ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「避難所」を考える日曜日

2024-07-14 11:50:50 | 日記
きょう書くべきブログ記事のネタは、比較的すんなりと決まった。「朝日新聞紙面ビューアー」を開くと、社説欄には

避難所の環境 海外に学び対策を急げ

とある。

「避難所」がテーマなら、いろいろ書くことがあると思ったのである。
というのも、先日のことだが、ケアマネさんから「避難所についてのアンケート」に回答してほしいと依頼があったからだ。
これは(「要介護者」である)私にではなく、(「介護者」である)妻に対する依頼だったが、とにかくそんなふうにして、「避難所」問題について一応、考える機会があったのである。

でも、日曜日には悩ましい問題がある。午前中は「サンモニ」やら「サンジャポ」やら、面白いテレビ番組が目白押しなのである。テレビか、ブログか、to be or not to be ーー迷った末、私はいつも誘惑に負けて、テレビを選んでしまう。

きょうもそうだった。テレビをつけ、「サンモニ」にチャンネルを合わせると、驚いたことに、トランプ前大統領が演説中に銃撃を受けたらしい。このことを知って、私の心は踊りあがった。

ケネディ大統領が銃撃によって暗殺されたのは、1963年のことだ。60年前の当時、私は13歳だったが、この事件のことはよく憶えている。
アメリカはなんと野蛮な国なのか!
きょうの銃撃事件は、バイデンがずっこけ、「もしトラ」が俄然現実味を帯びてきたためになされた蛮行なのだろう。

今にして思えば「さもありなん」だが、ともあれトランプは幸い、無事だったとのこと。このテロの受難が「もしトラ」の現実性をさらに高めることは疑いない。

私は今、このブログ記事を「サンモニ」を見ずに書いている。あの(都知事選で名をあげた)「石丸伸二」氏が生出演するとかで、この番組も興味深いが、ブログに背を向けるわけにもいかず、窮余の一策、ビデオ録画の手法で対応することにした。

というわけで、そろそろ朝日社説の「避難所」問題について書かなければならないが、私が言いたいことは一つだけだ。「日本の避難者対策は遅れている。イタリアでは云々(しかじか)、台湾では云々」と社説はご託を並べるが、そんなことより前に、避難者対策を考えようとするなら、それは個々人の多様性に応じたものにすべきではないか。

私自身のことをいえば、私は身障者である。左半身が麻痺しているので、普通のトイレでは用が足せず、トイレは右手側にポールがないといけない。自宅のトイレはそのように改築しているから、とくに不便は感じないが、一般の避難所ではそうは行かないだろう。

私のような身障者や高齢者のために、行政は「福祉避難所」を用意してくれるようだが、この「福祉避難所」にしても、トイレ問題を考えると、私は行く気がしなくなる。災害に見舞われた場合でも、私は自宅で急場をやり過ごそうと思っている。

病気や、加齢によって生じる障害は人それぞれ。避難者対策を考えるなら、そういう多様性を充分に考慮した上で対策を立ててほしい、というのが、私の意見である。

このこととどう関係するか、私にはわからないが、先日、訪問診療で来宅したドクターから聞いた話がある。「ここだけの話ですが」と年配のドクターは言っていた。
だから「ここだけの話」にしてほしいのだが、十数年前の東日本大震災のとき、あちこちの避難所で、性被害の話が随分あったそうだ。

「性被害」の実態はよくわからないが、不便を忍ぶ長い避難所暮らしの中で、男と女がデキてしまうケースは、多々あったとしても不思議ではない。なかには「人目を忍ぶ」ケースもあっただろう。
そんなケースが生じないようにする避難者対策が望ましいのか、あるいはむしろ望ましくないのか、ーーそれは私にはわからない。

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