おはようございます!
いやあ、なんだか、暖かい日が続いて、うれしいですね。
あのつらいくらい寒かった明け方の時間を思い出すと、
今なんて、全然楽ですからね。
暖房つけなくても、冷えていないから、それほど、苦労もないし!
まあ、熱い紅茶に、ミルクを入れて、ミルクティーで、今日は頂いております!
さて、今日は週末ですし、ちょっと自由に考えていこうかなあ、
というところで、論考者、「信長と家康!」というあたりを考えてみたいと、思います。
さあ、どういう感じになるか!
ま、ゆるゆるっと始めていきましょうかね!
僕もいろいろ論考するわけですが、そういう中で、
信長と家康の共通点に感づいているわけです。
論考者というのは、いろいろ考えているので、例えば、今後、自分がどうなっていくか?
というあたりも、もちろん、考えているわけです。
そして、だいたいわかるわけです。
論考していけば、
「ああ、こういう感じになるな。来年あたりは、こうなるだろう」
とか、わかるんですね(笑)。だから、別にあせることもないし、ゆっくりその状況が来るのを、
待つことができるんです。
何を言っているか、というと、信長にしろ、家康にしろ、
「あせらず、待てた」
という特徴を持っていたのは、やはり彼らが論考者だった!
という証左なのだな!
と僕が確信している!ということです。
家康は、待ちの家康!
と言われるぐらいですから、それはまあ、当たっていると思うのですが、
え?信長が待ちの信長なんて言われたことないじゃない!
それより、
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ほととぎす!」
の信長だよ!
という反論があると思います。
しかし、要は、こっちの句の方がまちがっているのです!
前回も話したように、彼は、「根切り」などの激しい政策をとっています。
この激しさが、誤解を生んでいる、というより、見方を誤る人間を生んでいるのです。
彼は激しいから、それに引きづられて、短気!感情的!という情報をまちがって、読み取っているのです。
低脳な人間が、情報理解を誤る、いい例です。
激しい人間は、皆短気!という自分がもっている浅い感覚を、情報処理の段階で、付加しているのです。
信長は、論考者です。
「今動くのは、自分に不利だ!」
と考えたときは、徹底して動きませんし、自分の面子がつぶされようと、何とも思いません。
例えば、元亀元年、浅井朝倉連合軍を追い、比叡山延暦寺に立てこもった浅井朝倉連合軍を包囲した
信長軍は、そのまま膠着状態に陥りますが、この時、本国尾張の小木江城が一向一揆勢により落とされ、
信長弟の彦七信興が殺されます。
本国でのできごとであり、弟を殺された信長ですが、それには、目もくれず、天皇に申し入れをし、
将軍足利義昭の調停で浅井朝倉と和睦をしているのです。
まあ、状況的に動けなかったと見ることもできますが、事を構えた義昭に和睦を頼むのは、
武将として、面子はつぶされるし、笑いものになるし、厳しいモノがあると思いますが、信長は平然と結果だけを求めています。
まあ、このできごと以外にも、普通だったら感情的に処理してしまうようなケースでも、
例えば、顔に泥を塗られる状況でも、信長は、平然と最善の結果だけをとりに行っているのです。
つまり、彼は、感情で動く人間では、まったくないのです。
論考者ですから、すべてのことを考えまくったあげく、最善の結果だけをとりに行っていることが、だだわかりなのです。
それを、わからないうんこ馬鹿低脳くそ!人間が、比叡山延暦寺焼き討ちや根切り!などの激しい結果を生む政策から、勝手に判断し、
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ほととぎす!」
などと、信長を感情で動く人間に、情報操作しているのです。
こういう人間は、ほんとうにうんこ馬鹿死ね死ね死ね死ね人間なのです。
害人なのです。
サゲ者なのです。
生きていればそれだけ、周りに害悪による影響を及ぼす人間なのです。
そして、低脳な人間が、こういう情報を再配信していくわけです。
NHKなんて、その悪い例そのものでしょう。
だから、低脳うんこ馬鹿!組織!というのです。
まあ、まだ、「坂の上の雲」が終わってないので、残ってもらわないとしょうがないですけどね(苦笑)。
だから、信長は、理性的で、感情で動く人間ではなかった。
彼は、同じ論考者である家康と同じ
「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス!」
派なのです。
いや、彼なら、
「鳴かぬなら、鳴く方法を考えよう、ホトトギス!」
だと思います。そして、家康も。
彼らは、現実をつかむために、論考しまくり、そして、現実をうまく動かし、現実をつかんでいった人間です。
これは、龍馬も同じだと思います。
そういう論考もせず、目の前に見えている状況だけをとらまえて、
「家康は、ただ待っていた!信長は、感情的に動いていた!」
などととらえるのは、愚の骨頂以上のうんこ馬鹿死ね死ね死ね団なのです。
そして、そういうことに声をあげてこなかった、歴史学者の多くも、うんこ馬鹿死ね死ね死ね団なのです。
なぜ?そういうことに考えを及ばさないのか?
僕は不思議でなりません。
なんつーか、ちょっと考えるだけで、
これが、常識!
とされる知識を簡単に否定できてしまう!
どうなっているんだ?日本の歴史界は?
ほんとに、低脳の集まりなんじゃ!
って思えてきたぞう!
まあ、とにかく、信長と家康が、あれだけ待てたのは、論考しまくったおかげで、現実がどうなるか、わかっていたから、です。
だから、焦ることもなく、感情的にならずに済み、静かに待っていることができたのです。
家康を我慢強い!なんて書いている奴は、ただのアホです。
それは待っているという状況を見て、そこから出した結論でしょう?
違うのです。本質は彼が論考者だったから、現実がどうなるか、どういう過程をとるか、そして自分のつかみたい現実はいつ頃、現実に現れるか、
を論考しぬいて、わかっていたからこそ、待つことができたのです。
ほんとに、低脳うんこ馬鹿は、結果からしか考えないから、おかしな評価を下すんですよね!
信長について言えば、真逆な評価になっている。彼は感情的な人間では、ありません。
常に理性的に物事を判断し、待つべきところはいくらでも待てる人間だったのです。
それが、信長と家康の共通点なのです。
だから、信長は、家康を買っていたのです。
おっと、気がつくと、たくさん書いてしまいましたね。
まったく、常識とされていることが、こんなに間違いだらけだったとは!
ほんと、人間というものが、わからない人間が、歴史をやっていたんですね!
軽く考えるだけで、こんなに間違いがあるんだから、
真面目に勉強したら、どれだけのうんこ情報がみつかるやら!
ま、今日はこれくらいにしておいて、あげましょう。
なんだか、毎日、常識を否定しているような、気がするなあ!
今日も読んでくれて、ありがとうございました。
もうね、ほんと、読んでくれるだけで、すっごく、うれしいんですよ!
もう、それが書くモチベーションを生んでくれるわけですからね!(笑)
いやあ、論考楽しいっす!たくさんのひとに、読んでもらえるからね!
そして、読んでくれる、ひとりひとりに、最大の感謝です!
ここまで、読んでくれたみなさん!ほんとにありがとうです!
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
いやあ、なんだか、暖かい日が続いて、うれしいですね。
あのつらいくらい寒かった明け方の時間を思い出すと、
今なんて、全然楽ですからね。
暖房つけなくても、冷えていないから、それほど、苦労もないし!
まあ、熱い紅茶に、ミルクを入れて、ミルクティーで、今日は頂いております!
さて、今日は週末ですし、ちょっと自由に考えていこうかなあ、
というところで、論考者、「信長と家康!」というあたりを考えてみたいと、思います。
さあ、どういう感じになるか!
ま、ゆるゆるっと始めていきましょうかね!
僕もいろいろ論考するわけですが、そういう中で、
信長と家康の共通点に感づいているわけです。
論考者というのは、いろいろ考えているので、例えば、今後、自分がどうなっていくか?
というあたりも、もちろん、考えているわけです。
そして、だいたいわかるわけです。
論考していけば、
「ああ、こういう感じになるな。来年あたりは、こうなるだろう」
とか、わかるんですね(笑)。だから、別にあせることもないし、ゆっくりその状況が来るのを、
待つことができるんです。
何を言っているか、というと、信長にしろ、家康にしろ、
「あせらず、待てた」
という特徴を持っていたのは、やはり彼らが論考者だった!
という証左なのだな!
と僕が確信している!ということです。
家康は、待ちの家康!
と言われるぐらいですから、それはまあ、当たっていると思うのですが、
え?信長が待ちの信長なんて言われたことないじゃない!
それより、
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ほととぎす!」
の信長だよ!
という反論があると思います。
しかし、要は、こっちの句の方がまちがっているのです!
前回も話したように、彼は、「根切り」などの激しい政策をとっています。
この激しさが、誤解を生んでいる、というより、見方を誤る人間を生んでいるのです。
彼は激しいから、それに引きづられて、短気!感情的!という情報をまちがって、読み取っているのです。
低脳な人間が、情報理解を誤る、いい例です。
激しい人間は、皆短気!という自分がもっている浅い感覚を、情報処理の段階で、付加しているのです。
信長は、論考者です。
「今動くのは、自分に不利だ!」
と考えたときは、徹底して動きませんし、自分の面子がつぶされようと、何とも思いません。
例えば、元亀元年、浅井朝倉連合軍を追い、比叡山延暦寺に立てこもった浅井朝倉連合軍を包囲した
信長軍は、そのまま膠着状態に陥りますが、この時、本国尾張の小木江城が一向一揆勢により落とされ、
信長弟の彦七信興が殺されます。
本国でのできごとであり、弟を殺された信長ですが、それには、目もくれず、天皇に申し入れをし、
将軍足利義昭の調停で浅井朝倉と和睦をしているのです。
まあ、状況的に動けなかったと見ることもできますが、事を構えた義昭に和睦を頼むのは、
武将として、面子はつぶされるし、笑いものになるし、厳しいモノがあると思いますが、信長は平然と結果だけを求めています。
まあ、このできごと以外にも、普通だったら感情的に処理してしまうようなケースでも、
例えば、顔に泥を塗られる状況でも、信長は、平然と最善の結果だけをとりに行っているのです。
つまり、彼は、感情で動く人間では、まったくないのです。
論考者ですから、すべてのことを考えまくったあげく、最善の結果だけをとりに行っていることが、だだわかりなのです。
それを、わからないうんこ馬鹿低脳くそ!人間が、比叡山延暦寺焼き討ちや根切り!などの激しい結果を生む政策から、勝手に判断し、
「鳴かぬなら、殺してしまえ、ほととぎす!」
などと、信長を感情で動く人間に、情報操作しているのです。
こういう人間は、ほんとうにうんこ馬鹿死ね死ね死ね死ね人間なのです。
害人なのです。
サゲ者なのです。
生きていればそれだけ、周りに害悪による影響を及ぼす人間なのです。
そして、低脳な人間が、こういう情報を再配信していくわけです。
NHKなんて、その悪い例そのものでしょう。
だから、低脳うんこ馬鹿!組織!というのです。
まあ、まだ、「坂の上の雲」が終わってないので、残ってもらわないとしょうがないですけどね(苦笑)。
だから、信長は、理性的で、感情で動く人間ではなかった。
彼は、同じ論考者である家康と同じ
「鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギス!」
派なのです。
いや、彼なら、
「鳴かぬなら、鳴く方法を考えよう、ホトトギス!」
だと思います。そして、家康も。
彼らは、現実をつかむために、論考しまくり、そして、現実をうまく動かし、現実をつかんでいった人間です。
これは、龍馬も同じだと思います。
そういう論考もせず、目の前に見えている状況だけをとらまえて、
「家康は、ただ待っていた!信長は、感情的に動いていた!」
などととらえるのは、愚の骨頂以上のうんこ馬鹿死ね死ね死ね団なのです。
そして、そういうことに声をあげてこなかった、歴史学者の多くも、うんこ馬鹿死ね死ね死ね団なのです。
なぜ?そういうことに考えを及ばさないのか?
僕は不思議でなりません。
なんつーか、ちょっと考えるだけで、
これが、常識!
とされる知識を簡単に否定できてしまう!
どうなっているんだ?日本の歴史界は?
ほんとに、低脳の集まりなんじゃ!
って思えてきたぞう!
まあ、とにかく、信長と家康が、あれだけ待てたのは、論考しまくったおかげで、現実がどうなるか、わかっていたから、です。
だから、焦ることもなく、感情的にならずに済み、静かに待っていることができたのです。
家康を我慢強い!なんて書いている奴は、ただのアホです。
それは待っているという状況を見て、そこから出した結論でしょう?
違うのです。本質は彼が論考者だったから、現実がどうなるか、どういう過程をとるか、そして自分のつかみたい現実はいつ頃、現実に現れるか、
を論考しぬいて、わかっていたからこそ、待つことができたのです。
ほんとに、低脳うんこ馬鹿は、結果からしか考えないから、おかしな評価を下すんですよね!
信長について言えば、真逆な評価になっている。彼は感情的な人間では、ありません。
常に理性的に物事を判断し、待つべきところはいくらでも待てる人間だったのです。
それが、信長と家康の共通点なのです。
だから、信長は、家康を買っていたのです。
おっと、気がつくと、たくさん書いてしまいましたね。
まったく、常識とされていることが、こんなに間違いだらけだったとは!
ほんと、人間というものが、わからない人間が、歴史をやっていたんですね!
軽く考えるだけで、こんなに間違いがあるんだから、
真面目に勉強したら、どれだけのうんこ情報がみつかるやら!
ま、今日はこれくらいにしておいて、あげましょう。
なんだか、毎日、常識を否定しているような、気がするなあ!
今日も読んでくれて、ありがとうございました。
もうね、ほんと、読んでくれるだけで、すっごく、うれしいんですよ!
もう、それが書くモチベーションを生んでくれるわけですからね!(笑)
いやあ、論考楽しいっす!たくさんのひとに、読んでもらえるからね!
そして、読んでくれる、ひとりひとりに、最大の感謝です!
ここまで、読んでくれたみなさん!ほんとにありがとうです!
また、次回、お会いしましょう!
ではでは。
で?
あなたは、何か表現しているの?
>通りすがりだけど見方が一方的&上に書かれているように表現が悪すぎ。
まあ、相当昔の記事なんで、まあ、書き直すことは、ありませんが、
今後精進していきたいと思います。
お言葉ありがとうございました。
うんこばか女には
「否定のための否定」がだめで「自分のブログは正しい真実を言うために間違いを指摘している正しいブログ」の違いがわからないだけですよ。
別にナンシー関さんがどうとかじゃなくて、「自分と見方が同じ」なんて言うだけなら私だって言えますよね。司馬 遼太郎氏の見方が違うとしても、それで「ちゃんと世の中に流通している」ことが大事ではないかと。無料で閲覧できるものと同一で語るのはいかがなものかと
思います。
あ、そうそう私はご指摘どおりの「うんこくそばか女」ですからもう、高邁で正しい思想の方のお時間をわざわざいただかなくても結構ですが、「論破した」とか思われることなきよう切に申し上げます。
なるほど、そういう指摘ですね。
僕はおしゃべりして議論が深まればいいと思ってコメントしただけで、
昔みたいに、論破した!とか、そういうことは、考えてませんよ?
それにおしゃべりすることで、自分の意見がわかりやすく見えてくるし、
基本これは、すべてただのおしゃべりに過ぎないと考えています。
だから、こうやってしゃべるんですね。
それにね、僕は自分が正しいか、間違っているか、なんていうのは、見ている方が決めるべきだと思うし、
僕はここに連続的に意見を言うことで、
匿名性を薄めて信頼性というものをとろうとしているんです。
だから、自分なり正しいと思ったことを書いているつもりなんですよ。
だって、間違っていると思って書き込んでも、何の意味もないでしょ?
だから、素直に思ったことを書いているだけなんです。
僕はすべてのテキスト情報は等価だと思います。
それについては、あなたの意見とは、違うところです。
なぜなら、等価にいろいろなひとから、コメントされるから、価値というものが
生まれるんじゃないか、と考えるからです。
皆からいつでもいろいろな形で批判を受けるからこそ、強いモノだったり、価値のあるモノになるのではないですか?
僕はそう思っています。
勉強になり、目から鱗と言う気持ちになりました。感謝します。
表現云々は、個人ブログですから許容の範囲ではないでしょうか(笑)
私も同じようにコテンパンに表現する事も有りますし、気持ちは分かります。
ただ、問題が有ります!
今まで思ってきた「泣かぬなら・・」の信長、秀吉、家康の概念と言うか、意味がずれてしまって、朝礼では離せなくなってしまいました(笑)
楽しかったです。ありがとうございました!
しかし、この記事、もう3年も前の記事になるんですね。
まあ、まだ肩に力が入りすぎているというか、
表現がひどいというか、まあ、まだ、モノを知らない時代です。はい。
でも、なかなか、真理をついていて、僕的にはいい感じかと思いますね。
楽しんで頂けたら、幸いです。
コメントありがとうございました。