ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

むしのいい話

2024-02-07 08:43:56 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「ないものねだり」2月3日
 読者投稿欄に、福岡県M氏による『質の高いライドシェアを』と題された投稿が掲載されました。その中でM氏は、フィリピンでのライドシェア体験を、『一般の自家用車がやってくるので運転手の対応や運転技量はさまざまだった。乗ったタクシーが自転車と衝突した時は運転手の事故対応に不安を覚えたことも』と書き、その上で『外国へ行くと日本のタクシーのサービスの質の高さを改めて感じる。その質の高さを維持し、外国人観光客も安心して利用できる日本版ライドシェアの制度、運用を期待したい』と結んでいるのです。
 私はこのような「虫のいい」話を目にすると、つい舌打ちしてしまいます。M氏に悪気はないことは分かるのですが、ある仕組みが質の高いレベルで機能するためには、一定の予算措置と携わる人間の資質向上・維持が不可欠なのです。
 ですから、我が国の従来のタクシー並みのサービスの質を期待するのであれば、運転手の技能を高める訓練や研修が必要ですし、それをバックアップする企業の体制が求められます。そこには、運転手だけでなく、労務管理や運転手の健康管理、事故等の対応にあたる事務・法務職員などが必要になります。それら全てに経費がかかるのです。そして経費は、運賃に反映されなければ、タクシーという仕組みは長続きしません。
 ライドシェアは、素人が人を載せ送り届けるシステムです。素人で資格も不要だから集めやすいのですし、素人だから賃金が安く従って運賃も安くなるのです。ライドシェアに従来のタクシー並みのサービスを期待するのは無理なのです。もし、そんなことが可能ならば、タクシー会社がそうしたシステムを導入しているはずです。
 要するに、サービスの質は劣るけれど、それは我慢し、その代わり呼んでもなかなか来ないという不便さは解消しようというのがライドシェアなのです。それ以上を求めることは、ある意味、タクシー運転手という資格を取り訓練を重ねてきた専門職の専門性を軽んじているということなのです。
 学校教育についても、同じような問題があります。民間企業に勤務する人間を教員として採用したり、ITやAIの技術者を非常勤講師として学校に迎えたり、企業経営者や首長部局の管理職を学校管理職に充てたりというのは、専門性への敬意を欠く考え方です。
 閉鎖的な社会に新しい風を吹き込むことは間違いではありません。ただし、その場合には、職務への理解や必要な経験を積むための、人材育成費と機会を確保するとともに、組織として必要なバックアップが可能となるだけの予算上の、また人的な資源の確保を怠ってはならないのです。そうしないのであれば、素人の急造運転手を大量採用したタクシー会社のように、大幅な質の低下を招くことは必至です。

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