職場で相談を受けて困ることがある。だれそれがどうだから注意してくれっていう類。注意ってむずかしいんだよね。注意されて、はい、反省します。気をつけます。なんて素直な人はそういない。いたところで心の中ではふん、何よ。あいつだってXXなくせに。今度あいつには慇懃無礼を装ってかかわらないようにしよう。いちいち誰それがこういったからって相手を注意できるわけでもない。物事って一人だけで悪人にはなりにくいから。また、注意された人間は誰がちくったのだろうとあれこれ考える。
だからいじめをやめさせるのもむずかしい。中途半端じゃきかないし、間違えればさらなるいじめになる。大体誰かを訴えてくる人ようなはその人自身対人関係が不器用な人であることが多い。話を聞いているといつも被害をこうむってるのは自分だといわんばかりだ。だから、飲み会か何かで悪口が始まるものならどっと疲れてしまう。それから愚痴も疲れるよね。自分自身愚痴りたいことたくさんあるのに会社でまで聞かされたくないよね。
社会には自分の苦手な人や腹立たしい人など五万といる。でも、気に入らない人を自分の気に入る人間になどできるわけがない。自分の考え方を変えるしかない。そんなのわかっているけどというところが問題なんだよね。私だってちょっとしたことが原因で口を聞いてもらわなかったり無視されたりではらわたが煮え返りそうなこと何度も経験したことがある。そんなときでも、あいさつだけはきちんとし、言わなければならないことははっきりいう。それ以上のあいさつや媚びることは一切しない。
そうするとそれが普通になり苦にならなくなる。相手に認められようとか好きになってほしくて媚びることをしない。しかし最低限のあいさつや仕事上必要なことは普通にきちんと言う。相手がどんなに感じ悪く答えようが何しようが意に介さないようにする。毅然とした態度が必要だ。
よく丁寧に話してるのにあいつは無礼だという場合。その丁寧さって慇懃無礼の丁寧さってことないだろうか。慇懃無礼はやっぱり無礼の部類だ。
自分の声の録音を聞いたりすると、あまりのひどさにがっくりくることがある。私ってこんな話し方してるんだって。写真でも何でもそうだけど、自分の姿や声って自分が思ってるよりかなりひどい。相手のことを批判する前に自分が相手にどう見えているのか聞こえているのか客観的に考えてみることも、なぜ自分が多くの人とぶつかるのかの原因がわかるかもしれない。
私がその人にそういうこともできるけど、言ったらかなり傷つくだろうから、私はオブラートに包んだ言い方で言葉少なくヒントを言ってみる。たくさん言うと相手に考える余地を与えないからなるべく短く伝えてみる。感情的な問題は議論するものではない。
そういう自分も自分で解決のできない悩みがある。人のことはよく見えても自分のこととなると盲目になってしまう。人に言えないから悩みなんだよね。
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