ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

デュー・プロセスはデューなプロセスか

2018-10-19 11:27:55 | 日記
次のような言い方を耳にすることがある。
「これはデュー・プロセスに則っているので、とやかく言われる筋合いはな
い」。思うに、これはとても危険な考え方である。
ここで言う「デュー・プロセス(正確にはデュー・プロセス・オブ・
ロー)」とは、「法に基づく適正手続」といったほどの意味である。「法的
に見て適正な手続きを踏んでいるから、何も問題はない」。そう言おうとし
ているのだ。

この考え方の何が問題かは、最近話題の沖縄辺野古問題を考えてみれば解り
やすい。私の念頭にあるのは、次のような出来事である。

防衛省は17日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への
移設で、沖縄県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回に対する対抗措置を
とった。行政不服審査法に基づき、石井啓一国土交通相に対し撤回の効力停
止を申し立てた。9月末の沖縄県知事選で移設反対派が勝利して間もない中
での対抗措置に県は反発している。
                (朝日新聞DIGITAL10月17日配信)

国(防衛省)は「行政不服審査法」なる法律に則って、「沖縄県による辺野
古沿岸部の埋め立て承認撤回」の効力停止を申し立てた。国土交通相がこの
申し立てを審査・検討し、関連緒法に照らして「妥当と認める」ことになれ
ば、沖縄県による承認撤回は効力を失い、国による埋め立て工事が「問題な
し」として粛々と進められることになる。これによって米軍基地の辺野古へ
の移設が実現する。

先の沖縄知事選で、民意が「辺野古移設ノー」を支持していることが示され
たにもかかわらず、この民意を踏みにじるような結果が、「デュー・プロセ
ス」の考え方によって実行されてしまうのである。

この考え方がいかに道理に悖(もと)るものであるかは、数々の脱税事犯を
考えてみれば解りやすい。脱税はれっきとした犯罪だが、犯人たちは法の抜
け穴をくぐっているので、「俺は法を犯していない。だから俺がしたことは
犯罪ではない」と思っている。

こうした脱税犯と、かの防衛省を一緒くたにして、防衛省を非難したくなる
大きな理由がある。防衛省は(本来、使ってはならない)禁じ手を使ってい
るからだ。
国家権力の一機関である防衛省が、個人の救済を旨とする「行政不服審査法」
に訴えることは、禁じ手を使うこと以外の何ものでもない。サイト「日刊ゲ
ンダイDIGITAL」に掲載された記事《辺野古埋め立て承認撤回で…防衛省が
禁じ手の不服審査請求》(10月18日配信)の言う通りである。この記事
は次のように述べている。

そもそも行政不服審査法は〈行政庁の処分その他公権力の行使にあたる行為
に関する国民の不服申し立てについて規定する法律〉(大辞林)であり、国
が一般国民の権利救済制度を使うこと自体がおかしい。
国が「個人」になりすまし、国に救済を求め、国に判断を仰ごうというのだ
からデタラメ過ぎる。安倍政権は3年前にも辺野古移設で同様の禁じ手を
使っている。この時、100人近くの行政法研究者が「この審査請求は不適
法であり、執行停止の申し立ても不適法」と指摘していたのに、安倍政権は
法律家の声明などクソ食らえと言わんばかりの対応だ。

と、まあ「デュー・プロセス」なる考え方の理不尽さについて、以上、事例
に基づきながら縷縷申し述べてきた。ここまでは解りやすい(と思う)が、
問題はその先(あるいはその手前)にある。それについては、次回、取り上
げることにしよう。

この問題は、私が「デュー・プロセス」なる考え方に関心を持った経緯と密
接に関連している。うまく書けるかどうか自信はないが、とりあえず乞うご
期待。
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