「何を、どのように」さえ教えれば、
昔の学生はせっせと勉強したものだなぁ…という気がします。
価値体系が比較的安定していた、ということだと思うのです。
戦後教育は「権威」の通俗化に努めてきたのでしょうか?
価値あるものの価値を、ひたすらに貶めてきた結果
てんでんばらばらのこじんまりとした自己中心の世界に住んでいるのかな?
人間社会も自然界と同様、実は極めて論理的な存在です。
しかし、そのことを忘れていわゆる横車を押しているのですなぁ。
今の学生は、自分なりの Why に気づいていないような気がします。
自己理解が、世界理解と同様に極めて浅いので
何を教えるにしても why + what + how をセットにしないと
深い理解には達しないと思います。
ここで問題なのは、納得できる why が一人ひとり違うことなんですねぇ…
昔の学生はせっせと勉強したものだなぁ…という気がします。
価値体系が比較的安定していた、ということだと思うのです。
戦後教育は「権威」の通俗化に努めてきたのでしょうか?
価値あるものの価値を、ひたすらに貶めてきた結果
てんでんばらばらのこじんまりとした自己中心の世界に住んでいるのかな?
人間社会も自然界と同様、実は極めて論理的な存在です。
しかし、そのことを忘れていわゆる横車を押しているのですなぁ。
今の学生は、自分なりの Why に気づいていないような気がします。
自己理解が、世界理解と同様に極めて浅いので
何を教えるにしても why + what + how をセットにしないと
深い理解には達しないと思います。
ここで問題なのは、納得できる why が一人ひとり違うことなんですねぇ…