人はだれでも自分のため(利益)になることをしようとする。
「他人(ひと)のため(利益)」になることをしようとする人は、キリスト教の「隣人愛」の思想にかぶれている人か、自分の行為の見返りを求めている人だと言ってよい。前者に比べれば、後者の数は圧倒的に多い。世の中はすべてギブ・アンド・テイク。サービスするから、その分の報酬はちゃんと支払ってね。ギブした分はちゃんとリターンしてね、というわけである。
これは、会社の場合でも変わらない。「我が社は、お客様の利益を第一に考えております」とか、「我が社は、社会貢献をモットーとしております」などと宣伝している会社も、結局は、お客様のために働いた分の対価を、あるいは社会のために働いた分の対価を、当然のこととして要求する。それが会社の利潤追求の姿であり、それがなければ会社は成り立たない。
ところで、先日、次のようなニュースを見かけた。
「《公益重視の新たな会社形態 政府検討、短期利益偏り修正》
政府は環境問題や貧困など、社会的な課題の解決を事業の目的とする新たな会社形態の設立に向けた検討に入る。定款などで社会貢献を担うと明示した企業を認定するといった形を想定する。6月をめどに決める『新しい資本主義』の実現に向けた計画の柱の一つとなる。短期の利益追求への偏りを修正し、公益を担いながら成長する企業を育てる。」
(日本経済新聞 5月16日配信)
このニュースをどう見るべきなのだろうか。会社にもいろいろな形態がある。そのいずれもが顧客という個人の利益の形成に資し、あるいは社会の利益の増大に資する点で共通している。その中でも、「環境問題や貧困など、社会的な課題の解決を事業の目的とするような会社」を、政府はことさら重要と考え、そういう会社を新たに作ろうというのだろうか。
政府は具体的に、どういう会社の設立を考えているのか。たとえば原発施設を運営する電力会社は、(地球温暖化物質である)二酸化炭素の削減に資する点で、環境問題に取り組んでいる会社だと言えなくもない。フクシマの原発事故以来、「原発は危険だ」という認識が広まり、そのデメリットばかりがクローズアップされるようになったが、原発にもそれなりのメリットがあることは否定できない。
また、家電製品を格安で消費者に提供する家電量販店も、低所得者のためになるから、貧困対策に資する面があり、公益を担う会社だと言えなくもない。
既にあるそういう会社とは別に、政府はどういう形態の会社を「新たに」作ろうと考えているのだろうか。
具体的なイメージが湧かず、政府の構想はイマイチ判然としないが、私の頭に浮かぶのは、老人介護を担う福祉事業会社である。大量の団塊世代が後期高齢者になりつつある現在、老人問題は大きな社会問題といえるが、老人対象のデイケアやデイサービスに携わる福祉事業会社こそ老人問題に直に取り組み、公益を担う会社だと言えるだろう。
ところが、そうした福祉事業に対する政府の対応といえば、実にお寒い限りである。もはや周知のことだが、老人介護のサービスに携わる現場のスタッフたちは薄給にあえいでいる。
そうした現状をただ座視するばかりで、満足な対応も出来ない政府なのに、「社会貢献を担う企業」を新たに作るだなんて、笑止千万、へそが茶を沸かすぜ。