ジメジメとうっとうしい梅雨空の合い間を縫って、
意外にも晴れたこの週末。
我が家では、私の風邪が回復傾向にあることもあって、
にんにくやたまねぎの収穫をしたり、ある場所へ出かけてみたりと、
忙しくしておりました。
ラズベリーの収穫、はじまりました♪
天気予報では『雨』だった日曜日。
退屈のあまり、
「降り出さないうちにクルクル寿司でも食べに行こう!」と、
自転車にまたがったのは、確か午後も2時を過ぎた頃でしょうか。
ところでこのきれいな花、なんていうのかな?
みなとみらいの建設現場(空き地)にたくさん咲いてて、
あの殺伐とした雰囲気を和らげてくれています。
このところの長距離移動に比べれば、
ほんの道草程度の距離を移動し、お寿司にありついた二人は、
「帰り道、自転車を漕げなくなったら困るから」と、
ほどほどの腹具合で店を出て、空を見上げたのでした。
「.....あら、いい天気♪」
突如の目的地変更!そして、ご飯の後には甘いもの(笑)
と、いうわけで、元町でショコリキサー♪
二人で半分こ~。
.....と。
こうなればおとなしくしていられないのが我々のサガ(笑)
本来であればまっすぐ家に帰るはずが、
二人の目指す先は、なぜか、本牧・三渓園に変わります。
目指すはここ、三渓園!
そう、「ご飯食べたらすぐに帰ってくるからね」というちゃあことの約束は、
こうしてあっさりと破られ(ゆるしてちゃあこ~!)、
我々は少々の罪悪感を覚えながらも、自宅とは逆の方法へ、
自転車のハンドルを向けたのでありました。
そういえば、その三渓園の手前では、こんなものを見ました。
「ずいぶん無理矢理斜面を固めてるなぁ」と思ったら、
それは斜面ではなく。
いわゆる、崖の中に窓のない『地下階』を何層も作り、
「地上三階(二階?)建てです」と無理矢理言い張る手口っぽいですね。
これ、同じ横浜市内の違う区でもものすごい問題になってたけど、
こんなの許してるの横浜市だけなんじゃないの?
っつーか、住みたいか?こんな物件(笑)
いえ。
この日なぜ、午後の晴れ空を目にして我々が三渓園へ向かったかというと、
それはこの週末にそこで、『蛍の夕べ』が開かれるのを知っていたからです。
生糸貿易で財を成した原三渓によって開かれたこの公園では、
今も園内で蛍の姿が見られるために、2週にわたって、週末だけ開園時間を延長し、
その姿を広く来園者にも公開してくれているのです。
「おっ!飛行船だ~♪」
三渓園に近づくと、コイツがゆったり上空を飛んでいました。
そして、入り口手前で出会ったこの子は、まだ生後五ヶ月の女の子~♪
好奇心いっぱいで、ちょっとはにかみ屋さん&しっかりカメラ目線(笑)
「うう、ちょ、超かわいいっ!」
ちなみに彼女を連れてたお父さん、
「アップもいいけど全身を撮ったほうがもっと可愛いよ~」と、
自慢の娘さんのようでした(笑)
そりゃあ、こんなに可愛いんだもの、自慢もしたくなるよねぇ♪
そう.....
私が自然の中の蛍を見たのは、もう30年も前のこと。
今では彼らが棲む事の出来る清い流れはその多くが失われ、
こういった催しでもなければ、その姿は見ることもかないません。
揺れるハナショウブに暮れゆく三渓園
我々が公園の門をくぐってしばらくすると、
暮れゆく三渓園内は、私と同じ思いを抱いた人の波で、
次第に埋めつくされていきました。
この小さなせせらぎに蛍が集まります。
そして、蛍以上に人も(笑)
と。
小さなせせらぎのほとりで、ひとつぼんやり光る、淡き幻想。
それは次第に数を増し、空中を漂い、交差したり踊ったり。
思った以上に多くの蛍が舞い飛ぶその光景には、老いも若きも息を呑み
あちこちから歓声が沸きあがります。
.....あ。
蛍だけでなく、三渓園にはこんな子もいます~♪
この子を撫でてるお兄さんは、自分の足にこの子の足が乗ってるので動けず、
うれしそうにずっとこうしていました(笑)
これには、生まれて初めて蛍を見たゴンザも、感動のあまり声を失い、
その後何度も、「来てよかった。erimaちゃんありがとう」と、
繰り返し呟いては、言葉が続かない様子。
成虫になってからの蛍は食べ物は一切とらず、
ただ恋をして、子孫を残して死んでゆきますが、
儚くも激しい、虫の一生は、私たちの心を大きく揺さぶります。
「蛍ばっか見んと、ワシも見て~!」
園内の大きな池にはカメもいっぱい。
手を伸ばすとエサをもらえると思うのか、
めいいっぱい首を伸ばして口を開ける様子が可愛い(笑)
淡くも鮮烈なその光は、命の爆発そのもの。
私の足元で座って蛍を見つめる女子中学生は、隣にいる友達にこう呟きました。
「帰りが遅くなってお母さんに叱られるだろうけど、来てよかった。
.....これはまだ帰れないよね」と。
......その気持ち、忘れないで。
睡蓮は泥の中から美しい花を咲かせるんだよね。
世の中には、まだまだ大切なことがいっぱいある。
たとえば時代に閉塞感があっても、たとえば大きな夢は持てずとも。
その素直な心があれば。
蛍の帰ってくる場所があれば。
生きることの喜びを、人は感じられる。
こちらも生きる喜び。
美味しいお団子~♪
(手前がおろし醤油・向こうが黒蜜きなこ~)
中学生の呟きに、すっかりうれしくなった二人はその場を後にし.....
目の前で飛び交う蛍の幻想を目に焼きつけたまま、
感動覚めやらず、家路を辿ったのでした。
「ちゃあこ、ただいま~♪」
今回、宮崎に行った時が蛍のシーズンで、宮崎では、いろいろなところで蛍が見れるらしく、トトロの友達が「蛍を見に行こう!」と誘ってくれたんです。でも、ちょっと体調が悪かった私を気遣い、トトロが「今回はいいや」とお断り…見逃しちゃいました(;_;)確かに、今回は赤ちゃんのことがあったので、トトロが断ってくれて正解でしたが、次の機会は絶対に見たいです。ナチキにも見せてあげたい!
蛍の話、いいお話でした。
夜にはそれこそ手ですくい集めることが出来るくらいに飛んでいたのです…。
明け方のヘリによる農薬散布の始まりと共にその姿は激減し
今や見かけることすら叶いません。
あの頃の夢のような光を思い出すと
今の年老いて小さくなってしまった祖父母(まだ元気に生きていてくれているのです。)と重なりちょっと泣きたい思いになります。
失くしたものは戻らないというのに…
切ないですね。
ワンちゃん美人さんで可愛いですね~
犬好きにはたまりません。
神奈川県はとても広く、起伏に富んで水も豊富ですから、意外に蛍が観察できる場所はたくさんあるかもしれませんね~。
私たちは現在、人に何かを用意してもらえないと遊べないほどに、知識も好奇心もなくしつつありますが、探せばまだまだたくさんのことが見られるのかもしれません。
これからの子供たちに素晴らしい生命と自然の神秘を見せてあげることは、勉強なんかより、ずっとずっと大切なことと思います。
蛍。
いつかナチキちゃんたちにもぜひ見せてあげて下さいね。
誰もそれを失うことなど望んでいないのに、気づけば失われてしまったものたち。
人は、自分のしたことが、後にどのような結果を招くかを、よく考えないままに行動するものなのかもしれません。
私が子供の頃は、やはり母の田舎で蛍を捕まえ、ネギの葉にそれを入れては、緑がボ~ッと透ける様子を見て楽しんだものですが、お祭りの帰りにそれを持ち、田んぼのあぜ道を歩いた記憶は、きっと一生の宝であり続けるでしょう。
失われて二度と取り戻せないものもあるけれど、人の心次第で取り戻せるものもある。
私たちに帰る家があるように、蛍にだって、それを作ってあげたいですよね。
いつかまた、老いも若きも、蛍と共存できる日がやってきますように。
ようやく・ようやく 川も海も生き返ってきましたね。人間は、こうして何回も何回も過ちを繰り返す生き物なんだろうか?
小さい頃、おばあちゃんと、お二階に蚊帳を吊って、その中に蛍を放し飼いにした事があった。窓も開け放されていて、蛍の光だけが・・・。 出来れは、きっと無理だけど、兌とあーちゃんにも体験させてやりたいナ。
ちょっと聞いていいですか?
ゴンザさんのTシャツスーパーマンのですか?
ちょっと見える模様が、兌の水着に似ていて、気になるんです。
この後色々調べてみましたら、今は野川沿いなどでもちらほら蛍の姿が見られるようで...
この数十年で失われたものの大切さと、その間におかした愚かな行為に、人々はやっと気づき始めたのかもしれないですね。
川が死に掛けた頃は、ちょうど私が子供の頃に重なり、それはそれはもう、汚いドブ川や、泡立った川が鮮烈に記憶に残っていますが、本当にいなひこ様のおっしゃるように、ここ10年ほどで、川も海もまたきれいになってきましたね。
学校や地域で子供たちに自然の大切さを伝え、活動をしていることも大きいでしょうし、そうした動きが長く大きく、続いていくといいですね。
人間は過ちをおかす生き物だけど、その過ちに気づくことの出来る生き物でもある。
この国の自然には、もう過ちを繰り返すほど猶予は残されていないことを、みんな気づき始めているのかもしれません。
蚊帳の中の、おばあちゃんとの蛍の思い出。
とっても素敵ですね。
今すぐには無理でも、兌ちゃんとあーちゃんがそんな風にいなひこ様と一緒に蛍を見られる日が、早くやってくるといいなぁと思います。
ちなみに三渓園の『蛍の夕べ』は今週末も開かれるようですよ♪
...あ。
ゴンザのTシャツですが、ご指摘の通り、スーパーマンのです(笑)
兌ちゃんとおそろいなんですね~♪
なんだかうれしい...
私も、大人用のスーパーマン水着があったら絶対ゴンザに買うのになぁ(笑)