ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「はやぶさ2」の快挙に思う

2020-12-07 11:30:03 | 日記
日本の惑星探査機「はやぶさ2」が(小惑星リュウグウの試料を入れた)カプセルを無事、地球に送り届けた。6年越しのミッションはひとまず大成功。この快挙に、日本中が沸き返っている。

このニュースに日本人がこぞって熱狂するのは、それがコロナ禍の憂さを吹き飛ばすから、というそれだけの理由ではない。「技術大国・日本」の幻想を打ち砕かれ、今や中国にも引けをとる日本は、すっかり自信をなくして意気消沈していた。「はやぶさ2」の快挙は、そんな日本にプライドと元気を注入するカンフル剤として機能したのである。

「技術大国・日本」の幻想は、長らく日本人に誇りと自尊心を与え、そのアイデンティティを支える立脚点だった。この拠り所を失ったとき、日本丸は腑抜けになり、小舟のように国際社会の荒海をさまよいはじめた。その意味では、「技術大国・日本」の幻想は日本人の心を一点につなぎとめる係留ブイの役割を果たしてきたといってよい。日本は「はやぶさ2」の成功によって、この係留ブイを奪還し、再びアイデンティティを取り戻したのである。

私が「はやぶさ2」の快挙を喜ぶのは、(アイデンティティを失い、腑抜けのようになった)きのうまでの日本に、リタイア老人たちの悲哀を重ね合わせるからである。リタイア老人たちも、**株式会社を退職して、(**株式会社の社員であるという)年来のアイデンティティを失い、腑抜けのように虚無の空間をさまよっている。目的を失い、暇を持て余すリタイア老人たち。その姿は今の私にとって、決して他人事ではない。無聊の砂漠をさまようリタイア老人が元気の素、カンフル剤を手に入れるのは、いつのことだろうか。

それは結局、自分で探すしかないのだろう。自分自身が探査機になる必要がある、ということである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする