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   猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

一緒に歩こう ~ フィレンツェ前編

2013年09月17日 00時21分26秒 | イタリア見聞録。

 

フォトアルバム、作ってみました。

まずはフィレンツェから。

スライドショーで、一緒にお散歩。

 

※ スライドショーが見られない場合、
画面、ずーっと下、
『フォトチャンネル一覧』をクリックしてみてね!

 

フィレンツェ・イタリア1


突撃!平たい顔族 - 教会へプレーゴ! -

2013年09月08日 08時45分39秒 | イタリア見聞録。

 

ホテル近くにあった、この廃工場が、どこか懐かしいサレルノの街。

 

『明日は日本へ帰らねばならない』という、その朝。

ゴンザは再びそわそわしていた。

その日はTたちが親類の家へ行くというので、
その前に市場に送ってもらい、
二人で街歩きをしようと考えていたのだ。

 

この日の頼りは、ホテルでもらったこの地図だけど、結構ざっくり、
しかもイタリア語、ワケわからん(笑)

 

しかし、事前にホテルでHさんが聞いてくれた市場の場所は、
そもそもの説明がざっくりしていてよくわからず。

途中、ゴンザが車を降り、現地の人に聞くことになる。

前にも述べたが、イタリア人はとにかく、
そこここで立ち話しをしているので、
何かを聞くのに困ることはない。

おまけにTによれば、『あの人たち、誰かに道を聞かれたら、
わからなくても教えなきゃ失礼だと思っているから』だそうで(笑)


誰もが『突撃してくるワケのわからない【平たい顔族】』にも、
親切に対応してくれる。

 

サレルノのスタジアム前。
突撃してきた謎の言葉を話す平たい顔族(ゴンザ)にも、
親切に道を教えてくれるおっちゃんたち(立ち話中)。
ゴ「ええと、マーケットどこ?マーケット!?」 お「???」 
ゴ「イタリア語でマーケットは...ああ、そうだ、メルカート!」 
お「ああ、メルカート!あっちだ」



結果、たどり着くことの出来た市場では、
「まだ時間があるから」というTたちと一緒に、
たくさんの興味深いものを見、買うことが出来、
その後「そろそろ親類宅へ行く」という彼らと、夕食の約束をして別れると、
私たちは次の目的地へ向かう。

 

ズッキーニ、パプリカ、ナス、トマト、トウモロコシ、ルッコラ、レモン。
色とりどり、溢れんばかりに並ぶ野菜や果物。

お魚も豊富。
太刀魚とか、ホウボウとかもあって、日本と品ぞろえが似ているのが面白い。
んで、じーっと小さなイカの山を見つめていたら、お兄さんがひとつのイカを取り上げ、
「そいつはコレのピッコラだ!」と。
親切にありがとう、兄ちゃん。



「大丈夫?道わかる?」
「大丈夫!あっちに進めば海でしょ?」

Tに言わせれば、別れ際の私のその
「『ざっくり感』がイタリア人みたいで笑える」そうだ。


ゴンザと私、二人の『平たい顔族』は、
どうしても見たかったドゥオモの地下クリプトを見学するため、
地図を片手に歩き始めた。

 

またまたざっくり、街歩きに出発だ!

路地に次ぐ路地。

シンプルなようで複雑な、サレルノの街。

 

とにかく教会。

とにかく路地。



平たい顔族は幾度か迷い、寄り道し、
そのたび『立ち話人』に突撃を繰り返しては、
キョロキョロ、なんとかドゥオモにたどり着く。

 

到着!
サレルノのドゥオモの素晴らしさは言葉では言い表せないほど。

むしろ門をくぐったそのときから、『言葉を失う』と言ったほうが相応しい。

特にこの地下クリプト!
もう、一日うっとりと座っていられると思う。
床から柱から天井から、美しすぎて。



途中、気になって覗いた、ひと気のまばらな教会では、
最後列に座ったおばあちゃんが、
「プレーゴ、プレーゴ」と中に招き入れてくれ、
『平たい顔族』は本当にずいぶん親切にしてもらったと思う。

海辺に出ればすでに正午。

カフェで休憩をとった二人は、
今度は海からアマルフィを見てみようと、
港に向かい、チケットを手に入れると小さな高速船に乗った。

 

文化の融合はすなわち、知と美と技の集結だよね。
求めるものは一緒。
だから、争いもするんだろうけども。



そう。

あれは...確か塩野七生さんの本だったか。

『海を中心に栄えた街の美しさを理解するには、
海から訪れる必要がある』
というような記述があったのを覚えているが、
アマルフィは『海洋国家』だから、
きっと『その必要』があっただろう。

短い船の旅はあくまで暑く、気持ちの良い風に満ち、
陸から訪れるのとはまた違う、
のんびり感が漂っていた。

 

横浜の皆さん、何か懐かしい風景じゃないですか?
ここはイタリア、サレルノ、海辺の街の公園。

そこから...

船に乗り、再びアマルフィへ。

 

まぶしい街。

再び船に乗り、戻ったサレルノでTたちと再び落ち合うと、
イタリア最後の素晴らしい夕食が私たちを待っていた。

 

ちなみにこのアマルフィのドゥオモの鐘楼は、
サレルノの鐘楼をモデルに作られたらしいですよ。

この水は飲めるらしく、皆がこぞって飲んでいた。
そして、たくさん並んでいるミニチュア人形は...
一部水中にも配置されていて、これが我々とクマの心をくすぐったのです。
(そのくだりについてはまた後日)

 

あの月の夜を私はたぶん忘れない。

誰もいない、古いレンガ造りの廃工場の脇を、おしゃべりしながら歩いた夜。

ふざけあい、笑いあい、ゆっくりゆったり、
楽しかった旅の余韻を楽しむように...

 

楽しかった、イタリア滞在最後の夜に乾杯!

魚介好きな日本人には嬉しい南イタリアの食。
「ええと、アレとコレとソレとこっち、それから...」(笑)



Tたちがいなければ、
声をかけてくれなければ、
決して経験出来なかったすべて。

お年頃のTMの、まだ子供の無邪気さを残す笑顔が、
月と同じく、眩しかった夜。

 

 

クマもいろんな体験をしたねえ!(笑)

 

たぶん旅なんて、そんなものなのだと思う。

世界遺産や巨大な建物、風景より、
誰と訪れたか、どんな風に過ごしたか、
それが一番思い出に残る。

 

 

アマルフィからの帰りの船で、現地で買った帽子をかぶったまま居眠りする男。
実はこれもなかなかサイズがなくて大変だったんだけど。
「私の 夫の 頭は 大きい」
これは通じたみたいで、店員さんも遠慮なく笑う(笑)

廃工場の夜。

サレルノの夜。

美しい月がぽっかり浮かんだ。

イタリアは、当たり前だけど、私たちと同じ、
『人々』の暮らす場所だった。

やはり、だからこそ、美しいのだろう。

 

『旅行記』そのものは一旦これで終了です。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。
あとは、面白かった発見とか、美味しかったものとか、
ちょいちょいまとめるかも。
フォトアルバムも作れるといいな~。



スーパーへ行こう! - 怒涛の羊 -

2013年09月01日 12時03分08秒 | イタリア見聞録。

 

いよいよ最後の街に到着!

 

ソレントを発って、アマルフィに寄り、
着いた先は、最後の宿泊地サレルノだった。


Tの旅の目的地。

海辺の地方都市。

少しはずれれば、廃工場や廃屋が建ち並び、
かつては賑わったのだろうと、
まるで日本の昭和を思わせる街だったが...

華やかな保養地を経てやってくるには、少々地味で、
けれどだからこそ、『暮らし』が見える場所でもあった。

 

ちなみにサレルノ県の公式HPには、日本語のページもあります。

 

「サレルノに着いたら、ショッピングモールへ行こう!」

イタリアへ着いてから、お土産をどこで買おうか悩む我々に、
Tがくれた助言は

「お土産屋は高いし、同じようなものをスーパーで安く買うのがいい」

だったので、共に、
郊外型の真新しいショッピングモールへ行くことにする。

 

しかしイタリア人よ。
こんな風に使用済みカートを長々駐車場に飛び出させてたら、
車が通れないとは考えないのかね?
(一応戻すだけエライが)
これ、万が一日本での出来事なら、
親切な人が片付けてくれるレベル(笑)
 


日本でいえば、ららぽーとのようなそこへ車を走らせれば、
やがて窓から見える、何やら白い影。

「羊!」「羊だ!」

ハンドルを握るゴンザは、みんなの叫びにキョロキョロするも、
運転はあるし、羊の姿は確認出来ないしで、
もどかしげに「どれ?どこ?」。

「だーかーらー、あの白いの一面だってば!」

まさかショッピングモールの真横にあんな大群がいるとは思わないから、
彼は一頭二頭の姿を探して目を泳がせていたのだというが、
たしかに全員がその光景には驚愕し、笑ったものだ。

 

買い物のあとは、恒例街歩き。

 

続くモール内のスーパーでの買い物は大収穫で、
その後に待っていた、夕食も、夜の街歩きも素晴らしかった。

 

ここでも融合する文化。

 

イタリアへ行く前に色んな人から言われていた危険を、
私たちはついに滞在中、感じることがなかったし、
それはもちろん行った場所によるのだとは思いもするが、
サレルノの街中には、燃えて黒焦げになった車が放置されていたり、
窓が壊れたままの建物に人が住んではいても、
どこかのんきな空気が漂っていたように思う。

何より、街中や公園は深夜まで立ち話をする人の群れで溢れかえっていて(笑)
こんなに人がいるならば、
誰かしら、何かあれば助けてくれるだろうと、
そんな気にもなってきたものだ。

 

ポモドーロのパスタは各店各様。

こちらのお店は現代的な盛り付け。

 

老いも若きも男も女も、ついでにワンコも、夜風に吹かれて立ち話、
それが、私たちの見たサレルノの街。

田舎で、でも大きくて、労働者がいて、彼らの住むエリアがあって、
古い綺麗な史跡がある。

何より、海に面した風通しの良い公園が、
横浜を思わせて懐かしい、
そんな街でもあった。

 

ぎらぎらじゃない、綺麗。



私たちの想像より、イタリア人は真面目で、
(イメージほど)底抜けに陽気とは思えなかったけれど、親切だった。

立ち話をしないと死んじゃう病で(笑)
でもたぶんその立ち話も、手を縛られたら出来ないんだけど、
(彼らは話すとき大きく手を動かす)
二階の窓と下の路地越しでも喋りたくて、
何より子供が大好き。

 

横浜の人間には懐かしい感じ。



街の、若い子が集まるカフェで、私とゴンザが見たのは、
若い女性店員が、店を訪れた小さな子供の頬を愛しそうに撫でたあと、
その、自分の手にそっと口づけする様子。

まるで彼らが神に祈って十字をきった手に、そうするように。

子供が大切にされる国はいい国だと思う。

 

 

 

厳しい顔で働くホテルのフロントマンが、
小さな子供を見て相好を崩し、
口をチュッチュと鳴らしてあやすのを見て、
そう実感した我々だった。

 

海を守護する聖人かな?港?海?
(後日追記:病院経営者の守護聖人『カイサリアのバシレイオス』??
 サレルノには古い歴史を持つ医科大学があるから)

 


Tによれば、
「小さな子供を見たら、絶対に放っておけず、
寄ってたかって可愛がるのがイタリア人」
なのだそうだ。

たしかにイタリアでは、
泣いている子供を見たのは船内での一度だけで、
乱暴にその子を叱っていた母親は、
飛んできた二人のセキュリティに、
その行動をたしなめられ、
ついには自分が泣き出してしまっていた。

 

ソレントで見かけたクールなベビちゃん♪
 けれど、こうして幸せそうな子供を見た一方で、
観光地でしばしば目にした物乞いたちが抱えた子供には、
本当に複雑な思いでもあった。
彼ら(親)がどうしてその道をとったのか、
それはわからないけれど、
抱えられた子供の運命が、先々もそれで決まってしまうのでは、
あまりに悲しすぎると。





アマルフィへ。

2013年08月25日 10時02分28秒 | イタリア見聞録。

 

ソレントを出て、海沿いを走り、向かった先は、次の目的地アマルフィ。
振り向けば美しいポジターノの町。

 

昔々。

アマルフィは、『海洋国家』だったのだという。

急峻な崖を削って...
というよりは、生かして、
天へ天へと造られた街。

ー もしくは海へ海へ。
 
 
 
道のりは、美しく、険しい。
 
 
場所によってはこんなでも、
バスはクラクションを鳴らし、軽快に飛ばす(笑)
 


ミニチュアを、集めて作ったようなその姿は、
陸から訪れても、海から訪れても美しい。

整ったような、
でもそうでないような、
不思議で迷う、不揃いな美しさ。
 
 
 
アマルフィ到着!
 
 
 


人は、あまりに広大だったり、
あまりに整いすぎたものには、かえって魅力を感じないものだというが。

だとするなら、この『ミニチュアの街』は、人を魅了してやまないだろう。

細かい路地や、入り組んだ階段、
坂に、通路に、奥まった商店。

...澄んだ湧き水、回廊がめぐる大きな寺院。
 
 
 
 
 
街の奥にはこんなミニチュアの街も。
 
 
アマルフィには中国から伝わった、手漉き紙の歴史もあるとか。
綺麗な湧き水が出る土地柄もあって。
 
 
 
西洋とイスラムと東洋が入り混じり、反射して輝く、
それが、アマルフィ。
(たぶん)

つきぬけた空と、それを写す影が、
なぜあのような、こまごまとした感性を生み出すのか...

寄せては返す、文化の波が、
モザイクのように、象嵌のように。
 
 
 
 
 
アラブ=シチリア様式、新ゴシック、バロック、ビザンチン、混ざり合い。
 
 
 
天国の回廊が美しい影を作る。
 
 
壮麗、というのがぴったりな。
 
 
道のりは、あくまで険しく、
けれど便利な今となっては、
『それすらリゾート』といえるなら。

足元の崖は同じでも、
曲がりくねった狭い道では、
すれ違うのもやっとなバスが、
路上駐車の列など「すっかりおなじみ」とばかりに、
平然とした顔でやり過ごし、
快調に飛ばしていた。
 
 
 
小さな魚屋。
 
 
メイン通りはあくまで細く。
 
 
自然は雄大。
 
 
一度目、ソレントからは陸路で。
翌日、二度目、サレルノからは海路で。
堪能しました。