古いものが消えてゆくのは。
ある程度、仕方のないことなのだろう。
ずっと、昔なような、つい最近のような。
振り向けば、すっかり変わった風景。
人の作ったものは、いずれは朽ちてゆくのだし.....
人は生まれて死ぬのだから、
その世代の交代とともに、
入れ替わるしかないものもある。
あの、鄙びた感が懐かしい。
けれど、発掘され、新しいものと同時に、役立てられたものも。
大事に受け継がれてゆくなら。
多くの人目に、貴重な遺産が触れるなら。
それを守るように、人が集まるように、
してゆくのもいい。
そこを愛する人が増えるのは、
いいことだと思うから。
倉庫が取り壊され、きれいに整備されたあとは。
オープン二日目にしてゴミだらけ。
誰かの愛するものを。
愛したものを。
大事にする、心さえあれば。
そこにいる人が愛するものと。
偉い人が見せたいものは違う。
けれど.....
いつもそこには踏みにじる影。
でも、中にはこんな風に。
守られたものもあって。
段階を踏んで、構造がわかるようになった展示は面白い。
通りすがりの者には、
思い入れもなかろうが。
開かれた結果がこれなのか。
しかし...ポイ捨てするヤツって、何を大事にして生きてるんだろう?
こんな、場所取りシートを放置していくヤツも。
片づけてけ!
投げ捨てられたゴミに、
花火の場所取りシート。
象の鼻パーク、オープン二日目。
早朝の横浜に、私が見たものは、それだった。
本当にそうだなぁ~って聞いていました。
それから、今度コンビニで、お薬も買える様になって、町の薬屋さんも無くなっちゃうなー。
さかな屋さんもパン屋さんも本屋さんも靴屋さんも時計屋さん酒屋さん いま思いついただけでも我が町の個人のお店屋さん もう無いです。
かろうじて1件八百屋さんだけ頑張っています。
なんだかな~
さかな屋のおっちゃんが屁をこいた ブリッ
なんて唄えなくなっちゃうなぁ~~。
確かに行ったんだと思うけど、きっとすぐ退散したんじゃないかな…
横浜は開港150年で大騒ぎみたいですね
でも、Y150始まってからは、一度も行ってないわ。
少し静かになってから(Y150終わってから)見に行こうっと。
あ、でも開港記念日のブルインのデモフライトは見たかったなぁ~(前日のリハーサル見に行けばよかった)
そういえば、私もこのゴミを見過ごしてきた時点で同罪かもしれませんね。
捨てた者に怒るだけでなく、行動で示さねば...。
この朝(5時頃)、公園には、警備員や、散歩の人が多くいましたが、誰ひとり、ゴミに目を留める者はなく、それだけ我々一人一人が、ポイ捨てゴミがある風景に慣れきってしまっているのかもしれないと反省です。
きれいに、便利になることは、ある意味ではみんなの望んでいることかもしれないけれど、それがゆくゆく、その、みんなの首を締めてゆくような結果になるのでは、何か違う気がします。
もしかしたら...
「魚屋さんにお使いに行ってきて」と頼んでも、「魚屋さんって?ぼく、スーパーしか知らない」という世代がそのうち出てくるのかもしれないと思うと、さみしいですね。
駄菓子屋も知らない子供が多くなりました。
あの市長さんは、こういった華やかな場所には、喜んで出てこられるのではないでしょうか。
ちなみに、ものすご~いお金をかけて、大騒ぎのY150ですが、人は全然入ってません。
平日なんてそりゃあもうあーた。
正視できないほど、静かで酷いものです(笑)
ブルーインパルス。
ランチに出て、少し離れたところから、ゴンザと一緒に見ました。
私がアレを見るのは二度目ですが、やっぱテンション上がります。
私、戦闘機好きなので。
あったものがない、
ないものがある、
時代の一言では片付けたくない気がしますね。
人の記憶は素晴らしいもので、でも、どこかあやふやでもあり。
だからこそ、きちんと記録し、それ以前に出来るだけ、古いものを残す方向でありたいですよね。
壊すのは簡単だけど、それはもう二度と作れないもの。
自分が功績を残したいばかりに。
自分のやりたいことだけのために。
みんなの愛するものを壊すのが進歩や開発ではないと思います。