猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

忘れないでいて

2006年11月09日 23時16分26秒 | 日記
水星の太陽面通過が観察出来ると聞いて、古い写真のネガを引っ張り出して、それを通して観察してみた。

数時間かけて見られるというその現象は、太陽に比べて水星があまりに小さいがために、なかなかその存在を発見できずに苦戦したが、ゴンザと二人で

「あれがそうじゃない?」

「う~ん、そうかも!でもなぁ...」

などとヤイヤイ言いながら、馬鹿みたいにフィルムを目にかざして空を見た体験は楽しく、良い思い出になると思われる。

そういえば、子供の頃にも、当時住んでいた小さなアパートの前に座り、フィルムの黒い部分を通して(目を痛めないようにね)日食を見たことがあったが.....

その時の光景は、今でも心に焼き付いている。

そして、それからも

『次にこの現象が見られるのは○年後』

『次にこの機会が巡ってくるのは○十年後』

と聞くたびに、私は空を見上げ、何とか彗星やら、流星やらを観察しようと頑張るのである。

「次の機会には、私はいったい何をしているだろう?」

「次の機会には、私はこの世に存在しているだろうか?」

そう思いながら。

今。
こうして空を見上げられることを、当たり前と思っていても。
世の中にはそれを出来ない人もいる。
私たちは日々の生活にかまけて、それを忘れてしまいがちだけれど.....
『次の機会』は、もしかしたらないのかもしれない。

星や宇宙が起こす現象や、珍しい機会だけでなく、毎日何気なく過ごす日常の中にも、二度と来ない『機会』が散りばめられているなら、私たちはもっと喜びを持って、全てを楽しみ、また『次の機会』が来るまで、その『機会』という名の毎日に感謝すべきなのに。


昨日。
ゴンザの友人が亡くなった。

その人はまだ30代の若さで癌と闘い、妻を遺して逝ったという。

私は彼に会ったことはないけれど。
その若さで旅立たねばならないことは、どんなにか無念であったろうかと思う。

いや。
そんな風に私ごときが死者の心の内を計り知ろうとすることなど、無礼なことなのに違いないが.....

せめて私たちは、こうして『次の機会』を迎えられる日々を、大切に生きよう。

毎日食事が出来て、眠る場所があり、家族がいることだけで、それは奇跡なのだから。
この世に存在することそのものが、奇跡であるのだから。


水星が太陽面を『次に』通過するのは26年後。

今朝。
私たちはフィルムをかざしつつ

「次のときも一緒に観察しようね」

と約束したが。

私は.....
そのときいったい何をしているだろうか?

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4 コメント

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奇跡の尊さ (ふみ)
2006-11-10 08:48:40
▽『この世に存在することそのものが、奇跡であるのだから』

このスタンス、とても大事ですね。
今日のブログを読んで、ふと思い出したことがあります。
ボクの職場の同僚で所帯持ちのスタッフがいるのですが、彼の最初に生まれた子供が先天性の病気(詳しくは聞いてませんが)で、生後3日で亡くなってしまったそうです。
その話を聞いたときに彼が言ってました。
「みんな当たり前のように思ってるけどさ、子供が五体満足で生まれてくるのって、実はすごい奇跡なんだと思うよ」と。

この世に生きている誰も、”明日”生きている保障なんてないんですよね。
だからこそ、『次の機会』を迎えられる日々を、大切に生きよう、というerimaさんの思いは実にシンプルでスマートだし、みんながこれを肝に命じて日々を暮らせば、世の中もっと平和になるんじゃないかなぁと思います。

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Unknown (K子)
2006-11-10 12:50:11
そうですか、お友達が。
我が家ももう6~7年前位に、主人が大腸癌で、入院してた時に、名前は忘れちゃったけど、夜中の2時位に、流れ星がいっぱい見られると言う事で、息子と見ました。いっぱい流れ星が見られたけど、『お願い事』を言うひまがなかった。「あの・・」「しゅ・・」一言か二言で、流れ去っていく☆に、とうとう、「主人の癌が治りますように」なんて言う事が出来なかった。主人は、おかげさまで、元気になりましたが。その次の年に今度は、息子が、大病をして片足の膝下を切断しました。
その息子がよく言うことなんですが、「母ちゃん、先の事なんて、誰もわかりゃしないんだよ」 「ほんとだね。あんたが言うと説得力があるね」 息子も足はないけど、命はある。ありがたい事だと思います。
ご友人のご冥福を祈ります。合掌
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奇跡の連続で (erima)
2006-11-11 20:30:08
ふみ様

この世に生を受けるのも、その後生かされているのも奇跡。
戦争で毎日人が死に、病と闘う人がいる中で、私たちはあまりにたくさんのことを忘れすぎていると思います。

生まれたばかりのお子様を亡くされたご同僚の方の哀しみはいかばかりだったでしょう。
若すぎる死は、逝く方も心残りでしょうが、遺された者も辛すぎる。

この世には美しいものがたくさんあって、奇跡の連続で成り立っている。
スマートかどうかはわからないけれど、生きるって、もっともっとシンプルでいいのだと思います。
そう思うのは、私自身が欲にとらわれ、迷い、失敗し続けてきたからなのですが...

夜明けが近づく頃。宇宙の真下に立って、彼方を見上げると、自分自身が途方もない奇跡だと思え、感謝の気持ちでいっぱいになります。
モノに囲まれ、雑多な街並みに埋もれて、その感覚を忘れてしまった人たちが、みなその気持ちを感じられれば、せめて一回しかない生を、戦わずに過ごそうと思えるかもしれませんね。
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生きるということ (erima)
2006-11-11 20:53:17
K子様

息子さんのお言葉が胸にしみます...。
そして、「息子も足はないけど、命はある。ありがたい事だと思います」とおっしゃるK子様のお言葉も。

私がゴンザからこの友人の話を聞いたとき。とても辛く思ったのは「逝くほうもどんなにか残念だったろうけれど、遺された親御さんの悲しみもいかばかりか...」でした。
家族を失うというのは、何よりも辛いことだから...

K子様のご主人様と息子さんがご無事で本当によかった。
きっと、口には出せなくても、星は願いを知っていたのですね。
その流星群は、おそらく獅子座流星群でしょう。
私もゴンザと手をつなぎ、飽きることなく、空を見上げ、たくさんの流星を見ましたが...

こうして今。K子様とその日のことについて、家族について、命について、お話させていただくようになるとは、それも奇跡。
人は、本当に奇跡の連続で生きているのですね。
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