住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

死ねば仏とは

2022年09月28日 20時18分51秒 | 仏教に関する様々なお話
死ねば仏とは




いつの頃からか日本では死すと仏、仏様と呼ばれる。私にはそれが不本意で、そんなことを言うから日本仏教は衰退したと。死んだら仏なら教えも修行も不要ではないかと考えたからでもあり、そんなものならそもそもお釈迦様も各宗の祖師方も死に物狂いで、死を覚悟して迄の修行の必要もないものになると。そんな簡単なものではないと考えたのであった。

しかし、数日前、朝の御勤めの際に、ひらめいた。煩悩に覆い隠された故人が死んで仏だけが残ったのだと。死ねば故人の生前の人格の心は遺体から去り、命のない身体だけが残ることになる。お釈迦様が発見された無常の真理そのもののみが残される。森羅万象すべてのものがありのままの世界のその摂理、真理の中にあるそのものと化す。

生前あった煩悩はその身体にはない、だから、仏と言いうる。そういうことではないか。五尺の糞袋と言われた煩悩だらけの人間は去り、残されたのは真理そのもの、それを仏と言ったのではないか。誰もがその時、煩悩が抜けきり、安らかな顔になり、やさしい顔になられて仏そのままの顔となる。苦しそうにしていた人も、寂しそうな人も、苦々しい顔をされていた人も、みんなその時安らぎの中にある。そう見える。

四大とか、五大とか言われる身体は、地水火風ないし地水火風空といわれ、それぞれの要素を一つにして生きていた。地水火風空と言えば、それは真言宗的には、五輪塔であり、大日如来そのものと考る。やはりそれは仏様に外ならないことになる。しかしそこに煩悩にまとわれているが故にその仏の自分に気づけず、凡人と思って、凡人そのものの一生を私たちは過ごしてしまっている。

身体と心が一つに存在している時に、心の煩悩を吹き消してしまうことを覚りとか解脱と言い、身体だけを残して来世に旅立つことなく、心も消滅する。しかし覚れなかった凡夫衆生は当然のことながら生への未練から過去世から現世に貯め込んだ業のままに来世に再生すると考えられている。

真言宗でいう、即身成仏とは、身と口と心のはたらきを仏のごとく調え、自身が仏と何ら換わりなきことを体感し、自覚し信念として感じられるようになることであろう。そこには、すでに真理の中に生き真理に生かされていることを深く認識されていることは言うまでもないであろう。

故人を悼みなされる仏事全般は、仏たるご遺体ではなく、来世に赴きたる煩悩具足の心に向けてなされるわけだから、中有にあってはこの三次元の空間におられる故人の心に、満中陰後は来世に転生せる先に向けて功徳は廻向されると考えるのが本来であると考える。

いずれにせよ、死ねば仏と言われるのは残されたそのご遺体に対して言われることであり、生前のその人が死んだからその瞬間に成仏したという意味ではないとわきまえる必要があるのだと思う。




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心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか

2022年09月24日 11時24分12秒 | 仏教に関する様々なお話
心を浄めるとはーこれからの時代をいかに生きるか



神辺國分寺の横山でございます。秋の彼岸法会、沢山のお参りご苦労様でございます。今年も災害が続き、先頃も強い台風により全国多くの地域で被災したばかりであるのに、この備後地域は守られているのか、このように法会ができるというのは、誠に有り難いことだと思います。

私がこちらに上がらせていただくのも三回目となりました。今日は、心を浄めるとはと題して、これからの時代をいかに生きるかをテーマにお話させていただきます。

御開帳について

ところで、まず初めに、今年は皆さまにとって何より大切な檀那寺の記念すべき年であります。改めてお祝いを申し上げますとともに、そのために昨年から仏像の修理や堂宇の修繕をお寺様檀信徒役員の皆様ともどもに進めてこられ大行事に備えられた、そのご努力に敬意を表したいと存じます。

秘仏について

皆さん、三十三年ぶりに御開帳されたご本尊様に対面されて感激も一入であったことと思いますが、皆様の思いと同様に、私ども國分寺でも、檀信徒からお姿を拝見できるのはいつですか、なぜ秘仏なのですかと問われることも度々ございます。

普段お厨子の扉を閉めている仏様のことを秘仏というわけですが、秘仏にしているのはどうしてなのでしょうか。扉を開かないのにはいくつかの理由が考えられますが、皆さんはなぜだと思いますか。保存のため、保管のため、御開帳した時のありがたさのためであるとかいろいろと言われるわけです。

が、私は、仏様というのは本来法を説くものであり、仏様は姿かたちではないよ、ということを教えるためではないかと思っています。ですから、それぞれの仏様ごとに、その仏様としての説法、声なきメッセージを発しておられるものと受け取ることが大切ではないかと思うのです。

お薬師様には、お薬師様のメッセージがあると思うのですが、どのようなメッセージでしょうか。皆さん、ご真言はオンコロコロセンダリマトウギソワカととお唱えになられていますね。それでは、このご真言はどのような意味でしょうか。実はこれは私にとって長年解明できなかった難問でありまして、学者先生方もどなたも明瞭に訳せない、難解なご真言でもあります。

薬師真言について

ある本には「仏様よ、早く人々の願いを成就し給え」などと訳されたりしますが、なぜこのような訳し方になるのかがわからなかったのです。そこでまず、この真言を分解して、その意味を調べてみますと、

オンとは、インドの聖なる音であり、神仏への敬虔なる挨拶としての言葉でありまして、コロコロとは、欣快なるかな、非常に喜ばしいことよ、また速疾にとも訳すようです。このあとのセンダリマトウギの部分が問題ですが、センダリの部分がチャンダーラ、マトウギの部分がマータンガという、インド世界の最下層の被差別民チャンダーラの一種のマータンガの女性、もっとも虐げられ蔑まれた部族の女性を指す言葉であります。ソワカは、幸あれ、祝福あれという意味となります。

この中にお薬師様の名がなく、なぜインド社会で差別を受けている人たちの名前のみをお唱えするのかが疑問となります。お薬師様のご真言として、これをどのように解釈すべきかということにずっと解答が得られないまま何年もかかりました。ですが、二年前の一月のことですが、ある日の朝本堂でお薬師様を拝んでいた時、ふと、お薬師様の誓願とはと心を向けました時、このご真言の解釈が頭に降ってまいりました。

どのような解釈だったかと言いますと、この真言は、お薬師様の心の底から起こってくる願いであり、この世で最も気の毒なかわいそうな虐げられた最下層の人たち、彼らこそすみやかに救われ、よくあるように、祝福されるように、彼らが救われるならば、必ずやすべてのものたちもよくあるはずである、すべてのものたちの悩み苦しみがなくなり、生きとし生けるものたち誰もが幸せであって欲しいというお薬師様の願いを最も短く表現したものに違いないと思われたのでした。

もちろん、これが正解ということではありません、ただ私がこのような解釈のもとでお唱えするのが一番お唱えしやすいというにすぎません。仏教は、何よりも自分が納得し信仰する実践するということが大切です。

そして、その後さらに調べを進めておりましたら、ある仏典に、この御真言にまつわるような話が残されていましたので、ご紹介してみたいと思います。

お釈迦様に長年随行されていたお弟子にアーナンダという釈迦族の王族の生まれでハンサムなやさし気なお坊さんがいました。祇園精舎に滞在している時托鉢に歩いて喉が渇き、水を汲む村の娘から一杯の水を恵んでもらいます。

その娘は旃陀羅種のマータンギの娘だったため、娘は身分の低い自分が高貴なお坊さんに水を差し上げてよいものかどうかと躊躇するのですが、自分は出家であるから貴賤上下の品わけをしないと、アーナンダはそう言って水をもらい飲みました。

その清らかな美しい姿を見て、娘はアーナンダに恋心をいだき、アーナンダが街を托鉢すれば後を追うように歩くようになって、祇園精舎の中にまで入ってきてしまいました。恥ずかしく思ったアーナンダはお釈迦様に相談すると、お釈迦様は、その娘にアーナンダの妻となるには出家しなくてはいけないと言われて、両親の了解を得させ髪を剃り出家させました。

そして、色欲は身を焼き人を焼く、灯りに寄る蛾のように炎の中に身を投げんとする。智慧ある者はこれと違い、常に色欲を遠ざけて静かな清らかな楽しみを味わう、なんじも今より道に入るがよい、などと教え導くと、純粋な娘の心は白い布に染まるように心の垢が去り、ついに覚りを開いたという話が残されています。

ですが、この話が世間に知れ渡ると、お釈迦様が卑しい旃陀羅の娘を出家させたと、階級制度の厳しいインドのことなので非常な非難の声が起こったのでしたが、お釈迦様は少しも動じることなく四姓平等の教えを説かれたということです。

当時のインド社会の階級差別、性差別は、現代の私たち日本人が想像できないほどにすさまじいものがあったことでしょう。宗教者でもその差別意識は同様であったと言われています。

そうした社会にあってなお、お釈迦様は何の貴賤の差別なく、旃陀羅種のマータンギの娘を出家させ、法を説き、そして覚らせたというこのエピソードにあらわれる慈悲の心は、正にお薬師様のご真言そのもののように思えるのです。

余談ですが、当初お釈迦様の出家の弟子たちはみな男性ばかりでした。ですが、ある時実母の妹にあたる継母が訪ねてきて、出家をしたいと願うのです。が、お釈迦様は拒み続けたと言われています。ですが、その時アーナンダが来て、女性が戒律をきちんと守り、教えを学び修行したとして覚れないということがあるのかと尋ねると、お釈迦様はそんなことはないと女性でも覚れると言われて、では出家を認めるべきではないかということになり、比丘尼という女性の出家者集団ができるわけです。

のちにこの人はマハーパジャパティゴーターミと呼ばれる阿羅漢になるわけですが、そのほか、四姓の階級にしても、六道のすべての命に対しても差別なく対されるのはみなこのような意味からと言えます。

慈悲について

それで、今日は、こうしたお釈迦様やお薬師様のような清らかな心とはどういうものなのか、そして、その心に何とか私たちも近づいていけるようにするには、つまり心を浄めるにはどうしたらよいのかということをテーマにお話ししていきたいと思っています。

まずこの清らかな心とされる、慈悲というものですが、普通、慈悲と言いますと、日本では、慈と悲に分けて、慈は好意を持って利益を与えること、悲は同情して苦しみを除いてあげることと解釈されることが多いのですが、本来、お釈迦様のように、誰をも差別せず、生きとし生けるものすべてのものたちが幸せであることを願うものであり、慈悲喜捨といわれる四つの心を内容とするものです。プリントにありますように…。

慈(友情)は、友情という意味で、親友に対する友情の心でもって誰もが良くあって欲しいと願うこと。
悲(抜苦)は、親友が困っていたり苦しんでいたら助けてあげたいという気持ちを誰にも広げていくこと。
喜(共感)は、親友が成功したり良いことがあり喜んでいたら自分もうれしくなる気持ちを誰にも持つこと。
捨(平静)は、親しい人も親しくない人にも分け隔て無い平等な静かな心で居ること。

このような心を養うことが必要とされ、その為に、まずは自分の幸せを願い、悩み苦しみがなくなりますように、願い事が叶いますように、それから親しい人たちが幸せでありますように、悩み苦しみがなくなりますように。そして、生きとし生けるものたちが幸せでありますように、と念じていき、誰をも分け隔て無く良くあるように幸せであるようにと、お薬師様の真言を解釈した内容のように念じていくのです。

このようになぜ慈悲の心を念じなくてはいけないかというと、日常生活の中で、私たちはどうしても自分を中心にものを考えるという習慣があるからです。自分自分という思いで生きているところを、自分という思いを少しでも、そうして脇に置いて、広く周りの人たち、また生きとし生けるもののことを想像しながら生きてみるという練習です。自分という実体があるとして、私たちは喧嘩してみたり、嫉妬してみたり、うじうじと殻にこもり他を怨んでみたりといろいろと問題を起こすわけですが、そうした自分という錯覚を壊していくためのものだということです。

法句経という古い経典の偈文ですが、諸悪莫作・衆善奉行・自浄是意・是諸仏教と言う偈文があります。悪いことをせず、善いことをして、自らその心を浄める、これが諸の仏の教えであるということです。なんだ当たり前のことを言っていると思われることと思うのですが、昔中国の唐の時代にこんな話がありました。白楽天という高名な詩人で地方長官を務める役人でもある人がおられましたが、杭州に赴任した時、地元の有名な禅師、道林禅師を訪ねたそうです。そして、仏教を一言でいうとどんな教えかと尋ねます。その時禅師が言われたのがこの偈文で、なんだと、こんな三才の子供でも知っているようなものではなくもっと奥深い教えの神髄を尋ねたのにと言われたそうです。すると道林禅師は、三歳の童子これを知ると言えども白髪の老人これを行い難しと言われたところ、白楽天は何も言い返すことができずに帰られたという話です。知っていても行われなければ何にもならない。その通りに行うということが大変難しいことです。仏教は実践の教えであるということです。

それで言いたいことは、ここにある自らその心を浄めるというところです。こうあるということは、仏教では、もともと人の心は清まっていないとされているのです。人は考える葦であるなどと言われて、考えることは人の特権のように思われていますが、仏教では、考えるのは、自分という中心があって、煩悩を付随して考えているとされて、そのことを妄想といって、よくないものだとするのです。

過去を悔やみ、未来を思い不安になり、自分勝手な価値判断をしてみたり、考えても仕方ないことをあれこれ考えたり、ということが私たちの常なることなのではないかと言うことなのです。そこで、妄想しない、考えない、その瞬間には、自分という中心がなくなっている状態、それを無我とでも言えるような、その状態こそ清らかな心と言えるようです。勿論完璧に無我を体験すれば覚っていることになりますから、そんなレベルの高い状態ではなく日常生活の中で体験される程度のことですが。そうした体験について、このあと、少しお話したいと思います。

高野山での読経の話

ところで皆さん、般若心経を唱えるとき、何も考えないで唱え終えることが出来ますか。難しいことですね。何かどうしても途中で考えてしまいます。それが人間です。

もう三十年以上前のことですが、高野山専修学院という僧侶の修行道場で修行に入りました。4月から翌年3月まで七十人ばかりの修行僧が僧院生活を行い、勉学と修行をするのですが、黒衣に白袈裟で、一同にお勤めしますが、朝は本堂、夕方は持仏堂でいたします。持仏堂では半々に向かい合ってお経を上げるのですが、二か月くらいたったある日の夕勤行で、不思議な音を聞きました。

純真な気持ちで、多くの僧侶が一心に唱えて音の波動がぴったり合ったとき、それが倍音を発生させ、甲高い音がしたかと思うと、まるで、天界の音楽というような、笛や太鼓の音色を聞くことが出来ました。その時おそらくその何人もの人たちが、自分というような思いもなく、一心にただ唱え、音を聞いていたということではないかと思えます。

大変に心地よく、身も心もリフレッシュできたような高揚感がありました。読経していて体験した不思議の一つです。

四国遍路の話

また、その三年後に四国八十八ヶ所を歩いたときの話ですが、作務衣に衣をはおり、脚絆を巻いて網代笠と錫杖を持ち、荷物は頭陀袋一つと寝袋だけで、山手線に乗り、すぐに、お接待をもらい驚きました。その後、フェリーで四国に入り、電車で、一番札所に向かい歩きました。

歩き始めは、どう見られているか、道は間違っていないか、昼ご飯はどうするか、晩はどこにどうやって寝るのか、またそうしたことが片づくと、今度は、帰ってからのことや、将来のことやら考えて考えて歩く。そうして考え考え歩くと、なかなか札所がやってこないのです。初めての歩き遍路だったこともあり、まさに自分のことばかり考えていたわけです。

考えることが出来なくなり、考えるのをやめて、ただ足の先だけを見て歩くことが出来るようになると、五キロ十キロ先の札所でも、気がつくと、札所の門前に居ると言うことが何度もありました。そうやって足だけを見て歩けるようになったとき、四国遍路は歩く瞑想そのものなのだと思えました。

また、足が痛くなったり、雨が降ったり、疲れて、車に乗せてくれないかななどと思っているときには、誰も止まってくれず、そんなことを考えずにひたすら歩いているときに、スッと、先に車が止まり、どうぞという事になったりします。

お布施もそうで、神峯寺の坂道を下っている時突然ワゴン車が止まってなんだろうと思うと、ぞろぞろ皆さん出てきてティッシュにくるんだお布施を頂いたことがありました。そのときは、山からきれいな朝日に輝く海を見て、また感動して涙が止まらなくなったものでした。

また、高知辺りだったか、車がスッと止まり、何だろうと思っていると、青年が下りてきて、自動販売機に走りジュースを買う姿をただ見ていたら、こちらに近づいてきて、ジュースの缶の上に五百円玉をのせてお接待ですと言って、御礼を言う間もなくさっと行ってしまった時にはしばらく呆然としていました。門にお婆さんが立っているので何をしているのかと思うと、前に行くとミカンを出して下さったり。思いもせず考えもしなかったことが突然起こるので、ものすごく感動し、ただただ感謝の心が起こってきたものです。

願ったり、祈願したりということが必要なことと思われるかも知れませんが、何も考えないことによって、さっと必要なことがあらわれるということのように感じられました。勿論四国だからということが大きいとは思いますが。

そして、歩き出して39日目に八十八の札所を結願して、夕方88番大窪寺の本堂前のベンチで座っていたら、隣に座られたご夫婦が、徳島駅まで行くからと車のお接待をいただき、徳島駅前で一度下りたのに、戻ってこられ、小松島のフェリーまで送って下さいました。それからフェリーで和歌山港まで行き、夜の9時頃だったので四キロ先の和歌山駅まで歩いて、駅のベンチででも今晩は寝ようと思っていたら、ロータリーに居たジャージ姿のお兄さんに、何げなくどこか安く泊まれるところはないですかと尋ねたら、今友達が来るからと言われ、待っていると、車が来てなにやら三人で話をしていました。

明日高野山に行くと言っていたからか、それならこれから高野山に送っていってあげますと言うことになり、それから二時間ばかり掛けて高野山の師匠の寺まで送ってくれました。車の中ではもういろいろと四国の話やバイク事故の話など興味尽きない話をしていたので、皆さんも是非泊まって明日朝勤行に出て下さいというと、慌てて逃げるように帰ってしまいました。3人にはオロナミンcを買ってお礼とさせてもらったことを覚えています。

夕方結願したその日の晩に、12時は回っていましたがその夜中には高野山にいたという、自分でもとても不思議に思える体験でした。

車の接待を徳島と和歌山でして下さった方はともに今でも年賀状のやりとりをしています。不思議だと今でも思いますが、四国は歩くとこんな事が誰にもあるものなのかどうか、ほかの人のこんな話は聞いたことがありませんが、自己主張せず先々のことを決めずに、人の好意を素直に受け入れ、流れに身を任せていたことが良かったのかと思えるのです。

皆さんも、是非、いまコロナで空いているらしいですから、歩いてみられることをお勧めします。

インドでの話

それから、そのまた3年後には、今度はインドに行って、インドの僧侶としてお寺に一年少々おりましたときの話ですが、その前年にインドのサールナートという初転法輪の地にインド僧として日本人のお坊さんが居るからと言われお訪ねしたのです。この方は後藤さんといい、そのだいぶ後のことですが、テレビの「こんなところに日本人」という番組など2度3度登場した方です。

この後藤さんに、いろいろ話を伺っている間に、現代インドにも伝統派の仏教教団があるのだと知りまして、自分もそこでインド僧として学びたいと思ったのでした。そこで、一度日本に帰り、ヒンディー語やパーリ語という仏教語を勉強し、学生ビザを取り、予防接種までして一年間準備してその翌年に長期滞在することを前提に再度お訪ねしました。

ですが、住み込んで初めの二ヶ月ほど、まったくヒンディー語も口から付いて出ず、生活習慣にもついて行けず、物珍しいのか次々に近隣のインド人が見物にやってくるのです。さらに、体中湿疹が出て、薬を塗ってもだめで、歩くことさえ、おっくうになり部屋に居ると、後藤さんからは、あんたみたいな消極的な人間は何年居ても話も出来ないなどと言われ、落ち込んで、何でこんな所に来たのかと毎日悔やんでいた時期がありました。まあ、妄想の真っただ中で自分のことで頭はいっぱいだったということでしょう。

そこに四月頃だったと思うのですが、暑い時期に、インドのお寺ですからゲストハウスがあり、日本人の学生のグループが泊まりに来ました。食事を用意して、洗い物をしてというのが私の仕事でした。昼の食事が済み、一人でカゴいっぱいの食器をもって、敷地の隅の洗い場に行き、金属の食器の洗い物をしていたときのことです、粉の洗剤に砂を付けこすり洗いをしていると、一生懸命擦らないと油がとれないので、それだけに没頭していたのでしょう。それ迄いつもいつも考えて考えて頭が腫れ上がるほどだったのに、そこに何も考えていない自分が居ることに気づきました。静かに砂を付け皿をこすっている姿だけがありました。

そのとき、考えても考えなくても何も変わらない、考えていたことがばからしい、つまらないことに思え、考えなくてもいいんだと解りました。取り越し苦労というか、一人モヤモヤ考えていることが不要なこと、その時間が勿体ないと思えたのでした。

おそらく皿を何も考えずに洗っているとき、そこに自分という思いもなかったのだと思えます。とてもその後気持ちよく、頭も身体もすっきりしていることにも気づきました。その後、すべてのことがスムーズにすべきこともして一年三か月ほどを過ごすことができました。

この話をすると思いだすことですが、お釈迦様の弟子に、チューラパンタカという大阿羅漢がいました。当時のインドでは経文を暗記することが何よりも大切で、聞いた端からインド人は暗記してしまう人たちで、それで経典も書き残さず全部師匠から聞いて覚えていたのでした。つまり、暗唱力は、その人の能力を左右するものでした。

それなのに、この人は偈文一つ暗記できなかったので、僧院を追放される羽目となり、出て行こうとすると、神通力でそのことを知られたお釈迦様に呼ばれ、一枚の綺麗な布を渡されて、塵を除く垢を除くと言いながら僧院を掃除するように言われ、その通りしたところ、たちどころに覚られてしまったというのです。それで周りのお坊さんたちはみんな、あの頭の悪いチューラパンタカが覚ったというので、びっくりするわけです。

この話は日本では、呪文を唱えて覚ったとか、落とすべき塵や垢とは、自分の心の貪瞋痴の煩悩だと理解すると覚られたと言われていますが、そうではなく、つぶさに塵や垢を観察していると、塵や垢は、床や壁から布に、布からバケツの水にと移るだけだと、世の中のすべてのことがそうして存在すると真理を発見して覚られたということのようです。私はそこまでのことは見ていませんから、もちろんチューラパンタカの領域にはまだまだ達していないのですが。

不思議な体験とは

ここまで、高野山、四国遍路のことやインドでのこと、いろいろ、不思議なと言いますか、面白い体験などお話ししましたが、その程度のことなら自分も体験されているという方もあるのではないかと思います。それらは、そのとき自分という思いがなくなった時、または薄くなった時に生じていたことであると思えます。自分という核のような思いがない状態になると、神通力ではありませんが、当然このようなことが起きても不思議ではないということでしょう。

我の無い状態は、通常ではないような力が働くものなのかと思えます。もちろんこんなことを求めてしても何も起こらないわけですが、そういう思いのない時、つまり心が清らかな状態になると、そういうことが起こりうるということだと思えます。

皆さんも、時に自分という思いが働いていないで、黙々と何かしている、または無心に没頭して何かしていた、気が付くと一時間も経っていたというような、特異な体験をされたこともあるのではないかと思います。そうした時、心身ともに軽くなるような感覚にも気づくのではないかと思います。何度もそういう感覚を体験し、思い出して、少しずつでもお釈迦様やお薬師様のような清らかな心に近づいて行って欲しいと思います。またこういう体験を重ねることにより、より信仰が深まっていくのだと思います。

自分という中心、核のようなものがない状態は、余計な自分自分という思いがない分、とてもきれいな、クリアな心であるので、余計な思いをいだくことなく、心が研ぎ澄まされ鋭くなり、直観として物事の本質、移り変わり、因果、つまり原因結果をありのままに見ることができるようにもなる、のではないかと思います。

そうして、この世の中のことも、その動きにも、動揺することなく、恐怖心もなく、淡々と安らいで生きられるようにもなるのだと思います。コロナも、ウクライナの問題でも、ともにその原因を的確に理解してしまうと、まったく恐怖心もなくなるということだと思います。

これからの時代にいかに生きるか

ですが、この後も、温暖化の問題や、世界的な食料問題もこれから深刻化すると言われています。不安定な時代はこのまま続くのかもしれません。こうした時代にどう生きていけばよいのかということですが、日々心の平安を保つために、やはり慈悲の瞑想に頼られるのが一番の早道であろうかと思います。

私も一度大病になったのではと思って毎晩寝れなかった時期がありました。その時、この慈悲の瞑想を思い出し、寝る前に布団の中で必死にやりましたところ、知らず知らずのうちに寝ていたということがあります。是非、平時から毎朝でも、毎晩でもなさることをお勧めします。

それから、日常生活の指針としては、先ほど諸悪莫作衆善奉行・・という偈文の話をしましたが、そこにある善きこととは十善戒と考えていただければよいかと思います。要約を書いておきましたので参考にしてみてください。

これからの不安定な時代、どんな時代となりましても、慈悲の瞑想と十善を生きるお守りとして大切にしていただけたらありがたいと思います。心浄める、自分という思いの無い状態に気づき、日々清らかな心で、今を充実して、明るく生きてまいりましょう。


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仏教的ものの見方

2022年09月22日 19時04分49秒 | 仏教に関する様々なお話
仏教的ものの見方




顕彰碑冊子から

ここに一冊の冊子があります。ある知り合いの先生がこの3月に送ってくださいました。これは、鎌倉大仏のあるお寺の境内に建立された顕彰碑を多くの人に知って欲しいという思いで作られた冊子です。その顕彰碑は、スリランカの大統領をされたジャヤワルダナという方を顕彰するためのものです。

先の第二次大戦の後、GHQの占領下だった時代、日本が戦勝国51か国と平和条約を締結するにあたり、1951年サンフランシスコにて講和会議が開かれました。その会議で、セイロン政府を代表して演説されたのが、ジャヤワルダナ氏です。当時蔵相でしたが、日本を擁護して演説して下さったその内容は、戦後打ちひしがれた日本人を大いに勇気づけ励まし、それによって国際社会に新たに踏み出すきっかけとなるものでした。

ジャヤワルダナ氏は、その会議で、まさに今のロシアのように世界中から軍国日本、侵略国家と非難されていた日本に対し、プリントにあるように、日本は他のアジアの国々と同様に何百年もの間仏教という教えに導かれ、同じ教養と伝統のもとに国の礎を築いてきた。そして、今も多くの国民がその教えのもとに生きようとしている。アジアの多くの国々が被占領国になる中、日本だけが唯一強く自由であった時にアジアの人々は日本を保護者のように感じ尊敬し、日本の唱えたアジア共存共栄のスローガンは人々の共感を得た。・・・

自国の主要産品であるゴムの大量採取により私どもは賠償を求める権利があるがとして、ここでお釈迦様の言葉である、法句経第五偈を引かれて、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止むと教えられているからと、賠償を放棄し、完全に自由な国として日本の独立を支持すると主張されたのでした。演説を終えると、会場は賞賛する拍手が鳴りやまなかったといわれています。

いくつかの国の反対もあり四分割統治案もある中でしたが、この演説により議場の雰囲気が一変し、大多数の国の支持を得て平和条約に調印し、今日の日本があるわけです。日本はこの時仏教ないし仏教による他国とのつながりにより救われたと言えるのではないかと思います。

御存じの方もあったかと思いますが、忘れてしまっていたという方もあると思います。70年も前の話ですから、忘れられても仕方ないことかもしれませんが、戦前戦中は特に、日本は、まさに今のロシアのように全世界からたたかれ批難され、戦争に巻き込まれていったことを忘れてはならないと思います。

世の中の見方

さきほどのジャヤワルダナ氏の演説の中に、法句経の第五偈が挿入されていました、憎しみは憎しみによっては止まず慈愛によってのみ止む とありましたが、正確にはプリントにありますように、怨みに報いるに怨みをもってしたならばついに怨みのやむことがない…という文言となっています。ではどうしたら怨み憎しみがやむのか、法句経のその偈の一つ前の第四偈に、かれはわれを罵った、かれはわれを害した、かれがわれにうち勝った、かれはわれから強奪したと思いをいだかない人には、ついに怨み憎しみがやむとあります。

彼と我とありますが、相手と自分、または敵と味方と言い換えると、敵と味方と分ける見方、そういう見方をしなければ怨み憎しみがやむということかと思います。ですから、私たちも、敵、味方という見方をせずに、片方に肩入れすることなく、仏教徒として中立の立場、ないしはお薬師様のように一切の差別なく、すべてのものが幸せであって欲しいという思いで、世界を見ていくことが大切であると思います。

昔から日本では、怨親平等ということを言います。鎌倉、室町時代の戦で戦った敵も味方もひとたび戦い終われば平等に分け隔てなく供養するという発想から生まれた言葉ですが、敵も味方も、憎まず怨まずとらわれずに、双方を差別せず、同じ扱いをすることです。

ですが、皆さんはいかがでしょうか。今年2月24日以降の皆さんのご認識はいかがでしたでしょうか。お薬師様のように差別することなく、ウクライナの難民にも、ロシアの兵士や将校たち最高司令官にも、同じ気持ちで幸せを願うことができていたでしょうか。

仏教とは

仏教の教えは現実世界と切り離して考えるものではありません。仏教は、自らの身近なところの観察から始まり、この世の中のあり方を静かに、ありのままに見ていく教えです。

それは、簡単そうでとても難しいことです。それは、誰にも、先入観、既成概念、固定観念、偏見というようなものがあるからです。

そういうものをなくしていく、それが仏教の修行にあたるわけですが、そうして、ありのままに世界を見る、仏教はその真実なるものをはっきりと知ることによって、覚りという最高の幸せが得られるとする教えです。

ですから、何よりも真実とは何かと探求していく姿勢が仏教の基本にあるということです。

ウクライナの戦争の見方

ここで、場違いなことではありますが、ウクライナの戦争について、少しだけ触れさせていただきたいと思います。と申しますのも、実は今年のお盆参りの際に、このウクライナ戦争の報道ばかり見ていて、気分が悪くなられたという方が何人かおられました。そこで、私からはこの戦争の歴史的な背景などお話をさせていただきました。

こちらにも同じようにそれらの報道から精神的に辛くなられた方もおられるのではないかと思います。

私たちは自国の70年80年前のことをすっかり忘れているように、国際情勢についても、つい30年前の大事なことを忘れております。33年前の1989年にベルリンの壁が崩壊しました。そして、その翌年東西ドイツの統一があり、その1年後にソ連が崩壊しロシア連邦となります。

が、東西ドイツ統一の際に、東側陣営と西側陣営が、極めて大事な同盟不拡大の合意という取り決めがなされていました。つまり東西の境界の変更はしない、そのままの状態を維持するという約束がありました。

しかし、それを西側が西暦2000年前後に一方的に反故にして、東側の同盟国であった、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルト三国を次々にNATOに加盟させていきます。NATOとは御存じの通り、集団防衛の軍事同盟です。

さらには、共産主義国家に、外からの力によりクーデターなどを起こして民主化を図り、親ロシア派のリーダーを追放し、親米派のリーダーを後釜に据えるということまでしていました。まさにウクライナがそうして政権が変更されてロシア側に攻撃的な対応がなされ、今回の軍事侵攻があったとするならば、一方的にどちらが悪いなどとは言えないことになります。

戦争とは情報戦と言うのでしょうか、正義はこちらにありとして、世界の多くの国々の人々を味方につけようとするわけですが、現代はかつての情報とは桁外れに高度な映像、CGや音声を用いて、味方に有利に、敵に不利に、盛んに行われているものと思います。

私たちの目にする日本の報道は、残念ながら西側の有利になるものを一方的に見せられ聞かされて、既成概念を植え付けられているのではないかと思えます。今申したような過去の歴史を紐解くような話を聞くことはなく、一方的に偏見をもたされた上で、言葉に出さずとも、恐怖心から、どちらが悪い、誰が悪いと判断してしまっていたとしたら、それは、仏教的な見方とは言えないと思います。

ここに今月9日の朝日新聞の切り抜きがあります。1990年代に広島市長をされた平岡敬さんの「核に脅かされる世界に」と題するコラムのインタビュー記事です。その一部しか紹介できませんが、さすがに深いご見識から、このように述べられています、

「米国は冷戦に勝ったと考え、ロシアを弱体化させようとする基本政策をずっと続けてきました。それにウクライナが使われたと私は考えています。即停戦させるべきなのに武器をどんどんウクライナに渡すというのはもっと戦争しろということです。ロシアが武力行使に踏み切った背景もきちっと理解しない限り、この戦争の意味はわかりません。どこかの国を敵視すること自体が平和を阻害する要因です。」と述べられています。社説に書いてもよいほどの良識ある内容であると読ませていただきました、有難い内容です。ご参考にしていただければと思います。

仏教は三世の因果を説く教えです。過去から現在に至る原因と結果を明確に見ることによって、冷静にことの次第を見ていくことができます。どうしてそういうことになったのか、という原因をきちんと特定できれば迷わずに済み、心が落ち着きます。ああそういうことか、と納得し、動揺しないで済みます。

このように、物事の原因と結果を明確に見ていくというのが仏教的なものの見方ということになるのですが、それを遮るものとして、私たちには権威あるものに盲目になるという弱点があるようです。テレビで言ってたから、あの先生が言ってたから、周りの人がしているからと、自分ではよく調べずに受け入れていることが多いのではないでしょうか。

これはある先生の本に紹介されていたお話ですが、昔、戦後まもなくのこと。ハーバード大学と東大の共同研究で開発されたという振れこみの、効果抜群の南京虫駆除剤をもって、ある人が芦屋の御屋敷町を回り、奥様方に、新聞でも報道されたものですと、亀の甲の形の化学式を書いて説明すると、面白いように売れたと言います。ですが、同じように大阪の長屋街でやったところ、うちは新聞とってません、ハーバードってなんやと言われ、そこに南京虫おるさかい試してくれへんかと言われる始末で、ほうほうの態で逃げ出したという話があります。

芦屋の奥様達は、新聞やハーバード、東大という名前の権威や化学式による先入観によって、真実が見えず、逆に大阪の長屋の奥さんは、そういうものに囚われず、それがどういうものかと、その実質を見ようとしていたと言えるのかと思います。

コロナについて

そこで、少しコロナについても触れたいのですが、未だに日本ではといいますか、日本だけがコロナ対応に追われて誰もが右往左往していますが、コロナもウクライナの戦争同様に、私たちはその新聞テレビによる報道に、芦屋の奥様同様に、真実を見る目を曇らされています。

毎日のように権威ある人々から解説を聞き、感染者数や死亡者数を報道され、恐怖心を植え付けられ、正しい判断力を奪われて二年半が過ぎようとしています。ですが、冷静に数字を見てみますと、未だに二年八か月で四万人ほどの死亡者数です。驚くほどの数字ではありません。

インフルエンザは、コロナ前まで毎年感染者は一千万人、死者は一万人でした。この感染者はすべて重い症状がありました。ですが、コロナの感染者とされるPCR陽性者はほとんどが無症状です。

諸外国ではすでにコロナ騒ぎは終了し、すべての規制が撤廃されています。ですから、岸田首相も外国に行くとマスクすらされていません。冷静に私たちは、なぜこのような事態に至ったのか、よくよく調べてみることが必要です。

コロナ問題の因果、原因と結果を、大阪の長屋の奥さんのように囚われない眼で見ると、このコロナ騒動の原因は、検査にPCR法を用いたこと、その陽性者を感染者とみなしたことだと見えてまいります。抗原検査ではなく、なぜPCRなのか、症状のない気道感染症をなぜ認めたのか。これまでの医学の常識を覆してしまったことが、世界中を混乱に陥れた発端であると。このことが理解されるとコロナに関する一切の恐怖心は消滅いたします。是非お調べになってみてください。専門家でもありませんので、これ以上申しません。

仏教の教えに、自灯明法灯明という教えがあります。お釈迦様が亡くなられる前に、先ほど登場した弟子のアーナンダに言われた言葉です。自分が亡きあとは、自らを灯とし、法を灯とせよ。これは、お釈迦様を頼りとして何事も判断を求めてきたアーナンダに、自分の死後は自らや周りを観察して真実を見よ、これまで説いてきた教えを理解しそれを頼りとせよという意味です。私たちも自分自身で情報を精査して考えよ真実を見よ、ということだと思います。


仏教徒である私たちは、あらゆる差別区別なく、すべての生きとし生けるものの幸せを念じつつ、仏教的なものの見方、物事の原因・結果を見て、その真実とは何かと見ていく、そうして既成概念や偏見にとらわれず、迷うことなく、よりよく生きる道を、ともに歩んで参りたいと思います。

いま私たちの心に大きく影を落としている問題を素通りしていては私たちの心に安らぎはやってまいりません。それらをどう仏教的に見るべきなのかという観点からお話し申し上げました。



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