「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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12月28日 僕的太宰治論!(夜の日本学パイロット版)

2013年12月28日 | 夜の日本学
いうわけで、本日は、パイロット版的に、「夜の日本学」のお試し版をアップしたいと思います。

本番は1月6日から、平日は毎日、「夜の日本学」カテゴリーにて、記事アップしていきたいと思います。


ま、先人達の一語・・・ここから、いろいろ考えていこう・・・そういう話になりますね。


じゃ、今日も楽しく、行ってみましょうか。ゴーゴー!


今日の題材は、

太宰治・・・「サヨナラ」ダケガジンセイダ」。

という言葉になりますね。


太宰治さんの文学とは・・・「生まれてすみません」という言葉に象徴されるように、「自分サゲ文学」なんですよ。


これって、要は読者は、自分アゲが自動的に出来ちゃうので、読んでて気持ちいいんですよ。


だから、彼の文学の読者は、まだ、自分に自信がない若年層・・・10代から20代を中心に形成される結果を生むわけです。


まあ、10代や20代ってのは、経験が無いから、まあ、自分に自信が無いことおびただしい・・・ま、それは当たり前なわけですよ。


目の前の・・・しかも大人の男性が「生まれてすみません」と言ったら・・・特に日本人の男性であれば、いや、女性はもっとか・・・、


「いや、そんなこと言わないでいいから・・・大丈夫、自分、いろいろ・・・これからのこととか・・・」


なんて男性は思っちゃうし、女性だったら、目がハートマークになって、つい、元気づけてあげたくなります。


太宰治氏は、津軽の資産家の生まれで・・・幼い頃から、女中たちの性の慰み者だったりした経験があるんですね。


だから、どうやったら、自分が相手のこころに取り込んでもらえるかをシビアに知っていたわけです。


女性の気持ちを取り込むやり方は大きく分けて2種類あります。


一番効果があるのは・・・下手に出ること・・・女性の「母性本能」を攻撃するやり方です。


女性を落とす恋愛戦略としては、基本中の基本のやり方になりますね。


「生まれてすみません」・・・これ最強の攻撃兵器ですよ。


女性は弱年層から、大人の女性まで、この最終兵器には、一発で、メロメロです。


つまり、文学者ってのは、弱年層から、大人まで、男性も女性もトロカしつくす言葉の攻撃兵器を繰り出せる強力な「コミニュケーション能力」を持った人々、


そう規定することが出来るんですね。


彼は、資産家の息子として、生まれたことがコンプレックスになっていたそうです。というか、そういう資産家の息子でありながら、


「生まれてすみません」


と言える男性を・・・女性は一発でこころ持って行かれちゃうでしょう。


つまり、彼は、そのストーリーのすごさを自覚していたんですよ。


彼の文学を見てみると、


「どうやったら、女性を落とせるか?」


という人生の大テーマに取り組み、その成果を上げていった軌跡を読み取ることが出来ます。


地方の大富豪の息子にして、幼い頃から性的に弄ばれ、早熟だった少年は、女性を自分の思うように動かすには、


その心に取り入り、下から出て、甘えることが最も効果的だと知っていたんです。


相手の女性のこころに甘える・・・母親に対するように・・・そうすると、女性は自分をちやほやしてくるし、


自分の事など顧みずに、全力で自分にいいこと・・・・まあ、エッチなことも含めて、やってくれることを幼い頃から熟知していた・・・それが太宰治の本質でしょう。


地方の資産家の息子なのに「生まれてすみません」と言う女性や男性を蕩かす最終兵器な言葉を駆使する太宰治は、確信犯だったと言えるでしょうね。


未だに彼のファンは多い。毎年彼の死を悼む「桜桃忌」には全国からファンが集まりますね。


死してなお、多くのファンに愛されるのは、作家冥利に尽きるところだと思います。


さて、この事実から考えると、


「じゃあ、文学って、結局なんなの?」


という言葉に行き着くわけですけど、要は、


「どうやったら、好きな、美しい若い女、あるいは、美しい大人の女性をたらしこめるのか?その方法論」


と、対男性的には言えるし、


「どういう男性が素敵な男性なのか、自分が恋をして、自分をかけるべき男性とは、どういう男性なのか?その具体的条件」


を、示したのが、文学と・・・対女性的には、言える・・・そうなりますね。


「日本人はストーリー好きである」


という結論が僕の中には、あります。


じゃあ、それはどうしてか?


「なぜなら、日本人は毎秒、「しあわせになる為の知恵」を欲しており、それを勉強して、自分のライフスタイルにいかしたいと毎秒考えていて、実行しているから」


と言えますね。これがすべての日本人の行動原理であり、すべての日本人の根本的な欲求なんです。



太宰治は、「無頼派」と呼ばれました。



まあ、有り体に言えば、たくさんの美人な女性からモテたし、モラルなんかそっちのけで、何人もの女を孕ませた・・・つまり、生でセックスを受け入れる女性が、


跡を絶たなかったわけですよ。


日本人はそういう太宰治のあり方、にあこがれちゃったわけですよ。


「どうやったら、僕も太宰治のように、「無頼」に生きられるんだろう」


という言葉に集約されますが。男の場合ですよね。


有り体に言えば、好きな美人な若い女性だったり、大人の身持ちの固い美しい既婚の女性を・・・女性の意思で、自分を求める・・・そんな状態になりたい・・・、


そういう男性が、太宰文学のファンの典型例・・・彼らの思っていることは、それ・・・要は、


「未婚の若い女性にも、既婚の身持ちの固い大人の美しい女性にも・・・女性の方の意思で、自分に言い寄る状況をつくりたい・・・だって、エッチしたいもん」


と考えている男性・・・ま、普通の事ですけどね・・・その方法論として、太宰文学は、日本の男性に受け入れられているわけです。


だから、


「「地方の資産家の息子・・・細身で、体脂肪も20%以下・・・秀麗な容貌で、文学者」なのに、「生まれてすみません」と言えちゃう、度胸の良さ」


というストーリーに、男性も女性もやられちゃってる・・・という話なんですよ、これは。


女性は、そういう男性に弱いです。


「素敵だわ・・・偉ぶってもいいのに、一切偉ぶらないどころか、初心なところもあって、細身の秀麗な容貌も素敵。こんな男性に一度でいいから抱かれたい」


と、太宰文学の全女性ファンに思われている・・・それが作家太宰治の本質なんですね。


要は、男性は、素敵な女性に・・・女性の意思でもって抱かれたいと思われたい・・・と日頃から思っているんです。ま、本質的な欲求ですよね。


「エッチしたい」


この欲求は生物なんだから、最大の欲求なんですよ。学校の先生だろうが、警察官だろうが、最高裁判所の長官だろうが、・・・まあ、年齢的にEDかもしれませんが、


それでも、


「エッチしたい」


この感情に支配されているのは、日本の全男性・・・と言っても過言ではない。


女性に至っては、男性の10倍、エッチですからね。


「女性は子宮でモノを考えている」


という言葉がありますが、


「毎日の恋を日々楽しんでいる」


のが、女性ですから・・・素敵な男性に出会いたい・・・その素敵な男性の典型的な具体例を日本人女性に与えてくれるのが太宰文学なんですね。



さて、今回のテーマになっている言葉・・・「サヨナラダケガ人生ダ」という言葉は、じゃあ、どういう状況で出てきたんでしょう?


そういう言葉が出せる前提条件・・・これは、たくさんの女性に愛される状況に自分がいる・・・そういう前提条件が必要ですね。


まあ、そういう前提条件は、太宰治には、揃っているわけですよ。


「地方の資産家の息子にして、文学者。女性にどう言えば、その女性が自分にときめくか・・・その言葉はすべて抑えている。外見的にも秀麗な容貌」

「そして、時代を先取りしている流行作家にして「無頼派」」


この条件であれば、その男性に一度は抱かれてみたいと思う女性は山ほど、いるはずですからね。


つまり、いろいろな女性が自らの意思で、太宰治の前に現れ・・・抱かれることを望む状況になっている・・・ということですね。


でも、文学者というのは、強烈な個性の持ち主ですから・・・要は女性の品定めに厳しいということになる。


品定めに厳しい男性の条件に、あまたの女性に女性の方から愛される・・・そういう前提条件が必要になりますが、太宰治はその状況に陥っていた、

と言えるわけですねー。


だから、こそ・・・今最も好きになれる、夢中になれる女性というのが、現れてくる・・・という状況にいたのが、この言葉を吐いた太宰治の状況です。


あまたの女を抱き、孕ませ・・・それでも、その行為が自分の文学者としての財産になると考えていた太宰は、


要は、「文学者」なんてかっちょよく言ってますが、速い話、「文学者、文士」なんてのは、本質を示した言葉じゃありません。


「男性や女性の心をとろかせ、自分の意のままに動かす、策士にして、「性衝動」の本能のままに生き、エッチの為に生きる、セックスマシーン」


という評価が概ね妥当だと僕は思いますね。


いい仕事ですよ。女性からは言い寄られるし、エッチしても孕ましても、それが仕事の財産になるんですから・・・。


つーか、まさにその道をガンガンにフルスロットルで走っているのが、僕の状況ですけどね。だから、わかるんですよ。太宰治さんの心情が・・・ひしひしと・・・。


だから、

「サヨナラダケガ人生ダ」

と言い切れる・・・あとからあとから、いい女が言い寄ってくるからこそ、言える言葉だったんですね。


言葉というのは、おもしろいもので、その人の状況により、理解も変わるわけです。


例えば、僕は10代の頃・・・全然モテませんでしたけど、その頃、この言葉について、考えていたのは、


「結局、出会いはあっても、別れがそこにはついてきちゃうもんなんだな・・・だって、女性は皆、僕の元から海が潮を引くように去って行ってしまったもの・・・」


僕はこんな感慨を持っていました。


小学6年生から、中2まで、モテ期だった僕は、小太りになって、女性が引くという体験をシビアにしていたんですね。


まあでも、大方の男性は、モテ期なんて経験していませんから、


「女性にモテたことなんて、一度もない。女性に注目を浴びた経験なんてないし・・・結局、クラスで一緒になっても、相手にされない。さよならだけが人生なんだな」


と、感じたりもしますし、


要はこの言葉も、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


なんですよ。


「さよならだけが人生だ」


って言うと、なにやら、寂しい人生を送っている人のように思えるじゃないですか?


ところがどっこい、太宰治さんの状況はそういう状況ですから、ある意味、うはうは。


でも、どういう言葉が読者に受けるかを知っていた太宰治氏は、


「「自分サゲ、相手アゲ言葉」を使えば、日本の全女性、全男性をファンに出来る」


という絶対の事実に行き着いていたので、その知恵を使って、言葉を作っていったんですねー。


ま、この、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


って、要はモテない大人の男性がよく使いたがるんですよ。新聞記者とか、弁護士みたいに、ダサいおっさんの典型職業の人間が、まー、よく使う。


こういう人って、「知識者」の典型で・・・要は、


「僕は頭がいいのに、なぜ女性にモテないんだ?」


というアホみたいな考えを持っている「究極アホ脳」の人間達なんですね。


だいたい、「知識」なんてプレゼンしたって、女性アピールには一切なりませんからね。


で、そういう男性は、しばしば、この、


「自分サゲ、相手アゲ言葉」


を使います。


「俺もうだめだ。俺って駄目でさー。今回の仕事も駄目だったし・・・」


なんて愚痴る・・・職場の部下の女性は、こう言われたら、日本のお約束として、


「そんなことないですよ。今回はたまたま、運が悪かっただけです。次はうまくいきますし」


と、日本のお約束「おもてなしの心」で言ってくれます。


でも、これ・・・職場の上司だから、仕方なく言っているんです。


その女性の内心は、


「めんどくせー、くそオヤジだなー」


くらいにしか思っていないのが実情だったりするんですね。



さて・・・女性を落とすやり方は2つある・・・その一つは、下から、「自分サゲ、相手アゲ言葉」を駆使して、さらに背景として


「地方の資産家の息子にして、秀麗な容貌を持つ流行作家」


という条件を作り出せば、たくさんの女性から、愛される・・・ということを今回勉強しました。


方法論として、もうひとつのやり方がありますね。



「人生において、毎秒真摯に生き、人生に真正面から向き合い、失敗を何度も繰り返しながら、人生という高い山をドンドン登って行くことが出来る人間」

「最終的には、ネガティブな状況をボジティブに変える方法論を多数持ち、自分の仕事に毎秒満足しながら、人生への自信を毎秒深めていく」

「そのことによって、結果、人間性が超デカくなり、人間的にも強くなり、毎秒の自己の価値追求者として、この世を歩いて行く人間」


になうと・・・大人の女性から、子供の女性まで、その人間性の強さと人間性のデカさに女性の方から、恋に落ちてきます。

そういう男性は秀麗な容貌を持ち、素敵な雰囲気をまとい、めぢからが超強くなり、いつも笑顔で、春風の中を歩いているような風情を兼ね備えます。


女性は誰でも甘えたい本能を持っていますから・・・そこに到達すれば、女性の方から、恋をしていく状況を現出出来るんですね。



こっちのやり方の方が確実です。女性は必ず落ちます。なぜなら、女性は比較する動物だからです。

なにしろ、これを現出出来る男性は、この日本においては、「独立者」に限られるからです。


「学級委員脳」である、「俺偉い病」の人間も、「サラリーマン脳」である「逃げ込み者」も、この能力は備えられませんから。


「独立者」のみが、上記の状況を現出出来るので・・・比較的少数になってしまうんですね。


だから、女性を恋に落とす方法は、この2つなんです。この2つを上手く組み合わせ毎日を送るようにすれば、男性は、モテモテになること間違いなし。
、、

女性は、「独立者」を探して、その男性に恋をすれば、いいということです。


なぜなら、太宰治も、「独立者」になれたからこそ、たくさんの女性に愛されたのですから。


だから、多くの男性も女性も太宰治を愛したんですね。


それが結論ですかねー。


ま、「文学」の正体とは、要は「恋愛マニュアル本」だったんですねー。


なんか、いろいろわかっちゃった、僕的「太宰治」論でした。


おもしろいよね。この世は。



ではでは。

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