ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

老人の生活

2024-07-19 14:41:49 | 日記
♫ 都会では自殺する年寄りが増えている
 けさ見たブログ記事真ん中に書いていた ♫

井上陽水の「傘がない」。そのメロディーとともに、そんな言葉が頭を流れた。「団塊シニア」さんのブログ「団塊シニアのひとりごと」を覗いたときのことである。「団塊シニア」さんは杉浦敏之氏の著書「死ねない老人」の一節を引用して、こんなふうに書いておられる。

「高齢者の自殺は年間1万人近い、自殺の原因は1位が健康問題、2位がお金の問題である、健康を害し悲観して自殺を図る人がいかに多いか、皮肉なことに救命医療が発達してピンピンコロリといった死に方はもはや望めない、本来命が救われたなら無条件に喜ぶべきだが思うように体を動かせず、介護をしてもらわないと生きて行けない惨めさ。」
(7月19日《死ねない老人とは》)

この件(くだり)を読みながら、私は「ホント、そうだよなあ」と独りごちた。「長寿は幸福」とはよく言われるが、これは若い人たちの勝手な思い込みで、高齢者、老人の生活実感はそれとはまるで違っている。
歳を重ねるにつれ、身体のあちこちにボロが出て、生きにくいことこの上ない。毎朝、ベッドから起きだすたびに腰が痛み、苦痛との戦いから一日が始まる。夜は夜で、何度も小用を足しにベッドから起きださねばならない煩わしさ。とにかく、生きにくいのだ。

昼は週に2度、近所のデイサービスに通っている。これだけが「引きこもり」から解放され、世間へと開け放たれる貴重な時間といえるが、これだって別にそれほど楽しいわけではない。デイサ・スタッフのおばさんたちと笑顔で言葉を交わす。これはこれで楽しいに違いないが、いかんせんそこからの発展性がない。「なに、おまえはそれ以上、何を望んでいるのだ!」と言われそうだが、それ以上、何も望めなくなってしまっている老いぼれの自分が悲しいのだ。

きのうからデイサのスキマ時間に、レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』を読み始めた。以前、分厚い単行本の同じ作品を面白く読んだ記憶があるが、今回は村上春樹訳の分厚い文庫本。村上春樹の小説の文体が好きなので、この人の翻訳になる文庫本(早川書房)で、もう一度読んでみたくなったのである。

「僕は金持ちなんだぜ。その上幸福になる必要がどこにある」

きのう読んだ箇所の中にあった言葉である。心にグサリとくる、おしゃれな文句ではないか。この言葉を真似て、私はこう言うべきなのだろう。

「僕は年寄りなんだぜ。その上幸福になる必要がどこにある」

僕はもう充分長く生きた。それだけで幸福とすべきで、それ以上に何かを望むなんてことはする必要はないのだ。苦痛に満ちた毎日、味気ない毎日。それはそれで是とすべきなのだろう。今のところ、私に自殺する気はない。


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