猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

消えてゆくもの、残るもの。  -持てることは幸せか-

2007年12月11日 23時48分45秒 | ぶ~すか言ってやる!

『日本の食は世界一』

最近、よくそんな言葉を耳にする。

それは、古来よりあった伝統的な食のみならず、
時代の変遷とともに、海外から入ってきた食文化を独自にアレンジしたり、
あるいは、本国に引けをとらないほど、各国の料理を本格的に食べさせる店が
あることを指したりするようである。

 

小豆島産のオリーブ新漬けは、ゴンザが
『甘くないアイスクリーム』と表現する滑らかさとコク

 

だが.....
はて。

日本がこうなったのはいつからだろう?

私が子供の頃の食を思い出してみるに、それはその頃、
それほどバリエーション豊かであったようにも思えないし、
増してや『おやつ』なんてのは、それこそ、ちょいと金持ちの家でしか
出されていなかったのではないかと思う。

 

説明書が面白いので撮ってみたぬかの袋(笑)
ここで「良い奥様の条件」とされている家庭のぬか漬けは
現在絶滅の危機にあるそうだ。

 

私が初めてピザというものを見たのはもう小学生も高学年の頃だったし、
その後も目にはしても、めったに食べられないそれは、
父がスナックなどに飲みに行った帰りに、お土産としてアルミホイルに包んで
大切に持ち帰ってくれる、小さな小さなもので.....

今となっては、もうそれがピザと呼べるのかどうか怪しいほどの、
生地の食感も中途半端な、そんなものだったように思う。

 

日本の伝統食梅干も、今ではフリーズドライに...。
しかし、侮るなかれ。

店頭に普通に並ぶ梅干が添加物まみれなのに対し、
このフリーズドライ梅は塩のみで調味されている♪

 

いまや巷に溢れているパスタだって、その頃は一緒くたに呼び名は
『スパゲッティ』で、ミートソースをどぶんと上からかけたものか、
ケチャップで炒めたナポリタンくらいしかなかった。
増してや、『アルデンテ』なんて言葉は、もう料理の専門家ですら
知らなかったのではないかと思われる(笑)

 

『パティスリーデフェール』のフランボワーズのケーキ。
外側はとても美味しいが、フランボワーズのムースにバルサミコが
入っているのか!?酸味がたちすぎてちょっとがっかり。
「バルサミコ」「フランボワーズ」
今はフツーに使われているそんな食材だが、
30年前は見たことも聞いたこともなかった。

 

デコレーションケーキといえばバタークリームで、
それが食べられるとなれば、もう大騒ぎで.....

それらを口に運べたときの思い出は、今も鮮烈に『昭和の子供』の頭に残るのだ。

「あの大きなケーキを独り占めして食べたいなぁ」

「お肉だけでおなかいっぱいにしてみたい」

 

『パティスリーデフェール』の栗のケーキ。
こちらは文句なしに美味い!

 

我々が子供のころに抱いた、あの小さな夢。

それは、あらゆる食べ物が溢れる現在。
簡単に実現するようになったが......

あの、ちびりちびりとそれを大切に食べたときの美味しさだけは、
もう決して蘇らないのだ。

 

これは『デコポン』
デコポンって、いつごろから見るようになったんだっけ?

 

思い出だけは鮮やかに残っても、
食べ物は、食べてしまえばそれで消えてしまうから。

だからこそ、『どうやって食べるか』。
『どんな状況で、どんな思いで食べるか』が大切なのだ。

食べたいものが食べたいときに、好きなだけ食べられる。

それは確かに、一見、幸せに見えるけれど.....

満たされることは本当に幸せだろうか?
飽食は思い出を残すのか?

 

我々に似たのか、食べるのが大好きなこの方も、
かつて飢えて路上をさまよっていた過去を持つ。

 

いまや、食べ物の写真に埋め尽くされた自分のblogを見て、私は考える。

今、我々が毎日口に入れる食べ物の中で、
忘れえぬ思い出を残すのはどれほどだろう?

今の子供たちが大人になったとき。
果たしてどんな『食にまつわる思い出』を持つのだろう。

 

しっかりと踏ん張って。
ちゃあこよ、何を見る?

 

食べ物は、食べてしまえば消えるものだから。
それをどう食べるかが問題なのだ。

現在地球上で、飢えのために亡くなってゆく子供は5秒に一人。
世界第1位の死亡原因は、飢えと栄養不足だと。
erimaよ、忘れるな。

 

<食にまつわる思い出>
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