「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

菅原道真さんは清き心の持ち主だったからこそ、政治家達の汚い心を怨霊として、映しだしたのだ!

2014年05月19日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日は平安時代の政治家にして学問の神様「菅原道真さん」をとりあげてみようか」

と、タケルは話し始めます・・・。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「菅原道真さんは、右大臣にして、従二位の位まで昇進するんだけど、これをよく思わない、時の権力者、左大臣藤原時平の謀略により、太宰府に左遷させられるんだね」

と、タケルは言葉にする。

「実質的に菅原道真さんを重用した宇多天皇と、その子で次の天皇になった醍醐天皇との確執に巻き込まれての左遷という見方もあるようです」

と、レイカは補足する。

「そうだね。いずれにしろ、菅原道真さんの失態ではない・・・まあ、彼の肉声を読んでみると・・・例えば次のような歌がある」

と、タケル。


「去年の今夜清涼殿に侍す。秋思の詩篇独断腸、恩賜の御衣今是にあり。棒持して毎日余香を拝す」


「往時を思って、天皇からもらった衣の匂いを嗅いで、自分を慰めている・・・まあ、なんとも男子としては、弱いだけの感じがします」

と、レイカ。

「そうだね。いわゆるこの人はアカデミック・スマートの最たる人なんだよね。だから、学問はすごいし、知識はある。「知識者」だ」

「だから、その「知識」にかけては当代、右に出るものはいなかったんだろうね」

と、タケル。

「学問の神様、天神様ですものね」

と、レイカ。

「ああ・・・だけど、それだけでは政治家にはなれない・・・政治家とは、今後の達成すべき国家の「未来ビジョン」を明確に具体的に描ける人だ」

「そういう人間こそ、が優れた政治家と言えるだろう。だって、「知識」というのは、言わば過去作られた「知恵」だから、その「知恵」から未来を語ることは出来ない」

「過去の歴史や政治的失敗例を語れても、来るべき未来をつくることは出来ないんだよね」

と、タケル。

「彼はこんな歌も残していますね。太宰府に左遷途中に残した歌らしいです」

と、レイカ。


「海ならず 湛へる水の 底までに 清き心は 月ぞ照らさむ」


「甘いな。こころが清ければ、政治家として、やっていけると言う思い込みは、政治家として甘すぎる。むしろ、政治家は清濁併せ呑む気概が無ければ・・・」

と、タケルはばっさり斬り捨てる。

「この言葉からわかるのは、彼が「清き心こそ、政治家の第一義」と考えていた、という事ですね」

と、レイカ。

「そうだね・・・彼は多分、常に私心を持たず、公平に清き心で政治にあたっていた・・・そういう強い意識があったんだろうね」

「それが彼の政治家としての信念だった、と言えるだろうね」

と、タケル。

「つまり、宮中における良心・・・みたいな存在だったんですかね。菅原道真さんは・・・」

と、レイカ。

「多分、そういう意識だったんだろう。宇多天皇は菅原道真さんのそういうあり方を気に入っていた・・・渾身清濁併せ呑むの気概を見せる藤原時平さんと」

「バランスを取る為にも、綺麗な菅原道真さん、汚れ役の藤原時平さん、という感じで、宇多天皇は見ていたんだろうね。それがお互い牽制しあって」

「いい結果を生んでいた・・・宇多天皇のいる間はそれがよく機能していたんだよ。だから、皆、綺麗な菅原道真さん、ということは知り抜いていたんだろうね」

と、タケルは言葉にする。

「なにしろ、日本文化的に言えば、日本人、特に皇室の人間は「清浄」を理想世界とするからね。その「清浄」を愛する宇多天皇にすれば」

「綺麗な菅原道真さん、という存在は、絶対に必要な存在だったんだよ・・・」

と、タケル。

「しかし、醍醐天皇が即位してから、事態は変わったんですね?」

と、レイカ。

「そういう事だ。日本の文化的に言えば・・・「清浄」は天皇だけでいいんだ。「汚れ役」を政治家がやるからこそ、天皇は「清浄」でいられる」

「これが日本古来からの政治の鉄則なんだな・・・その鉄則が動き出してしまった・・・というわけさ」

と、タケルは言葉にする。

「その頃の政治課題が何であったかがわかれば、さらにわかりやすいんだが、ちょっとわからない。菅原道真が左遷された昌泰4年(901年) 前後を」

「調べると・・・907年に延喜格の選上が藤原時平総裁の名で行われているのが見えるくらいで・・・要は各省庁の決まりを決めたみたいな話で」

「特に菅原道真がいると政治課題が達成出来ない種類の話でもないよな・・・」

と、タケルは言葉にする。

「昌泰3年(900年)に三善清行が藤原時平と対立を深め、宮中で孤立を深めていた菅原道真に「引退せよ」と勧告を出しています」

と、レイカ。

「なるほど・・・政治の路線対立で、要は権力闘争に敗れた菅原道真・・・というシンプルな構図だったか・・・やはり「清浄」なだけじゃ」

「政治は出来ない・・・そういうことだね」

と、タケル。

「しかし、この「綺麗な菅原道真」という印象が・・・後に大きな影響を与えることになるんだね」

と、タケルはほくそ笑んだ。


「彼は太宰府を落ちていく途上、こんな漢詩も読んでいます」

と、レイカ。


「駅長莫驚時変改 一栄一落是春秋」

(駅長驚くことなかれ 時の変わり改まるを 一栄一落 これ春秋)


「なるほどね。というか、やはり、アカデミック・スマートには政治家という仕事は、荷が重すぎた・・・そう見るのが自然だよ」

と、タケルは言葉にする。

「でしょうね。叩き上げの渾身すべて「知恵」みたいなストリート・スマートでなければ、政治は出来ませんもの・・・多分、藤原時平は現実路線で」

「菅原道真は、理想的な政治路線だったんでしょう。であれば、孤立するのも無理もないですわ」

と、レイカ。

「だって、綺麗な菅原道真さん、ですもの」

と、レイカ。


「彼の歌で有名なのは、次の歌だろうね。やっぱり」

と、タケル。


「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」


「春には春の嵐として、東風が吹く。そう都では言われていたんでしょうね。そして、一夜のうちに、太宰府の主の元へ飛んで行く「飛梅」伝説・・・」

「菅原道真さんがかわいそうと思った民衆が作った伝説でしょうね。それは」

と、レイカ。

「結局、物語の構図としては、「綺麗で無実の菅原道真さん」と「汚れ役で讒言をした藤原時平さん」というわかりやすい構図の登場人物が出来上がっちゃうわけよ」

と、タケル。

「そして、菅原道真さんを実際に知る人達は、性格の良い、菅原道真さんの綺麗な人間ぶりをよーく知っている・・・ということになるんですね」

と、レイカ。

「そう。だから、菅原道真さんを太宰に追いやった人間達は、少なからず自責の念があるわけ」

「「ちょっとあいつには、悪いことしちゃったかなー、やり過ぎだったかな」くらいの気持ちがあるわけだ・・・皆に、ね・・・」

と、タケル。

「それが菅原道真さんの怨霊化の原因になるわけですね・・・」

と、レイカが指摘する。

「結局、菅原道真さんは、性格も良く綺麗すぎた・・・だからこそ、その綺麗な人間を汚した日本人は自分のやった事に恐れおののくわけだ」

と、タケル。

「日本文化においては、自分が汚れることは・・・やはり嫌なんだよ。出来れば綺麗で痛いからね。ま、藤原時平あたりは、そんなの何とも思っていなかったろうけど」

「その周囲の精神的に弱い人間達だな・・・結局、菅原道真公を怨霊として崇め始めた人間というのは・・・」

と、タケル。

「その後、まず、菅原道真公の正面の政敵、藤原時平が909年に39歳の若さで死んでます。その後、923年醍醐天皇の東宮の保明親王(藤原時平の甥)が死に」

「さらにその子、慶頼王(時平の外孫)が925年に死にました。さらに930年、朝議の最中に清涼殿に落雷があり、菅原道真公左遷に組みした人間の多くが死に」

「その様子を見た醍醐天皇も3ヶ月後に死去しています。事ここに至って朝廷は「これは菅原道真公の祟り」と認定し、道真公の罪を赦すと共に贈位を行いました」

「もちろん、流罪に遭っていた、菅原道真公の子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返されているんですね」

と、レイカ。

「つまりは、皆、罪の意識を持っていたんだよ。菅原道真公を左遷した時に彼のあまりの綺麗さに、自身の罪深さを強く認識した・・・だからこそ、心のどこかに」

「「いつかその罪の報いを受けるのでは?」という因果応報の気持ちを持っていたから・・・「すわ、これは一大事。菅公が怨霊化した!」となったんだね」

と、タケル。

「因果応報・・・仏教から来た「知恵」ですね・・・当時の宮中では仏教が知恵のベースになっていたから、当然、皆、その思いを持ったのでしょう」

と、レイカ。

「つまり、知識のある人間程、その「因果応報」の怖さを知っていた、ということさ。特に公家は精神的に弱い人間が多いからね。今の人間以上に・・・」

と、タケル。

「前世の因縁すら、気にした人間達だし、行動する方角にさえ、悪霊が付かないように気にして「方違え」しながら行動してたんだから」

「それが現世で、怨霊に取り付かれたと知ったら・・・いや、自分の行動が元で怨霊を作り上げたと知ったら」

「・・・すぐに「源氏物語」の「六条の御息所」的な怨霊を皆が思い出しただろうからね・・・まあ、まだ「源氏物語」は成立していないけど」

「人々のこころには、そういう怨霊のイメージがすでに出来上がっていただろうからね・・・」

と、タケル。

「この時代より前の有名な怨霊としては、785年、藤原種継暗殺事件に関与したと疑われ、絶食して死んだ早良親王の例があります。彼もまた後年関係者を殺しており」

「また、天変地異も続出した為に朝廷が早良親王を怨霊と認識し、幾度も鎮魂の儀式が執り行われ、崇道天皇の追号も受けている例があります」

と、レイカ。

「まあ、そういうことなら、菅公の怨霊化認定はごく当然の流れだったと言えるだろうね」

と、タケル。

「結局、無実の罪で憤死した人間は、その罪を与えた人間から、因果応報の報いを受けると恐れられ、その思いが怨霊を作る・・・それが日本文化だと言えるんだろうね」

と、タケル。

「綺麗な菅原道真さんですからね・・・人々はその綺麗な鏡に映った血塗られた自分の姿に恐れをなしたのかもしれませんね。だから相手が綺麗であれば」

「綺麗であるほど・・・自分の汚さが余計目立つ・・・そういうことなんだと思います。菅公の怨霊化の意味は・・・」

と、レイカは言葉にした。


「九州の太宰府天満宮の境内には梅ヶ枝餅があってさ。これが美味しいのよ・・・菅公も今じゃ天神様だし、学問の神様に納まったわけで」

「スーパー級の怨霊だったからこそ、鎮魂されれば、我々日本人を守ってくださる有り難い超級の神様になってくれたわけだ」

と、タケルは温泉饅頭を美味しそうに食べながら、言葉にする。

「それが日本文化ですよね。一旦、敵になった人間も話しあえば分かり合えることが出来て、強い味方になってくれる。すべての日本の物語は「雨降って地固まる」ですから」

と、レイカ。

「そういうことだ。菅公にしてみれば、今やさしく受験生達を見守る姿こそが「いや、俺、本来、そういう真面目でやさしい性格なんだけど」と、あの世で言ってるよ」

と、タケル。

「綺麗な菅原道真さんですものね・・・怨霊とは、精神的に弱い人間達によって作られる・・・それが日本文化だってよーくわかりました」

と、レイカ。

「さ、結論も出たようだし、私達も楽しい時間を過ごしに行きましょ!」

と、レイカは言うと、目の笑ういい笑顔をしながら、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。


(おしまい)


まあ、菅原道真さんは、後に藤原本家の守護神にまで、なっていますからね。

なんだか、いいように利用されている感じでもありますね。

ま、でも、日本人の守り神様になってくれているんだから、よしとしましょうかね。


ではでは。

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