哲学者ウィトゲンシュタインは
「人生の問題は解決しない。問題そのものが無意味となるだけだ」
という趣旨を述べている。
このことについて、考察。
問いがあって、初めて答えがある。
むしろ、問いの中にこそ答えがある。
答えとは、問いの「意味」なのである。
まぁ〜、試験でも問題文を読みこなし理解する事が
解答過程の6割以上を占めていると思う。
何を問うているかが分かれば、部分点6割くらいは取れるのだ。
人生の問題は、「思うようにならない」という
仏教で言う「苦」の事であろう。
例えば…
好きな人であっても、いつかは別れなければならない。
至る所で、嫌いな人と出会ってしまう。
生きることも大変で、老いて病み、いつかは必ず死ぬ。
自分の思うようにならない事なのに、とても大事な事に思えてならない。
もともと人生とはそう言うものなので、解決しようがないのに…
ところが、「時」の経過で状況が変わり、
「大事な事」に思えなくなることがある。
これが、問題の解消=問題の無意味化である。
問いが、問いであることを止めるのだ。
仏教では「四苦八苦」に対処するため、「諦」を持ってくる。
何故か、この漢字は日本で「あきらめ」の意味に捉えられているが、
本来は「物事を深く理解する」という意味。
動き、食べ、眠り「生きる」こと
「生きる」うちに問題は、自ずと解決=解消することとなる…