すっかり忘れていたが、きのうは建国記念日だった。昔の言葉でいえば「紀元節」。この名称での祝日は1948年(昭和23年)に占領軍(GHQ)の意向で廃止されたという。新たに「建国記念の日」という名称で同じ趣旨の祝日が制定されたのは、1966年(昭和41年)のことだった。1950年(昭和25年)生まれの私は、民主教育の下、「紀元節」にも「建国記念の日」にも無縁で育ったが、私が通った小学校には、まだ「奉安殿」なるものが残っていた。
さて、きょうの「ゴマメのばーば」さんのブログは、その建国記念日(紀元節)に因み、次のように書いている。貴重な体験談だ。
「『紀元節』に関しては、とても嫌な記憶が残っています。その残像は、70年経っても消えることがありません。
同学年に、少し悪ガキっぽい男の子がいたのです。女の子の髪を引っぱって泣かしたり、廊下ですれちがった際に、足蹴りをしたり、とにかく、嫌われものの悪ガキでした。
紀元節の当日、朝登校しましたら、校門脇で、あの悪ガキが男の先生に、こっぴどく叱られ、痛めつけられておりました。往復ビンタを、何べんも 何べんも張られて、鼻血で、顔が醜く汚れていたのです。かなりひどい状況ではありました。奉安殿(天皇と皇后の写真・教育勅語を納めていた建物)の前を通る時に悪ふざけをしていて、奉安殿への敬礼を怠ったところを、教師に見つかってしまった。これが、お仕置きの理由だったそうです。
「紀元節」の式典には、教育関係の お偉いさんや、町の名士なども列席したようですから、教師は、愛国教師としての我が姿を鮮明にしたかったのかもしれません。痛めつけられている姿、血に汚れた顔は、おぞましいものでした。見たくない光景でした。でも、ビンタを張られた理由が理由なだけに、仕方がない、いや、当然と思って私は眺めていたのです。」
教師からビンタを張られた経験は、私にもある。私の場合は中学生のときで、相手は特攻帰りの「でもしか先生」だった。このでもしか教師は、体育を教えていて、バク転ができるのを得意がっていた。ある日、掃除をサボっているという理由で注意されたのを、私が口答えしたために、(頬が腫れるほどの)往復ビンタの体罰と相成ったのである。スパルタ式というより、(民主教育には程遠い)帝国軍人式のお仕置きのつもりだったのかもしれない。
そんな経験をした私は、「ゴマメのばーば」さんの体験談を読み、次のような感想を持った。小学生の悪ガキにビンタを張った小学校教師は、「愛国教師としての我が姿を鮮明にしたかった」のではなく、この悪ガキを痛めつける大義名分が欲しかっただけではないのか。日ごろからこの悪ガキの行状に頭を痛め、機会があればお仕置きをしてやろうと、虎視眈々、目をつけていたのではないか。
紀元節のその日、この教師は、この問題児が奉安殿の前を通る時に悪ふざけをして、奉安殿への敬礼をしなかったのを目撃した。よし、俺はたしかに見たぞ。この悪ガキは奉安殿への敬礼を怠った。「奉安殿への敬礼を怠った」というのは、お仕置きの立派な理由になる。この理由なら、だれにも文句は言われない。しめしめ。
そこでこの教師は、箍(たが)が外れたように、こっぴどく、何発も何発も何発も、この問題児にビンタを張ってしまったのではないか。何発も往復ビンタを食らわせているうちに、この教師は、自分がさも帝国軍人か、「愛国教師」であるかのような凶暴な錯覚にとらわれたかもしれない。
愛国の情、パトリオティズムは、他者を攻撃する際の立派な口実になり、大義名分になる。令和の世となった今、韓国や北朝鮮に対するヘイト感情が「美しい日本を護ろう!」の美辞麗句に煽られて、軍国的・集団的な闘争感情に昂進することがないよう、我々は重々気を配らなければならない。
さて、きょうの「ゴマメのばーば」さんのブログは、その建国記念日(紀元節)に因み、次のように書いている。貴重な体験談だ。
「『紀元節』に関しては、とても嫌な記憶が残っています。その残像は、70年経っても消えることがありません。
同学年に、少し悪ガキっぽい男の子がいたのです。女の子の髪を引っぱって泣かしたり、廊下ですれちがった際に、足蹴りをしたり、とにかく、嫌われものの悪ガキでした。
紀元節の当日、朝登校しましたら、校門脇で、あの悪ガキが男の先生に、こっぴどく叱られ、痛めつけられておりました。往復ビンタを、何べんも 何べんも張られて、鼻血で、顔が醜く汚れていたのです。かなりひどい状況ではありました。奉安殿(天皇と皇后の写真・教育勅語を納めていた建物)の前を通る時に悪ふざけをしていて、奉安殿への敬礼を怠ったところを、教師に見つかってしまった。これが、お仕置きの理由だったそうです。
「紀元節」の式典には、教育関係の お偉いさんや、町の名士なども列席したようですから、教師は、愛国教師としての我が姿を鮮明にしたかったのかもしれません。痛めつけられている姿、血に汚れた顔は、おぞましいものでした。見たくない光景でした。でも、ビンタを張られた理由が理由なだけに、仕方がない、いや、当然と思って私は眺めていたのです。」
教師からビンタを張られた経験は、私にもある。私の場合は中学生のときで、相手は特攻帰りの「でもしか先生」だった。このでもしか教師は、体育を教えていて、バク転ができるのを得意がっていた。ある日、掃除をサボっているという理由で注意されたのを、私が口答えしたために、(頬が腫れるほどの)往復ビンタの体罰と相成ったのである。スパルタ式というより、(民主教育には程遠い)帝国軍人式のお仕置きのつもりだったのかもしれない。
そんな経験をした私は、「ゴマメのばーば」さんの体験談を読み、次のような感想を持った。小学生の悪ガキにビンタを張った小学校教師は、「愛国教師としての我が姿を鮮明にしたかった」のではなく、この悪ガキを痛めつける大義名分が欲しかっただけではないのか。日ごろからこの悪ガキの行状に頭を痛め、機会があればお仕置きをしてやろうと、虎視眈々、目をつけていたのではないか。
紀元節のその日、この教師は、この問題児が奉安殿の前を通る時に悪ふざけをして、奉安殿への敬礼をしなかったのを目撃した。よし、俺はたしかに見たぞ。この悪ガキは奉安殿への敬礼を怠った。「奉安殿への敬礼を怠った」というのは、お仕置きの立派な理由になる。この理由なら、だれにも文句は言われない。しめしめ。
そこでこの教師は、箍(たが)が外れたように、こっぴどく、何発も何発も何発も、この問題児にビンタを張ってしまったのではないか。何発も往復ビンタを食らわせているうちに、この教師は、自分がさも帝国軍人か、「愛国教師」であるかのような凶暴な錯覚にとらわれたかもしれない。
愛国の情、パトリオティズムは、他者を攻撃する際の立派な口実になり、大義名分になる。令和の世となった今、韓国や北朝鮮に対するヘイト感情が「美しい日本を護ろう!」の美辞麗句に煽られて、軍国的・集団的な闘争感情に昂進することがないよう、我々は重々気を配らなければならない。
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