さて。
巡礼そのものはかなりの勢いで成し遂げた我々ではありますが.....
なかなか進まない、その報告記(笑)
八番【宗興寺】<開創正保三年>(1646年)
今は現代的な建物のこのお寺でありますが、
文献を辿るとその歴史は室町時代まで遡るとか。別名『大井戸寺』。
このお寺の目と鼻の先には、かつて神奈川宿の本陣がありました。
また、135年前には、あの『ヘボン式ローマ字』で有名なヘボン博士が、
ここで施療院を開いていました。
このお寺に今もある『お天気井戸』は、かつて水量水質共に恵まれ、
「神奈川の大井戸」と呼ばれていたそうな。
この水は、二代将軍徳川秀忠がこの地に休泊した際茶の湯として用いられ、
また、明治天皇御東幸の折には御用水に指定された名水でもあるとか。
『お天気井戸』と呼ばれた由来は、
水量が増えると翌日の天気が良くなると、そういわれたことかららしいです。
しかし、少し前。
そんな二人の頭をガツンと、ぶん殴るかのようなニュースが飛び込んでまいりました。
【宗興寺】さんにいらっしゃる、本当に手が千本ある千手観音像。
こちらではご住職自ら、色々と詳しい説明をして下さり、
「写真もどうぞ」と、非常に気さくに接して下さいました。
皆様方の中にも、TV等で、その映像をご覧になった方もおられるのではないでしょうか。
千葉県内の検査会社から盗み出された放射性物質イリジウムが、
密閉容器から取り出され、横浜市内の川に捨てられた事件。
まさに、あの川が、我々の巡礼路の一部に添っていたのです。
同じく八番【宗興寺】内にある見事な一枚板のレリーフ。
ちなみにこのお寺もイリジウムが捨てられた川のすぐ側にあるのです。
まったくあの犯人め!
いえ。
そもそも、あの川は我が家が日常生活を送る際に、
頻繁にその横を行き来する位置にある、というのもあります。
かつて私がよく仕事をいただいたスタジオはこの川のほとりにありましたし、
ゴンザがチャリンコ通勤をする際にも、必ずこの川沿いを通る。
.....そして、あろうことか、
このイリジウムが、巡礼路に添った川底に沈んでいた時期は、
十二年に一度の子年観音公開の時期にぴったり合致していると、
こうきたわけです!
まさに川の目の前、九番【慶運寺】<開創天長年間>(824~833年)
明治初頭まで存在した浦島寺が廃寺・消失した際に、そちらののご本尊が
ここに移され、『浦島寺』『亀の子寺』とも呼ばれる。
周辺地区には浦島の名の残る土地もあり、浦島伝説が残っています。
だから手水鉢も亀さん。
この川の周辺には住宅も多くあり......
それが捨てられてから一ヶ月もの長い間、
イリジウムが身近にあったと知った住民の方々の不安はどれほどのものか。
住民の方の中には妊娠中の方だっていらっしゃるでしょうし、
体調の優れない方だっているはずで、いくら『人体に影響はない』などと言われても、
そうやすやすと、不安は払拭されるものでもないでしょう。
石碑の土台だって亀さん。
ちなみにこの亀さんの目線の先には、イリジウムの捨てられた川があります。
きっと亀さん、怒ってるね。
また、この子年観音の公開に合わせて、普段よりもはるかに多くの人が、
この周辺を訪れているのは明らかで、
今頃はあのニュースを見て、衝撃を受けている巡礼者の方も多いでしょう。
またこのお寺は開国当時、フランス領事館として使われ.....
さらに日本初の鉄道が境内を通ったため、本堂の場所を移転したという、
近代日本の歴史そのものを刻む場所なのです。
ちなみにこの子年観音に合わせたのか、看板が新しくなってました。
私はあの白くて古いのも好きだったけどなぁ。
なんでも、このいい年をした犯人は、この被害会社を『困らせたくてやった』と、
そう供述しているそうですが、己の勝手な恨み、欲だけで多くの人を危険にさらすなど、
まったく許されることではありません。
九番から、ちょっと距離が離れて、十番【東福寺】<開創寛治元年>(1087年)
このお寺は今から900年も前に、勝覚僧正という方が、夢のお告げにより
生麦の海から(あの生麦事件の生麦ね)、光り輝く如意観世音菩薩を発見し、
本尊としてお祀りしたのが縁起とか。
....と、なにやら巡礼報告のはずが、わき道にそれてしまった今回ですが。
九番の慶運寺に残る、浦島太郎の伝承の開けてはいけない玉手箱と、
このイリジウムの入った開けてはいけない箱では、
あまりにそこに介在するものに大きな違いがあるなぁと、
憤懣やるかたない、私なのでございます。
このお寺の山門の外のアスファルトの道路沿いには、小さなお堂があって、
中に『葬頭河婆像』、つまり奪衣婆(だつえば)像がありました。
奪衣婆とは、三途の川の前で「あんた、あっち」「あんたこっち」と、
そう指示するお婆さんらしいですが.....さてこのイリジウムを捨てた犯人は?
私だってまともじゃないから、人のことは言えませんがね。
ああ、この川のすぐ側で、観音様は、一連の様子をどのようにご覧になっていたのか.....。
ちなみにこの【東福寺】。
子授けの霊験あらたかで、「子生山」(こいけざん)とも呼ばれるとか。
また境内には芭蕉が近くを旅した際に、
あまりの桜の美しさに詠んだ句の、句碑もあったりします。
我が家の巡礼記。
まだまだ続きます。
そういえば先日書いた『不思議な出来事Ⅱ』のおばちゃんと、
はじめ出会ったのは、この境内でした。
このときはその後あんなに不思議な再会をするとは
夢にも思わなかった~。
八番 【宗興寺】 横浜市神奈川区幸ヶ谷10-6
九番 【慶運寺】 横浜市神奈川区神奈川本町18-2
十番 【東福寺】 横浜市鶴見区鶴見1-3-5
中学生の美術で、千手観音像を見ました。お顔が整っていて、中々の美男子でした。
そして、そのお顔ソックリな男の子がいたんです。
YABEちゃんって言うんだけど、せっかく観音様のお顔を持ちながら、噂では、ヤ○ザになったとか・・・。
京都でお見かけした時も『YABEちゃん元気かな~』って思い出します。
とっても偶然なんですが、実はもう書きあがっているこの巡礼記の続きが、『観音様の顔』のお話なんです。
だから、いなひこ様からいただいたこのコメントを読んだときにはすごく驚きました~!
観音様に似ていたYABEさん。
とっても端整なお顔立ちだったんですね。
観音様のお顔を持ちながらヤ○ザになってしまったとは、ちょっと驚き(?)ですが、もしかすると、その後また転身して、今は違う立場におられるかも...
そんな世界に身を置いたからこそ、気づいたり見えたりするものもあるかもしれないですものね。
お元気だといいですね~。
いやあ、でも、横浜の地によく似合ってるよ。
寺も人も、やはり町の中で生きる以上、
その町の空気というものに影響されているのは間違いないはずだから。
そう思うと、返す返すも腹立たしいあの事件。
自分勝手な思いこみと憎悪だけで
町に生きる人々や自然のすべてを破壊しかねないものを放置するなんて、許せるはずがない。
頭が壊れてるとしか思えないけど、
そんな頭が壊れた人間のために、どうして真面目に生きている人たちや
何も言わぬ自然が被害を受けないといけないんだろう。
観音さまだって、せつない思いで見られていたと思うよ。
しかし、考えてみれば、観世音菩薩は現世利益を司る仏さまだ。
言い換えれば、この世の無常を救うために存在するとも言える。
我々から見れば救いようのない人間が、観音様の目の前で侵した罪。
何だか、偶然とは思えない気もするなあ。
犯人のことはどうでもいいけれど、観音様には、
どうかこの川の周辺で暮らす人々や自然を
守っていただきたいなあと思うよ。
そうだなぁ。
一番上のお寺なんかはやっぱり、都会にあるお寺って感じがするかな。
この辺り(亀さんのお寺も)はさぁ。
大火や関東大震災、第二次大戦でのものすごく激しい空襲に見舞われたためにな。
歴史的建物もかなり被害を受けて、消失したりしてるんだ。
だから、そこから再興したりなんかする中で、町と時代に合った風情になっていったのかもしれないなぁ。
この後、巡礼が進むとまた、違った感じになってくるが、相棒の言うとおり、人や町と共に生きる以上は、寺社もその空気を映すのだろう。
で、だ。
例の事件だが...
俺は、考えれば考えるほど犯人は何がしたかったのかと、わからなくなるんだよ。
『困らせたかった』って、「お前は小学生か?」ってな。
世界一放射能の恐ろしさを知っているはずの日本。
その国民として、あんなものを放置するのが、どれほど危険で、どれほど罪深いかというのは少し考えりゃわかるはずなのにな。
まあ、人間は罪深い生き物な上、そういった危険なものを取り扱ってはその恩恵も受けているわけだが...
自然や動植物にはまったく罪がないんだ。
本当に、観音様にはそんな罪のない生き物達を守っていただきたいなぁと、そう思うよ。
すごい千手観音様ですね。
レリーフもかなりのインパクト。
どれだけの技術、根気で仕上げられたものなのか考えると、すごいとしか言いようのないボキャブラリーのない私です。
千の手でどうか守ってくださいますように。
そう。
すごいんですよ~。
インパクトも技術もすごいし、これらを寄進された方がいるというのもすごい。
(確か寄進されたものとどこかに書いてあったような気がするんです)
こちらには他にも、リアルなお馬さんの像があったり、洋風なガラスの壺があったりで非常に興味深かったです。
この一枚板のレリーフは、ものすごい迫力で、「このように複雑で緻密な立体を彫った方はどんな脳ミソをしているのか!?」と、ゴンザは頭をひねりながら、しきりに感心してました~。