今日、起きてみると、猫たちのご飯入れに2つの物体が入っていた。
いや、実は今日だけではない。
我が家では毎日、同じ現象が起こっている。
私が彼らにご飯をあげた時には、確かに存在しなかった、2つの物体。
気がつけばいつもそこに入っている2つの物体。
それが、誰によって、いつ入れられたのか...。
答えは、猫たちを見ていれば、みえてくる。
ちびくんは、小さな頃からゴムで遊ぶのが大好きだった。タオル地で出来た、女性の髪を結うためのそれは、ちびくんの手で遊ぶのに、形も触感も適していた。
一人遊びの得意な彼は、それをいつも、自分の好きな場所に運んでは、手で引っ掛けて放り上げたり、物陰に隠したりして遊ぶのだが、あまりのお気に入りぶりに、それはすぐによだれでガビガビになった。この17年間、繰り返し新しいものに取り替えられたそれは、そのたびまた、よだれでガビガビとなるのだが、いつの日も変わらない、ちびくんの1番大切なオモチャであることに変わりなく、そして、大切な宝物である。
ちゃあこは、末っ子らしく物に恵まれて育ったが、人に遊んでもらうのが何より好きであるがゆえに、めったに一人遊びをしなかった。オモチャも、新しいものを使っては飽き、また新しい物を使っては飽きるという具合で、どれにも執着しなかった。しかし唯一、コンビニ袋を丸めたものだけは、彼女の大切なお気に入りで、それを投げてあげれば、何度でも走ってとりに行った。私や、ゴンザの前に「投げて」とそれを運んでくる光景は、もはや我が家の日常風景と化し、眠っていれば、枕元にポトリ、食事をしていれば足元ポトリ、という風に、彼女がそれを持ち歩く様は、そのお気に入りぶりを伺わせた。当然、コンビニ袋は、次第によだれでガビガビになって、そのたび新しいものに取り替えられたが、すぐにまた、よだれでガビガビになる。しかし、穴だらけになったそれは、ちゃあこの1番大切なオモチャであることに変わりなく、そしてまた、大切な宝物である。
猫に大切なものを隠す習性があるのかどうか、私にはわからない。
しかし、「猫を飼っている」という知人数人にも(飼うという言葉は好きではないが)この行為について訊ねてみたところ、「うちの子はそんなことしない」という答えばかりが返ってきたから、
もしかしたらこれは、我が家だけの習慣なのかもしれない。
ちびくんが宝物を隠すのを見て、ちゃあこが、自分の宝物を隣に隠す。
もし、その可愛らしい習慣が我が家だけの<文化>なのだとしたら、それは確かに、私とゴンザの宝物だと言えないだろうか。
いや。もし、そうでなくても。
やはりそれは私とゴンザの宝物で、大切な大切な家族の日常風景だ。
あなたの宝物は...何ですか?
いや、実は今日だけではない。
我が家では毎日、同じ現象が起こっている。
私が彼らにご飯をあげた時には、確かに存在しなかった、2つの物体。
気がつけばいつもそこに入っている2つの物体。
それが、誰によって、いつ入れられたのか...。
答えは、猫たちを見ていれば、みえてくる。
ちびくんは、小さな頃からゴムで遊ぶのが大好きだった。タオル地で出来た、女性の髪を結うためのそれは、ちびくんの手で遊ぶのに、形も触感も適していた。
一人遊びの得意な彼は、それをいつも、自分の好きな場所に運んでは、手で引っ掛けて放り上げたり、物陰に隠したりして遊ぶのだが、あまりのお気に入りぶりに、それはすぐによだれでガビガビになった。この17年間、繰り返し新しいものに取り替えられたそれは、そのたびまた、よだれでガビガビとなるのだが、いつの日も変わらない、ちびくんの1番大切なオモチャであることに変わりなく、そして、大切な宝物である。
ちゃあこは、末っ子らしく物に恵まれて育ったが、人に遊んでもらうのが何より好きであるがゆえに、めったに一人遊びをしなかった。オモチャも、新しいものを使っては飽き、また新しい物を使っては飽きるという具合で、どれにも執着しなかった。しかし唯一、コンビニ袋を丸めたものだけは、彼女の大切なお気に入りで、それを投げてあげれば、何度でも走ってとりに行った。私や、ゴンザの前に「投げて」とそれを運んでくる光景は、もはや我が家の日常風景と化し、眠っていれば、枕元にポトリ、食事をしていれば足元ポトリ、という風に、彼女がそれを持ち歩く様は、そのお気に入りぶりを伺わせた。当然、コンビニ袋は、次第によだれでガビガビになって、そのたび新しいものに取り替えられたが、すぐにまた、よだれでガビガビになる。しかし、穴だらけになったそれは、ちゃあこの1番大切なオモチャであることに変わりなく、そしてまた、大切な宝物である。
猫に大切なものを隠す習性があるのかどうか、私にはわからない。
しかし、「猫を飼っている」という知人数人にも(飼うという言葉は好きではないが)この行為について訊ねてみたところ、「うちの子はそんなことしない」という答えばかりが返ってきたから、
もしかしたらこれは、我が家だけの習慣なのかもしれない。
ちびくんが宝物を隠すのを見て、ちゃあこが、自分の宝物を隣に隠す。
もし、その可愛らしい習慣が我が家だけの<文化>なのだとしたら、それは確かに、私とゴンザの宝物だと言えないだろうか。
いや。もし、そうでなくても。
やはりそれは私とゴンザの宝物で、大切な大切な家族の日常風景だ。
あなたの宝物は...何ですか?
少しご無沙汰してしまいました…
gonza様のホームラン、おめでとうございます。
(と、本記事から外れたことをここに書く)
さて、表題のお話ですが。
うちの猫(実家も故猫も)は、
モノを隠したり、宝物を持ったり、
ましてや宝物を見せびらかしたりする性格は
持ちあわせていないようです。
どちらかというと、
お気に入りの場所にこだわるとか、
気に入ったおやつやエサに執着するとか、
そっちの方が多いでしょうか。
一見すると全然違う行動のように見えて、その実、
根っこは同じような感じですね。
お気に入りのモノがあり、
同居人(ニン?)に見えるところで
さりげなくアピールする。
猫は愛しいやつです。
…あ、書いていて気付いた。
モズのはやにえとは全然違いますねー、
あっちは非常食糧だ。
タイトルは忘れてくださいー。
「モズのはやにえ」とのご指摘で、それをベースに
妹とストーリーを作って遊んだのを思いだしました。
「モズってさ、はやにえってのををするんだよね」
という会話から始まったそれは、1羽の若いモズが
見せしめにされたところから始まり、モズ同士の
抗争に発展、最後はモズの大親分が傘下の組織の頭であるモズの肩をポンと叩き、
「おめぇ、いい若いモンを持ったな...」で終わる
という、ものすごくくだらないものなのですが...
大晦日、歩いて近所の神社に向かいながら、大爆笑
のうちに作り上げたのを覚えています(笑)
いや、脱線もここまでくると何のことやら...。
本当に申し訳ない。
確か、猫の話でしたね。
大切なモノを持つ、ということそのものが、
彼らの愛情の濃やかさを現わし、
根っこが同じ行動そのものが、
ますます私たちを魅了して止まない。
猫は本当に「愛しいやつ」ですね。
でもはやにえって...
絶対見せびらかしていますよね。(まだ言うか!)
洗濯物をたたみ靴下も3枚に折って丸めると、すかさずやってきて、「投げてにゃん」といいます?
2~3m転がすと喜んで?走ります。口より大きい靴下を抱えて、また投げて~と延々つづきます。疲れないのかしら、と思った頃靴下をくわえたまま、伸びています。一休みすると又、持ってきます。。。それは、犬みたいな行動で・・・とても懐かしいです。一人っ子なので隠すことはしませんでしたが。
楽しかった思い出が沢山ありましたあ。ぐぐぐっ。
もしかすると私たちが猫を遊ばせているのではなく、
猫たちが、私たちを遊ばせてくれているのかもしれませんね。
「もう、しょうがないにゃ~」なんて言いながら(笑)
楽しい思い出を沢山作ってくれる、親孝行な子と
出会えて、私たちは本当に幸せですね。
大きな靴下を猫ちゃんが抱えて歩くさまは、
想像するだけでも微笑ましくって、いじらしくって
私まで幸せな気持ちになりました。
我が家の猫は、ゴンザが脱ぎ捨てた靴下の臭いを
嗅いでは、マタタビに酔ったような状態に陥って
いるのですが...(笑)
ゴンザの足にはどんな成分が!?