よくプライドを傷つけられたといいます。でも、そんなに簡単にプライドは傷つけられるものでしょうか。本当のプライドは人によって傷つけられるものではないと思うのです。虚栄であれば別ですが。だから、傷つけられたとか傷ついたという言葉を簡単に使う人は一種のマゾ的心理に浸っているとも言えるのではないでしょうか。傷ついた自分をあわれんで悲劇の主人公を実は演じているというような。
若い頃にはよくわからなかったけど、自分は傷つきやすいのだとか、繊細なのだなんて言いながら、本当はそういう自分を演じて甘えられる人間に意識的か無意識の中で訴えていたのかもしれません。今、自分が逆の立場に立ってそれが見えてきたような気がします。
本当のプライドを持ちたいものです。
若い頃にはよくわからなかったけど、自分は傷つきやすいのだとか、繊細なのだなんて言いながら、本当はそういう自分を演じて甘えられる人間に意識的か無意識の中で訴えていたのかもしれません。今、自分が逆の立場に立ってそれが見えてきたような気がします。
本当のプライドを持ちたいものです。
そうですね~、僕にとっての『プライド』ってのは格闘技・・・じゃなくて、それが自体が自分の価値を支える象徴みたいな所で、自分が頼りにしたり自分の崇拝する所のようなものかと思ってます。だから人によってはそこを否定されたりすると苛立つんでしょうね。でも自分のプライドが良い方向に壊された時は少し快感?があったりしませんか?僕は自分がプライドに支えられなくても自分に自信を持てるように強くなりたいですy
本題から少しずれました、ごめんなさいm(__)m