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   猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

続・青天の霹靂

2015年07月28日 01時25分34秒 | 吸虫顛末。

 

 

『イタリアへ行く前の念のための検査』は、
出発する四日ほど前に設定されていた。

癌の疑いはほぼなくなったとはいえ、
そもそも、数ヶ月に渡った血痰が、
何に起因したものだったのかは、結局わからないまま、
その日はやってきた。

私はといえば、症状がすっかりなくなったこともあり、
すでに心はミラノの空。

当日はレントゲン撮影も血液検査も慣れた順序でさっさと済ませると、
『すわ、癌の確定か?』と思われた前回の診察とは、
まったく違う爽やかな心持ちで、
担当医に名前を呼ばれるのを待った。

「こんにちは~♪」

今日のレントゲン画像では、きっと前回より、
さらに肺が綺麗になっているに違いない。

そんな、確信にも似た、軽やかな足取りで診察室の椅子に腰掛けると、
思いもかけず、担当医が暗い顔で言った。

「良くないねぇ。肺に水が溜まってるよ」

うぇええ~~~!?

「誤嚥してない?」
「してません」
「胸、痛くない?」
「痛くありません」
「疲れがたまってない?」
「元気です」
「熱はない?」
「全然!」
「.....」

「これはイタリア、諦めないといけないかもね~」

担当医はクールにそう言うが、本人としてはまったく納得がいかない。

「...苦しくないのに?」

そんな私の申し立てに、彼は、
現在の状況が『胸膜炎』という病気に移行してしまっていること、
さらに、このまま水が溜まり続ければ呼吸が困難になること、などを告げた。

その上で、

「う~ん。せっかく肺は綺麗になったのに、どうしちゃったんだろうなぁ?」

「なるべくイタリアには行かせてあげたいから、今日、注射器で水を抜いて、
それで出発前日、水がまた溜まってなければ、OKを出そう」
と。

そうしてその日は背中から麻酔下に胸水が抜かれ、
その胸水もまた、検査に回されたところで、診察は終わった。

三日後、これで再び水が溜まるようなことがなければ、翌日はイタリアである。

その日はすぐにやってきた。

「ダメだね~。前回のを抜く前より、さらに水が増えてるよ」

ううぇえええ~!?

「でっ、でも、苦しくないし、痛くないし!」と食い下がる私に、
淡々と対応する担当医。

「このままじゃ行かせられないし、やはり原因を突き止めなきゃいけない」

「ベッドが空き次第、入院して胸水を抜き、
胸腔鏡手術で胸膜を採り、検査をしましょう」

一度は諦めたミラノ行きだけど、
癌ではなさそうだと言われた時からは、すっかりまた行くつもりになっていた。

確かに、胸に水が溜まるというのは普通ではないが、
果たして何の不調もない今の状態でも、それは病気といえるのか...?

葛藤を繰り返した上、目の前の問題についに諦めた私は、
担当医に『イタリアにはゴンザ一人で行ってもらうつもりである』と告げ、
『自分は家で病院からのベッド空きの電話を待つ』と言った。

「残念だけど仕方ないね。
向こうじゃ友達も一緒だし...ゴンザ、楽しんで来て」

そうして暗い一夜を過ごし、ゴンザが出発当日、
荷物を確認する横で、逆に私は荷物をほどく。

...と、せっかく行けると思ったのにと、
ふいに涙がぽろぽろこぼれてきて、ほどきかけの荷物もそのままになってしまう。

そうして、そんなことを繰り返すうち、
ついにゴンザがこう言った。  

「erimaちゃん!とりあえず荷物を持つんだ!」

実は、イタリア行きを諦めたのは、
自分の身体のこともあるけれど、
本音は、一緒に行く友人たちに万が一の場合、
迷惑をかけないようにという私のやせ我慢だと知っていたゴンザは、
彼らにその旨を伝え、もしかしたら無理矢理にでも私を連れて行くかもしれないと、
そう告げていたらしい。

実際友人たちも、私が迷ったり諦めたりしているあいだ、

「迷惑なんかかからないし、そう思うこともない」

「早く行かないとヴェネツィアが沈んじゃうかも」と、

せっせとメールやら何やらくれ、
それこそ『万が一、やはり肺癌だった場合』に後悔しないよう、
気を遣ってくれていたのだ。

「わかった...ちょっと出かけてくる」

予定していた飛行機に乗るには、
あと十五分で家を出なければならないという、その時点で、
私は一人で家を飛び出し、近所の、看護師の友人のもとへ向かっていた。

「ねえねえ、今の状態でイタリア行っても大丈夫と思う?」

Cちゃんは美しい女性だが、
中身は実は、その辺の男など及びもつないほど、『男の中の漢』である。

看護師で、元船乗りでもある彼女は、
癌騒ぎの際も何かと相談に乗ってくれ、
『っつーか、あたしが治す!』と力強い言葉をくれたこともある。

「...それ、行かなかったらお金返ってくるんですか?」

「ううん」

「じゃあ行かないと!つうか、あたしだったら行くね!病院は向こうにもあるよ」

「よし、わかった」

なんでも彼女は船乗りだった頃、小さな島で、
『今思えばデング熱』にかかった経験もあるらしい。

と、『行くべき』というのは周りで飲んでいた数人も同意見で、
特に、すでに孫がいるというご夫婦も、
「行きなさいよ」と、私の背中を強く押してくれる。

「どう見ても病気には見えないし、いってらっしゃいっ♪」

元気で様々な顔ぶれの人々に盛大に送り出され、
私は自宅へとって返し、
スーツケースをひっつかんで、ゴンザと共に空港へ向かう。

もし、具合が悪くなったら...

それはその時考えよう。

空港に着いた二人は、友人たちと合流すると、
念のための保険に入り、まずはフランスへ飛ぶ、飛行機に乗った。

 

 


青天の霹靂。

2015年07月27日 01時33分26秒 | 吸虫顛末。

 

この世は美しく、人生は素晴らしい。

 

「おそらく肺癌であろう」との診断を受けたのは、今年の三月のことだった。

昨年末から、繰り返す血痰に、数軒の病院を回るものの、
「マイコプラズマでしょう」「アレルギーかも」
と、そのたび診断は変わり、
処方されるのは、せいぜい抗生剤や去痰剤などで埒が明かず、
もう一軒、行ってダメなら大学病院へ行こうと思った矢先に、近所の女医さんが、
「肺炎で見えないレントゲンのこの部分がどうも気になるからCTを撮りなさい」
と、大きな病院を紹介してくれたのだ。

結果、撮られた画像には、
『左肺下葉に新生物疑い。リンパ節に転移疑い』

そうして、女医さんのもとに戻されたその画像は彼女を慌てさせ、
「○○大学の呼吸器科を紹介するから今からすぐ行け!」と、
ようやく今の病院に辿り着いたという次第なのである。

「若いんだから早くしないと!」...と。

行った先では、トントン拍子に検査が進み、
PET・CT、MRIと、あらゆる方法がとられた。

血液による腫瘍マーカー、
喀痰による検査も数えきれないほど。

果たして、PET画像では癌を疑われる部位が綺麗に光り、
私の肺癌疑いはさらに濃厚になったのである。

...そのときの気持ちを何と言えばいいのか、
これはもう、ひとことやふたことでは言い表せないだろう。

ただ、自分の死期について、あれほどリアリティをもって考えたことはなかったと。

例えば手術が出来たとしても、予後が悪いといわれる肺癌で、
これから自分はどうなるのだろう?

店は?
遺されたゴンザは?
妹や弟は?

日々の仕事や暮らしの中で、考えることは山ほどあったし、
逆にいえば何も考えられなかった。

覚悟はもって遺言は書いたが、

そのとき初めて、私はこれまで自分が思っていたよりずっと、
長生きするつもりでいたことに気づいたのである。

けれど...

「いつか行こうね!」と言っていた場所への旅行も、
「いつか出来たらいいね」と夢見ていたことも、
もしかすれば実現する時間がもうないのかもしれないと現実を突きつけられて、
ようやく目が覚めた。

人生が短いことはわかってはいたが、
実際は思っていたより、さらに短いのだ。

そうするあいだも私の検査は続き、
ついに入院しての気管支鏡検査にまで至った。

「苦しい検査は嫌だ」とは言っていたものの、
いざその時になれば、生きたい気持ちが上回り、
すんなり検査を受けることも納得出来た。

苦しいと言われる気管支鏡も、思ったよりは苦しくなく、
結果のほうがずっと待ち遠しかった。

けれど、ここにきてまでも確かなことはわからず...
肺癌の疑いは晴れぬまま。

が、腫瘍マーカーはやはりあがらず、
PET画像では黄色く光り、
(赤く光ると癌だと言われるが、緑や黄は偽陽性と言われるらしい)
喀痰検査からは癌細胞が見つからず、
気管支鏡でも、癌細胞は見あたらず...

どの検査の結果をもってしても、『偽陽性』であることは変わらなく、
癌の確定診断にもまた、至らなかった。

かといって、結核の検査は一軒目の病院から含め何度もやったし、
似たような症状をきたす肺の真菌症も否定された。

頭を悩ませた担当医は、ついに、
「気管支鏡で見受けられた、気管支に夥しくついた痰をまず徹底的に出そう」
と、薬を処方した。

「それから抗生剤をしばらく飲んで、造影CTを撮ろう」と。

「その結果によっては手術」
(生検)

果たして、長い長い一ヶ月が過ぎ、
造影CTの日がやってきた。

私とゴンザはといえば、今日こそ癌の確定を言い渡されるのかと、
手と手を握り、カチコチに固まったまま、結果を待った。

名前を呼ばれ、診察室へ進む際の息詰まる思いは、
経験した者でなければわからないかもしれないが、
足を一歩進めたいような、進めたくないような、
それは恐ろしい心持ちだった。

が、担当医はあっさりと、

「なんかよくわからないけど、綺麗になってるね~。ここにあった塊。
   なくなってるよ、ほら!」

なんと、あれほど大きく気管支や肺を塞いでいた結節は、ほぼ消えてしまい、
肺炎の影もなくなっていたのである。
(実は薬を処方されて数日後から、血痰も大量の痰も止まっていた)

「僕たちもね。最初は八割か九割がたは肺癌だと思ったけど。
肺癌は抗生剤じゃ良くならないから、これは癌じゃないと思う」
(この際の『僕たち』とは、呼吸器内科、検査のチーム含めてということらしい)

「ま、経過はちょいちょい見た方がいいけど、このままよくなるといいね」

なんでも、何かの炎症が起きてもPETは光ることがあって、
その消えてしまった腫瘤の正体は正確にはわからないが、
このままいけば問題ない。

あまりにあっさり、目の前を塞いでいた雲が晴れて、
言葉もなく、脱力する二人。

「大逆転だよ。よかったね♪」

気さくな担当医に

「じゃあ、六月に予定していたイタリアには行けますね?」

浮かれて確認すれば、
おそらく問題ないが、
その前に一応確認のレントゲンを撮ろうかねとの提案。

「はーい♪」

予想外の明るい兆しに、軽いノリで返事をした私。

...が。

実は話はここで終わらず、
肺癌騒動の次には、新たな騒動がまた、待ち受けていたのである。