ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

しばれる夜の脱出記念日

2020-12-21 16:22:43 | 日記
きょうエアコンを取り付けてもらうべく、電気屋さんに来てもらった。訊けば、今までのエアコンは8畳用だという。それじゃあエアコンが効かないのも尤もだ。私の部屋は12.5畳ある。

え?そんなに広いの?と驚く人がいるかもしれないから、簡単に事情を説明しておこう。私が寝起きしているこの部屋は、もともとわが家を新築したとき、私が両親を引き取るために作った部屋だった。私は長男だから、ゆくゆくは年老いた両親を引き取って、老後の面倒を見なければと思ったのである。8畳の和室と、4.5畳のダイニングキッチン。この二部屋を両親にあてがい、それで二世帯居住をするつもりだった。

結果からいうと、両親は正月に泊まりにくる程度で、結局この部屋に住むことはなかった。元気だったこともあるが、まず父が衰え、母が「私も歳だから、(老いた夫を)一人では世話することができない」と言い出したので、親子して対応を協議した。そろそろわが家に引き取る時期かな、と思ったが、父は有料老人ホームに移ることを希望し、譲らなかった。その有料老人ホームの具体的な固有名を口に出したりもした。前々からこの老人ホームに移ろうと決めていたらしい。

私は父の意を体して、その老人ホームへ居住契約の交渉に行き、その最中に脳出血で倒れた。父はその老人ホームに移り住んで、1年も経たずに亡くなった。母はその老人ホームで今も(認知力以外は)元気に暮らしている。

さて、それからは事態の推移に合わせて、ごく自然に( let it be ; 成り行き任せで)事は進んだ。私は脳出血で倒れてからリハビリ病院に転院し、半年ほどで退院して自宅に戻ってきた。戻るに当たって、両親のために用意していた8畳の和室を(車椅子でも使えるように)フローリングの洋室に改築し、4.5畳のダイニングキッチンとの間をぶち抜いて、バリアフリーの居室にしたのである。手配は妻に任せた。

かくして私の居室は12.5畳の洋室になったのだが、エアコンだけは古いままだったので、キャバ不足になってしまったのである。

私がこの家を建ててから、かれこれ30年がたつ。上のような経緯のあれやこれやを思い返すと、「8畳の和室+4.5畳のダイニングキッチン」から「12.5畳の洋室」へと変貌したこの部屋は、ここ30年間のわが〈ファミリー・ヒストリー〉の生き証人のように思える。

昼過ぎから始まった新しいエアコンの取付工事は、2時間ほどで終わった。このエアコンは18畳用だから、キャパは充分である。

このエアコンの真価は、今夜になってわかるだろう。もう寒くてブルブル震えることはなさそうだ。そう思うと、今からワクワクする。

聞けば北陸と東北地方の日本海側では、きょうも相変わらずの大雪とか。とても信じられない気がする、暖かいきょうの午後である。
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