森田童子 1952年1月15日~2018年4月24日
その名は、本人が『笛吹童子』と発言したにもかかわらず
太宰治『おしゃれ童子』由来であろうとされている。
この短編は青空文庫でも読める。
第三者視点の語りであるが、自嘲的回顧録という体。
「少年も、もう、いまでは鬚の剃り跡の青い大人になって、
デカダン小説と人に曲解されている、けれども彼自身は、
決してそうではないと信じている悲しい小説を書いて、
細々と世を渡って居ります。」
素性は謎であったが…
なかにし礼の兄「
という強烈な人物の娘であると『血の歌』で明らかにされた。
「痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。
兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、
なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!」
wikiによれば…
東京都出身。
学園闘争が吹き荒れる時代に高校生で東京教育大学の学生運動と交流があった。
高校を中退し、気ままな生活を送っていたが、
20歳の時、友人の死をきっかけに歌い始める
(この亡くなった友人をモチーフにした曲がデビュー曲となる
『さよなら ぼくの ともだち』である)。
1975年10月、シングル『さよなら ぼくの ともだち』で、
ポリドール(現:ユニバーサルミュージック合同会社)よりデビュー。
以後主にライブハウスを中心に活動。
1980年に、ポリドールからワーナー・パイオニア
(現:ワーナーミュージック・ジャパン)に移籍。
1983年までにアルバム7枚、シングル4枚をリリースし、
同年の新宿ロフトでのライブを最後に、
引退を宣言することなく活動を休止する。
レコーディングの編曲、演奏は
アコースティックギターの第一人者石川鷹彦(元六文銭)が担当した。
『血の歌』で明らかにされたのは、
ビートルズやセックスピストルズと同様に、
綿密にプロデュースされた企画作品が「森谷王子=森田童子」ということ。
彼女が作詞作曲した楽曲…編曲が凄いのだろう。
本名非公開、アフロヘアーに黒い丸メガネで素顔を隠した彼女は
それすらも「企画」なのだろうが、
おしゃれ童子のように、
自嘲的に「細々と世を渡って」いたのだろうか…