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住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

『国家と宗教』を読んで-大乗仏教とは何か

2012年04月25日 19時35分04秒 | 仏教書探訪
大乗仏教とは、仏滅一〇〇年目にあった根本分裂によって、上座部という伝統派の比丘と大衆部といわれる改革派の比丘との分裂をきっかけに、その大衆部の比丘たちから徐々に教えが開かれたものになり、大衆化して世俗化した教えであると過去に習った記憶がある。それからもう一つの説が仏伝文学からの流れが部派仏教を越える思想に発展したとする。

そしてその後第三の説として、平川彰先生によって唱えられたのが、仏塔を護持し供養する在家の信者たちによって教えが語られ記録されて大乗仏教のもとをなしたとの説も学ぶに及んだ。しかしそれらはいずれも大乗仏教を仏教の側からごく一面を捉えて説を立てたものに過ぎないのだろうと思うに至った。

保坂俊司中央大学教授の著された『国家と宗教』(光文社新書)を読んでそのことを痛感した。先生は比較宗教学がご専門で、イスラム資料を渉猟されて何故インドから仏教が亡くなったのかを論証された先生である。そしてこの書では、なぜ大乗仏教がかくあるのかを西域からインドに侵攻して国家をなし仏教を国の統治理念として採用したクシャーン朝などの仏教との関わりを詳細に検討することで明らかにされている。

まず仏教をインド全国へ宣布するアショーカ王について検討される。アショーカ王のマウリア王朝のもとをなすマガダ国自体が実はバラモン教の原理を否定する地域であり正統バラモンからは蔑視される存在であったという。アショーカ王も血統と階級を重視するバラモン教の視点からは異質な存在であったのである。だからこそ彼は平等と憐れみを説く仏教を必要としたのであるという。

そしてだからこそ仏教をインド世界で大きな社会的勢力に育て上げることが不可欠であった。すべての人の平等を説く仏教は一地域の教えに過ぎなかったが、他宗教に対して寛容な教えを政治的に利用することで、つまり仏教を政治思想として読み取ることによって、自己中心的な発想を超え地域主義、血統主義など差別的な思想、認識を越えて国家の中枢の教えたるものとして採用されたのであるという。王柱を立て、また岩などに法勅を刻んだその手法もインド的ではなく当時の先進国ペルシャの影響によるものだと先生は言われる。

このことはギリシャからの征服者においても同様であって、彼らが仏教に帰依したのは単に教えが素晴らしいということのみならず、インド社会にとっての異民族はすべてであり最下位のカーストに属することになるのであるから、宗教的救いにおいて行いにより覚りありという点で誰をも差別しない仏教に帰依するほかなかったのであり、その仏教がバラモン教に増してその思想性や豊かな文明を持つものである必要があったのである。そうして大乗仏教は発展を遂げるに至る。

外来の民族がインドに定着するために、彼らは仏教に普遍性を求め、その非インド系信者とその思想によって変化していったのであり、だからこそ大乗仏教はバラモン教から見て辺境の北西インドで隆盛するに至る。特にペルシャの文化とその文明がそこには大きく影響するとしている。般若経典の膨大な量は、対するバラモン教のヴェーダ聖典に匹敵する典籍を求められたことが考えられるし、儀式儀礼もインド古来の祭祀に対抗する大がかりな作法を求められたであろう。また、沢山の諸仏諸菩薩もインドの神々のバリエーションにあわせたものとして生み出されていったと想像されるのである。

西暦紀元前二世紀に国を興し、紀元後一世紀にインドに至る中央アジアに広がる大帝国となるクシャーン朝は、交易国家であったがために北西インドの交通の便の良さに注目しインドのマトゥラーに宮殿を建設する。はじめは多様な信仰を保持したが、後に仏教の熱心な擁護者となり、仏像を造り、貨幣にまで仏像を刻み、経典を文字化して崇拝対象とした。そして国境を接して政治経済的結びつきの深いゾロアスター教などの多くの宗教との融合と、そうした新しい社会の出現によって仏教は大きく変革されるに至るのである。大乗仏教の菩薩の出現もゾロアスター教のサオシャントという人々を利益する者、救世主がその起源と考えられると、岡田明憲氏の研究を引用されている。

そして、大乗仏教を代表する思想である「空の思想」こそがこの新しい社会にとって不可欠な思想として成長したのだといわれる。異質なるものの共存、多元的なあり方を認めつつ全体として緩やかな統一を形成する思想や方法論としてこの空の思想があった。いかなるものにも実体はないとするその理論が、自己を絶対化せず他の存在を認めるがゆえに、多種多様な思想の融合原理として有効だったのである。この思想を政治理念として、あらゆる対立の根拠を超越して、多民族多宗教などの共存社会建設が可能となったと先生は分析されている。さらに仏教は経済・文化・芸術・医学・薬学・建築・土木工学に至るあらゆる文明を形成する諸要素を含み、各々の分野において指導原理となりうるものなのである。つまり大乗仏教とは単なる宗教哲学倫理を遙かに超えた一つの文明と位置づけられるものと考えられよう。

そして今、二一世紀に展開する宗教、ならびに文明の対立は大きな世界の不安材料となっているが、先生は今こそこの大乗仏教の空の思想によって、その宥和を図るべく日本人がそれを説き、世界に平和をもたらすべきであると提唱されている。なぜならば、日本こそ、仏教によって古来国造りがなされ、天皇を頂点として千年に亘り世界的にもまれに見る仏教外護者が政治の中心に常に存在し、国民一人ひとりに仏教がしみこんでいるはずだと思われるからである。

私たちは今一度自らと仏教の絆を見直してみる必要がある。仏教は単に儀式儀礼のものではない。保坂先生が唱えるように大きく国のあり方を決める政治思想として、また世界経済の動向を左右する経済思想たり得る思想体系なのである。是非本書、保坂俊司先生の『国家と宗教』のご一読をお勧めしたい。

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コメント (2)
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