、私は神辺に来て二十五年になります。生まれた家には仏壇もなく、お寺との縁も何もありませんでした。ですが、訳あって仏教を学び、高野山の学院を終えてから十年ほど、インドや四国を歩いて、そのお蔭で、やっとのこと四十になって國分寺に入寺しました。

神辺や福山の他のお寺さん方は生まれたときから、それに相応しい徳を持って生まれ、立派な御父様から仕込まれて、みな真面目で筋の良い方ばかりです。皆さん相応しい前世を過ごされて功徳を積まれてお生まれになったということだと思います。私には前世でゴミを洗い仏さまに御供えする功徳が少しでもあったのかどうか。

前世があって今生があり、今があります。インドでは輪廻するんだと、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天に生まれ変わるんだと信じられていますが、とにかく前世で培った業がよかったので私たちは人間界に生まれることができました。ですが、人間界も様々ですから、前世までの業によって生まれるべきところに生まれ、いま縁あって存在しているところにあるべくしてあるということにもなります。

ですからどこでもない今いるところで生きていく、インドの仏教徒は来世はもう少し経済的にも恵まれたところに生まれるようにたくさん功徳を積むのだと言います。私たちも同様に何度も生まれ変わりながら少しずつでも心を清らかにするように仏様のところに近づいていく生き方をしなくてはいけないのです。では、どうすべきか。天皇陛下が前世でなされたといわれるように、菩薩の十善に精進することが最善のことだとは思えるのですが、勤行次第にある十善戒は、止善についての内容です。悪いことをしないという善行です。その上に行善という、善いことを行う善行があるのだといいます。

不殺生の行善は、生き物を殺さないというだけに終わらずに、生き物を育て放つことです。不偸盗は、与えられていないものを盗らなければよいというのでなしに、自分のもてる物を必要とする者たちに与えることです。不邪淫は、相手を敬い清潔な関係を保つことです。

不妄語は、誠実な心を保ち、常に真実を語ること。不悪口は、常に心穏やかに相手に寄り添い、誰に対してもきれいな言葉で語ること。不綺語は、自分が良くありたい良く思われたいという気持ちをなくし賢者聖人の言葉について語ることです。不両舌とは、他者との関係において仲良く和合すること。

不慳貪とは、小欲知足を保ち、他者に施したり施す人の行為に賛同し随喜することです。不瞋恚とは、相手を敬い慈しみの心を保つこと。 不邪見とは、この世の因果道理をもってものごとを考え、心安らかに落ち着いた心を養うことです。

このように行善を止善とともに行じて功徳を養い、菩薩の十善を完成させて、私たちもより善い所に来世生まれ変われるようにしたいものです。



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雲照律師ゆかりの島根の寺院参拝の記

2024年07月05日 17時26分42秒 | 仏教に関する様々なお話
雲照律師ゆかりの島根の寺院参拝の記

七月二日三日と、雲照律師ゆかりの寺院を参拝した。その日は大雨の予報があり、決行が危ぶまれたが、一時間毎の天気予報では二日午後からは島根県は小降りになるとのことだったので、強く雨の降る中、神辺町御領から車で出雲方面に向かう。尾道自動車道から松江道に入る頃にはまだ強く雨が降っていたが、島根県に入る頃から雨脚が弱まり、出雲自動車道に入り出雲インターで下道に下りる。

まず向かったのは、律師が出家得度に臨んだお寺といわれ、師の慈雲上人がその頃住職されていた多聞院に向かった。出雲市知井宮町の細い路地をいくつも曲がり開けた所に出たと思ったら、前方に茅葺き屋根が突き出た建物の前に出た。山門の前は入口にお地蔵さんが両脇に立つ二十メートルほどの参道があり両脇はまだ田植えのされていない田圃が広がっていた。山門には「養龍山多聞院」と書かれた細長い板が右の柱に掛けられている。中に入ると綺麗に整備され草一本ない境内で、正面に茅葺の本堂、茅葺屋根が高勾配でせり上がり突端は銅板が覆っておりその下には板で覆いがある。草繋全冝師の『雲照大和上伝』には、本尊が胎蔵界大日如来、脇仏に千手観音とある。右手に客殿庫裏、手前左側には大きな仏像が納められたお堂がある。



山門左側に掲示されている案内板によれば、多聞院は、もとは南隣に鎮座していた智伊神社の神宮寺で、何度か天火のためというから雷のことであろうか、そのため焼失を繰り返し、現在の本堂は、宝暦二年(一七五二)再建という。 庫裏は弘化年間(一八四四~四八)改築とあるので、律師生存中の出来事である。享保九年智伊神社が移転したため多聞院と改められた。大阿弥陀堂は貞享二年に郡代官鵜飼七右衛門によって再建されたとある。左側の小さな御堂に御堂一杯の大きな仏さまは阿弥陀如来であった。

ひっそりとして誰も居られない様子であったが、玄関口で御挨拶すると奥様がお出でになり、雲照律師の得度のお寺と知られていると教えて下さった。建物の中は大きな幅広の梁の立派な建物であることが解る。その再建の際には律師もお越しになっていたとも伺った。お昼時のお忙しい時間帯でもあり、早々にお暇した。

それから、東園町に向かった。律師の生家のあった場所である。曹洞宗にはなっているが高野寺という名のお寺が東園町にあってお訪ねした。こちらは広い車道に面して立派な鐘楼が山門横にあって塀も新しい。本堂前に進むと、奥様が落ち葉を掃いておられたので、律師をご存知が尋ねてみたが一向にご存じない。宗派も違い、二百年も前にこの地に生まれた一人の真言僧についてご存知がなくても当然であろう。お参りを済ませ早々に失礼した。駐車場から見る出雲大社方面の緑鮮やかな山並みは、昔のままだろう。車道もなく大きな建物もなかった当時は、水路が張り巡らされた田圃が広がるだけで山並みもさぞ大きく見えていたに違いない。

それから、律師自ら長く住職なされた、雲南市大東町須賀の普賢院に向かった。宍道湖沿いの道に出て水波を見ながら車を走らせた。国道五十四号線を右に曲がり山に入る。須我神社の標識に沿って左に道をとり、神社手前の広場に駐車場があった。須我神社は県社で立派な風格ある神社である。鳥居に太い注連縄が目に入る。

神社の左側に高い階段があり手前に「高野山真言宗鏡智山普賢院」と彫られた石碑が建っている。階段を上がり山門をくぐると、平らな整備された境内がひらけ、正面の建物が本堂と庫裏であろうか、左に玄関、中程にガラス戸の中に障子が開けられ正面に本尊大日如来が祀られている様だ。ガラス戸の中から廊下手前に書額が見える。「大覚寺管長 大僧正密雄書」とあり、「八正道・・十悪人不行」とある。ひっそりと誰もいない様子だったので、隣の須我神社に伺う。



授与所に居られた方から、しばらく無住になっていることと直に後住さんが来られる予定らしいと伺った。もう一度普賢院境内に戻り、境内の石仏を参る。一番建物寄りのところに、大きな縦長の石に、梵字で五点阿字の下に「雲照大和上位」と彫られていた。後ろに回ると、「東京目白僧園開基 明治四十二年四月十三日示寂 現住北脇智寬代」とあった。右側に板に書かれた案内板があり、「雲照和上墓碑 雲照和上は弘化四年(一八四七年)から二十四年間、、当山住職としても務められ、江戸幕末明治維新の動乱時には政府へ、仏教革新の意見を上申し、八十歳の時には国内はもとより朝鮮満州にまで供養行脚なされるなど、更には皇族の方々からの帰依信望も得られ、八十三歳の生涯を通して戒律主義堅持に盡せられた、島根が生んだ名僧である。鏡智山普賢院」と書かれていた。



翌三日は、松江市内のゆかりの寺院を訪ねた。まず向かった先は松江市米子町の自性院。ここは律師が講伝のため何度か訪ねているお寺である。本堂はじめ諸堂をお詣りする。周りに墓地が間近に造られた町中の菩提寺という装いであったがとてもきれいに整備されている。本尊不動明王に手を合わせ、玄関に住職様をお訪ねする。講伝は今ではもう行われていないとのことであったが、雲照和上と書いた袈裟が一領あるとのことだった。探して下さったが見当たらず、また出てきた際に写真を送って下さるようお願いをし失礼する。



次に伺ったのは、律師が四度加行を行った尊照山千手院という松江藩の祈願寺である。松江市石橋町にあり、自性院からは車なら七分ほどの距離である。松江市街が展望できるお寺としても有名で、さすがに高台にあるため、駐車場からしばし坂道を上る。山側には地蔵や不動の石像が迎えてくれている。大きな枝垂れ桜が葉桜になった枝をのばし、それをくぐるように境内に出た。この桜は、樹齢二百五十年といわれ松江市の天然記念物に指定されている。



手前に納経所があり、その右隣に本堂があって、本尊千手観音像を祀る。その右隣に県内最大の平安仏・不動明王を祀る不動堂がある。玄関にお訪ねすると、名誉住職様がお出ましくださり、応接に通されお話を伺う。かつてはその不動堂の後ろに三人が加行できる加行道場があり、本堂と不動堂の間の廊下から後ろに回って道場に行けるようになっていて、本尊と供物壇のみの簡単な設えであったという。不動堂の右側に小倉寺という松江市西持田町小倉にあったお寺が廃寺となりこちらに建物が移築されていた。その前に「雲照大和上」と彫られた大きな石碑が祀られていたことについてお尋ねすると、以前は市内が見渡せる展望の良いところに置かれていたが崖崩れの後こちらに移設されたと教えてくださった。律師が逝去された後まもなくに祀られたということだった。また昭和天皇御幼少の頃川村伯爵邸にて律師が間近に息災のご祈祷をなされておられたとも伺った。立派なお寺のたたずまいはさすがに松江城築城にあたり、その鬼門に造られたお寺としての風格があった。お忙しい中律師の生涯についてご教示下さいました名誉住職様に感謝申し上げます。



そのあと自性院住職様にご紹介いただいた西浜佐陀町の満願寺に向かう。こちらは宍道湖を足下に見下ろす風光明媚なお寺で、椿の鉢植えが所狭しと置かれていて、誠に綺麗に寺内整備が行き届いている。住職様のご案内で、ロウケツ染めによりお寺の縁起を描いた見事な襖絵や本堂の向拝の椿の花を木彫りにした格天井、また本堂では、不動の頭も彫られた両頭愛染明王など珍しいものを沢山拝見させてくださった。境内の四国霊場のお砂踏み道場も参考になった。お忙しい中熱心に解説くださった住職様に御礼申し上げます。

そして、そのあと律師の袈裟が見つかったとご連絡をいただいたので、再度松江城下の自性院に伺う。住職様が応接間に通してくださり袈裟の写真を撮らせてくださった。袈裟を拝見すると、「雲照大和上 発願袈裟千衣之内」とあり、この一条隣に「裁縫人 横浦田鶴子 八百五十八号」とも記されていた。この袈裟は、『大和上伝』に千枚袈裟の発願という章に書かれているものであろう。



律師は明治二十八年九月に千枚袈裟の供養を発願されている。この袈裟はその一領に違いない。一枚の袈裟は、生地を供養する人、袈裟を縫って供養する人、袈裟を着て供養する人の三人の尊い仏縁が結ばれ、これが種子になり後世に芽が出て仏法の興隆になると、律師はお考えになられた。律師生前には六百枚ほどが成就したという。その後遺弟たちが継続して律師の志を完成したとあり、この袈裟は律師入滅後も継続されていた証として、とても貴重な袈裟であると言えよう。お忙しい合間に快く撮影を許可して下さった住職様に御礼申し上げます。

このほか律師ゆかりの寺としては、十八歳で住職された安木市大塚村下吉田の観音寺があり、また実兄宣明師の住職した寺で、何度も求聞持法を修法された仁多郡奥出雲町中村の岩屋寺もあるが、すでに廃寺となってかなりの年月が経っているためお訪ねしなかった。なお、岩屋寺については、登山アウトドア向け Web サービス・スマートフォンアプリを手がける会社の「YAMAP」というサイトに詳しく現在の様子を伝えてくれている。

https://yamap.com/activities/10612793/article

帰りは出雲道から松江道に入り、そのまま尾道道を通って世羅で下道におり、御調、府中、神辺へと無事帰還した。この度は、突然に押しかけたにもかかわらず、いろいろと便宜をはかってくださいましたお寺様方に改めて感謝申し上げます。また千手院様にはトラブルを迅速に解決下さいましたこと深く感謝し御礼申し上げます。合掌


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雲照律師再考 『釈雲照と戒律の近代』(法蔵館)を読む

2024年07月01日 20時38分06秒 | 仏教に関する様々なお話
 六大新報令和六年一月一日 新春増大号掲載
 雲照律師再考 『釈雲照と戒律の近代』(法蔵館)を読む




『釈雲照と戒律の近代』という本が法蔵館・日本仏教史研究叢書の一冊として刊行されている。二〇二二年八月二十五日初版で、恐らくその頃私は購入し書棚に置いたままになっていた。

だが、この度改めて取り出して精読することになったのは、昨年十月十日に九段のインド大使館で行われた中村元東方研究所の東方学術賞の授賞式に出席したことにある。

長年著書を拝読してきた中央大学国際情報学部保坂俊司教授が東方学術賞を受賞されるとのことで参上したのであったが、若手研究者を対象にした学術奨励賞にこの本の著者が選考されていたのである。

公益財団法人・中村元東方研究所は御存じの通り創始者中村元博士が原始仏教の研究で名高いこともあり、インド学や原始仏教に関する研究者が多く在籍されている研究所である。授賞式では、奨励賞受賞の審査報告が選考委員長からなされた。著作の意義が述べられ、内容について細かく紹介された。

つまりそれは真言宗の僧であった雲照律師(以下律師と表記)の活動と思想にかなり踏み込んで触れるものであって、この著作の価値もさることながら、それ以上に現代が律師を改めて必要とする時代であると再認識させられたのであった。

この本の著者亀山光明(みつひろ)氏は、実は真宗寺院の寺族である。大阪大学在学中に、東北大学准教授で日本宗教史、特に近代仏教を専門とするオリオン・クラウタウ博士から近代仏教に関する概説的テーマの講義を受け、当時抱えていた出自に関する煩悶から救われたという。

そして、クラウタウ氏より近代仏教の魅力と戒律研究の可能性を教えられ、真宗の寺族が近代真言僧の戒律を研究する矛盾を感じつつも、自己を捉え直す契機へつながるものとして研究を続けてきたと「あとがき」にある。

御存じの通り、近代仏教史をめぐる研究は「真宗中心史観」ともいわれるように、これまで時代の変化に率先して対応した真宗関係者中心の近代仏教史像がまかり通ってきた。

しかしその描き直しを提言する研究者も現れ始めており、著者もその一人として律師の特に戒律主義に関する再評価により、その時代の偏った研究の空白を埋めることで近代仏教の再編成を模索しているという。

二〇一八年より『近代仏教』『文芸研究』誌などに本書のもとになる論文を発表してこられた。なお現在は米国プリンストン大学宗教学部博士課程に在籍して研究を続けている。


それでは本書の内容を紹介しながら、律師の業績を再考したい。

まず序において、一八五〇年代からというので明治に時代が変わる十年ほどの間に、外国との交渉の必要に迫られ、「レリジョン」の対訳として様々な言葉が考案されたという。現在は「宗教」という言葉が普通に用いられるが、それに準じてそれまで仏道、仏法とされていた仏の教えも「仏教」と明治期以降集約されていく。

その過程で、本来儀礼的実践などの非言語的慣習行為である〈プラクティス〉に重点が置かれていたものが、教義などの言語化した信念体系〈ビリーフ〉中心へと展開していくのだという。

そうした時代背景の中にあって、律師は、プラクティス的な行為である戒律の実践を重視しつつ、独自の語りの戦略をもって時代に対処していかれたという。

その生活姿勢から滲み出る気迫、崇高なるその人格は既に当時各界から評価され、明治三十二年(一八九九)『太陽・別冊増刊』(博文館)に「明治十二傑」として、伊藤博文、渋沢栄一、福沢諭吉らとともに、宗教家としては唯一選出されるなどその名声は頂点に達する。

しかし、その一方で、下流を見捨て権門に取り入る仏教者であり、加持祈祷は迷信の詐術。戒律復興は社会の進歩から取り残された禁欲主義であり旧仏教の象徴と目された。さらには世間知らずの頑固で滑稽な人物と批判されることもあった。

さらには、戦後の仏教史学においては、皇室と仏教の連携を重視した律師の皇国仏教観は天皇制国家への従属的態度であり、戦争協力に繋がるものであったとして非難されたと記している。

第一章「戒律主義と国民道徳論」では、明治初期の肉食妻帯令など一連の僧侶身分解体期の護法活動について述べる。

当初律師は、建白書を政府に提出して僧尼令や官符の復活を画策するが果たせず、その後宗門内での僧風刷新へ邁進する。
後七日御修法再興を上奏した明治十五年に著述した『大日本国教論』において排耶論を説き、歴代皇室が長く崇信してこられた仏教を国民道徳の根拠として国教化すべきであると論じている。

排耶論では、「外教の宗は曰く天地万物は皆天主の所造に係り人智の能く知るべき所に非ずとし只管天主に一任して黙従する」と述べて、仏教こそ文明の宗教であり、因果論を説く仏教はその原因を論じないキリスト教に優るとしている。

第二章「戒律の近代」では、律師の初期の十善戒論について考察する。

江戸後期の慈雲尊者が「人となる道」として宣揚した十善について、律師は当初あまり言及することなく明治十年代に国粋主義的仏教者たちが十善に注目した頃から、十善を前面に出して論じるようになったとある。

『大日本国教論』の巻末に、「十善は一切衆生本性自然の戒修身治国の要」と述べて、明治十六年に「十善会」を発足。同年刊『密宗安心義章』において、仏教は心の本源を探る営みと解した上で、十善を自己の存在の根源と位置づけて、仏教の枠にとどまらない普遍性あるものであると強調したと書いている。

第三章「在家と十善戒」では、明治中期における律師の十善戒思想について考察している。

宗門の改革に見切りをつけ、律師は明治十九年東京に活動の場を移し、翌年戒律学校(後の目白僧園)を開設する一方、明治二十二年には在家者に向けて『十善戒法易行辨』を書き、道徳的生活の基礎とすべく十善戒を在家の勤行の中に定着させようとされた。

そして、品行を重んじる文明社会においては十悪を制する十善戒こそが、易行とされる念仏にも優る易行であるとせられ、また百歩歩く短時間の持戒の功徳を説くなど戒律実践論を展開したと述べている。

第四章「善悪を超えて」では、明治後期に展開された、近代を代表する知識人加藤弘之氏と仏教者との「仏教因果説」論争に触れる。

『哲学雑誌』第百号(明治二十八年)に、加藤氏が科学的世界観から「仏教にいわゆる善悪の因果応報は真理にあらず」と述べたことについて、他の仏教者たちは善悪因果は宗教の次元による真理であるなどと反応した。

しかし律師は、明治二十九年六月の『哲学雑誌』第百十二号に掲載された「仏教因果説」において、「世間学は未だ推理の源を尽さず、仏教の因果説は三世三際に亘りて能く推理の本末を説き尽せる」などと回答されたという。が、残念ながら加藤氏を十全に承服させるには至らなかったと著者は分析している。

第五章「正法と末法」では、正法という概念から律師の戒律論を展開している。

すでに末法の世にあり末法無戒といわれる中で、律師は正法興隆のための基点として戒律学校を設立。また甥興然師をスリランカに留学させ、後に他国の仏教徒たちとともにブッダガヤの聖地買収を計画した。

そうして、同じ末法の時を共有していながら正法を守る南方上座部の仏教国と交流する中で、南方仏教者の姿を理想と捉えていく。

そして、明治三十年刊の『末法開蒙記』にて、末世を生きる僧であっても、正法渇仰の心を生じ深く懴悔し上品の戒体を発得するとき、正法は時空を超えて姿を現すとせられたという。

しかし関連して、その前年に刊行された『軍事に関する観念』では、理想の正法王とは正法を護るためには戦争による流血も厭わない存在であると書き、日清戦争期において律師は他の仏教者同様に戦争肯定の立場であったとも指摘している。

第六章「旧仏教の逆襲」では、明治後期における新仏教徒を名乗る、主に真宗出身の青年仏教徒たちとの論争を取り上げる。

戒律復興に生涯をかける律師の運動は迷信の害毒を社会に流し、思想進歩の障害であるとして「旧仏教」とレッテルを貼られ、新仏教徒たちから排撃される。

それに対し律師は、明治三十五年『十善寶窟』「世の仏教曲解者に諭す」において、「時代の精神に合わせ道徳や教義を改めることは天魔破旬の行為であり、仏教の教体は時流の推移においても不変である」と述べた。そして、仏教の精髄である三毒の払除と三学双修の復活を仏教復興の要であると反論されたなどとその顛末を解説している。

第七章「越境する持戒僧たち」では、そうした国内での論争を経て、日露戦争後日本の保護下に置かれた韓国に、明治三十九年に巡錫する晩年の律師について考察する。

『六大新報』第百六十号「朝鮮に於ける雲照律師」にあるように、釜山近郊の通度寺での朝鮮僧たちとの交流により、朝鮮僧の中には持戒道心堅固な僧も存在すると認識を新たにする。

しかし、『韓国皇帝陛下に奉りし書』では、韓国仏教は大戒二百五十戒や受戒の法規、七衆別戒などを弁えておらず、これを「大乗の弊風」として日本仏教と共通する問題と捉え、国家による僧分の統制と国民信教が国家利益になるとして仏教国教化を上申したという。

第八章「近代日本における戒律と国民教育」では、最晩年における律師の「国民教育論」について述べている。

明治中期以降宗教の上位概念とされた皇道という言葉が教育勅語や学校教育に用いられていた。明治三十二年に「宗教教育禁止令」が出されると、律師は仏教を皇道の中に再配置することを構想して、神儒仏三道の道徳的倫理は本質的に同一であるとせられた。

そして、「中でもとりわけ十善は人々本具の真性であり皇道の心肝である」などと主張したという。国民教育論を展開した晩年の主著『国民教育之方針』(明治三十三年刊)は天覧に供され、貴衆両院全議員に配布された。

終章では、近代仏教研究における戒律復興の意義を振り返る。

真宗知識人たちによる新仏教運動などにおいても、近代に乗り遅れた仏教者という律師批判が行われた。悪行をなしても念仏によって往生間違いなしとする中世の迷信勢力が、善悪因果ひいては戒律実践という仏教の根本原理を破壊しているとする律師を、彼らが目の敵としたのは至極当然ともいえる。

しかし、英国に留学してマックス・ミューラーに学んだ南条文雄師は阿弥陀如来や浄土教が釈迦直説か否かを巡る難問を突き付けられ、「精神主義」を唱えた清沢満之(まんし)師の弟子暁烏敏(あけがらすはや)師も大正期に南アジアを訪れて現地の仏教に触れると自宗の伝統との関係に再考を迫られたと指摘している。

そうした中にあって、律師は本然の仏教である戒定慧の三学に則った僧侶の修学実践の場として目白僧園、那須僧園(那須野雲照寺)、連島(つらじま)僧園(倉敷寶島寺)を開設。在家者には「十善会」を再興し、「夫人正法会」を発足して、機関紙『十善寳窟(A5版約50頁月二回)』『法の母(月一回)』を発行して、十善を柱とする国民教化により社会秩序をもたらすことを念願した。

それは皇道と名を換えつつも戒律主義の精神が活かされる方策まで考慮が重ねられたものでもあった。戒律復興という旗を最後まで下ろさず、多年にわたり驚くほどの精力を傾け常に真剣に取り組まれた。

その目指すところは、あくまでも釈迦の正法の時代への原点回帰であり、それは理論を超えた経験的な新しい仏教の潮流を体現するものであった。

その意味において、律師の運動は近代において挫折したとみる向きもあるが、その試みは一つの日本仏教の近代を見事にあらわしており、無自覚に受け入れてきた仏教や宗教をめぐる理解の再考を迫るものといえると結んでいる。

以上、律師の八十三年の生涯の後半生について、著作の他に雑誌や評論、関係者の資料まで丁寧に調べ上げて律師の思想を体系的に分析した亀山氏の論考を紹介した。

律師が真摯に時代の変化に向き合い様々な相手と真剣に討論を繰り返す中で、苦心惨憺して論を練り上げていく姿を彷彿とさせる内容であった。いかに時代が変わっても本然のあるべき仏教をその時代に実現せんとなされた軌跡を丹念に記録した労作といえよう。

真宗の寺族である著者がここまで律師の思索を追跡して顕彰して下さったことに感謝もうし上げる。皆様も是非ご一読願いたい。律師の労苦の程が知られよう。

著者は最後に「戒律復興に身を捧げた令名高い近代の律僧は、自分を認めてくれないのではないかという不安の念はどうしても拭いきれない」と述懐している。

しかし、今となっては誰もがそうした思いの中にあるのではないか。それでも律師のような誤魔化しの一切ない正真の求道僧が近代という、つい百年ほど前にこの日本に存在したことに救われる思いがする。

国家社会に貢献せんと、世の中が西洋化して欲望が肯定されていく時代に、それでも仏教がいかに世間に不可欠なものかを論じ、仏教の社会的な地位、威厳のために長年にわたり精魂を傾けられた。

それは偏に自誓された生活姿勢を頑なに護り実践する営みにおいて得られた確信があり、それが律師の一生を支えるものとして不動の確固たるものであったということであろう。

律師遷化後、律師ほどに社会に無視できない存在感を示し得た僧があろうか。私どもも、本当はそうした頑固に脇目も振らずに主張できるだけの確信を得られる仏との対面を果たさねばならない。

ところで、ヴィパッサナーという初期仏教の瞑想法を心理療法や精神医学に利用せんとして、米国のマサチューセッツ大学メディカルセンターでは一九八〇年代から研究がなされてきた。近年やっと日本にもマインドフルネスという名でそれらが逆輸入された。

律師が甥興然師を留学させたスリランカから長老比丘が来日して、四十年ほど前から上座部の仏教を日本語で布教している。今日では日本テーラワーダ仏教協会として全国に布教所が開設され、法話会、瞑想会が定期的に開かれている。

二十年ほど前からはミャンマーやタイで比丘となり瞑想修行を積んだ日本人僧たちが帰国して法話し瞑想指導にあたっている。初期仏教に関する著作が書店で平積みされ、その多くが売れ筋ランキング上位に位置する。

当然のことながら、それらの仏教は律師が唱えた三学に基づく実践的体系を重んじている。それを多くの人々が理解し実践しようとしている。時代が律師を再評価し始めていると言えようか。



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明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約④

2024年06月09日 12時51分30秒 | 仏教に関する様々なお話
明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約④





第四章 証果
 求めるべき真理を明らかにし、そのために発心して戒定慧の修行により、ついに煩悩を断じて菩提を証得し涅槃に到る、これを証果という。三学に小乗大乗があるように、証果にも小乗の証果、大乗の証果の別がある。

 第一節 小乗の証果
 小乗の証果に、声聞と縁覚と仏果との別がある。

第一、声聞の果位 四向四果の別があり、この八位とは、預流向、預流果、一来向、一来果、不還向、不還果、阿羅漢向、阿羅漢果であり、初めの二位は見惑(我見をもととする身見、辺見、見取見、戒禁取見、邪見)を断ずる十六心のうち十五心までを断ずるのが預流向で、預流果は第十六心を断じ、見惑を断じ尽くし四諦の真理を証得して得られる。のちの六位は思惑を断じて得られる。
 欲界の思惑に九品があり、その六品までを断じて一来向があり、六品を既に断じたる位を一来果という。さらに欲界の九品までを断じて不還向があり、九品を断じて欲界に生ずべき因尽きた位を不還果という。色界の四禅定と無色界の四空定の八地にある微細の煩悩を断じつつ阿羅漢向があり、断じ尽して阿羅漢果となる。阿羅漢とは無生との意味であり、三界の生死輪廻を解脱して寿命を終えた後には再生することはない。阿羅漢となりてまだ寿命ある間はこれを有餘依涅槃といい、身あることによる苦果を受けるものとみる。一期の寿命尽きると無餘依涅槃といい、生死を絶して一切の苦楽から離れ煩悩により苦悩することがない。

 阿羅漢果を得たのちは、苦楽から離れ煩悩に纏われることがないがために自由自在となり五神通を発得するという。
五神通とは、一に天眼通は、自他一切の衆生の生死輪廻の様子を見るほか、世の中の明暗遠近を問わずすべてのものを見る能力。
二に天耳通は、一切六道世界の音、声を明瞭に覚知する能力。
三に他心通は、心寂静にして他者の思念するところを、姿を見る如くに知る能力。
四に宿命通は、自他の百千万回もの再生を繰り返す、それらの生存について知る能力。
五に身如意通は、心身自在に、遠近過去未来の欲するところに行く能力。
 以上四向四果を経て、有餘無餘の二涅槃を証することを声聞の極果という。

第二、縁覚果 声聞の果と大同小異であり、縁覚は、必ず宿命明(通)、天眼明(通)、漏尽明(通)の三明を具え、再び三界の煩悩を起こすことなく、勝れてこれらを悟ることを縁覚果とする。

第三、仏果 声聞縁覚にいう有餘無餘の二涅槃を証して寿命きたりて最極究竟とすることは同じではあるけれども、釈迦菩薩は、三祇百劫という果てしない修行を繰り返し、最後の生を得て悉く煩悩を断じ、一切衆生の性根に応じて説法済度し、八相成道したので大覚世尊という。

 第二節 大乗の証果

 第一、二転妙果 菩提の妙果と涅槃の妙果がある。菩提の妙果については既に述べた一切智、道種智、一切種智のことをいう。涅槃の妙果は、四種あり、一に自性清浄涅槃とは、本来具わる仏性のことで、一切の生きとし生けるもの、またこの世に存在するものすべてに有するもので、不増不減なるものなので自性清浄涅槃という。二に有餘依涅槃、三に無餘依涅槃であり、既に述べた。四に無住処涅槃とは、悟りの大いなる智慧あるので世間の煩悩にまみれず、大いなる慈悲の心から涅槃せず、一切衆生を利益救済するために衆生世界に縁に随い応じて現れて未来際を尽くして仏教の妙理を説くことをいう。

 第二、三徳 大いなる涅槃の証果の徳を述べるに三つあり、法身、般若、解脱の三つである。これら三徳をもって、生死に流転する衆生を見て、厭うことなく、同体との大悲心から種々の方便をもって世間に出でて教化救済する。

 第三、三身 涅槃の証果を仏身について言うに、法身仏、報身仏、応身仏の三身如来の妙果とする。我らが目にするのは応身仏の釈迦牟尼仏ではあるが、これら三身はもともと一体のものであり、本来色も像もない無辺無際の法界身であって、無明煩悩に隠されて知ることが出来ないでいる。それを解脱すれば、本来具わっている仏性が厳然と現れて、仏性即法身となり、法身を顕現すれば報身応身の二身が現れ、無碍自在にして一切衆生を救済するに到るとする。

 第四、四徳涅槃 三徳三身の各々に常・楽・我・浄の四徳が具わるとする。常とは、もともと具わる三身は端然常住なるもので三世を経て変わらないものという。楽とは、生死の苦を離れて涅槃寂滅の楽を証することをいう。我とは、仏は無自性の真理に達して応用自在なことを真我の徳という。浄とは、諸々の煩悩穢れを離れて端然清浄なること一辺の塵も無い鏡の如く浄らかなことをいう。

結言

数千巻の経律論に記す膨大なる仏教をここに数章の小冊子にまとめ、その大綱要領を示した。今般行われている諸宗の法門に小異があることと思われるが、本書に述べたことは仏教の大同であり、読者に仏教の大本の教えを知らしめんがためのものである。



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明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約③

2024年06月06日 20時18分09秒 | 仏教に関する様々なお話
明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約③





第三、正定

一世間禅、世間禅とは、四禅定、四空定などをいう。

十善戒を護り、坐して気息調和し、身心端静にして定に入りても、人の身心の相を見るので欲界定といい、そこからさらに進み、身の感覚を超えて虚空の如く安穏になるのを初禅の未至定という。

そして、欲界など下の境界を厭い、未だ寂静に到らぬので「麁」であり、精妙に苦悩を脱していないので「苦」であり、障礙を出離していないので「障」であると観じて、先に進み、上の境界を得ると、麁動なく寂静にあるので「静」であり、苦縛を脱して静妙なるが故に「妙」であり、迷いの世界に留まろうとする障りを離れ出ているので「離」であると観ずるのを六行観という。

これにより、欲界定から初禅に、さらに二禅、三禅、四禅へと到る。さらに四空定も六行観によって成就する。

二出世間禅、初めに四念処、次に三十七道品とする。出世間禅とは、三法印にある苦不浄、無常、無我の真理を観じて我見我愛などの煩悩を断ずることをいう。そのために四念処観を修す。念とは、観慧であり、処とは観察する所のことをいう。

一、身念処とは、身体について観察することであり、身体は種々の不浄より組成されたるものであり、その不浄を観念して自他の身体が美しく清らかな者であるという顛倒を破すること。

二、受念処とは、我が身が外界との接触により感受するものについて観察することであり、それらは純粋に楽といえるものはなく、一つとして苦でないものはないと観念し、迷いのこの世が楽との顛倒を破すること。

三、心念処とは、心について観察することであり、その働きが常に生滅を繰り返して常住でないことを観念して、同様に常との顛倒を破すること。

四、法念処とは、一切の法について観察することで、それらのものが因縁によって生じ滅するものであり、そこにそのものだけの存在を特定する自性はないと観念して、永遠不滅の我が存在するという顛倒を破すること。

小乗の機根の人は、四念処により四顛倒を観破するはよいとして、その四者に執着し実有との誤った見解をもつ。大乗機根の人は、不浄、苦、無我、無常を観じた上で、この四観に執着して実有なりとする顛倒も破して、八顛倒を破すのである。

三、三十七道品 今述べたる四念処の他に、四精勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道の七科の道品、総じて三十七あり。これらは戒、定、慧のそれぞれに属するものがあるが、みな定心に相応するものなので定聖行に入れ、大略を述べる。

一、四念処、既に述べた。

二、四精勤、一に既になした悪行を断じ、二に既になした善行を増進し、三に未だなしていない悪行をせず、四に未だなしていない善行をなすために、精勤する。

三、四如意足、意の如く目的を成就させる徳のこと。一に欲如意足とは、四念処などの法を修することを欲して善い果を望むこと、二に心如意足とは、修する対象に集中し、一心に正しく行ずること、三に進如意足とは、勤勉に精進修行すること、四に思惟如意足とは、修する対象についてよく思惟して心して試行すること。

四、五根、諸々の道品を行じる際に善根を生じるための力となるもの。一に信根とは、教えを信じ疑わないこと、二に進根とは、励み精進すること、三に念根とは、放逸せず妄想しないこと、四に定根とは、心落ち着き散乱せぬこと、五に慧根とは、観察し明らかに照見すること。

五、五力は五根に同じ。

六、七覚支、一に念、二に擇法、三に精進、四に善(喜の誤りか)、五に軽安、六に定、七に捨とする。修禅の際に精神沈昏するときは、念(心そこに留める)をもって、擇法(法を選択する)と精進(励み精進する)と喜(喜び満足して)の三つの覚支により観起し、心もし浮動するならば、軽安(心身の軽快なるを感じる)と定(心禅定に入り散乱させず)と捨(心かたよらず平静である)の三つの覚支を用いて静定ならしめる。

七、八正道

一に正見とは、苦・空、無常、無我などの十六行(次節に述べる)を修して四諦の真理を認識すること、
二に正思惟とは、四諦の真理を観じて煩悩のない心により思考が静まること、
三に正語とは、煩悩のない智慧により邪な言葉を既に離れ、言葉を発することからも離れていること、
四に正業とは、煩悩のない智慧により邪な行いを遠ざけ、何かしたいという衝動から離れていること、
五に正命とは、煩悩のない智慧により邪な生活を退けて、清浄なる行を継続すること、
六に正精進とは、煩悩のない智慧により精進して涅槃に向かうこと。
七に正念とは、煩悩のない智慧により如実に現象を観察すること。
八に正定とは、煩悩のない智慧により正しい心の統一を得ること。
  
以上三十七道品は、仏教修行の要道であり、安心立命の地を得んがためにはこれらの道品を修めなければならない。この他出世間禅に属するものとして、他に小乗、大乗、また密教にも種々あり、各自実地に研磨されることを願望する。

 第三節 慧聖行
 煩悩が残る不完全な智慧を有漏の慧といい、煩悩を断じて真実の真理を発見する智慧を無漏の慧という。

第一、有漏智 世間の有漏智に七段階あり、初めの三つは三賢位といい、後の四つを四善根位といい、総じて七賢位という。

初めに、三賢位について述べる。

一に五停心とは、数息、不浄、慈悲、因縁、念仏の五観を修し貪・瞋・痴・我見・散乱心を抑えて相応の慧を発する位をいう。

二に別相念処とは、四念処を修して、身は不浄なり、受は苦なり、心は無常なり、法は無我なりと四境を別々に観じて修得する智慧をいう。

三に総相念処とは、四念処において、身は不浄なりと観じたならば、受と心と法もまた不浄なりと観ずるように、四念処の全体が、ただちに不浄、苦、無常、無我であるとの共相を観ずることによって得られる観達自在の智慧を得たる位をいう。

次に、四善根とは、無漏の智慧が生じて四諦の真理を明瞭に見る段階である見道の直前の位であり、四諦において十六行相を観ずる。

苦諦について観想し、三界の苦は、苦悩なり、空なり、無常なり、無我なりと観念する。
集諦について観想し、苦果を招集する原因は、集なり、因なり、生なり、縁なりと観念する。
滅諦について観想し、滅は真に、寂滅なり、浄なり、妙なり、離なりと観念する。
道諦について観想し、三界出離の道は、真の道なり、如なり、行なり、出なりと観念する。

これを十六行相といい、これに麁細勝劣の差があり、煖位・頂位・忍位・世第一位の四位がある。

第二、無漏智 出世間の無漏の智にも、種々の階級があり、声聞と縁覚とに違いあり、同じ声聞乗の中にも種々の差異がある。我ありとの誤った見解による種々の見惑(無漏智を生じて四諦を明瞭に見ることで滅せられる煩悩のこと)を断じて四諦の真理を悟り、煩悩のない智慧を獲得する声聞の智に十六心の別がある。

四諦を四つそれぞれを観ずる智に忍と智がある。見惑を断じる智を忍、真理を証した智を単に智という。例えば苦諦を観じて楽との顛倒を破するのは苦法智忍といい、苦諦を観じて無漏の真理を証するのを苦法智という。集、滅、道もこれに準じて各々忍と智があり、欲界の四諦を観ずる智に八種あり、また色界無色界の四諦を観ずる智に同様に八種あり、併せて十六心となる。

初めの十五心を初果向(預流向)とし、第十六心を初果(預流果)とし、さらに第二向より第四果に到るまで、三界の微細なる煩悩を断じるために四諦の真理を重々思慮思惟して明瞭な智を得つつ進む。第四果にて三界最頂の煩悩を断じ尽くしたので尽智といい、阿羅漢は再び煩悩を生ずること無いので、その極智を無生智ともいう。

次に縁覚は、飛花落葉を見て悟る者なので、機根勝れその智は鋭利なので、教わることなく十二因縁を悟り、三界の煩悩を断じ尽くす。次章にて述べる聖者の四向四果という段階も分けることなく、一向一果を経て涅槃に到る。

小乗の菩薩は、声聞縁覚同様に三法印によって修行する者ではあるが、利他のために一切衆生を利益して声聞縁覚菩薩の弟子らを教化して悟らしめる化他の智慧広大無辺である。

大乗の菩薩は、四弘誓願を起こし四諦十二因縁の法門を修学し、衆生に結縁するために布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六波羅蜜を修して一切衆生を済度するが、その獲得する智慧に一切智、道種智、一切種智の三智がある。

一切智とは、声聞縁覚の二乗が断ずる煩悩を断尽して空諦を証する智慧。
道種智とは、一切衆生の煩悩の心病を知り、それを救う法薬を施し菩提に到らせる仮諦を証する智慧。
一切種智とは、生死と涅槃との二辺に迷う無明の微細な煩悩を断じて、生死即涅槃、煩悩即菩提、生仏不二の中道実相の真理を証する智慧にして、普く十界の一切の凡夫も聖者をも教化する。

定と慧は、もとより相離れざるものであり、慧を得ようとすれば定が必ずあらねばならず、定がなされれば自ずから慧が発せられる。戒定慧の三学は、本来不二にして、一心の三徳なるものである。

仏教の真理に随おうとする者は、必ず三学を修めねばならず、三学を明らかにするものは三蔵であり、経は定に該当し、仏陀が定に入り定の中に現れた法を説くものであり、律は戒に該当し、仏弟子らの非行を戒められ制定されたものであり、論は慧に該当し、仏弟子らが法門の深い教義を論じたるものである。これら戒定慧の三学は相互に関連し離れないものであり、経律論の三蔵も分離すべきものではない。



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明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約②

2024年06月02日 20時17分00秒 | 仏教に関する様々なお話
明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約②





第三章 修行
発心にとどまって修行することがなければ菩提を得られず、衆生を教化することもできない。我が仏教において、修行とは、戒定慧の三行であり、戒とは身口意の悪行を制止し善行を行ずることであり、定とは内心を寂静にして煩悩を制止することであり、慧とは顚倒せる邪見を捨て正見正智を得ることである。

  第一節 戒聖行 
我が仏教において戒を論ずるに種々の門があるが、それら一切の戒は皆十善をもって根本とする。身業を戒めるものに、不殺生、不偸盗、不邪淫。口業を戒めるものに、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌。意業を戒めるものに、不慳貪、不瞋恚、不邪見がある。されど、これら十業はその源は一心にゆきつくものであり、ただその業の顕れるところについて十善戒の名目が設けられているに過ぎない。一心が真理に順ずるものを善といい、背くことを悪という。また、十善戒に止善と行善とがあり、この二種の戒をまっとうするをもって十善戒を持する者という。

一、慈悲不殺生戒 不殺生とは、一切の生類を殺さないことを言う。殺意を生じて未だ殺生していない者も一分の不殺生戒を犯したことになり、逆に心に殺意無く誤り生類を害したる場合は不殺生戒を犯したことにはならない。が、後に生類を害した過去を顧みて懺悔の心がない場合は幾分かの不殺生戒を犯した者という。不殺生戒における止善は殺生しないことであるが、慈悲の心により生類の危難を救うなど放生を実践することを行善とする。

二、高行不偸盗戒 不偸盗とは、自己が所有するものでない一切の物を取らないことを言う。親子の物でも恣に用いるのは不偸盗戒を犯すことになる。富貴なる者が公益のために金品を施与するなど布施を施すことを行善とする。

三、浄潔不邪淫戒 不邪淫とは、心に邪淫の念をもってなされる一切の道ならぬ淫をいう。夫婦の間とはいえ、非時、非処、非道、非理、非量に淫するは邪淫とされる。邪淫は心を縛り、人を害すること甚だしく、これを恐れて戒めるべきである。夫婦貞潔に時に八斎戒を護り、梵行清潔に随順するなど清浄なる行いに勤めることを行善とする。

四、正直不妄語戒 不妄語とは、見聞覚知したことに違うことを言うことである。また荒唐無稽のことを言うことも含む。行善は誠実な心をもって、正直に真実語を話すことで、これにより他者を教え導き、尊信されることになる。

五、尊尚不綺語戒 綺語とは、軽口、戯言のことで、他の歓笑を取ろうとなされるものではあるが、人の心を迷わす無益無義の言葉である。仏道を修する者は心して悪なることを知り、この戒を護るべきである。言葉厳粛に、喜んで聖者賢人の言葉を談ずることなどが行善となる。

六、柔順不悪口戒 不悪口とは、他を罵倒せず、他者の心を逆なでせず、悪い心を起こさせず、相手に合わせて優しい言葉を用いること。相手の気持ちに添い柔らかい言葉で理に適った真実なる言葉を話すことが行善となる。

七、交友不両舌戒 両舌とは、離間語ともいい、両家両人の親交を破る言葉のことで、悪果をきたすこと疑いなく戒めるべきである。よく他者を和合させるような言葉を話し、両者の親交をはかることが行善となる。

八、知足不慳貪戒 不慳貪とは、少欲知足により贅沢にならず物惜しみもしないこと。貪らず、よく他に施しをして、また他者の施しを見て随喜することなどを行善とする。

九、忍辱不瞋恚戒 不瞋恚とは、怒りの心を起こさず、意に違う場面に遭遇しても自らを損なうものと捉えず、人が自己を誹謗したとしても、それも因縁のなせることと傍観する。もとより自他なきこととわきまえ、冷静であること。瞋恚の心を起こさなければ心常に悦ばしく、慈心あり。慈悲忍辱の行に随い、慈しみの無量なる心に住することを行善とする。

十、正智不邪見戒 不邪見とは、邪見をもたず、因果応報などの正しい道理に随うことをいう。因果応報を信じない者は善悪正邪を顚倒し、無常無我を覚らない者は利己私欲を逞しくする。よって邪見、迷説をもつ人を戒めるのである。因果応報三世十二因縁の道理を信ずるものは、よく諸法の無常無我を覚り、定慧を修して、仏道を成満すべきであり、これを行善とする。

これら十善戒の止善が成就すれば行善自ずから行われ、十悪除けば十善が自ずから行ぜられる。それぞれ十善戒に五思があり、不殺生戒について述べるに、一に離殺思、これは不殺生戒をたもつのに先立ち、殺生から離れることを誓うこと。二に勧導思、自己だけでなく一切衆生を勧導して、殺生から離れさせること。三に讃美思、自他の殺生を離れる善行を讃美すること。四に随喜思、他者の不殺生に随喜すること、五に廻向思、不殺生の功徳により、自他ともに無上の菩提に到らんと廻向すること。

真正の十善戒を持する者とは、必ず止善行善を行い、離殺・勧導・讃美・随喜・廻向の五思を具え、一切諸法無常無我の正しい知見に住し、さらに自他平等の心縁すなわち衆生縁・法縁・無縁の慈悲心をもって社会に利益をもたらし、普く三世に亘り一切衆生を救済する者をいう。

第二節 定聖行
定とは、梵語にて禅那といい、訳して思惟修、静慮という。心を一境に注ぎて、散乱せぬこと。三摩地、三昧ともいう。諸法の真理を発見討究しようとする者は、まず妄想を去り、雑念を止め、喜怒愛憎の情を除き、思念を静かにすることが肝要である。故に禅定が必要となる。

第一、禅定の方法 心と体は密接に関係するものであるので、心を静めるためにまず身体を調える。

一、身を調うる法 平らなところを選び、半跏座ないし結跏趺坐して、手を前に組み、背筋を真っ直ぐにして曲がらず聳えず、頭頸を正しくして伏せず仰がず、口から気を吐き吸い身中快活になれば、口を閉じ舌を上顎に触れさせ、軽く目を閉じ鼻より呼吸し気を和らげ、全身動揺せず静謐せしめる。

二、呼吸を調うる法 呼吸に、風、喘、気、息の四種あり。前の三種は呼吸の不調なるときのもので、呼気吸気出入りに音があるのを風といい、音が無くても出入りに滞りがあるのを喘、音も滞りも無いのに呼吸が細く静かにならないのを気という。呼気吸気が綿々と細く出入りがあるかなきかとなり、心自ずから悦びを感ずるのを息という。心を用いて息を整えようとしても心が定まらない、そういう時にはまず心を静かにし、身体を緩やかにし、全身の毛孔から気が出入りすると観想するとよい。

三、定に入る法 入定に二要あり。まず、坐して頭が垂れ睡魔に襲われ記憶も無い状態にあるときは、少し目を開き、鼻端を見て心集中し出入りの呼吸を一つ二つと数える、吸気がどこに入りどこに留まりどこに去るのかを観察する。出る呼気に分散なく、入る吸気に滞りなく心澄みゆけば心眼開かれ昏沈が去る。また、身心安穏ならず、妄想しきりに往来する時は、心を静め臍の起伏に意識を集中して、外に心が向かない様にして心の乱れを制する。念を強く用い過ぎて錯乱し胸に痛みを感じる様なときは想念をとく。心散漫となり、身体くつろぎ涎がよく出る様なときは、身体に意識を向けてその感覚に心を集中するとよい。心の浮き沈み、緩急に気をつけて適した法により、心安静となり散逸せず、凝り固まらず定に入る。

四、定に住する法 身は背筋真っ直ぐにして安静にし、息は綿々と細くして、息あるが如くなきが如くになし、心は浮き沈みなく適度に意識をたもつならば、この三者適度に調い、平正を得ること度々となる。これを定に住するという。

五、定を出るの法 まず心の念を解き、口を開いて気を放ち、少し肩肘手頭頸を動かし、両足を下ろして、手で身体をさすり両手を擦り、両眼をおおい、それから目を開けて、起立歩行すべし。

第二、助観 身・息・心を調えて定に入るのは方便であり、目的ではない。これから述べる助観、並びに正定があり、助観はまた正定の方便となる。助観とは、五停心のことであり、一に数息観、二に不浄観、三に慈悲観、四に因縁観、五に念仏観である。

一、数息観 心散乱するとき、心を統一せしめるために数息観を修すべし。出息時、または入息時の数を取ってもよいし、出入りの中でもよく、数えやすい所で数を取り、一つ二つ三つと十まで数え、また一つに還り、繰り返す。

二、不浄観 淫欲の心が起こることあれば、不浄観を修すべし。貪欲に大別して、外貪欲、内外貪欲、偏一切処貪欲の三つあり。他の男女の容貌を想像して貪欲止むことがない状態を外貪欲といい、その場合には、人体の不浄を観想するとよい。死後身体が膨張し、膿血流出し、筋肉は腐乱変色し、蛆虫が発生、鳥獣争い肉を食らい、形骸分離して白骨のみとなり、また火に遭い灰になると観想する。また、他の男女もしくは自己の容貌を想像し種々の煩悩を起こすのを内外貪欲といい、この場合は自己の身体の不浄を観想する。自他の容貌に愛著してさらに衣食、家財などにも貪欲を起こすのを偏一切処貪欲といい、この場合には、飲食に屎尿の想をなし、貨財に毒蛇の想をなすなどして世間の物みな不浄にして、貪心を生ずべきものではないと念ずる。

三、慈悲観 瞋恚の念起こるときは、慈悲観を修すべし。瞋恚に、非理の瞋、順理の瞋、諍論の瞋の三種あり。非理の瞋とは、憤る理由なくして怒ることで、これを治すには、衆生縁の慈悲を修すとよく、人と人との繋がり、世間の相助け相頼む関係を思い、愛念を生じて瞋恚を断つ。順理の瞋とは、人の苦悩する境遇に憤り、他の非道なるを見て怒るなど憤怒する理由ある瞋恚のことで、これを治すには、法縁の慈悲を修して、みな一体一味との観をもって衆生個々の姿を見ないことによって瞋恚を断つ。諍論の瞋とは、自己の考えを正しいと思い、相手の考えを間違いだと決めつけて、他者の考えの違いに憤怒することをいうが、これを治すには、無縁の慈悲を修して、自他平等にして差別無しとの観念により、諍いもとよりなしと達観すべし。

四、因縁観 愚痴蒙昧に陥るときは因縁観を修すべし。愚痴に、計断常の愚痴、計有無の愚痴、計世性の愚痴の三種あり。計断常の痴とは、この世と自我は不滅であるとか(常見)、死後断滅するなどの誤った見解(断見)を持つことで、この場合には三世の十二因縁を観念し、因果は相続して不断であり、自性は空であるので不変ではないと観じてこの邪見を断つ。計有無の痴とは、すべての存在が有るとか無いとかと頻繁に思い錯綜することであり、この場合は一期の十二因縁を観念して、有無の誤った見解を離れる。計世性の痴とは、微塵は存在するので実体があるとして四大、衆生世界も実性ありとする誤った見解を持つことで、この時には一念にある十二因縁を観念して、微塵なるものにも因縁による生滅ありと悟りこの邪見を破すべし。

五、念仏観 坐禅するとき種々の障害が起こるときには、念仏観を修するべし。障害に、沈昏暗蔽障、悪念思惟障、境界逼迫障の三種あり。沈昏暗蔽障とは、精神沈昏して判別できない状態をいい、これを治すには、仏の三十二相中、白毫相など一相を取り、深く観ずべし。悪念思惟障とは、十悪や五逆(父を殺す、母を殺す、阿羅漢を殺す、仏身を害して出血させる、教団の和合を破壊する)の悪念を起こして禅定を妨げることをいい、これを治すのに、仏の一切種智などの功徳を念ずるとよい。境界逼迫障とは、定を修するとき、苦悩逼迫して身体に苦痛を感じ奇怪なる相を見るなどをいう、この場合には、法身仏を観想することで、不生不滅、非有非空の法身なれば、境界なく、逼迫する者もなくなり、この障害が除かれる。

以上、助観にて心の散乱を防ぎ、淫欲を制し、瞋恚を伏し、愚痴を排し、種々の障害が除かれたので、これらに妨げられることなく、真理を観察考究することができよう。助観が修し終えたら、次に正定を修し禅定を完成させるべきである。



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明治の傑僧・釋雲照律師の『佛教大意』 要約①

2024年05月30日 19時52分10秒 | 仏教に関する様々なお話
『佛教大意』 要約  釋雲照著 明治二十二年九月 哲学書院発行 四六判一五八頁




まずこの著作の動機について記す。各宗の著書は皆専門用語多く判読しがたく、また仏教の一部一班に過ぎない。そこで通俗平易の言句にてその綱領大体を示す。目指すべきは小乗の三法印、大乗で言えば実相印となり、発心修行して、涅槃寂静に到るのを大意とする。そこで、第一真理、第二発心、第三修行、第四証果と章立てして、仏道としての仏教を概説する。

第一章 真理
 第一節 三法印
三法印とは仏教の標示であり、ここでは小乗の人が無上の真理とするものである。三法印とは、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三つであり、小乗に六宗二十部あれどもいずれも三法印を離れたものはない。

諸行無常について、行とは遷流の意であり、一切の現象が遷流転変して留まらないことを諸行無常という。森羅万象も、我が一念も、生住異滅の四相ありて須臾も留まらず。無常の真理疑うことなく、我が仏教は実にこの真理を認めて悟道の本源とする。

次に諸法無我について、法とは軌持の意であり、原因結果の軌則によって生滅する万物に、常一主宰たる我は存在しないことを諸法無我という。この無我を説かないものは真正の仏教にあらず。人も霊魂なるものあって過去から現在未来に逝くのではなく、過去世の業因と現世の業因により死後未来世を受けるのであって、その一生の心身も生滅を瞬時に相続していくが、それも過去の業と因縁によって生じるのでありそこに我はなく、それを無我の真理という。

大智度論に説く、生死流転する一切の衆生は、ただ因果あるのみであり、三界六道に流転するのも因果なければ存在せず。別に実体があって相続するのではなく、因果の連鎖あるのみであり、業と因縁により五蘊が仮に和合して、みな異なる生を受け迷悟あり、貴賤尊卑あり、好醜男女あり、苦楽あるのである。

最後に涅槃寂静とは、涅槃は梵語で滅度の意であり、三界六道の流転を離れて生死の苦界を離れて寂静安楽になることを意味する。寂静なる涅槃に二種あり、証果を得た後に生存し心身あるが故に過去の業力によって感受する身体を余しているのを有餘依涅槃といい、寿命終えてすべての三界の果報を解脱したので無有餘依涅槃という。これは声聞縁覚菩薩の極果であり、一切凡夫外道の知ることの出来ない境界である。
 
 第二節 実相印 
大乗においては、諸法は実相なりと説くのが究極の玄理である。その大略を第一実相の義理、第二有空平等大小乗不二の理、第三実相の解瑜、をもって述べる。

第一、実相の義理 小乗の真理である三法印は因縁因果の理であり、それはもとより自性なきものなので空とも言い替えることができる。されど、そこには色もなく香もなく生滅去来を離れて一切の作用なきものであるのでこれを但空という。大乗においては、諸法は空と雖も諸法の真相実体を尽くせるものではなく、空も有も二者平等にして二相あらず、これを実相という。

第二、有空平等大小乗不二の理 大乗小乗の不同、三法印実相印の区別は知見の浅深を表すのみであり、大小二乗に二趣あるわけでは無く、小乗に説く但空は諸法の実相を尽くすものではないが、中道絶対の妙体である虚空においては大小一体同一実相と知るべきである。

第三、実相の解瑜 諸法実相の妙理は仏教の至極の説であり、言葉で説き尽くすことはできないが、読者が進んで研究せられることを希望する。宇宙一切の現象は自心の実相であり、諸法の実相は、取著すべきものがないので空といい 縁に応じて顕現するので仮といい、諸法はこの空と仮の二相を具するので中というが、この三諦を示して読者の考察の便とする。

第二章 発心 
第一章にて真理を探究した。この真理を体し、その真理の境界に自ら到ることを欲して、且つ一切衆生にも同様に仏果を得させようとすることを発心という。ないし発菩提心という。菩提とは一実相の真理を悟り得た智慧をいう。

 第一節 世間心 
地獄道の発心から天道の発心九種の発心を説く。これらの発心は我執名利の心を離れておらず、たとえ仏道に入り修行しても、我見すら断ずることができない。されど、全く発心無きことに比すれば勝れたところあると言えようが、仏者はこれらの発心を捨て、真正なる発心を選ぶべきである。

 第二節 出世間心
第一、二乗の発菩提心 二乗とは声聞乗と縁覚乗であり、声聞の発菩提心とは、四諦の真理を観じて発心修行することである。縁覚の発菩提心とは、生滅無常の理、ことに十二因縁を観じて生死の解脱、煩悩の断滅する所以を覚り、発心修行することである。されど、この二乗の人は、三法印を証得せんがために発心する者であり、みだりに生死を厭い、涅槃を悦ぶが為に自らの解脱安楽を求めるのみで一切衆生を利益することなく、究竟無上の発心とは言えない。

第二、菩薩の発菩提心 菩薩に小乗菩薩と大乗菩薩があり、小乗菩薩の発心は、四諦の真理を証して足れりとせずに慈悲憐愍の心から、四諦を縁とする四弘誓願(衆生無辺誓願度・煩悩無辺誓願断・法門無辺誓願学・無上菩提誓願成)を起こし一切衆生に四諦の真理に安住させんとするが自らの涅槃を期として入滅のあとは教化することが無い。これに比して、大乗菩薩の発心は、諸法実相の真理を観じて自心と仏と衆生と三無差別なることを観じ、上に菩提を求め下は衆生を教化せんと、大悲心から未来永劫四弘誓願止むことがない。
  
 第三節 大悲心
大悲心に三種あり、一に衆生縁の慈悲、二に法縁の慈悲、三に無縁の慈悲。

第一、衆生縁の慈悲 我ら人類相助け相支え合う関係にあり広くあらゆる所作が世界に影響する。さらに三世因果にて再生することを信ずれば一切の男女過去世における我が父母なり。この故に深く恩愛の心を起こし慈悲憐愍により四弘誓願を起こすのを衆生縁の慈悲という。

第二、法縁の慈悲 我が身は、地水火風の四大、色受想行識の五蘊、六十有余の元素により組成されたるのであるから、天地万物、、一切衆生と同一体である。このように思惟して同体との観点から大悲心を起こすのを法縁の慈悲という。

第三、無縁の慈悲 心、仏、衆生の体性相用は本来平等無差別であり、自心の外に衆生なく、衆生の外に諸仏なしと自他平等の真理に達したならば、自他の差別が無くなり、大悲の心が自然と起こる。これを無縁の慈悲という。

衆生縁と法縁の慈悲は大小乗に通じて発起するが、無縁の慈悲は真如実相の理を体観する大乗の菩薩のみ発起する。

 第四節 三界皆苦の論
最勝の発心を起こすべきであると述べても、その道理は極めて深妙であるので、さらに三界六道の相はみな苦である所以を示して、真実に起こすべき発心が世間の発心ではなく菩薩の発心であることを明示する。我が仏教において、世界の苦相を大別して、苦と不浄と無常と無我の四相とする。

第一、苦 苦に三苦と八苦とがある。まず三苦とは、苦苦と壊苦と行苦なり。苦苦とは、三界の衆生に皆無常の苦あり、寒暑、飢渇、貧病の苦にして、苦中の苦であるから苦苦という。壊苦とは、快楽が尽きたときに感じる苦悩を壊苦という。行苦とは、この身体も世界のものも常住ではなく、すべて移り変わって安心できる時のない無常により起こる苦のことであり、これを行苦という。

八苦とは、生老病死と愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五盛陰苦の八つなり。生苦とは、母胎に託生してから出生する間の苦。老苦とは、生有るもの必ず老す、心身弱り、耳目昏昧、下肢自在ならず、これらの苦なり。病苦とは、生ある以上かならず多少長短の疾病を逃れざる苦。死苦とは、死とは決して快楽にならず、苦である。愛別離苦とは、親愛なる父兄、妻子、朋友と共に常に住することは叶わず、いずれ離別に到る苦をいう。怨憎会苦とは、好まざる者と事を共にし、怨憎する者と共に住ぜざるを得ない苦をいう。求不得苦とは、求めて得られない苦しみのことで、誰にでもあり、この苦を逃れられる者はいない。五盛陰苦とは、心身に常に纏われる苦痛のことで、身の危険、地位や生活上の不安など常に安心できない苦をいう。人はかくして常に苦痛を知覚しつつある存在であると言えよう。

第二、不浄 不浄に生処、種子、相、性、究竟の五種あり。生処不浄とは、人の出生する母胎産道の不浄のこと。種子不浄とは、結生せる父母の精気のこと。相不浄とは、人の身体に合成する髪爪歯皮膚血内臓など三十六の不浄物のこと。性不浄とは、不浄なるところ、不浄なる種子、不浄の相を具える者にしてもとよりその性不浄なること。究竟不浄とは、現世の業報尽き、死して埋葬されるや皮肉腐乱し、悪臭出て骨朽ちることをいう。以上我が身体は不浄不潔なり。

第三、無常 第四、無我 前章に述べた様に、この世において快楽を求め、利益安楽を求めても、無常無我なるが故に、ついには苦痛を受ける。我が身体は四方に苦痛の逼迫を受けつつある存在にすぎない。故に、三界皆苦なることを悟り、自心に菩提涅槃の常楽を求め、衆生の恩に報いるにその苦を抜くことを誓願して菩提心を起こす、これを上求菩提、下化衆生という。これは大乗菩薩の発菩提心であり、この二利の善行を成満すべきである。



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明治の傑僧・釋雲照律師の『十善戒略解総論』要旨

2024年05月27日 11時34分18秒 | 仏教に関する様々なお話
十善戒略解総論 要旨 明治十九年一月 釋雲照著述 長木栄治郎出版



十善戒法は、一切世間出世間の善法の本源であり、積善の家に餘慶ありと言われるように、吉凶殃慶一つとして因なくして果はない。いまこの身が壮健で長寿であるのは前世で不殺生戒を護った餘慶であり、衣食住俸禄あって安楽なのは不偸盗戒の餘慶であり、男女仲良く子孫あり家門繁栄するのは不邪淫戒の餘慶である。

教養や慣習が家に備わるのは不妄語戒の餘慶、穏やかに控えめな徳により周りに重んぜられるは不綺語戒の餘慶、家族仲良く老いて子孫に孝心あるのは不悪口戒の餘慶、家族親族近隣と仲睦まじきは不両舌戒の餘慶である。家に財あり山海の実りあり融通するは不貪欲戒の餘慶、身体健全で顔端正にして周りから侮られず慕われるのは不瞋恚戒の餘慶、神々の守護あり心に憂いなきは不邪見戒の餘慶である。

逆に、殺生する者は、寿命短く、恐怖多く、恨まれ仇多く、死後悪趣(地獄・餓鬼・畜生の世界)に逝く、人に生まれても短命多病となる。偸盗する者は、財産を失い、法により裁かれ、心に常に恐怖あり、死後悪趣に逝く、人に生まれても他に使役され貧しく衣食に困窮する。邪淫する者は、家に和みなく、法に裁かれ、自分を欺き人を畏れる、死後悪趣に逝く、人に生まれても意に随う伴侶は得られず、針の筵に置かれる。

妄語、綺語、悪口、両舌する者は、怨み憎まれること多く、自分を欺き信用なく、しばしば禍に遭い、死後悪趣に生まれる、人に生まれても言葉不自由となる。このように一度なされた善悪の行いは、その業消えることなく、その報い必ずあることを知り、一切の苦楽はみな自分の心から生じるものであるので、善人君子の楽しむべきなのはこの応報の原理なのである。

このような善き戒が身にあるときは、自ずから悪事が遠ざかることは、人に元気が充満しているときには病いに侵されないようなものである。不殺生戒が身にあるときは、たとえ怨みもち生き物を殺害する悪賊や毒虫に遇っても、慈悲心をもってこれに対峙するので自然に遠ざかっていく。不偸盗戒が身にあるときは、金銀財宝を前にしても不要な欲を起こすことなく、放火や盗賊、暴漢が自然に遠ざかっていく。不邪淫戒が身にあるときは、余所の男女に愛着を生ずることなく、隙をうかがったり示しあわせるなどの毒害は寄りつかない。

不妄語戒が身にあるときは、欺いたり心乱れ偽証したり贋の書類を作ったりという悪心は寄りつかない。不綺語戒が身にあるときは、言葉飾ることなく、軽口を言ったり、戯れを言うような迷い患いが寄りつかない。不悪口戒が身にあるときは、言葉柔らかに、罵詈雑言を吐くような悪心が寄りつかない。不両舌戒が身にあるときは、言葉に誠実さが表れ、他者と仲違いをしたり関係を悪くしたり他者を悪く言ったりお世辞を言ったりという悪心が遠ざかる。

不貪欲戒が身にあるときは、足ることを知るがために、欲張り貪り他の盛んなるを羨んだり名利を求めるような悪心が寄りつかない。不瞋恚戒が身にあるときは、身が慈悲そのものとなるので、眉をひそめたり眉間に皺を作ることもなく、憂い悩み嫉妬を起こす悪心が遠ざかる。不邪見戒が身にあるときは、人を見ても自然を見ても因果応報の姿を知るので、邪なものに心惑うことなく、聖なる者を軽蔑し賢者をそしり神を侮り仏菩薩を誹謗するような悪心は決して起こらない。

ときに、この世で戒に則った生活は難しいことであって、通常の人のなせることではないと言う人がある。これに答えるに、例えば殺生をしようとするには、自分の手足を使って、道具を揃え相手の隙をうかがい策を施さねばならず、難義を窮めることであり、不殺生戒を護ることの方がよっぽどなしやすいことであり、実は十悪こそなしがたいものなのである。

また、現世の苦楽は既に前世の善悪業によって決まっているのに、この世で善をなしても利益無しと言う者があるとか。これに答えるに、前世の善悪業に二種、決定業と不定業とがある。善悪の業に強弱重軽があり、その強く重い業はその報いを受ける時には、苦楽の軽重長短が厳然と決定されているとされる。これに対し、不定業はそれが未だ定まらない業のことで、この世で善を行うときには善き縁を催して前世の善業により善き結果をもたらす。また悪をなせるときには、悪縁が増上して前世の悪業が悪い結果をもたらす。これは前世までに蓄えた善悪業が弱く現世の善悪の助縁に引かれてもたらされるものなので、悪をなさず善を行う事によって、悪縁を避け善縁を常に生じ善業が報い結果するように生きるべきなのである。

また、仏法は世間の実情に合わず奇怪で役に立たない荒唐無稽のものだと言う人あり。これに答えるに、きれいな鏡がその姿をそのままに映し出すように、この善悪業をもたらす善悪の行為も一度なすならば、その行いと心のなした軽重によって、必ずこの世でか、来世ないし未来世にてその報いを受けるものであって、僅かでも道徳心ある者は、この因果応報の理を常に忘れることなく、重んじるべきである。誰もが、眼前の小利に惑うことなく、十善戒を守護して善なる大利益に浴すべきである。

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