おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

張込み

2024-06-26 07:08:24 | 映画
「張込み」 1958年 日本


監督 野村芳太郎
出演 大木実 宮口精二 高峰秀子 田村高広 高千穂ひづる

ストーリー
警視庁捜査第一課の下岡(宮口精二)と柚木(大木実)は、質屋殺しの共犯石井(田村高廣)を追って佐賀へ発った。
主犯の山田(内田良平)の自供によると、石井は兇行に使った拳銃を持っていて、三年前上京の時別れた女さだ子(高峰秀子)に会いたがっていた。
さだ子は、今は佐賀の銀行員横川(松本克平)の後妻になっていて、石井の立寄った形跡はまだなかった。
両刑事はその家の前の木賃宿然とした旅館で張込みを開始した。
さだ子はもの静かな女で、熱烈な恋愛の経験があるとは見えなかった。
ただ、二十以上も年の違う夫を持ち、不幸そうだった。
猛暑の中で昼夜の別なく張込みが続けられた。
三日目、四日目、だが石井は現れなかった。
柚木には肉体関係までありながら結婚に踏みきれずにいる弓子(高千穂ひづる)という女がいたが、近頃二人の間は曖昧だった。
柚木に下岡の妻(菅井きん)の口ききで、風呂屋の娘(川口のぶ)との条件の良い結婚話が持ち上り、弓子の方には両親の問題があったからだ。
一週間目。柚木が一人で見張っていた時、突然さだ子が裏口から外出した。
あちこち探した末、やっと柚木は温泉場の森の中でさだ子と石井が楽しげに話し合っているのを発見した。
彼が応援を待っていると、二人はいなくなった。
再び探し当てた時、さだ子は石井を難きつしていた。
だが彼女は終いには彼に愛を誓い、彼と行動を共にすると言った。


寸評
ただただ張り込みを続けているだけの映画なのだが、やけに緊迫感を感じさせる作品である。
それをもたらせているのは暑さの表現だろう。
単調な内容だけにきめ細かい演出がなされている。
大木実と宮口精二が横浜から佐賀に向かう列車内の様子を延々と映し出す。
車内は満員で、横浜から乗車した彼らは座ることが出来ない。
混雑具合は通路に座り込む乗客がいることで示される。
東京から乗ればよかったのだが、そうできなかった理由が後半で明かされるという行き届いた演出が見て取れる。
通過駅が次々示され、乗客の交わす会話の話し言葉もそれにつれて変わっていく。
タイトルが出るまでの長い描写で、観客は暑さにあえぐという状況を脳裏に刷り込まれる。
なかなかシャープな出だしである。

彼らは犯人の田村高廣が訪ねてくるかもしれない高峰秀子を向かいにある旅館の二階から見張ることになる。
このアングルも緊張感を維持するのに一役買っている。
俯瞰的なアングルで高峰秀子の様子を見降ろすのみで、余計なショットが挟まれることがない。
見張られている高峰秀子のセリフがほとんどないのもよくて、彼女の生気のない生活が強調されている。
彼女は先妻の子供が三人いる後妻なのだが、夫はその日に必要な生活費を毎日渡すケチな銀行員である。
夫からは小言を言われ、生活は判で押したように時間通りで、交わす会話もおざなりだ。
虐げられているような単調な生活を描き続けることで、生き甲斐を見いだせない平凡な主婦の印象を植え付け、大木実でなくても同情してしまう。
汗だくとなる毎日を部屋に閉じこもって見張る彼らの様子が描き続けられる。
雰囲気に変化をつけるために、そんな彼らに疑問をぶつける宿屋の人へ、ベテラン刑事の宮口精二が軽妙に答えて誤魔化すエピソードを挟んでいる。
間髪を入れずに軽妙な答えを返すのがやけに面白くて、サスペンス映画でありながらユーモアを感じさせるものとなっているのがいい。
犯人に会うのではないかと思われるシーンも無理のないものとなっている。

無口で表情の変化を見せなかった高峰秀子が田村高廣と会ったとたんに豹変する。
生き返ったかのような態度を見せ、それまでの抑圧した生活から解放されたような女に変身するのだ。
二人の会話を聞き入る大木実だが、会話の内容は大木実にも共通するものであることが奥深い。
逮捕劇は高峰秀子がいない所で行われ、逮捕を知った高峰秀子が泣き崩れる。
ずっと見続けて彼女の立場を知っている大木実が、今帰ればご主人が帰ってくる時間に間に合うと告げる。
彼女は燃え上がった時間から、また死んだような生活に戻らねばならないのだと暗示される。
逮捕された犯人に、まだ若いのだからやり直すことが出来ると励ますのだが、それは大木実が自分自身に言い聞かせていたのだろう。
彼は高千穂ひづると結婚することになるのだろうが、そうなると彼女の一家はどうなるのだろうと不安になった。
刑事ドラマとして、ただ見張るだけの映画なのに随分と見ごたえのある作品となっている秀作だ。


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