住職のひとりごと

広島県福山市神辺町にある備後國分寺から配信する
住職のひとりごと
幅広く仏教について考える

四国遍路行記-17 

2008年09月22日 11時08分59秒 | 四国歩き遍路行記
35番清滝寺は、山の山腹に建つ行場の雰囲気を醸し出すお寺だ。正面の本堂は反り返りの大きな屋根に、こちらを向いた大きな切妻屋根が正面を飾りその下には唐破風の向拝屋根がつく。何ともいかめしい作りだ。本尊薬師如来。脇にあった椅子に腰掛け理趣経一巻。たくさんの千社札に見つめられながら唱える。

養老7年(723)行基菩薩が薬師如来を刻み本尊とし開山したと伝えられている。弘仁年間に弘法大師が訪れ、北方の山中で修法を行い満願の日に金剛杖で大地を突くと清水が滝のように湧き出たので、医王山清滝寺と寺号を改めたという。ここも明治の廃仏毀釈で廃寺となり明治13年(1880)に再建された。

またこの寺は、弘法大師の十代弟子の一人眞如親王が唐へ旅立つ前に、死んだらここに舞い戻ると言い残して自ら逆修の仏塔を建てた寺としても有名である。弘法大師が教えを受けた長安の青龍寺に参り、その後唐の官許をもらって雲南を通りインドを目指した親王は、残念ながら道をどう間違ったのか、ラオスの地で虎に食われて亡くなったとも言い伝えられている。余談ではあるが、眞如親王については、渋澤龍彦が『高丘親王航海記』という小説を書いている。読売文学賞を受賞している。

大師堂に参り、参道を下る。途中みかん農家のおばさんから、持ちきれないほどみかんをいただく。土佐市の街まで戻り、車道の洒落た店並みを過ぎ、須の浦目指して南に進む。新しい橋を渡り入り組んだ海岸線を歩く。途中二メートルほど上から滝が落ちていたり、そこに不動明王が祀られたりしている。四国の道のあずま屋があり、しばし足を休める。

車道から右手に西国観音霊場の石仏が祀られている道に入ると36番青龍寺の山門が見えてきた。手前に庫裏、少し石段を上がると納経所がある。さらにそこから上に一直線に石段が続く。何段あるのだろう。細い雨が降り出し草鞋の足が濡れる。滑らないよう気をつけて登る。

ここ青龍寺は、山号を独鈷山という。弘法大師が唐で教えを受けた青龍寺の恵果和尚への報恩のため一寺を建立せんと唐から独鈷杵を投ぜられ、帰国後四国巡錫の折、この地で老松の木に突き刺さっている独鈷杵を見つけ、嵯峨天皇に奉上。不動明王を刻み堂宇を建立した。恵果和尚を偲んで青龍寺と名付けられたという。

入唐の砌、遣唐第二船に乗船した大師は、嵐の中、不動明王に祈願を込めると波間から不動明王が現れて風波を切り静めてくれた。その時お出ましになった波切不動明王を大師はここで刻んだのであった。このことから青龍寺の本尊波切不動明王は、漁師を始め海で働く人々の海上安全の信仰が厚く、船乗りは海へ出る前には必ず青龍寺に御参りしたという。

因みに高野山にも波切不動尊がおられる。今では南院の本尊様だが、その昔は、壇上伽藍の山王院に祀られていたという。霊験あらたかな力ある御像である。

青龍寺は、宝永4年(1707)の地震と津波で大きな被害を受けたが、江戸末に再建されたのが今のお堂。薄白けた木肌の本堂と大師堂に参る。本堂の左側に社があった。そちらにも心経一巻。

登るときには思わなかったが、降りるときは恐ろしいほど勾配が急な石段。そういえば、ここ青龍寺は前の海の岸壁に洞窟があり、古の辺地の行者さんたちはそこに籠もり修行したという。だからこそここにお寺ができたのだとも言えるようだ。

青龍寺を後にして横浪三里をとぼとぼと歩く。横浪三里とは、青龍寺が突先で十キロほども西に浦ノ内湾が入り込んでいる。橋を渡って湾を左手に見ながら歩く。どこまで行っても海岸沿いだ。暗くなりどこかに一日の宿を探さねばならないのだが、なかなか適当な場所が見つからない。とにかく腹ごしらえにと食品を売るお店に入る。ご飯ものを買い込もうと探していると、乗用車で来た男性から話しかけられ、車のお接待を受ける。

青龍寺から37番岩本寺までは60キロもある。途中の須崎まで帰るのでそのあたりまでという話だったが、お寺の話や高野山でのことなど楽しく話をさせていただいている間に須崎の街を通り過ぎ、結局窪川にある岩本寺まで来てしまった。

たしかお寺のお坊さんも転勤とかあるのかとか、本山から配属されてお寺に入るのかといったあまり聞かれないことを質問され、イヤイヤみんな個人的なツテなんですよといった話をしたように記憶している。こんな話を小一時間していたのであろう。岩本寺までは50キロもそこから距離があったであるから。

住所とお名前を聞き丁重に礼を述べて、岩本寺の山門前でお別れした。岩本寺では、「歩いてきました」と言うと、離れの通夜堂一室を用意して下さり、街の人たちの銭湯でもある岩本寺温泉に入らせていただいた。その晩は皆様の好意で思いもかけず長足の札打ちに感謝しつつ横になった。

(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/30朝日新聞こころ頁『日々是修行』を読んで

2008年09月07日 18時15分37秒 | 仏教に関する様々なお話
朝日新聞は毎週土曜日に「こころ」というページを設けている。このページの一角に現在花園大学教授佐々木閑氏の『日々是修行』というコラムがある。8月30日の記事に、「完全な消滅こそが安息」と題して一文を寄稿されている。この先生の著作は、大蔵出版刊『出家とはなにか』を読んだことがある。そこでは上座仏教の僧を標準にして仏教僧の本来のあり方を述べ、日本仏教の俗化した状況を批判的にあとがき等で記している。

本コラムでは、まず冒頭で、お釈迦様が目標とされたさとり、涅槃を、「完全な消滅」と訳されている。確かに輪廻から解脱され輪廻の輪から脱したわけだから、そのことを完全な消滅と言われるのであろう。それはそれで結構ではあるけれども、それが「釈迦の一番の望みだった、彼は最高の目的とした」と記している。

初期仏教は自利のみを目指した。多くの者を対象に利他を説く大乗仏教とは違う自分だけ安らかに逝ければいいという教えなのだと言うが如く、冷ややかな物言いが感じられる。お釈迦様は確かにさとられたときには他に説くことを諦めかけたことがあるように仏典には記している。

しかし、梵天の勧めによりその後の生涯は他への教化のために費やされたことはあきらかなことである。自己の一番の望みが完全な消滅なら、さとられてすぐに死を目指せばよかったのではないか。だから、その後のお釈迦様の人生を見るならば、「死んで完全に消滅することが釈迦の一番の望みだった」というのはいただけない。

また、次には、「愛する人を失って、どこかに生まれ変わって今も生きているに違いないと考えればつらい喪失感にも耐えられる。死んでもまた生まれ変わるという思いは多くの人間社会に共通する救いなのだ」と述べ、あたかも、仏教で説く輪廻転生ということを単なる気休めであるかの如く扱っている。

だから、このあとに、「生まれ変わった後は慈悲の御手の中永遠に安楽世界で暮らしていけると心底信じることが出来れば人生の苦悩は解決する」と述べている。生まれ変わり、輪廻を苦しみから逃れる手立てのようにお考えのようである。はたしてそうなのであろうか。

輪廻とは実はとんでもない厳しい教えなのではないだろうか。己の行い、身体ですること、言葉、心の中の思いすべてに責任を要求するものなのではないのか。救いなどでは決してなく、きちんとすべての善いこと悪いことの行いの明細書が積み重なっている、すべてが自業自得、自己責任を問われる厳格な世界のはずだ。

「合理精神を保ちながらそこまで(生まれ変わり安楽世界で暮らしていけると)徹底するのは至難の業だ」とも記している。あたかも、輪廻を信じることは合理精神にもとるということをおっしゃりたいようである。お釈迦様が初期仏典の中ですべてこの輪廻という教えを前提として法を説かれていることをどのように解釈されておられるのであろうか。

また「死んだら何も残らないと考えて恐怖する人に、それでいい、それが最高の安息だと言って道を開いてくれた」とも記されているが、本当だろうか。行いの果報、業が来世に結果すると説かれたお釈迦様は、死んだら何も残らないとも言われないし、さとってもいない人に、まして死が安息だとも言うはずがない。

「我々は死んだら、ひょっとすれば、絶対者がいて救ってくれるかもしれないし、どこかに生まれ変われるかもしれない。しかしそうでなくても、たとえなに一つ残さずに消え去ったとしても、死者は平安だ。それが、釈迦が我々に確信をもって保証してくれた死の真実なのである」とこの文章が締めくくられている。

絶対者とは、阿弥陀さまのことだろうか。浄土教でいう極楽世界に往生するとは、天界に生まれ変わることを指すのではないか。だとすれば、それは輪廻思想を受け入れての話となる。どこかに生まれ変わることなく何一つ残さず消え去るとは、阿羅漢果をさとったということであり、それは我々が死んだらなどと誰でもがそうできるように書かれるべきものではないだろう。

そして、それがお釈迦様が保証してくれた「死の真実」とあるが、それとは何をさすのであろうか。ただ死ねば平安だというのではお話しにならない。死とは何か生きるとは何かをきちんと説明し、仏教の死生観とはこのようなものであると記して欲しかった。冒頭に記した『出家とは何か』に著されたような仏教原理主義と言えるほどの厳密な内容を前提として、是非また、死について書いて欲しいものである。


(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・『戒名と日本人』を読んで

2008年09月02日 18時43分29秒 | 仏教書探訪
続編として、保坂先生の著作に関連して、私自身の葬儀に関する意見を少し述べさせていただく。

まず、仏教徒が死後戒名を付けられ葬式を行う国は日本だけである。つまり死後葬儀の直前に戒律を受け戒名を授かり出家の儀礼、つまり歿後作僧の儀礼により日本では葬儀が行われる。そればかりか逆修戒名と言って、生きているうちから戒名をもらうことも功徳多きこととされ鎌倉時代から勧められてきた。とにかく戒名をもらうことが、死後の安楽を保障してくれる最も確実な方法だったのである。

しかしなぜそれが他の国になく日本だけのシステムとなっているのであろうか。前回述べた如くもともと死に対する恐れ、死穢を嫌う民族としての性質が影響し、それをとにかく取り除いてくれるものとして仏教があり、すべての者が仏になれるという日本仏教の思想から、生前に修行をせずとも、死後戒名を付けて修行したことにして引導を渡すということが常習化したのであろうというのが保坂先生の説である。

しかし、世界の仏教徒の一般的な考え方は、衆生である私たち人間は輪廻の中を何度も何度も生き死にを繰り返す存在であり、来世にはもう少しよい世界に生まれ変わりたい、だから今生では少しでも多くの功徳を積んでおきたい、なるべく悪いことをせず善いことをして死んでいきたいと考えている。だから、お寺の行事ごとに三帰五戒を授けられ、在家の仏教徒として戒律の生活を送り、わずかでも施しをして、功徳を積む。一時出家の制度があっても、還俗すればその名前は捨てられて俗名のまま死んでいく。

日本でもこのように葬式が出来ないわけではないだろう。しかし、お墓や仏壇の先祖の位牌には戒名が刻まれ、法事にはそれらに記された戒名が読み上げられて読経されるのだから、やはり戒名が必要だということになるのであろう。戒名が無くてもいいけれども、あると拝みやすく、今生ではない別の世界に逝ったということをはっきりと意識するためには誠に都合がよい。

もしも俗名のままで名前を唱えるならば、いつまでもこの世にとどまっているかの如くに感じられ、残された遺族も、故人が亡くなった世界を新たに再生していくことが出来ないのではないだろうか。金額ばかりが非難の対象になりがちではあるが、戒名があって値段があるものでは本来ない。逆に、これだけ檀那寺に貢献された方なので、このような立派な戒名を授けさせていただきます、というのが本来のあり方ではないか。

だからいざというとき、葬儀をしてもらうためにお寺に連絡し、戒名を付けてもらえばいいというのではなくて、本来常日頃から、檀那寺と親しくし、宗旨や仏教を学び、お経を唱えたり、寺院に参詣したり、また檀那寺の行事などに参加して護持発展に寄与する姿勢が必要なのであろう。そのような人を檀徒というのであって、そのような檀徒の一員の中にご不幸があった、なれば檀那寺の住職が何をさておいても出向いて経を唱えるということになる。

だから、いざというときにだけ必要なお寺なら檀那寺とは言わないのが本来であろう。考え方が逆なのである。戒名も、いるいらないという議論の前に、どのような葬儀をしたいか、仏教による葬儀をしたいのなら、それなりに教えを学び、実践する必要があるのではないか。何も知らずに戒名でもあるまい。その上で、生きるとは何か、死とはいかなるものか、と思索する中で、どう亡くなるべきかと考えを進める。

何も物は持って死ねない、もって逝けるのは生前の功徳だけだということが分かれば、どうあるべきかが分かる。檀那寺も、しっかりそのことをわきまえ、きちんと現代人が分かるように説明をする責任があるだろう。その功徳に応じて戒名があり、歿後作僧の功徳も持って来世に旅立つ。それが今も残る日本仏教での葬儀というものなのではないか。

ただ、死後、戒名をもらい歿後作僧の儀礼を受ければ、誰でも、仏の世界で安楽にくらせると安易に言ってしまうのはいかがなものであろうか。日本仏教の中だけに通用するような話ではいけない。やはり世界の仏教徒もある程度納得するような死と葬儀のあり方でなければならない。と私は思う。そこで、当然のことではあるが輪廻転生ということを前提として死を語り、寿命を終えた身体と分離した心は、四十九日の後に来世に旅立つけれども、それまでは私たちと同じこの三次元の世界におられる。

だから、四十九日の法要を盛大にするのであり、その間に遺族が故人に変わって功徳を積み回向して地獄や餓鬼や畜生の世界にではなくより良いところへ生まれ変わって下さい。そしてできれば、来世も人間界に生まれ、また仏教にまみえて欲しい、そのために戒名をもらって来世でも仏教徒に生まれ変われるように故人をお送りする。そして、何度でも何度でも生まれ変わり、仏教にまみえ教えを学び修行することでお釈迦様のようなきれいな心に一日でも早く到達して下さいと願い、どうぞ成仏して下さいと私たちは葬儀の際に合掌するのだと通夜の席などで話をする。

仏の世界にいく、ないし成仏する、というのは、やはりお釈迦様の悟り、阿羅漢果のことでなくてはいけないと私は思う。それは私たちが到達するのはそんなに簡単なことではない。すこしばかりお経を唱え修行したからといって到達できる境地ではない。何度も生まれ変わり生まれ変わりして学び続けていくことが必要なのだと思う。簡単なことなら、この世の中は仏で溢れていなくてはいけないだろう。死して誰もが仏になるなら、そもそも教えも修行も不要なのではないか。いかがであろう。


(↓よろしければ、クリックいただき、教えの伝達にご協力下さい)

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする