
子供の頃。
柘榴の花を見ると、それが実る頃を思い、とても楽しみだった。
小さな動物達がいる公園への坂道脇には桑の木があり、その熟した実を食べるのもとっても楽しみで。
今でも。
柘榴の花を見ると、それらのことを思い出す。
私は柘榴の実が大好きで、今でももげる位置にそれがあると、パカッと割ってかじりつく。
美味しくジューシィな果汁をこそげるように吸って、種を
「ぷぷぷぷぷっ!」
と飛ばすのもまた楽しい。
で。
実はゴンザが草野球をした後に、いつもみんなでおしゃべりする公園に柘榴の木があるのだが.....。
その柘榴の実も例外なく、私の楽しみのひとつであるのだ。
みんながおしゃべりしている間に実をもいで食べる。
時には、高い場所のものをチームの誰かがもいでくれる。
しかしある夏。
その中の最年少、当時20歳ほどの子が
「何それ?それって食べられるんですか?」
と本気で聞いてきたので、私はびっくりしてしまった。
そして。
柘榴を知らないのは彼だけでなく、彼と一緒に来ていた、やはり20歳の青年も知らないというのにまた驚いた。
しかし、彼らが生まれた頃にはもう、自然もあまり周囲には残っておらず、マンションばかりで庭に柘榴の木を植えている家もほとんどなかったのだと思えば、それも仕方ないかと思う。
私は、これはこうして食べるのだと教え、柘榴の実を差し出した。
が。
何せ、道端に生えているものなど口にしたことのない彼らのこと。
どうにも、目の前でもがれた得体の知れないものは食べられないらしい。
清潔な、整った環境で育った者らしく、彼らは私の差し出した柘榴を遠慮した。
思えば。
我々が子供の頃は、いかにしてあの家の柘榴をもいでやろう、とか、あそこの柿は甘柿だとか、ひそかな楽しみがたくさんあった。
スカンポをかじりながら父と歩いた河原。
野蒜を引っこ抜いて、歓声をあげた小さな山の斜面。
確かに、それを知らない世代にも様々な楽しみがあろうが、私のあの子供の頃の思い出は、今もキラキラ輝く。
綺麗に清潔に育った子供達は、もしこれからそれが維持できない状況に陥った時、どうしてゆくのだろう。
免疫なんか何にもなくって、すぐに病気になっちゃうんじゃなかろうか。
私とゴンザはよくこう話し合う。
「もし子供が出来たら、犬のウ○コを投げられる子供にしよう」
と(笑)
実際、ゴンザも子供の頃は犬のウ○コに爆竹を刺して爆発させて遊んだそうだし(汚っ!危なっ)、私も子供の頃、犬のウ○コが大量に落ちている原っぱで、妹と踏んづけないように歩くスリルを楽しんだものだ(時には踏んづけてしまったが)。
今頃はあの、妹と二人でウ○コヶ原と名付けた空き地も、なくなってしまっただろうし、犬の飼い主がその落し物を持ち帰る習慣のある昨今、現物を手に入れるのも難しいだろうが(笑)
(誰か、もし万が一私に子供が出来た日には、提供してください・笑)
柘榴の花を見ると。
色んなことを思い出す。
自分よりずっとずっと背の高いひまわり。
友達の家の庭でかじった金柑。
今年も、あの公園の柘榴が実ったら。
ゴンザと二人、種を飛ばして遊ぼうか。
今では、誰もその実をもぐ者がいないあの柘榴の木も。
きっとそれを喜んでくれるだろう。
柘榴の花を見ると、それが実る頃を思い、とても楽しみだった。
小さな動物達がいる公園への坂道脇には桑の木があり、その熟した実を食べるのもとっても楽しみで。
今でも。
柘榴の花を見ると、それらのことを思い出す。
私は柘榴の実が大好きで、今でももげる位置にそれがあると、パカッと割ってかじりつく。
美味しくジューシィな果汁をこそげるように吸って、種を
「ぷぷぷぷぷっ!」
と飛ばすのもまた楽しい。
で。
実はゴンザが草野球をした後に、いつもみんなでおしゃべりする公園に柘榴の木があるのだが.....。
その柘榴の実も例外なく、私の楽しみのひとつであるのだ。
みんながおしゃべりしている間に実をもいで食べる。
時には、高い場所のものをチームの誰かがもいでくれる。
しかしある夏。
その中の最年少、当時20歳ほどの子が
「何それ?それって食べられるんですか?」
と本気で聞いてきたので、私はびっくりしてしまった。
そして。
柘榴を知らないのは彼だけでなく、彼と一緒に来ていた、やはり20歳の青年も知らないというのにまた驚いた。
しかし、彼らが生まれた頃にはもう、自然もあまり周囲には残っておらず、マンションばかりで庭に柘榴の木を植えている家もほとんどなかったのだと思えば、それも仕方ないかと思う。
私は、これはこうして食べるのだと教え、柘榴の実を差し出した。
が。
何せ、道端に生えているものなど口にしたことのない彼らのこと。
どうにも、目の前でもがれた得体の知れないものは食べられないらしい。
清潔な、整った環境で育った者らしく、彼らは私の差し出した柘榴を遠慮した。
思えば。
我々が子供の頃は、いかにしてあの家の柘榴をもいでやろう、とか、あそこの柿は甘柿だとか、ひそかな楽しみがたくさんあった。
スカンポをかじりながら父と歩いた河原。
野蒜を引っこ抜いて、歓声をあげた小さな山の斜面。
確かに、それを知らない世代にも様々な楽しみがあろうが、私のあの子供の頃の思い出は、今もキラキラ輝く。
綺麗に清潔に育った子供達は、もしこれからそれが維持できない状況に陥った時、どうしてゆくのだろう。
免疫なんか何にもなくって、すぐに病気になっちゃうんじゃなかろうか。
私とゴンザはよくこう話し合う。
「もし子供が出来たら、犬のウ○コを投げられる子供にしよう」
と(笑)
実際、ゴンザも子供の頃は犬のウ○コに爆竹を刺して爆発させて遊んだそうだし(汚っ!危なっ)、私も子供の頃、犬のウ○コが大量に落ちている原っぱで、妹と踏んづけないように歩くスリルを楽しんだものだ(時には踏んづけてしまったが)。
今頃はあの、妹と二人でウ○コヶ原と名付けた空き地も、なくなってしまっただろうし、犬の飼い主がその落し物を持ち帰る習慣のある昨今、現物を手に入れるのも難しいだろうが(笑)
(誰か、もし万が一私に子供が出来た日には、提供してください・笑)
柘榴の花を見ると。
色んなことを思い出す。
自分よりずっとずっと背の高いひまわり。
友達の家の庭でかじった金柑。
今年も、あの公園の柘榴が実ったら。
ゴンザと二人、種を飛ばして遊ぼうか。
今では、誰もその実をもぐ者がいないあの柘榴の木も。
きっとそれを喜んでくれるだろう。
食べ方も、本で読んで「こんな感じかな」と思っているだけで。
子供の頃にそういう体験をされているって素敵だなあと思います。
でも、子供の頃には道にも畑にも草むらにも・・・犬のウ○コはいっぱいありましたよね。
爆発はさすがにしませんでしたが(笑)、「そこらじゅうに転がっているもの」というイメージでした。
私の場合は、長い毛のもこもこした毛虫(夏に大量発生するんです)の毛を持っては排水溝に落として遊んでました・・・。
さされたら腫れてたはずなので無謀でしたが楽しい思い出です(笑)。
P.S
ブログ再開に伴い、名前を変更いたしました。突然ですみません。もしよかったら遊びに来てください。
すんげ~うまい。
あの毒々しい実からは想像できない繊細な味。
オレも小さいころはよく食ったよ。
そういや、最近全然みかけない。
昔はさあ、いわゆる「そこらに生えている草」とか「そこらに実っている果実」とか「そこらに咲いている花の蜜」とか、結構普通に口にしてたけどなあ。
屋台のたこ焼きや駄菓子を「不潔だから食うな」って親はいたけど、そういうものを「食うな」って言う親はいなかった。
だから、相棒の思い出ってのは、全国共通の「正しい少年少女の放課後」ってカンジがするね。
でも、もう草も果実も花もないんだもの。
でもって、一番減ったのは「子ども」だ。
ところで、ん?「犬のウ○コ」がご入用?
では、このよろず取り扱い「阿波屋」にお任せくださいませ。
ウチの近所にはまだごろごろ転がっている代物ですので。
送るときは、クール宅○便でよろしいですやろか?
いえいえ、御代は現物を見てからで結構です。
質・量・形により値段は変わりますが、現在のところ最高ランクのものは、近所の米屋の「ハチ」のモノが最良であるとお伝えしておきましょう。
あ~、なんて勿体無い話し…
私柘榴のあの甘酸っぱさが大好きなんですけど、コチラ北海道では
柘榴なんて洒落たものは実らないんですよ
スーパーの店頭にも並ばないので、今まで生で食べた事なんて
1度くらいだし。
私てっきり高級果実かと思っていましたよ…
こちらは根菜類なら大得意なんですけど、木になる果物は
サッパリです…
ワタシは柿・ひめりんご・いちじく、山ではぐみ・クワの実を食べてたね。
花の蜜も吸ってたし。
毛虫やクモもわしづかみ、母親はワタシの服のポケットにうかつに手を突っ込めなかった、と今でも言っている。
さすがにウ○コは入ってなかったはずだけど。
最近は柘榴というと、すっかり「スーパーで買うもの」「ジュースになってるもの」というイメージがありますね。
市販のアメリカ産の大きい柘榴は私も食べたことがありますが、子供の頃にもいで食べたものとはまったく味が違って...
シサン様も機会があったら、どこか、柘榴の木があるお宅などからこっそり(笑)いただき、食べてみて欲しいです。
GONCYA様も仰っていますが、本当に繊細な味で美味しいんですよ。色もとっても綺麗で神秘的だし。
犬のウ○コはね(笑)昔はフツーに落ちていましたよね。結構みんな気にしてなくて、間違って踏んづけたりすると、「あ~、お前ウ○コ踏んだ~♪」なんてはやし立てられたりして。
毛虫や得体のしれない生き物も、子供のころって平気で触ったりして、でもそれがすごく楽しいんですよね。大人になった今になって考えると、「あんなことよくしてたな~」って、ぞっとするんですけどね(笑)
ゴンザは放っておいたらいまだにきっと、犬のウ○コ爆弾。作ると思います。危険だ...(爆)
よし!話は決まったな。米屋のハチのフレッシュなモノで、ゴンザが爆竹爆弾『ザ・最終兵器』をつくり、そっちに送り返す。
相棒よ、それで息子と遊んでくれ(爆)
でな。やっぱ言われたよな~。「屋台のものは不潔だから食うな」って。
でもあれが美味そうで美味そうで、買って貰えた日にゃウキウキだった。
最近の祭りはテキ屋の出入りも厳しく制限されてあまり見かけなくなったが、あの怪しい雰囲気がなけりゃ、祭りっていえないじゃないかって、俺なんかは思うんだけどねぇ。
でも、そういやそうだなぁ。祭りの屋台に子供が並ぶ姿って、ここんとこ見てないなぁ。昔は買うでもなく買わないでもなく、屋台のそばにやたら子供がウロウロしてたもんだけどな。
空き地もないし、酸性雨は酷いし、原っぱで泥だらけになって遊んだり、遊ぶ陣地を巡って喧嘩をするなんてことも、もうないんだろう。
公園で遊んでも、それぞれが持ち寄ったゲーム機で遊ぶっていうんだから。寂しいぜ...。
ま。今や『プロナチュラリスト』なんて職業がある世の中だ。何かが狂ってるんだよ、きっと。
昔は俺達子供みんながやっていたことを職業にするなんてな。
なるほど。普段意識しないでいますけど、北海道とこちらでは結構食に関して違いがあるんですねぇ。
柘榴の木がないというのにはびっくりしました。
でもそうですよね~。冬、寒いですものねー。
柘榴ってもしかすると、温暖な地域で出来るものなのかもしれません。
あのなんともいえない、甘酸っぱいジューシィさは、忘れられない味ですよね。ルビーみたいに輝く果肉も綺麗で...乙女心をくすぐりまくり(笑)
あれ、柘榴本人も食べて欲しいから、あんな見た目であんな味、なのに...。
昔は熟すなり子供達にこっそりもがれて一個も残らなかった柘榴も、今やひっそりと実を落とし、誰も見向きもしない。
本当に、色々な意味でもったいないことだと思います。
そうそう。今どきの子は、何が食べれて何が食べられないのか、親が教えないから知らないし、実際に食べられるものがあっても「不潔」って思って触れないみたい。オシロイバナとか、サルビアとか、私たちが子供の頃は我先に蜜を吸ってたものですけどね~。
ま、今はそれらの花も木の実も少ないから仕方ないのかもしれないですけど...。
昔は結構、実をもがれてる家の人も「子供だから仕方ないか」って、見てみないふりをしてくれたりした、いい時代でした。
しかし「愛虫主婦」のベースはやっぱり子供の頃からしっかり作られていたんですね~(笑)
ポッケにクモって...お母さん。心臓バクバクだったでしょうねぇ。