大小迫 つむぎの家

よみがえれ!大小迫の里山。 人と人、人と自然をつなぎ、つむぐ「つむぎの家」

姉から学ぶ支援の力

2011年06月03日 | 震災と復興

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 震災以後、つむぎの家で暮らしている姉。肺線癌におかされ、家屋を失っても、常に明るく前向きで、決して希望を失わず周囲の人たちを勇気づけている姿にただただ感銘。

 その姉に、これまで全国からいろいろな支援物資が届けられてきました。その数はダンボールで数十個になり、つむぎの家に保管し周囲の人々に配布してしてきました。

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 いま、綾里地区では、復興が急ピッチで進められつつあります。これは、標高45mの高台にある綾里中学校から見た現在の状況です。後方の住宅地は、昭和8年の大津波後、山の斜面を削り取って建てたもので、今でも当地では「復興地」と称しています。復興地は20mの高さに造られ、今回の大津波にも無事でした。でも、その下にあった居住地はすべて流出してしまい、写真のように更地になってしまいました。

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 綾里地区では、130戸の家屋が破壊・流出しましたが、仮設住宅入居希望者は90世帯ということで、綾里中学校のグラウンドに4/22に着工し、5/24 に完成し、家電製品などの生活用品が今準備されているところです。

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 上は、地区の人々が避難していた綾里地区コミニュティセンター「綾姫ホール」で、一時は200人ほどの人が避難していましたが、現在では、下の写真のように、30人ほどになっています。

 来週6/8に入居者に仮設住宅の鍵が渡され、希望者全員が入れるそうです。これからも粘り強く生きていこうということで、6/6には入居者の餅つき大会を行うそうです。

 姉は、自らも被災者でありながら、全国から送られてきた支援物資を地域の人たちに希望を聞きながら配布してきています。被災当初は、食糧と飲料水、ついで衣服類、マスク・洗剤・シャンプーなどの衛生用品へと変化し、今は、家族の食生活を支える食器セットが主体になっています。

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 これらは、送られてきた食器セット類(1ケース各6人分)で、それぞれ送り主の個性があふれており、箱の中には被災者へのお見舞いと励ましのことばが添えられています。

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 送り主は全国各地から、また、添えられている言葉もそれぞれですが、仮設住宅への入居にあわせた、まさにタイムリーな物と感心しています。つむぎの家宛てには、30箱以上が送られてきました。食器類ですので1箱の重さは10kg程度もなりますが、荷造りしてくださった方々、それを配送してきた方々にも頭が下がります。

 そして、病身でありながら、今必要なものが何かを発信し、自ら希望者に口コミで伝え、配布する姉の姿に、被災者の力、生きる力を感じています。

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 これは隣町の住田町が、町の特産である木材を活用して造った一戸建ての仮設住宅です。

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 バス・トイレ付の2DK住宅ですが、杉や桧などの木材がふんだんに使われ、木の香りが心をなごませ、環境にやさしく解体・移築もプレハブと同様にできるとのことで、見学に行ってきました。現在93戸が完成し入居を待つばかりとのことです。

 壊滅的被害を受けた陸前高田市からの入居希望者が多く、抽選によって入居者を選定していますが、あの無機質的なプレハブ住宅に比べると、こころが休まると感じるのは私だけではないみたいです。

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 あの大津波に呑まれながらも、助かった姉の家の愛犬「ヤマト」もつむぎの家に来てから間もなく3か月になろうとしています。もうすっかりつむぎの家の住人(いや、住犬)になり、姉夫婦だけではなく、私たちのやすらぎの基として、そして地域の子どもたちの遊び相手として、支えてくれています。もちろん、番犬として里に下りてくる鹿に「にらみをきかせ」、不審な人には威嚇し(決して跳びかかりはしませんが)、つむぎの家を守ってくれています。

 まさに幸せを招いてくれる愛犬です。これからもよろしくお願いします。