ロシア軍兵士のウクライナでの犯罪を裁く初公判がウクライナの首都キーウで開かれたという。良いことである。これでロシア軍の残虐非道な振る舞いも少しは減るのではないか。
私は「戦争を知らない子供たち」の世代であり、戦場の実態を知らない。知らないから勝手な憶測でしかないが、戦場という異常な場におかれた兵士たちは、一種独特な共同幻想にとらわれ、平時とは全く別の人格になってしまうのだろう。
仄聞によれば、第二次世界大戦の終戦後、旧満州の開拓民たちはソ連兵に追われ、逃げ惑い、命からがら本土・日本に逃げ帰ったというが、その際のソ連兵の略奪、レイプなどの残虐な行為や、幼子を連れた日本人妻たちが味わった苦難には、平和ボケの我々には想像を越えるものがある。
ソ連兵だけではない。日本では話題になることが少ないが、当時の日本兵たちも中国で散々悪逆非道をはたらいたに違いない。
だが、それもこれも「戦場」という異常な環境の磁場がさせたこと。兵士の一人ひとりは、ひとたび戦場を離れれば、良きパパであり、良き夫であり、良き息子であり、・・・といった具合に、善良な「小市民」の一員であるに違いないのである。
善良な小市民を、残虐非道な獣同然に変えてしまうところに戦争の恐ろしさはあるが、戦場での一人ひとりの残虐非道な振る舞いが、公判の法廷で裁きの対象になり、平時の「小市民」の感覚で追及されることになれば、異常きわまる軍隊の獰猛な共同幻想にも、それなりの地殻変動が生じるのではないか。
その意味で、戦争犯罪を裁くこのたびのキーウでの初公判は、大きな意義を持っていると私は思うのである。