今日、明日と、フジTVであの「積み木くずし」のその後をドラマとして放送するらしい。
私はまったく見る予定もつもりもないが、夕方の番宣を見るともなく見ていた時、ゴンザがある疑問を口にしたので、今日はそれについて書いてみようと思う。
まず、私はちょうど、あの積み木くずしの主人公と同年代であることを言っておこうと思う。あの時代はたぶん、もっとも学校が荒れている時代であり、私が通っている中学校も相当に酷かった。
髪は金髪、裏地には大仰な刺繍の入った今にも引きずりそうな学ランを着て、竹刀を手に教師を追いかける男の子というのは日常風景だったし、たまり場へ行けば、15歳にもならないのに体を売って、高価な衣服を身につけ、家へなど滅多に帰らない女の子であるとかも普通にいた。中学生を卒業と同時に暴走族を「引退」し、高校へは進学せずに肉体労働を始める子も多かった。
また、あまりに悪すぎて転校させられてきた、いわゆる「飛ばされる」子もいて、実際、私の中学3年の時の親友は、まさにそんな「飛ばされてきた」子だった。
そう、あの頃はそんな時代。
私自身はといえば、たぶん、見た目は真面目。
けれど実際はたまり場に毎日のように顔を出し、同級生の運転するバイクにまたがり、タバコも吸えば酒も飲むという感じで、父親や継母と衝突する毎日だった。(恥ずかしいけど)
......と。
なぜ今、こんな話をするかというと、そこで最初に触れた<ゴンザの疑問>に繋がるのであるが.....
彼が何の気なしに眺めていた画面では、主人公の女の子が
「私に不良になったのはね.....」と、まさに今日、明日のドラマで語られるであろう<真相>の告白の導入部分を思わせぶりに放送していて、どうやらそこが引っかかったらしいのである。
彼は私に聞いた。
「ねぇねぇ、不良になるのって、なんか理由がある?」
私は答える。
「そんなの、楽しいから、に決まってるじゃん。寂しいからとか、家庭が複雑で愛情が足りないとか、そんなの全部言い訳。理由は後付けだよ、後付け」
実は、ゴンザは本当に疑問に思って私に尋ねたのではないことを私は知っていたから、ためらうことなくそう答えた。実際私自身、中学生の当時でさえ、「家庭が複雑だからとか、そういう変な理由をつけるのはやめよう。こんな毎日が刺激的で楽しいから私はこうしているのだ」と思っていたし、そこには踏み越えてはならないラインがあることも知っていた。ゴンザ自身も少年時代は相当悪かったようであるから(同級生談)、彼も同じことが言いたかったのであろう。だから、私が答えた一言に「そうだよね。楽がしたいからだよね」と反応したのだ。
このドラマで何が語られるか私は知らないが、子供達に変な言い訳を作るお手本だけは見せないで欲しい。最近起こる悲惨な事件でも、「家庭環境が複雑だから」「肉親の死から犯人は変わっていった」とか言いたがるが、そんなものは一切関係ない。
そんな理由で人を殺すなら、家庭環境が複雑な中で育った人間は皆、殺人を犯さなければならなくなるし、寂しければ薬物を使おうと、親を足蹴にしようと、人のものを盗もうと、何でもアリってことになってしまう。思春期特有の、ホルモンの爆発と、芽生えた自我からくる自己顕示欲と、子供時代との決別からくる矛盾ゆえの哀しみ、それに伴う醒めた目線、現実や大人への憎悪があること自体は否定しないが(私は専門家でも心理学者でもないから正しくはないかもしれないが)、「不良になる」ことに理由なんかない。たぶん、積み木くずしの主人公だってそうだ。
誰かに聞かれて理由がないのでは自分に正当性がないから、理由をあとから作っただけである。
こんなことを言うと、血も涙もないようであるが.....。
本当にしてはいけない悪い事。
人間として恥ずべき行為。
それだけは半殺しの目に遭わせてでも子供の頃に教え込んでおけば、そうそうそこからは踏み出さないはずである。
なぜなら、私もゴンザも親からそう仕込まれて、悪くはなっても決して踏み越えてはならないラインは越えなかったし、大切なことはきちんとわかっていたからだ(つもりだけど)。
積み木くずしのモデルは若くして死んでしまったが...本当に親不孝な子だと思う。
そしてまた、何の理由もなく不良になった子供に大いに「理由」を与え、彼女が死してなお、それを切り売りする親も、また大変な子不幸であると思う。
私はまったく見る予定もつもりもないが、夕方の番宣を見るともなく見ていた時、ゴンザがある疑問を口にしたので、今日はそれについて書いてみようと思う。
まず、私はちょうど、あの積み木くずしの主人公と同年代であることを言っておこうと思う。あの時代はたぶん、もっとも学校が荒れている時代であり、私が通っている中学校も相当に酷かった。
髪は金髪、裏地には大仰な刺繍の入った今にも引きずりそうな学ランを着て、竹刀を手に教師を追いかける男の子というのは日常風景だったし、たまり場へ行けば、15歳にもならないのに体を売って、高価な衣服を身につけ、家へなど滅多に帰らない女の子であるとかも普通にいた。中学生を卒業と同時に暴走族を「引退」し、高校へは進学せずに肉体労働を始める子も多かった。
また、あまりに悪すぎて転校させられてきた、いわゆる「飛ばされる」子もいて、実際、私の中学3年の時の親友は、まさにそんな「飛ばされてきた」子だった。
そう、あの頃はそんな時代。
私自身はといえば、たぶん、見た目は真面目。
けれど実際はたまり場に毎日のように顔を出し、同級生の運転するバイクにまたがり、タバコも吸えば酒も飲むという感じで、父親や継母と衝突する毎日だった。(恥ずかしいけど)
......と。
なぜ今、こんな話をするかというと、そこで最初に触れた<ゴンザの疑問>に繋がるのであるが.....
彼が何の気なしに眺めていた画面では、主人公の女の子が
「私に不良になったのはね.....」と、まさに今日、明日のドラマで語られるであろう<真相>の告白の導入部分を思わせぶりに放送していて、どうやらそこが引っかかったらしいのである。
彼は私に聞いた。
「ねぇねぇ、不良になるのって、なんか理由がある?」
私は答える。
「そんなの、楽しいから、に決まってるじゃん。寂しいからとか、家庭が複雑で愛情が足りないとか、そんなの全部言い訳。理由は後付けだよ、後付け」
実は、ゴンザは本当に疑問に思って私に尋ねたのではないことを私は知っていたから、ためらうことなくそう答えた。実際私自身、中学生の当時でさえ、「家庭が複雑だからとか、そういう変な理由をつけるのはやめよう。こんな毎日が刺激的で楽しいから私はこうしているのだ」と思っていたし、そこには踏み越えてはならないラインがあることも知っていた。ゴンザ自身も少年時代は相当悪かったようであるから(同級生談)、彼も同じことが言いたかったのであろう。だから、私が答えた一言に「そうだよね。楽がしたいからだよね」と反応したのだ。
このドラマで何が語られるか私は知らないが、子供達に変な言い訳を作るお手本だけは見せないで欲しい。最近起こる悲惨な事件でも、「家庭環境が複雑だから」「肉親の死から犯人は変わっていった」とか言いたがるが、そんなものは一切関係ない。
そんな理由で人を殺すなら、家庭環境が複雑な中で育った人間は皆、殺人を犯さなければならなくなるし、寂しければ薬物を使おうと、親を足蹴にしようと、人のものを盗もうと、何でもアリってことになってしまう。思春期特有の、ホルモンの爆発と、芽生えた自我からくる自己顕示欲と、子供時代との決別からくる矛盾ゆえの哀しみ、それに伴う醒めた目線、現実や大人への憎悪があること自体は否定しないが(私は専門家でも心理学者でもないから正しくはないかもしれないが)、「不良になる」ことに理由なんかない。たぶん、積み木くずしの主人公だってそうだ。
誰かに聞かれて理由がないのでは自分に正当性がないから、理由をあとから作っただけである。
こんなことを言うと、血も涙もないようであるが.....。
本当にしてはいけない悪い事。
人間として恥ずべき行為。
それだけは半殺しの目に遭わせてでも子供の頃に教え込んでおけば、そうそうそこからは踏み出さないはずである。
なぜなら、私もゴンザも親からそう仕込まれて、悪くはなっても決して踏み越えてはならないラインは越えなかったし、大切なことはきちんとわかっていたからだ(つもりだけど)。
積み木くずしのモデルは若くして死んでしまったが...本当に親不孝な子だと思う。
そしてまた、何の理由もなく不良になった子供に大いに「理由」を与え、彼女が死してなお、それを切り売りする親も、また大変な子不幸であると思う。
子供の時からちょっと冷めていた私は、荒れている人たちって「大人びた幼い子供」なんだろうなぁと思ってました。
日ごろは荒れているくせに
「修学旅行につれていかないぞ」と脅されると
おとなしくなったりしてちょっとかわいかった。笑
見た目は大人びて見えるけれど、本当に大人なら違う自己表現手段がとれるはず。
却って幼さや甘えが露呈してしまってはずかしいなぁって。
うんうん、と納得しながら読みました。
私は子供を生んでいないので(まだ)、たぶんいまだ子供目線なのですが、親となれば難しい事、大変な事がたくさんあるのでしょうね。10代前半って、一番多感ですから、その鋭い感覚で見抜いた真実と現実のギャップに対応しきれなくなることもあるのでしょうし。子供は子供で色々考えていますものね。私が見てきた限りでは、悪くなった子ほど、早く大人になり、人一倍親孝行だったりします、それって日本的かもしれないですけど...。ちなみに私が中学生時代に1番嫌だったのは、父が私を信じてくれないこと、子供だと思って話を聞いてくれないこと、でした。「でも」とか「だって」が許されない家でしたので。
やはり基本は「楽しい家庭」なのかもしれませんね。
n208hh様のblogでチラッと垣間見えるお子様達の姿は、いつも楽しそうですね。
そうですね。
荒れてた子って本当に幼かった。
ただ、自分をきちんと表現する手段を持たないのは、
親がきちんとコミュニケーションをとっていなかった
からかもしれないですけど。
そういわれてみれば、よ~く考えてみると、
「荒れている」と、「悪くなる」は違うかな。
この、積み木くずしの主人公は最初はただ
「荒れて」いただけなのに、自分も周囲も言い訳を
許し続けたから「悪く」なり、しまいには薬物に
溺れ、それが直接原因ではないものの
死んでしまった。
確か母親は彼女が死ぬずっと前に自殺してしまっていますが、
そこにも色んなことが象徴されている気がします。
防げない不幸もあるけれど、
防げる不幸もある。
真摯に向き合うことが大切ですね。
そうですね。私は好き勝手なこと言ってますが、子供を持っていないからかもしれませんね。でも実際、子供は子供で毎日現実と対峙していかなければならないのですから、次から次へと色々なことは起きるのでしょうね。彼ら自身、世間に対して疑問に思うこともたくさんあるでしょうし...。
何も言わずに見守ること。確かに難しいですね。私自身はガンガン問答無用で怒られましたし(私の複雑な家庭についてはカテゴリのルーツの項で書いてます)、私も弟が悪い事をしたときはガンガン怒りましたし。
与えられた命を自ら捨てた主人公の母親は、家族みんなの人生をその「自殺」という行為で奪い、主人公は薬物に溺れて、何も現実を見ず、病気ではあるものの早世してしまった。
私にはこの家族が、互いに目を背け合っていただけのように思えます.....
まさに私も主人公とほぼ同年代で、
不良問題等々、幸い私が通っていた学校では
無縁でしたけど、
わりと身近な話題としてとらえられていました。
不良の定義は当時と今では若干変わって
きているし、
おそらく子どもの心理状態は
当時と今では比べようもないと思います。
変わらないのが、親世代の目線。
これは自身が真面目であろうとなかろうと
同じような反応をするのにはちょっと笑えて
しまいます。
あ、でも、今時は親の方が崩壊してますか。
親の親はもっと……やれやれ。
で、不良であろうとなかろうと、
子どもは自分目線で世の中を見ます。
多分、理由は後付、
明文化できる理由なんて、多分ないんです。
「理由」が明解なら、良くても悪くても
いいのか、というと、そーいうわけでもないですしね。
せめて「言い訳」をぐちぐち言ってるのなら、
可愛げがありますけど…
ところで、erimaさん!
この項のお花、綺麗です!!!
もしかしてアグリクール効果ですか?
いいなー。
うちのバラは、この夏は散々です。
剪定しすぎちゃったのかしら……
最近は何でも、クラスみんなが仲良しで、
殴り合いのケンカもしたことがなく、
親友を持つ子も少ないとか。
小学生、中学生、高校生の兄弟を子育て中の友人が
言っていました。
様々な用件もメールで済ませてしまうので、
それで本当に人とコミュニケーションがとれるのか
心配だと.....
また、親が何かについて叱っても、決して自分の
意見を押し通そうとしないばかりか、
自己主張もまったくしないとか。
「普段はおとなしくていい子」が突然凶行に走ることと
そんな、「みんないい子」現象に関係があるかは
私にもわかりませんが、
積み木くずしの時代はそれなりに、可愛いもの
だったのかもしれません。
少なくとも「悪い子」は見た目で判別出来ました
からね。
私みたいに性質の悪いのもいましたけど...(笑)
この薔薇は数週間前に撮ったものでして、
ちょっとインチキですが、この夏はなぜか、
我が家の薔薇は生き生き元気でしたよ~。
今も普通に咲いています。
肥料をアルゴにした以外は、何も特別なことなど
していないんですけどね。
一応、先週末ぐらいに、蕾の付いた枝を残して
それぞれ軽く夏の剪定はしたんですが.....
これだけ夏に頑張っちゃったところを見ると、
秋の花は少なくなってしまうかも。
たぶん我が家の薔薇がショボイ秋を迎える頃に
t-cat様のお宅では薔薇たちが見事な競演を
見せてくれるのではないでしょうか。
期待してますぅ~!